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2007年4月22日 (日)

掛けたりはずしたり

(前略)人間の推論は,論理学で扱われている論理系における推論とは,大きく異なっている。論理系における推論は,前提から推論の規則に従って妥当な(ないしは相対的に確かな)結論を導き出すことであり,それ以外のあらゆる知識を利用するのを認めないのに大して,人間はむしろさまざまな暗黙の知識を投入しようとするからである。もちろん,時には,形式的に正しい推論のみによって結論を導こうと試み,それが不可能であれば,結論を保留するほうが好ましい場合もある。見解や利害の対立する人が論争する際や,高度に確実な知識の体系の確立を目指す際などがこれに該当する。したがって,要求されれば,内容とはある程度独立して形式的に正しい推論ができる,という能力は重要であり,そのための教育や訓練も必要に違いない。しかし、既有知識や文脈を精一杯利用して,そこからできるだけ有用な推論を引き出そうと試みる人間の推論能力にも,それなりの「敬意」を払うべきであろう。(『学習科学』 放送大学教育振興会 P106)

以上は、心理学者の故・波多野誼余夫氏による文章ですが、私も深く共感します。以前に、「色眼鏡」と題してエントリーを書きましたが、色眼鏡を掛けたりはずしたりが出来る様にするべき、という事ですね。で、その為には、「はずす練習」が欠かせない、と思います。

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