血液型性格判断はニセ科学
血液型診断は明確な主張者が存在しない民間の経験的な通説です。
えっと、能見親子は?
科学的証拠が無い事を論拠に批判を繰り広げるのは、新説を独自の非科学的実験を根拠に主張するニセ科学と同じとなってしまうからです。
これが「対ニセ科学」ならばその非科学的実験手法を批判すれば事足りるのですけれど,通説を批判するにはそれでは足りません。反証実験が必要です。
根本的に勘違いなさっている様な。血液型性格判断は、「ニセ科学」ですよ。
それに、血液型診断を信じている人たちは「科学的っぽい説明」があるかどうかではなくて、実際にそれを当たると感じているから信じているのだと思うからです。
いや、違うでしょう。散々、テレビ等で、科学的に根拠があるかのように、扱われてきたのでは? 「実際にそれを当たると感じているから信じている」じゃ無くて、信じているから、確証バイアスなどを掛けて、当たっているかの様に認識を形成するのでしょう(どっちが先とは、厳密には言えないでしょうけれど)。だから、バーナム効果の話が出てくる訳で。
人によっては血液型診断を予断に用いる人がいますが、そういう決め付ける人は例外なく嫌われますよね。これを争いの素とするか、話の種とするかは、個々のコミュニケーションスキルの問題だと思います。
「話の種」、ですか…。「スキル」の問題に、相対化して良いのでしょうか。これは、差別の問題に繋がるのですから、少々素朴だと思います。
「首相官邸のホームページで安倍晋三首相のプロフィルに血液型が書いてあるが、輸血時に必要だからという理由ではないはず。血液型と性格に関係があるという非科学的な考えが根強く残っているのは、科学技術立国として恥ずかしい」と松岡さんは話す。(リンク先記事より引用)
別に恥ずかしくは無いと思いますし、憶測だけでそこまで言い切っちゃう方が恥ずかしいです。
少なくとも、血液型をプロフィールに載せる意味は、解らないですよね。そんな事をする国は、珍しいでしょう(正確には把握していませんが)。「憶測」と仰っていますが、血液型を載せる事に、どんな合理的理由があるのでしょうか。
後段は、ちょっと意味が解らないですね。
理系白書には、
血液型と性格に関係がある、という説は昭和初期、日本の心理学者の研究から生まれたとされる。70年代、関連本が相次いで出版された。
と書いてあるのになあ…。
MSN-Mainichi INTERACTIVE 発信箱:O型大リーガー=元村有希子
ほんと、これ、理系白書に書くべきだと思うんですけど。
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コメント
こんにちは、TAKESANさん。
こういう話は、一端、蔓延してしまうとバーナム効果の説明だけじゃ、なんとも成らないんですよね。
これを説明しても、まだ足りないのだけど「投影現象」もある訳ですね。心理学的な「投影」はかなり影響する範囲が広いんだけど、単純に言うと「A型は何々だ」とか思いこんで人を観察すると、その人の「何々」の部分が目立って見えたりする訳です。
私は、マンションの訴訟の事例を挙げたりもするのだけど、購入して入居してそれなりに満足していた人が、ある夜中に上階のトイレの音がはっきり聞こえる事に気が付く訳ね。でもって、そのうち昼でも聞こえると気が付き「この建物は防音が悪いのかな」と思い始めたら、ドアの開け閉め音は聞こえるは、足音は聞こえるはで、売り主を相手取って訴訟を起こしたなんて事例ね、負けたけどね。
社会に一端、「何々型は何々」なんて蔓延してしまうと、もう投影現象のおこりまくりですからね。バーナム効果を説明したって、まあ受け入れては貰えない訳です。
投稿: 柘植 | 2007年2月16日 (金) 12:41
柘植さん、今日は。
そうですね。一旦信じてしまった人に対しては、「何故血液型性格判断が信じられるか」のメカニズムを心理学的に(大村さんのFBI効果等で)説明した所で、信念を突き崩すのは、大変困難だと思います。しかも、この問題の場合、正に、人口に膾炙するが如き、蔓延の仕方ですしね。
そういえば、血液型性格判断を信じていて、その後懐疑に転じた、という人は、どういうプロセスで、そこに到るのでしょうね。気になる所です。私は最初から、全く信用していませんでしたし…。
投稿: TAKESAN | 2007年2月16日 (金) 13:08
こんにちは、TAKESANさん。
>そういえば、血液型性格判断を信じていて、その後懐疑に転じた、という人は、どういうプロセスで、そこに到るのでしょうね。
懐疑といっても「否定型」の懐疑ではなくて「量的バランス型」の懐疑じゃあないかな。例えば、「O型はB型にやりこめられ易い」みたいなことを信じ込んでいる人が「俺がOでかみさんがBだろ、家の中で小さくなっている」なんて話を職場で言ったとして、自分もOで奥さんBの人が「うちはそれほどでもないな、多少血液型の相性があるにしても、たいした事はないだろう」とか、自分がBで奥さんOの恐妻家の人が「そんなことは無いよ、血液型があっても大した影響はないんだろう」とかね(笑)。
ニセ科学は基本的に現実と合わない訳だから、あまり強い主張が出ると「合わない」面がクローズアップされるので、「あるとしても、それほど大きな事ではない」となっていく面はあるわけです。
投稿: 柘植 | 2007年2月16日 (金) 13:26
>懐疑といっても「否定型」の懐疑では
>なくて「量的バランス型」の懐疑じゃ
>あないかな。
確かにそうでしょうね。「否定型」に至る場合は、余程重大な出来事がきっかけになる、という事だと思いますが、性格判断の様なものだと、そういう事は考えにくいですね。身近でそれ程大きくない出来事や、観察から、「量的バランス型」になるのでしょうね。何というのでしょうか、水伝等のニセ科学とは、「信じ方」の質が、異なる気がします。血液型性格判断は、信じている人にとっても、実は、正しかろうが誤っていようが、どっちでも良い、という事なのでしょうね。「え、そうだったんだ?」となる程度で。そういう意味では、言葉の良し悪しを水の振る舞いに求めたり、脳機能がゲームによって低下する、と主張したりするのとは、異なっているのかも知れません。
それが、血液型性格判断批判に対して、「そんな固い事言うなよ」、つまり、話の種に使うだけならいいじゃないか、と思わせる所なのでしょうね。
投稿: TAKESAN | 2007年2月16日 (金) 13:58
つまり、血液型性格判断を信じるとしても、対象が、そもそもあやふやな、直接観察できない「性格」であって、それが誤っていたと判明した際の弊害が余り無い、という事なのかな、と。「へー、血液型と性格には、強い関連は無いんだ」、という程度で。勿論、それを信ずる事による差別心の形成の可能性などには、思い至らずに。
投稿: TAKESAN | 2007年2月16日 (金) 14:05
上の「弊害」は、「信じていた人にとっての」弊害、ですね。
投稿: TAKESAN | 2007年2月16日 (金) 14:07
どうも、トラックバックありがとうございます。
>民間の経験的な通説です。
すいません。通説は用語の誤りです。迷信に変えさせて下さい。誰かの個人的主張を超えて、経験的な迷信になっているということを言いたかったのです。
「O型大リーガー=元村有希子」にもありますが、ニセ科学とは実験内容を明かしていないからこそ反証不可能であり、その態度を批難する意味でニセ科学という呼称を行っています。
それに対し、血液型性格診断は反証可能なのだから、未証明の命題としてニセ科学の文脈で扱うべきでないと考えます。
つまり、それこそ今、柘植さんとTAKESANがコメントを交わしている通りの心理的な検証を加える事が必要だと思うのです。
>そんな事をする国は、珍しいでしょう(正確には把握していませんが)。
>「憶測」と仰っていますが、血液型を載せる事に、どんな合理的理由があるのでしょうか。
同様に、誕生日までプロフィールに載せる事に合理的理由はあるでしょうか?プロフィールに合理的理由が必要だとは僕は思いません。
それに、よくドラマで「B型の方はいませんか~?」と輸血を求めるシーンがあるように、日本人にとってはけっこう命に関わる問題のような気がしませんか?
こういう風に血液型が気になるのは、日本がABOが均等に存在する珍しい国だからです。このような傾向は中東等の民族の交差点にしか見出せないようです。Wikipediaの記事を参考に貼っておきます。http://ja.wikipedia.org/wiki/ABO%E5%BC%8F%E8%A1%80%E6%B6%B2%E5%9E%8B
だれかが「血液型性格診断を信じる心理的背景について」と題して研究してくれないですかねぇ…
僕もB型に間違われるんですよね…訂正するのがめんどくさい。
投稿: よしひら | 2007年2月16日 (金) 15:18
上のコメントの
「日本がABOが均等に存在する珍しい国だからです」は、「均等」の前に「比較的」が抜けています。<^^;
ついでに詳しく書くと、「A:O:B:AB=4:3:2:1」です。
投稿: よしひら | 2007年2月16日 (金) 15:23
よしひらさん、今日は。
>誰かの個人的主張を超えて、経験的
>な迷信になっているということを言い
>たかったのです。
確かにそういう面がありますね。その意味では、普及(蔓延)の仕方は、物凄いものがあります。ただ、「迷信」という語で、現代における血液型性格判断を適切に現せるのかな、とも思います。血液型は生物学的因子で、それによって、高い精度で性格が判定出来る、という認識なので、やはり、何がしかの、「科学らしさ」を、無意識にでも信じているのではないかと考えています。
>それに対し、血液型性格診断は反証可
>能なのだから、未証明の命題としてニ
>セ科学の文脈で扱うべきでないと考え
>ます。
反証可能だからニセ科学の文脈で扱うべきでは無い、というのは、妥当ではありません。
ニセ科学は、実証されていないのに、実証されたかの如く主張する説です。新奇の科学的理論を主張する場合は、主張する側に挙証責任がありますので、「言い出しっぺ」が、適切な研究方法によって、それが妥当であるかを確かめなければなりません。「無い」事を証明するのは困難、もしくは不可能ですから。
更に、血液型性格判断の場合には、心理学的研究によって、世間で言われている様な、強い関連は見出されなかった、という結果が出ています。参照⇒http://www1.doshisha.ac.jp/~yshibana/etc/blood/archive/index.html
>誕生日までプロフィールに載せる事に
>合理的理由はあるでしょうか?
年齢が判るという、とても合理的な理由があると思いますが。年齢を知ってどうする、という議論は、別にあり得るかも知れませんけれども。
>日本人にとってはけっこう命に関わる
>問題のような気がしませんか?
周知させなければならない、という程の問題では、無いと思います。自分の血液型を知っていれば良いのでは? それに、輸血を行える状況なら、血液型を調べる事も、容易でしょう。
>だれかが「血液型性格診断を信じる心
>理的背景について」と題して研究して
>くれないですかねぇ…
大村政男氏や、佐藤達哉・渡邊芳之コンビ等が、研究なさっていると思います。他にも、社会心理学等で、研究されている筈です。研究内容自体は、詳しく知りませんけれども。ラベリング効果や自己成就現象などは、有名な所ですね。大村氏の「FBI効果」も、知られた概念ですね。
投稿: TAKESAN | 2007年2月16日 (金) 16:57
補足です。
上にご紹介したサイトの、このページが、解り易いと思います⇒http://www1.doshisha.ac.jp/~yshibana/etc/blood/archive/research.htm
投稿: TAKESAN | 2007年2月16日 (金) 17:09
こんにちは、よしひらさん。
kikulogの方に「ニセのニセ科学批判といったものがあり、それが正当なニセ科学批判の足を引っ張っているのでは」と言った事を書いた人が居ます。ニセとは言わないけど「浅薄なニセ科学批判」はあり、それがニセ科学批判として蔓延するのは、あまり良い影響が無い部分があります。とはいえ、それをいちいち「あげつらう」くらいなら、「深いニセ科学批判」をきちんと示す方が良いでしょう。
>「O型大リーガー=元村有希子」にもありますが、ニセ科学とは実験内容を明かしていないからこそ反証不可能であり、その態度を批難する意味でニセ科学という呼称を行っています。
彼女の場合は立場の持つ影響力が大きいので「もっと良く考えて書きなさい」という趣旨の事を書き込んだのですが、能力的に無理なのかも知れません。
ニセ科学批判を始めた者が「ニセ科学」という呼称を選択したのは、それなりに深く考えた結果としてなのです。だからこそ、「科学的で無いのに科学的な事柄として社会に広まっているもの」といった定義をしょっちゅう確認しているわけです。
このような定義をとなる背景には、「社会に広まる」という事に対して「科学的な事柄」と思われる事が大きな要因となることがあります。血液型性と性格の関連にしても「科学的事実」と思われたことが、広がる大きな要因となっている訳ですね。
考え方としては、人間というのは「何か決めつけをして安心する」という心理的な傾向があるということです。「何々県人は保守的だ。彼は何々県人だ。だから彼は保守的だ」といった決めつけは、個人個人をきちんと判断する時の自分の判断の不安定さからくる不安を和らげるので、基本的に「やりたがる」訳です。ただ、この前提の「何々県人は保守的だ」とかいうのはイメージ似すぎないわけですから、決めつけの安心感も弱い訳です。
血液型の場合、それが科学的であれば普遍的ですから、イメージのみの決めつけよりも安心して使える面があるわけです。
投稿: 柘植 | 2007年2月16日 (金) 17:29
柘植さんへ。
>それをいちいち「あげつらう」くらい
>なら、「深いニセ科学批判」をきちん
>と示す方が良いでしょう。
仰る通りだと思います。最近某所で、「ニセ科学批判が自己目的になってしまうのを危惧する」という主張(良く見ますが)を見かけたのですが、しっかり言葉の意味を吟味する事無く、そういう懸念を示して、いかにも的外れな「ニセ科学批判者批判」を繰り広げるのは、全く建設的では無いと考えています。
元村さんは、もう少し、記述に気を遣って頂きたいです…。
投稿: TAKESAN | 2007年2月16日 (金) 17:47
実はたまに話すことなのですが、血液型性格判断は「反証可能なニセ科学」の例です。というより、「すでに反証されている」わけですが。
僕たちは「反証可能性」を錦の御旗として「ニセ科学」を批判しているわけではなく、むしろ「反証可能性」だけで話をするのは間違いであると考えています。その実例として、「反証可能なニセ科学」をいくつか挙げることができます。血液型はその例で、「とっくに反証されているのに認めようとしないからニセ科学」なわけです。
ちなみに、「水からの伝言」は今のままだと「反証不可能」な体裁をしていますが、あの主張の一部を「反証可能」な形にすることはできます。
投稿: きくち | 2007年2月16日 (金) 19:40
きくちさん、今晩は。
確か、佐藤・渡邉コンビの著作だったかと思いますが、血液型性格判断は、ニセ科学には珍しく、科学者がちゃんと研究して、反証された例である、という記述がありましたね。
>「とっくに反証されているのに認めよ
>うとしないからニセ科学」なわけです。
ここが、意外と知られていないのだと思います。
後、心理学的研究で、強い関連が見られなかったからといって、ABO式血液型と性格に関連が無いとは認められない、という(kikulogでも以前話題になった様な)、お決まりの反論も、よく見られますね。
投稿: TAKESAN | 2007年2月16日 (金) 20:35
参考となるサイトの紹介ありがとうございます。
>柘植さん
すいません。勝手に「社会に広まっている」を軽視していました。
ただ、「ニセ科学として捉えて反駁するのでは説得できないだろう」というのが僕の言いたい事です。そして、そのために反証の求め方を変えるべきだと思っています。
ざっと諸先生方の研究を見た感想ですが、ほとんどが自己評価の分析に偏っていますよね。そうではなくて、「他人の評価と自己評価の比較」や「血液型間で相性をどう感じているか」、「信じている人と信じていない人の比較」等の研究を見てみたいのです。
現実に「他人の血液型を当てるのが上手い人」(「性格を当てるのが上手い人」ではなくて)が存在し、そして彼らの存在が血液型性格診断が広く信じられている原因だと僕は考えています。彼ら―言わば“血液型カリスマ”の存在に対抗するには、その「何故当てられるか?」を科学的に探るべきだと思うのです。
彼らが血液型を当てるからくりを見出さない限り、あるいは、彼らが当てていないのだと証明されない限り、血液型性格診断論争は終わらない―そんな気がするのです。
心理学者は血液型性格診断が信じられている理由を「血液型から性格を言い当てる」からだと考えているが、そうではなくて、信じられている理由は「性格から血液型を言い当てる」からではないか?それが、これまでの反駁の敗因ではないか?
それはニセ科学批判的な態度では達し得ない見地ではないでしょうか?
それはこれまでの血液型性格診断論議には無かった観点ではないでしょうか?
そして、それはニセ科学を発端としつつも、結論としては全く逆転した迷信に発展しているのではないでしょうか?
確かに浅はかな記事でした。「ニセ科学批判者批判」に過ぎないものとなってしまっていた…菊池先生に申し訳無いです。
書いていた時は自分でも何を書いているのかよく解らないような自覚はあったのですが…おかげさまで指摘される中で何が書きたいのかが見えてきました。本当にありがとうございます。
もうすこし考えてみたいと思います。
>誕生日
誕生年ではなくて、誕生日です(笑
誰もがあちこちに書きますが特に意味は無いですよね。単にプロフィールって合理的である必要ないですよね、って言いたかったんです。ややこしくてすいません。
投稿: よしひら | 2007年2月16日 (金) 20:41
>きくちさん
コメントを考えている間に…
反証可能性を重視するだけでは駄目なのですね。
肝に銘じたいと思います。
う~ん…それでも何となく上のコメントに書いたことが必要な気がするのです…そういう反論を寡聞にして聴いた事が無いので。
いえ、ホントしつこくてすいません。
投稿: よしひら | 2007年2月16日 (金) 20:46
よしひらさんへ。
先ず、私が書いた、
>いかにも的外れな「ニセ科学批判者
>批判」を繰り広げるのは
これは、よしひらさんへ向けての発言では無いです。誤解させてしまって申し訳ありません。
「信じている人をどう説得するか」という論点であれば、それは、色々なやり方があるだろう、となると思います。「反証の求め方」の意味が、今一つ掴めません。
えっと、こういう言い方は失礼なのですが、よしひらさんが仰った事は、既に科学者によって考察されている、と考えた方が、よろしいかと思います。他者による性格の評定や、偶然とは考えられない確率で血液型が当てられるか、というのは、それこそ誰でも考えられる疑問なので…。具体的な研究を挙げられないので、断言は出来ないのですが。因みに、反証としては、性格と血液型の相関を統計解析して、強い関連が見つからない事が示されれば、充分です。多分、よしひらさんの疑問は、「そもそも性格なる概念を測定出来るか」という所にも絡んでくるものだと思いますが、それは又、別の議論ですね。
>誰もがあちこちに書きますが特に意味
>は無いですよね。単にプロフィールっ
>て合理的である必要ないですよね、っ
>て言いたかったんです。ややこしくて
>すいません。
確かにそうです(笑) で、私が書いたのは、血液型を載せても、血液型しか判らないですよね、という事です。プロフィールに載せるというのは、そこから何かを判断する材料になる、という事を含んでいますから、意味の無さの度合いが異なるのではないかと。
投稿: TAKESAN | 2007年2月16日 (金) 21:17
>「ニセ科学批判者批判」
いえ、前半の批判だけが解りやすくて、後半が解り難かったから一緒ですので。自戒の意味でも。
>既に科学者によって考察されている、
う~ん…やっぱりそうですよね…誰かが考えてると思うんです…けど、いつまでたっても論争は終わらないからつい老婆心で書きたくなるんですよね…「もっと方法があるんじゃないか?」って。
それに僕も書いていて半信半疑なんです。もし、そういう血液型の傾向が存在するなら、性格形成の環境要因の中に民族的なものが未だに息づいているのではないのかなぁ…という期待というか何というか…それがこの性格診断を信じたい気持ちの根っこにあるんですよね…。
別の話になってきました。持ち帰りたいと思います。
どうもトラックバックありがとうございました。こちらにとって一方的に有意義だった感じがして気が咎めますが、またの訪問を楽しみにしています。
投稿: よしひら | 2007年2月17日 (土) 00:13
現在の理解は「血液型と性格の関連は見いだされない」ですので、「血液型から性格を言えない」だけではなく「性格から血液型を当てることもできない」というのが当然の結論なわけです。
僕はいつも「つまり、コンパの席でのお酒の注ぎ方を見て、A型でしょうなどと当てることはできないという意味」と言っています。もちろん、たまたま当たることはあります。特にA型は2.5人にひとりですから、A型と言っとけば、わりとよく当たる。
投稿: きくち | 2007年2月17日 (土) 00:26
よしひらさん、お早うございます。
「心理学者は、科学的トレーニングを積んだ専門家で、しかも数多く存在するので、自分が思いついた事は、大体考えられている」、というのを念頭に置いていた方が良いのだと思います。そうすれば、先行研究に当たって、どういう事が既に研究されているかも、解りますし。
>論争は終わらないから
論争が終わらない、と感じているのは、ある程度信じている人、なんですよね。特に関心を持っている人にとっては、ある程度結論が出た問題、と考えられていると思います。
投稿: TAKESAN | 2007年2月17日 (土) 09:05
きくちさん、お早うございます。
>A型と言っとけば、わりとよく当たる。
で、はずれれば、「えー、見えな~い!」と言っとけば良い、という…。
私なんて、「○型でしょ」と言われて、当てられた試しが無いです(笑)
投稿: TAKESAN | 2007年2月17日 (土) 09:13
TAKESAN>偶然とは考えられない確率で
>血液型が当てられるか
これは、性格判断とは、関係無くなってますね。きくちさんが仰る様に、
>「血液型から性格を言えない」だけで
>はなく「性格から血液型を当てること
>もできない」というのが当然の結論な
>わけです。
この通りですね。統計的に関連が示されなければ、性格から血液型を当てるなんて事自体、言えない訳で。単に血液型を当てるという事なら、それは超能力系の話ですね。
投稿: TAKESAN | 2007年2月17日 (土) 10:13
こちらの議論とも関連があると思うので、貼っておきます⇒
http://d.hatena.ne.jp/mittyu/20061014/p1#c
改めて読んでみましたが、議論としては、きくちさん(2006/10/17 00:51)のコメントで、終了しているのですよね。
後半は、軽く空しい議論が続いています…。
投稿: TAKESAN | 2007年2月20日 (火) 13:32
まさか、あの方が、kikulogにお出ましになるとは思いませんでした。議論は成立しない気もしますね。
投稿: TAKESAN | 2007年5月 4日 (金) 17:13
案の定な展開。
ドライヤーのエントリーと同じ事にならなきゃ良いけど…。
SSFSさんとは、又タイプが違いますね。
投稿: TAKESAN | 2007年5月 8日 (火) 22:41
さすがは、kikulogに集いし猛者達、という感じ。特にきくちさんは、今までのABO FAN氏の論理展開を鑑みて、相当、慎重かつ周到に、論を進めておられますね。
詭弁をさせない為に、先ず主張を語らせる、という手法ですね。
さて、氏はどう出ますか。他の方は、ツッコミのコメントは控えた方がよろしいと思います。
------------
柘植さんに対するツッコミ。まあ、誰かがやるかもな、とは思いましたけど。心理学を自然科学だと主張する論者もいる訳ですしね。
現代心理学の実態を考えると、自然科学では無く、と言うのは、若干不用意だったかも知れません。
でも、一般には、人文科学という範疇でいいと思うんですけどね。心という概念を対象にした科学、という事で。…良く無いのかな。
投稿: TAKESAN | 2007年5月10日 (木) 00:15
私は、総合科学と言うのが妥当かな、と思っていますけれど。人間科学、という言い方もありますが。学際的な分野ですからね。
柘植さんのコメント全体を読めば、仰る事は妥当だと思います。明らかに、「自然科学」を、物理や化学の上位概念として用いていて、「心理学」はそれと同じでは無い、という文脈ですから。下に、「社会科学」と出てきますしね。
投稿: TAKESAN | 2007年5月10日 (木) 00:23
ええと、あちらで、科学論的というか、心理学とは何ぞや、という話は、余り展開しない方が良い、という気がします。ABO FAN氏の為に、静寂を用意すべきかな、と。
投稿: TAKESAN | 2007年5月10日 (木) 00:51
kikulogの新しいコメントを読んでふと思ったのですが、バーナム効果があるから、血液型と性格に因果関係は無いのだ、と言う人自体、どの程度いるんですかね? ブログなんかで、そんな事を書いているものを、読んだ事がある気もしますが。
バーナム効果は、「血液型と性格に強い連関がある」という信念を強化するメカニズムの、一つの説明、といった所ですよね。大村氏の言うFBI効果とかも。
投稿: TAKESAN | 2007年5月10日 (木) 13:09
おっと、きくちさんがレスなさってた…。
投稿: TAKESAN | 2007年5月10日 (木) 13:13
こんにちは、TAKESANさん。
>心理学を自然科学だと主張する論者もいる訳ですしね。
>現代心理学の実態を考えると、自然科学では無く、と言うのは、若干不用意だったかも知れません。
kikulogに書いておきましたが、私は文学部心理学科があちこちの大学にあった時代から今になっても心理学という学問の軸足は人文科学の中にあると思っていますのでね。
なんて言いますかね、例えば統計学が自然科学の中で生まれ、その学問の結果が「社会を解明するのに役に立つぞ」と取り入れられたときに社会統計学が生まれる訳です。だからといって、数学として統計学をやっている人が自然科学の統計学の話をするときに「統計学は自然科学です」というのに遠慮するような社会に私はなって欲しいとは思っていないのです。
投稿: 柘植 | 2007年5月10日 (木) 16:12
柘植さん、今日は。
私としては、柘植さんの、「自然科学ではなく」という記述にちょっと引っかかりを覚えたくらいで、心理学が哲学から分化した歴史的経緯等を踏まえると、柘植さんのコメントに、特に反論する所は無い、と考えています。
と言いますか、文脈を見れば、柘植さんの仰る事は読み取れるのに、他の方のツッコミは、ちょっと細かいんじゃないか、と感じたのでした。
なので、
>でも、一般には、人文科学という範疇
>でいいと思うんですけどね。心という
>概念を対象にした科学、という事で。
とも、書きました。
投稿: TAKESAN | 2007年5月10日 (木) 17:39
全く、ややこしい。
不毛ですよ、実際…。
もっと、「相手が何を言いたかった」かを、忖度した方がいいんじゃないですかね。
投稿: TAKESAN | 2007年5月10日 (木) 22:59
PseuDoctorさんの解釈が妥当でしょう。
収拾つかなくなっちゃいますよ、あれじゃ。
投稿: TAKESAN | 2007年5月10日 (木) 23:07
お、新しいABO FAN氏のコメントは、いつになく…。それでも、論理的に微妙な気もしますけれど。
「知識の汚染」がそれ程普遍的なのか、ちょっと疑問ですが。
ところで、あの書きぶりだと、まだ、ABO FAN氏自身が納得出来る程のデータは見出せていない、という事なんでしょうかね。氏のサイトはいつもチェックしている訳では無いので、よく判らないのですが。
後、最も重要なのは、血液型と性格に、どの程度の関連があれば、「関係がある」という主張が妥当と言えるのか、という所ですね。
又、ある程度強い関連があればあったで、今度は、それをどの様に解釈するか、という問題もあるでしょうけれど。社会科学的メカニズムと生物学的メカニズムの関係、とか。
もし、単に、「○○型にはこれこれの性格が(高い精度で予測出来る程)多い」、という仮説の論証であれば、論理的には、それは実現し得るのですよね。メカニズムはどうであれ。どう分布するか、という問題ですから。これは、『モード性格論』でも、触れられていましたね、確か。
投稿: TAKESAN | 2007年5月11日 (金) 00:58
結局何が主張したいのか、全く解らない…。
わざとじゃ無いですよねえ。
投稿: TAKESAN | 2007年5月12日 (土) 01:33
3・4回読んで、ようやく解ってきた…。
一苦労ですな。
投稿: TAKESAN | 2007年5月12日 (土) 02:47
おお、完全に詭弁になってきた。予想通りだ。
きくちさんのコメントをちゃんと読んでいないのか、読解出来ていないのか、それとも、わざとやってるのか…。
投稿: TAKESAN | 2007年5月12日 (土) 11:37
ここ、メモ代わりにしてます。
目標母集団と達成母集団は、ちゃんと分けて考えなければいけませんよね。当然、限定的な母集団(血液型性格判断の目標母集団は、最低でも、「日本人全て」、でしょうか)から抽出したサンプルによって見出された傾向を一般化する事には、慎重になるべきです。
「昭和○○年の衆議院議員には、○型が有意に多い」、という結果も、その時点での、かなり限定された集団内での関係を見出したに過ぎない訳ですね。それに、ある職業に就く人が、同じ様な性格特性を持っているという事も、言えませんし。
投稿: TAKESAN | 2007年5月12日 (土) 11:49
もう、議論は不能かな。
以前と同様の議論の繰り返し、ですね。
ごく短い文で回答を引き出す、というやり方が、ベターだと思うのですよね。徹底的に訊く、という。ABO FANさんの場合、議論相手の文章量に比例して、詭弁による論点ずらしをされる余地が、大きくなる訳ですから。論点をずらした批判に対して反論すると、又そこから、どんどん拡散していく。そして、他のコメントをスルー事も出来ます。
それが、意図的な戦略なのか、そうでないのかは、さっぱり解りませんけれど。
--------------
話は替わって、PseuDoctorさんのコメント。
お気持ちは解る(完全に同意)のですが、又呼び込んでしまう可能性も…。多分、反応があっても、PseuDoctorさんは、スルーなさるでしょうけれど(そこまで含めた戦術だと思われます)。
投稿: TAKESAN | 2007年5月13日 (日) 00:23
えーっ!
そうきたかあ。
何て言うか、
物凄い。
予想通りと、言えなくも無い。「質問に答えてくれない」、というのを強調するとは、思ってました。
投稿: TAKESAN | 2007年5月13日 (日) 01:15
まさか、今になって、
ABO FAN — May 13, 2007 @11:17:29
>きくちさんがおっしゃる「血液型性格
>関連が示された」というのは、「強い
>関係」なのか「弱い関係」なのかどち
>らでしょうか?
>それとも回答いただけないのでしょ
>うか?
この様なコメントが出てくるとは。
因みに、こちらが、当ブログでABO FAN氏に言及した記事です⇒
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_aec4.html
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_3966.html
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_9393.html
大村氏に対する記述は、曲解も甚だしいと思うのですが、どうでしょうか?
投稿: TAKESAN | 2007年5月13日 (日) 11:45
やっぱり皮肉か…。
としぞうさんのコメントで、本に触れていた所が省略されていたので、敢えて書いてみたんですよね。あの文があると無いとじゃ、全く印象が違うので。
そういえば、ABO FANへの手紙、何年か前に見つけたのに、まだ半分くらいしか読んでないのですよね。ABO FAN氏の文章を読むのが、かなり疲れるので…。ちゃんと読まないとなあ。渡邉さんの文章は、凄く参考になるし。
投稿: TAKESAN | 2007年5月15日 (火) 00:23
あー、実況スレになってたんだ(違
なんだか、〈[講義]「ニセ科学に立ち向かう?」を聴講した。〉で食い下がってる方と、ドライヤーで食い下がっている方と、今回のABO FANさんがダブってしょうがないです。どこがどうダブるのか、いまひとつ自分でもわからないのですが。個々に見ると違う話をしてるんだけど、どこかが同じような……。
投稿: 亀@渋研X | 2007年5月15日 (火) 02:25
プチ実況です(笑)
kikulogには、なるべく書かない様にしていました。ちょっと間違うと、ABO FAN氏に都合よく使われる可能性があるので、こっちに書いてました。
>ドライヤーで食い下がっている方と、
>今回のABO FANさんがダブってしょう
>がないです。
何かが似ていますね。他人の話を咀嚼して検討する姿勢が皆無である所でしょうか(それでいて、自分は、充分吟味出来ていると思い込んでいる)。相手に同調している部分がある様に見えても、とても、自分に都合良く解釈していたりしますね。
投稿: TAKESAN | 2007年5月15日 (火) 11:40
こんにちは。kikulogでのやりとりは、ずっとギャラリーに徹して読んでいました。
印象としては、先方は一度も議論の場には立たなかったのでしょうね。テーブルにつく前に、なんだかんだと文句を言い、結局そのまま退室したように見えました。
ただ、絵の具の染みがついているだけのキャンバスを見せて「ここにはリンゴの絵が描いてある」と主張され続けても、なにも見えてこないです。どうすれば自分の考えている事やアイデアが他人に伝わるかということが、すっぽり抜け落ちている人なのだと思いました。
投稿: corvo | 2007年5月15日 (火) 11:45
>ただ、絵の具の染みがついているだけ
>のキャンバスを見せて「ここにはリン
>ゴの絵が描いてある」と主張され続け
>ても
ああ、成る程。確かに、そんな感じでしたね。
私は、ABO FAN氏の、NATROMさんや渡邉さんとのやり取りや、長谷川氏や大村氏に対する的外れの論評を読んでいたので、ABO FAN氏の論理の不備を指摘してはいけない、と思っていました。そこから、際限無く拡散していきますので。
ですから、きくちさんの対応は、さすがだと思いました。それでもあの様な結果になった訳ですが、もう、如何ともしがたいな、という感じですね。
投稿: TAKESAN | 2007年5月15日 (火) 12:12
ABO FAN氏の最新の更新で、Y岡氏へのリンクとそれらを評価するコメントがついているところを見ると、彼にとって論理的な整合性はどうでも良いのかもしれません。
権威につばを吐きたい、そこに大きなモチベーションを感じているのかも。
自分の主張を簡潔に人に伝わるように述べることができなくて、議論を始めようとするのですから、科学的思考以前の問題ですね。
「・能見さんの本は読まれましたか?
・心理学の論文は読まれましたか?
・性格心理学や性格検査の基礎知識はお持ちですか?」
どれもNOな僕は、彼とはお話すらしてもらえませんね。何も困らないけど。
投稿: corvo | 2007年5月15日 (火) 15:12
それって、第一次スクリーニングの劣化コピーみたいですね……。
投稿: 亀@渋研X | 2007年5月15日 (火) 16:36
あっ、しまった。
上のコメントは、直前にcorvoさんが挙げたABO FAN氏の3つの「?」への感想です。
失礼しました。
投稿: 亀@渋研X | 2007年5月15日 (火) 16:38
>Y岡氏へのリンクとそれらを評価する
>コメント
あー、もう完璧に、駄目ですねえ…。よりによって、あのページにリンクするなんて。
ABO FAN氏が出された条件は、必ずしも要るものでは無いのですよね。きくちさんも仰っていましたけれど。そもそも、kikulogのあのエントリー自体、能見氏の説とは、直接的な関係は無い訳ですしね。議論の流れを完全に無視しているから、ああいうチンプンカンプンな事を、言うのでしょう。
kikulogの雰囲気がどうこうとか言ってますね。まあ、あんなものなのでしょうね、氏の認識は。解っていた事ではありますけれど、ちょっと白けますね。
投稿: TAKESAN | 2007年5月15日 (火) 16:52
亀@渋研Xさんへ。
ABO FAN氏の態度は、一言で表すと、「文脈無視」、ですね。
ABO FAN氏は、「血液型と性格には関係が無い」と言い切っている意見を挙げて、非難している事もありますが、「関係が無い」と言う(断言する)のは、「駄目な批判」ですからねえ。
投稿: TAKESAN | 2007年5月15日 (火) 17:03
圧倒的だなあ。
唖然とする。
と言うか、再度登場するとは、思ってませんでした。
投稿: TAKESAN | 2007年5月20日 (日) 23:59
「余談」と称する部分、あれは何なんだ?
とてもまずい記述でしょう。
投稿: TAKESAN | 2007年5月21日 (月) 00:20
「余談」の部分、唖然としました。
本気で書いているとすると、まったく論理的に破綻している思考の人だということになるのでしょうか。
対話は不可能でしょうね。
投稿: corvo | 2007年5月21日 (月) 00:22
corvoさん、今晩は。
最早、どういう思考の展開で、あのようなものを書いているか、理解不能ですね。破綻を自覚しているかどうかすら、解らない…。
いや、解ろうとするのは、何年か前に、やめたのですが(知りえないので)、それにしても、凄いです。
投稿: TAKESAN | 2007年5月21日 (月) 00:59
「懐疑論者の自己矛盾!?」では、またしても、文脈無視の、恣意的引用を行っていますね(長谷川氏の文章)。
しかし、やっぱり、帰無仮説の意味を解ってないのかな。そうとしか思えない。
投稿: TAKESAN | 2007年5月21日 (月) 13:03
こんにちは、皆さん。
>最早、どういう思考の展開で、あのようなものを書いているか、理解不能ですね。破綻を自覚しているかどうかすら、解らない…。
思考の展開そのものを説明する事はできないけど、人がどのような環境で、どのような心理メカニズムが働いて、いわゆる非常識な行動に至るかという事については、社会心理学的な考察が幾つかありますので、kikulogに書いて見ました。
認知的不協和理論を知りたい場合、私が「たぶんここが一番易しく書いてある」と思うのは、碓井先生の所です。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/deai/012ninchi.html
人は自分で思っている以上に簡単に「非常識」に成れます。そして、そうやって非常識になった人間は「なかなか元には戻せない」ものです。しかし、放っておく訳にもいかないのは、原因帰属理論というのもあって、その非常識さが人を惑わすこともあるからです。「人は簡単に非常識になれない」というのは現実では無い訳ですが、同時にかなり強固な「思いこみ」ですから、そこに原因帰属理論が働くと「ここまで言うのだから、何かよほどしっかりした理由があるのではないか」という惑いを人に与えてしまう訳です。そのため、私は「人はある条件が揃うと比較的簡単に非常識な思考の罠に落ちこむ」という話もする訳です。
投稿: 柘植 | 2007年5月21日 (月) 15:01
認知的不協和の解消や、確証バイアスが強力に働いているのかな、と思いつつも、それでもあれ程破綻するのは…とも考えてしまいますね。
結局、WEBでのやり取りなので、本当の所はどうなっているのか、というのは、知り得ない事ではありますけれど。
投稿: TAKESAN | 2007年5月21日 (月) 15:35
あちらに書こうと思いましたが、ABO FAN氏相手に、長文は控えたいので。
------------
ある説に同意しているという事と、その説を他人が知っているかどうか、というのは、全く別の話だと思うのですが。一体どの主張を撤回したいのか、さっぱり解りませんね。「なぜなら」の使い方が、おかしいです。
又、きくちさんの仰る、
>反証可能な命題として提示していただければいいと思います。
というのは、能見氏の説がどうこうというのとは、違う話なのに。能見氏の説がどうであれ、反証可能な命題を、ABO FANさんが提示なされば、良い事なのですけれど。能見氏の説が概ね正しい、という主張を撤回なさったのなら、寧ろ、ご自身の主張を出し易いのでは? 能見氏の説に関する知識が、問題にならなくなりますし。
------------
投稿: TAKESAN | 2007年5月21日 (月) 23:36
↑「全く別」、でも無いですね。
要するに、科学的な議論をしているのだから、能見氏の説から重要な部分を取り出し、それを、反証可能なかたちで構成して示せば、それが「ABO FAN氏の主張」になる、という事です。で、それが出来ていないので、主張なんて無いんじゃ? と考えてしまう訳ですね。
ABO FAN氏の、「強い関係が解らない」の部分については、あのエントリーのコメントの最初の方で、話が出ているのですよね。それはとても難しい問題です。
投稿: TAKESAN | 2007年5月21日 (月) 23:46
あいたたたた…。
温泉カワセミさんへのレスは凄い。
しかし、どんどんコメントが流れていくなあ。
投稿: TAKESAN | 2007年5月22日 (火) 00:18
こんにちは.
あんなに ABO FAN氏の「主張」を解釈してあげることないのに,と思う今日このごろです.みんな親切なんだなぁ.
でも,あのテの「どんどん話を拡散させる」系の人に,皮肉交じりの長文で返答するのは,あまり得策ではないと思うんですよねぇ.いろいろ言いたくなる気持ちはわかるんですけど.
朴斎先生の「角の三等分屋」のエントリにもありましたけど,一番基本的で素朴な質問に絞って投げ掛けたほうがいいんじゃないかなぁ,と思うのです.
投稿: たかぎF | 2007年5月22日 (火) 19:09
たかぎFさん、今晩は。
そうですね。短く、ポイントを絞って、質問した方が良いと思います。答えざるを得ない様にする、と言うか。
って、私もちょっと、余計な事を書いちゃってますけど…。日本語が無茶苦茶だったので、思わず突っ込んでしまいました。
皆さん、議論するのは諦めて、ああいう方が、どんなおかしな主張をするか、というのを、分析しているんでしょうね。
投稿: TAKESAN | 2007年5月22日 (火) 21:32
うーん,どんなおかしな主張が,っていっても,そんなにバラエティないですからねぇ.渡邊氏との対話で尽きてるように思うのですが.
めちゃくちゃだからツッコミたくなるんですよね.でも,話の枝葉末節についてどんどんおかしな対応が帰ってくるんだから,キリがない.根本的な問題を1つだけ,ふつうの人は誤読しようがない,なるべくシンプルな文章で投げかけて,それに答えるまで相手をしないってのが,ギャラリーにもわかりやすくていいと思うんだけど…というか,きくちさんの対応はそうなってると思うんだけど…
とはいえ,私は以前,某ドライヤーの人に対して「短い質問を,相手が答えるまで繰り返す」のをやってみようとして,すぐに挫折しましたけど orz
気が短いと,ダメですね (^^;
投稿: たかぎF | 2007年5月22日 (火) 23:10
やっぱり、「言いたくなる」んじゃないかなあ。私は、それが得策では無いと思ってるので、こっちに書いてますけれど。
実は私、何年か前に、ABO FAN氏のサイトと、「ABO FANへの手紙」を見て、考えた事があるんですよね。この人と議論する場合、どういう風にすればよいかな、と。その時に考えたのは、ここにも書いた様に、質問を一つか二つに絞って、答えざるを得ない状況にする、というものでした。そうすれば、何かしら答えるか、答えずに退散するかの、どちらかしか出来ないので。重要なのは、「諭さない」事だと思いました。ソクラテスの議論のイメージですかね。自分の意見は余り言わずに、どんどん訊いていく、という。
ABO FANさんの主張は、一言で表せますからね。「破綻」という言葉で。だから、詳細に矛盾点を論っても、しょうが無いのだと思います。そこから、どんどん拡散していくので。
>きくちさんの対応はそうなってると思
>うんだけど…
私は、きくちさんが質問を投げかけられた時点で、ギャラリーは、コメントを控えた方がいい、と思っていました。その方が、やり易かったのではないかな、と。
>某ドライヤーの人
氏のフィルタは、なかなかの高性能ですね。他人のコメントを、華麗に選り分けて、勝手に解釈していますから。
投稿: TAKESAN | 2007年5月22日 (火) 23:39
> 重要なのは、「諭さない」事だと思いました。
諭されないですからねぇ.
> 私は、きくちさんが質問を投げかけられた時点で、ギャラリーは、コメントを控えた方がいい、と思っていました。その方が、やり易かったのではないかな、と。
そう思います.
だから,私もあっちには書かないんですけど…最近さすがにちょっとどうかと思う展開なので,こちらでグチらせていただいてます m(__)m
投稿: たかぎF | 2007年5月23日 (水) 00:00
あ、すみません。丁度、コメントを承認制にした所でした(今日からちょっと、休止しますので)。
あれなんですよね。たとえば、kikulogに、「コメントを控えた方がいいんじゃないか」、と書くのも、とても憚られるし、とは言っても、あのままじゃ、収拾つかないしで、そこが、悩ましいですね。
>こちらでグチらせていただいてま
>す m(__)m
いえいえ、全然構わないです。私もこっちで、プチ実況してますし(笑)
万が一、ABO FAN氏が、ここにお出ましになったら、先に書いた戦術を、試すつもりでした。こんな辺境なので、ギャラリーも少ないですしね。まあ、ありそうに無いですが。
投稿: TAKESAN | 2007年5月23日 (水) 00:09
いつの間にか、差別についての話がメインになってますね。難しい問題ですよね、実際。
血液型記入欄があるヘルメットなんて、初めて知った…。「これがあったから良かった」、というケースがイメージしにくいですね<ヘルメット
実際、輸血が必要な際は、すぐに検査するのでしょうし。以前、このコメント欄でも、よしひらさんと、議論しましたけれど。
投稿: TAKESAN | 2007年5月23日 (水) 22:57
こんばんは。
poohさんが書かれているけど、モータースポーツの世界では一般的ですね。マシンにドライバー名とともに、血液型を表示し、ヘルメットにもはいっているはずです。1分1秒を争う世界では、意味のある事だと思います。
僕はORH-なのですが、手術の時に病院のスタッフがあわててとんできました。そんなに珍しい血液型というわけではないですけどね。
ABO FANさんは、血液型と性格の関係を知る事で、何かすごくメリットがあったのでしょうかね。とてもよい仕事につけて成功したとか、抜群に相性のよい伴侶を見つけて幸福だとか。素朴な疑問として、そんなことを思ってしまいました。
投稿: corvo | 2007年5月24日 (木) 00:16
corvoさん、今晩は。
poohさんのコメントも読んで、成る程と思いました。と言うか、ヘルメットに記載するという事自体、全然知らなかったもので…。やはり、状況と言うか、分野によっては、それが重要な意味を持つ事が、あるのですね。
教えて頂いて、ありがとうございます。勉強になります。
ABO FAN氏の「執念」(と言うか何と言うか…)は、最大の謎ですね。SSFSさんも、そうですけれど。何故そこまで? という感じではあります。
投稿: TAKESAN | 2007年5月24日 (木) 00:44
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/kikulog.htm
キャスさんのメールへのレスより
>kikulogのメンバー
ABO FAN氏、この間から、似た様な事を書いてますけど、一体、何を言っているんでしょうね。
投稿: TAKESAN | 2007年5月31日 (木) 01:43
こんばんは。
kikulogのときからの印象ですが、ABO FAN氏の対応はとても失礼ですね。「???」なんて書かずに、どうして分からないのか、どこかが分からないのか、相手に説明を求めずに、自分と同じ知識がないという理由だけで、一刀両断にしてしまいます。
実生活において、他者と良好なコミュニケーションがとれているとは、到底思えないです。
投稿: corvo | 2007年5月31日 (木) 03:34
corvoさん、今日は。
氏の「書き方」は、以前から指摘されていましたね。クエスチョンマークを連ねたり、フェイスマークを駆使したりで、余り良い印象を与えない、と。意図的では無いでしょうけれど、相手を苛立たせる戦術として、機能していると思います。
キャスさんのメールに対しては、「kikulogから来た」という所に反応したのでしょうね。ここぞとばかりに、という感じの返答ですね。ご自身のサイトなので、書きたい放題です。
投稿: TAKESAN | 2007年5月31日 (木) 11:07
ご自分のサイトで書きたい放題なのは、全然かまわないと思います。読むひとたちにどんな印象を与えるか、と云うだけの話ですから。
投稿: pooh | 2007年5月31日 (木) 14:48
poohさん、今晩は。
そうですね。読者がどう捉えるか、という事だと思います。
投稿: TAKESAN | 2007年5月31日 (木) 19:42
創造君さんとのやり取り。
皆さん、よくやるなあ(笑)
あそこまで訳解らないと、やり取りする気にも…という感じです。
って、ちゃんと読んで無いんですけどね。
何故このコメント欄に書いたか、言わずもがなです。
聞かれた事に答えなかったり、聞いても無い事を長々と語ったり、というのは、ある種の人々の特徴ですかね。
投稿: TAKESAN | 2007年6月 9日 (土) 03:17
>TAKESANさん
私も皆さんよく食いついていってるなあと思ってます(^_^;)
というか実は私、SSFSさんやABO FANさんの時のようにコメントせずスルーしようと思ったんですが、発言内容がアレだけにネタとして処理出来るかもと思い、彼の言う「神様」をドラゴンボールの神様として解釈したコメントをしましたがやっぱりスルーされましたf^_^;
意外と創造君さん本人は当たり前ですが、コメントをしている多数の皆さんもネタとして見る事をしませんね。
poohさんがコメントで仰っているように、自分のコメントで神の存在が証明されていると創造君さんが書いた時点で、もう対話としては終了していると思うんですけども。
これ以上続けてもムダな時間が流れていくだけのような気がします。
投稿: 内海 | 2007年6月 9日 (土) 16:08
内海さん、今日は。
>ドラゴンボールの神様として解釈した
>コメント
元ネタが解らなかったんでしょうね(笑) 結局神様、消えちゃいましたものね。って、跡を継いだ人が、ちゃんといますけど。
実はあのコメント欄、ざっとしか読んでなかったりします…。
ドライヤーと血液型のコメント欄ともちょっと違った雰囲気ですね。中心人物の微妙さ加減も、少し違っていて。
創造論は、余り勉強してないので、調べてみようかなあ。
投稿: TAKESAN | 2007年6月 9日 (土) 16:45
前から気になってたんですけど。
ABO FAN氏、
▼▼▼▼引 用▼▼▼▼
「関係がある」という条件については、複数の心理学者と議論して、「完全なランダムサンプリング」「複数回安定したデータ」「多くのサンプル」が必要だという結論になりました。
これこそ、心理学的に「関係がある」という主張なはずですが?
▲▲▲引用終わり▲▲▲
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244
再三、こういう文章を書いてますが、これって、日本語としておかしくないですかね。これは、「関係があると言える」為の条件じゃ無くて、「統計学的にものが言える」為の必要条件、ですね。
わざとやってんのかなあ。
あ、でも、ABO FAN氏の言ってる事で、一つだけ、注目すべき所があるんですけどね。
投稿: TAKESAN | 2007年6月10日 (日) 13:57
上に引用したコメント(ABO FAN — June 10, 2007 @12:47:14)、全文読むと、見事に破綻してます。
-----------
もう来ないのかな、と思って、ABO FAN氏の「姿勢」についてあれこれ論じてたら、いきなり(そりゃそうだ)再登場して、今度はそこにレスする、というやり方ですね。
どんどん拡散してるなあ。
投稿: TAKESAN | 2007年6月10日 (日) 14:11
こんばんは。創造君については、進化の話ということと、「神は芸術家」発言に反応して、ついついコメントしてしまいました。アメリカでは創造論を具現化した博物館が開館したりと、まさに川端さんの「竜とわれらの時代」を地でいくような現実になっていますね。
たまに自宅までくる、ある宗教団体の方々以外の創造論者の発言だったので、興味深く読んでいました。
「ドライやーの人」「血液型の人」「創造論の人」たちは共通して、文章の読解力と表現力に問題があり、ユーモアのセンスに欠けるという、共通点を持っているように思います。これらがしっかりしていれば、きっと「ニセ科学」にはまることはないのでしょうね。多分。
投稿: corvo | 2007年6月11日 (月) 01:14
corvoさん、今晩は。
>文章の読解力と表現力に問題があり、
>ユーモアのセンスに欠けるという、共
>通点を持っているように思います。
そうですね。認識が硬直している、と言うか。
血液型のコメント欄、たかぎFさんが仰る様にした方が良いと思うんですよね。突っ込めば突っ込む程、突っ込みに突っ込まれて、訳が解らなくなっちゃいますよね。としぞうさんに対するレスなんて、ギャグじゃないか? とすら思いました。
突っ込みたくなる気持ちは解るんですけどね…。
投稿: TAKESAN | 2007年6月11日 (月) 02:47
ABO FAN氏(June 10, 2007 @12:47:14)
▼▼▼▼引 用▼▼▼▼
しつこいようですが、再掲しておきます。
私は、心理学者が、性格心理学に基づき「関係がある」と認める条件を満たしたデータを示したつもりです。
「関係がある」という条件については、複数の心理学者と議論して、「完全なランダムサンプリング」「複数回安定したデータ」「多くのサンプル」が必要だという結論になりました。
これこそ、心理学的に「関係がある」という主張なはずですが?
▲▲▲引用終わり▲▲▲
つまり、ABO FAN氏の「主張」は、「血液型と性格の間には、心理学的に関係がある」、というものなのでしょうか。
これは、研究によって、血液型と性格特性に有意な関連が見られた(帰無仮説が棄却された)というのを、意味するのかな。
んで、それと能見氏の説が、どう繋がるのでしょうね。能見氏の主張は、そんな程度の関連を言っていたのですかね? と、きくちさんが出された問いに、戻りますよね。
----------
…あれ、何か、ABO FAN氏のロジックが、解った気がする。気がするだけですが。
投稿: TAKESAN | 2007年6月11日 (月) 13:14
ABO FAN氏のロジック(どっちにしろ、元々整合してないので、ちゃんと纏めようが無いですけど)。
・心理学的には、
1.完全無作為によるサンプリング。
2.複数の、適切に抽出されたサンプルの
解析による、安定(一貫)した結果。
3.大サイズのサンプル
によって得られた情報が、有用である。
・坂元や松井の研究は、この条件を満たし
ている。従って、これらの研究で見出さ
れた結果は、心理学的に有意義だと言
える。そして、これらの研究では、血液
型と性格特性との間に、有意な関連が見
られた。
・よって、心理学的には、「血液型と性格
には、関係がある」、と言える。
問:では、その「関係」とは、日常会話程度
から血液型を当てたり、相性を云々出来
たりする程の、強い関係であるのか?
答:「強い関係」を、反証可能なかたちで
定義せよ。そうで無ければ、答えようが
無い。
こういう感じ?
氏のロジックでいけば、学部の卒論レベルの研究等は、悉く、上記の3条件を満たしていないので、「有意差が見られなかった」研究は、採用する必要が無い、という事になりますね。
コメント188より引用
▼▼▼▼引 用▼▼▼▼
これらの条件を満たすデータは、私が知る限り2つしありません。
・松井豊 血液型による性格の相違に関する統計的検討 東京都立立川短期大学紀要 第24巻
・山崎賢治・坂元章 血液型ステレオタイプによる自己成就現象-全国調査の時系列分析- 日本社会心理学会第32(33)回大会発表論文集
▲▲▲引用終わり▲▲▲
-----------
ところで、前に話題に出た、「歴代○○に○型が多い」という研究結果を、どう一般化出来るのか、という問には、とうとう答えませんでしたね。実は、コメント190で、
>簡単に一般化できるものではありま
>せん。
と書かれてるんですけどね。
-----------
つまり…
ABO FAN氏の主張は、
1.「心理学的に”関係がある”」というデ
ータは存在する。
2.能見氏の主張がある程度正しいと、「直
感的」に確信している。
という事か?
投稿: TAKESAN | 2007年6月11日 (月) 13:53
ちょっと、問いを掛けてみました。
説明(ここを読まれるかも知れませんが、どうせ答えないでしょうから、いいです)。
問1への答えが、
イエス→じゃあ、直感でどうこう言ってた
だけで、根拠無いのですね。
ノー →じゃあ、根拠を出して下さい。
※能見氏の説の”どこが正しい”かを問うのでは無く、”何故正しいと思った”か、というのを問いました。
問2への答えが、
イエス→じゃあ、全く別の話だったのか、
という事が判明する。
ノー →では、能見氏の説とどう関連す
るか、説明して下さい。
反応してくれなきゃ、何の意味も無いです(笑)
投稿: TAKESAN | 2007年6月11日 (月) 14:25
参考になるのでご紹介⇒http://d.hatena.ne.jp/KJ-monasouken/20070212#p2
ところで、2ちゃんねるには、渡邉氏と思しき方も登場されていたみたいですね。下のリンクにも。
リンク先でも言及されていますが、
※リンク先で引用されている2ちゃんねる
のスレhttp://yasai.2ch.net/psycho/kako/972/972190800.html
より
危険率P<0.5%
って、何だそれ。P値は、危険率じゃ無くて、有意確率では。って言うか、右辺を危険率(有意水準)にしないと…。どれもこれも、母集団が不明確だし。
追記:上のリンク、久しぶりに読んでいますが、凄く面白いです。是非一読を。
投稿: TAKESAN | 2007年6月18日 (月) 13:08
こんばんは。
ゲーム脳の方にも書きましたが、今日までTAKESANさんのブログに気づいていませんでした。遅レスですがご容赦ください。
そうか、皆さんこっちで発散してたんですね(笑)。私ももっと早くここを知っていれば、多少は心穏やかにABO FANさんのお相手が出来たかもしれません。
また、#227の後半部分に関してですが、確かに大人気なかったと思います。ただ、意図的に感情を傷付けられるという体験を本人にも味わって欲しかったというのもあります。私見ですが、議論には「誠実な態度」「明確な主張」「破綻しない理論」の3つが不可欠と考えます。もちろん未熟であったり不十分であったりすることは(自戒を込めて)幾らでもありますが、少なくとも「そうであろうとする努力が見えない人」は論客とは認めたくありません。
あの人やあの人なんかは、3つどころか1つも満たしていませんね。
投稿: PseuDoctor | 2007年6月29日 (金) 01:00
PseuDoctorさん、今日は。
書き込み歓迎です。以前の記事へのコメントは、寧ろありがたいくらいです。
ここ、殆ど実況スレみたいな感じなので、読みにくいかも知れませんけれど…。
>また、#227の後半部分に関してですが
仰る事には、全く同意でした。ただ、あの方は、色々な掲示板にも出没しているつわものなので、効き目があるかな、という気もしました。
後半にお書きの事は、全くその通りで、私もそれを、心掛けています。だから、PseuDoctorさんのコメントの内容にも、好感を覚えたのだと思います。
因みに、手前味噌(←仄かな誤用)ですが、こちらに書き込んで下さる皆さんは、3つの条件を満たした方々です。結構自慢です。
投稿: TAKESAN | 2007年6月29日 (金) 11:50
こんにちは。
>あの方は、色々な掲示板にも出没しているつわもの
>なので、効き目があるかな、という気もしました。
仰る通りです。効果が無いリスクも覚悟していましたし、その場合はもうスルーしかない、と考えていました。ただ、一応私なりの計算はあったのですね。ちょっと長くなりますが、ご容赦ください。
一応、あの時の戦略(偉そう)は
1.相手のやり方を真似る。
2.矛盾を突く。但し議論は低レベル。
3.相手の退路を確保しておく。
の3つです。そしてその前提として、どうやら彼の場合は論理的一貫性に強いこだわりがあるらしいという推測がありました。もし私のコメントに反応するのならば、自らの矛盾に言及し、かつ低レベルな議論に巻き込まれる事を覚悟しなければならないのです。それは彼のプライドが許さない可能性が高い、と考えました。
そこでわざわざ最後に「コメントを拒否も可」と書いておいたのですね。この考え方を受け入れるのであれば、何もする必要はありません。私に反応しなくて済むかわりに、これ以上ゴネる必要もなくなるのです。つまりコストが最小というか、ゼロになるわけです。
勿論その場合でも感情的なモヤモヤは残りますが、それは議論に負けたせいではなく私の文体に感情を傷付けられたせいだ、と思う事が出来ます。
要するに「相手の感情を傷付けた場合は相手にしてもらえない事がある」という(一般的に見ても妥当だと思われる)考え方さえ受け入れれば、全て丸く収まるというか、論理的な帰結はそこしかないだろう、と考えたのです。
きわどい勝負ではありますが、彼の論理性ならおそらくその結論に達してくれる筈、と期待していたのです。そこが、あの人やあの人には期待できない点ですね。
長文失礼しました。
投稿: | 2007年6月30日 (土) 12:33
私が推測したのは、氏がPseuDoctorさんのコメントに反応しなかったのは、反応すると、自身の矛盾に触れざるを得なかったからだ、という事ですね(単にコメント欄を読まなくなった、という可能性は除外)。
結局、感情的に反応すれば、自身のあの文体のリスクを、自分で認める様なものですし、反応しないならば、それに気付いて、これ以上書くと自身に不利だと判断した、という事ですしね(それくらいの論理性はあったでしょうね)。
まさに、PseuDoctorさんの戦術の思惑の通りになった、という感じでしょうか。改めて、PseuDoctorさんに意図を伺って、私の推測も はずれていなかったかな、と感じています。
で、私が懸念していた部分は、氏が反応する事で、コメント欄の主題から逸れた議論が展開する可能性でした。個人的には、ABO FAN氏の主張が見たかったので、最小限のコメントに留めるべきだと思っていたのですね(たかぎFさんや私が、上に書いていますが)。これが、上に、「又呼び込んでしまう可能性も…。」と書いた意図ですね。
いや、氏が反応して展開する議論も、見たかった気もしないでも無いのですが。
しかし、実に緻密な戦術で、感心します。私も、一つのコメントを、かなり細かく考える方だったりします。
あ、後、長文は、むしろ歓迎なので、どしどしどうぞ。
投稿: TAKESAN | 2007年6月30日 (土) 13:00
しかしあれですね。
高度に論理的な文章を読むと、思わずニヤリとしてしまいます。そういう方とのやり取りには、難しいパズルに取り組む様な面白さを、感じます。だから、ここのコメント欄とか、kikulogでのやり取りは、とても面白いし、勉強にもなります。
ABO FAN氏やSSFSさんとのやり取り(kikulogでのやり取りに含まれるだろう、というツッコミは無しで)では、得る事が不可能な感情ですね。
投稿: TAKESAN | 2007年6月30日 (土) 13:14
kikulog経由⇒http://www.asahi.com/national/update/0723/SEB200707230052.html
えー。
>「車の事故を起こす確率は血液型ごとに違う」
この言明は正しいんですけどね。そりゃあ、違いはあるでしょうよ、という。でも、ここでは多分、有意に違う、という意味なんでしょうけど。で、その理由についての講師の説明が…。大体、事故の原因も内容も、一様なものでは無いでしょうに。「事故」という現象自体、かなり複雑なものですよね。そこに至る過程も複雑。
引用したけど憶えて無い、って凄いですね。それ、引用じゃ無い様な。
投稿: TAKESAN | 2007年7月24日 (火) 13:06
うーん、これは嫌ですねえ。
実は私ももうじき免許の更新なのです。こんな話をされたら怒っちゃうかも。要するにどっかで読みかじった話を、うろ覚えで喋ったって事ですよね。適当だなあ。
でも、こういう記事が新聞に載るのは良い事ですね。
投稿: PseuDoctor | 2007年7月24日 (火) 23:56
こんな話されちゃったら、ガクッ、ですよねえ。って、実際、かなり重大な事なのですが。
記事になったのは良いですね。
記事より引用
>「B型はメカ(機械)に強くて自信過剰で、不注意事
>故が目立つ」
って、メカに強いかどうかと自信の程度と交通事故を起こし易いかどうかって、全然違う話ですよね。
投稿: TAKESAN | 2007年7月25日 (水) 00:32
忘れた頃に…。
読んでて、椅子から引っくり返りそうになりましたよ。
皆さん、あまりレスしない方がいいですよ…。
無限ループとしか言いようが無い。
投稿: TAKESAN | 2007年9月 5日 (水) 00:16
氏の意見を検討する事によって、何がしかの有用な知識が得られる、というのもあり得ます(詭弁の事例の分析)。kikulogに書くのが憚れる場合(そして、何か言いたい! となった場合)、こちらを使って頂いて、全然構いませんので。
しかし、「大敗北」とは、なかなかパワホーなタイトルですな。中身が伴っていないけれども。
投稿: TAKESAN | 2007年9月 5日 (水) 00:27
痛いですねえ。
まさに無限ループ。
あ、ついでに出てきた無限ループもいますね。(^^;
こちらも基本スルーかなあ。
投稿: みづ | 2007年9月 5日 (水) 03:04
沸いてくるタイミングがシンクロしているのも、面白いですね。
これほど非生産的なことに、情熱を傾ける事ができる原動力は何なのか、とても不思議です。
投稿: corvo | 2007年9月 5日 (水) 03:15
みづさん、お早うございます。
なんか、デジャ・ヴュですね。あまりにも繰り返しで。
>ついでに出てきた無限ループ
「イオン」という語が見えれば、取り敢えず反応するみたいで…。
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corvoさん、お早うございます。
SSFSさんは、情熱と言うか、もはや執念、みたいな。
ABO FAN氏は……一体あれは、何なんだろうか。
投稿: TAKESAN | 2007年9月 5日 (水) 09:49
>kikulogに書くのが憚れる場合
「イオンでお買い物すると健康にいいって本当ですか?」とか書いてみたい!
投稿: A-WING | 2007年9月 5日 (水) 13:00
A-WINGさん、今日は。
でもそれじゃ、イオンで売ってる健康器具が、売れなくなっちゃいますよっ!
「憚れる」って、「憚られる」が正しい様な気が…。
投稿: TAKESAN | 2007年9月 5日 (水) 17:42
SSFSさんの書き込みを読んで、よく思う事。
「皮肉」って、書き手の見識の高さと、意見の妥当さに裏付けられていないと、大変みっともないものになりますよね。力んで、空回って、滑ってしまう。
自戒をせねば。
投稿: TAKESAN | 2007年9月 5日 (水) 18:43
あの方の皮肉は、選んだかのように自分に返ってくるものばかりで、ある意味凄いですね。
ところで、
イオンでお買い物する
↓
気分爽快になる
↓
心身の健康増進に大きく寄与する
という効果はあります。イオンの効果は軽視すべからずです。
……というのが、某氏の論ですね。(^^;
投稿: みづ | 2007年9月 6日 (木) 04:53
みづさん、今日は。
確かに。
それと似た様な論である事に、気付かないみたいですね。もう、コメントも、1000件近くなのに…。
SSFSさんの皮肉を読むと、「いや、それが当てはまるのはどう考えたって…。」となるのですよね。
投稿: TAKESAN | 2007年9月 6日 (木) 11:59
ABO FAN氏の求心力は、なかなかのものです。
確かに、氏が用いる様な、奇跡的にユニークな論法を目にすれば、何か一言言いたくなる、という気持ちは、解りますです。
なんでまた、kikulogに再び書き込もうと思ったんだろ? 不思議だ…。
投稿: TAKESAN | 2007年9月 7日 (金) 00:41
『否定論者の大敗北』より。長くなるので、前半は省略。
▽▽▽引用▽▽▽
(前略)
「関連はみられないが、関連があってもおかしくはない」と主張するのは強引だろう.
ただ、これでは長谷川さんや菊池さんの主張は「強引」ということにもなりかねません。その意味では、小塩さんは確かに否定論者といえるでしょう。しかし、私が受けた印象では、小塩さんのような主張は、最近ではどちらかというと少数派のようです。正直、久しぶりに読んで、ちょっと懐かしい感じがしました。f(^^;;
△△引用終了△△
これは素晴らしい。この論理展開は、なかなか出来ない。いや、引用部だけでは無くて、全部ですが。どこがどうおかしいかをきっちり説明出来ない程に破綻しているのが、大変興味深い所です。似たような表現であれば、前後の文脈は考慮しない、というのが素晴らしい。これがわざとだったら、凄いけどね。
投稿: TAKESAN | 2007年9月 7日 (金) 12:38
珠玉の詭弁、ですね。
やっぱり、他の方へのしょうもないレスを、続けていますね。
ABO FAN氏のサイトの、hogeさんとのやり取りは、なかなか面白い。ABO FAN氏のレスを読んでいると、脳が崩壊しそうですが。
投稿: TAKESAN | 2007年9月10日 (月) 12:00
ドライヤーの人と、血液型の人は、どうしてこう同時期に沸いてくるのか、なにか彼らのような属性のひとを突き動かす自然の摂理と言うか、法則があるのか、なんてしょうもないことを考えてしまいました。
投稿: corvo | 2007年9月10日 (月) 12:26
ABOFAN氏にしろSSFS氏にしろ本当に「整合性」ってものが気にならないんですかね。
もちろん、ABOFAN氏のほうが何枚も上手ですが。
投稿: きくち | 2007年9月10日 (月) 12:32
corvoさん、今日は。
特にABO FAN氏の場合、「なんでまた、再びkikulogに?」という感じですよね。全部にはコメント出来ない云々と書いていますが、誰も、レスしてくれと頼んだ訳でも無いのに…。それでいて、きくちさんの核心の問いは、まるで見えていないかのごとき、華麗なスルー。
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きくちさん、今日は。
多分お二人共、確信的なんですよね。
ABO FAN氏は、次元が違いますです。
コンテクストとか全体の整合性とかに、関心は行かないのでしょうねえ。
投稿: TAKESAN | 2007年9月10日 (月) 12:53
うーむ。
このタイミングで、ABO FAN氏再登場ですか。なんか凄いな。
「心理学者と同じ考え」が主張なら、kikulogに出向いて書くのは、何の意味もありませんな。ご自分のサイトにも、「心理学者の本を読んでね。おしまい。」で良いし。
果たして「ABO FAN氏と心理学者の認識が一致しているか」、という観点もありますが、まあ、どうでもいい事ですね。渡邊さんとのやり取りを読めば、大体解るでしょうし。
投稿: TAKESAN | 2007年9月19日 (水) 00:32
思わず、「おおっ。レスきたー!」となった。
そして、読んでみて、椅子から転げ落ちそうになった。
凄いなあ。凄すぎる。
”「血液型と性格は関係ある」”って、自分で書いた文章だと解ってるのかな。
投稿: TAKESAN | 2007年9月19日 (水) 00:56