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2007年3月19日 (月)

質問

養老伝説(第一回構造構成主義シンポジウム) - 西條剛央のブログ:構造構成主義 - 楽天ブログ(Blog)

肩こりは、日本特有の感覚という話は有名だが、これは外国では肩こりという構造(名)がないため、肩こりという感覚が生じないのである。日本に住むようになり、肩こりというカテゴリーを獲得した外国人が肩がこり始めるということはあるのだ。
これは身体感覚に、言語や文化が否応なく織り込まれていることの傍証に他ならない。

この(外国では云々)お話、結構よく聞きますね。

で、詳しい方に伺いたいのですが、これって、本当なんでしょうか←私達が日常的に「肩凝ったなあ」と言う様な感じで、外国で(「外国」って言っても、広いですけれど)、「後頸部から肩、および肩甲部にかけての筋肉の緊張感を中心とする不快感、違和感、鈍痛などの症状、愁訴」(頭痛大学:肩凝りを医学的に定義すると 参照)が話題に上る事は無いのか、という意味ですね。

「肩こりという感覚が生じない」という表現、ちょっと誤解を招きそうな気がします。「感覚が生じない」と言うよりは、肩の周りに生ずる感覚(上の定義参照)に「肩凝り」という名を与えなければ、それが恒常的に認知される事は無い、つまり、日常的な言葉を使えば、「気にならない」、と言った方が良いと思います。後は、「顕在意識に上らない」とか。細かい事ですけれど。勿論、「身体感覚に、言語や文化が否応なく織り込まれている」(西條氏)という部分には、賛成します。高岡英夫氏の概念を借りれば、身体意識の構造は、身体意味構造に規定される、といった所でしょうか。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

構造構成主義がいまいち良くわからないですね。弱い相対主義と構造主義と意味論を混ぜたようなイメージですが・・・。
 
命名されることで象徴化、カテゴリー化される。概念化されたものがイデアとなって現実を再構成する・・・。個人的真理としては正しいと思います。
 
肩こりは肩こりとして命名されていないから、個人の中で意味づけされていないだけで、肩こり筋肉の状態や血流の状態が存在しないのとは無関係ですよね。肩こりを知らない本人にとって「肩こり」が存在しないのは個人的な真理ですけど。

投稿: FREE | 2007年3月19日 (月) 18:52

FREEさん、今晩は。

私も、西條氏の著作(共著以外に)に当たっていないので、詳しくは解らないですね。夢想の剣さんご紹介のリンクを読むと、高岡英夫という方の論に似ているかな、という気がします。
西條氏の、学問に対する態度は、とても好感の持てるものだと思います。

西條氏に好意的に見ると、「感覚」を、日常的な意味、つまり、「気付き」等と同じ意味で用いておられるのかも知れません。しかし、「生じない」とも書いていますので、指摘しました。エティックな現象として、身体の状態が存在するが、イーミックな概念として「肩凝り」が無い、といった所でしょうか。概念を知った途端、強烈に意識(顕在化)される場合がある、という感じですね。

投稿: TAKESAN | 2007年3月19日 (月) 19:12

ちょっと、話題がずれますが。

今まで、何かよく解っていなかった不快感の様なものがあって、それが「凝り」という概念として認知される事によって、心理的に安心したり、具体的な対処法が解ったり、という事もあるでしょうね。心理学的にも、研究されている所でしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年3月19日 (月) 19:17

あいにく外国に行ったことも外人の友達もいない私ですが、な~んかだいぶ前、テレビでケント・ギルバートか誰かが「私の国では『肩こり』というのは無いです。『肩が痛いな~』と言う程度」みたいなことを言ってた記憶があります。オボロゲな記憶ですみません。
それと別の番組で、アメリカの街角で、日本人の指圧師が道行く人を呼び止めて首や肩に施術するという企画がありましたが、皆「オー、肩が軽くなったよありがとう!」とか喜んでましたから、それなりに凝るんじゃないでしょうか。

投稿: 夢草の剣 | 2007年3月19日 (月) 22:47

答えになりそうなページを見つけました。

「日替わり ひとことENGLISH 」
http://www.eigo21.com/etc/hitokoto/36.htm

>359  have a stiff neck  (肩がこる)
>「肩がこる」を英語では have a stiff neck (凝った首を持つ)と言います。 なおこの stiff neck から生まれた be stiff-necked は「肩こりがある」ではなく「頑固で傲慢だ」という意味なので注意が必要です。
>
>
>さて「秋の虫の声や紅葉を鑑賞するのは日本人だけ」と同じ「日本人にあって欧米人にないもの」という伝説の一つが「欧米人に肩こりはない」でしょう。 実際は, 欧米人にも肩こりはあるものの, その認識とそれに付随する「文化」には確かに違いがあるように思えます。
>

「首こり」はあるけど「肩こり」はない、ってことでしょうか?(笑)

投稿: 夢草の剣 | 2007年3月19日 (月) 22:53

夢草の剣さんへ。

上のコメントで、お名前の表記を間違えてしまいました。大変、失礼しました。

興味深い資料、ありがとうございます。
なかなか面白いですね。やっぱり、ほんのちょっと、言葉の使い方がずれている、といった感じなのでしょうか。言語論とも絡んできますね。
社会科学系で、調べたものがありそうな。いや、そこまで追求しても、仕方が無い訳ですけれど(笑)

投稿: TAKESAN | 2007年3月20日 (火) 00:30

西條氏の連載⇒http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2007dir/n2729dir/n2729_07.htm

読みやすい文章ですね。

自然科学の研究者等は、表現の仕方に、違和感を持ったりするかも知れません。

話の種としてご紹介。

投稿: TAKESAN | 2007年10月28日 (日) 15:52

せとともこさんのブログでの、亀@渋研Xさんのコメント↓
http://ts.way-nifty.com/makura/2008/01/post_13ee.html#comment-17316354
を読んで、ここのエントリーを思い出したのでした。

ところで、色の識別について。
よく、言語学とか記号論なんかで、このエピソードは出てきますね。とても示唆的で、言語について象徴的なものだと思います。
で、これに関連して、強い言語相対性仮説から導き出される説、つまり、言語の構造によって、「色の見え方」が違う、という説を検証した、認知心理学的な研究があったと記憶しています。
その研究によって、色について語彙が少ない言語を使う人々が、色の刺激を弁別出来ない訳では無い、という事が判明した訳ですね。
分節の仕方が異なる、という事なのかな。

実は私、サピア=ウォーフの仮説の話を初めて見た時、普通に、弱い仮説の方を認識したのですよね。その後に、上のような研究を知った時には、「え? そういう風に捉える立場もあったのか」、と思ったものです。

投稿: TAKESAN | 2008年1月30日 (水) 17:27

こんにちは。

サピア=ウォーフの仮説に関しては、何か抗し難い魅力があるようですね。うちのエントリでもほんのちょっと名前が出ただけなのに、検索エンジンから定期的に一定のアクセスがあります。

もうお読みになったかもしれませんが、こないだネットで読める簡単な資料を見つけたのではっておきます。
http://www.ipc.hokusei.ac.jp/~z00105/_kamoku/kiso/99/matuo.html

情報がちょっと古いですけどね。
言語相対論については認知言語学と言われる領域できちんと研究され続けているそうですが、僕はその分野にはあまり詳しくないので、最近の研究成果を紹介することができなくて残念(というか歯がゆい)です(^^;

強いサピア=ウォーフ仮説をとる人は現代ではもういないでしょうけど、弱い方はというと、こちらは仮説としては漠然としているために、何をもって検証/反証されたとするのかが難しいところだと思います。
面白いエピソードも面白い研究もいろいろあるのですけれど、それらをどう一般化、体系化するのかは難しい、という感じでしょうか。

投稿: dlit | 2008年1月30日 (水) 18:36

dlitさん、今晩は。

ご紹介のページ、丁度、さっき読んだ所でした。

サピア=ウォーフの説については、結構前から知っていたのですが、言語相対性仮説の実証研究については、放送大学の、高野陽太郎氏の講義を観て、色々行われているのを知ったのでした⇒http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~takano/j/j-prof.html#3-1-2

▼▼▼引用▼▼▼
こちらは仮説としては漠然としているために、何をもって検証/反証されたとするのかが難しいところだと思います。
▲▲引用終了▲▲
確かにそうですね。なかなか難しそうです。あまり押さえて無いので、具体的にどんな研究があるのかは、よく解っていなかったりもしますが…。

投稿: TAKESAN | 2008年1月30日 (水) 18:50

僕がはったリンクにも関連研究がありましたし、高橋陽太郎さんの研究にも関係するところですが、例えばこの間「母語の違いによって、幼児期の認知活動の発達に差が見られる」という論文に対して反論する論文を書きたい、というような議論をネット上で見かけました。

また「思考」といっても難しいのですよね。色の知覚のようなものから、何らかの状況が理解できるか、あるタスクが達成できるか、など色々なレベルがありますし。
本当は脳科学のハードの研究の方と上手くリンクできれば良いのでしょうけど、言語に関係する脳機能、特に意味や思考に関係する部分はかなり未開拓な部分が大きいので、こちらも厳しいようです。

面白い分野には違いないのでしょうけど、面白い分大変であるというか。

投稿: dlit | 2008年1月30日 (水) 20:33

そうですね。どのように概念を切り分けるか、とか、また、それをどう実証的に論証するか、というのを考えると、かなり難しそうな分野に思います。

なんか、「意識」とも関わってきそうですね。

投稿: TAKESAN | 2008年1月30日 (水) 23:31

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