どっちもどっち
いくつか思った事。
何で、「合〇道」なんて、変な伏字の使い方をするんでしょうね。意味不明。検索回避か?
合気道の人。何故受身が違うかとか、ちゃんと説明したのですかね。いや、読んだ限りでは、頭ごなしに否定した様に思われますが。
柔道の人。柔道の価値観で合気道の技術を判断していますね。まあ、売り言葉に…、という面もあったのでしょうけれど。
そのためこの受身に関しては、柔道を修行している方には絶対に敵いません。
これはどういう意味なのでしょうね。柔道は試合があるので、型稽古より自由度が高いから、より多彩な投げを、充分な予測が出来ない内に掛けられる。従って、とっさの状況に応じる受身の技術も高くなる、という事でしょうか。柔道選手の受身の技術が高いというのは、ある程度言えるとは思いますけれど。「絶対に適いません」というのは、よく解らないですね。
それなのに合〇道の先生はその受身を否定してしまったわけですから。
教え方はともかくとして、新たに別の武術に入門するのですから、ある程度従うのは、当然だと思うのですが。
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コメント
こんばんは(^0^)。
流派が書いていないけど、養神館だとしたら、合気道の先生の怒りも分からないではないです。勿論、叱り方が拙いのはおっしゃる通りですけどね。
なかなか説明が難しいのですが、柔道の受身ってのは、投げられた場合に「投げられている状態には抗さないで、受ける。」感じですよね?
これに対して、合気道、特に養神館は、次にどう動くかを考えるので、投げ飛ばされた場合にあえて、自分から投げられている方向に更に加速することもあります。投げられるままにしていると、関節もついでに固められて体痛めるからです。
投稿: JosephYoiko | 2007年3月 5日 (月) 23:44
JosephYoikoさん、今晩は。
リンク先のコメント欄にもありますが、少林寺拳法なんかでは、板の間で受身をするので、やり方は、柔道とは違ったりしますよね(ブログ主さんはそれには同意していて、結局主張の意味が解らないのですが…)。塩田先生のご著書だったかと思いますが、開祖のお弟子が、とても固い地面で、普段通り(畳での稽古)の受身を取って、怪我をしてしまった、というエピソードがありましたね。そういう意味では、「身体全体」で受身を取ってはいけない訳ですけれど(やっぱり、千速 一樂さんの主張は、よく解らないです。いつもの事ですが)。
私の知り合いの柔道経験者は、多少危険でも、絶対にポイントを取られない様な投げられ方をする、という事を言っていましたね。
合気道の投げも、まともにやると、凄まじく危険ですからねえ。ランダムに技を掛けられる稽古では、予測つきませんし。「柔道を修行している方には絶対に敵いません。」の意味が、よく解らなかったのですね。
投稿: TAKESAN | 2007年3月 6日 (火) 01:07
はじめまして。
興味深い内容のブログなのでざっと読ませていただきました、いろいろと深く研究されているのですね。
さて、記事にもたまに登場する一樂さんですが、あまり相手にする事もないと思いますよ!彼を知る人たちはあのブログを見て苦笑しています、あくまでも彼の理論は彼独自の理論ですから、、、
投稿: 通りすがり | 2007年10月 3日 (水) 17:12
通りすがりさん、今晩は。
どうもありがとうございます。ご意見を頂ければありがたいです。
>記事にもたまに登場する一樂さん
ご自身のやっていらっしゃる事について主張なさるのは構わないのですが(とは言え、それは、古流の体系の正当性とかについて論じる事でもあるので、単純には言えませんけれど)、たまに、他の武道や科学の方法について、あれ? と思う事も書かれているので、指摘した次第です。
投稿: TAKESAN | 2007年10月 3日 (水) 17:57