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2007年3月11日 (日)

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昨日のエントリーについて、返答を下さっていますね⇒研究とか日記とか : 疑似科学(エセ科学?)とか

えっと、「外部に知られる」についてですが、Technoratiとかでブログ検索して、気になったものに言及しています。

やっぱり誤解なさっているかも。
ニセ科学に対する批判は、「科学らしさ」を標榜したり、科学的根拠があると広く信じられている説(だが根拠不充分な説)に対するものですから、民俗科学を現代の実証科学の視点から批判するのとは、ちょっと違う訳です。水伝にしろ、ゲーム脳にしろ、自然科学的に実証されたと主張されており、その点を批判されているのですから。

血液型性格判断については、能見親子等が、実証されたと主張しましたが、それを心理学者が追試2007年11月1日追記:追試、とは言えないかして、反証された訳です。勿論、性格をそもそも測定出来るか、という心理学的問いは成立しますが、それは又、別の文脈です。状況が大きく変わらなければ、性格もある程度一貫していると想定して、それは、性格検査では、ある程度の確度で測定出来る、と、私は考えています。人格心理学的には、色々な議論があるでしょうけれども。

まー結局は反証不可能性?ということでエセ科学ってことになってしまうんでしょうけど,反証不可能な理論って,実は人文系とかにはたくさんあるわけで。

前にも議論になりましたが(Interdisciplinary: 血液型性格判断はニセ科学 コメント欄)、反証不能だからニセ科学、という事では無いですね。ニセ科学は、「見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの」(ニセ科学入門)であり、実証されていないのに、実証されたかの如く主張される説、の事です。血液型性格判断は、反証されているのに、実証されているかの様に思われている説(余りにも一般に流布されていて、そこに、明確な「科学性」がイメージされているとは限りませんが、血液型という生物学的因子をもって、性格を説明する、という考えですから、そこに科学的な根拠は意識されている、と見るのが妥当だと思われます。社会心理学等で、そういう実態を調べた研究があるかも知れません)、ゲーム脳は、そもそも主張する側が、充分な根拠を提出していないものです。水伝の場合は、現代科学と著しく整合性を欠く、或いは、価値観を自然科学的論理に求める、という所が、ニセ科学であると批判されている訳です。

人魂とかUFOとか占いとかのしょぼい仮想敵ではなくて

UFOはともかく、人魂とか占いを、「ニセ科学」批判の文脈で語る人は、いないと思います。上記の菊池氏の文章より引用します。

 一方、「ニセ科学」という言葉で超能力やオカルト、心霊現象、あるいは星占いのたぐいを思い起こす向きもあろう。この中で超能力(テレパシーや予知、念力など)については「超心理学」という学問分野まで存在するので「ニセ科学」と呼べるだろうが、オカルト・心霊などはそもそも「科学的」な外観を持たないので、ニセ科学とは呼ばない。オカルト信者自身、オカルトを「科学」とは考えていないだろう。

こういうものをどう扱うべきか、という事に関しては、科学者も、色々な態度を取るのではないでしょうか。それは、ニセ科学批判の文脈とは、異なると思います。私は、少なくとも、テレビ等で、ゴールデンタイムに積極的に流すべきでは無い、と考えていますが。

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コメント

ようやく帰国出来そうでワクワクしているよいこです。(^0^)

元記事の方は大きな誤解をされてますね。

「科学ではないものに一見科学的に見える間違った説明で権威付けしていること」
を糾弾しているだけの話であって、
「私の主張は科学ではありません。だから科学は使いません。お爺ちゃんの道徳観で許せないのです。」って人を糾弾しているわけではないのに。

例えば、豚や牛を食えない宗教の人に、「お前羊は食うんやろ?両者に生物学的な差異がどれほどあるねん。」なんてことは言ってないし、「朝から晩までゲームするな。」って人に「ゲームは寝不足になるほど続けても良い。」と主張している訳でもない。

これが何故伝わらないのかが疑問ではあるけど、悪意の人ではなさそうですし、もう少しヒアリングしてみないといけないようですね。

投稿: JosephYoiko | 2007年3月11日 (日) 13:14

JosephYoikoさん、今日は。

正に仰る通りですね。

「ニセ科学」と、科学的にメカニズムが解明されていない現象や、科学的には否定される物事を、ごっちゃにしてしまっておられるみたいです。
前の私のエントリーでも、その事を指摘したつもりだったのですけれど…。

団子の比喩を借りると、ニセ科学は、老舗団子屋の製法を守って作った団子だと言って、表面を餡子や黄粉でコーティングした泥団子を売る事に等しいですよね。団子屋としては、「おいおい、それを売っちゃいかんよ」、となる訳ですね。
尤も、売る側が、本気で、老舗団子屋の製法で「作れている」、と感じている場合もあるでしょうけれど。後、老舗団子屋の製法を「超えた」作り方を発見した、という場合も。

投稿: TAKESAN | 2007年3月11日 (日) 13:56

団子の比喩で言うと、堅いと言われてしまうかもしれないけど、高級和菓子店って名乗るのならば、芋の澱粉で作った葛餅なんて売らないで、ちゃんと吉野の葛粉使って作りなさいよって話と似ていますね。

あと、ワラビ餅なんてのもあるなあ。本物食わせると今の子は美味しくないと言ったりして悲しかったりする事もありますが、それと似ているかもしれない(^^;。

投稿: JosephYoiko | 2007年3月11日 (日) 14:48

ああ、成る程。
「本物食わせると今の子は美味しくないと言ったりして悲しかったりする事もありますが」←ここがポイントですね。
だから、ニセ科学みたいな、一見解り易いものが、広まってしまうのかも知れませんね。

投稿: TAKESAN | 2007年3月11日 (日) 17:02

※shanggelilaさんのブログへコメントを入れようと思ったのですが、長くなり過ぎてしまい、分割投稿をするのもどうかな、と考えたので、こちらに書きます。

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shanggelilaさんへ

その後上げたエントリーでも言及させて頂いたのですが、やはり、ちょっと誤解がある様に思われます。

 >多くのヒトが「泥団子」であることを認識していると思って

確かに、ある説に対して、どれくらい、「科学らしさ」や「科学的根拠」が意識されているか、というのは、はっきりとは捉えられていないと思います。それは、社会学とか社会心理学等の、社会科学の対象でしょうね。

 >「民俗科学←→西洋科学」の図式に似てる

ここが、ちょっと違うのだと思います。ニセ科学というのは、その定義からして、現代の実証科学の衣を纏っているものですので、自然科学のパラダイムで民俗科学を批判・否定するのとは、ちょっと異なります。もし、神秘的事象を自然科学者が非難したとすれば、それは最早、「ニセ科学批判」の文脈とは、離れてしまいます。

血液型性格判断に関しては、心理学的にも、状況に関わらず一貫する「性格」なるものはあるか、とか、そもそも性格というものが測定出来るのか、という議論はあると思います。ですが、血液型性格判断は、初め心理学者によって研究され、支持されなかったにも拘らず、近年になって、(根拠不明確なまま)実証されたと主張された訳ですね。そこが、泥団子たる所以です。


 >まー結局は反証不可能性?ということ
 >でエセ科学ってことになっ
 >てしまうんでしょうけど
これは、明確に申して、誤解です。ニセ科学である事と、反証に対して開かれている事とは、別の問題です。たとえば、血液型性格判断は、ABO式血液型と性格の、強い関連性を主張するものですから、統計解析によってそれが見出されなければ、反証される訳ですね。そういう意味で、「反証されているのに、実証されたと言い張る」ニセ科学です。勿論、方法の妥当性の問題等は、付きまといますが。
ニセ科学とは、「見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの」(菊池誠氏)ですから、反証可能性の問題とは、分けて考えるべきかと思います。

 >UFOとか占いとかのしょぼい仮想敵

上にも書きましたが、これは、そもそも「科学という団子」とは、全く異なるものですよね。その観点からこれらを非難するのは、ニセ科学批判とは、違います。ニセ科学批判は、「科学という団子に見せかけてあるもの」、「多くの人が、科学という団子だと思ってしまっているもの」を、対象にしているのですね。

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長文、失礼しました。

投稿: TAKESAN | 2007年3月12日 (月) 02:26

どうも,はからずもこちらのブログで取り上げられてしまっているものです。専門外ですので,できればお手柔らかに。

団子の例えがあまり伝わっていないのはこちらの文章力不足でしょうし,そもそも私もエセ科学自体の原典をあたっていないためでしょう。

私はまったくエセ科学に詳しくなく,前提知識が違うので良く解らない部分も多いのですが,取り敢えず言いたかったのは以下の2点です。

1:現代科学はそれほど確固たるものか?
2:エセ科学批判が何を生み出すか?

現代科学に関して,特に性格についてはそもそも今の心理学?でも微妙なんじゃないかと思ったんですけどね。

ブログ主の方が「状況がおおきく・・・考えている」といっているように,その性格に対する考え自体は,科学的ではあっても唯一の答えではないことを物語っているのでしょう。

A=Bを否定するのに,Bを判別できない(疑問の余地を残す)のは,証明として問題があると思います。

私としては,科学的実証とやらがどの程度のものなのか,自分で携わっていて,あるいはヒトのものを見ていて,つくづく危うく思うものですから,それを振りかざすのは危険なのではと考えているだけです。

後,エセ科学否定の意味です。多分,こういう形で否定しても信じるヒトは信じていまいそうな気がします。

なんというか,やっぱりこういう科学者による否定の実証と世間のヒトの感覚がずれてるよう気がする点です。なんでなんでしょうね?

この点が「ままごとゲームのなかの団子」と「大人にとっての団子」の違いなんですけどね。ままごとゲームのなかの団子は泥で良いんですよ,多分。

個人的には,血液型性格判断はエセなんでしょうけど,エセであるにも関わらずこれだけ深く根付いていることの方に興味があります。

普通,ちゃんと機能しないものは捨てられると思うのですが,血液型にしても星座にしても生き残っている。これって実はヒトの性格の本質と深く関わっていたりしないんですかね?

中途半端に血液型性格判断を否定するよりも,どういうエピソードを経て個人が信じるようになったのか,如何なる文脈でこの方法は用いられているのか,これを知ることの方が,ヒトの性格という,捉え難きものを一層深く理解することに寄与することはないでしょうか?

若輩者としては,エセ科学ごときを糾弾する科学よりも,エセ科学すら取り込んで現象の理解に取り組む科学の方が断然面白いと思うんですけど。

長文失礼しました。

投稿: Shanggelila | 2007年3月18日 (日) 20:26

Shanggelilaさん、今晩は。

私も専門? ではありませんので…。

 >私はまったくエセ科学に詳しくなく,
 >前提知識が違うので良く解らない部分
 >も多いのですが
との事ですが、ニセ科学についての議論ですので、ある程度、資料に当たられた方が宜しいかと思います。前提知識が違うのでしたら、余り、建設的議論は望めないでしょう。

ニセ科学というのは、現代科学で実証されている(又は、根拠が確かめられた)かの如く信じられている説の事です。或いは、主唱者が、説明原理に科学的概念を、科学的論理を無視して用いる説である、とも言えるでしょう。具体的に言えば、血液型性格判断は、心理学的には反証されたと言える訳ですが、それを主張する人は、「科学的に実証された」と言っているのです。だから、「ニセ科学」なのです。ところで、性格が状況に大きく依存するなら、そもそも血液型との関連を調べても、余り意味が無い事になりますし、性格が安定していて、かつそれが妥当なかたちで測定出来るなら、統計解析によって、強く関連する事が示されなければなりません。そしてそれは、心理学的研究によって、否定されている訳です。

 >それを振りかざすのは危険なのでは

その通りです。ですから、ニセ科学の、科学性を「振りかざす」姿勢を、批判しています。

 >これって実はヒトの性格の本質と深く
 >関わっていたりしないんですかね?
血液型に関しては、歴史が短いので除外するとして、星座に関しては、脈々と受け継がれているから、そこに何がしかの根拠があるかも知れない、と推論する事自体は、良いと思います。しかし、それから先を調べるのが、科学の仕事です。
星座と性格とが関連するという説の科学性に関しては、それこそ色々な議論が為されています。伊勢田哲治氏の本等を、お勧めします。又、一般的には、星座と性格との関連を信じる人は、別に「科学的根拠」があるとは思っていないと考えますが、それは既に、「ニセ科学」では無いのです。上の、JosephYoikoさんのコメントを、よくお読み下さい。

 >エセ科学ごときを糾弾する科学よりも

はっきり申し上げますと、ニセ科学問題について、余りに軽く見ていらっしゃる様です。ニセ科学的言説が、どれだけの弊害を及ぼしてしまったか、或いは及ぼし得るか、それをご存知でしょうか。それから、「エセ科学すら取り込んで現象の理解に取り組む」という部分が、具体的にイメージ出来ません。

投稿: TAKESAN | 2007年3月18日 (日) 22:33

ニセ科学批判の文脈では、「科学的には関係無いのかもしれないけど、別に信じるのはいいじゃないか」、という意見に対しては、何も言わないのですね。それが、「何か科学的に確かめられたらしいよ」、という意見なら、現代科学の視点から批判される訳です。

何度も書いていますが、超能力があるとか主張する事自体は、別にニセ科学ではありません。それが、たとえば超心理学的な研究で、「科学的に論証された」と主張された場合には、他の科学者からのチェックが入るのです。

投稿: TAKESAN | 2007年3月18日 (日) 22:50

私が自分のとこで言ったようにニセ科学には特に興味ないのでその手のものは読まないでしょう。多分,面白くないし。いや,そちらから話を振られたから来ているわけで,もう来ませんのでご心配なく。

私が最初から言っているのはあなた方の科学についてです。ニセ科学なんぞはどうでもいいんですよ。

あなたの血液型性格判断に対する反証を,例えば物理学者や数学者が聞いたらなんて言うでしょう?

多分「形容詞を用いて,好き勝手に,なおかつ曖昧に状況を限定して科学的実証と言えるの?」と。

引用:状況が大きく変わらなければ・・,性格もある程度・・・,一貫していると想定して・・・,人格心理学的には、色々な議論があるでしょうけれども・・・

純粋培養された現象のみを扱う科学者にとっては,到底あなたの科学的実証は受け入れられないでしょう。あいまい過ぎますし。実際,物理学者によるそういう議論もあったと思います。

科学的実証とやらの境界が,物理学とあなたのディシプリンの間に引かれたらどうします?上のような実証を用いていては,「科学」の本家があなたを仲間に入れてくれる保証はありませんよ?

という可能性を指摘しているだけなんですけどね。サイエンスポリスになるのであれば,もう少し分野外の本を読んでみられるのも良いかも知れません。長文失礼しました。

投稿: Shanggelila | 2007年3月19日 (月) 11:28

Shanggelilaさん、今日は。

「サイエンスポリス」という表現が、Shanggelilaさんの認識を、端的に表していますね。「あなた方の科学」というのは、意味不明です。

 >例えば物理学者や数学者が聞いたらな
 >んて言うでしょう?
物理学者が受け容れた例を出せば、納得なさる訳ではありませんよね? ニセ科学を批判している代表的な科学者は、どういう人でしょうか。

何というか、ちょっとガッカリしました。誤読なのか曲解なのか判りませんが、全く建設的な議論は望めない様ですので、これでお仕舞いにした方が良いですね。

最後に、もう一度言っておきます。
ニセ科学は、現在の科学で認められた方法によって実証されていると思われる、又はそう主張する人がいる説であり、実際にはその様な根拠が無いもの、です。

投稿: TAKESAN | 2007年3月19日 (月) 11:43

これ、ぼくのところでも何度か扱ったのですが、所謂「ニセ科学」は根本的に「科学」と相容れない部分を持っているので、将来的に「ニセ科学が科学に資する」可能性はないんですよね。

で、このことはぼくも云ってますし、「なぜ反証実験なしに否定していいのか」と云う件に絡めて、複数の科学者の方がちゃんと説明されています。

で、それらの文献に当たるのは(ここに書き込めるぐらいなら)とても簡単なのに、その部分を自分で確認すらせずに意見を云う、と。これは「議論をしてるつもりになっている」だけなんですよね。その言説は「自分が議論をしているつもりになれて気持ちいい」以外の意味はなくて、当然ながら主張そのものも(自分以外には)意味のあるものとして受け取ってもらえない。

いや、そのこと自体はかまわないんですが、他のひとのブログのコメント欄なんかですべきことじゃないですよね。

※2007年3月20日 poohさんの依頼により、最後の一文を削除しました。

投稿: pooh | 2007年3月19日 (月) 12:23

私は最初、似非科学や疑似科学等の用法をちょっと誤解なさっていて、それに絡めて批判者批判を展開している様に見えたので、そこを指摘したつもりだったのですが、理解して下さらなかったみたいです。

血液型性格判断とか、別に、私が反証した訳では無いんですけどね…。反証と言っても、勿論、関係無い事が示された訳ではありませんが(それは不可能ですしね)。新奇の説を出す側が、実証する責任を持つ訳で、それをせずに実証したと言っているから、「ニセ科学」なのですよね。
もしかしたら、私が「血液型と性格は関係無い」と主張していると、思われたのかな…。出来るだけ慎重な言い方をすれば、「多くの心理学的研究によって、強い関連が無い事が示された。従って、世間で信じられている様な、性格と血液型との関連は、無いと言って良いだろう」、という感じでしょうか。

投稿: TAKESAN | 2007年3月19日 (月) 13:00

ここの議論とは関係のない話なのですが、上記のpoohさんのコメントを、例の御仁が理系白書とoosakaecoさんのところへコピペして貼っていますね。
他にも貼る可能性がありますね。

投稿: corvo | 2007年3月19日 (月) 14:28

他の所でも確認しました。
改変までしてますね。無茶苦茶です。

投稿: TAKESAN | 2007年3月19日 (月) 16:21

corvoさんへ。

氏は、完全に、やってしまった様です。一線を越えました。

最早、自身の行為を認識しているかどうか、というレベルでは無いですね、あれは。

投稿: TAKESAN | 2007年3月20日 (火) 00:16

poohさんへ。

コメントの最後の一文を、削除しておきました。

読者の皆さんに解る様に、削除した旨の、私のコメントを加えましたので、ご容赦下さい。

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遂に、改変までされてしまいましたね。自身のやっている事を、理解すらしていないかも知れません。

投稿: TAKESAN | 2007年3月20日 (火) 00:19

ご容赦、じゃなく、ご了承下さい、かな。細かいですが…。

投稿: TAKESAN | 2007年3月20日 (火) 00:48

ありがとうございます。申し訳ないです。

投稿: pooh | 2007年3月20日 (火) 06:14

poohさん、お早うございます。

いえいえ、お気になさらずに。

投稿: TAKESAN | 2007年3月20日 (火) 09:42

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