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2007年4月に作成された記事

偏らず

 私は世界がそれほど単純な白や黒だとは思わない。だからこそ曖昧で矛盾のある灰色の部分に踏み込み、問いを発し、よく聞き、論争や対立のある立場を理解する努力をすべきだと強調したい。(E.F.ロフタス・K.ケッチャム『抑圧された記憶の神話 偽りの性的虐待の記憶をめぐって』 P51)

正に同感。どちらにも偏る事なく、冷静に物事を見つめ、中庸を心掛けたいものです。

抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって Book 抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって

著者:E.F.ロフタス,K.ケッチャム,仲 真紀子
販売元:誠信書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

本書は、傑作です。読み物としても、大変面白い。科学的方法についても考えされられます。Amazonの書評が少ないですが、もうちょっと付いていても、良さそうなものなのに…。

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説明しない、って…

ドラゴンさんが、apjさんの掲示板に貼っておられたのですが⇒恒等式の導入はこう授業する

数学IIの授業でこれは、いくら何でも…という感じです。

恒等式の定義が分かりにくく書いてある。また、定義が2つ書いてある。これを説明せずに教える。

「説明せずに教える」って、一体どういう事でしょうね。定義を論理的に理解する様に「教える」のが、肝なのだと思いますけれど。

「さんはい」で一斉に言わせる方式だと、名前は憶えるが意味は解らない、となる気がします。穴埋めの試験には、役立つかも知れないけど…。

ところで、いきなり話は替わりますが。

私は、授業中に、教科書(の重要な語句)にアンダーラインを引かせるのって、どうなんだろう、と思います。単なる作業になりがちなんじゃないかなあ、と。「この語句を憶えよう」という認識ですよね。他の概念との関係性を理解しよう、では無くて。

教科書の内容をノートに写すのも同様、だと思います。あくまで個人的な考えですが、ノートに書き写したり、アンダーラインを引いたりするのは、「勉強をした”痕跡”を残す」のと、文字を書く訓練くらいにしかならない、と考えています。丸写しする暇があったら、脳内で、他の概念との関係性を展開したり、それが上手くいかなかったら、何かに書き出したりする、というのが、良いと思います。

暗記をさせる教授法は、クイズに答える様な能力は、鍛えられるかも知れませんが、それは、本当に理解した事には、ならないですよね。線を引いたりは、ほんのちょっと、記憶の効率を高めるかも知れませんが(想起の時に役立つかも)、どうなのでしょうね。

これは経験談ですが、高校の頃、とある教科で、定義も含めて丸暗記させられた事があります。勿論、そんな憶え方をした知識ですから、今は、綺麗さっぱり忘れています。でも、テストで良い点は取れるんですよね、それが出来る人は。そもそも、試験がその様に出来ている訳ですから。だから、一夜漬けなんてものが、それなりに役立つ(役に立ってしまう)のですね。

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もうちょっと

ミランカ(※重いです)

無料放送にも、結構面白いコンテンツがあるのですが、いかんせん、重い。激重です。私の環境だと、ライセンス発行から再生まで、数分間掛かります。

更に、再生環境がWindowsのみ、というのも…。そこら辺は、VODサービスとしてどうなんだろう、という感じです。

『まんとら』の、みずしなさんのネタが、面白かった…。

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ペルソナ

ブログでも掲示板でもチャットでも、お互いの素性を知らず(実際の知り合いでは無い、という事)、テキストベースでコミュニケーションをする際、自己を理想化したかたちで、表現する場合がありますよね。

言葉遣いを、普段では考えられないくらい丁寧にしたり、日常より遥かに論理性を重視した発言をしたり。

「こうありたい」というパーソナリティを、WEBで実現している、と言うか。

「掲示板なんかでは、顔が見えないから好き勝手言える」、という、象徴的な言い方がありますが、一面的には、当たっているのですよね。ただし、「好き勝手」というのは、ちょっとネガティブな意味合いなので、自由度が高い、とでもいうべきかも知れませんが。

その意味では、確かに、仮構的な所があるでしょうね。

そういうのは、良い方向にも悪い方向にも、いずれにも行く可能性があります。年齢や性別や経歴によるバイアスを気にせず(場合によりますが)議論を戦わせ、認識を深め合ったり、普段なら激昂してしまう様な事をされても、理想化した人格を考え、それに整合した、冷静な態度を採ったり。裏返すと、好ましく無い事になる訳ですが(すぐ暴言を吐いたり、強烈に、自尊心を肥大させたり)。良くも悪くも、「ぶっちゃける」事が出来る、という感じでしょうか。

だから、礼節を守って、大切に使っていきたいものですね。

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クリエイティブ

職人技を超えてしまった食品ロボット (イノベーションで切り拓く新市場):NBonline(日経ビジネス オンライン)

面白い。

常に考え続けているからこそ、創造的な思考が出来るのでしょうね。

色々な工業製品の製造工程を見ると、その機構に、思わず唸らされる事が、ありますね。科学者や技術者の叡智の結晶、と言う感じです。

サイエンス チャンネル | シリーズ紹介:THE MAKING

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ラジオが効くかはともかくとして

ラジオは脳にきく―頭脳を鍛える生活習慣術 Book ラジオは脳にきく―頭脳を鍛える生活習慣術

著者:板倉 徹
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

別の本を探していたら、偶然目に入ったので(Interdisciplinary: いい加減、「脳に良い」は、やめませんかで触れたので、目に付いたのでしょうね)、序章を読んでみました。

案の定、ゲーム脳について、言及してありました。

ゲーム脳を森昭雄氏が提唱し、それに対する批判がある事は認識していながら、敢えてそれには触れないと言い、結局、ゲーム脳の様な現象はあるかも知れない、と主張する論理の展開。この手の論者にありがちですが、ゲームの内容には触れていません。

更には、「犯罪の増加」や「ニート」の問題とも結び付けて、論じられていました。

他の部分は読んでいませんが、序章だけでも、充分批判に値します。

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新作?

ファミコン、13年ぶりの最新作ソフト!? : Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン)

バラエティ;TVゲーム ジェネレーション~8bitの魂~

おおっ。これはいい。

こういうコダワリって、最高ですね。

オフィシャルサイトに、マスターシステムの画像が…。あのハードには、微妙な思い出があるのです(笑)

こんな番組があったのかあ。スカパーは、解約して久しいから、知りませんでした(MONDO21も、観てたんですけどね)。

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真の連帯って、何よ?

■いま解き「ナゼ信じてしまう!?血液型性格診断」

うーん、『VOICE』、相変わらずGJだなあ。

「血液型性格診断を広める活動を行っているNPO」の、

血液型人間学は人間の本質的な共通性を探ろうとするものであり、その目的は社会の真の連帯と人間愛を育てることにある

これ、余りにも、意味が解らないんですが。

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ノイズ

ロテ職人の臨床心理学的Blog: ネット上の議論における感情表現

私もそう思いますね。議論においては、感情表現をなるべく控えないと、建設的なものにはならないでしょうね。

用いられる単語・用語・概念だったりの定義が全ての人に共通するものならば「内容」は容易に伝わるはずなのですが、必ずしもそうではなかったりするのですよね。「自分にとって普通だと思われることが、他人とっては普通ではない」場合があるからこそ、自分と相手が使っている言葉の意味を明確にしながら、確認しながらでないと、議論は成立しえないでしょう。

相手が言った事を、脳内辞書で解釈し、誤解したまま批判を繰り広げる、というのは、結構見られます。「相手はどんな意味でこの語を用いているのだろうか」、という、「読み」が、必要だと思います。

私も、出来るだけ、感情表現は、用いない様にしています。そうすると、「冷たい」感じの文章になるんですけどね。それと、丁寧な言葉遣いを、心掛けています。日常生活では絶対に有り得ない様な(笑) これは、余り、相手の感情を動かさない為の、方略ですね。尤も、慇懃無礼と取られる可能性も、ある訳ですが。

ロテ職人さんが仰る様に、テキストベースのやり取りでは、情報量が圧倒的に少ないですから、慎重に言葉を遣っていかないと、誤解を生んでしまいますね。

私は、「相手が何を言いたいか」を、出来うる限り、忖度するべきだと考えています。「相手を言い負かす」のが目的の議論では無い訳ですしね。

結局、「ずれ」が生じる、という事なのですよね。そして、感情表現は、正に個人で完結するものであり、それを確かめるのは難しいので、議論の場では、ノイズとして作用してしまいます。

でも、「自分はどうなんだ?」と言われそうですが…。ある程度は出来ているかな、とは自覚していますけれど。どんどん指摘して頂ければ、ありがたいです。

そうそう、誤解されるとあれなので。

ここで言っているのは、「議論において」、という事ですね。雑談の様なやり取りだったら、構わないと思います。と言うか、それなら、私も書きますしね。

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どこへ、と言われても

痛いニュース(ノ∀`):【論説】 「『盗んだバイクで~』 尾崎豊の歌、最近の若者は受け入れず…体制や大人への反抗心はどこへ?」…朝日新聞

asahi.com:没後15年尾崎はどこへ 消えた反抗心 - コミミ口コミ

とっても素朴な意見かも知れませんが。

「周りに迷惑をかけるのは間違い」「大人だって子供のことを思っているのに反発するのはおかしい」。体制や大人に反抗するのはいかがなものかという声だ。

本当にこういう傾向になっているのだとすれば、これは、好ましい事なのでは? 成熟した認識ですし。大体、そういう意見が本当に増えているのか、不明です。で、ここから何故、

香山さんは「成長プロセスにおける仮想敵だったはずの親や先生の善意を屈託なく信じている」と首をかしげる。

こうなるのか、よく解らない所です。「善意を屈託なく信じている」、というのは、違う話だと思いますが、どうなんでしょうね。香山氏の観察による根拠が、あるのかも知れませんが。「反抗の仕方」の考え方の違い、なのでは。

尾崎が歌ってきたのは、若者にとって普遍と思われるテーマだったはずなのに、嫌悪にも似た反感が生じている。

そうなんですか? 私や友人達は、どちらかというと、好意的にはとっていませんでしたけれど。といって、体制に迎合する、という感じでもありませんでしたが。と言うか、他人の歌を好きだろうが嫌いだろうが、どっちでも良いのではないかと。

当時の若者が皆、尾崎氏に共感していたかの様な書きぶりですねえ。そんな事、全然無いと思うんですけどね。

そもそも、尾崎氏自身の心情を勝手に解釈して、それを押し付けてません? 仮に、その解釈が妥当であったとしても、それに対する反応から、社会全体の特定の層の傾向を分析するのって、無理があると思いますが、いかがでしょう。

追記:文系白書ブログ: 香山リカの温い分析(=_=)でも、取り上げられていました。そうそう、そんなにややこしい事じゃないんですよね。体制に反抗するとかどうとか。あそこから、若者全体の心性に思いを馳せる、というのは、想像力が豊かと言うか何と言うか。

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前提

新米家庭教師の独り言: ゲーム脳の弊害について

引用は前後します。

『ゲームはどんどんやっていい。そのかわり同じ時間は勉強しなさい』

これは、とても、良い指導の仕方なのではないかと思います。

ですが、ゲーム脳については、もうちょっと、慎重にお考えになった方が、よろしいのではないでしょうか。

直観力のみに頼る、答えは誰かが教えてくれる、

深く物事を考えない、などといった弊害が予測されます。

いや、予測されるどころか、実際に生徒と接しているとそう感じます。

これは主観ですよね。単なる主観は、妥当であるとは限りませんよね。たとえ、その見方がある程度正しかったとしても、それが、ゲームをやったからだとは、断言出来ないと思いますが、いかがでしょうか。「感じ」た事が、一般的にも見出されるかどうかを確かめるには、科学的に分析されなければなりません。

その他の部分は、とても共感出来ます。子ども達の身になった指導をしておられる事が、文面から推測されます。ですが、ゲーム脳という概念を肯定的に受け取って(たとえ、保護者や子どもの前で、その語を口にしないとしても)、それを前提にするのは、妥当では無いと、私は考えます。

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正論?

週刊正論 ゲーム脳を病んだアダルトチルドレンたち

えっと、本気なのですよね? 縦読みでも無さそうだし。

何がどう正論なのか、さっぱり解らないのですが。そもそも、文章が、破綻しきってますけど。自分が正論だと思ってる事が正論なんでしょう、多分。

腹が立つとかじゃ無いですね、これは。ちょっと違う感情ですね。

これ程のレベルの文章は、スルーすべきなんでしょうが、不特定の人間の目に触れる訳ですからね…。

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反証と言うか

非中枢的身体論-武道の科学を求めて

つまりこの論考は「反証されること」を前提に書かれている。

「できるだけ反証が容易であるように記述する」

と書かれているわりには、殆どが、反証がしにくい、独自の言葉遣いですね。

(1)できるだけ一義的な術語を用いること(2)できるだけアクセスが容易なデータを論拠とすること(3)できるだけ単純な命題にとりまとめること。

これも、守られている様に思えないです。そもそも、どこがどう”「武道の科学を求めて」”なのかが、解りません。

「中枢からの指令抜きで、手足を動かす」ということである。身体が知覚情報を「現場で処理する」ということである。

これは、中枢神経を介さずに、反射運動が起こるという事でしょうか。武道の様な複雑な運動で。視覚情報に応じた反応をする際に、どの様に処理するのでしょうね。心理学的・生理学的に、どういったモデルを想定しているのでしょう。それが示されていないので、反証も何も無い、と思うのですが。「現場で処理」とは、科学的にどういう現象ですか。

肩に支点を作ったりする必要がない。

この「支点」とは、どういう概念でしょうか。はっきりしませんね。

 私の稽古している合気道においても、「人形のように身体を遣う」ということは身体運用のイメージをつかむ上ではきわめて効果的な比喩である。例えば、運足において、「身体を統御している私の発する指令によって足を前に進める」という意識をもって動く場合、この動きは必ず中枢的なものになる。つまり、一方の足に支点を作り、そこに重心を乗せて、そこを踏ん張るようにしてもう一方の足を前に進めるような運足になるのである。

「人形のように」という比喩、効果的な場合もあるでしょうが、私としては、身体の解剖学的構造、生体力学的メカニズムに目を向けさせなくなる、大きな弊害がある事も、認識しなくてはならないと思います。何か外的なものに動かされている、というイメージは、ほどほどにすべきでしょうね。注意の資源を、自己の身体に向けさせる事が、肝要です(つまり、自分の身体がどう動いているか、というのを、自然科学的に分析する)。それから、「必ず中枢的なものになる」、という断定的表現は、どの様な根拠からでしょうか。そもそも、「中枢的なもの」、の、意味が不明確です。何故に、一方の足に支点を作り云々という話が、「中枢的なもの」と、表現されるか、よく解りません。

身体の内側には運動の支点が存在しない。

「運動の支点」とは? 意味内容が不明確なので、「存在しない」等と言われても、解りません。

中枢的な運足では、動き始める前に支点となる蹴り足を踏ん張るので、

「支点となる蹴り足」を踏ん張る、というのは? 膝関節の伸展や、足首関節の底屈の事でしょうか。であれば、それが重心の上下動を起こし、動きが読み易い、という事はあります(更に、重心を充分前にやらないと、膝関節の伸展では、前方に移動出来ない)。で、それが何故、「中枢的運足」なる言葉で説明されるのでしょう。

「私の外部」に運動の操作主を想像的に設定し、

上にも書きましたが、ほどほどにすべきでしょうね。勿論、そういったイメージが、高い効果を生み出す事はあると思います。

「武道の科学」とは、「私はいま修業上のどの段階におり、いかなる技法的課題に直面しているのか」という技法的な問いと、「私は武道を通じてどこへ行こうとしているのか」という原理的な問いを統一的な枠組みのうちで、一義的な言語で語ることを可能にする学知である、と先に私は書いた。本論考はそのような学知を「希求する」試みの一つである。

ここで言われている「科学」という語の意味が、今一つ解らない所です。広く「学問」と同様の意味と捉えれば、理解出来なくもないですが、そもそも武術・武道とは、身体運動です。人間の身体は、解剖学的構造・生理学的機能に規定され、運動を行う、自然科学的存在です。それを踏まえるならば、内田氏の論考は、余りに思弁的に過ぎる、と言えるのではないでしょうか。そもそも思弁的仮説? なので、それに反証するのは、出来ないでしょう。思弁に思弁で返すという、無意味なやり取りになってしまいます。

----------------

読解するのに、とても疲れる…。

この言説を「科学」だなんて言われたら、科学者は、クラクラするんじゃないですかね。

高岡英夫氏が、『武道の科学化と格闘技の本質』で論じておられましたが、武道・武術というのは、そもそも実体的・力学的現象なのですよね。実証科学的に分析しなければ、話にならない。

武術やスポーツで、無意識的に身体が動くという、レベルの高い運動は、脳に、高度な情報処理系が構造化されているから実現される訳でしょうから、脳(中枢神経)が介在しない筈は無いですよね。そういう事が言いたいんじゃ無いのかな。「現場で処理する」って、何だろう。感覚記憶とかは無視ですかね。もしかして、単なる比喩か? それだったら、こんな批判、意味が無くなっちゃいますね。と言うか、全然科学じゃ無いし。

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メイドが作る

タイトル、意味が解らんですね(笑)

スカパーで、サイエンスチャンネルの番組表を見ていたら、こんな番組が⇒サイエンス チャンネル | シリーズ紹介:made in ☆ 秋葉原

ううむ、こんな所にまでメイドが…。面白い。

観てみました。

ご主人様…って、えーっ!

一体、どんな層の視聴者を対象にしてるんだろう。

ところで、いきなり話は替わりますが、子ども達には、サイエンスチャンネルを見せるのが、良いと思います。いい番組が、沢山ありますよ。

こういうのを観ていると、色々やりたくなってきますね。ラジオなんかの電子工作とか、最近だと、ロボットとか(高いけど)、『大人の科学マガジン』とか。そういうのって、子どもの頃にねだって、買って貰えなかったんですよねえ。

ラジコンもやりたいし、ガンプラも再開したいし…。キリが無い(笑)

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教科書に…

南山堂/新保育学

コラムも「ゲーム脳」「受精卵診断」等の今日的な話題を多数掲載.

むう…。

南山堂/新保育学/目次

コラム:メディアに蝕まれる子どもの生活
コラム:携帯電話による健康被害
コラム:ゲーム脳
コラム:性的虐待を予防するには
コラム:心的外傷後ストレス障害(PTSD)

むむう…。これだけでは断定出来ないですが、この「並び」だと、ゲーム脳を肯定的に扱っていると、推測出来ます。新保育学 :: ActionBrowserで内容を読むと、「コラム:メディアに蝕まれる子どもの生活」は、テレビの影響の弊害を説いています。とすると、ゲーム脳についても、そうでしょうね。

医学関連の教科書ですからねえ…。肯定的な紹介とすれば、激しくまずいでしょう。機会があれば、内容を調べてみようかな。

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分子生物学的?

某ブクマ経由⇒分子生物学的武道論 (内田樹の研究室)

あの…、端的に言って、全く意味が解らないんですが。

何故か、はてブで絶賛されてる…。

もしかして、私の読解力が、絶望的に低いんですかね?

何で、武道の動きの説明に、あんなアナロジーを用いるんだ。しかも、滅茶苦茶飛躍してません? 皆さん、ああいうのが好きなのかなあ。ぶっちゃけ、あんな説明で、武術を、訳が解らん文化っぽく表現しないで欲しい。

皆さん、武道論の部分、意味解ります? 私には、さっぱり。

武術的には、相手を緊張させなくちゃ駄目ですよ。バイオメカニクス的にも。武術とか武道とかの、意味が違うのかも知れませんけどね。「武道」に、どういう意味を含めたいんでしょうね。

後、「分子生物学的」って、何か違う様な。福岡氏が分子生物学者、ってだけの気が。

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掛けたりはずしたり

(前略)人間の推論は,論理学で扱われている論理系における推論とは,大きく異なっている。論理系における推論は,前提から推論の規則に従って妥当な(ないしは相対的に確かな)結論を導き出すことであり,それ以外のあらゆる知識を利用するのを認めないのに大して,人間はむしろさまざまな暗黙の知識を投入しようとするからである。もちろん,時には,形式的に正しい推論のみによって結論を導こうと試み,それが不可能であれば,結論を保留するほうが好ましい場合もある。見解や利害の対立する人が論争する際や,高度に確実な知識の体系の確立を目指す際などがこれに該当する。したがって,要求されれば,内容とはある程度独立して形式的に正しい推論ができる,という能力は重要であり,そのための教育や訓練も必要に違いない。しかし、既有知識や文脈を精一杯利用して,そこからできるだけ有用な推論を引き出そうと試みる人間の推論能力にも,それなりの「敬意」を払うべきであろう。(『学習科学』 放送大学教育振興会 P106)

以上は、心理学者の故・波多野誼余夫氏による文章ですが、私も深く共感します。以前に、「色眼鏡」と題してエントリーを書きましたが、色眼鏡を掛けたりはずしたりが出来る様にするべき、という事ですね。で、その為には、「はずす練習」が欠かせない、と思います。

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教え、教えられる

不思議缶ネットワークの子どもたち―コンピュータの向こうから科学者が教室にやってきた! Book 不思議缶ネットワークの子どもたち―コンピュータの向こうから科学者が教室にやってきた!

著者:美馬 のゆり
販売元:ジャストシステム
Amazon.co.jpで詳細を確認する

以前、ドラゴンさんに教えて頂いた、「不思議缶ネットワーク」の活動を纏めた本です。

大変素晴らしい内容。皆さんにもお勧めします。是非お読み下さい。

P118からの、一人の児童から発せられた問いに始まった議論(ニセ科学やスピリチュアルと学校教育との関係とも、密接に関わります)や、科学の原理についての応援隊同士の議論等、大変興味深いやり取りがあります。又、子ども達への回答の仕方等の議論では、どの様にして向き合っていくか、という所についての戸惑いも語られていて、とても興味深いです。

子どもにものを教える、というのは、詰まる所、子ども達と一緒に考えていく事、なのだと思います。いかにも陳腐な言い回しですけれど、本当に、そう思っています。決して、既成の知識を押し付けるだけでは無い。そう考えます。

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体罰

『太田総理』を観て。

体罰云々。

私は多分、太田さんとか原口さんの意見に近いと思います。

攻撃で押さえ込むのは有効か?

賛成している人は、攻撃について、恐ろしくナイーブなんじゃないですかね。

攻撃に対する感受性は、幼少の頃の経験に、かなり影響される気がします。

ところで、

体罰を容認するとして。

体罰は、肉体的に抑えつける事ですね。

抑えつける程の、体力的能力が無い人がいますね。

はっきり言いますが、

私のいた学校も、そこそこ荒れていて、教師が攻撃する事は、結構ありました。

で、ですね。

狡猾な奴ってのは、非力な教師を選択して反抗したりします。

女性の教師を泣かしたりね。

色んな所に、「皺寄せ」来ますよね。

それから、

無茶苦茶理不尽な攻撃をする教師も、いたりする訳ですね。

傍から見ていて、何故あいつがぶたれたのか意味が解らない、とかね。

殴って、何故殴ったかを言えば、相手は解ってくれる、という言い方もありますけどね。

何となく殴るのも、いるんですよね、実際。

でも、体罰と単なる「暴力(ここでは、正当な理由の無い攻撃)」との線引きは難しい。

いや、正確に言えば、それは不可能。

だからこそ、太田さんが言う様に、それを初めから容認してしまって良いの? という思いがある。

攻撃の行使は、常に正当な理由に拠るのか。

そんな事は無い。

教師は人間だ。

良識のある者もいるし、そうで無い者もいる。

それを理解すべきだと思います。

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何を言いたいのかな…

痛いニュース(ノ∀`):「ゲームは時間を奪う。ゲームで感動は難しい。ゲームなんて文化じゃない」… 内閣知財戦略本部コンテンツ専門委員会

はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):「ゲームは時間を奪う。ゲームで感動は難しい。ゲームなんて文化じゃない 」… 内閣知財戦略本部コンテンツ専門委員会

知はうごく:コンテンツ力(7-3)日本の戦略|エンタメ|カルチャー|Sankei WEB

「戦略的に全部やるのは大変だ。毛沢東がいうように一転突破全面展開が望ましい。ただ、実写映画は厳しい。ハリウッドとか中国の金のかけ方とか人のかけ方はすさまじい。それで、アニメとか漫画とかということになった。ゲームについては、ぼくは異論がある。アニメや漫画は感動をもたらすけれど、ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。宮崎さんとか他のアニメ見て、人生変わったという人はいると思います。心ふるえるほどの感動とか、ゲームは若干難しい。ビジネスとしてはいいかもしれないが、恨みをもたれる。かつてのエコノミックアニマルのコンテンツ番みたいにね。敬意も払ってくれない」

ふうん…。

どうなんでしょう。これ⇒BIT LITERACYとかこれ⇒浜野保樹の「日本発のマンガ・アニメの行方」 : Hotwired:第8回 グローバル・コンテンツの襲来とかを読むと、別に、ゲームに関して無知である、という事でも無さそうですけれど。

「私はそう思う」が、強く出過ぎに読めてしまいますね。少なくとも、日本のゲーム文化に批判的な意味合いではありますし。どの様な根拠での発言かは、知りたい所です。現状認識が妥当か、という問題でしょうし。でも、痛いニュースのタイトルは、無茶苦茶ですね。どこにも書いてない事(「ゲームなんて文化じゃない」)をタイトルにしちゃ、いかんでしょう。

震える様な感動を覚えたゲームなんて、数え切れない程あります。他の文化より圧倒的にね。だから好きなんですよ。ちょっと、侮辱されている感じを、読んだ瞬間に覚えました。あの言い方(書き方)だとね。

懐疑的に見ると、インタビューが恣意的に編集された可能性も、あり得ますけどね。宮本茂氏の発言を曲解した情報をそのまま載せた事も、ありますし。今回は、直接のインタビューなので、考え過ぎかも知れませんけれど。

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実は最初、このエントリー、浜野氏を強く批判するものでした。記事にあるインタビューの内容が、充分批判に値する、と考えたからですね。ただ、余り知識が無いのに批判すると、以前の坂元氏への反応と同様になってしまいかねないので、慎重な表現に換えました。

とは言え、「ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。」←この発言ですからね。過去に何を言ったか、という事を切り離しても、充分批判の対象になるとも思います。浜野氏の立場を鑑みれば。

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VODで、ニセ科学批判

ミランカ内のコンテンツ、『博士も知らないニッポンのウラ』を観ました(要無料会員登録。ページ、かなり重いです)。追記:corvoさんに教えて頂きましたが、再生は、Windowsのみで出来ます。残念。

これは、必見であります。

前半は、堀江貴文被告についてですが(個人的には、これも、興味深く観ました)、その後は、ニセ科学やスピリチュアルについて、宮崎哲弥氏、唐沢俊一氏と共に、語られています。血液型性格判断・水伝・ゲーム脳から、細木氏や江原氏の番組まで、広く扱っています。

全部で90分で、かなり濃い内容です。

絶対に、地上波では流せない(笑)

しかし、改めて思ったのですが、博士さんは、かなり勉強しておられますね。感心しました。

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怨恨感情

あれですね。

ルサンチマンに飲み込まれた心性というのは、大変厄介です。

周りの現象悉くを、ネガティブに捉えるのでしょうね。

色々なきっかけがあるのだと思います。

行き着く前に、心のわだかまりを解きほぐしてくれる人がいるかどうか、というのは、とても重要な事だと思います。

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頭に良い

これをやれば頭が良くなる、という課題を、考えてみました。

3DCG作成ソフト、「Blender」を用いて、人体を精密にモデリングし、フォトリアルなレンダリングを施せ。ただし、参考資料は、WEBのみを用いて収集する事。他人に助言を求めてはならない。

実写と見分けられないくらいのものが出来れば、相当賢くなってますよ。多分。

当たり前ですけど(笑)

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あれもこれも

亀@渋研Xさんの所(PSJ渋谷研究所X: なぜ流行る「脳の活性化」ツールとしての「大人の塗り絵」)で、いくつか紹介されていますけれど、まあ、色んな「売り文句」が、あるものですねえ…。

やっぱり思うのは、「一石二鳥」を求める心性をくすぐっているんじゃないかなあ、という事ですね。あれです。美味しくて減量効果がある食べ物があれば良い、というのと一緒です。問題は、「ホントに効果があるの?」という所なんですけどね。食べ物だと、「ホントにやせる(のを促す)効果があるの?」という。

後は、「難しく考えなくても、効果があるもの」を求めている、というのもあるかも知れません。あれです。お腹にベルトをつけてブルブルやれば、疲労感とか無くても、運動の工夫などしなくても、勝手に、みるみる内に細くなる、という、あれ。あんな感じです。

脳を使いたいなら、色々な事に興味を持って自分で調べる、つまり、好奇心を持つ、というのが大切なんじゃないかと思います。一般論としては。特定のあるものに取り組めば良い、というのは、違うのでは無いですかね。

でも、考えようによっては、どんな文化でも、「のめり込み」方によっては、奥深いものであるから、突き詰める事こそが重要だ、とも言えるかも。

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釈明?

ニューストップ > トピックス > 経済・ビジネス > TBS > 不二家問題でTBS 「不十分謝罪放送」 - Infoseek ニュース

司会のみのもんた氏が、

「従業員の方なんか、特に家族の方の気持ちを思うとね。私に厳しいこと言われて、ガックリきてる方もいるんじゃないかと思いますけど。これからはね、『新生』になった不二家ということで、私もどんどん応援させていただきますから、頑張ってもらいたいと思います」

とコメントした。さらには「スタジオのお菓子はぜんぶ不二家にします」と、冗談まで飛び出す様だ。

何これ。 

「厳しい事を言われて、ガックリ」、じゃ無いでしょう。不明確な根拠で無茶苦茶な事を言われて、憤っている筈ですよ。一体、どこからものを言ってるんだ。

「スタジオのお菓子はぜんぶ不二家にします」

ちょっと、どうかしてるんじゃないか。愕然とする。その前に、言う事があるでしょう。

釈明の部分も、あれじゃいかんと思いますよ。色々な所で指摘されていますが。

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メモ:「呼吸力」とは何か

読者の質問箱 その21を読んで、私もちょっと、考えてみました。参考文献は、高岡英夫氏の著作、特に、『鍛練』シリーズ及び、『空手・合気・少林寺』シリーズです。自分なりの言葉で表現している所もあるので、高岡氏の論とは、ニュアンスがあるかと思います。

  • 呼吸力とは、自然科学的にきっちり定義される様な概念では無く、体系内で肯定的に扱われる、ホリスティックで価値的(イーミック)な概念である(高岡による、「メソレフパワー」)。
  • 「合気道に役立つ身体の使い方が出来ている」と、「呼吸力が出ている」と表現される。その様な用いられ方をする。
  • 文化の特性によって、最適な運動構造は異なる訳だから、科学が発達していない、或いは科学の知識が不充分であった時代には、この様なホリスティックな概念を用いざるを得なかったのだろう。
  • 当然、合気道は身体運動であるから、ある自然科学的論理を直感的・直観的に捉え、それを分析的に表現する事を避けて、敢えてホリスティックな、それ自体が複雑な概念の集合である様な表現が生み出されたのだと思われる。その意味では、先人の優れた発明であると言える。
  • 「呼吸」を表現に含めたのは、「呼吸」が含意する意味世界の重要性、身体運動としての呼吸運動の重要性を、直感的に捉えたからだろう。
  • その様な用いられ方をしている訳だから、当然、同じ「呼吸力」で表現されるものであっても、その内容は、体系や指導者により、異なる。そもそも定義がはっきりしない語であるから、「呼吸力とは何ぞや」という議論も、噛み合わない事が多い。
  • ある身体意識(体性感覚を基にする意識系)の質を「感じ」、それを表現したとも言える。これは、「気」(体内の気の流れ、等)等の、他の概念と、同じ様なものである。たとえば、筋肉の用い方が異なれば、感覚も異なる。合理的身体運動が成立した時の、身体の「感じ」を記憶して、それを何とか言葉にしようとしたもの。そもそもが、多分に主観的なものである為に、共通了解を得にくい、又、「解った気になる」事も、非常に多い。
  • たとえば、「○○筋の感覚が、”呼吸力”の正体である」、と言われる場合がある。しかし、この様な主張は、慎重に行わなければならない。それは、バイオメカニクス的には、正しさを含んでいる事はあるが、それはあくまで、「呼吸力」という、極めて広い意味世界の一部分を切り取ったものであるという事を、心得なければならない。「合気道で言われる”呼吸力”には、○○筋の感覚が含まれている」、という事は言えても、「○○筋が呼吸力である」、とはならない。

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両立

初めから分析的に見ようとすると、「零す」事があると思うのですよね。論理では「捉え切れていない」所(「捉えられない」では無く)を、切り捨ててしまいかねません。私は、ホリスティックな見方を重視していますから、そんな感じで見ています。
勿論、現象を、科学的分析的に研究する事を、否定するものではありません(ここに、くどいくらい書いていますね)。たまに、ホリスティックな見方を重視する余り、科学的方法そのものに嫌悪感を示す人がいますが、それはそれで、極端な態度です(関連:Interdisciplinary: 潜在的擁護システム)。

直観と論理が相反すると思っている人が、いる気もします。論理的認識力を高めたら直観力が衰える、という感じで。そういうものでは無いと思うのですよね。厳しい事を言えば、そういう認識は、勉強しない為の言い訳です。

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「単に」塗る、って何?

ITmedia Biz.ID:単に「塗る」だけでは脳は活性化しない──三菱鉛筆が川島教授と検証

むう、こういう風に、他社製品との差別化を図るとは…。戦略として、上手いと言えば上手いけど、川島氏という「ブランド」のイメージを当てにしている、と言うのは、少々考えすぎでしょうか。

何でもかんでも脳・脳って。

塗り絵という娯楽って、手を精密に動かして、筆圧を細かくコントロールし、見本に近づけるのを楽しむものなんじゃないんですかね? 脳に良いとかは、別にどうでもいいんじゃないかと。

「塗り絵も楽しめて、脳も鍛えられれば一石二鳥」、という感じなのかなあ。いや、その事(消費者の購入の動機として)自体は、別に構わないと思いますけれど、この場合、絵画の技法に序列をつけている様にも感じるんですよね。脳が賦活するかどうかという、変な根拠で。

何か、どんな文化でも、取り組み方によって脳の活動の仕方は変わる、というのを言っているだけなんじゃないか、とも思います。そういう意味では、当たり前の話ですよね。

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全国大会。めぢから

カプコン、全国大会「モンスターハンターフェスタ」。地区大会当日参加枠の締め切り迫る

うおお、レウスフィギュア、カッコイイ!

決勝大会って、どんな内容なんでしょうねー。

ITmedia +D Games:動体視力を日々の鍛錬で向上させる――「見る力を実践で鍛える DS眼力トレーニング」

「目が悪くなる」と一般的に思われているゲームで、目の機能を鍛える、というのは、発想の転換ですね。

ハマってしまって、目を酷使したりして…。

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委員会

まさか、後藤さんが、あの番組で取り上げられるとは。

三宅さんは、仮想的世界で遊んでいるなあ。しかも、声がでかいから、タチが悪い。ざこばさんもね。

「昔は良かった」が、好きですねえ。

ところで、「今時の若者」って、何歳から何歳なんでしょう。

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影響

私の ものの考え方は、高岡英夫氏と森博嗣氏に、大きく影響を受けています。

高岡氏からは、武術や身体運動文化を科学的に見る事や、関係主義(高岡氏は、「ホーリスム」を、こう表現します)的方法の重要性、記号の恣意性等の、とても大切な概念を学び(勿論一方的に)、森氏からは、物事を徹底的に懐疑的に思考する事や、現象を自然科学に見る事、既成の価値観に捉えられない様、注意深く自己を見つめる事等を、学びました(勿論一方的に)。

で、「何故影響を受けたのか」、というのを思いますね。やっぱり、共感したから、なんでしょうね。そういう意味では、思考に、近いものがあったのかも。直観的に思っていた事を、見事に言葉にしてくれている、という驚きと言うか、嬉しさというか、そういうものが、あったのだと考えられます。

じゃあ、それらに共感する様な認識の傾向は、どうやって形成されたのか、というと、何ででしょうね。よく解りません。心当たりは、無いでもないですが。

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運動神経