「老婆心」、というか…。後、水伝肯定とか
ゲームの危険性をきちんと認識するのは必要なのですが、その根拠に「ゲーム脳」を持ち出されると、堪らない訳ですよ。
因みに、「コミュニケーション能力など使う場面もない」って、大きな誤解ですよ。一面を捉えているだけです。他者とコミュニケーションを取らなくとも完結するゲームが多いのは事実ですが、だからといって、ゲームをする人間がコミュニケーションを取らない、という訳ではありません。
と言うか、一人でゲームやっている子どもがいたら、「何やってるの?」と声でも掛けて、コミュニケーションを取ろうとする方が良いのでは? 子どもは、嬉々として、自分がやっているゲームについて、語るかも知れませんよ。その方が、遠くから眺めて(曖昧な)危険性を案ずるより、遥かに良くありませんか?
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kikulog&某ブクマ経由で。
科学技術振興機構 新しい物理現象や動作原理に基づくナノデバイス・システムの創製研究領域・研究事務所:コラム 技術参事 篠原紘一:109. 水の不思議
これはまずいのでは…。どこまで本気なんだろう。
寺石研究室(「もっと知りたい人のために」を参照)
経歴を見ると、哲学の講義を持ったりしてるみたいです。言語論を教えたりは、しないのでしょうか。と言うか、哲学やってる人が、江本氏を薦めたら、駄目でしょう。
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成城トランスカレッジ! ―人文系NEWS & COLUMN― - 『水は語る―魂をうつしだす結晶の真実』で意気投合する江本勝さん&窪塚洋介さん
そういえば、この対談を読んだのは、初めてでした。しかし、これ程とは。
自分の脳内辞書で完結している人同士が対談すると、こんな感じになるのですね。言葉を精確に使おうとか、微塵も思っていないのですかね。いや、本人達は、言葉の「本質」とやらが解っている、と感じているのでしょう。
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ガードナーの本を読んだ直後に見たので、眩暈を禁じえなかったり(ちょっと言い過ぎですが)。
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コメント
http://myhome.cururu.jp/doax2/blog/article/91000849678
もうちょっと、文章を推敲した方が…。
それはともかく、
>しかしこの頃になると社会は、ゲーム
>脳に悩まされた。
>ゲーム脳とはゲームの方法を覚えるか
>わりに社会的常識を忘れてしまうのだ。
むう、こんな解釈があったとは。
「催眠的効果」って、何だろう…。
投稿: TAKESAN | 2007年2月19日 (月) 00:28
ゲーム脳でも、脳内汚染でもそうなんですが、むしろ、それを言う事によって、言った側がコミュニケーションの扉を閉じてしまっている、という面を考える必要があると思うんですよね。
ゲームの話をしようとしても、「ゲームなんかやっているのはダメだ」しか却って来ないのでは、コミュニケーションが成立しませんし。
変な言い方ですが、ゲーム脳やら脳内汚染なんていうものがもたらした最大の問題、というのは、「ゲーム=悪」という根拠らしきものを作り上げることで、ゲームが嫌いな人が、一方的に「ダメだからダメ」と扉を閉じる理由を作ってしまったことじゃないかという風に思えてきました。
投稿: SST | 2007年2月19日 (月) 09:01
SSTさん、お早うございます。
ゲームを、ファミコン時代からやってた人間は、少なからず、ゲームをやっているという部分を、ネガティブに捉えられた事があると思います。
雰囲気、でもあるのですよね。結局、「ワケがわからないものに興じている子ども達」という見方をして、「気持ち悪がる」のですね。とんでも無い、ものの見方です。
多分、子ども達が、真っ先に絵本を開いて、黙々と読み耽っていた所で、ネガティブには取らないと思います。ところがそれが、「ゲーム」やら「漫画」になった途端、バイアスが掛かるのですよね。そういうステレオタイプって、あるものだし、あってはならないものだと考えています。
水伝でもそうなのですが、勝手に「悪い」と看做された側の事を、全然考えていない。そうやって、論理的で無く、誰かを「悪い」と認識する、つまり他人に対する差別心の醜さは、後で客観視しないと、なかなか解らないものですから…。
投稿: TAKESAN | 2007年2月19日 (月) 09:33
篠原氏のコラムから、水伝に言及した部分が、削除された様です。
引用はこちら⇒http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1141950230#CID1171856581
余りにタイミングが良いので、やっぱり、kikulogで取り上げられたのがきっかけじゃないですかね。誰か、関係者が読んだとか。
投稿: TAKESAN | 2007年2月19日 (月) 12:51
実は「反ニセ科学的言説を書く」→「ニセ科学的言説がネットから減る」と云うところをぼくは狙っていたりします(個別撃破戦法はそういう部分もあります。「ニセ科学を信じると笑われる」みたいな)。
そういう視点では成功例のような。
投稿: pooh | 2007年2月19日 (月) 16:30
poohさん、今日は。
私も、同じ様な動機ですね。と言うか、このブログを開設した目的が、そもそも、「ゲーム脳の批判を書く」、というものだったりします。
たとえばニセ科学に関心を持った人が、たまたま私のブログを読んでくれて、そこからkikulogを読むようになって、理解を深めるとか、そういう事があれば良いな、と思っています。
で、その為の戦術としては、やはり、論理的に、真摯に、というのを心掛けています。それが、先日のパオロ氏のエッセイに対しての批判に繋がっています。ただ、どういう立場で発信するか、というのもありますね。時には、皮肉や笑い飛ばしも有効に働くかも知れませんが、そういうのは、特に注意深く行わないと、逆効果の場合があると思っています。
投稿: TAKESAN | 2007年2月19日 (月) 17:04
TB閉じました。
窪塚さんに反応してますね。
投稿: TAKESAN | 2007年2月19日 (月) 21:17
いや、その辺りはぼくの性格的欠陥もあって(^^;。どう云うスタイルの文章を書くと面白いものになるか、とかですね。
もういいや。役割分担しましょう(:p。
投稿: pooh | 2007年2月19日 (月) 23:47
あ、いえいえ、poohさんへ向けての言葉では無くて…。
具体的な批判も行っていないのに、「メタぶって」(最近こればっか)一般論を展開する論者へ対しての批判です。
あくまでも、私はこう書く、という意味ですね(余計な部分でしたね)。私がよく読む「冬枯れの街」なんて、超皮肉たっぷりですけど、面白いですし。
ガードナーの本なんかを読んで、ああいう強力な批判も、効く場合もあるのかなあ、と思ったりしていたので、「有効に働くかも」なんて、書いたのでした。
投稿: TAKESAN | 2007年2月20日 (火) 00:51
そうそう、忘れてました。
poohさんの文章は、私の価値観だと、とても丁寧な書き方、だと思ってます。
投稿: TAKESAN | 2007年2月20日 (火) 01:19
「寺石研究室」ですが、哲学やってる人というより完全にオカルティストですよね。
この人が専門にしてるらしい「シュタイナー神智学」って、哲学じゃなくてオカルト運動ですから。
でも紹介してる哲学入門書自体はまあ定番のまともなものですけど。
投稿: 夢草の剣 | 2007年3月 2日 (金) 23:50
訂正
> 「シュタイナー神智学」
シュタイナー人智学ですね。いずれにせよ「水伝」とは親戚みたいなもんだと思います。
投稿: 夢草の剣 | 2007年3月 2日 (金) 23:57
夢草の剣さん、今晩は。
「江本勝」が、一つの項目になっていたりしますからね。
個人的には、某氏(誰かは書きませんが…)の書籍が挙げられているのを見て、「えー」と思ってしまいました…。
投稿: TAKESAN | 2007年3月 3日 (土) 00:05