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2007年4月に作成された記事

2007年4月30日 (月)

偏らず

 私は世界がそれほど単純な白や黒だとは思わない。だからこそ曖昧で矛盾のある灰色の部分に踏み込み、問いを発し、よく聞き、論争や対立のある立場を理解する努力をすべきだと強調したい。(E.F.ロフタス・K.ケッチャム『抑圧された記憶の神話 偽りの性的虐待の記憶をめぐって』 P51)

正に同感。どちらにも偏る事なく、冷静に物事を見つめ、中庸を心掛けたいものです。

抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって Book 抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって

著者:E.F.ロフタス,K.ケッチャム,仲 真紀子
販売元:誠信書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

本書は、傑作です。読み物としても、大変面白い。科学的方法についても考えされられます。Amazonの書評が少ないですが、もうちょっと付いていても、良さそうなものなのに…。

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説明しない、って…

ドラゴンさんが、apjさんの掲示板に貼っておられたのですが⇒恒等式の導入はこう授業する

数学IIの授業でこれは、いくら何でも…という感じです。

恒等式の定義が分かりにくく書いてある。また、定義が2つ書いてある。これを説明せずに教える。

「説明せずに教える」って、一体どういう事でしょうね。定義を論理的に理解する様に「教える」のが、肝なのだと思いますけれど。

「さんはい」で一斉に言わせる方式だと、名前は憶えるが意味は解らない、となる気がします。穴埋めの試験には、役立つかも知れないけど…。

ところで、いきなり話は替わりますが。

私は、授業中に、教科書(の重要な語句)にアンダーラインを引かせるのって、どうなんだろう、と思います。単なる作業になりがちなんじゃないかなあ、と。「この語句を憶えよう」という認識ですよね。他の概念との関係性を理解しよう、では無くて。

教科書の内容をノートに写すのも同様、だと思います。あくまで個人的な考えですが、ノートに書き写したり、アンダーラインを引いたりするのは、「勉強をした”痕跡”を残す」のと、文字を書く訓練くらいにしかならない、と考えています。丸写しする暇があったら、脳内で、他の概念との関係性を展開したり、それが上手くいかなかったら、何かに書き出したりする、というのが、良いと思います。

暗記をさせる教授法は、クイズに答える様な能力は、鍛えられるかも知れませんが、それは、本当に理解した事には、ならないですよね。線を引いたりは、ほんのちょっと、記憶の効率を高めるかも知れませんが(想起の時に役立つかも)、どうなのでしょうね。

これは経験談ですが、高校の頃、とある教科で、定義も含めて丸暗記させられた事があります。勿論、そんな憶え方をした知識ですから、今は、綺麗さっぱり忘れています。でも、テストで良い点は取れるんですよね、それが出来る人は。そもそも、試験がその様に出来ている訳ですから。だから、一夜漬けなんてものが、それなりに役立つ(役に立ってしまう)のですね。

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2007年4月29日 (日)

もうちょっと

ミランカ(※重いです)

無料放送にも、結構面白いコンテンツがあるのですが、いかんせん、重い。激重です。私の環境だと、ライセンス発行から再生まで、数分間掛かります。

更に、再生環境がWindowsのみ、というのも…。そこら辺は、VODサービスとしてどうなんだろう、という感じです。

『まんとら』の、みずしなさんのネタが、面白かった…。

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2007年4月28日 (土)

ペルソナ

ブログでも掲示板でもチャットでも、お互いの素性を知らず(実際の知り合いでは無い、という事)、テキストベースでコミュニケーションをする際、自己を理想化したかたちで、表現する場合がありますよね。

言葉遣いを、普段では考えられないくらい丁寧にしたり、日常より遥かに論理性を重視した発言をしたり。

「こうありたい」というパーソナリティを、WEBで実現している、と言うか。

「掲示板なんかでは、顔が見えないから好き勝手言える」、という、象徴的な言い方がありますが、一面的には、当たっているのですよね。ただし、「好き勝手」というのは、ちょっとネガティブな意味合いなので、自由度が高い、とでもいうべきかも知れませんが。

その意味では、確かに、仮構的な所があるでしょうね。

そういうのは、良い方向にも悪い方向にも、いずれにも行く可能性があります。年齢や性別や経歴によるバイアスを気にせず(場合によりますが)議論を戦わせ、認識を深め合ったり、普段なら激昂してしまう様な事をされても、理想化した人格を考え、それに整合した、冷静な態度を採ったり。裏返すと、好ましく無い事になる訳ですが(すぐ暴言を吐いたり、強烈に、自尊心を肥大させたり)。良くも悪くも、「ぶっちゃける」事が出来る、という感じでしょうか。

だから、礼節を守って、大切に使っていきたいものですね。

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クリエイティブ

職人技を超えてしまった食品ロボット (イノベーションで切り拓く新市場):NBonline(日経ビジネス オンライン)

面白い。

常に考え続けているからこそ、創造的な思考が出来るのでしょうね。

色々な工業製品の製造工程を見ると、その機構に、思わず唸らされる事が、ありますね。科学者や技術者の叡智の結晶、と言う感じです。

サイエンス チャンネル | シリーズ紹介:THE MAKING

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2007年4月27日 (金)

ラジオが効くかはともかくとして

ラジオは脳にきく―頭脳を鍛える生活習慣術 Book ラジオは脳にきく―頭脳を鍛える生活習慣術

著者:板倉 徹
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

別の本を探していたら、偶然目に入ったので(Interdisciplinary: いい加減、「脳に良い」は、やめませんかで触れたので、目に付いたのでしょうね)、序章を読んでみました。

案の定、ゲーム脳について、言及してありました。

ゲーム脳を森昭雄氏が提唱し、それに対する批判がある事は認識していながら、敢えてそれには触れないと言い、結局、ゲーム脳の様な現象はあるかも知れない、と主張する論理の展開。この手の論者にありがちですが、ゲームの内容には触れていません。

更には、「犯罪の増加」や「ニート」の問題とも結び付けて、論じられていました。

他の部分は読んでいませんが、序章だけでも、充分批判に値します。

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新作?

ファミコン、13年ぶりの最新作ソフト!? : Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン)

バラエティ;TVゲーム ジェネレーション~8bitの魂~

おおっ。これはいい。

こういうコダワリって、最高ですね。

オフィシャルサイトに、マスターシステムの画像が…。あのハードには、微妙な思い出があるのです(笑)

こんな番組があったのかあ。スカパーは、解約して久しいから、知りませんでした(MONDO21も、観てたんですけどね)。

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真の連帯って、何よ?

■いま解き「ナゼ信じてしまう!?血液型性格診断」

うーん、『VOICE』、相変わらずGJだなあ。

「血液型性格診断を広める活動を行っているNPO」の、

血液型人間学は人間の本質的な共通性を探ろうとするものであり、その目的は社会の真の連帯と人間愛を育てることにある

これ、余りにも、意味が解らないんですが。

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2007年4月26日 (木)

ノイズ

ロテ職人の臨床心理学的Blog: ネット上の議論における感情表現

私もそう思いますね。議論においては、感情表現をなるべく控えないと、建設的なものにはならないでしょうね。

用いられる単語・用語・概念だったりの定義が全ての人に共通するものならば「内容」は容易に伝わるはずなのですが、必ずしもそうではなかったりするのですよね。「自分にとって普通だと思われることが、他人とっては普通ではない」場合があるからこそ、自分と相手が使っている言葉の意味を明確にしながら、確認しながらでないと、議論は成立しえないでしょう。

相手が言った事を、脳内辞書で解釈し、誤解したまま批判を繰り広げる、というのは、結構見られます。「相手はどんな意味でこの語を用いているのだろうか」、という、「読み」が、必要だと思います。

私も、出来るだけ、感情表現は、用いない様にしています。そうすると、「冷たい」感じの文章になるんですけどね。それと、丁寧な言葉遣いを、心掛けています。日常生活では絶対に有り得ない様な(笑) これは、余り、相手の感情を動かさない為の、方略ですね。尤も、慇懃無礼と取られる可能性も、ある訳ですが。

ロテ職人さんが仰る様に、テキストベースのやり取りでは、情報量が圧倒的に少ないですから、慎重に言葉を遣っていかないと、誤解を生んでしまいますね。

私は、「相手が何を言いたいか」を、出来うる限り、忖度するべきだと考えています。「相手を言い負かす」のが目的の議論では無い訳ですしね。

結局、「ずれ」が生じる、という事なのですよね。そして、感情表現は、正に個人で完結するものであり、それを確かめるのは難しいので、議論の場では、ノイズとして作用してしまいます。

でも、「自分はどうなんだ?」と言われそうですが…。ある程度は出来ているかな、とは自覚していますけれど。どんどん指摘して頂ければ、ありがたいです。

そうそう、誤解されるとあれなので。

ここで言っているのは、「議論において」、という事ですね。雑談の様なやり取りだったら、構わないと思います。と言うか、それなら、私も書きますしね。

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2007年4月25日 (水)

どこへ、と言われても

痛いニュース(ノ∀`):【論説】 「『盗んだバイクで~』 尾崎豊の歌、最近の若者は受け入れず…体制や大人への反抗心はどこへ?」…朝日新聞

asahi.com:没後15年尾崎はどこへ 消えた反抗心 - コミミ口コミ

とっても素朴な意見かも知れませんが。

「周りに迷惑をかけるのは間違い」「大人だって子供のことを思っているのに反発するのはおかしい」。体制や大人に反抗するのはいかがなものかという声だ。

本当にこういう傾向になっているのだとすれば、これは、好ましい事なのでは? 成熟した認識ですし。大体、そういう意見が本当に増えているのか、不明です。で、ここから何故、

香山さんは「成長プロセスにおける仮想敵だったはずの親や先生の善意を屈託なく信じている」と首をかしげる。

こうなるのか、よく解らない所です。「善意を屈託なく信じている」、というのは、違う話だと思いますが、どうなんでしょうね。香山氏の観察による根拠が、あるのかも知れませんが。「反抗の仕方」の考え方の違い、なのでは。

尾崎が歌ってきたのは、若者にとって普遍と思われるテーマだったはずなのに、嫌悪にも似た反感が生じている。

そうなんですか? 私や友人達は、どちらかというと、好意的にはとっていませんでしたけれど。といって、体制に迎合する、という感じでもありませんでしたが。と言うか、他人の歌を好きだろうが嫌いだろうが、どっちでも良いのではないかと。

当時の若者が皆、尾崎氏に共感していたかの様な書きぶりですねえ。そんな事、全然無いと思うんですけどね。

そもそも、尾崎氏自身の心情を勝手に解釈して、それを押し付けてません? 仮に、その解釈が妥当であったとしても、それに対する反応から、社会全体の特定の層の傾向を分析するのって、無理があると思いますが、いかがでしょう。

追記:文系白書ブログ: 香山リカの温い分析(=_=)でも、取り上げられていました。そうそう、そんなにややこしい事じゃないんですよね。体制に反抗するとかどうとか。あそこから、若者全体の心性に思いを馳せる、というのは、想像力が豊かと言うか何と言うか。

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前提

新米家庭教師の独り言: ゲーム脳の弊害について

引用は前後します。

『ゲームはどんどんやっていい。そのかわり同じ時間は勉強しなさい』

これは、とても、良い指導の仕方なのではないかと思います。

ですが、ゲーム脳については、もうちょっと、慎重にお考えになった方が、よろしいのではないでしょうか。

直観力のみに頼る、答えは誰かが教えてくれる、

深く物事を考えない、などといった弊害が予測されます。

いや、予測されるどころか、実際に生徒と接しているとそう感じます。

これは主観ですよね。単なる主観は、妥当であるとは限りませんよね。たとえ、その見方がある程度正しかったとしても、それが、ゲームをやったからだとは、断言出来ないと思いますが、いかがでしょうか。「感じ」た事が、一般的にも見出されるかどうかを確かめるには、科学的に分析されなければなりません。

その他の部分は、とても共感出来ます。子ども達の身になった指導をしておられる事が、文面から推測されます。ですが、ゲーム脳という概念を肯定的に受け取って(たとえ、保護者や子どもの前で、その語を口にしないとしても)、それを前提にするのは、妥当では無いと、私は考えます。

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2007年4月24日 (火)

正論?

週刊正論 ゲーム脳を病んだアダルトチルドレンたち

えっと、本気なのですよね? 縦読みでも無さそうだし。

何がどう正論なのか、さっぱり解らないのですが。そもそも、文章が、破綻しきってますけど。自分が正論だと思ってる事が正論なんでしょう、多分。

腹が立つとかじゃ無いですね、これは。ちょっと違う感情ですね。

これ程のレベルの文章は、スルーすべきなんでしょうが、不特定の人間の目に触れる訳ですからね…。

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反証と言うか

非中枢的身体論-武道の科学を求めて

つまりこの論考は「反証されること」を前提に書かれている。

「できるだけ反証が容易であるように記述する」

と書かれているわりには、殆どが、反証がしにくい、独自の言葉遣いですね。

(1)できるだけ一義的な術語を用いること(2)できるだけアクセスが容易なデータを論拠とすること(3)できるだけ単純な命題にとりまとめること。

これも、守られている様に思えないです。そもそも、どこがどう”「武道の科学を求めて」”なのかが、解りません。

「中枢からの指令抜きで、手足を動かす」ということである。身体が知覚情報を「現場で処理する」ということである。

これは、中枢神経を介さずに、反射運動が起こるという事でしょうか。武道の様な複雑な運動で。視覚情報に応じた反応をする際に、どの様に処理するのでしょうね。心理学的・生理学的に、どういったモデルを想定しているのでしょう。それが示されていないので、反証も何も無い、と思うのですが。「現場で処理」とは、科学的にどういう現象ですか。

肩に支点を作ったりする必要がない。

この「支点」とは、どういう概念でしょうか。はっきりしませんね。

 私の稽古している合気道においても、「人形のように身体を遣う」ということは身体運用のイメージをつかむ上ではきわめて効果的な比喩である。例えば、運足において、「身体を統御している私の発する指令によって足を前に進める」という意識をもって動く場合、この動きは必ず中枢的なものになる。つまり、一方の足に支点を作り、そこに重心を乗せて、そこを踏ん張るようにしてもう一方の足を前に進めるような運足になるのである。

「人形のように」という比喩、効果的な場合もあるでしょうが、私としては、身体の解剖学的構造、生体力学的メカニズムに目を向けさせなくなる、大きな弊害がある事も、認識しなくてはならないと思います。何か外的なものに動かされている、というイメージは、ほどほどにすべきでしょうね。注意の資源を、自己の身体に向けさせる事が、肝要です(つまり、自分の身体がどう動いているか、というのを、自然科学的に分析する)。それから、「必ず中枢的なものになる」、という断定的表現は、どの様な根拠からでしょうか。そもそも、「中枢的なもの」、の、意味が不明確です。何故に、一方の足に支点を作り云々という話が、「中枢的なもの」と、表現されるか、よく解りません。

身体の内側には運動の支点が存在しない。

「運動の支点」とは? 意味内容が不明確なので、「存在しない」等と言われても、解りません。

中枢的な運足では、動き始める前に支点となる蹴り足を踏ん張るので、

「支点となる蹴り足」を踏ん張る、というのは? 膝関節の伸展や、足首関節の底屈の事でしょうか。であれば、それが重心の上下動を起こし、動きが読み易い、という事はあります(更に、重心を充分前にやらないと、膝関節の伸展では、前方に移動出来ない)。で、それが何故、「中枢的運足」なる言葉で説明されるのでしょう。

「私の外部」に運動の操作主を想像的に設定し、

上にも書きましたが、ほどほどにすべきでしょうね。勿論、そういったイメージが、高い効果を生み出す事はあると思います。

「武道の科学」とは、「私はいま修業上のどの段階におり、いかなる技法的課題に直面しているのか」という技法的な問いと、「私は武道を通じてどこへ行こうとしているのか」という原理的な問いを統一的な枠組みのうちで、一義的な言語で語ることを可能にする学知である、と先に私は書いた。本論考はそのような学知を「希求する」試みの一つである。

ここで言われている「科学」という語の意味が、今一つ解らない所です。広く「学問」と同様の意味と捉えれば、理解出来なくもないですが、そもそも武術・武道とは、身体運動です。人間の身体は、解剖学的構造・生理学的機能に規定され、運動を行う、自然科学的存在です。それを踏まえるならば、内田氏の論考は、余りに思弁的に過ぎる、と言えるのではないでしょうか。そもそも思弁的仮説? なので、それに反証するのは、出来ないでしょう。思弁に思弁で返すという、無意味なやり取りになってしまいます。

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読解するのに、とても疲れる…。

この言説を「科学」だなんて言われたら、科学者は、クラクラするんじゃないですかね。

高岡英夫氏が、『武道の科学化と格闘技の本質』で論じておられましたが、武道・武術というのは、そもそも実体的・力学的現象なのですよね。実証科学的に分析しなければ、話にならない。

武術やスポーツで、無意識的に身体が動くという、レベルの高い運動は、脳に、高度な情報処理系が構造化されているから実現される訳でしょうから、脳(中枢神経)が介在しない筈は無いですよね。そういう事が言いたいんじゃ無いのかな。「現場で処理する」って、何だろう。感覚記憶とかは無視ですかね。もしかして、単なる比喩か? それだったら、こんな批判、意味が無くなっちゃいますね。と言うか、全然科学じゃ無いし。

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2007年4月23日 (月)

メイドが作る

タイトル、意味が解らんですね(笑)

スカパーで、サイエンスチャンネルの番組表を見ていたら、こんな番組が⇒サイエンス チャンネル | シリーズ紹介:made in ☆ 秋葉原

ううむ、こんな所にまでメイドが…。面白い。

観てみました。

ご主人様…って、えーっ!

一体、どんな層の視聴者を対象にしてるんだろう。

ところで、いきなり話は替わりますが、子ども達には、サイエンスチャンネルを見せるのが、良いと思います。いい番組が、沢山ありますよ。

こういうのを観ていると、色々やりたくなってきますね。ラジオなんかの電子工作とか、最近だと、ロボットとか(高いけど)、『大人の科学マガジン』とか。そういうのって、子どもの頃にねだって、買って貰えなかったんですよねえ。

ラジコンもやりたいし、ガンプラも再開したいし…。キリが無い(笑)

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教科書に…

南山堂/新保育学

コラムも「ゲーム脳」「受精卵診断」等の今日的な話題を多数掲載.

むう…。

南山堂/新保育学/目次

コラム:メディアに蝕まれる子どもの生活
コラム:携帯電話による健康被害
コラム:ゲーム脳
コラム:性的虐待を予防するには
コラム:心的外傷後ストレス障害(PTSD)

むむう…。これだけでは断定出来ないですが、この「並び」だと、ゲーム脳を肯定的に扱っていると、推測出来ます。新保育学 :: ActionBrowserで内容を読むと、「コラム:メディアに蝕まれる子どもの生活」は、テレビの影響の弊害を説いています。とすると、ゲーム脳についても、そうでしょうね。

医学関連の教科書ですからねえ…。肯定的な紹介とすれば、激しくまずいでしょう。機会があれば、内容を調べてみようかな。

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分子生物学的?

某ブクマ経由⇒分子生物学的武道論 (内田樹の研究室)

あの…、端的に言って、全く意味が解らないんですが。

何故か、はてブで絶賛されてる…。

もしかして、私の読解力が、絶望的に低いんですかね?

何で、武道の動きの説明に、あんなアナロジーを用いるんだ。しかも、滅茶苦茶飛躍してません? 皆さん、ああいうのが好きなのかなあ。ぶっちゃけ、あんな説明で、武術を、訳が解らん文化っぽく表現しないで欲しい。

皆さん、武道論の部分、意味解ります? 私には、さっぱり。

武術的には、相手を緊張させなくちゃ駄目ですよ。バイオメカニクス的にも。武術とか武道とかの、意味が違うのかも知れませんけどね。「武道」に、どういう意味を含めたいんでしょうね。

後、「分子生物学的」って、何か違う様な。福岡氏が分子生物学者、ってだけの気が。

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2007年4月22日 (日)

掛けたりはずしたり

(前略)人間の推論は,論理学で扱われている論理系における推論とは,大きく異なっている。論理系における推論は,前提から推論の規則に従って妥当な(ないしは相対的に確かな)結論を導き出すことであり,それ以外のあらゆる知識を利用するのを認めないのに大して,人間はむしろさまざまな暗黙の知識を投入しようとするからである。もちろん,時には,形式的に正しい推論のみによって結論を導こうと試み,それが不可能であれば,結論を保留するほうが好ましい場合もある。見解や利害の対立する人が論争する際や,高度に確実な知識の体系の確立を目指す際などがこれに該当する。したがって,要求されれば,内容とはある程度独立して形式的に正しい推論ができる,という能力は重要であり,そのための教育や訓練も必要に違いない。しかし、既有知識や文脈を精一杯利用して,そこからできるだけ有用な推論を引き出そうと試みる人間の推論能力にも,それなりの「敬意」を払うべきであろう。(『学習科学』 放送大学教育振興会 P106)

以上は、心理学者の故・波多野誼余夫氏による文章ですが、私も深く共感します。以前に、「色眼鏡」と題してエントリーを書きましたが、色眼鏡を掛けたりはずしたりが出来る様にするべき、という事ですね。で、その為には、「はずす練習」が欠かせない、と思います。

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教え、教えられる

不思議缶ネットワークの子どもたち―コンピュータの向こうから科学者が教室にやってきた! Book 不思議缶ネットワークの子どもたち―コンピュータの向こうから科学者が教室にやってきた!

著者:美馬 のゆり
販売元:ジャストシステム
Amazon.co.jpで詳細を確認する

以前、ドラゴンさんに教えて頂いた、「不思議缶ネットワーク」の活動を纏めた本です。

大変素晴らしい内容。皆さんにもお勧めします。是非お読み下さい。

P118からの、一人の児童から発せられた問いに始まった議論(ニセ科学やスピリチュアルと学校教育との関係とも、密接に関わります)や、科学の原理についての応援隊同士の議論等、大変興味深いやり取りがあります。又、子ども達への回答の仕方等の議論では、どの様にして向き合っていくか、という所についての戸惑いも語られていて、とても興味深いです。

子どもにものを教える、というのは、詰まる所、子ども達と一緒に考えていく事、なのだと思います。いかにも陳腐な言い回しですけれど、本当に、そう思っています。決して、既成の知識を押し付けるだけでは無い。そう考えます。

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2007年4月21日 (土)

体罰

『太田総理』を観て。

体罰云々。

私は多分、太田さんとか原口さんの意見に近いと思います。

攻撃で押さえ込むのは有効か?

賛成している人は、攻撃について、恐ろしくナイーブなんじゃないですかね。

攻撃に対する感受性は、幼少の頃の経験に、かなり影響される気がします。

ところで、

体罰を容認するとして。

体罰は、肉体的に抑えつける事ですね。

抑えつける程の、体力的能力が無い人がいますね。

はっきり言いますが、

私のいた学校も、そこそこ荒れていて、教師が攻撃する事は、結構ありました。

で、ですね。

狡猾な奴ってのは、非力な教師を選択して反抗したりします。

女性の教師を泣かしたりね。

色んな所に、「皺寄せ」来ますよね。

それから、

無茶苦茶理不尽な攻撃をする教師も、いたりする訳ですね。

傍から見ていて、何故あいつがぶたれたのか意味が解らない、とかね。

殴って、何故殴ったかを言えば、相手は解ってくれる、という言い方もありますけどね。

何となく殴るのも、いるんですよね、実際。

でも、体罰と単なる「暴力(ここでは、正当な理由の無い攻撃)」との線引きは難しい。

いや、正確に言えば、それは不可能。

だからこそ、太田さんが言う様に、それを初めから容認してしまって良いの? という思いがある。

攻撃の行使は、常に正当な理由に拠るのか。

そんな事は無い。

教師は人間だ。

良識のある者もいるし、そうで無い者もいる。

それを理解すべきだと思います。

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何を言いたいのかな…

痛いニュース(ノ∀`):「ゲームは時間を奪う。ゲームで感動は難しい。ゲームなんて文化じゃない」… 内閣知財戦略本部コンテンツ専門委員会

はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):「ゲームは時間を奪う。ゲームで感動は難しい。ゲームなんて文化じゃない 」… 内閣知財戦略本部コンテンツ専門委員会

知はうごく:コンテンツ力(7-3)日本の戦略|エンタメ|カルチャー|Sankei WEB

「戦略的に全部やるのは大変だ。毛沢東がいうように一転突破全面展開が望ましい。ただ、実写映画は厳しい。ハリウッドとか中国の金のかけ方とか人のかけ方はすさまじい。それで、アニメとか漫画とかということになった。ゲームについては、ぼくは異論がある。アニメや漫画は感動をもたらすけれど、ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。宮崎さんとか他のアニメ見て、人生変わったという人はいると思います。心ふるえるほどの感動とか、ゲームは若干難しい。ビジネスとしてはいいかもしれないが、恨みをもたれる。かつてのエコノミックアニマルのコンテンツ番みたいにね。敬意も払ってくれない」

ふうん…。

どうなんでしょう。これ⇒BIT LITERACYとかこれ⇒浜野保樹の「日本発のマンガ・アニメの行方」 : Hotwired:第8回 グローバル・コンテンツの襲来とかを読むと、別に、ゲームに関して無知である、という事でも無さそうですけれど。

「私はそう思う」が、強く出過ぎに読めてしまいますね。少なくとも、日本のゲーム文化に批判的な意味合いではありますし。どの様な根拠での発言かは、知りたい所です。現状認識が妥当か、という問題でしょうし。でも、痛いニュースのタイトルは、無茶苦茶ですね。どこにも書いてない事(「ゲームなんて文化じゃない」)をタイトルにしちゃ、いかんでしょう。

震える様な感動を覚えたゲームなんて、数え切れない程あります。他の文化より圧倒的にね。だから好きなんですよ。ちょっと、侮辱されている感じを、読んだ瞬間に覚えました。あの言い方(書き方)だとね。

懐疑的に見ると、インタビューが恣意的に編集された可能性も、あり得ますけどね。宮本茂氏の発言を曲解した情報をそのまま載せた事も、ありますし。今回は、直接のインタビューなので、考え過ぎかも知れませんけれど。

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実は最初、このエントリー、浜野氏を強く批判するものでした。記事にあるインタビューの内容が、充分批判に値する、と考えたからですね。ただ、余り知識が無いのに批判すると、以前の坂元氏への反応と同様になってしまいかねないので、慎重な表現に換えました。

とは言え、「ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。」←この発言ですからね。過去に何を言ったか、という事を切り離しても、充分批判の対象になるとも思います。浜野氏の立場を鑑みれば。

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2007年4月20日 (金)

VODで、ニセ科学批判

ミランカ内のコンテンツ、『博士も知らないニッポンのウラ』を観ました(要無料会員登録。ページ、かなり重いです)。追記:corvoさんに教えて頂きましたが、再生は、Windowsのみで出来ます。残念。

これは、必見であります。

前半は、堀江貴文被告についてですが(個人的には、これも、興味深く観ました)、その後は、ニセ科学やスピリチュアルについて、宮崎哲弥氏、唐沢俊一氏と共に、語られています。血液型性格判断・水伝・ゲーム脳から、細木氏や江原氏の番組まで、広く扱っています。

全部で90分で、かなり濃い内容です。

絶対に、地上波では流せない(笑)

しかし、改めて思ったのですが、博士さんは、かなり勉強しておられますね。感心しました。

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怨恨感情

あれですね。

ルサンチマンに飲み込まれた心性というのは、大変厄介です。

周りの現象悉くを、ネガティブに捉えるのでしょうね。

色々なきっかけがあるのだと思います。

行き着く前に、心のわだかまりを解きほぐしてくれる人がいるかどうか、というのは、とても重要な事だと思います。

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頭に良い

これをやれば頭が良くなる、という課題を、考えてみました。

3DCG作成ソフト、「Blender」を用いて、人体を精密にモデリングし、フォトリアルなレンダリングを施せ。ただし、参考資料は、WEBのみを用いて収集する事。他人に助言を求めてはならない。

実写と見分けられないくらいのものが出来れば、相当賢くなってますよ。多分。

当たり前ですけど(笑)

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2007年4月19日 (木)

あれもこれも

亀@渋研Xさんの所(PSJ渋谷研究所X: なぜ流行る「脳の活性化」ツールとしての「大人の塗り絵」)で、いくつか紹介されていますけれど、まあ、色んな「売り文句」が、あるものですねえ…。

やっぱり思うのは、「一石二鳥」を求める心性をくすぐっているんじゃないかなあ、という事ですね。あれです。美味しくて減量効果がある食べ物があれば良い、というのと一緒です。問題は、「ホントに効果があるの?」という所なんですけどね。食べ物だと、「ホントにやせる(のを促す)効果があるの?」という。

後は、「難しく考えなくても、効果があるもの」を求めている、というのもあるかも知れません。あれです。お腹にベルトをつけてブルブルやれば、疲労感とか無くても、運動の工夫などしなくても、勝手に、みるみる内に細くなる、という、あれ。あんな感じです。

脳を使いたいなら、色々な事に興味を持って自分で調べる、つまり、好奇心を持つ、というのが大切なんじゃないかと思います。一般論としては。特定のあるものに取り組めば良い、というのは、違うのでは無いですかね。

でも、考えようによっては、どんな文化でも、「のめり込み」方によっては、奥深いものであるから、突き詰める事こそが重要だ、とも言えるかも。

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釈明?

ニューストップ > トピックス > 経済・ビジネス > TBS > 不二家問題でTBS 「不十分謝罪放送」 - Infoseek ニュース

司会のみのもんた氏が、

「従業員の方なんか、特に家族の方の気持ちを思うとね。私に厳しいこと言われて、ガックリきてる方もいるんじゃないかと思いますけど。これからはね、『新生』になった不二家ということで、私もどんどん応援させていただきますから、頑張ってもらいたいと思います」

とコメントした。さらには「スタジオのお菓子はぜんぶ不二家にします」と、冗談まで飛び出す様だ。

何これ。 

「厳しい事を言われて、ガックリ」、じゃ無いでしょう。不明確な根拠で無茶苦茶な事を言われて、憤っている筈ですよ。一体、どこからものを言ってるんだ。

「スタジオのお菓子はぜんぶ不二家にします」

ちょっと、どうかしてるんじゃないか。愕然とする。その前に、言う事があるでしょう。

釈明の部分も、あれじゃいかんと思いますよ。色々な所で指摘されていますが。

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2007年4月18日 (水)

メモ:「呼吸力」とは何か

読者の質問箱 その21を読んで、私もちょっと、考えてみました。参考文献は、高岡英夫氏の著作、特に、『鍛練』シリーズ及び、『空手・合気・少林寺』シリーズです。自分なりの言葉で表現している所もあるので、高岡氏の論とは、ニュアンスがあるかと思います。

  • 呼吸力とは、自然科学的にきっちり定義される様な概念では無く、体系内で肯定的に扱われる、ホリスティックで価値的(イーミック)な概念である(高岡による、「メソレフパワー」)。
  • 「合気道に役立つ身体の使い方が出来ている」と、「呼吸力が出ている」と表現される。その様な用いられ方をする。
  • 文化の特性によって、最適な運動構造は異なる訳だから、科学が発達していない、或いは科学の知識が不充分であった時代には、この様なホリスティックな概念を用いざるを得なかったのだろう。
  • 当然、合気道は身体運動であるから、ある自然科学的論理を直感的・直観的に捉え、それを分析的に表現する事を避けて、敢えてホリスティックな、それ自体が複雑な概念の集合である様な表現が生み出されたのだと思われる。その意味では、先人の優れた発明であると言える。
  • 「呼吸」を表現に含めたのは、「呼吸」が含意する意味世界の重要性、身体運動としての呼吸運動の重要性を、直感的に捉えたからだろう。
  • その様な用いられ方をしている訳だから、当然、同じ「呼吸力」で表現されるものであっても、その内容は、体系や指導者により、異なる。そもそも定義がはっきりしない語であるから、「呼吸力とは何ぞや」という議論も、噛み合わない事が多い。
  • ある身体意識(体性感覚を基にする意識系)の質を「感じ」、それを表現したとも言える。これは、「気」(体内の気の流れ、等)等の、他の概念と、同じ様なものである。たとえば、筋肉の用い方が異なれば、感覚も異なる。合理的身体運動が成立した時の、身体の「感じ」を記憶して、それを何とか言葉にしようとしたもの。そもそもが、多分に主観的なものである為に、共通了解を得にくい、又、「解った気になる」事も、非常に多い。
  • たとえば、「○○筋の感覚が、”呼吸力”の正体である」、と言われる場合がある。しかし、この様な主張は、慎重に行わなければならない。それは、バイオメカニクス的には、正しさを含んでいる事はあるが、それはあくまで、「呼吸力」という、極めて広い意味世界の一部分を切り取ったものであるという事を、心得なければならない。「合気道で言われる”呼吸力”には、○○筋の感覚が含まれている」、という事は言えても、「○○筋が呼吸力である」、とはならない。

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2007年4月17日 (火)

両立

初めから分析的に見ようとすると、「零す」事があると思うのですよね。論理では「捉え切れていない」所(「捉えられない」では無く)を、切り捨ててしまいかねません。私は、ホリスティックな見方を重視していますから、そんな感じで見ています。
勿論、現象を、科学的分析的に研究する事を、否定するものではありません(ここに、くどいくらい書いていますね)。たまに、ホリスティックな見方を重視する余り、科学的方法そのものに嫌悪感を示す人がいますが、それはそれで、極端な態度です(関連:Interdisciplinary: 潜在的擁護システム)。

直観と論理が相反すると思っている人が、いる気もします。論理的認識力を高めたら直観力が衰える、という感じで。そういうものでは無いと思うのですよね。厳しい事を言えば、そういう認識は、勉強しない為の言い訳です。

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2007年4月16日 (月)

「単に」塗る、って何?

ITmedia Biz.ID:単に「塗る」だけでは脳は活性化しない──三菱鉛筆が川島教授と検証

むう、こういう風に、他社製品との差別化を図るとは…。戦略として、上手いと言えば上手いけど、川島氏という「ブランド」のイメージを当てにしている、と言うのは、少々考えすぎでしょうか。

何でもかんでも脳・脳って。

塗り絵という娯楽って、手を精密に動かして、筆圧を細かくコントロールし、見本に近づけるのを楽しむものなんじゃないんですかね? 脳に良いとかは、別にどうでもいいんじゃないかと。

「塗り絵も楽しめて、脳も鍛えられれば一石二鳥」、という感じなのかなあ。いや、その事(消費者の購入の動機として)自体は、別に構わないと思いますけれど、この場合、絵画の技法に序列をつけている様にも感じるんですよね。脳が賦活するかどうかという、変な根拠で。

何か、どんな文化でも、取り組み方によって脳の活動の仕方は変わる、というのを言っているだけなんじゃないか、とも思います。そういう意味では、当たり前の話ですよね。

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全国大会。めぢから

カプコン、全国大会「モンスターハンターフェスタ」。地区大会当日参加枠の締め切り迫る

うおお、レウスフィギュア、カッコイイ!

決勝大会って、どんな内容なんでしょうねー。

ITmedia +D Games:動体視力を日々の鍛錬で向上させる――「見る力を実践で鍛える DS眼力トレーニング」

「目が悪くなる」と一般的に思われているゲームで、目の機能を鍛える、というのは、発想の転換ですね。

ハマってしまって、目を酷使したりして…。

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2007年4月15日 (日)

委員会

まさか、後藤さんが、あの番組で取り上げられるとは。

三宅さんは、仮想的世界で遊んでいるなあ。しかも、声がでかいから、タチが悪い。ざこばさんもね。

「昔は良かった」が、好きですねえ。

ところで、「今時の若者」って、何歳から何歳なんでしょう。

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影響

私の ものの考え方は、高岡英夫氏と森博嗣氏に、大きく影響を受けています。

高岡氏からは、武術や身体運動文化を科学的に見る事や、関係主義(高岡氏は、「ホーリスム」を、こう表現します)的方法の重要性、記号の恣意性等の、とても大切な概念を学び(勿論一方的に)、森氏からは、物事を徹底的に懐疑的に思考する事や、現象を自然科学に見る事、既成の価値観に捉えられない様、注意深く自己を見つめる事等を、学びました(勿論一方的に)。

で、「何故影響を受けたのか」、というのを思いますね。やっぱり、共感したから、なんでしょうね。そういう意味では、思考に、近いものがあったのかも。直観的に思っていた事を、見事に言葉にしてくれている、という驚きと言うか、嬉しさというか、そういうものが、あったのだと考えられます。

じゃあ、それらに共感する様な認識の傾向は、どうやって形成されたのか、というと、何ででしょうね。よく解りません。心当たりは、無いでもないですが。

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運動神経

運動神経の科学 Book 運動神経の科学

著者:小林 寛道
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これは良書ですね。「運動神経」を、生理学的厳密に考えるのでは無く、日常的に用いられる意味を考慮して、より広い、総合的概念として捉え、論じています。結構読み易い内容。四足動物の運動との共通性に着目していたり、それに基づいたトレーニングマシンの紹介があったりして、大変興味深いです。「意識」や深層筋の重要性にも言及してあって、面白いですね。それに加え、著者が合気道の修行者という事もあって、武術をしている人も、受け容れ易い内容になっているのではないかと思います。小林氏は、木村達雄氏の同僚だったのですね。

ただ、ちょっと気になる事があります。

本書には、高岡英夫氏が提唱されている、「割腰」や「双鞭構造」に類似した概念が出てくるのですが、同じ様な概念に異なる表現があると、混乱してしまいますよね…。小林氏は、高岡氏の『究極の身体』を書いたりしておられますので、本で言及して欲しかったり。そうすれば、他の研究を参照した事が明確になって、とても解り易いのですが(高岡氏が小林氏の研究を参照した場合でも、です)。

高岡氏には、著作に、参考文献を挙げて頂きたいです。どこまでが独自の発想で、どこが、先行研究を参照にしたものなのかが、解りにくいです。以前の本には、ちゃんと載っていたんですけどね…。

ナンバについてと、体力測定の調査の結果の解釈については、ちょっと保留。ナンバ論については、色々議論があるみたいですので。

参考サイト:

株式会社東京大学TLO [CASTI]:常識を覆す日本人のための ”正しい体の動かし方”

TBS「アナウンサー通信」/ゴーゴー!!ママウンサー(有村&山内 育児と仕事)

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2007年4月14日 (土)

実況中継

  • TAKESAN on 理屈を言う人は直感を蔑ろにする訳では無いんですよー
  • TAKESAN on 理屈を言う人は直感を蔑ろにする訳では無いんですよー
  • 夢草の剣 on 理屈を言う人は直感を蔑ろにする訳では無いんですよー
  • TAKESAN on テレビに出る科学者
  • TAKESAN on テレビに出る科学者
  • 内海 on テレビに出る科学者
  • TAKESAN on 子どもに読ませたい本。まだ読んでないけど
  • TAKESAN on 稽古の心構え
  • 今、Interdisciplinary: テレビに出る科学者(コメント欄)で、実況ぽい事をやってるので、コメント欄が流れてしまってますので、それ以前のコメントへのリンクを、置いておきます。

    コメント欄で実況するなよ、って話ですが。

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    メモ:体の変更

    • 型:片手取り(逆半身)。受けはしっかり掴む。取りは、受けの前側の足に自分の前側の足をつき合わせる様にし、転身する。
    • しっかり掴む:掴んだ場所から「動かされない」様にする。取りの動きに合わせて付いていく、というのは、稽古の目的からはずれる。その場合には、変化技の稽古になる。
    • 取りは、掴まれた所から、手を動かそうとしてはならない。ちょっと考えてみれば解るが、手を動かそうとする、という事は、肘や肩の関節を運動させて、ものを引っ張る様な動きになる。そうすると、もろにぶつかってしまう。受けの体力が高く、掴み方の要領が良ければ、びくともしない。
    • そこで、発想を変える。掴まれた所は、そのままにする。そして、腕や肩を「預ける」(「あずけ」というのは、大東流の一派等で、技法として体系に組み込まれている様である)様にする。受けの手に、腕肩の重みを載せる様に。
    • そうするには、肘関節や肩関節を、「積極的に動かさない」様にしなければならない。注意すべきなのは、「関節を固める」のは良くない、という事である。気構えとしては、「肩関節から先の感覚が麻痺して動かない状態にする」、という感じ。積極的に働かせるのは、胸鎖関節・肩甲骨・肋骨等(高岡英夫の言う「ベスト」)。
    • 独り稽古―私が考えて、実行したもの。既に、トレーニング方法として、どこかにあるものかも知れない:手首の位置を、一点に固定する→そこから手首の中心(「手首」だと、前腕そのものを動かさない事になるので、それは不可能。手首の中の中心点の事)をなるべく動かさない様にして、身体を自由に動かす。そうする事によって、体幹主導の運動を促す。※掴まれている訳では無いので、上腕等の筋肉の微細なコントロールも、必要とされる。
    • 「掴まれている」という認知が、脱力(必要な筋肉を働かせ、それ以外を弛緩させる)を阻害する事になる。だから、稽古の時のみならず、覚醒している時間は全て稽古の機会であるかの様に、取り組む。
    • 体捌き―先ず、体の変更は、転身の体捌きや腕肩の脱力を複合的に行う課目である。従って、そもそも大変難しいものである。それは、念頭におくべき:前側の足を出す際には、重心を、絶対に、後に下げない。一般的には、たとえば右足を出そうとする場合、一旦左脚に重心を乗せてから、行う。しかしそれでは、時間的に遅れてしまうし、滑らかな運動にならない(重心が、上下にも動いてしまう)。重心は水平方向に移動させる様にして、足は滑らせる様に(地面に擦らせてはならない)。脚は、腹の奥から引っ張る感じ(つまり、大腰筋で、大腿を屈曲させる)。殆どの人は、足(脚)を前に出そうとすると、「膝が伸びながら」出る筈である。これは、大腿の伸筋群が働く為。これは、一旦後に重心を移動させておいて、膝を伸ばして足を前に出し、前方に移動する、という運動。対して、高級な動きは、重心はそのままにして、前側の脚を「抜く」。足を前後に離して立っている訳だから、そこから「前側の脚がいきなり消えてしまう」イメージを持つと良い。前に「倒れこんで」しまう、というイメージが、容易に浮かぶ筈。それに合わせて、後側の脚をつっかえ棒の様にして(つまり、大腿後面の筋肉を働かせる)、前に移動する。
    • 転身:基本的に、大腿を先行させるという所は替わらない。前側の足同士をつき合わせた時、重心は、前側の脚に乗っている。その重心を、更に前側に移動させる。そうすると、前側の脚と重心にズレが出、前方に倒れこむ(この時には、身体は横を向いているので、正確には、横方向)ので、それに合わせて、後側の足を、移動させる。重心の移動は、後側の脚の外転や伸展によって行う。当然、骨盤の回転等も関わる。心得るべきなのは、足首や膝を先行させない、という事。特に、足首を曲げ伸ばしして(ふくらはぎの筋肉を使う)身体を動かす、という既成の考えは、覆さなくてはならない。

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    2007年4月13日 (金)

    理屈を言う人は直感を蔑ろにする訳では無いんですよー

    いつも理屈を捏ねる私ですが、何か作品に触れる際、初めから、分析的に見てやろう、とは、全く思わなかったりします。ほぼ、直感・直観に任せます。

    で、作品の良し悪しの判断の基準は、「身体が震える」かどうか、です。「身に沁みる」、という、とても適切な言い回しもありますが。

    うーん、極めて直感的で、曖昧ですねえ。何言ってんだ、て感じですか? でも、「あー、解る」、と思って下さる方も、いらっしゃると思います。感動って、かなり身体的なものです。

    で、その後で、「何故自分は感動したか」、というのを、考えるのですね。そこから、分析的に見ます。そして、色々考える内に、自分を感動させたものに共通する論理が、導かれてくる訳です。

    「この部分は何かが違う。だが、”どう違うか”が、解らない」、という事も、しばしば起こりますね。専門的な知識が足りなかったりして。それを明らかにしたい、というのが、学習の動機付けにもなるのですね。

    初めから、分析的に見る、というのは、自分が良いと思っているものに当てはまるものを、「良いもの」として受け容れる、という事です。それは、いかにも不自由だと思います。

    勿論、直観と論理は、分かち難く結び付き、相互作用するものです。独立ではありません。知識を蓄える事が、直観的・直感的判断の仕方を変えるのは、よく起こるでしょう。

    暗黙知に任せる、という言い方も出来るかも知れませんね。そういう意味でも、直感・直観(←余り考えずに使っています)というのは、とても重要です。

    でもですね、直感に頼り切ってはいけませんよ。記号も重要。両方大切にしてみましょう。

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    読書とゲームと漫画と

    Yahoo!ブログ - らくだい魔女の秘密の部屋2007年5月7日追記:リンクした記事は、削除されました。コメント欄をお読み下さい。

    まず、「ゲーム脳」について調べてみた方が、良いと思います。

    こういった子どもたちの感性を磨き、物事を豊かに表現する力をつけることのできる最も身近で
    簡単な行動、それが「読書」なのだそう。
    確かに本を読むと、想像力や表現力がつくと思いますね~~。

    物事には、「接し方」、というものが、あります。又、どういうきっかけか、というのもありますね。「読書」と、一口では、言えないのではないでしょうか。「何を」、「誰と」、「いつ」、「どの様に」、「どれくらいの時間で」、読むのが良いのでしょう。「想像力」や「表現力」は、「つく」ものなのでしょうか。そこに、能動的な取り組みは、必要無いのでしょうか。

    マンガやテレビの視界では得られないものを得られる気がします。
    文庫本よりマンガ買って欲しいって小さい頃は思ってたけど

    漫画やテレビでは得られないものが、確かにあるのかも知れませんね。文字だけの内容から、色々なものを想像する、という部分は、あると思います。でも、漫画やテレビ(この並べ方は、ちょっと変)でこそ得られるものも、あるのでは。色々な人が、想像力・創造力を振り絞って、作品を創り上げているのですから。そういった作品に触れるのも大切だと、私は思います。

    小さい頃に読んだ漫画で、今の自分に大きく影響を与えたものとか、ありませんか。それは、貴重な経験では。

    読書(細かい事を言うと、漫画を読むのも、「読書」です。雑誌を読むのもそうですね)が大切だ、というのは、私も、大いに頷ける所です。でも、それを主張するのに、他の文化を引き合いに出すのは、宜しくないですよね。

    「ゲームが悪い影響を与える」、という説が、まことしやかに流れて、それを鵜呑みにする人がいて、「ゲームを好きな人」に、どういう印象を持つでしょうか。「ゲームを好きな人」が、そういう説を知って、どう思うでしょうか。ある程度、ものを解った大人なら、そんなのは、ものともしないかも知れません。でも、子ども達は、そうは思わないかも知れませんよ。深く傷つくかも知れません。

    少しで良いので、「言われた側」の事も、考えてみて下さい。言う前に、それは本当の事だろうか、と、疑いの目を向けてみて下さい。

    「ゲームをやる事」と、「本を読まない事」は、違いますよね。

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    テレビに出る科学者

    [間歇日記]世界Aの始末書: 五万円するニセ科学(コメント欄)

     大槻氏も大槻氏で、当惑させられることがしばしばあります。テレビでトンデモの人と論争(?)するショーなんかに出ているときのもの言いは、全然科学的じゃなくて、“科学教徒”といった感じです。テレビ的にはああいうふうに言い切らなくてはならないという意識的な戦術なのかもしれませんが、そんな戦術を取らなくてはならないくらいなら、テレビになど出ないほうが科学のためです。あれじゃあ、トンデモの人と符号がちがうだけで、ニセ科学を信じてしまうような人には、トンデモの人とまったくの同類に見えているはずです。(冬樹蛉さんのコメント)

    私も、全くそうだと思います。kikulogにも書いた事があるのですが、大槻さんが、テレビで超常現象に言及しているのは、私には、「頭ごなし」に否定してかかっている様にしか、見えませんでした。

    物の言い方、の問題です。大槻さんの意見より、超常現象肯定派の、「科学で解明されていないからと言って、無いと決め付けるのは良くない」、という意見の方が、遥かに説得力のある、柔軟な思考に思えるのです。一般の人には。

    大槻さんの物言いは、「頑な」という印象があります。そしてこれは、バラエティでは、「いじり」易い。バラエティ番組は、凝り固まった思考を持った人を嗤うというのが、大好きですから(最悪ですよね)、恰好の道化になるのでしょう。

    そもそも、バラエティ番組の、超常現象肯定派対否定派、という構成のものに、科学者が出るのは、余り宜しくないと、私は思っています。たかだか1・2時間の番組で、科学的知識を踏まえた否定意見が受け容れられるという事自体、考えにくいです。

    それよりも、科学の知識や方法を中心的に扱う番組で、興味を持たせる方が、重要だと思います。超常現象を扱う番組で、オファーを受けた科学者が、皆出演を断れば、そんな番組は、成立しない訳ですし。

    だから、懐疑的な思考を持った芸能人なりが出演するのが、いいのかも知れませんね。

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    2007年4月12日 (木)

    子どもに読ませたい本。まだ読んでないけど

    kikulog(「七時間目のUFO研究」藤野恵美、青い鳥文庫)で絶賛の、藤野恵美さんの本、読もうと思います。

    私も某所で見ましたが、amazonの、「この商品を買った人はこんな商品も買っています 」リストとか見ると、ホント、「その筋」の人が買ってますね(笑)

    『金色のコルダ』のノベライズも書いておられるのですね。

    Megumi Fujino Official Home Page(藤野さんの公式サイト)

    七時間目の占い入門 Book 七時間目の占い入門

    著者:藤野 恵美,HACCAN
    販売元:講談社
    Amazon.co.jpで詳細を確認する

    七時間目の怪談授業 Book 七時間目の怪談授業

    著者:藤野 恵美
    販売元:講談社
    Amazon.co.jpで詳細を確認する

    七時間目のUFO研究 講談社青い鳥文庫 245-3 Book 七時間目のUFO研究 講談社青い鳥文庫 245-3

    著者:藤野 恵美
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    凄い人

    Hal Tasaki's Zakkan 0204:4/1/2002(月)

    Hal Tasaki's logW 0304:4/1/2003(火)

    Hal Tasaki's logW 0504:4/1/2005(金)

    Hal Tasaki's logW 0604:4/1/2006(土)

    Hal Tasaki's logW 0704:4/1/2007(日)

    うーむ、面白い。そして凄い。

    身近に「凄い人」がいる、というのは、良いですよね。勿論、その凄さに気付くのが、随分後である事も、あるでしょうけれど。

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    メモ:正しい姿勢

    足を肩幅程度に開いた静止状態の姿勢。

    • 横から見る。重心落下線(身体の重心から鉛直に引いた線)が、踝を通る様に。
    • 体幹は真っ直ぐ。いわゆる「腰を入れる」事はしない。骨盤が後方に回転し、腰背部の筋肉が、無駄に緊張する。
    • 肩は上げない。なで肩に見える程度に。かと言って、意図的に下げようとしてもならない。外形を、無理に「作ろう」としない。外形的には同じに見えても、状態が全然異なる事がある。筋肉が程よく弛緩し、肩が落ちているのと、背中の筋肉で、下方に引き付けているのとでは、全く違う。元々の体型もあるから、あくまで目安として。
    • 大腿後面の筋肉で、身体を支える。これは、上記の、重心落下線(或いは点)の所にも関わる。一般的には、「膝を伸ばす」意識で、身体を支えるイメージだが、そうでは無くて、脚を後に引っ張り、つっかえ棒にするイメージ(あくまでイメージ)。
    • 大腿前面の筋肉は、可能な限り、弛緩させる。ただ「力を抜こう」程度の意識で、長年固めてきた筋肉をほぐすのは、大変困難である。更に、行住坐臥、認知しながら、徹底的に改善させる気構えでないと、直ぐに、元に戻ってしまう。
    • 適切な脱力が出来れば、膝は、内側を向く(イチロー選手の構えが典型的)。下腿は、脛骨で支える様にする。という事は、足底部は、内側で支える事になる。
    • 根本として、身体を、ゆるゆるにゆるめる。これは、筋肉の面から見ると、運動に必要の無い筋肉は、可能な限り弛緩させる、という事を意味する。
    • どこが固まっているかを認知する。肩凝りを同様の「感じ」が、全身隈なく分布している事を認知し、それを解きほぐす。
    • 身体がゆるまなければ、「正しい姿勢」はあり得ない。それは、どんなに高級な素材を用いた道具でも、錆付いたりしていたら、道具として使えないのと、同じ事である。身体は、生理学的・力学的法則に拠って運動する物体であるという事を、しっかり認識しなければならない。
    • 良い姿勢をとれている人の、「印象」:すーっとした感じ。横から見ると、身体が一直線である感じ。正面から見て、左右対称に近い感じ(あくまで目安。競技によっては、左右の筋肉の発達が変わるので。その場合でも、中心に線が通った感じがあるかどうかで、見分ける)。内股な感じ。だが、内側に締め付けている訳では無い。
    • 上に書いた「印象」は、あくまで、「印象」である。それは、視覚的に捉えた情報から、視覚では把握出来ない身体内部の状態を推測している訳だから、精度には限界がある。だから、とても解り易い、ハムストリングスで立てているかどうかなどをメインに、判断する。その情報の曖昧さを心得て、決め付けは避ける。そうでないと、客観的評価を無視した、極めて独り善がりな状態になりかねない。
    • 客観的には、圧力板や筋電位の測定によって、身体の状態を、科学的に測る事で評価するのが、望ましい。その場合、「正しい(望ましい)姿勢とは何か」、というのを、しっかり定義出来るかが、重要。私としては、高岡英夫氏の論に、賛同する。

    因みに、よくテレビで目にする人で、とても綺麗な姿勢を取れていると「私が思う」人(こういう検討は、客観的議論が難しいです。画像を参照出来れば良いのですが、それは無理ですし)は、イチロー選手とか、荒川静香選手とか、長澤まさみさんとか、平井堅さん等です。テレビでは余り観ませんが、倉木麻衣さんとかも(←チョイスは適当です。と言うか、「何となくそう思う」人では無くて、「おお、これは!」とはっきり感じた、という人を選びました)。妥当な評価かは、解りませんが。

    実はこのエントリー、凄まじく慎重な書き方です。武術の関連誌を読むと、まあ、好き勝手に、正しい姿勢だの何だのが、論理も何も無く、披瀝されていたりします。

    動物の身体というのは、数百の筋肉が数百の骨に付着し(←これも、凄く単純化した表現)、かなりの自由度を持って運動するという、超複雑なシステムなのですから、そもそも、とても難しい問題なのですよね。何をもって「良い姿勢」とするか、という問題もありますしね。

    因みに、これはどうでも良い話ですが、私の目標は、身体運動の論理構造を科学的に認識し、それによって見出される高度な運動を体現する事、です。高岡英夫氏は、「究極の身体」と表現しています。つまり、「解る」と「出来る」を、両立させたい訳ですね。基本的に、欲張りなのです(笑)

    で、それには、バイオメカニクス(生体力学)や運動生理学の知識が、必須です。じゃないと、どうしようもないです。

    武術の指導者で、解剖学的知識が少しでもある人が、どれくらいいるでしょうね。まあ、一般的では無い、と思います。そうだとすると、スポーツで言えば、トレーナーに当たる訳ですから、身体運動文化に関わる者としては、かなり駄目な話です。一旦、武術を外から眺めてみると、かなり異様でもあります。身体運動を極めようとする集団なのに、科学的方法を忌避する(傾向がある)訳ですからね。武術関係者は、もっと、自分の携わる文化を、相対化した方が良いです。

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    2007年4月11日 (水)

    稽古の心構え

    夢草の剣さんのコメントを受けて。

    私の先輩がよく仰っていたのが、「”厳しい”稽古と”激しい”稽古は違う」、というものでした。
    技をきっちりと極め、肉体的には辛いものであっても、しっかり相手を見ながら、怪我をしないよう、させないように、気を配りながら稽古をするのが大切だ、という事でした。

    相手に怪我をさせてしまうというのは、ひとえに、技が「乱暴」だからだと思います。「思い遣り」が足りない、と言うか、自分勝手と言うか。
    武術は本質的に、暴力と一致しますから、そこの所をしっかり意識しないと、正に、「単なる暴力」になってしまいますね。
    体力に差がある場合には、理合を無視しても、ある程度、「技が掛かってしまう」、という事もありますしね。

    私が、下位の方と稽古している時、こちらが、がっちりと、相手の方が全然動けない程強く手を掴んだのを、先生に、強く掴み過ぎだと窘められた事があります。「相手の上達に協力する」という意識が、足りなかったのでしょうね。

    ある程度の激しい稽古を許容するとすれば、当事者同士が完全に同意した時だけ、だと思います。実戦を想定した稽古等ですね。

    私としては、現代において、怪我を覚悟で武術の稽古を行うのは、余り好ましい事では無いと思っています。個人の価値観の問題でもありますけれど。ただでさえ、「危ない」訳ですから、細心の注意を払ってやらないと、事故が起こる可能性もありますね。四方投げなんかは、大変危険ですし。

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    アニメ離れ

    痛いニュース(ノ∀`):子供のアニメ離れが加速「アニメはもう子供たちのファーストチョイスではない」

    あー、そういえば、夕方のアニメの再放送って、最近全然やってないですね。

    ルパンとかタイムボカンシリーズとかハクション大魔王とか。赤塚不二夫作品とかも。

    今は、CSとかケーブルテレビで、専門チャンネルがありますから(アニマックスとか)、そっちで観てるんじゃないですかね。あ、でも、それは、「懐かしんで」観る人が、大半なのか。

    2ちゃんねるの反応にもありますが、世代問わずに受けるのが、少ないのですかね。名作劇場とか、今やっても、そこそこ人気は出そうですけれど。

    趣味・嗜好が多様化した、っていうのは、あるかな。携帯ゲームの普及も、大きかったり。でも、昔も多様だった気もします。結局、何を面白く思うか、という事でしょうね。

    …いや、そもそも、「子どものアニメ離れ」ってのが、本当に言えるのかどうか、よく解りませんけれど。

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    ひとの話を…

    思うんですけど、ブログとかで、他人の意見を読んで、「自分はこう読めたから、相手はきっとそう考えているだろう」、と決めるより、「自分はこう読んだが、それは合っているか?」と尋ねた方が、いいんじゃないですかね。せっかく、コメントを投稿出来たりする訳ですから。

    相手の認識を決め付けたって、何ら、建設的な議論にはならないかと。

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    2007年4月10日 (火)

    メモ:武術の言葉

    • 「胸を張るべき」と「胸を張ってはいけない」、どっちが正しい?
    • そもそも、同じものを指しているのか。
    • バイオメカニクス的に同様の状態であっても、表現が異なる場合がある。
    • 胸郭や肩甲部の構造と、言語の意味内容との関連。
    • 「張る」の意味(参照:国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書)。
      • (1)物の表面などを一面におおうように広がる。
        「池に氷が―・る」「蜘蛛(くも)の巣が―・った廃屋」
      • (2)木の根や枝が四方八方に大きく広がる。「四方に根が―・る」
      • (3)ゆるみなくひきしまる。
    • 上記の意味を踏まえて見ると、背中を反らし、肩甲骨を引き寄せた姿勢も、脊椎をニュートラルにし、肩甲骨周りの筋肉を弛緩させた状態も、いずれにも、「張る」という表現を適用出来る事になる。
    • 一方、たとえば「胸を反らす」などの場合だと、背中側を引き付ける(つまり、「後に」反る―「反身」。逆は、前に「屈める」―「猫背」等)姿勢がイメージされる。従って、「良い姿勢」を表現するのに、「胸を反らす」というのは、余り用いられないという印象がある。尤も、「反身」を正しいとして、その表現が意識的に使われる場合もあるだろう。
    • 現代においては、一般的には、「胸を張る」は、「反身」を表すと思われる。
    • この事を直観的に踏まえてか、胸で「受ける様に」、と表現される場合もある。つまり、敢えて、誤解されそうな「胸を張る」という表現と共に、「受ける様に」という語を補助的に用いる事によって、より強く認知させようという、教育的方策である。
    • この様に、同じ表現であっても、その意味する所は異なる場合がある、というのを、しっかり認識しなければならない。そうで無いと、「○○」という表現を用いているという事実のみで、パフォーマンスを評価してしまう場合があるからである。端的に言うと、「言葉の使い方にはズレが生じている可能性がある」、という事である。
    • 従って、身体運動のパフォーマンスとしては同様であっても、それを表現する言語体系が異なる場合が、あり得る。達人と評価されるアスリートであれば、身体運動構造にも共通性があると考えるのが、妥当であるけれども(自然科学的には当然)、自らの属する体系の優位性を信じたり、言語に対する認識が足りない事によって、表現が異なっているから運動構造も異なっているであろう、と看做すのである。
    • 然るが故に、バイオメカニクス的認識を身に着ける事が、望ましい。その様にして、厳密に定義された概念を用いる事によって、「誤魔化し」を通用させなくすべきである。そうで無いと、言葉の使い方に拘って、いつまでも、身体運動を科学的に認識する事が無い、という状況のままであろう。それでは、身体運動文化としての武術の発展は、望めない。
    • 尤も、学習―教授過程において、ある運動構造についてメタファーを用いるのは、大変有効な場合がある。分析的に認知しにくい体性感覚情報を、「喩え」で表現するのは、解剖学的概念等を用いる説明より、学習者にとって有意義である場合も多いであろう。
    • しかし、注意しなければならないのは、上にも書いた通り、言葉の使い方にはズレが生ずる可能性がある、という事である。即ち、異なる運動について、同じ表現を用いてしまう場合があり得る。名は同じでも中身が違う、という事。
    • 従って、その様なメタファーを用いる際には、その前提の知識として、自然科学的知識を身に着けておくのが必要である。そうすれば、メタファーを「勘違い」しているかどうかが、チェック出来るからである。

    これは勿論、武術に限った事では無く、他の色々な文化に敷衍出来ます。

    言語の恣意性を認識している人にとっては、「そんなの殊更に主張する事か?」と思われるかも知れませんが、それを知らない人が、結構いる気がします。私の様に(下に書きますが)、何となく気付いているが、はっきりとは認識出来ない、というもどかしい思いをしている人も、いるでしょうね。これが一番きつい気もします。

    私の場合、全く直観的に、「言葉は同じだけど、中身は違ったりするんじゃないかなあ…」というのを、漠然と思っていました。たとえば、「力を抜く」という表現は、一体何を指しているのだろう、とかですね。「胸を張る」も。で、言語論を勉強していく内に、疑問が氷解した訳ですね。

    特に武術等では、体性感覚の認知(「気付き」と言うか)という、極めて主観的なものに対する評価が、パフォーマンスのレベルに決定的に関わり(適切にフィードバックし、それを変化させていく必要がある。無自覚に近いかたちで、ハイパフォーマンスを達成する人は、「天才」と呼ばれる)、それを言語化するという過程(伝承において重要。だから、古来、伝書や口伝で、何とかそれを、伝えようと腐心した訳ですね)が重要な訳ですから、心理学が発展していない時代には、メタファーに頼らざるを得なかった所があるのでしょう。

    言葉は、受け渡した途端、意味は変わるのですよね。厳密に定義されたコードでなければ、発信者と受信者の解釈が一致する事はあり得ませんから。だから科学では、言葉の定義と論理性が重んじられる訳ですね。体性感覚情報をメタファーで表す場合には、発信者と受信者との「脳内辞書」が同一になる事は、殆ど無いでしょうから、ズレが生じます。だから、客観的にものを見たいなら、自然科学的に身体運動を測定して、それと主観の一致とを見て、パフォーマンスを評価する、というのが重要です。多分、武術関係者は、殆どは、こういう考えを嫌うと思います。そもそも、「武術の動きは言語に尽くせない」とか、「科学では解明出来ない」、というバイアスが掛かっていますから。

    無論、どこそこの筋肉を鍛えればパフォーマンスは向上する、という単純な認識でも、駄目です。人間が、力学的且つ認知的存在である以上、総体として捉えなければ、筋力は上がったけど動きが悪くなった、なんて、悲惨な結果になりかねないですから(高岡英夫氏の、『鍛練』シリーズを参照)。

    重要なのは、身体運動に関する自然科学的知識(具体的には、バイオメカニクス。実践家としては、それ程詳細な知識は要らないでしょうけれど)や、主観と「理想的な運動」がずれる可能性の自覚(つまり、パフォーマンスを科学的論理的に認識する事と、それを体現する事との違い。「”解る事”と”出来る事”の違い」。「解っている人が出来るとは限らない」し、「出来る人が解っているとは限らない」)等です。

    批判・質問歓迎です。

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    2007年4月 9日 (月)

    ナイーブ

    くのいち徒然草 今日出会った人

    東京女子医大の川嶋先生とも久しぶりにお会いした。
    そこで耳にしたのが、『水からの伝言』がたたかれているという話。
    無機質の水が、言葉によってかわるはずがないと、
    物理学の世界や厚生労働省がいろいろ言い出しているそうだ。
    「おとぎ話でいいじゃないか。そんなこと言い出したら、
     浦島太郎は、海に潜った時点で溺死してしまう。
     二重盲検法というやり方がある時点で、
     科学は意識が結果に左右することを認めている。」
    と、川嶋医師。

    厚労省が水伝にいろいろ言っているなんて話、初めて見ましたが、そんなのありましたっけ。

    それはともかく、水伝批判に対する反論として、全くのフィクションである浦島太郎を持ち出したり(”浦島太郎は、海に潜った時点で溺死してしまう。”なんて、唖然とします)、二重盲検法を出して、「意識が”結果”に左右」するなどと言うなんて、ナンセンスでしょう。二重盲検法は、プラセボ効果という心理的効果を考慮したもので、言葉の意味内容が物質に直接作用するという説とは、全然異なるレベルの話です。

    そもそも、「おとぎ話でいいじゃないか」と言っておいて、「意識が結果に左右する」とも言っていて、どういう主張なのか、不明です。

    本気で言っているのだとすれば、相当素朴です。

    ※リンク先の文章は、要約したものだと思いますので、元の話とは、ニュアンスがあるかも知れません。鉤括弧の中の文章などは、ちょっと変ですし。という訳で、あくまで書かれている文章に対しての批判です。尤も、話の主旨は、文章から充分読み取れるものではありますが。

    追記:リンク先のブログが修正された様です。水伝の話は、くのいち徒然草 やわらかい取捨選択に、出ています。文面も、上の引用文とはちょっと異なっていますので、改めて引用します。

    統合医療の舵取りの1人K医師とも、久しぶりの再会。
    「水からの伝言が、物理学の世界や厚生労働省からたたかれてるんだ。
     無機質の水が、言葉によってかわるはずがないって。
     水はなにも知らないよって本も出たしね」
    やはりきたか。

    K医師と私は同じ病院で働いていた。
    10年ほど前に院内オルタナティブ・メディスン研究会を立ち上げられ、
    『水からの伝言』の著者江本氏を呼んでくださったのは、それから程ない頃だったか。
    結晶の写真を最初に目にしたときには
    エネルギーを目に見えるカタチで表していると、ドキドキした。
    波動を測定すると、たまっている感情は臓器によって特徴があるという話も興味深かった。
    白血病は悲しみ、肝臓は怒りなど、臨床を知っているだけに、
    またエネルギーで見始めていた時期であり、思い当たることしきりであった。

    テクニックでなく、この写真がどうやって撮れたかが不思議だった。
    その質問に対し江本氏は
    「写真は何枚も撮りますが、その中でも自分がピンときたものを
     ピックアップしています」というようなことを言われた。
    それで納得した。
    写真を撮り、選択する時点で主観が働いている。それはアート。
    だったら、自分にとってどういう意味をもつかで利用すればいいだけ。
    当時、私はそう理解した。
    また、飄々とした佇まいに好感をもった。

    K医師は、厚生労働省等の動きに関して、
    「おとぎ話でいいじゃないか。そんなこと言い出したら、
     浦島太郎は、海に潜った時点で溺死してしまう。
     二重盲検法というやり方がある時点で、
     科学は意識が結果に左右することを認めている。」
    と、コメント。
    おとぎ話は真実だったかが大事なのではなく、
    そこからどう心を動かされ、豊かに生きることにつなげられるかが大事。

    巷にあふれていた“マイナスイオン”が消えているが、似たような背景があったらしい。
    そういえば…
    消えていることにすら気付いていなかった。アブナイ。
    波動も同じ道をたどるのか?

    やっぱり、厚労働省の話が出ていますね。そういう動きがあるのかな。あれば、もっと知られていてもよさそうなものですが。

    後、マイナスイオンと水伝は、全く別の話ですよね。「似たような背景」って、一体何ですかね。

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    2007年4月 8日 (日)

    英国紳士

    レイトン教授と不思議な町(特典無し) Video Games レイトン教授と不思議な町(特典無し)

    販売元:レベルファイブ
    発売日:2007/02/15
    Amazon.co.jpで詳細を確認する

    今やってます。

    かなり面白いです。滅茶苦茶頭を使います。何か、脳が爆発しそうな感じ(笑)

    『IQサプリ』のクイズクラスに納得がいかない謎解きが、たまーにあったりもしますが(笑)

    こういうゲームに、DSの入力装置はうってつけだなあ。

    これって、シリアスゲームに近いものがあるんじゃないですかね。特定の分野を学ぶ、という感じではありませんが。

    謎解きとストーリーが余り関係無い、ってツッコミもありそうです…。まあ、でも、上手く組み合わせてあると思います。

    お子さんに買ってあげて、一緒に楽しむのも、良いのではないでしょうか。

    子どもよりハマってしまう、って事もありそうです(笑)

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    2007年4月 7日 (土)

    正確な理解

    深町秋生の新人日記 - 自分にやさしい人達

    同意です。やるべきは、正しく捉える事。その為には、「思い出」が、邪魔になる場合がある。

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    またか

    痛いニュース(ノ∀`):【TBS】「新SASUKE」で5人重軽傷→警察に届けず公表もせず「隠蔽」

    痛いニュース(ノ∀`):「おもしろかったので…」 TBS、街頭インタビューで同一人物使う「過剰演出」

    2ちゃんねるの反応は、ノイズも多いですが、成る程と思わされる意見もあるので、痛いニュースにリンク。

    しかしまあ、凄いですね。

    『SASUKE』は好きで、よく観るのですが、基本的に、とても危険な競技ですよね。大きな怪我をしたという話を余り聞かなかったので、結構凄い事(偶然)だな、と思っていたら、公表していなかったのか…。

    勿論、自己責任の部分もあるとは思いますが、別に、運動能力の高さをチェックして選抜している訳ではありませんよね。ちゃんと、危険性とかを周知させないと。具体的にどの程度の事が行われていたかは、解りませんが。

    「スタッフが安全を確認」って、どういう意味なんでしょうね。まさか、「スタッフがやってみたが、怪我は無かった」、では無いですよね。

    何か、「視聴者に誤解を与えかねない」という表現、好きですよね。「事前に連絡」って、街頭インタビューでも何でも無いじゃないですか。

    「演出の範囲内」か…。私はもう、ほぼ全てのジャンルに、少なからず演出は含まれている、というバイアスを掛けていますので、驚く事でも無いのですが、こういったニュースがあって、「又か」と思ってしまうというのは、かなりまずい状況ですよね。

    まあ、テレビでやってる街頭インタビューなんて、全く信頼はおけないですよね。今回は、街頭インタビューでも「演出」をしている可能性があるというのが(しかも、理由が、「バラエティー」だから)、はっきりした訳です。

    腹は立たないですよね。どちらかというと、これ程何度も繰り返しているのに、それを、子どもの言い訳にしか思えない論理で正当化する所に、ある種の戦慄を覚えます。

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    2007年4月 6日 (金)

    色眼鏡

    「この人はおかしな事を今まで言っていたから、又おかしな事を言うだろう」、も、「この人はまともな事を今まで言っていたから、又まともな事を言うだろう」、も、どちらも違いますよね。論理的には、飛躍です。

    勿論、コミュニケーションにおいては、そういう判断をする事は、ままあります。(元々信頼を置いている)家族や友人が言う事は、それ程吟味せずに信用する、とか。テレビで、以前おかしな事を言っていた人が出ていたら、「どうせこの人は…」と判断するとか。まあ、それ自体は、ある程度は、仕方無いとは思います。コストを節約するという意味も、あるでしょうし。

    でも、主張の内容について、真摯に議論する場合には、そういうバイアスが、邪魔になる場合があります。「誰某が言っている”から”」、というのを、判断の根拠にする訳ですね。内容をちゃんと検討せずに。

    これは、どれ程冷静な人間でも、ある程度はあると思います。だから、常に、先入見で考えてしまってはいないだろうか、というのを、気に掛けておかなければなりませんね。

    私は、少しは出来ていると思いますが、それでも、発言者の属性を根拠にして判断してしまいそうになる事が、あります。その時は、「おっと、いかんいかん。」となります。

    省みると、大分、マシになりました。以前と較べて。前は、自分が支持している人の論が批判されていたら、その事実のみを根拠にして、反感を持ったりしました。不健全な批判精神です。それではいけないのですね。前に進めない。

    いませんか? 「この人が言ってるんだから間違い無い」、という対象が。

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    2007年4月 5日 (木)

    科学的、合理的、論理的

    ニセ科学を鵜呑みにするのは、論理的・合理的な認識力が無いからだ、という見方がありますね。

    それは、確かに正しい部分を含んでいると思いますが、もう少し詳しく見ていくと、「論理的」や「合理的」と言うよりも、「(自然)科学的知識」があるかどうか、というのが、重要なのではないでしょうか。

    自然科学とは、自然現象がどうなっているか、という事を解明する方法、及び、それによって集積された知識(方法に関する知識も含む)の体系、だと理解しています。そして、ニセ科学は、その体系と整合しない論を主張している訳ですね。ですから、それを見分けられるかどうかは、「知識の多寡」にも依存すると、考えられます。

    ニセ科学は、それ自体は、それなりに論理的なものも、ある訳ですね。自然科学の体系を無視して見れば、辻褄が合っている場合もある、という。つまり、「論理的ではあるが科学的では無い」場合が、あり得るという事ですね。

    ですから、分野が異なれば、ニセ科学かどうかが判断しにくい、という事も、起こるのですね。それは、基本的な論理的認識力が欠落しているからでは無くて、「具体的な知識に乏しい」から、なんですよね。水伝は信じなかったが、マイナスイオンの科学性は信じていた、といった様に。

    当然、ニセ科学といっても、自然科学の詳しい知識が無くとも判断出来る水伝の様なものから、判断するのにある程度の知識が必要なもの(血液型性格判断等)まで、色々ある訳ですから、ニセ科学を信ずるのは論理性が足りないからだ、とは、必ずしも言えないのですね。勿論、文脈から、「論理」や「合理」に、「科学的」という意味を含められているのは当然だ、という見方はあるでしょうから、これは、瑣末な指摘なのかも知れませんが。

    要するに、論理的である事は、科学的である事の必要条件ではあるが十分条件では無い、という事ですね。従って、ニセ科学は、非科学的であっても、非論理的では必ずしも無い、という事でもあります。

    ----------------

    おまけ。引用は広辞苑(第五版。外国語表記等、一部は省略)

    【科学】 体系的であり、経験的に実証可能な知識。物理学・化学・生物学などの自然科学が科学の典型であるとされるが、経済学・法学などの社会科学、心理学・言語学などの人間科学もある。

    【科学的】 物事を実証的・論理的・体系的に考えるさま。また、思考が事実にもとづき、合理的・原理的に体系づけられているさま。学問的。

    【論理】 1.思考の形式・法則。また、思考の法則的なつながり。2.実際に行われている推理の仕方。論証の筋道。

    【論理的】 1.論理学で取り扱う対象についていう語。2.論理の法則にかなっていること。りづめ。

    【合理】 道理にかなっていること。

    【合理的】 道理や理屈にかなっているさま。

    【道理】 物事のそうあるべきすじみち。ことわり。

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    2007年4月 4日 (水)

    不適切な発言

    人殺しの練習・異常言動・遺伝子…知事発言も様々 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    うーむ。

    こういうのって、○○という言葉を使ったから駄目だ、という事では無くて(これ重要)、「今ここで、こういう言葉を使ったら、どういう反応があるか」、というのを想像する能力が、問われている訳ですね。言葉を発する前に、ほんの少し、それをイメージする時間はある訳ですから、もうちょっと、「気を遣う」べきでしょう。

    必ずしも、発言そのものが、発言者の差別的認識等を端的に表している、という事では、無いと思います。語感の違いによる認識のズレなんかも、あり得る訳ですし。文脈(状況)も、考慮すべきです。尤も、文脈に関わらず、言い訳など全く通用しない発言も、あるのですが。”「悪い遺伝子を持った方」”という発言なんて、釈明するとか、そういうレベルのものでは無いですし。

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    思い出す

    私は、テレビの心霊を扱う番組を観たり、『恐怖新聞』や『うしろの百太郎』等を読んで、霊の実在を、完全に信じるに至りました。

    7・8歳頃の事ですから、さすがに、それ自体をフィクションとして楽しむという、メタな見方が出来る筈も無く、夜トイレにいくのも嫌だ、という感じになりましたね。そういう意味では、「漫画やテレビに影響を受けた」と言えます。

    同時に、神もいるだろうと信じていました。それは、人格的なものです。何かをお願いすれば、それを叶えてくれるかも知れない、と思いながら、神様に祈ってた訳です。特定の宗教への信仰も全く無いし、具体的な知識も無いのに、そんな感じでした。フィクションに散りばめられた、色々の宗教のエッセンスを取り込み、自分なりに解釈したのかも知れません。子どもの頃には、誰しも、そういう経験があると思います。

    そうなってしまうと、自分の脳で完結してしまうのですね。常に自分を監視する、絶対的な何者かが存在し、それが行動を規定する、という感じです。他者よりも、その「何者か」を重視するのですね。

    今振り返ると、全く良い状態ではありませんでした。異常な緊張状態なのですね。全く安らかでは無い。そして、他人を蔑ろにしてしまう。過剰な自信と過剰な不安の両方を感ずる、アンビバレンスな心境でした。

    今、ですか? 今は気楽なもんです。人間はいつか死ぬし、死んだら意識も消滅する。それに、形而上の事をどれだけ考えたって、絶対に答えは出ない(と言うか、どの様にでも答えが出せる)のだから、考えてもしょうがない、という感じです。要するに、「諦め」です。悪い意味では無くて。

    死に恐怖は無いのか、と言われそうですが、勿論、言語を絶する恐怖です。で、死について考える時は、途中で思考をシャットダウンするようにしています。「こっから先を考えると、狂うな。」という所に、行ってしまったので。多分、この方向だと、これ以上はいけない、と判断したので、ある意味で楽になったのですね。それを否定するには、前に戻るしかありませんので。

    だから、今をちゃんと生きなくちゃ、と思ってます。まあ、これは全然出来てないし(恥ずかしくなるくらいに)、「ちゃんと」て何だよ、とも思いますけど。

    ----------------

    kikulog覗いたら、田部さんが、同じ様な事を書いておられましたね。このエントリー自体、AOMURASAKIさんのコメントを読んで、書こうと思いました。

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    2007年4月 3日 (火)

    不思議だらけ

    MORI LOG ACADEMY: 子供の疑問

    ホント、これに全部答えられる大人が、一体どれだけいる事か。訊かれたら、どう答えるでしょう。

    私、8)と9)しか答えられませんが…。7)と8)の間に、線が引けますね。

    10)の答えは何だろう?

    「自然の神秘」「生命の神秘」という言葉を使うのならば、そのまえに義務教育の範囲だけでも科学的知識を身につけるべきである。

    正にその通り。科学を知らないのに、「科学では解き明かされない神秘」とか安易に言ったり、「まだ科学では解明されていないものがある」(リンク先より引用)と主張したりするのは、浅薄なんですよね、実際。「知って」から、言いましょう、そんな事は。

    で、こんな事を書くと、傲慢だと取られるんですよね。仕方が無いですが。

    身の回りには、科学技術によって生み出されている道具なりに溢れていますが、その仕組みを、どれ程理解しているでしょう。ひとたび、身近なものに目を向ければ、自分の家でも、そこは、不思議の宝庫です。

    1. どうして、ハンドルを捻ると、蛇口から水が出るのですか。
    2. どうしてテレビには映像が映り、音声が聞こえるのですか。
    3. 水洗トイレは、コックを回すと、しばらく水が流れ、やがて勝手に止まりますが、何故でしょうか。
    4. ボールペンで字が書けるのはどうしてですか。
    5. 接着剤で物がくっつくのはどうしてですか。
    6. ホッチキスの針は、どうやって作られているのですか。
    7. ポッキーに、茶色い斑点の様なものがついていますが、あれは何ですか。
    8. 鍵を回すと、どうして、ドアが開いたり開かなくなったりするのですか。
    9. リモコンでチャンネルの操作が出来るのは、何故ですか。
    10. CDには、どういう仕組みで音とかを保存しているのですか。
    11. 扇風機の風を受けると「涼しく感じる」のは、何故ですか。
    12. 冷蔵庫では、何故、物が冷えるのですか。
    13. エアコンは、どういう仕組みで、室内を冷やしたり暖めたりしているのですか。
    14. ねじ回しで、持つ所が太い程、楽に回せるのは何故ですか。
    15. プラスチックの模型は、どうやって製造されているのですか。
    16. ピアノは、どういう仕組みで音が鳴っているのですか。
    17. バイオリンは、どういう仕組みで音が響いているのですか。
    18. 眼鏡を掛けると、どうして、今までよく見えなかった物が、見えるようになるのですか。
    19. 刃物で物を切断出来るのは、どうしてですか。
    20. 何故、ハンドルを回転させたら、そこから離れている所にある車輪の角度が変わるのですか。
    21. 野球で、ボールが「150キロのスピード」と言われますが、これは、どういう意味ですか。
    22. 天気予報で、「○○の確率は○○%」と言われますが、これはどういう意味ですか。
    23. 鳥が飛べるのは何故ですか。
    24. 飛行機が飛べるのは何故ですか。
    25. 缶ジュースの中身は、どうやって入れられているのですか。
    26. マウスを動かすとポインタが動くのは、何故ですか。
    27. ボールマウスと光学式マウスは、仕組みがどう違うのですか。
    28. キーボードのキーを叩くと、そこに印字されている文字がディスプレイに出力されるのは何故ですか。
    29. 包丁で、押したり引いたりすれば切れるのに、刃に直交する方向に押し付けても切れないのは何故ですか。
    30. 刃物を研いだら切れ味が増すのは、何故ですか。そもそも、「研ぐ」とはどういう意味ですか。
    31. 研ぐ繋がり(笑) 米を研ぐのは、どういう意味があるのですか。研がなければ、どうなるのですか。
    32. 掃除機は、どの様にして、物を吸い取っているのですか。
    33. 電話で、相手の声が別人のものの様に聞こえる事があるのは、どうしてですか。
    34. 鏡に物が映るのは、何故ですか。
    35. 定番。空はどうして青いのですか。

    適当に、思い付いたのを書いてみました(50個書こうとしたけど、思い付かなかった…)。こういう事に目を向けてみると、科学や技術の広大さ、精密さに気付き、どれ程、自らが恩恵を被っているか、というのを思い知らされます。

    どうでしょう。漠然と、科学的に解明されていない、とか言うより、身近なものが、「どうしてそうなのか」、というのを考える方が、余程良いと思うのですが。

    あ、上の問い、自分も答えられないのも入ってます(正確さを求めると、ほぼ全て答えられないです)。気になった方は、ご自分で調べて下さい(笑)

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    保留する事

    corvoさんの、鴉工房: 絵画は答えを知っている。で楽しませて貰って、「馬鹿話」で、お洒落なネタを堪能したのですが、読んでいて、少し、教訓の様なものも、得られました。

    というのも、最後まで読んでも、「具体的にどの部分がネタなんだろう?」と、解らない所もあったのですね(昨年のエイプリルフールのネタ)。勿論、大部分は、常識の範囲で気付けるものなのですが(アロサウルスの、ブラキオサウルスの狩り方のネタとか、恐竜の死因説とか最高です)、自分の知らない術語を絡めて論じられていたりすると、「ほー、そうなのか」と思う所も、あるのですね。自分の明るくない分野の話だと、やはり、信じ込んでしまう事も、結構起こり得るのでしょうね。ニセ科学を信じる場合にも、そういう認知が働くのでしょう。それは、誰にでも起こる可能性があります。これは、肝に銘じておかねばならない事だと考えています。

    何しろ、私は、ブラキオサウルスの首がほぼ水平だったという説を、川端さんの小説やcorvoさんのブログで初めて知ったくらいです…。子どもの頃に見たイメージが、強く残っていたのでしょうね。

    現在残された少ない痕跡から、当時の生物の構造や生態を推測し、それを復元していく、というのは、大変、知的好奇心を揺さぶられるものなのでしょうね。圧倒的に壮大なスケールの、ミステリーですね。私も、川端さんの小説を読んで、「こんな面白い分野があったのか!」と思いました。

    全くどうでも良いのですが、私が子どもの頃、一番好きだった恐竜は、トリケラトプスでした。あの三本の角と、フリルが付いた頭部に、カッコ良さを感じてました。

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    2007年4月 2日 (月)

    アップ

    Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 動画投稿サイトに政見放送、選管「法に抵触の可能性」

    某氏の政見放送とか、大人気ですね。私も観て、衝撃を受けましたが。

    まあ、その内削除されるのでしょうね。

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    次元が違う

    フェルプスは化け物ですね。

    一体、どういう身体してるんだ…。

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    2007年4月 1日 (日)

    ことばのちから

    檜山さんのブログに、kikulogでの議論が紹介してありましたね。で、corvoさんのコメントから辿って、改めて、corvoさんのブログ(鴉工房: 「水からの伝言」って何だ)で行われた議論(自分も参加)を読んだのですが、重要な意見が、沢山ありますね。

    私が思っているのは、言葉に力が持たされてしまう事への懸念です。語形と語義が一対一に対応している様に思い込んで、それが物質の振る舞いとも直結している、という認識を形成した場合、生きているだけで、「悪い言葉に晒されている」と考える事にもなりかねない訳です。
    水伝など知らない人間の方が、圧倒的に多いのですから、「悪い言葉」なんて、そこらじゅうを飛び交っているのですよね。それが、自らの身体を切り刻む刃となるのです。矢の雨が降り注いでいる様なものですね。これは、たまったものでは無い。
    では、その状況から抜け出すにはどうすれば良いか。

    • 社会との関わりを断絶する。
    • 人類全てが同じ価値観を形成する。

    この様な認識に、至るのではないでしょうか。これは、とても、肯定的には受け容れられませんよね。

    感謝の言葉を使いましょう、というのは、一見、とても良い教えに思います。でも、感謝の言葉というのは、客観的に存在するものではなく、「みんなが感謝の言葉だと思っているもの」の事なんですよね。そもそも「感謝」とは、感謝すべき「相手」がいて、成り立つ概念です。相手が「どう思うか」を考えないと、いけないのです。水がどうなるから、とか、そんな問題ではありません。相手が自分に、感謝の言葉を、「水が綺麗になるから」掛けている、というのを、受け容れられるでしょうか。

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    漫画教科書

    Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - 漫画教科書 高校生向け数学2で初登場 意見付き半分削除

    私は、こういう企画には、大賛成です。どんどんやって欲しい。

    ただ、やるからには、ちゃんと、大切な所を押さえて、漫画としてもしっかり成り立つ様に、やって頂きたいですね。

    たまに、(前にも書きましたが)漫画にしている意味が全く無い物も、ありますよね。漫画としても中途半端だし、学習参考書としても、良い出来では無い、という。

    本当に漫画としても面白くするなら、ある程度、無駄とも思える演出も、必要だと思います。読者を掴むプロットや、キャラの設定が練られていないと、テキストの内容を無個性なキャラクターに喋らせただけの、駄目な物になりかねませんからね。そういう意味では、「教科書」に用いるのは、現実的には、難しいかも知れませんね。少なくとも、「画を使っていれば興味を持ってくれるだろう」、という安易なやり方には、なって欲しくないです。それは、子どもも漫画文化も馬鹿にするものですから。

    詳しい内容は解らないので、余り適当な事は言えませんが、

    申請段階では「どうじゃ、わからんだろう」などとユニークな話し方をしていた教師役は修正後、すべて「です・ます」調になった

    余りにも激しくナンセンスだと思うのですが、どうでしょう?

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