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2007年4月27日 (金)

ラジオが効くかはともかくとして

ラジオは脳にきく―頭脳を鍛える生活習慣術 Book ラジオは脳にきく―頭脳を鍛える生活習慣術

著者:板倉 徹
販売元:東洋経済新報社
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別の本を探していたら、偶然目に入ったので(Interdisciplinary: いい加減、「脳に良い」は、やめませんかで触れたので、目に付いたのでしょうね)、序章を読んでみました。

案の定、ゲーム脳について、言及してありました。

ゲーム脳を森昭雄氏が提唱し、それに対する批判がある事は認識していながら、敢えてそれには触れないと言い、結局、ゲーム脳の様な現象はあるかも知れない、と主張する論理の展開。この手の論者にありがちですが、ゲームの内容には触れていません。

更には、「犯罪の増加」や「ニート」の問題とも結び付けて、論じられていました。

他の部分は読んでいませんが、序章だけでも、充分批判に値します。

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コメント

こんばんは。楽天ブログのよたよたあひるです。教育関係者にとって、「脳科学」はとても重要なようです。
 教育再生会議の第二分科会、「親学」提言(5月に正式発表予定)の中には、「脳科学に基礎を持つ発達理論」の影響下にあるものがいくつかあります。「親学」提言が発案された4月17日の教育再生会議第二分科会の議事次第にヒアリングで使われた資料が掲載されているのですが、独立行政法人理化学研究所脳科学総合研究センターの津本忠治ユニットリーダーという方の資料の中の図に「ゲーム脳」という言葉が入っていました。青少年をめぐる困った現象の一つとして図示してあるので、「ゲーム脳」そのものの解説ではないのですが、このヒアリングをもとに、「授乳中はテレビを見ない、5歳以上にはテレビを長時間みせない」という提言骨子がでてきたようです。

投稿: よたよたあひる | 2007年5月 3日 (木) 02:49

よたよたあひるさん、今日は。

昨日分のエントリーを拝読しましたが、よたよたあひるさんが仰る通りで、脳科学の成果を絶対視する、と言うか、安易に、「実感」の「科学的」根拠にしているかの様な印象を、受けますね。そもそも、教育に適用する程に成熟し、知見が蓄積されているのかどうか、疑わしい所です。

 >津本忠治ユニットリーダーという方
 >の資料の中の図に「ゲーム脳」という
 >言葉が入っていました。
今確認しましたが、確かに載っていますね。津本氏は、ゲーム脳の様な、根拠不明確なものに対しては、批判的な論調であった筈なのですが…。

発達という、無数の環境要因が絡み合う現象について、○○をやらせるべきだ、という単純な提言が、果たしてどれ程有効なのか、疑問です。

投稿: TAKESAN | 2007年5月 3日 (木) 12:42

 お返事ありがとうございました。
 私は教育再生会議の在り方自体があまり好ましくないのですが、この4月17日の分科会議事要旨を読んだ時に、まず思いついたのは、「擬似科学」と「道徳教育」の親和性・・ということです。この「脳科学と発達」という議論も、「発達段階に応じた徳育を進める」基礎と考えられているように思いました。この「考えている」主体は、議題とヒアリングを用意した事務局、あるいは事務局に指示を出した方ですね。
 津本先生ご自身が、資料の最後の「まとめ」のところで、「こころの問題を脳科学的に理解し、解決法を見出せる可能性が出てきたが、子育てや教育への応用にはさらなる脳研究が必要」と書いておられるのですから、ヒアリングはあくまでも参考資料でしかないはずなのですが、やはり「科学的」な装いがあるほうがかっこういいのか、都合がいいのか、毎日新聞による「親学提言骨子」だと、このヒアリングの影響がもろだしになっているなぁと思いました。

>発達という、無数の環境要因が絡み合う現象について、○○をやらせるべきだ、という単純な提言が、果たしてどれ程有効なのか、疑問です。
----
 ほんとうに、どうしてこうも単純化してしまうのか、理解に苦しむところです。でも、単純なものの方が受け入れがいいのかもしれません。だったら、妙に科学的な装いはしないほうがいいのに・・とも思います。 

投稿: よたよたあひる | 2007年5月 3日 (木) 18:06

自分が良いと思い込んでいる事を補強するものに飛びつく、といった感じなのでしょうね。
本来、科学的にきちんとした評価を行わなければならないのに、それを疎かにしている様に思います。
勿論、自分はこれが良いと思う、という意見を出す事は構いませんが、「親学」提言を読むと、それを、根拠不明確なまま出している様にしか、見えないですね。しかも、極めて抽象的で、何とでも言えてしまうものも、含まれています。

正に、「神経神話」の様相であると思います。本来、神経科学は、神経生理学や心理学等が協調する学際分野の筈ですが、そこを踏まえず、単純化してしまっていると感じます。

投稿: TAKESAN | 2007年5月 3日 (木) 18:46

こんばんは。
この政府の側の提言している「親学」と直接的な関係があるのかどうかはわからないのですが、「親学会」という団体がありまして、こちらでも脳科学を取り入れる、というものがあるんですよね。
で、その著書の中でも森昭雄氏がゲーム脳について語っていたりします。

http://www.bk1.co.jp/product/2708133
この書ですね。(内容としては、いつもどおりです。例のモンゴルの人にお手玉をやらせたらできなかった。これは縦刺激が無くて、縦方向への動きに対応できないから、というものもあります)

よたよたあひるさんの仰るように、別に科学的な根拠が無いなら無いで、それをしっかりと示した方が良いと想います。
変にそういう装いをしてしまうと、それが間違いだったときのフォローとかも含めて、問題をより困難にするだけですからね。

投稿: SST | 2007年5月 3日 (木) 18:49

SSTさん、今晩は。

高橋氏が著者ですね。分科会の出席者か…。関係は大有り、といった所なのでしょうね(私は、余り詳しく知らないですが)。確か、以前から同じ様な主張でしたねえ。

本当に、慎重にやって欲しい、と言うか、やるべきなのですよね。どうも、信念を補強したいようにしか、見えないです。

投稿: TAKESAN | 2007年5月 4日 (金) 00:20

元村さんの記事について、2ちゃんねるが騒がしいですね。理系白書ブログにも、コピペコメントが一杯。

元村さんの記事は、確かに、少し稚拙でしょうね。特に、最後のフレーズは、火を点けてしまった様です。

「親学」が問題なのは、ああいった組織が、小言程度の事しか提言せず、しかもその根拠として、「脳科学の成果」等に、安易に飛びついている所なのだと思います。それは、第2分科会の議事次第・資料及び要旨から、窺う事が出来ます。これは明らかに、科学的にどうなのか、という問題を含んでいます。
2ちゃんねるで、あくまで「提言」だから…、という意見が見られましたが、実はその「提言」の根拠に、「科学の知見」が安易に用いられている可能性を、注意深く見るべきだと考えます。

ところで、apjさんの所で知ったのですが、第1分科会で、向山氏が。提出資料で、「向山型算数」とやらが、絶賛されていますね。そして、例の「学会」の資料…。今日取り上げた、漢字読み書きの調査とも、繋がる気がする。

投稿: TAKESAN | 2007年5月 8日 (火) 16:02

こんなページもありました⇒http://www.shihanjuku.com/kousijin.html

そもそも高橋氏は、森氏の支持者ですからね。そういう方にヒアリングをしている、というのは、押さえとかないと。
「高橋史朗 森昭雄」で検索すると、色々出てきます。

投稿: TAKESAN | 2007年5月 8日 (火) 16:21

こんばんは。よたよたあひるです。

毎日インタラクティブは、「教育」のページを主にチェックしていたので、元村さんの記事には気がつきませんでした。こちらのコメントであらためて読みに行きました。

確かに、「稚拙」だと思います。
でも、こういう切り口の「親学提言」への批判は「教育」や「子育て」テーマのブログでは結構多いです。有効な批判ができていない、元村さんの記事はその代表、みたいな感じがして、私はそちらの方が気になっています。

投稿: よたよたあひる | 2007年5月 9日 (水) 01:31

元村さんの記事は、もうちょっと突っ込める所(提言の根拠の妥当性等)に突っ込まず、又、書かなくてもいい余計な事を書いてしまったので、単なる文句の様に、思われたのでしょうね。
心情としては、共感出来る所もあるのですが、それだけでは、記事としては…、という感じです。

投稿: TAKESAN | 2007年5月 9日 (水) 02:14

こちらの日記本文とは関係ないのですが、コメントのやり取りの中で私が考え、また、「事象の地平線」にたどりついた経緯もふまえ、こちらにもトラックバックをお送りいたします。お邪魔でしたら削除してください。

投稿: よたよたあひる | 2007年5月 9日 (水) 03:27

いえいえ、TBは歓迎ですので、どんどんお願いします。

あ、もしかしたら、もう送信されました? 

以前、こちらから、他の楽天ブログのエントリーにTBが送れない事があったのですが、楽天ブログからココログに届かない事も、あるかも知れません。詳しくは解らないですが。

こちらは、TBは承認制では無いので、直ぐに反映されなかったとしたら、多分上手くいっていないのだと思います。

投稿: TAKESAN | 2007年5月 9日 (水) 03:45

ご助言ありがとうございました。
日記を書き上げた直後に、一度お送りしたのですが、確かに妙に重く感じました。
今さっき、なんとかお送りできました。

投稿: よたよたあひる | 2007年5月 9日 (水) 18:22

よたよたあひるさん、今晩は。

TB、確認しました。
ちゃんと送信されて、良かったです。

投稿: TAKESAN | 2007年5月 9日 (水) 18:43

こんばんは。
近所の図書館にあったので、借りて読んでいるのですが、酷いですね、これは…。

TAKESANさんも仰っているように、ゲーム脳を取り上げたり、自分の気に食わない文化や態度を「脳がおかしくなっているからだ」とかの暴言連発。
ラジオを聴くと、こういう効能があります、みたいなことにしても、具体的なデータは殆ど示されませんからね。

…で、大笑いしたのが、105頁からのコラムで、「健康番組が流行っているが、一部の学者が花火のようにぶちあげたに過ぎないセンセーショナルなものをいかにも本当らしく番組が多い。気をつけたほうが良い」なんて書いているのには、失笑するしかないですよ。
あんたが言うな、と(笑)

投稿: たこやき | 2007年9月10日 (月) 17:50

最後の部分、文章がおかしいですね。

…で、大笑いしたのが、105頁からのコラムで、「健康番組が流行っているが、一部の学者が花火のようにぶちあげたに過ぎないセンセーショナルなものをいかにも本当らしく見せている番組が多い。気をつけたほうが良い」なんて書いているのですから。失笑するしかないですよ。

に、訂正します。

投稿: たこやき | 2007年9月10日 (月) 17:53

たこやきさん、今晩は。

自分がよく知らない文化とか、嫌っている習慣なんかがあって、その「嫌っている」事を正当化するために、おかしな論理展開をする事がありますよね。いかにも、科学的に正しいかのごとく言ったり。ゲーム脳的な論を持ち出すのは、いかにも筋が悪いですね。

後段の話、なかなか凄いですねえ。鏡を渡したい所です。

投稿: TAKESAN | 2007年9月10日 (月) 18:03

> 自分がよく知らない文化とか、嫌っている習慣なんかがあって、その「嫌っている」事を正当化するために、おかしな論理展開をする事
とか,
「最近の若者はおかしい(根拠は特にない)」→「"新しいもの" を "犯人" に仕立て上げて理解した気分になる(実際には思考停止している)」というような主張のしかた
とか,そういうのに「ゲーム脳」並にキャッチーな(&まぬけな)名前をつけられたらいいなぁ,と思っているのですが(ずっと前にkikulogでも書いた),なかなか思い浮ばないものです.なんかないですかね.
なんかこう,攻撃される対象は時代とともに新しくなってるんだけど,構造自体は使い古しで全然進歩がなくて,「使いふるされた安直でまぬけな論法」なんですよね…あぁ,俗流若者論批判の人達が名付けてたりしないのかしら?

投稿: たかぎF | 2007年9月10日 (月) 21:56

こんにちは。

>「最近の若者はおかしい(根拠は特にない)」→「"新しいもの" を "犯人" に仕立て上げて理解した気分になる(実際には思考停止している)」

"犯人" に仕立て上げられるのは何も"新しいもの"だけではないですよ。
「押しつけ憲法」「教育基本法」「俗悪番組の跋扈」「ゆとり教育」(これは新しいかな?)……等々。PMRC問題もちょっと懐かしいなあ。

結局、自分がどれを「敵」と思いたいか、という問題ってことでしょうか。

人にはこういうふうに問題を単純化したいという欲求があるんでしょうねえ……。

投稿: みづ | 2007年9月10日 (月) 22:46

たかぎFさん、今晩は。

うーん、何かあるかなあ…。こういうのをちゃんと説明出来て、なおかつインパクトがある言葉、というのは、難しいですねえ。
確かに、古来使いまわされて来た、ダメダメな論法ですね。目新しいものを毛嫌いして、「嫌っても良い」のだと正当化する、という。

こうして考えてみると、ストローマンなんかは、なかなかよく出来た表現ですねえ。

------

みづさん、今晩は。

一般化すると、「自分の周りにあったもの以外」を嫌う、という感じですね。
ある程度、「現在の自分」に自信があって(自尊心が高い)、自身が過去に経験した事は「今の自分を作り上げるのに必要なものだったのだ」、と考える人が、そういう論法を用いる。だから、経験を過度に敷衍して、「自分はこれをやって良かった」→「みんなこれをやるべきだ」、となっちゃうんですよね。

で、「新しいもの嫌い」というのは、大抵は、「毛嫌い」ですよね。やりもしないのに嫌う。そこから、「自分が嫌いなものは、社会にとって”良くないもの”だ」、と判断する訳ですね。それを「好きになる」、あるいは、「嫌いじゃ無くなる」、というより、遥かに楽なのでしょう。

------

短くて、キャッチーで、しかも適切に表している、という語は、難しい…。

投稿: TAKESAN | 2007年9月10日 (月) 23:29

んー、犯人役を押し付けられるのが新しいものだとは限らないというのはそうなんですが、「(自分がよく理解できない)新しい(身近になかった)ものに犯人役を押し付ける」論法に名前をつけたい、と思った、ということです。
確かに、単に「(よく知ってても知らなくてもともかく)嫌いなものに悪役を押し付ける」というくくりも、あるかもしれない。

ところで、「俗悪番組の跋扈」(を犯人にする)ってのは、やっぱり新しいものを攻撃する例かなぁと。いや、TVなんてもう大分新しくなくなってるんですが、TVがまだ新しかったころの「一億総白痴化」の"しっぽ"に思えます。TV全体を悪者にするのはさすがに時代遅れになって、「俗悪番組」までターゲット縮小した、というかんじで。そして、それも最近は自分が子供のころに比べて聞かなくなったように感じます。TVからゲーム等にターゲットが移ったんじゃないかと思ってるんですが、どうでしょうね。

投稿: たかぎF | 2007年9月11日 (火) 00:46

一般的には、「自分がよく知らないもの」を忌避する、というのがあって、たかぎFさんが仰ったのは、「新奇」なものを、という事ですよね。

この手の話でよく出てくるのが、昔は小説が悪物にされていたとか、野球もそうだった、とか、そういう話ですね。で、今時、スポーツが悪い、と断ずる様な主張は、そんなに見ないと思いますし、テレビなんかもそうですね。「メディアそのもの」から「コンテンツ」非難に移行した、と言うか。「俗悪番組」の場合は、「昔の番組は良かったけど、今のはねえ…」という文脈で語られる事があるので、それは確かに、新しいものを嫌う、という面ですね。

そういうのを踏まえると、未だ、マンガやゲームは、メディアそのものとして忌避されている様な印象が、あります。定量的な評価は難しいですけれど。

ゲームは、DSやらWiiやらが出てきて、少しはイメージが良くなったかな、とも思いますが、これは、極めて楽観的に見た場合、ですね。

------

シソーラスとか使って考えてますが、全く良いのが思いつかないですねえ。

投稿: TAKESAN | 2007年9月11日 (火) 01:13

> 一般的には、「自分がよく知らないもの」を忌避する、というのがあって、たかぎFさんが仰ったのは、「新奇」なものを、という事ですよね。

そうですね.単によく知らないもの,ってだけじゃなくて,新奇なもの,かなぁ.
野球だの小説だのテレビだのゲームだの,ターゲットを新しいものに入れ替えていってるだけで,言ってる事はほとんど同じじゃん!
っていうのに,名前を付けたいわけです.
そうか,TAKESANさんのおっしゃる,「嫌っている」事をおかしな論理で正当化,とはちょっと違いましたね.違うというか,もっと狭い.

投稿: たかぎF | 2007年9月11日 (火) 01:36

>たかぎFさん

 なるほど、意図をくめずに申し訳ありません。

 確かに難しいですねえ。

 私はこういう話が出てくると、よく

「まぁたウォークマン難聴説かよ」

 とか言うんですが、考えて見ればちょっと違うしキャッチーじゃないし。(^O^)

投稿: みづ | 2007年9月11日 (火) 02:42

まず訂正。

上のコメントの「悪物」は、「悪者」です。

------

たかぎFさん、お早うございます。

「ゲーム脳脳」ってのがありますが、これは、ちょっと具体的過ぎて、意味の範囲も狭いからなあ…。単に、「嫌っている」というだけで無く、それを「悪者にする」という積極性も(なすりつける。押し付ける。でっちあげる 等々)、含めないといけないですしね。

------

みづさん、お早うございます。

フラフープ腸捻転説、とか(笑)
ホッピングなんかもありましたねえ。

字数とかを無視して意味を正確に表すと、

 「新しいものが出てきたらそれが社会状況のネガティブな
 部分の原因であると妥当な根拠無しに押し付ける論法
 (論者)」

って感じですかね。長っ。

投稿: TAKESAN | 2007年9月11日 (火) 10:51

>> 「新しいものが出てきたらそれが社会状況のネガティブな
 部分の原因であると妥当な根拠無しに押し付ける論法
 (論者)」

これは私のオリジナルではなくて、作家の森巣博という人がこうした人々を「のすたるじじい」と言っていて、私もこの手の論説を見るたびに、心の中で「またのすたるじじい論法か~」と呆れています(^_^;)
代表的な「のすたるじじい論法」のパターンは

Step1 「なにか自分が違和感をもった新奇な物に対してとりあえず批判」

Step2 「その批判を正当化する為に、自分が昔から親しんできた物や思想を持ち出してくる」

Step3 「そして現状の社会などにも同時に批判を開始、「社会がおかしくなった」、「昔では考えられない事が起き始めた」と騒ぎ出し」

Step4 「その原因を新奇な物に求め、無理矢理こじつけに近い形で否定する」

Step5 「一定期間こうした批判をしたあと、違うStep1に当てはまる事象が目に付くとそちらの批判に移っていく」
以下繰り返し。

まあこうしたパターンではないかと私は思っているんですが。

投稿: 内海 | 2007年9月11日 (火) 18:36

内海さん、今晩は。

おー、「のすたるじじい」、イイですね。

ある程度意味を感じさせて、短い語で表すと、10文字以内くらいがいいかな。あまり長いと、キャッチーじゃ無いですしね。

どうでしょう>たかぎFさん

投稿: TAKESAN | 2007年9月11日 (火) 19:47

あぁ,やっぱり同じことを考える人はいるのですね :-)
「のすたるじじい論法」,いいかも.
じゃぁこれからは,そのテの話を見掛けたら「のすたるじじい論法」というタグを付けてブックマークすることにします.

概念には名前をつけないとね.ネーミング重要.

投稿: たかぎF | 2007年9月11日 (火) 22:24

たかぎFさん、今晩は。

やっぱり、あるもんですねえ。全然知りませんでしたよ(笑)

内海さん、ありがとうです。

投稿: TAKESAN | 2007年9月12日 (水) 00:10

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