ボタン社会とは
- SCIENCE NOW29話|15号|信大NOW
- 子どものGO / NO―GO課題と生活調査 ―日本の1998年と中国の1984年を比較して―(html版。googleキャッシュ)
- スポーツ古今東西 6月8日 子供の体と脳(宮嶋泰子氏)
- 日本財団図書館(電子図書館) 子どもの脳の発達(資料)
- 子どもの脳に生きる力を<学級崩壊とキレる子どもの治し方>|寺沢宏次
- 逆上がりをフジテレビで放映
- こども大変時代 運動と集中力・抑制力(産経新聞山田さん) 「はげひげ」の脳的メモ/ウェブリブログ
- 脳内汚染 「はげひげ」の脳的メモ/ウェブリブログ
- たこの感想文: (書評)子どもの脳に生きる力を 学級崩壊とキレる子どもの治し方
- 第4章 テレビゲームが脳の活動や発達に及ぼす影響(PDF)←高度情報流通関連基盤技術開発・実証事業より
いきなりリンクを羅列して、何事か、と思われたでしょうね。
このリンクは、某ブクマ経由で知ったブログの記事(市井のディレッタント 冒険記 - 脳の退化から格差社会、プチ奴隷制へ……?)を読み、『AERA』に、「ボタン社会」なる概念で、「脳の退化」を説明した記事が載った事を知り、その説を論じた寺沢宏次氏と、説明の根拠に用いられた「GO/NO-GO課題」について、関連がありそうなものを上げたものです。
疑問なのが、脳の活動の仕方に、年代によって有意差が見出されたとして、それが実際の社会行動と、どの様に結びついているだろうか、という事です。つまり、一般化の問題です。課題の成績から、実際の生活状況に、どの程度敷衍出来るのでしょうか。又、あの様な研究結果から、「脳の退化」などという表現を、安易に用いて良いものでしょうか。反社会的行為とも結び付けて論じるには、社会学や社会心理学的研究とも突き合わせて、慎重に論じるべきです。
因みに、寺沢氏は、「ゲーム脳」の存在にも、ある程度肯定的な様です。記事では、森昭雄氏の説は、研究方法等が批判されている。だが、ゲーム脳があるか無いかはよく解っていない、と論じた上で、寺沢氏の、ゲーム脳はあるかも知れない、という意見を紹介しています。
そして、「ボタン社会」です。つまり、技術の発展によって、便利な道具が普及し、ものの仕組みを理解しなくとも、ボタン一つで何でも出来るので、深く考えたり、コミュニケーションを取ったりという事が、少なくなってきた。従って、脳が退化してきた、というロジックです。
私が考えるのは、ものの仕組みを理解するには、そのメカニズムが複雑過ぎる、という事です。道具の仕組みがブラックボックス化してきた、と言えるかも知れません。しかしそれを、思考を疎かにする事と結び付けるのは、どれ程妥当でしょうか。又、その事と、ゲームの普及とを関連付けるのも、早計だと思います。何故ならば、ゲームは、ボタン一つでどうこうする、という構造では無いからです。コントローラの各ボタンに恣意的に割り当てられた操作系を憶え、それを駆使していく訳ですから、そもそも、ボタン一つで便利に云々という、操作の簡素化とは、全然違う話です。
後、よく出る話ですが、「インターネットの普及で、検索が簡単になって、手っ取り早く、情報が得られる様になった」というのを、ネガティブな文脈で語る場合がありますね。これも、色んな事を、ごっちゃにしていませんか。何か情報を得たい場合に、手間が掛からない方が良いのは、当たり前だと思うのですが。重要なのは、得た情報をどう取り扱うか、なのですから(こちらの問題が、圧倒的に重要)。象徴的にこういう物言いをするのは、全く妥当では無いでしょう。と言うかですね。WEBで、本気で調べ物をしてみて下さい。1クリックで答えが出るとか、そういう問題では無いのが、よく解りますから。様々な情報が錯綜していて、それを取捨選択するのに、ある程度の認識力が、要求されますので。
この記事の最後辺りに、久保田競氏のコメントがありましたが、どういう意図からの発言でしょうね。捉え方によっては、結構凄い主張だと思いますが。
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メモ:
寺沢氏(他)の研究は、『脳内汚染』の元ネタの一つですね。上の、篠原氏のブログも参照。
上にも書きましたが、GO/NO-GO課題の結果を一般化する妥当な根拠は、心理学的に見出されているのでしょうか。
「ボタン一つで」云々という物言い自体が、現代社会を非難する陳腐な象徴表現だと思うのは、私の偏見でしょうか。
社会状況の変化(ネガティブな)の説明の根拠に、自身の研究結果を持ち出しておられる訳ですが、その前に、その社会状況の変化についての解釈が妥当であるかを、考察したのでしょうか。その前提が誤っていた場合、話にならないと思います。
ボタン一つで、って、電化製品でもイメージしているのかなあ。テレビ等のリモコンを見ると、「ボタン数十個で」、ですが。入力系は、寧ろ複雑になっている気もします。ネットは云々というのも、単なる印象ではないですかね。
身の回りの道具がブラックボックス化(言い方を換えると、分解した所で、メカニズムは解らない、という事です)する事と、その仕組みに関心を持つかどうかは、全然別の話ですよね。家族でテレビを観ていて、「テレビはどうして映るの?」という話題が出る事なんかは、考えていないのかな。
運動が重要なのは、私もその通りだと思います。人間も、自然科学のメカニズムに従う存在な訳ですから。でも、それを主張する余り、他の文化を非難する論調は、頂けません。
何か、神経神話って、脅迫に近いものを感じるんですよね。研究者の意図が、善意からのものであっても、です。脳のイメージング結果とか、課題遂行の成績のグラフとかを見せつけられれば、怯みますよね。だから、出来る限り慎重に、情報発信して頂きたいものです。
色々調べていたら、こんなページを見つけました⇒テレビ・ビデオ・ゲームの影響を考えよう …むう。
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コメント
ふと気づいたのですが、寺沢氏自身は、この「GO/NO-GO課題」の60年代の調査には参加してないですね。寺沢氏自身が1960年生まれですから。
そういう意味では、篠原菊紀氏の岡田尊司氏に対しての「引用社は気楽」という言葉をそのまま当てはめられるのかな、と。
何か、こうして寺沢氏と篠原氏の発言を比較して見ると、同じ実験結果であっても、大分、トーンが違いますよね。
様々な可能性がある、ということを考慮すると、篠原氏の方が妥当な態度である、と思いますね。
投稿: SST | 2007年3月23日 (金) 09:46
SSTさん、今日は。
そうですね。先行研究を参照にしているという事ですから、データの解釈は、慎重にした方が良いのではないかと思います。ただ、詳細は、私には解らないですけれど。
>篠原菊紀氏
篠原氏にしても、テレビによく出演して色々言ったり(『クロ現』とかでも)、PCのソフトを出したりしてるんですよねえ…。ブログに書かれている本音の部分は、妥当なものだと思います。澤口氏にしてもそうですが、発信の仕方を考えて欲しいですね。
投稿: TAKESAN | 2007年3月23日 (金) 12:18
お久しぶりです。
インターネットの検索サービスは,「調べ物」に新しいアプローチを生み出したと思います。なぜなら,ネットの情報には,ほとんどの場合,「インデックス」がついていないからです。
辞典で調べる時も,人に尋ねる場合も,「○○について教えていただきたいのですが」と,「インデックス」を用いて尋ねればいいわけですが,検索サービスでそう言う尋ね方をすると,数十万件のヒットがあり,まだなにも検索してないのとたいして違わない結果となることがしばしばです。
検索サービスで欲しい情報にたどり着くには,まずその情報を話題としたき,そこに登場するであろう単語や表現(=キーワード)を想像することから始める必要があります。
また,もっと効率よく情報にたどり着こうとすると,他の話題にも頻繁に登場するような,ありきたりな表現や単語は使えません。
つまり,検索サービスから,効率よく求める情報を引き出すには,「知りたいことについてある程度知っている」という知識レベルを要求されるわけです。
とても「調べものもインターネットで1クリックで答えが出るようになった。」とは言えませんね。電脳化してるわけじゃあるまいし。
投稿: A-WING | 2007年3月23日 (金) 12:29
A-WINGさん、今日は。お久しぶりですね。
私は、WEBを使いはじめたのは2000年頃と、結構遅いのですが、その時点でも、地図を持たずに知らない街に放り出された様な、そういう感じを覚えました。ネットがとても拡大した状態が標準の現在に、使い始める人は、大変でしょうね。何がなにやら解らない、と思います。
>そこに登場するであろう単語や表現
>(=キーワード)を想像することから
>始める必要があります。
そうですね。関連する語を連想し、関係を整理しつつ、思考を進めなければなりませんから、かなり知的な作業ですね。検索窓に何を入れるかでも、効率が大きく変わりますし。安易に人に尋ねようとすると、「ググれ」と言われますしね。寧ろ、情報が過剰で、そこからいかに有用なものを見出すかが、問われますね。
ああいう象徴表現は、駄目ですよねえ。
投稿: TAKESAN | 2007年3月23日 (金) 13:01
ゲームの操作が複雑になり過ぎてユーザー離れが助長されたと懸念し、新たなユーザー獲得の為に、コントローラーを簡素化して、操作を直感的にする、という動きがあったくらいなのに(任天堂の事です)、ボタン一つでどうこうと言うのは、認識力不足も甚だしいなあ、と思ったのでした。
私なんて、操作が複雑な程、考える事が増えるので、好きなんですけどね。それが直感と結び付いたときの一体感は、なかなかのものです。まさに、「手足の様に」動かす、という感じで。
勿論、操作系の複雑さとゲーム内容の複雑さは、相対的に独立した話ですけれど。
投稿: TAKESAN | 2007年3月23日 (金) 13:10
私は「ガンダム戦記」の操作で,最初投げ出しそうになりました。
でも「慣れていくのよね・・・」
投稿: A-WING | 2007年3月23日 (金) 13:47
3Dアクション系とか、意味不明なくらい複雑な操作がありますからねえ。
それだけに、身に着いた時の一体感は、大きいですけれど。
投稿: TAKESAN | 2007年3月23日 (金) 13:54
こんばんは。
私の場合、コーエーの三国志シリーズとか、信長の野望シリーズなんかをよくやっているんですけど、あれ、確かに「ボタン1つ」ではあるんですよね。
でも、あの複雑なシステムやら何やらを覚えるのはやっぱり一大事ですよ。
それはそれとして、寺沢氏とか、森昭雄氏とかの論調って、突き詰めると縄文時代にでも戻ればよい、ってことになってしまうんですけどね。
火を起こすのも気と木をこすり合わせるとか、食料を手に入れるために動物を槍一本もって追いかけて…。
結局、彼らは、自分たちのころがよかった、って論になってしまうように感じるんですよね。
投稿: SST | 2007年3月23日 (金) 22:58
ですね。
操作系の複雑さとゲームシステム(←言葉の使い方が甘いですが)は、一応独立ですよね。操作系は、一旦憶えてしまえば、直感的になって、単純化しますしね。
前、PS2版の『信長の野望』を、試しにやってみたんですけど、三国志なんかのファミコン版をやって以来だったので(SLGは、『ファイアーエムブレム』とかを、よくやります)、余りのシステムの複雑さに、びっくりしました。「こんなのやる人いるのか…」とか思ったりも(笑) 楽しめる様になるまでに、ある程度時間が掛かるものが、ありますよね。それが多くなって、ライトユーザーが離れた、という見方もありますし。
これは、結構考える事があるんですが、ゲームを白い目で見てる人に、コーエー系のシミュレーションとか、複雑なアクション(『MONSTER HUNTER』がオススメ。いつもこればっか推しますけど)とかを、やって貰いたいですね。まあ、言ってしまうと、「そんなに単純単純言うなら、やってみろよ。」という感じですね。
多分、ゲームそのものの分析なんて、やってられないから、一括りにするんでしょうね。そうすれば、楽ですし。で、未だに先入見を持たれる文化ですから、その事が、余り問題にされないのですよね。
だから私は、その事を言いたくて、このブログを作った訳ですが。
>寺沢氏とか、森昭雄氏とかの論調
文明化の非難(批判じゃありませんよね、あれは)は、共通して見られる論調ですよね。昔の生活習慣なりの優れた点を主張したいなら、しっかりとした実証的根拠を、出すべきなんですけどね…。
投稿: TAKESAN | 2007年3月23日 (金) 23:25