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2007年3月15日 (木)

善意でも

poohさんの所にコメント入れようとしたら、長くなり過ぎた…(←何度目だろう、これ)。

悩ましい、のですよね。

私の話をしてもしょうがありませんけれど、以前、とても近しい人が重い病気にかかって、余命いくばくも無いと解った、という事があったのですが、そういう時って、色々考えるのですよね。医師の技量は充分なのか、とか、実は他に有効なものがあるのではないか、とか。民間療法にも何かあるのでは、とすら考えました(探したりはしていません)。
やっぱり、そういう事って、あるのですよね。だから、ニセ科学に縋る人を否定したり、科学リテラシーの無い人をバカにしたりとかでは、全く無いのですね。
前の(poohさんの)エントリーで、corvoさんも、ニセ科学的言説に傾倒していた時期があった、という事を仰っていましたが、ニセ科学を批判する側にも、色々な経験があるのですよね。決して、ニセ科学に縋る人を、無知蒙昧と看做して見下す訳では無いのです。

しかしそれでも、ニセ科学は批判しなければならない。それは、科学という文化に対する誤解を招き、徒に現代科学への不信を煽り、場合によっては、救えるかも知れなかった命を失わす事すらあるのですから…。

poohさんが言及なさっているIEさんのブログは、大変興味深いです。コメント欄のやり取りも含めて。

もう一つのエントリーで、伊勢田氏の本を紹介しています。ニセ科学と科学との関係に興味がある方に、お勧めします。要約でもしようかな…。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

このあたり、osakaecoさんが提示されている視点はほんとうに悩ましいんですよね。
メタ化していろいろ云うのはまだ容易なんですが、そう云う言説にはたぶん実効性がないだろうし。

IEさんの地に足のついた思考経路はすごいなぁ、と思って、言及してしまいました。

投稿: pooh | 2007年3月15日 (木) 08:14

悪い事にと言うか何と言うか、実際、ニセ科学を信じる人に対して罵倒したり、という人も、いる訳ですよね。で、そういう発言なりというのは、強烈に印象に残りますから、そっちに振れたイメージを持たれる、と。
だからこそ、メタな視点から分析して、それと同時に、非難の意図は無い事を、言い続ける必要があるのかな、と思っています。

私が以前、パオロ氏のエッセイに触れて、「笑う」事には慎重になるべきではないか、と書いたのも、そういう考えを持っているからですね。笑うというのは、「見下し」に繋がる事もありますから。そういう方法自体が駄目だ、と言っている訳ではありませんけれど。「笑う」という現象には、「笑われる」対象が必ずある事を、認識しなければ…。

投稿: TAKESAN | 2007年3月15日 (木) 11:14

あ、一応補足です。

上に、色んな事を考えた、と書いていますが、医師・医療に不信を持った、という事では無いです。そういう事(治療に当たった人の能力は充分か、とか)もぼんやりと思った、というのが近いかな。

私や家族は、医学・医療に対しては、基本的に、信頼感を持っていると思います。私自身、お世話になった事もありますしね。
ただ、「解ってはいるけど」色々考えてしまう、というのが言いたかったんですね。

今の自分は、更に冷静な認識を持っていると思います。それが良いのかどうなのか、定かではありませんけれど。

投稿: TAKESAN | 2007年3月15日 (木) 18:16

僕も身近に闘病生活を見守ってきた経験があります。幸い生還しましたが、それはもういろいろな人が手助けしてくれました。基本的には医師と病院を信頼し、結果的に良かったのですが、親戚から薦められた「きのこ様(はっきとは書きませんが分かりますよね)」を定期的に併用したりしていました。主治医にも相談しましたが、はっきりと効果は期待できない、という話でした。
それでも薦めてくれた手前もあるし、藁にもすがりたいという気持ちもあったし、採用したわけです。結果が良かったので、今は冷静に考えられますが、これが最悪の結果であった場合、今どうであったか。

横道にそれますが僕が「うま」氏に違和感と嫌悪感を感じるのは、彼が経験に基づいた話をすることなく、検討はずれな想像力を働かしているように感じるところです。
僕が彼から批判されることは、何もないと思うのですけどね。

投稿: corvo | 2007年3月15日 (木) 20:23

corvoさん、今晩は。

poohさんの所でも紹介されていましたが、NATROMさんのブログに、興味深いエピソードがありましたね。
ああいう事が起こり得るのですよね。そしてそれが、善意からの行為であるが故に、大変悩ましいのですね。

何故か私達は、”ニセ「ニセ科学批判」”者と、捉えられていますね。私なんて、筆頭っぽいですね。このブログのリンクを、何の関係も無い所に貼ったりもしていましたしね(うまさんかどうか、断定は出来ませんけれど)。私は、うまさんの発言は、殆ど読んでいないですね。

投稿: TAKESAN | 2007年3月16日 (金) 00:21

私も確定申告に医療費控除を申請する慢性病もちです。今年は20万円切ってよかった。
個人的な経験として喀痰細胞診で擬陽性が出たときは肺がんを覚悟したときがあります。2回目の検査で問題が無かったのですが、2回目の検査結果が出るまでは死に向き合わざるを得ませんでした。年齢的に肺がんだったら半年ぐらいかと考えましたしね。
 
人は善意で行動するときには行動する前提が善なので、無邪気な側面があるのですよね。冷たい言い方になりますが「善意からの悪行」の存在があることを各個人が意識しないと自分がしてしまうことがあり得ると自覚することの大切さを説くしかないかなと思います。善意を前面出されると、拒否するのに罪悪感を抱いてしまう。ひどい人だと拒否した後何か問題が発生した時「だから言ったのに(自業自得のニュアンスで)」と言う人もいます。善意を持って行動した人が「善意の拒絶」にあって意趣返しとでも言いますか。

ニセ科学・健康食品・宗教・マルチ・・。悪意を持って悪意を広める人はなかなかいません。末端は善意を持って行動するから防御力が弱くなる。最初の悪意から「善意の再生産」を生み出している仕組みは人である以上崩せないのかもしれません。

投稿: FREE | 2007年3月16日 (金) 00:59

 >「善意からの悪行」の存在があること
 >を各個人が意識
全く同感です。
やはり、善意は尊重したいし、無下にはしたくない、という気持ちは働きますね。でも、その行為が明らかに間違っていたりする場合に、とても難しい状況になりますね。「善意による押し付け」とでも言いますか。「自分が善いと思っている事は、相手の為になるだろう」という、強い確信が働いているのかも知れません。それが命に関わる場面になると、「救いたい」という、最も強力な善意が根拠になるので、益々難しくなるのでしょうね。

ニセ科学にしてもそうですね。kikulogでもよく出てきますが、水伝にしろ、それを普及させたい人は、善意からなのでしょう。だから悩ましいのですよね。

 >「善意の拒絶」にあって意趣返し
というのは、多くありそうです。

投稿: TAKESAN | 2007年3月16日 (金) 01:23

「善意でやっている」ということ自体と、その「内容が本当に相手にとっていいことかどうか」というのを分けて考えづらいんですよね。だから、もし内容におかしな点があった場合、内容を批判することが相手の善意も否定すること、つまり人格否定になってしまい易いのではないでしょうか。少なくとも、自分の善意を疑わない人はそう受けとめるのでしょうね。
・善意で、行為の内容が相手にとっても善である。
・善意だが、行為の内容は相手にとって善ではない。
両方あり得ると自覚すると、自然に内容を吟味するようになると思うのです。困ったことに、教員には無自覚な善意の人がとても多いのですよ。

投稿: Clov | 2007年3月17日 (土) 08:50

Clovさん、お早うございます。

そうなんですよね。好意を遠慮したら、全部否定されている、と感じるのかも知れません。

何度かここに書いたのですが、「自分がして欲しい事を、相手もして欲しがるとは限らない」のですよね。そこは、ちゃんと見ていかなければならないと思います。
しかし、事が代替医療に絡んでくる場合等だと、価値観というより、科学的論理に関わりますから、「現代医学より普遍的」なのだ、という信念が形成されていて、それは容易に説得出来ないのでしょうね。本来なら、その普遍性を、科学的に吟味する必要があるのですが、そもそも現代科学に不信を持っているので、それを受け付けない、という…。


投稿: TAKESAN | 2007年3月17日 (土) 10:53

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