« 昔は、ゴールデンに心霊番組を、よくやっていたなあ | トップページ | ほれぼれ »

2007年2月15日 (木)

楽しさを感じさせる

結構、主観的な意見です。意見は普通、主観的ですが。

「勉強の楽しさ」を理解させるには、とにかく何でもいいから、好きな物事を徹底的に探求する、というのを教えるのが良いのではないかと思います。テレビはどうして映るのか、どの様にして製造されているのか、とか、テレビゲームでキャラクターが動くのはどうしてか、3DCGはどうやって作成するのか、とか。他にも、天ぷらの衣をからっとさせるには、何を入れれば良いか、どういう順番で混ぜ合わせれば良いか、有効な素材があれば、何故それが有効なのか、どの様なメカニズムが働いているのか、又、自分が座っている椅子は、何故ちょっとやそっとじゃ壊れないのか、丈夫なデザインとは、どういったものなのか、家にある電化製品には、美しいパール塗装が施されているが、一体どうやって塗られているのか、一日にとても沢山の数作られるものが、ある程度の質を保って製造されるのは、どうしてか、等々。身近にあるものでも、突き詰めていくと、それは、科学や技術の理論に行き当たります。当たり前ですね、本当は、身近にあるものが、科学技術の結晶なのですから。

ちょっと考えてみると、普段何気無く接しているテレビに、像が映って、そこから音声が聞こえてくる、というのは、物凄い事な訳です。家の中にでも、無数の疑問の種が散らばっているのです。ですから、そういうものに目を向けさせて、「これの仕組みはどうなっているのだろう」と考えさせるのが、重要なのではないかと思います。そうでなくて、いきなり見た事も聞いた事も無い言葉の定義を憶えさせて、言葉の対応だけを身に着けさせても、余り意味が無い、と言うか、やる側としては、正に、「面白くも何とも無い」のですよね。

たまに、どう見ても勉強をまともにした事が無さそうな人が(←過去の発言から推測する)、きつい事をやるからこそ忍耐力がつく、とか言って、その為の手段が学校の勉強である、かの様な事を主張したりしますが、私はこれは、とんでも無い事だと思います。ただ闇雲に憶えようとする苦痛と、興味を持って、解らない事を調べ、自分の無知さや認識力のなさに苦悩する事とは、全く別のものなのですから。

私はゲーム好きなので、ゲームでたとえます。

ゲームを全然やった事の無いある人に、RPGの楽しさを教えたいとします。その際、手始めに、「HPとは何か」、「MPとは何か」、「魔法が何種類あって、それぞれどの様な効果を持っているか」なんて説明を言ったりしたら、相手は、嫌気がさして、やる気など出ないと思います。だから、そうでなくて、「取り敢えずやってみて」と言いますよね、普通は。それで、試行錯誤を繰り返しながら何回もやり直して、何となくこういうものだ、と解らせてから、細かい所をアドバイスします。先ずやらせてみて、面白さを味わわせてから、細かい所を教えるべきですよね。料理なんかもそうですよね。いきなり材料の切り方等を、言葉で説明したって、なかなか解らない。だから、取り敢えず、見よう見まねでやらせてみて、自ら考えさせるのですね。そして、ある程度進んだら、直感的に憶えたものを、論理で説明する。そうして、論理と経験とを結び付けさせるのが、良いと思います。私は、そういう意味において、経験というのは、とても大切だと思っています。で、重要なのは、「何事も、根本的な所で繋がっている」のを解らせる、という事ですね。自分が興味のある分野と他の分野には、何の関わりも無いのだ、と考えると、豊かな想像力を奪ってしまいかねませんし、排他的な認識を持ってしまう場合もあるかも知れません。本質的には共通するのだ、と考えていれば、色々な事に興味が持てて、とても楽しくなります。

|

« 昔は、ゴールデンに心霊番組を、よくやっていたなあ | トップページ | ほれぼれ »

「随想」カテゴリの記事

コメント

TAKESANさんここにコメントするのは初めてです、内海です(^-^)
確かに多いですね、「勉強は忍耐力だ」みたいな事を言いたがる人って。
私はあの世間で言われるゆとり教育関係の意見には、個々人が勝手に自分の好むタイプの教育観を押し付けたいものが多すぎて聞いててウンザリするんですが、学ぶ行為ってTAKESANさんが仰るように興味を持って学ぶのが基本なのに、この国ではすぐ勉強をわかりやすい精神論と結びつけて、記憶力や忍耐力の向上と言いながら無理矢理叩きこむという、まるで海兵隊の訓練のような考えを持つ人達が老若男女問わず(これに権力の強弱問わずを付け加えてもいい)あまりに多すぎます。
科学の教育方法についてはTAKESANさんが書いていらっしゃるので、私は数学の教育に関して思うことを。
まず、私はそろそろ小学校くらいからは電卓を使って授業やテストの計算をする事をしても良いのではと考えてます。
筆算は確かに大事ですけど(書いて覚える事もあるとは経験上私も思うので)、もっと重要な事は数の性質や演算規則の構造を理解する事であって、わざわざ労力を使って鉛筆やシャーペンで書いて消しての繰り返しをさせるのは無駄だと思います。
あと中学校ぐらいから集合の記号の意味や使い方を教えるほうが、関数のグラフを手書きしたり方程式の解方だけを暗記させたりするのよりも後の数学の勉強には役に立つと思います。
幾何、代数、解析、確率、統計等の現代数学を学ぶには集合の概念は必要ですので。
まとめると、小学校から大学まで一貫した数学の体系を認識させてくれるような教育がベストで、ただ単に展開公式を覚えさせるだとか、高校で実数の厳密な定義無しの中途半端な微積分を教えるのは本当にやめるべきだと思ってます。

投稿: 内海 | 2007年2月15日 (木) 10:36

内海さん、今日は。

私自身、「なんの役に立つのか」が解らないと、納得しない様な子どもだったので(笑) こんなエントリーを書きました。

勉強を単なる「手段」と教え、「面白く無いが、やっとけば役に立つかも知れない」と教えてしまうのは、他ならぬ、大人だと思うのですよね。そしてそれは、勉強していない大人が、そう教えがちなのだと思います。自分達が、内容に踏み込まずに暗記した辛い思い出を基にして、「勉強はつまらないものだ」と、刷り込んでしまっているのだと思います。

 >わざわざ労力を使って鉛筆やシャー
 >ペンで書いて消しての繰り返しをさ
 >せるのは無駄だと思います。
そう思います。「手で書く」、等を、過剰にありがたがる、というのは、結構見られます。中には、それが、物を憶える能力自体に関わってくる、と論ずる学者もいますね。

私は、学習科学で論じられる様な、身近な事象に結び付けて物理や数学を考えさせるとか、何かを作らせて、それのメカニズムを探求するとか、そういうのを考えるのも良いかなあ、と思っています。ミニ四駆を作って、「何故これが走るのか?」を考えさせて、モーターの仕組みや機能を教えたり、とか。子どもも、大いに興味を持つのではないかな、と。ゲームをやる人が、プログラミングを憶える、という事がありますが、それも、自分もゲームを作ってみたい、仕組みを知りたい、という欲求からの事ですしね。

-----------

poohさんの所で頂いたコメントに、こちらでレスしますね。

 >彼らが科学や数学などを軽視したり、
 >それを分からない事、出来ない事がま
 >るで人間味があるかのように考える彼
 >らの思考パターンを説明しづらいので
 >はないかと。
このブログに何度か書いたのですが、私は、社会的に、賢いとか、実力者・成功者と目されている人が、「科学や数学の役に立たなさ」を、流布する事があるのではないかと思っています。つまり、人間は、信頼の重み付けを行っていて、ウエイトが大きい人の言う事を聞く、というのがあるのではないかと。後は、「受験勉強は、受験に”しか”役に立たない」等の意見が、過度に一般化されて、「勉強(学問を体系的に学ぶ事)は役に立たない」という認識が形成されるのではないでしょうか。

投稿: TAKESAN | 2007年2月15日 (木) 12:47

関連するエントリーです(コメント欄も)⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_745d.html

投稿: TAKESAN | 2007年2月15日 (木) 12:50

そういえば、以前は、小学校の算数で、集合論をやっていたそうですね。以前友人に貰った算数の事典に、「無限集合」とか「⊂」とかが、載ってました(笑)

数学は、中・高時代、最も嫌いだった教科であり、今は、最も「勉強しておけば良かった」と考え、勉強をちょこちょこ進めている分野です…。

投稿: TAKESAN | 2007年2月15日 (木) 13:14

こんちは。まじめに勉強をした経験のないワタシが来ましたよ。
多分、小学校で集合論を習ったのはぼくの前後の世代じゃないかな(いま47歳)。ぼく自身は小学校でだったか中学校でだったか忘れちゃってますが(汗
でも、「おもしれー」と思ったのは覚えています。あと、証明問題とか文章題とか好きでしたねー。根っからの文系人間なんだか、そもそも読むのが好きだったのです。学期始めに教科書をもらうと、端から面白そうなところを探して読みまくってた記憶が。
しかし、学期中はまるっきり勉強はしないのですが(大汗

あ、読むのが好きなのは今では病気と化していて、もはや好きだとかいう意識はないのですが「字が書いてあれば読む」です。若き日にヨメさんのパンツが、なんか英字新聞のコラージュみたいな柄だったので、思わず読んでいてあきれられました。あと、最近はトレーナーやTシャツにいっぱい字が書いてあると買いません。この歳になるといちいち読んでしまうと疲れる、というのが理由であります(爆)

どーでもいい話で失礼しました〜 m(_ _)m。

投稿: 亀@渋研X | 2007年2月15日 (木) 15:15

少しは内容に関係のある話もしましょう(汗
最初の段落の例は、とってもいい教材になりそうなものがたくさんあると思います。それを教科という枠にはめるのが難しかったので「総合的学習」とか「生活科」という科目?ができたという側面があったはずです。子どもたちの生活体験に根ざしたところからアプローチしようというわけです。指導要領かなんか、そういうお役所の文書にもそういうやり方が勧められていたはずです。
ただ、そういう意図が果たしてどれだけ教育現場に浸透していたのか、また、意図が伝わったとしても教員が自力で教材化するというか授業計画にまとめあげることが大変で、しかもそれを支援するような仕組みがほとんどないっていうあたりははなはだサビシイものがあるのですが。

投稿: 亀@渋研X | 2007年2月15日 (木) 15:22

亀@渋研Xさん、今日は。

 >まじめに勉強をした経験のないワタ
 >シが来ましたよ。
お、お仲間ですね(笑)

集合とか論理とかって、結構、直感とも結び付け易くて、面白いと思います。何か、ミステリーを読んでいる時の感覚に通ずる様な気もします。私が習ったのは、いつだったかな…。私の場合は、「数学自体」が嫌いでしたね。最早、何故そこまで嫌いだったのか、思い出せませんが。
でも、プログラミングは好きだったんですよね。あれって、もろに、論理とか集合ですよね。やっぱり、何に使うのかが明確な方が、やる気は起こるのかな。

 >若き日にヨメさんのパンツが、なんか
 >英字新聞のコラージュみたいな柄だっ
 >たので、思わず読んでいてあきれられ
 >ました。
あははは、大笑いしちゃいました(笑) それはなかなかですねえ。

 >どーでもいい話で失礼しまし
 >た〜 m(_ _)m。
いえいえ、とっても面白いお話でした。

投稿: TAKESAN | 2007年2月15日 (木) 15:46

多分、私が本文に書いた様な事は、現場の真摯な先生方からすると、「そんなの解ってるよ」という感じなのでしょうね。そうしたいけれど、制約があって、なかなか出来ない、というのもあるでしょうね。受験の対策もしなくてはならないし(比較的短期間で)、人間関係の事も考えないとならないので、色々大変なのだと思います。

なので、せめて家庭では、色々な事に興味を持たせて、知的好奇心を刺激するのが、一般論として、重要なのだと考えています。

投稿: TAKESAN | 2007年2月15日 (木) 15:52

ここでは、はじめまして。
  
なんていうか、受験がいろんな事の弊害になっている気がしますね。
 
私みたいに国立二期校から一期校の大学院へ行って、国研に就職してから、学位を貰うなんて流れもあるから、何も大学ごときで目の色変えなくても良いでしょうに、なんていうと、コロされそうです(笑)。

本当はね、受験そのものを変えちゃうと良いんですよ。最近なくなられるまで、私を可愛がってくれた東京帝国大学出身の先生がね、「僕の時の入試の分析化学は実験だったよ」なんて言われたのね。受験生はそれぞれ試験管に入った液を渡されて実験台に用意してある試薬や道具で、液内の金属イオンを「鉛と鉄と亜鉛」とかいう風に回答する方法らしいのね。

こんな入学試験なら、中学や高校で実験せずに座学ばっかりの「楽しくない」ことしかさせないなんて事もなくなるかも知れませんね。とはいっても、旧制高校から帝大時代は「数が少ない」からできた試験なんだけどね。

投稿: 柘植 | 2007年2月15日 (木) 17:24

>TAKESANさん、亀@渋研Xさん

小学校で集合論を教えていたのは、数学者の遠山啓が提唱していた「水道教育」の影響だという事を読んだ覚えがあります。
現場からの反発もあって、その後小学校のカリキュラムからは削除されたとも書いてあったと記憶しています。
私自身は小学校では集合論を習わなかったのですが、個人的には素朴集合論は小学生くらいの子供達にもイメージし易いものだと思うので、教えてあげる方が数学が身近に感じられると思うのですが難しいんでしょうか・・・
>柘植さん

そうですね、受験は大きな問題だと私も思います。
特に高校のカリキュラムが、大学に合格するためだけに、受験対策の断片的な知識を詰め込むものになってしまっているのが問題かな、と。
よく言われてますけど、高校では不完全な形でしか習わない微積分や線形代数が、大学の特に数学科では入学した時点で既知のものとして仮定されてきた事なんかは、数学教育の構造として明らかに欠陥があると思います。
それと、日本はそろばんの影響があるからか、何か数学=計算のイメージが強すぎるように思います。
「読み書きそろばん」という交通標語みたいな陳腐な言葉がありますが、この言葉は明らかに数学のイメージを低下させていると感じます。結局計算が本質的なもので、自然数の加減乗除が出来ることが数学を習う理由だと言っているみたいなものですからね。これは数学嫌いを生んでいる原因の1つだと私は考えます。


投稿: 内海 | 2007年2月15日 (木) 18:39

柘植さん、今晩は。

私も、受験が手段として、つまらないけどやらなくちゃいけない事、として存在するのが、問題だと思っています(受験勉強自体を、パズルを解く様に楽しむ、という場合もあるでしょうけれど)。

 >「僕の時の入試の分析化学は実験だっ
 >たよ」
これは面白いですね。こういう風になれば、楽しみも見出せると思います。色々、難しい所でしょうけれど。

今の、大学を受験するくらいの年代の人達も、やっぱり、それがステータスになるから、と考えているのでしょうか。

一段メタな認識を持って、受験も、「実力を示す一つの指標」程度と見る事が出来れば良いですね。

投稿: TAKESAN | 2007年2月15日 (木) 18:46

内海さんへ。

多分、子どもが興味を持つような教え方をすれば、集合論も、受け容れる気がします。漫画やアニメのキャラクターを使うとかして。

後、かなり根本的な問題として、「数学が嫌いな大人」を減らす、という見方もある気がします。カルチャーセンターなんかで、数学を解り易く教える講座とかが充実すればいいかな、と。社会人になって大学に入るのは、敷居が高いですし、手軽に学べる場があれば、良い気がします。『平成教育委員会』とかでは、算数の問題を、とても楽しく解いていますよね。ああいうのを見習うべきかなあ、と。

放送大学なんかでは、そういう所が考えられていて、来年度から、「基礎科目」が追加されるそうです。

投稿: TAKESAN | 2007年2月15日 (木) 19:03

みなさんこんにちは。

亀レスで失礼。
人間は、本来は考えることが好きな生き物なんです。クイズやパズルはたくさんの人が好きでしょう。
だから、本来、勉強も楽しいもののはずなんです。
ところが、柘植さんが指摘されたように、受験が目的になってしまったり、内海さんの指摘のような計算する算数・数学になってしまっているところに問題があると思っております。
覚えること、計算などの習熟に偏ることが勉強と思われてしまったんですね。
そういう学習観というのは、根強くて、例えば今の教科書にはドラえもんなどのキャラクターが出ていますし、学習マンガというのも一つの分野となっています。その背景は、勉強は嫌なもの、だからマンガというオブラートをかけてあげる、という考え方ですね。

大人は、新しいものを知ることの楽しさ、発見することの楽しさ、考えることの楽しさを知っているはずなんですが、子どもたちには、そういう楽しさを与えないで、苦行のようなことをさせてしまっているように思います。
 

投稿: ドラゴン | 2007年2月18日 (日) 16:02

ドラゴンさん、今日は。

 >亀レスで失礼。

いえいえ、以前の記事へのコメントも、歓迎です。

「勉強はそもそも面白く無いもの」という「教育」(教え込む、という意味ではありませんが)が、なされている気がします。それと、「勉強を楽しむ人は物好き」、とかですね。だから、前にこのブログでご紹介した小学生(小6で、ゲーデル関連の本を読んでいる。まあ、珍しい事には違いないでしょうけれど)に対する様な印象を、好きで勉強する人に対して、持ったりするのだと思います。
何と言うか、「雰囲気」ですよね。「手段」としてしか見ていない人が、結構いるかも知れません。

 >だからマンガというオブラートをかけ
 >てあげる、という考え方ですね。
導入としては、魅力的なキャラクター等で引き付ける、というのは、ありだと思いますが、結局そこには、苦い薬をごまかして飲ませる様な、そういう心理が働いているのかも知れません。

投稿: TAKESAN | 2007年2月18日 (日) 17:39

教える側が、本当に面白いと感じているということも重要だと思います。
初等教育ほど、その分野のスペシャリストが教育にあたることが理想的だと思います。図工の授業なんかでも、芸術に造詣の深くない教師なんかが、心ないことを言ってしまっていることがあると思います。

投稿: corvo | 2007年2月18日 (日) 23:11

 >教える側が、本当に面白いと感じて
 >いるということも重要だと思います。
そう思います。振り返ってみると、面白いと思った教師は、教師自身が、学問を楽しんでいる、という感じがしました。そういう部分を、子ども達は、結構見ているんじゃないかなあ、と思います。

投稿: TAKESAN | 2007年2月18日 (日) 23:45

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/13103/5346167

この記事へのトラックバック一覧です: 楽しさを感じさせる:

« 昔は、ゴールデンに心霊番組を、よくやっていたなあ | トップページ | ほれぼれ »