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2007年4月 4日 (水)

思い出す

私は、テレビの心霊を扱う番組を観たり、『恐怖新聞』や『うしろの百太郎』等を読んで、霊の実在を、完全に信じるに至りました。

7・8歳頃の事ですから、さすがに、それ自体をフィクションとして楽しむという、メタな見方が出来る筈も無く、夜トイレにいくのも嫌だ、という感じになりましたね。そういう意味では、「漫画やテレビに影響を受けた」と言えます。

同時に、神もいるだろうと信じていました。それは、人格的なものです。何かをお願いすれば、それを叶えてくれるかも知れない、と思いながら、神様に祈ってた訳です。特定の宗教への信仰も全く無いし、具体的な知識も無いのに、そんな感じでした。フィクションに散りばめられた、色々の宗教のエッセンスを取り込み、自分なりに解釈したのかも知れません。子どもの頃には、誰しも、そういう経験があると思います。

そうなってしまうと、自分の脳で完結してしまうのですね。常に自分を監視する、絶対的な何者かが存在し、それが行動を規定する、という感じです。他者よりも、その「何者か」を重視するのですね。

今振り返ると、全く良い状態ではありませんでした。異常な緊張状態なのですね。全く安らかでは無い。そして、他人を蔑ろにしてしまう。過剰な自信と過剰な不安の両方を感ずる、アンビバレンスな心境でした。

今、ですか? 今は気楽なもんです。人間はいつか死ぬし、死んだら意識も消滅する。それに、形而上の事をどれだけ考えたって、絶対に答えは出ない(と言うか、どの様にでも答えが出せる)のだから、考えてもしょうがない、という感じです。要するに、「諦め」です。悪い意味では無くて。

死に恐怖は無いのか、と言われそうですが、勿論、言語を絶する恐怖です。で、死について考える時は、途中で思考をシャットダウンするようにしています。「こっから先を考えると、狂うな。」という所に、行ってしまったので。多分、この方向だと、これ以上はいけない、と判断したので、ある意味で楽になったのですね。それを否定するには、前に戻るしかありませんので。

だから、今をちゃんと生きなくちゃ、と思ってます。まあ、これは全然出来てないし(恥ずかしくなるくらいに)、「ちゃんと」て何だよ、とも思いますけど。

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kikulog覗いたら、田部さんが、同じ様な事を書いておられましたね。このエントリー自体、AOMURASAKIさんのコメントを読んで、書こうと思いました。

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「随想」カテゴリの記事

コメント

こんにちは、TAKESANさん。

>7・8歳頃の事ですから、さすがに、それ自体をフィクションとして楽しむという、メタな見方が出来る筈も無く、夜トイレにいくのも嫌だ、という感じになりましたね。

そんなに発達心理学とかを詳しく勉強した訳でも無いんだけど、そのくらいの年齢で「何か超常的な事を怖がる」というのは、正常な発達過程じゃないかと思います。それがたまたまTVとかの刺激で起こっているだけで、TVとかの無い時代は、年上の子供から聞かされた幽霊話だったりしたのではないかな。

誰の伝記だったか忘れたけど、「子供の頃に異常に怖がりで、夜中にトイレにいけずにおねしょする様な子供であった」みたいな話は2つくらいは読んだ記憶があります。

外国のファンタジーに「ベッドの下の怪物」というのがあって、なんら詳しい説明が無くても「ベッドの下の怪物」で通じる見たいなんですね。西洋の子供はかなり早くから自分のベッドで寝かされる訳ですが、ベッドの下から毛むくじゃらの手が出て自分の足を掴む野じゃないかといった不安感に、或る程度の共通性があるという事でじゃないかと思います。

大事なのは、そういう発達過程をそれぞれ個性を持ちながらも「きちんと終える」事なんですね。私の育ったのは田舎の農家でして、トイレは家の外に有った訳です。そういう意味では、そういう想像型の恐怖にとらわれる経験をする者も多くて、それをきちんと昇華させた経験も多くあった訳です。現代はむしろ、そういう「とらわれと昇華」の経験の欠如がオカルトの流行る原因の一つかも知れないと思ったりします。

投稿: 柘植 | 2007年4月 4日 (水) 11:56

柘植さん、今日は。

 >そのくらいの年齢で「何か超常的な事
 >を怖がる」というのは、正常な発達過
 >程じゃないかと思います。
そうですね。
それを伝達するメディアが多様化した、というのは、あるでしょうね。勿論、それが良いとか悪いとかでは無いです。
幼少時から、徹底的に合理的な思考を促されるという事自体、考えにくいですしね。

仰る様に、それを昇華出来ていない人が、一定数いるのでしょうね。そもそも合理的思考と相反する所があるので、それを補強する様な情報に、積極的に接しようとするのだと思います。そういうバイアスはあるでしょうね。マスメディアの影響も大きいですね。

じゃあ、どうすれば良いか、と言われると、ちゃんと、科学的方法・合理的思考を勉強するしか無い、という事になるでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年4月 4日 (水) 12:24

こんにちは、TAKESANさん。

>じゃあ、どうすれば良いか、と言われると、ちゃんと、科学的方法・合理的思考を勉強するしか無い、という事になるでしょうね。

まだ、対策とかではなくて、現状解析なんですけどね。私の子供の時代というのは、そうやって「想像力による恐怖」にとらわれることをある年齢までは寛容に認めながら、10歳くらいを超えると「もう小さい子じゃないんだから」と「昇華することを促す」雰囲気があったとと思うんですね。つまり、「想像にとらわれるのは幼い子のすること」という雰囲気です。どこかにも書いたけど「私は幽霊を信じる」なんて堂々と言うと、「あなたは幼いのね」と馬鹿にされるような雰囲気かな(笑)。実は、この「幼いと笑われる」というのが、「合理的に考えて納得する」事を促す駆動力の働きもしていた気もする訳ですね。

投稿: 柘植 | 2007年4月 4日 (水) 12:33

これは、こちらでも、よく話題に上ったのですが、科学的・合理的に考える事を、「野暮」だとか「無粋」だとか考える、雰囲気というか、社会的認知があるのだと思います。

で、ここはちょっと、柘植さんと認識が異なる部分で、興味深い所なのですが(apjさんのブログにも書いた事があります)、私は、そういった社会の雰囲気というのが、今の方が蔓延しているかどうか、という所を、保留しています。
もしかすると、総体としては、今の方が、リテラシーは高いかも知れない、という事も、考える事があります。と言うのも、私の経験(観察)としては、若い人の方が、圧倒的に、合理的にものを考え、年配の人が、明らかに思慮不足なのですね。で、それは勿論、個人の主観に基づいた小サイズかつ偏ったデータなので、全く信頼に足りませんので、実際どうなのかは、保留しています。社会学・社会心理学的に、興味深い対象であるとも思います。

これは一つの偏った見方ですが、若い人の方が、フィクションと現実を峻別して、醒めた(良くも悪くも)認識を持っているんじゃないかなあ、と。本当は、「○○の方が」というのは、慎重に言わないといけないので、この書き方は微妙ですが…。

投稿: TAKESAN | 2007年4月 4日 (水) 13:20

何か誤解される虞もあるので、補足をば。

勿論、特定の年代の人の認識を決め付けたりする事は、無いです。あくまで、自分の経験から導いた傾向を書いたまでですね。

バイアスやステレオタイプを相対化する能力だけはそこそこあると、自負しています(笑)

投稿: TAKESAN | 2007年4月 4日 (水) 13:33

こんにちは、TAKESANさん。

>私は、そういった社会の雰囲気というのが、今の方が蔓延しているかどうか、という所を、保留しています。

実はpoohさんが「柘植さんが『常識というのも実は合理的だ』と言っている」みたいにまとめてくれたときに、「ああ、自分が言いたかったのはそういう事だったんだ」と気が付いた面が有るんだけどね。

>もしかすると、総体としては、今の方が、リテラシーは高いかも知れない、という事も、考える事があります。

なんていうか、合理性というのは懐疑主義から生まれる訳です。そして懐疑主義は、経験則というのを基本的に「疑う」面が有るわけです。簡単に合理性が引き出せる経験則は、合理性を重んじても、軽視はされない訳だけど、何重にも積み重なった経験則みたいなのは、突き詰めるとそれなりの合理性を持っていても、なかなか突き詰められなくて、「昔からそうなっているだけで実は合理的じゃないんだ」と軽視される可能性があるわけです。

投稿: 柘植 | 2007年4月 4日 (水) 15:57

 >突き詰めるとそれなりの合理性を持っ
 >ていても、なかなか突き詰められな
 >くて、「昔からそうなっているだけで
 >実は合理的じゃないんだ」と軽視され
 >る可能性があるわけです。
これは、確かにあると思います。
昔から言い継がれている事を、よく吟味せずに「旧い=非合理」と看做すのは、ありますね。勿論、それ自体が、浅慮な訳ですが。

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論点が少し、はずれますが。

「懐疑」を、「闇雲に疑う」と捉え、忌避する人がいるのかも知れません。ニセ科学批判等で主張される懐疑は、論理的・科学的な批判を含んでいるので、ずれが出てきますね。尤も、懐疑主義と言うと、ギリシアの相対主義者の立場を指したりもするので、ややこしいですが。

と思ったら、ちゃんと議論があるんですね(今ググったら、出てきました)。そりゃそうか⇒http://www.genpaku.org/skepticj/skepticism.html

投稿: TAKESAN | 2007年4月 4日 (水) 17:14

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