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2007年3月 7日 (水)

偏った見方かも知れないけれど

poohさんの所にも、似た様な事を書きましたが。

理系白書ブログでの、元村氏に対する批判。私は、穏当な部類だと思っているのですよね。

と言うかですね。柘植さんやJosephYoikoさんや、他の、高い知性と幅広い知識を持った専門家の方々が、「わざわざ」忠告している訳です。JosephYoikoさんのコメントなんかは、確かに超辛口ですが、単なる誹謗とは、全然違いますからね。必ず論理的な批判が含まれている。これって実は、かなり「ありがたい」事だと思うのです。おかしな所とかを、チェックしてくれているのですから。あちらのコメントを見ると、元村さんが誹謗中傷を受けている、みたいに捉えている方も、おられる様です。

元村さんは、批判に対して異論があれば、反論すれば良い、と思うのですよ。そうじゃなくて、いつも、はぐらかす様な書き方や、無理に一般論に持っていこうとなさるのは、如何なものかと感じるのです。

理系白書ブログ: メディアと科学

男社会で第一線で活躍中の”おんな”に対する”できないおとこ”の嫉妬、やっかみ、いじめ、の形を変えたものでは?・・・・・はうがちすぎでしょうか(3月6日 14:05の、遅れ痴さんのコメント)

こんな考え方をするんですねえ…。こういう、いかにも「無意識」を問う様な物言いは、ダメダメです(柘植さんのレスの様に答えざるを得ないので)。

※「忠告してるんだから感謝すべきだ」、と言っている訳ではありません。

※元村氏への批判というより、理系白書ブログに寄せられるコメントの一部を読んで、思ったりした事を、書きました。

※これは、理系白書ブログの最新のエントリー(「再び大阪」)を読む前に、書いたものです。

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コメント

こんにちは、TAKESANさん。

「売り手の質は買い手できまる」ものです。骨董屋のたとえ話で言うと、きちんと鑑賞目的で古美術を集めるマニアが多い世界では、目利きのできない骨董屋は少なくなるけど、バブルの時みたいに投資目的や「持っているぞ自慢」だけで集めたがるお客が多くなると、伊万里と九谷の違いも分からない骨董屋も幅を利かせるわけです。

スポーツジャーナリストの世界で言うと、日本のマスコミは、フリーキックでゴールすれば、そのMFが、守備に帰るのが遅れても「良い選手」と持ち上げる。イタリアのサッカー紙なら、「点は取ったが、守備は最低」と批判する。逆にマークがきつくてスルーパスが不調でも、相手のカウンターを遅らせる絡みが完璧なら「良くやった、チームは彼のスルーパスに頼りすぎている」という批判になるわけです。日本のマスコミは「攻撃の中心になつていない」と批判する訳です。こういうのは、ひとえに観客のサッカーを見る視点の高さによってジャーナリズムも変わるというだけのことなんです。

そういう意味では、日本の科学ジャーナリストは、「あるある」を楽しみ、「オーラの泉」を楽しみ、馬鹿高い浄水器を買い、マイナスイオン商品に囲まれて「気分リフレッシュ」する庶民に、ちょうどお似合いのジャーナリストだといって良いのだろうと思います。

投稿: 柘植 | 2007年3月 7日 (水) 08:20

柘植さん、今日は。

 >「売り手の質は買い手できまる」も
 >のです。
そうですね。評価する側のレベルが高いと、される側も、レベルを上げざるを得ませんからね。そうでなければ、淘汰されるだけですし。評価する側の要求水準というのは、重要だと思います。

で、私が理系白書ブログを読んで感じたのは、せっかく、妥当な批判を行う論者が集っているのに、それを誹謗だと取るのはどうか、という事ですね(中にはあると思いますが)。元村さんにとっては、本来チャンスなのだと思います。もう少し違う反応でも、良いのではないかと考えています。

元村さんの最新エントリーは(一部)、柘植さんのコメントに反応している様に読めますね。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 7日 (水) 12:41

こんにちは、TAKESANさん。

>元村さんの最新エントリーは(一部)、柘植さんのコメントに反応している様に読めますね。

なんかね、皆さん急ぎすぎなんですよね。ニセ科学批判をしたから「ああ仲間だ」なんて世界じゃないと思うんです。私は或る意味でかなり強引にきくちさんたちの世界に自分を売り込んだところがあるけどね。私の場合はもともとが、「邪魔もしなかった」人ですよね。それでも「自分もニセ科学批判したから仲間ですよね」なんて簡単にはいかない。やはり信頼を得るためには、自分がどういう意識でなぜニセ科学批判をやるのかをきちんと示して、その上で「ニセ科学批判者の中に入れて貰っているかも知れない柘植です」くらいの言い方をしてみて、叱られなかったから、「こう言っても良いのだろう」と押しかけ仲間をやっている(笑)。

理系白書にニセ科学的な問題を取り上げたからといって、「仲間なんでしょ、仲良くしなさい」なんて、幼稚園児が転校してきて「は~い、新しいお友達ですよ」の世界だ。

このあたりくらいは、元村さんも分かっているとは思います。むしろギャラリーが分かっていないだけですね。

投稿: 柘植 | 2007年3月 7日 (水) 17:58

「味方」がどうだとか、攻撃だとか仰っている方は、思い違いをしていると感じるんですよね。批判者の意図を、誤解している部分もあると思います。

 >「仲間なんでしょ、仲良くしなさい」
 >なんて、幼稚園児が転校してきて「は
 >~い、新しいお友達ですよ」の世界だ。
本当に、そう思います。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 7日 (水) 19:25

こんばんは(^0^)。

わたしゃ、性差により明らかに女性に負担な場合を除き、意見を書くのに相手の性別を気にすることはありません。

#100mを男より速く走れなんて無茶は言わないってことです(^^;。

わたしゃ会社経営しているし、金銭面等で僻む要素はないのだけどなあ。メディアに露出することには全く興味無いし(^^;。

投稿: JosephYoiko | 2007年3月 7日 (水) 23:09

JosephYoikoさん、今晩は。

批判者を批判する人って、相手の心情を勝手に決めて、それを非難したりしますね。かなり不毛です。

理系白書ブログのコメント欄を今見たんですが、何やら怪しくなってますね。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 8日 (木) 00:42

余談。

 > 私の考える元村様の立場というの
 >は、テレビニュースのスポーツコーナ
 >ーにおける、女子アナのようなもので
 >しょうか。(ぴらさん@3月7日
 >21:16)
が、
 >新聞社の女性記者はテレビの女子アナ
 >(名無しさん@3月7日 22:07)
になるとは、新聞記事みたいな要約の仕方だ。
ぴらさんの意見に同意という訳では無いです。そういうメリットを享受しているかどうかというのは、私にはよく判りません。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 8日 (木) 01:12

ここのところウオッチしていたのですが、雲行き怪しくなってますね。
理系白書のブログ主の方は、プロフェッショナルとしての自覚をもう少し持たれるべきではないかな、というのが感想です。
どういったコメントや質問にたいしても、一つずつ答える事がそれほど困難なことではないと思います。答えにくい質問もあると思いますが、分からなければ「分からない」と書けばいいし、答えられなければ「ノーコメント」でいいだけのはずです。
炎上というほどのスピードでコメントがついているわけではないと思うので、それほど大変でもないと思うのですけどね。世の中、忙しくしている人はたくさんいますが、ブログのコメントに答えるぐらい、たいしたことではないでしょうに。
それにしても、理系白書ブログのコメントは読みづらいですね。あのレイアウトはどうにかならないのでしょうか。
文系理系の所得格差の話が出ていますが、それとは関係ないほどに「芸術系」の低さは話題にもならないですね。「どかんと一発あたれば・・・」ということではなく、社会に必要ないものと思われるほどに、苦しい生活をしている人間がほとんどです。

投稿: corvo | 2007年3月 8日 (木) 02:01

連投すみません。
よく「頭の固い科学者」というフレーズが出てくることがありますが,僕自身仕事で多くの研究者と関わりますが、「頭の固い」人にはあったことがないです。
頭の固い公務員や頭の固い会社員や頭の固い学生なら、たくさん会ったことあるのですけどね、

投稿: corvo | 2007年3月 8日 (木) 02:28

corvoさん、今晩は。

 >どういったコメントや質問にたいし
 >ても、一つずつ答える事がそれほど困
 >難なことではないと思います。
これは、そう思います。勿論、全てレスすべきだ、という事ではありませんけれど、それ自体がそれ程難しいとは、私も思えないです。これは、corvoさんの様に、全てのコメントにレスされる方が仰ると、説得力がありますね。

--------

 >「頭の固い科学者」

「頭が固い且つ科学者」は、いるでしょうけれど、「頭が固い人に科学者が含まれる」、では無い筈ですが、そんな感じで見ている人も、いるみたいですね。どんな分野にでも、頭の固い人もいるし、柔軟な人もいるでしょうに。脳内敵に批判を繰り広げるのは、何だかなあ、という感じですよね。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 8日 (木) 02:55

こんにちは、皆さん。

ふと思うんですよね。もし自分が元村さんの立場ならなんてね。

ブログで「記事が全て本当だなんて思ったりしないから、失敗にメゲずにがんばれ」とか書かれたら、私なんかは、それこそブログ閉じたく成るんじゃないかな?

これくらい失礼な励ましは無い気もするんです。まあ、それで励まされるとしたら、本当にダメジャーナリストだけどね。

投稿: 柘植 | 2007年3月 8日 (木) 09:13

なんだか、プロというものに対する要求が低すぎる人が多いのではないかと思ってしまいます。
これって実はプロにしてみれば悲劇で、観客の要求水準が高いからこそ、持てる能力を発揮したり進歩できたりするのであって、「そこそこでいいよ」とか「今のままでよろしく」なんて言われたらがっかりです。
新聞記者であるなら、取材のプロであり、文章のプロであるべきでしょう。科学のプロであることは、誰も望んでいないわけですが、文章のプロとしてみると、コメントやエントリーを読む限り、これはプロの水準ではないのではないかと思ってしまいます。

投稿: corvo | 2007年3月 8日 (木) 10:38

柘植さん、今日は。

 >これくらい失礼な励ましは無い気もす
 >るんです。
ですね。これは、あくまでも印象なのですが、慰める様な事を仰る方は、寧ろ、元村氏をみくびっているのでは、とも思います。
「負け」がどうこうとかですね。一体いつから、勝ち負けを競う様になったのだ、と。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 8日 (木) 12:43

corvoさん、今日は。

poohさんの所で、たかぎFさんが

 >ブログのコメントに対する対応のズレ
 >っぷりも,ただコメントを見た感想や
 >連想したことを書いているからなのか
 >なぁと思うのです
と仰っていたのですが(http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2007-03-03-1#comments
私もそんな印象を受けます。そこに「親しみ易さ」を感じる方も、おられるのかも。でも、そんな事を求めてもしょうが無い訳ですが。

あのコメント欄、驚く程「荒れていない」のですよね(今、ちょっと怪しげですが)。かなりきちんとした批判が出されています。それをどう受け取るかは、元村氏次第なのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 8日 (木) 12:53

先ほど、最新のエントリーを読んだのですが、冒頭に次のような一文が

「まずお願い。
コメント欄、基本的に削除しませんので、マナーを守っていただきたいと思います。
「おもしろい」と思う人もいれば、不愉快に思う人もいます。」

僕はまったく文意が分からないのですが、どういった意図で書かれているのか。どうとでもとれるような書き方で、誤読を誘発しそうな感じがします。
印象としては、「自分は当事者でない」と言いたげな雰囲気が漂っています。
こんなお願いをする前に、自分に向けられたコメントに丁寧に対応するべきだと思います。

投稿: corvo | 2007年3月 8日 (木) 18:11

あ、本当ですね。

うーん、何が言いたいのだろう…。
超好意的に取れば、
 ・ちょっと感情的なコメントが増えたの
  で、予め釘を刺しておく。
 ・投稿者同士のやり取りが、非難合戦に
  なっているのを、憂えている。
といった所でしょうか。
少なくとも、現在の所のコメントで、削除の対象になる様なものは、無いと思います。
「おもしろい」ってのは、何でしょうね。対象が判らないです。もうちょっと、はっきり書いた方が良いのに…。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 8日 (木) 19:34

こんばんは

元村氏って,前からヘンな記事を書く人だと思ってて,ここ1年くらい署名記事(「発信箱」とかの)をウォッチしてたんですが,なんていうかこう,ロジックがないんですよね…

一見関連しているように見える事例をいくつか列挙してあって,最後に紋切り型の締めがくるんだけど,列挙してある事例が実はあまり関係がなかったりして,結果,何が言いたいの?みたいなことになってる記事が多いんですよ.普通はまず論旨があって,その裏付けとなる例を挙げて,解釈や意見を述べる,という形になると思うのですが,どうもそうなってない.
それって,明確な意見がないだけでなく,事例の解釈(というか位置付け?)もできてないってことなんじゃないかと思うのです.

で,わりと最近理系白書ブログをウォッチするようになって,コメントへの対応もヘンだなぁと思ったわけですが,でも,「他人のコメントの解釈がちゃんとできてなくて,文章を見て("読んで"ではない)感想を書いてるだけ.意見は特にない」,と思うと,ヘンな記事とヘンな対応が同じように説明できるわけで,私としては納得してたりします (^^;

…しかしこれはさすがにヒドい仮説な気がするので,pooh さんのところではもうちょっとオブラートに包んで書いてみたわけですが…結局書いちゃた :-p

投稿: たかぎF | 2007年3月 8日 (木) 20:28

たかぎFさん、今晩は。

一言で表現すると、「あやふや」なのですよね。結局の所何を言いたいんだろう、と思わせる様な書き方で、論点が不明確なので、批判をきちんとする事も難しい、という。あ、だから、批判を見て、誹謗だと受け取る人がいるのか。

 >「他人のコメントの解釈がちゃんとで
 >きてなくて,文章を見て("読んで"で
 >はない)感想を書いてるだけ.意見は
 >特にない」,と思うと
そこまでだとしたら、さすがにこれは…、という感じですね。しかし、完全に「わざと」やっている、とも思えないので(意味も無いし)、そんな感じも…。

うーむ、果たしてどうなのだろう。
何か、ABO FAN氏(この名前ばっかり出すなあ)なんかとも、ちょっと共通する気がします。解ってんだか解ってないんだか判んない、という感じです。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 8日 (木) 21:52

コメント欄に「うま」出現しましたね。また、コピペを繰り返しそうです。

投稿: corvo | 2007年3月 8日 (木) 22:44

たかぎFさんも別にぼくのところでそのまんま書いてくれればいいのに、と云うか主旨に同意です。ってか、実は元村記者に対していちばん酷いことを書いているのは実はぼくなので(^^;。

なんというかな(って柘植さん文体は感染力があるな)、理系白書ブログについていえば理系・文系だの男性・女性だのコメント欄でノイズを入れたがる人間が多くて、元村記者もちゃんと分別できなくなっているような。

なんと云うか、例えばぼくのブログならそれぞれコメントいただいた方の主旨を見極めて対応を考える(言葉は悪いけれど対応を変える)こととか出来るんですけど、立場を明確にした実名ブログでは難しいのかもしれません。

投稿: pooh | 2007年3月 9日 (金) 00:10

corvoさんへ。

元村さんの所にまで、出てきましたね。今見たら、既にコピペをやっています。

全く…。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 9日 (金) 00:24

すみません (^^; > poohさん
いや別に「poohさんのところでは…」というわけではなくて、我ながらちょっとヒドイかなと思って書くのを躊躇してたんですけど、理系白書ブログの新しいエントリを見たら、「やっぱダメじゃん」という気分になって、つい書いちゃいました。

投稿: たかぎF | 2007年3月 9日 (金) 00:31

poohさんへ。

例の、最も酷いノイズが、入れられている模様です。明らかに荒らしですね。

あちらに、感情的なコメントを書いてもいいじゃないか、という意見を入れた方がいらっしゃいますが、ああいう感じで文系・理系を用いるのは、何だか嫌です。
と言うか、あちらで批判されてる「感情論」て、論理的批判が含まれていない、という事だと思うんですけどね。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 9日 (金) 00:33

たかぎFさんへ。

ここには、何でも書いちゃって下さい。いや、ホントに何でもは まずいですが(笑)

理系白書ブログ、何か、本格的な荒らしが紛れ込んだ事によって、カオスになりそうな予感がします。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 9日 (金) 00:39

思うのですが。

以下引用
--------------
 「いわゆる文系人間というのは、not「理系≒自然科学」で、ようするに論理的思考をあんまりしない人たちだ」
みたいなところだったんですよ。(…ですよね、そこで議論してらした皆さん)
(私は「論理的思考のできない人たち」とはあまり言いたくないです。これは論理的思考をする訓練を積んだかどうかだけの問題ですので。
 文化や思考と文字の関係を著したオングの『声の文化と文字の文化』にそれに近いものの例が引かれています)”(woodtailさん@3月9日 9:54)
--------------
引用終わり

「論理的思考をする訓練を積んだかどうか」は、おかしいのでは。じゃあ、哲学は?
”「理系≒自然科学」”なら、「自然科学的知識を学習したかどうか」で、いいんじゃないですかね。

論理的思考の訓練を積んでいない人を、「いわゆる文系」と表現するのは、全く妥当では無いと思います。本来、学問の分類である所の「文系/理系」を、「論理的思考の訓練の程度」の象徴に用いるのは、違和感を覚えます。

※その議論がなされた時の、理系白書ブログは、確か、ほんのちょっと覗いた程度です。従って、このコメントは、woodtailさんのコメントの評価です。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 9日 (金) 12:22

あぁ,そのコメント,私も気になってました.
数式が使えず,実験で確かめるわけにもいかない文系の学問こそ,理詰めで論理的に説を展開していかないと,すぐにおかしなことになりそうに思うんですけどねぇ.

投稿: たかぎF | 2007年3月 9日 (金) 13:40

たかぎFさん、今日は。

哲学とか、徹底的に理詰めですしね。

論理的思考の訓練を積んで無い人が、社会一般的に「文系」と呼ばれるのだとしたら、使い方を変えるべきだと思います。人文科学の勉強にも、論理的思考は必要な訳ですし。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 9日 (金) 14:00

いやぼくだって本音の部分では「数学の点数がよかったってだけで文系ヘイトサイトをやってるあなたたちよりおいらのほうがよっぽど合理的で論理的じゃん」とか思ってるんですが負け惜しみになるので云いません(云ってるって)。

文系的論理と理系的論理は本質的には同じでも機能性の面では異なっていて、でぼくは(いや、ひがんで見せたりはしますけど)文系的論理の積極的な評価と活用をしてるつもりです。

投稿: pooh | 2007年3月 9日 (金) 14:08

自然科学というのは、文字通り、自然現象のメカニズムを定量的・実証的に解析し、数学的に記述する学問、だと思いますが、だからと言って、文科系学問を勉強する人が論理的思考の訓練が足りない、とは、ならないのですよね。

ああいう感じで象徴的に言葉を用いるのは、好ましく無いと思いました。自然科学の具体的知識が足りないという意味で、文系学問を批判するのは、構わないと思いますけれど。たとえば、実証性を軽んじて、思弁に頼って物事を論じてしまう人を批判する場合、とかですね(この場合だと、「自然科学」では無く、「実証科学」になるかな)。それでも私は、「文系が」、「理系が」、という言い方は、殆どしませんが。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 9日 (金) 14:35

元村さんの、ゲイムマンさんへのレスを読んで、「ポカーン」となったのは、私だけ?

何か、本物な気がする。

投稿: TAKESAN | 2007年3月10日 (土) 15:21

僕も「ポカーン」としました。
議論することを放棄したと、考えてよいのでしょうか。
プロのジャーナリストとして、すごくまずい対応だと思うのですが。

投稿: corvo | 2007年3月10日 (土) 17:05

corvoさん、今日は。

元村さんは、自分のコメントが読者に「どう読まれるか」、というのは、想像していないのかなあ、なんて思っちゃいます。

ゲイムマンさんのコメントは、記事でニセ科学を取り上げた事を評価しながらも、これからメディアとニセ科学の関係について書かれるのを求める、というのを、皮肉を交えて書かれたものだと思いますが、肯定的な所だけを抜き出してレスするのはどうかな、と。いや、どこに返答するかは好き好きですが、それでもなあ…。

本気なのかわざとなのか、見当もつきませんです。

投稿: TAKESAN | 2007年3月10日 (土) 17:19

うーん,素でやってるのかわざとなのかわかりませんが,どちらにせよダメなんじゃないかと.
あの方が科学ジャーナリストになりたいという高校生にアドバイスしたりするのかと思うと,ちょっとクラクラします…

投稿: たかぎF | 2007年3月11日 (日) 00:04

たかぎFさん、今晩は。

先日たかぎFさんが仰った事が当たってる気が、益々…。

あの はずしっぷりは、ちょっと凄いです。

投稿: TAKESAN | 2007年3月11日 (日) 00:41

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