メモ:ゲーム脳が仮説から脱却するには
ちょっと視点を変えて。例によって、走り書き。整理されていないし、重複部分もあります。
- 脳機能イメージングによって、高い確度で認知症が診断できる事を、論証する。
- ゲームによって、同様の脳活動が見出される事を、論証する。
- 或いは、ゲームプレイ時間と、認知機能に関する心理尺度のスコアとの相関関係を、論証する。
- ゲームプレイ中に賦活しない事が見出されたとすれば、それが恒常的である事を論証する。
- あらゆるゲームにそれが見られるか、それとも特定のゲームで起こるかを、論証する。
- あらゆるゲームで起こるならば、そこに共通する要因を見出す。
- 特定の種類のゲームで起こるとするならば、普及しているゲームの大部分が、それと同様の特性を持っていなければならない。そうでなければ、ゲームをやると脳機能が低下する、という仮説が成り立たないからである。
- ゲーム以外では起こらない、或いは、ゲームプレイによって著しく起こる事を論証する。そうでなければ、「ゲーム」を術語に含めるのが不適当だからである。
せめて、これくらいは、やって下さいね。
そもそも、ゲーム脳に定義がありませんからねえ…。森氏のロジックは、認知症がイメージングの結果によって診断出来るらしい→ゲームをやると、同じ様な結果になるらしい→ある脳波の状態を「ゲーム脳」と名付けた→ゲーム脳人間は、色々問題がある(悉く主観)。というものですから、論理的に批判する事自体が、難しいんですよね。
端的に書けば、脳の「機能が低下」する事を「ちゃんと測れる」方法を用いて、それが「ゲームによって」引き起こされる事実を見出して、「ゲーム以外では起こらない」と論証しなければ、ならないのです。
ところで、『ゲーム脳の恐怖』をお読みになっていない方の為に、本の腰巻に書かれている文章を引用します。※著者がその内容に関わっているという事では無いでしょうから、本そのものへの批判と取って下さい。
テレビゲームが、子どもたちの脳を壊す!
脳波データの解析で、その恐ろしさが明らかに。
まあ、これ程あからさまに、特定の文化を否定するものも、そんなに無いでしょう。駄目ですよね、どう考えても。
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コメント
幾つか補足。ツッコミ歓迎。
「脳の機能低下」という生理学的概念と、「認知機能の低下」という心理学的概念を、「イメージングによって見出された”賦活”しない」という結果によって、強引に結び付ける、というロジックですね。認知機能の低下は、ある程度心理学的測定によって測れるものだと思います。そして、その自然科学的原因として、脳の生理的機能低下を考えるのは、神経科学的に、当然だと思います。しかし、具体的に、脳イメージングでどの様な結果が出ればそれが解るか、などは、まだよく見出されていない訳ですよね。神経心理学におけるゲージ症例などは、又別の話だと思います。物理的に完全に欠落している例ですし。
「ゲーム」を術語に含めるのは妥当か、という話。
ゲームプレイ中以外に同じ様な現象が見い出されたとしても、ゲームによって初めに発見されたなら、それでも良いのでは、という意見があるかも知れませんが、現象の発見者を術語に冠する場合等とは違うと、私は考えています。本文の5・6・7も、根拠にしています。
そもそもゲーム脳自体が曖昧な概念なので、そこまで考慮する事も、無いかも知れませんけれど…。
投稿: TAKESAN | 2007年3月12日 (月) 12:24
そうそう、『Newsweek』(日本版)のニセ科学特集(必読)に、森氏の発言が載っていましたが、まあ、いつもの通り、「毎日4・5時間ゲームしている人で優秀な人がいる事の証明が無い」(大意)なんて事を、仰っています。
・新奇の説を主張する場合に、責任はどち
らに?
・もし、そういうサンプルがあって、
「優秀」である事が示されたら、どうし
ますか?(ちょっと幼稚な仮定ですが) 多分、「例外」と見るのでは。
投稿: TAKESAN | 2007年3月12日 (月) 12:43
細かい指摘ですが…
「毎日4・5時間ゲームしている人で優秀な人がいる事の証明が無い」
って、「優秀」の定義も謎ですよね。少なくとも、毎日それだけゲームをしていれば、ゲームをやる技術は「優秀」なものになっていそうですし(笑)
森氏の言う「優秀」という言葉が、どういうことに対する「優秀さ」なのか、という問題もありますよね。無論、その「優秀さ」というものが妥当なものかどうか、という議論も含めて。
思うに、森氏の理論展開というのは、原因→結果、と、結果→原因、というものを繰り返すことで無限にその範囲を広げていると思うんですよね。
つまり、ゲームをやると、脳機能が低下する。だから、反社会的行動を取る。
といったあとは、
反社会的行動を取った人を見て、これはゲーム脳のせいだ、とし、その生活の中から「これのせいでゲーム脳になったんだ」と決めつける。
そして、その原因としたものをやっている人全てをゲーム脳として、次の反社会的行動をする人を探す…。
なんか、こういう流れが出来ているように感じるんですよね。
こう言っては何ですが、森氏の言う「正常な人間」というものを探すことが難しいと思います。
投稿: SST | 2007年3月12日 (月) 15:44
SSTさん、今日は。
>「優秀」の定義
そうですね。森氏に好意的に見れば、インタビューで答えたのだから一般的な言い方になったのだろう、となるかも知れませんが、では改めて、「優秀とはどういう事ですか?」と訊いてみれば、どんな回答が返ってくるでしょうね(いや、まともに答えないだろうな、と思っているのですけど…)。「優秀」って、極めて価値的な概念ですしね。
そもそも、ゲーム脳自体、認知機能低下を問題にしていたはずですが、それと「優秀さ」は、全然違う話ですし。
※ところで、記事では、「優秀」という語を用いていましたよね?
図書館で読んだので、記憶を基に要約を書いたもので。勿論、記事にするにあたって、ニュアンスが出てきた可能性もあり。
>原因→結果、と、結果→原因、という
>ものを繰り返すことで無限にその範囲
>を広げていると思うんですよね。
そうなんですね。
9兆歩程譲って(譲りたくないですが)、「ゲームをすると脳機能が低下する」、としても、直ちに「反社会的行為に繋がる」訳ではないし、反社会的行為に至った者に対して、それは「ゲーム脳」に拠るものであろうと判断するのは、完全に飛躍ですね。
森氏の論は、誤謬で固められています。「ゲームをすると脳機能が低下する」という仮説の検証作業を、完全に怠ったまま、その仮説を真としてしまって、「ゲーム脳になれば反社会的行為を犯すであろう」という前提を勝手に真と看做して、反社会的行為に至った者がいれば、「それはゲーム脳だからだ」、という、後件肯定の誤謬にいたる訳ですね。かなり無茶苦茶です。
>森氏の言う「正常な人間」というもの
>を探すことが難しいと思います。
森氏の発言や文章から鑑みると、「森氏が正常だと”思っている”人間」でしょうね。コスプレイヤーを見て、衝撃を受ける様な方ですから…。
投稿: TAKESAN | 2007年3月12日 (月) 17:53
こんばんは。
議論が進むと、どこかで俯瞰することも必要ですので、TAKESANの整理は、大変助かります。他のページを見ていても、ここに時々立ち戻ったりもしています。いや、お世辞抜きで。
私は、森氏をはじめゲーム脳を進めたい人たちの「ゲーム」の定義の曖昧さが気になっております。
もちろん森氏がゲームを知らないというのも有るでしょう。
それだけでなく、具体的に定義してしまうと、親のニーズからはずれてしまうように思います。シューティングはダメだけと、ロールプレイングはOKなんてなると、親としても困ってしまいます。だから、漠然と「テレビゲーム」なんでしょう。親としては、とにかく「ゲーム」をさせたくないんです。そいうのに森氏がのっかているように思うんです。
反射が必要なシューティングゲームと、ターン制で時間に束縛されないシミュレーションゲームで、使う脳が同じとは、誰が考えても思えないでしょう。
投稿: ドラゴン | 2007年3月12日 (月) 19:25
恐縮です…。
正に仰る通りで、とにかくゲームをさせたくないという親御さんは、「ゲーム」と、一括りにしたいのだと思います。だから、ゲームに色々な種類がある事自体を、深く考えないのでしょうね。そして、ゲームそのものの害悪を訴える森氏の言説に、乗ってしまう、という。
因みに、私は、中学・高校と、ほぼ毎日、3時間程度はゲームしていましたが、親に強く叱責されるとかは、無かったです。
で、今振り返って思うのは、自分が好きな事に煩く言われなかったのは、ありがたかった、という事ですね。
それと、もうちょっとゲーム時間を減らして、他の事もやっとけば良かったなあ、とも考えています。それこそ、数学とかその他の科学の勉強とかですね。月並みですが、色々なものに興味を持つのが、重要だと思います。
投稿: TAKESAN | 2007年3月13日 (火) 00:44
それと、ゲームは一人でやるもので、コミュニケーションは取らない、というのが、ゲーム批判の文脈で、よく見られるのですが、これは、誤解も甚だしいのですね。
攻略を競ったり、解らない事を教え合ったり、パーティゲームを皆でやったり、という、コミュニケーションツールなのですね。
これは、経験的な話ですが。
ゲームそのものの特性では無くて、「ゲームを好きな人に向けられる目」の威力の方が、圧倒的に大きいと、感じています。
投稿: TAKESAN | 2007年3月13日 (火) 00:47