« 爽快だあ | トップページ | 本当に痛い »

2007年3月13日 (火)

理科教育で

事象の地平線::---Event Horizon--- :: 指導要領解説

むむ、ここまであからさまに、相対主義が主張されるのか。

小柴氏のお話は、成る程な、と思いますね。確かに、本質を突いている。

しかし、「自然の特性は人間の創造の産物」なんて載るとは…。

私が相対主義的言説を知ったのは、高校を卒業して大分後、ですからねえ。しかも、最初は、価値相対主義的考えとか、言語相対性仮説とかで、「ふむふむ、成る程」と思ったくらいで、自然現象にまでそれを適用するという言説を知った時には、驚いたものです。いや、それより前に、観念論的考えとかを見て、「ほー、こんな考えもあるのか」とか思ったりした事もありますが、自然科学の論理を学んでいくと、実在論に落ち着いたのでした。

しかし、こういう考えを、小学生から教えるのは、まずいのではないでしょうか。しかも、理科についてですし。コメント欄で田部さんが仰った様に、どういう根拠かが解らないです。

でも、こういうエントリーを見て、素朴だとか、実在論も一つの世界観に過ぎない、と考える方も、おられるのでしょうね。しかし、自然科学を教えるのに、相対主義的世界観を同時に教えるというのは…。しかも、それがスタンダードであるかの様に主張している訳ですよね。そうなんですか?

前にも、全く同じ様な話が、川端裕人さんのブログで取り上げられたんですよね⇒リヴァイアさん、日々のわざ: 理科教育に入り込んだ(?)、「現代の科学観」という名のトンデモ

|

« 爽快だあ | トップページ | 本当に痛い »

「科学論」カテゴリの記事

コメント

ああ、でも、よーく振り返ってみると、結構揺れ動いてたかも。はっきりとは、思い出せないな…。

投稿: TAKESAN | 2007年3月13日 (火) 01:27

上手く云えないのですが、これ、「原理としくみの違うものを(そのことを無視して)ひとつの発想で説明しようとしている」ように見えます。
そのことそのものは可能だしありだと思いますが、その前に「どう違うのか」をわきまえるように教えないと。

投稿: pooh | 2007年3月13日 (火) 12:46

丁度、apjさんの所で、ドラゴンさんが紹介された文章を、読んでいます。

http://www.nikonet.or.jp/spring/han/han.htm

実際、極端な相対主義を前提として自然科学教育を行うというのは、妥当では無いと思います。教えるなら、違う文脈でやらないと…。小学校で教える事かな? とも思いますし。

なかなか難しい問題ですね…。

投稿: TAKESAN | 2007年3月13日 (火) 13:12

あ、繋がった。

川端さんのブログのコメント欄に、ちゃんと載ってました。

http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2006/04/post_4413.html#more

投稿: TAKESAN | 2007年3月13日 (火) 14:43

こんにちは、TAKESANさん。

なんて言いますか、少し変なことを考えました。「強固な思いこみが崩された時のショックは、その思いこみ以外の部分の正しい思考をもゆがめる」という事です。例としては、「マルチ商法なんて法律で禁止されている」と思いこんでいる人が「合法ですよ」と言われて、コロっとマルチ商法にはまる感じかな。

実はニュートン力学的自然観というのがありましてね。例えば東京タワーの上から一枚の紙を落とした時に、その紙がどこに落ちるかを我々は完全に予想出来ない訳です。従来、これは、我々が得る情報の精度が足りないからで、落ちる場所は現時点の風やら何やらにより「定まっている」と考えていた訳です。

ところが、カオス理論やらなにやら出てくると、途中の微細な部分には「確率論」でしか記述出来ない部分があることが分かってきたわけですね。つまり「我々が予想出来ない」だけでなく「現時点では定まっていない」ことが分かってきた訳です。

こんなのは、科学者にとっては「自然から理論を掘り出している」事に変わりなくて、掘り出している理論が「固い」と思っていたらところにより「柔らかい」という事に過ぎない訳です。しかし、「自然法則は固い」という思いこみの強かった人の中には、そのショックから「我々は自然法則を掘り出しているのではなく、作り上げている」という風になってしまった人が出てきたように見えます。

多くの科学者は「ほう、自然法則にはこういう柔らかさもあるんだ」と面白がっていたので、そういうショックで変な考え方をする人が教育をねじ曲げているのに気が付かなかったという感じです。

投稿: 柘植 | 2007年3月13日 (火) 17:57

柘植さん、今晩は。

反動というか波及というか、そんな感じでしょうか。私も、ロクに自然科学を勉強せずに、相対主義の考えに触れて、「おお、こんな考えもあるのか!」というのは、思った事がありますね。そもそも「外界は実在するか」、等の哲学的問いは、誰しも持つものでしょうから、そこに、見事なタイミングで触れる事が、あるでしょうね。

apjさんもコメント欄に書いておられましたが、小学生の理科教育の段階で、極端な相対主義的論理がスタンダードであるかの様な教え方をしちゃあ、駄目なのではないかと思います。
先ず、しっかりとした自然科学的思考法、自然観を身に着けた後で、様々な哲学的な説を、然るべき文脈で教えていかないと、まずい事になる気がします。相対主義的言説の表面だけ掬い取って、「解った気になる」事を、懸念しますね。
やるなら、科学史・哲学史の文脈で、全体をきちっと学ばせていかなければならないと、思います。

投稿: TAKESAN | 2007年3月13日 (火) 19:16

私は、ソーカル事件とか、その後の論争を、リアルタイムでは知らないんですよね。科学哲学の本とか『知の欺瞞』を、後から読んだくらいで。

で、『知の欺瞞』に引用されているポストモダンの文章を読んで、「なんだこりゃ?」と思ったものです。何しろ、全く意味が解らない。凄まじい解りにくさに暗澹としつつ、自分の認識力が欠落しているのか、という事も、考えました。

思うに、「何やら解らんが、高級らしい」、という捉え方をする人も、いるのではないでしょうか。私は、ちゃんと解らないと、絶対納得しない人間なので、解らないものは解らない、と言いますけれど。

投稿: TAKESAN | 2007年3月13日 (火) 19:23

ポストモダンの言説ってのは元々何を言っているのか分からないのが多いですよ。
ドゥルーズやガタリ、デリダなんてもっと良く分からない。
言葉遊びにしか見えないものも多いですし。
 
理解しようとすると近代哲学(マルクス・実存主義)あたりから構造主義の流れをつかんだ後で無いと難しいと思います。
そういう私もネグり・ハートの「帝国」がいまだに読めていません。

投稿: FREE | 2007年3月13日 (火) 22:45

FREEさん、今晩は。

デリダだったかと思いますが、著作の一部(確か引用文でした)を読んで、何かキーワードらしきものだけを憶えた、という記憶があります。もう、忘れちゃいましたけれど…。

哲学は、ちゃんと原典に当たって、体系的に勉強しようと思っているのですが、なかなか大変ですね。

ヘーゲルの『精神現象学』を読もうとして、数行で挫折したという、嫌な思い出が…。

投稿: TAKESAN | 2007年3月13日 (火) 23:33

apjさんの所のコメント。

うーん、わざわざ煽って、何が面白いんだ?
何が言いたいかも、よく解らないし。

投稿: TAKESAN | 2007年3月13日 (火) 23:39

わざわざ論点を拡大して、議論になっていないテーマを持ち出して来るのは、全然妥当では無いと思うのです。無理に社会論に持っていったりね(当然、関わりは持つでしょうが)。

ここでの議論は、「小学校理科の指導において、相対主義的科学観を教授するのは妥当か」、というものですから。

投稿: TAKESAN | 2007年3月14日 (水) 00:52

件のMさんはありゃフーコーでも読んで勘違い人ではないかと。
 

投稿: FREE | 2007年3月14日 (水) 08:34

FREEさん、お早うございます。

地下に眠るMさんが、結局何が言いたいのか、私には、よく解りません。

極めて個人的な話ですが、私は間違っても、議論相手を、「君」なんて書きはしませんね(相手の書き方に呼応してなら、あるかも知れませんが。リアルの知り合いなら、別に良いですが)。

まあ、煽っていると、自ら宣言しておられますので、そこを指摘しても、全く詮無い事ですが。

投稿: TAKESAN | 2007年3月14日 (水) 10:50

こんばんは。フランス国籍もあるJosephYoikoです(^0^)。

FREEさん>

「言葉遊び」と書かれているのは、文字通りの「言葉」だけではなくて、「自然科学用語(=この場合平たく言えば数式表現)」も含めての感想でしょうか?

デリダは確かに文字通りの「言葉の定義の拡張しすぎ」って感じですが、ドゥールズとガダリは「人を煙に巻く意味の無い数式の羅列」という感想を持っており、両者の拙さはちょっと室が違うように思っています。

翻訳書で読まれた場合ですと、フランス現代思想は、日本の翻訳者自体が意味分からないで拡大解釈&要らぬ補足して書いている時も多いから、そこから生じる二次災害もあり、ちょっと確認させて頂きたく書いた次第です。

個人的な感想としては、ドゥールーズとガダリの方が、より森昭雄的(^^;。

投稿: JosephYoiko | 2007年3月15日 (木) 01:31

JosephYoikoさん、お早うございます。

ああ、翻訳によって変わってしまう、という事もあるのですね。

投稿: TAKESAN | 2007年3月15日 (木) 10:51

「相対主義」より、「反実在論」とした方が良いのかな、この議論の場合。「自然の特性は人間の創造の産物」と書いてある訳ですし。
当然、反実在論の論理的帰結として、相対主義が出てくる、という事もあるでしょうけれど。

相対主義については、黒木玄氏のサイトが参考になるかも⇒http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/relativism.html

構成主義も、ややこしいですね。
心理学なんか勉強すると、ヴントの構成主義とかピアジェの構成主義とか出てきますし。ちゃんと、社会構成主義とか、社会的構築主義とした方が良いでしょうか。もっと言うと、反実在論と繋がって、社会構成主義を自然科学に適用しようとする極端な立場、とか。心理学なんかでは、社会構成主義はポピュラーな考え方だと思いますし、私も、同じ様な考えです。いや、そもそもちゃんと、勉強していないのですが。ガーゲンとか読むかな…。

うーん、全然整理出来ない。ちゃんと勉強せねば。

投稿: TAKESAN | 2007年3月15日 (木) 13:55

こんなの見つけました⇒http://www.constructivism123.com/Japan/misc/terms.htm

うむ、益々ややこしい…。

投稿: TAKESAN | 2007年3月15日 (木) 13:58

>JosephYoiko

翻訳版を読んでいるので確かに原書ではないです。
デリダの脱構築は脱構築の果ての記述はできないと思っています。明快な結論を描く近代までの哲学をイメージはで読むとなんじゃこりゃって思っても不思議でないと思います。

ドゥールズとガダリは数式込みです。途中で正直わからなくなりました。
 
結局自分で分かっていないから、言葉遊びの部分が大きく見えてしまうのかもしれません。まだまだ理解力が不足していることは分かっているのですが。
 
80年代のニューアカをやっていた人たちはどこまで分かっていたのでしょう?

森昭雄は科学者としては広告詐欺だと思っています。ドゥールズとガダリの数式の使い方が煙に巻く使い方だとしたら、確かにそうかも。

投稿: FREE | 2007年3月15日 (木) 14:19

あ、お名前をコピーした時に「さん」を付け忘れていました。
JosephYoikoさん、すみませんでした。

投稿: FREE | 2007年3月15日 (木) 14:43

FREEさん、今晩は。

私が未だに解らないのは、森氏が、本気で信じ込んでいるのか、適当な事を言って名を売ってやれ、と思ったのか、それとも、後から自分のおかしさに気付いて、でも引っ込みが付かなくなったのかの、どれなのか、という事ですね。

ところで、ドゥルーズとガタリが森昭雄氏的って、結構凄い(と言うか面白いと言うか)発言な気が…。

投稿: TAKESAN | 2007年3月15日 (木) 17:58

何か、論点が、よく解らなくなってきました。
「相対主義」や「構成主義」の意味に関して、ある程度はっきりさせてから、議論した方が良い気がします。そうじゃないと、各人が、同じ語を違う意味で用いてしまって、混乱するんじゃないかなあ。

投稿: TAKESAN | 2007年3月16日 (金) 17:19

こんばんは(^0^)。

FREEさん:

ははは。さんづけ無いくらいで怒ることはないですよ。

デリダについてはご指摘の通りで、「デリダさんよ、言葉の拡大解釈するのは勝手だけどさ、お前幼稚園生レベルの集合論分かってねえだろ?」と突っ込みたいです(^^;。

(^@^)<果物のお話をお魚の用語で書こうとしているよぉ。

ドゥルーズとガダリ、それから、そこいらを日本に持ってきて悦に入ってた浅田彰なんかはそうなんですが、フランス現代思想の数学コンプ君達ってのは、背伸びしちゃうんですよ。別に数学使わないでも書ける話に数学使っちゃう。

で、現実問題って、数学ほど二律背反じゃないから、(言葉の係り方で拡大解釈を防ぐ意味で)分かり易くする為に使うべき数式記述が却って解釈が何通りもある世界を作り出してしまっているわけです。

#あれは、フランスの似非知識人のサブカル本ですから、理解する必要ないです(^^;。

投稿: JosephYoiko | 2007年3月18日 (日) 00:41

TAKESAN:こんばんは(^0^)

森昭雄については、日大文理学部で講師やっている方にそれとなく聞いてみたのですが、自分の世界に入ってて全く話が通じない人なんだそうです。

その方いわく、「説得&会話に疲れました。私には相手するの無理です。」だそうで(^^;。

>ところで、ドゥルーズとガタリが森昭雄氏的って、結構凄い(と言うか面白いと言うか)発言な気が…。

森昭雄がココ読んでて、いい意味に解釈して他所で引用したら、それはそれで怖いですね(^^;。

投稿: JosephYoiko | 2007年3月18日 (日) 00:49

 >説得&会話に疲れました。

説得を試みた方がおられるんですね。難しいでしょうね…。

 >いい意味に解釈して他所で引用したら

ちょっと有り得そうなのが怖いですねえ。森氏は、エックルスとか出したりしてますしね。

投稿: TAKESAN | 2007年3月18日 (日) 02:46

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/13103/5670458

この記事へのトラックバック一覧です: 理科教育で:

« 爽快だあ | トップページ | 本当に痛い »