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2007年4月24日 (火)

反証と言うか

非中枢的身体論-武道の科学を求めて

つまりこの論考は「反証されること」を前提に書かれている。

「できるだけ反証が容易であるように記述する」

と書かれているわりには、殆どが、反証がしにくい、独自の言葉遣いですね。

(1)できるだけ一義的な術語を用いること(2)できるだけアクセスが容易なデータを論拠とすること(3)できるだけ単純な命題にとりまとめること。

これも、守られている様に思えないです。そもそも、どこがどう”「武道の科学を求めて」”なのかが、解りません。

「中枢からの指令抜きで、手足を動かす」ということである。身体が知覚情報を「現場で処理する」ということである。

これは、中枢神経を介さずに、反射運動が起こるという事でしょうか。武道の様な複雑な運動で。視覚情報に応じた反応をする際に、どの様に処理するのでしょうね。心理学的・生理学的に、どういったモデルを想定しているのでしょう。それが示されていないので、反証も何も無い、と思うのですが。「現場で処理」とは、科学的にどういう現象ですか。

肩に支点を作ったりする必要がない。

この「支点」とは、どういう概念でしょうか。はっきりしませんね。

 私の稽古している合気道においても、「人形のように身体を遣う」ということは身体運用のイメージをつかむ上ではきわめて効果的な比喩である。例えば、運足において、「身体を統御している私の発する指令によって足を前に進める」という意識をもって動く場合、この動きは必ず中枢的なものになる。つまり、一方の足に支点を作り、そこに重心を乗せて、そこを踏ん張るようにしてもう一方の足を前に進めるような運足になるのである。

「人形のように」という比喩、効果的な場合もあるでしょうが、私としては、身体の解剖学的構造、生体力学的メカニズムに目を向けさせなくなる、大きな弊害がある事も、認識しなくてはならないと思います。何か外的なものに動かされている、というイメージは、ほどほどにすべきでしょうね。注意の資源を、自己の身体に向けさせる事が、肝要です(つまり、自分の身体がどう動いているか、というのを、自然科学的に分析する)。それから、「必ず中枢的なものになる」、という断定的表現は、どの様な根拠からでしょうか。そもそも、「中枢的なもの」、の、意味が不明確です。何故に、一方の足に支点を作り云々という話が、「中枢的なもの」と、表現されるか、よく解りません。

身体の内側には運動の支点が存在しない。

「運動の支点」とは? 意味内容が不明確なので、「存在しない」等と言われても、解りません。

中枢的な運足では、動き始める前に支点となる蹴り足を踏ん張るので、

「支点となる蹴り足」を踏ん張る、というのは? 膝関節の伸展や、足首関節の底屈の事でしょうか。であれば、それが重心の上下動を起こし、動きが読み易い、という事はあります(更に、重心を充分前にやらないと、膝関節の伸展では、前方に移動出来ない)。で、それが何故、「中枢的運足」なる言葉で説明されるのでしょう。

「私の外部」に運動の操作主を想像的に設定し、

上にも書きましたが、ほどほどにすべきでしょうね。勿論、そういったイメージが、高い効果を生み出す事はあると思います。

「武道の科学」とは、「私はいま修業上のどの段階におり、いかなる技法的課題に直面しているのか」という技法的な問いと、「私は武道を通じてどこへ行こうとしているのか」という原理的な問いを統一的な枠組みのうちで、一義的な言語で語ることを可能にする学知である、と先に私は書いた。本論考はそのような学知を「希求する」試みの一つである。

ここで言われている「科学」という語の意味が、今一つ解らない所です。広く「学問」と同様の意味と捉えれば、理解出来なくもないですが、そもそも武術・武道とは、身体運動です。人間の身体は、解剖学的構造・生理学的機能に規定され、運動を行う、自然科学的存在です。それを踏まえるならば、内田氏の論考は、余りに思弁的に過ぎる、と言えるのではないでしょうか。そもそも思弁的仮説? なので、それに反証するのは、出来ないでしょう。思弁に思弁で返すという、無意味なやり取りになってしまいます。

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読解するのに、とても疲れる…。

この言説を「科学」だなんて言われたら、科学者は、クラクラするんじゃないですかね。

高岡英夫氏が、『武道の科学化と格闘技の本質』で論じておられましたが、武道・武術というのは、そもそも実体的・力学的現象なのですよね。実証科学的に分析しなければ、話にならない。

武術やスポーツで、無意識的に身体が動くという、レベルの高い運動は、脳に、高度な情報処理系が構造化されているから実現される訳でしょうから、脳(中枢神経)が介在しない筈は無いですよね。そういう事が言いたいんじゃ無いのかな。「現場で処理する」って、何だろう。感覚記憶とかは無視ですかね。もしかして、単なる比喩か? それだったら、こんな批判、意味が無くなっちゃいますね。と言うか、全然科学じゃ無いし。

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