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2007年2月28日 (水)

ゲーム脳が授業参観に

del.icio.us/cactus_f経由⇒専業主婦のトモ:授業参観で「ゲーム脳」登場(1) - livedoor Blog(ブログ)

むう、水伝(水伝関連記事は必読です)に続いてゲーム脳も、ですか…。大変ですよね。

専業主婦のトモ:授業参観で「ゲーム脳」登場(2) - livedoor Blog(ブログ)

8つのグループのうち6つに「ゲーム脳」が
書いてありました。
例えば・・・
・ゲームをずっとしているとゲームのうになる
みたいに書いてありました。
中には「のうみそが少なくなる」って書いてあるのも!

…。もう、何と言うか。戦慄です。授業にゲーム脳が出てきた事はともかくとして(これが問題であるのは当然として)、子ども達に、これ程ゲーム脳が知れ渡っている(と言い切るのには注意が必要ですが)という事実に、驚きました。これは推測でしかありませんが、保護者の方の、ゲームを長時間させない方便として、それが用いられているのでしょう。科学的根拠があるか無いかは、重視していないかも知れません。

これは、とてもまずい状況です。

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コメント

こんにちは。
昨日はワタシのblogへのコメントありがとうございました。
そしてこうしてリンクまでしていただいて恐縮です。

この授業が始まる前、「ゲーム脳」が出てきたらどうしよう、なんて思ってはいましたが、まさか8グループ中6グループから出るとは思ってませんでした。
保護者のうち、どれぐらいの人がゲーム脳についての真偽を知っているのかわかりませんが
かなりの率で「言い聞かせるのに便利だから使っている」人がいるように思えてなりません。

投稿: トモ | 2007年2月28日 (水) 10:51

トモさん、今日は。

ゲーム脳という言葉が、ある程度広まっているというのが、感じられますね。
多分、余り意味も解っておらずに使ってしまっているのだと思います。もし、知っていれば、安直には使えませんし。やっぱり、便利な言葉なのでしょうね。

しかし、水伝とゲーム脳の両方が、お子さんの授業に出てくるなんて、大変でしたね…。

投稿: TAKESAN | 2007年2月28日 (水) 11:33

パソコンがまだあまり一般的でないときは
パソコンをやってると人の心がわからなくなるとよく聞きました。

ゲーム脳って言葉を最初に聞いたときは
ゲームばかりやっててゲーム以外のことが
わからなくなることをゲーム脳と
言ってるんだと思ってました。

個人的にはテレビ脳の方が怖いと思います。
テレビ中毒者は多いので。

投稿: Tori | 2007年2月28日 (水) 21:52

こういう場合、言葉が一人歩きして、色んな事に当てはめてしまう場合が多いんですね。そもそも森氏は、ある脳の状態を「ゲーム脳」とした訳ですが、そうでは無くて、あらゆる「ゲームをする事によって起こると”思われる”弊害」に対してまで、ゲーム脳という、とても「便利」な言葉を使ってしまう、という。それが、とても怖い事なのです。

「テレビ中毒」、というのは、ちょっとよく解らないです。何かにのめり込んで、他の事を蔑ろにするとすれば、何にでも、中毒という語は付けられますので。勿論、医学的な概念とは、別に考えるべきかも知れませんが。

投稿: TAKESAN | 2007年2月28日 (水) 22:26

こんばんわ…。

とうとうここまできたんですか、もはやIDに関する教育推進中のアメリカを笑うことはできないですね。

ただ、ゲーム脳が広がることで逆に脳トレをもってゲーム好影響論が席巻し、おかげで死にかけていたゲーム業界が再度(とっても任天堂だけだけど)盛り返しているんだから皮肉と言えば皮肉ですが。

投稿: 遊鬱 | 2007年2月28日 (水) 23:45

遊鬱さん、今晩は。

確かに皮肉ですね。
これも推測ですが、ゲーム脳を子どもに教える保護者は、実は、脳トレをやるのは良い、とか教えたりしているかも知れないのですよね。知育系のゲームをやるのは良い、と、安直に捉えているのかも。
いずれにしても、とても軽く、言葉を使っている訳ですが。

どれだけ真剣に、ゲーム脳という概念を受け取ってしまっているか、ですね。勿論、単なる便利な言葉として用いるのも、駄目なのですが。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 1日 (木) 01:30

今週のニューズウィーク誌にニセ科学特集が組まれていて、ゲーム脳と水伝もちょっとだけ出てました。本当にちょっとだけですが。

投稿: ゲイムマン(府元晶) | 2007年3月 1日 (木) 01:39

こんにちは、みなさん。

なんて言いますか、私が子供の頃に漫画雑誌が週刊になり、小遣いの貰える金持ちの子が買って、皆で回し読みしていた頃には「マンガばかり読むと馬鹿になる」と言われ、TVが普及して子供番組が増えれば「TVばかり見ていると馬鹿になる」と言われてきた訳です。でもね、その頃の親は「自分が良くないと思うから『馬鹿になる』という」事になんのためらいもなかった様に見えます。親は子に「自分の価値観を押し付けて当然」と思っていましたからね。

そうやって理屈に合おうが合うまいが、親は自分の思うことを子供に押し付けようとし、子供はやがて反発して自分なりの価値観を見いだしていくというのが人類がずっとやってきた事の様な気がするわけです。

考えてみると、「ゲーム脳になるから」なんて「理屈をこねなくては、子供に『馬鹿になる』という意味の事が言えない親」というのは、自分がきちんと親の価値観の押し付けに反発して自分なりの価値観を持ち得なかったという事の表れのような気もします。

投稿: 柘植 | 2007年3月 1日 (木) 09:09

>柘植さん
私は親から押し付けられる価値観に反発して自分の価値観を見いだすという作業を、最近になって手放す事が出来た事については良かったのではないかな、と思っています。
今はこれまでの人類の歴史上でも無かったくらい簡単に、子供でも情報を手に入れる事が出来るようになって(故に子供自身がその情報量の多さに混乱してしまう事もありますが(^_^;))色々な人の考えを比較検討する事が容易に出来るようになりましたよね。この「親とは違う考えを持ついろんな人が世の中にはたくさんいる」という世界観を持てる事はとても大事だし、親から不合理な考えを押し付けられている子供にとっての救いにもなると思っています。
昔は近所の話しを聞いてくれる年長者や親戚などの人達しか、こういう親と異なる考えを教えてくれる人がいなかったですが、ネットなどで地球の裏側に住んでいる人の考えも知る事が出来るようになったのは、良い進歩だなと楽観的に私は見ているんですが。
まあ外の情報を集めてそれだけで判断して、自分の頭で考える事をしなくなる人も現にいますがf^_^;
そういう弊害はどんな技術にもある事なので、私はさほど心配する事は無いと思います。
それと、そればかりやっているとバカになるというこの手の話題での「バカ」とはどんなタイプの物なのかが、毎回私には引っかかる部分なんです。
知識が乏しい事なのか(それだと宇宙空間でメラメラ燃える彗星が出てくる映画で笑わずに泣ける一般の人々はどうするのか?)、論理的な思考力が足りないという事なのか(TVでの捏造が発覚しても納豆でダイエットしようとする人達は論理的な思考などしていないと思うが)、記憶力の減退を指しているのか(円周率を一万ケタ覚えていても、実数の連続性についてはまともに答える事すら出来ない人間はいくらでもいるぞ)ここら辺が何一つハッキリしていない中で、学力が下がるから問題だ云々の言説など何の役にも立たないと私は思うのですが、どうでしょうか。

投稿: 内海 | 2007年3月 1日 (木) 10:44

ゲイムマンさん、お早うございます。

昨日本屋で探そうと思ったのですが、本屋でその事を忘れてしまった、という…。

ところで、理系白書にゲーム脳が出ました。

内容は、初めに予測した通りでした。後の予測は、見事にはずれました。

理系白書ブログの、元村さんのコメントを呼んだのですが、正直腹立たしいです。なんせ、こういうエントリーを上げた直後でもあります。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 1日 (木) 10:57

柘植さん、お早うございます。

私は、内海さんが仰る様に、養育者が価値感を押し付けて、子どもがそれに反発する、という関係が、ある程度無くなったとすれば、それに越した事は無いかな、と思っています。

私としては、子どもが納得するレベルで「理屈をこね」られるくらいの認識を持つべきだと考えています。その為にはどうすべきか、というと、大人が勉強するしか無いのですよね。見せ付けるべきは、親の「偉さ」じゃ無くて、親の「凄さ」だと思います。しかも、何気無く。それが当然であるかの様に。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 1日 (木) 11:06

内海さん、お早うございます。

私もそう思います。端的に言うと、子は、養育者の見識の狭さを、簡単に理解出来る様になった、のだと思います。だから、大人が自ら、認識を深めるべきですね。

 >「バカ」とはどんなタイプの物なのか

多分、文脈によって意味が変わる、いや、都合よく変えられる、便利な言葉なのでしょうね。だから、言ってしまうと、ゲーム脳は、「バカ」と同じ意味なのですよね。結局、バカの神経科学的根拠(と勝手に思っているもの)に、「ゲーム脳」という名を付けただけ、なのですね。しかも、そこには「脳科学的」とか、「大学教授によって」とかの、いかにも尤もらしい根拠が加味されている、という。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 1日 (木) 11:18

こんにちは、内海さん。上手く整理出来ていないので、少し混乱する書き方になってしまいましたね。

なんて言いますか、社会人が社会で生きるためには「自分の価値観と人の価値観の衝突とその対応」というのは避けて通れないものなんですね。私は、親の世代の問題として、それから逃げているという意識が強くある訳です。

理系白書の教育委員会は
>市教委は「(ゲーム脳という)考え方があることを紹介する講演会。判断は聞いた人にゆだねたい」と話した。

ここには「自分価値判断はない」訳です。

です。元村さんは
>科学報道に限らず、一般的にマスコミは、自分たちで価値判断しました、というやり方はあまりしません。当局が動いた、被害者が訴えた、批判が出ている、状況が強まった・・・という表現で(節目で)記事にすることが多いです。つまり誰かが動いた、それを取材するというスタンスです。

ここにも自分の価値判断はない

子供のゲームを制限したい親には「価値判断」はあるみたいですが、「ニセ科学の力」でも借りないと、自分の価値判断を示すこともできないとしか受けれないわけです。

いま、この国で「自分の価値判断を示している人」というのは誰なんでしょうね?

投稿: 柘植 | 2007年3月 1日 (木) 12:48

柘植さんへ。

過度の相対化があるのではないかと、思っています。市教委の例では、判断は聴衆に任せる、と言っておいて、中立であるかの様に振舞っていますが、実の所、自分達の判断力の無さを、露呈しているに過ぎません。

で、一方で、ゲームのやり過ぎを戒める為に、自然科学に根拠を求める、過度の絶対化も、あるのではないかと思います。
意見のぶつけ合いは嫌、だから、万人が納得せざるを得ない様な、絶対的根拠が欲しい、というのが、ニセ科学に縋る、きっかけなのかも知れません。

思考を働かせる手間を省きたいが、自分の価値観を根拠付ける何物かが欲しい、といった所でしょうか。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 1日 (木) 13:02

こんにちは、TAKESANさん。

実のところ「過度の相対化」にしろ「過度の絶対化」にしろ、根は一つなのだろうと思うわけです。それは、「自分自身と対決する事のない生ぬるさ」なんです。

市教委の例で言えば「判断無し」に講演会を企画することなどあり得ないのだから、「自分はそういう問題があると知らなかった、知っていたらどうしただろう」と自分と対決するならこんな返答はあり得ない。

ゲーム脳の話に飛びつく親にしても「自分が子供にゲームを長時間やらせたくないのはどうしてか」をきちんと考えるなら、ゲーム脳の話など持ち出さなくてもきちんと「このくらいにしなさい」と言えるはずのもの。

多くの人が逃げているのは「自分自身をみること」のように思える訳です。

投稿: 柘植 | 2007年3月 1日 (木) 16:11

そう思います。

その意味でも、今回の市教委の反応は、誠に残念です。昨年の世田谷での講演において、どの様な騒ぎが起こったか、などは、それこそちょっと調べてみれば、解った筈なのですから。

-------

ゲームでも何でもそうなのですが、自分の知らないものを、よく知ろうともせずに否定するのは、やめて頂きたいものです…。特にゲームは、20年以上前から、ずーっと、害悪論が言われてきて、愛好者は、大変な思いをしている訳ですし。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 1日 (木) 18:16

TAKESAN,柘植さん、こんばんは。
 
>いま、この国で「自分の価値判断を示している人」というのは誰なんでしょうね?
>多くの人が逃げているのは「自分自身をみること」のように思える訳です。
 
学力調査で出てきた大きな問題に、「無答率の増加」が言われています。とにかく答を書かない。間違っていれば、対策も考えられますが、書かない。どうも、「間違えるとかっこ悪い」という気持ちが働いていると言われています。
学習でも、ドリルとか問題とか、やらされる方が楽なんですね。勉強しろと言われると、ドリルや問題集をやるだけ。課題を見つけて、自分で解決しろなんてなると大変。でもそのほうが勉強としては楽しいハズなんですが、楽しさよりも楽(らく)へ気持ちが向いているように思います。

ずっと昔にかじったのでイメージだけですが、フロムの「自由からの逃走」と柘植さんのご指摘が共通しているように思うんですが、どうでしょうか。そしてナチスを受け入れてしまったと。
今、受け入れてしまうのは、ニセ科学でしょうか。


投稿: ドラゴン | 2007年3月 1日 (木) 18:54

すいません、レスが遅くなりましたf^_^;
>TAKESANさん
>内海「バカとはどんなタイプの物なのか」
>>多分、文脈によって意味が変わる、いや、都合よく変えられる、便利な言葉なんでしょうね。

私もそう思います。この用法でバカという語を使用すれば、幾らでも学力の基準のハードルを高くする事が可能で、いつまでも自分達が評価される側より優位に立てる状況を作り出せるという狡い手段だと私は考えます。

投稿: 内海 | 2007年3月 1日 (木) 19:05

ドラゴンさん、今晩は。

解けないから、適当な事を書くくらいなら何も書かない、というのは、結構、よく解ります。恥を掻きたく無い、というのがあるのだと思います。「みっともない」という感じでしょうか。これは、個人的な経験からの意見ですが、ある程度の事が出来るまでは、力を晒すのは嫌だ、という気持ちを抱くのですよね。一種の完全主義的性向でしょうか。

こういうのって、周りがどう反応するか、という事に、とても強く依存する気がします。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 1日 (木) 19:39

>柘植さん
>>いま、この国で「自分の価値判断を示している人」というのは誰なんでしょうね?
>>多くの人が逃げているのは「自分自身をみること」のように思える訳です。

柘植さんが例として挙げられた町田市の教育委員会や元村記者、ゲーム脳の話で子供のゲームを止めさせようとする親達に共通しているのは、自らの価値判断では無く、いわゆる日常生活を営む者の「一般常識」に自らの行動規範を求め、それに対する批判精神を持たずにすがり続ける人達だという事なのだと私は思います。
そして一般常識という、それに懐疑を挿む者には大多数の人々から反発されるというリスク(その裏返しに、おもねる者には多くの主張を同じとする人間がいるというメリットがある)を伴うものを行動原理とする事で、自らの正しさが保証されるという思考パターンが浸透している気が私にはします。
そして、だからこそ町田市教委の対応も責任を丸投げするような形になってしまい、元村記者のブログでの自らの責任に関するコメントもどこか他人事のようなものになってしまうのでは無いかと。
ゲーム脳を説いて子供にゲームを止めさせる親も同様で「常識的に考えて何となくゲームは脳に悪そうだから」くらいの考えしか頭に無く、自分で考えた上で「ゲームのやりすぎはいけないよ」という程度の説得も出来ないのも、こうした「一般常識」を核とした行動規範を守る事しかせず、その妥当性を検証し、時には変えてみる事を全くしない一般人の思考パターンが背景にあるからではないかと私は思います。

投稿: 内海 | 2007年3月 1日 (木) 19:41

内海さん、今晩は。

 >すいません、レスが遅くなりま
 >したf^_^;
いえいえ、お気になさらずに。

どの様にでも、使えてしまうのですよね。他人を押さえつける恰好の道具にもなり得る、という。

実際、「じゃあ、バカって何?」と訊かれて、ちゃんと答えられる人って、余りいないと思うんですよね。「かしこさ」なんかもそうですが。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 1日 (木) 19:47

私は中学生くらいの頃から、常識ってそもそも何なんだろう、なんて事を考えていて、それを疑いもしない人に対して、もっと考えた方が良い(←超穏当表現)、と思っていました。
これは多分、自分が、ちょっとはずれた所にいたから、なんですよね。またゲームの話を持ち出しますが、以前から、ゲームをやる奴は暗い、とか、そういう無茶苦茶な事を言われたりしたのですよね。だから、「何でそんな事を決め付けるの?」という認識が、育ったのだと思っています。批判精神ですね。まあ、中学・高校時代は、それが、自尊心の肥大を促して、他者を馬鹿にするという、ダメダメな心理状態であった訳ですが…。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 1日 (木) 19:59

そうそう、ドラゴンさんへ。

kikulogに、「円周率3」を、単に象徴的に扱った例、をご紹介しましたが、あれは、私の事です(笑) だから、ああいう断定的な書き方をしたんですね。

人間誰しも、自分の余り知らない、興味の無い分野については、しっかり調べて批判する、等にコストを掛けるのを避ける、という部分は、あると思います。その事を、肝に銘じておくべきですよね。私も、そういう方向に行ってしまいそうになる事が、ありますので。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 1日 (木) 20:06

こんにちは、ドラゴンさん。私が教育者に発達心理学を説くなんてのも無謀な事なんだけどね。

私が良くする話に
低学年の子供は答えが分からなくても手を挙げて、当てられて「忘れました」なんてやるよね。あれは、「別に分からないけど当たらないだろうから手を挙げよう」なんてやっている訳じゃなくて、手を挙げている時は答えられると思っているのですよ、ただ答えを用意していないだけです。でもって、中学生くらいになると今度は、答えが分かっていても手なんて挙げなくなって、指名されないと答えなくなりますよね。実はこれはこれで、いろんな抑制が効き過ぎている状態なんです。思春期というのは子供らしさとの決別の時期ですから、分かったから積極的に手を挙げるなんて子供っぽいことはできなくなるんですね。だからそれは普通の事なんだけど、本当は、その思春期をきちんと乗り越える時期もあるわけです。必要な時に必要なだけ自分を出せる様になって成人ですからね。
なんて話があるわけです。

実は日本の成人というのは、どうもこの思春期からの脱却の部分の成長に何か躓いている気がする訳です。まあ、文化そのものも「出る杭は打つ」みたいな面があるけどね。

投稿: 柘植 | 2007年3月 2日 (金) 10:07

私としては、

柘植さん>文化そのものも「出る杭は
    >打つ」みたいな面があるけ
    >どね。
ここが大きいんじゃないかと思っています。常に、上位者の権威を守るシステムが働いているんじゃないかと。それが、下位者を抑制して、下位者は積極性を失っていく、という。
若者寄りの発言をすると、若者は、大人の駄目な所を見つけるんですよね。「何だ、こんなもんか」、「結局、自分の事しか考えていないのか」と。で、そういう人達に対して本気で関わろう、という意欲を失うのですよね。勿論、それが単なる思い込みの場合も、ある訳ですが。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 2日 (金) 11:12

こんにちは、TAKESANさん。

 積極性の問題だけ取り上げるとそういう見方もできるのだけど、私が感じているのは「青年期独特の心理状態の昇華」ができていない部分の一つの表れとしての「意見を出さない(持てない)」なんですね。

 このあたり、ドラゴンさんなんかは教職課程で「青年心理学」とかをきちんと学ばれているから、もっと上手く解説出来ると思うのだけど、青年期特有の心理というのは単純に言うと成人に備わっている様々な面が上手く整合されずに極端に現れるということなのね。「自分が子供らしさを持つことを許せないと感じ、またそれが人に知られる事を極端に嫌がる」だとか「自分が完璧でない事を許せないと感じ、またそれが人に知られることを極端に嫌う」とか、成人もそれぞれ持っている部分がうまく整合されない訳です。だから、その時期の子供は扱いにくいのですけどね。

 でね、現代の日本の成人を見ていて、やはりうまく整合されていない、つまり青年期の心理状態をうまく昇華していない面を感じてしまう訳です。

投稿: 柘植 | 2007年3月 2日 (金) 13:42

私自身、結構、鬱屈していた人間なので、あの「渦巻いた」感情というのは、かなりはっきり憶えています。なかなか複雑なものですよね。

私は、自分の内面を見つめる人間が多い(多いとか、増えていると断ずるのは、大変難しいですが)気がしています。

柘植さんも仰るとおり、発達心理学(青年期)の問題でもありますね。自我同一性とか。ちゃんと勉強した分野ではありませんが、興味深い所ではあります。

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これも、私個人の経験ですが(しかも、話がずれますが)。
私も、完全主義的心性を持っていました(今も、ある程度ありますが)。でも、ある時「諦めた」のですね。人間はそもそも能力に限界があるし、いつか必ず死ぬ、だから、「出来ない事があって当たり前」と、認識が転換したのですよね。それを弁えた上で、じゃあ、出来る事をやってみよう、と。そうすると、結構楽になるのですよね。

投稿: TAKESAN | 2007年3月 2日 (金) 14:10

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