拘っている
ニセ科学問題を考える事自体が、科学と疑似科学の線引き問題等の、科学哲学的トピックに繋がり、思考の訓練にもなる、というのはあるでしょう。
いずれにしても、批判自体が目的になる事など、考えにくいと思っています(願望も含んでいるでしょう)。
私自身が、「自己目的化」という言葉に、とても拘っていますね。実際、どういう意味なのかを突き詰めるのも、重要なのではないかと。「自己目的化」でググると、色々出てきますね。果たして、同じ様な論理が、ニセ科学批判活動においても、当てはまるのかどうか。
こんな事を書いていると、見方が偏っていると、思われるでしょうね。取り敢えず、この問題について書くのは、これくらいにしておきます。
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