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2007年2月に作成された記事

2007年2月28日 (水)

ゲーム脳が授業参観に

del.icio.us/cactus_f経由⇒専業主婦のトモ:授業参観で「ゲーム脳」登場(1) - livedoor Blog(ブログ)

むう、水伝(水伝関連記事は必読です)に続いてゲーム脳も、ですか…。大変ですよね。

専業主婦のトモ:授業参観で「ゲーム脳」登場(2) - livedoor Blog(ブログ)

8つのグループのうち6つに「ゲーム脳」が
書いてありました。
例えば・・・
・ゲームをずっとしているとゲームのうになる
みたいに書いてありました。
中には「のうみそが少なくなる」って書いてあるのも!

…。もう、何と言うか。戦慄です。授業にゲーム脳が出てきた事はともかくとして(これが問題であるのは当然として)、子ども達に、これ程ゲーム脳が知れ渡っている(と言い切るのには注意が必要ですが)という事実に、驚きました。これは推測でしかありませんが、保護者の方の、ゲームを長時間させない方便として、それが用いられているのでしょう。科学的根拠があるか無いかは、重視していないかも知れません。

これは、とてもまずい状況です。

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占いとか

こう見えても私、以前は、占いとかを、結構信じてたんですよ。

信じる、と言っても、のめり込んで、色々勉強する、という訳では無いんですが、朝にテレビでやってる星座占いを見て、何となくちょっと気にしてて、学校で何か失敗したり嫌な事があったりしたら、「何か運が悪いなあ。…そういえば、朝の占いは、あんまり良くなかったな…。」なんて事を、考えてたりしたんです。

まあ、今では考えられない事なんですが、そういう時って、必要以上に、自分の努力ではどうしようもない何ものか(具体的な他者では無い)に動かされている、という感じを覚えるんですよね。日常的な言葉で言うと、「気になる」、です。そういうネガティブな状態は、あんまり良く無いんじゃないかなあ、なんて思ってます。

別に、占いとかを否定してる訳じゃ無いんですが、色んな事を他者任せにしてしまう、という面が、あると思うんですよね。それが、プラスの影響を与える事もあるでしょうけど、あまり「すがる」のはよして、程々に付き合っていくのが、良いんじゃないでしょうか。

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2007年2月27日 (火)

抜き去り

Yahoo!ニュース - オリコン - 「花男2」、「華麗なる~」を超える視聴率でトップ

ほー、抜いたんですね。『華麗~』は、広い世代には受け容れられにくいストーリーなので、しょうが無いのかも。『花男』面白いし。

あ、「誤差の範囲内だろう」って突っ込みは、無しで(笑)

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美しい、か…

何か凄いのを、見つけました⇒美しい日本をつくる会 2月18日に発会式を行います。どうぞご参加下さい

この手の文章って、物騒な表現が散りばめられていて、あんまり美しく無い、と思うのですが。

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2007年2月26日 (月)

道徳教育の本に水伝。『科学』に脳科学の特集

こなみ日記(2007-02-25):オカルトを信じる道徳教師たち

これはいかんですね。こちらに説明があります(画像もあり)⇒小学校「道徳シート」とエンカウンターで進める道徳 高学年

文脈から切り離して、言葉に力を持たせるべきではありません。それは、他人を傷付ける格好の武器にもなるし、自分自身を切り付ける刃にも、なりかねないのですから。

身体に水が含まれている事と結ぶのが詭弁だとは、考えないのかな。心のやり取りを、物質の振る舞い(しかも、根拠の無い暴論)に求めて、一体どうするのか。

 子どもたちは本来,水と同じく無色透明の存在であるかもしれない。素直で,透き通っていて,美しい結晶を形づくることができるだろう。

はっきり言います。これは、子どもを舐めている。全く、子どもの心を理解していない。

興味深いブログを見つけました⇒Clov's Kitchen : 疑似科学と学校-自戒を込めて

考えさせられる内容です。

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リヴァイアさん、日々のわざ: 岩波の「科学」で脳科学特集

これは、読まざるを得ませんね。他にも、坂元章氏の、『テレビゲームが子どもに及ぼす影響』という記事もある様です⇒岩波書店:科学(2007年3月号の紹介を参照)

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2007年2月25日 (日)

速く読む

MORI LOG ACADEMY: 速読について

全く同意です。と言うか、近い内に、似たような内容のエントリーを書こう、と思ってたのです(笑)

その本に書かれてある分野についての既有知識に、依存するのでしょうね。知識が余り無いと、イメージを展開出来ないし、結局、(森さんの言い方を借りれば)「知った」だけになってしまう、という事になるでしょうね。殆ど見聞きした事すら無いような内容だと、読むだけ無駄、にもなりかねないですね(後から振り返って、「ああ、そういえば、以前読んだなあ」という、意味記憶の蓄積という点では、役に立つでしょうけれど)。比較的短時間で読んで現象を理解する、というのは、余程、認識力が高いのでしょう。羨ましいですね。でも、そういう能力を高めるには、地道に勉強していくしかない訳ですが。

ちょっと話は ずれますが。よく、活字に触れさせる事が大切だ、という意見がありますが、私は、もっとビジュアルで説明して、知識と結び付けさせるのが、重要だと思っています。具体的に知らないのでイメージ出来ない、という場合には、既有の知識から類推する訳ですが、そもそもそれが貧弱であった場合、想像力も乏しくなるのだと思います。「知っている」だけで、ろくすっぽ「解って」いない、という人、いますよね。あ、昔の人は、良い事言ってますね。「百聞は一見に如かず」と。この場合には、「百読は一見に如かず」、という感じでしょうか。余談ですが、空手の宇城憲治師範は、身体運動の専門家らしく、「百見は一触に如かず」という言い方を、なさっていますね(この言葉の由来自体は、ちょっと知らないのですが)。

で、森さんが言われている通り(ここ強調)、私には、速読に、積極的な意義が見出せないです。イメージを展開する時間をとらなければ、ちゃんと読んだ事にはならない、と思っています。ただ、この文脈の場合、具体的なイメージを展開させずに、書かれている現象を理解しないまま読む、というのが、「速読」に含意されている、とも考えられますが。そもそも速読に、どういう定義があるのか、知らないですし。

そういえば、前に、同じ様な内容のエントリーを書いたなあ、と思って調べたら、全くと言っていい程、同じでした(笑)⇒Interdisciplinary: 読む

お読みの方に、読んで直ぐ、内容を理解して頂ける様に、書きたいですね。これは、書く側の、認識の問題ですね。

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拘っている

ニセ科学問題を考える事自体が、科学と疑似科学の線引き問題等の、科学哲学的トピックに繋がり、思考の訓練にもなる、というのはあるでしょう。
いずれにしても、批判自体が目的になる事など、考えにくいと思っています(願望も含んでいるでしょう)。

私自身が、「自己目的化」という言葉に、とても拘っていますね。実際、どういう意味なのかを突き詰めるのも、重要なのではないかと。「自己目的化」でググると、色々出てきますね。果たして、同じ様な論理が、ニセ科学批判活動においても、当てはまるのかどうか。

こんな事を書いていると、見方が偏っていると、思われるでしょうね。取り敢えず、この問題について書くのは、これくらいにしておきます。

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2007年2月24日 (土)

アクセス禁止

取り敢えず、うまさんを、アクセス禁止にしました。複数のHN使用、自作自演の投稿、コピペ文章のマルチポストを繰り返したためです。これまでに投稿されたコメント、HNを、纏めておきます(コメントされたエントリー名、コメント内に貼られたリンクは省略)。

自分が考える程度の事は、他の人も考えつく(ついた)だろう、と思った方が良い。それが謙虚さに繋がります

うまとかいうバカがニセ科学批判論者を陰で卑劣に批判しています

投稿 通報 | 2007/01/20 21:16:25

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まだ書いてますね
>「はいはい、すごいですね。でもあなたが考える程度のことはすでにとっくの昔にだれかが考えているのです」と類似をフレーズを山形さんがお使いになるのを読んだのは今回が初めてではないように思います。
>山形さんがこのフレーズを意識的に素人つぶしに使っているかは検証の必要がありますが、今回それが結果的に政治的に正しくない結果をまねくのだということは山形さんは自覚された方がよろしいかと思います。

投稿 通報 | 2007/01/23 1:59:04

必読

認知科学は、情報処理の観点から知的システムと知能の性質を理解しようとする研究分野

投稿 toss | 2007/02/18 21:30:01

イマジナリィ

TAKESAN様

向こうでも書きましたが、私の主旨は

例えば

については「科学にはなりようもないものを科学として紹介している」という点では批判されて然るべきでしょう。しかし、「考えることを放棄するように勧めている」と読める文章でなく、そのような批判は当たらないと私は思います。ですから、そこまで踏み込んだ批判をしているような印象を与える書き方は避けた方がいい、というものです。

つまり『水伝について肯定的に書いていれば(…)である』と断定的に考えるのは…略…

投稿 うま | 2007/02/22 0:40:52

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もちろん、私に言及する、スルーするも自由です

とくにここはTKESANさんのブログですから、尚更ではございます

投稿 うま | 2007/02/22 1:24:26

力を持たされる言葉

あらら、私のコメントも消されてますね。要は、科学だとか、ニセ科学だとか、んなもんキョーミねーよ、ってことなのかと

投稿 うま | 2007/02/22 2:11:51

自己目的化

「科学/非科学」の境界と同時に、非科学の中の「ニセ科学/疑似科学」の区分も重要でないかなあ、と最近は思っています。

「Aは非科学である」というのはただの指摘ですが、一方で、「Aは疑似科学か?、ニセ科学か?」というのは、Aが置かれた文脈に依存しているために、文脈の特定を省略した批判は誤解を招きやすい傾向があるのでは、みたいな感じがします。

Re: アマサイさま 投稿者:murak 投稿日: 2月18日(日)02時23分34秒

投稿 とりです | 2007/02/24 8:51:55

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これは個人的印象なのですけれど、非科学が疑似科学ではなく、ニセ科学として受け取られているということが良く分からない場面で「ニセ科学だ!」と批判されているケースも多いような気がしているのです

投稿 とりです | 2007/02/24 10:49:33

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>■当記事は・・・。
>本来的には「プラスの言葉」の効用・・・etc・・を旨とするものであり、「水からの伝言」の科学的見地からの批判・無批判を目的とするものではありません。
>たねたね (2007-02-21 20:41:13)
>トンデモ本とは、単に中身が間違ってる本ではありません。著者の意図とは異なる見方で読んでみたら、とても面白い本のことです。UFO、予言、超古代史、さまざまな陰謀論……その広がりと内容は、読書することの楽しみとオドロキを私たちに教えてくれます。
投稿 とりです | 2007/02/24 11:02:18

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>エスカレートしています。

今にはじまったことでもないような…

投稿 うま | 2007/02/24 12:14:14

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Parent-Teacher Association

川端裕人さんのブログで、こんな面白い、意見募集があります⇒リヴァイアさん、日々のわざ: PTAのイメージってどうよ……どんどん追記します

私自身のイメージとしては、あちらにも書いた通り、何をしているのかよく解らない組織、というものですね。まあ、小学生が、PTAって何やってるんだろう? と、好奇心を持つ事も、あんまり無いのかなあ、とも思います(持っても、すぐに消え去るかも)。後は、母親の集まり、ですよね。定期的に、放課後に保護者(主に母親)が集まって、何やら話し合いをしている。で、何を話しているかはよく解らない、という。保護者が子どもと、PTAに関して話し合う機会を持つかどうかに、関わるのかも知れませんね。

しかし、コメント欄を読むと、悉くが、ネガティブ、もしくは、特に意識した事が無い、という意見ですねえ。しかも、皆さんのご意見に、殆ど同意出来る、というのが…。

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メモ:自己目的化

走り書きです。

そもそも、ニセ科学が「実証されていないのに実証されたかの如く主張される説」、「科学的根拠が無いのに、科学的だと広く認められている(誤解されている)説」である、というのを、事あるごとに、くどい位説明するのは、「ニセ科学批判の自己目的化」(昨日、コメント欄にも書きましたが、それが具体的にどういう現象なのか、という事も考えた方が良いかも知れません。よく考えてみると、余り意味のはっきりしない言葉です。※一応ここでは、「内容を詳細に検討せずに、誰かがニセ科学と言っているからそれに乗っている」、という意味で使います)を防ぐ為でもあるのですよね。要するに、「ちゃんと理解した上で言葉を使わないと、的外れになる」、という事を言っている、つまり、釘を刺している訳です。批判するからには、ちゃんと言葉の意味を押さえておきましょうね、という。

だから、ニセ科学を批判する事に対する危機感を持つのも、確かに意味はあるのだとは思いますが、それよりも、ニセ科学はこれこれこういう意味である、だから、○○はニセ科学と看做されているのだ、というのをきちんと説明する事が、大切なのだと考えています。

※「自己目的化」という字面からすると、「はっきりした根拠が無いのに、ニセ科学のレッテルを貼る」等してまで、何らかの説を批判する、とでもなるでしょうか。「自己目的」なのですから、批判行為そのものを目的とする、という意味ですよね。そこには、「内容を深く検討しない」という、ネガティブな意味も含まれているでしょうか。ちょっと、よく解らない所ですね。ニセ科学を批判する人が、わざわざそれらしい対象を探して難癖をつけ、満足する、という現象を想定しているのでしょうか。しかしながら、私が思うに、ニセ科学を批判する人は、楽しんで(というと、語弊があるか)それを行っている訳では無いし(嬉々としてニセ科学を論うなんて、想像も出来ないし)、的外れな意見があれば、それ自体を批判する、という事もあるのですよね(的外れなニセ科学批判を批判する)。又、「○○はニセ科学なんだって。知らなかったー。」という、いわゆる「批判を鵜呑み」にする人は、別に、「自己目的」なんて、積極性は持たないのではないでしょうか。となると、「批判の自己目的化」が、どういう現象なのか、いよいよ解らなくなってきます。

「ニセ科学」というのは、上に挙げた、ある程度はっきりした意味を持たされていて、その上、「科学と疑似科学の境界は曖昧」という前提がある訳ですから、その語を正確に使う事自体に、ある程度の認識力が必要とされるのですよね。

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2007年2月23日 (金)

レッツ、ハンティング!

私は、『MONSTER HUNTER』シリーズは、『2(DOS)』から始めたので、『MONSTER HUNTER PORTABLE』を友人から借りてやってみて、余りの簡単さ(親切さ)に、驚きました。携帯ゲーム機のソフトなので、ソロプレイでもさくさく進めるように難易度を設定してあるのだと思いますが、DOSに慣れた人間にとっては、おー、やり易いなあ、という感じでしたね。ココット農場なんて、えー、って思いました。希少な鉱石が、ザックザク…。で、逆に、MHPから始めた人にとっては、DOSが、かなり厳しめに感じられたかも知れません。あ、でも、PS2版は、DOSしかやってないので、それ以前の、無印とGとの比較は出来ませんが。

という訳で(どういう訳だ)、めでたく、『MONSTER HUNTER PORTABLE 2nd』が、発売されました。ベースはDOSで、新武器として、太刀・ガンランス・弓が追加され、新しいモンスターも追加されました。かなりのボリュームですね。そこそこ極めるには、かなり時間が必要でしょう。あ、私はそもそも、PSPを持ってませんので、友人に見せて貰うだけですが(笑)

ともあれ、MHシリーズは、本体ごと買っても損はしない(自分は持ってないくせに…)、傑作ゲームです。個人的には、アクションゲーム史上、最高レベルなんじゃないかと思っています(後は、『ゼルダの伝説』シリーズとか、『METAL GEAR SOLID』シリーズとか)。

MONSTER HUNTER|モンスターハンター 公式ポータルサイト

CAPCOM「モンスターハンターポータブル 2nd」:公式Webサイト

モンスターハンターポータブル 2nd Video Games モンスターハンターポータブル 2nd

販売元:カプコン
発売日:2007/02/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

モンスターハンターポータブル PSP the Best Video Games モンスターハンターポータブル PSP the Best

販売元:カプコン
発売日:2006/08/03
Amazon.co.jpで詳細を確認する

モンスターハンター2(ドス)(通常版) Video Games モンスターハンター2(ドス)(通常版)

販売元:カプコン
発売日:2006/02/16
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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今更感

はてブでちょっと話題の話。

そもそも、政治家と性格傾向の関連を調べるのが、先なんじゃないですかね。

血液型と性格が強く関連してるのなら、わざわざ、政治家なんて、特殊なサンプルを選ぶ必要は無いと思うのですが。政治家(しかも、特定の年。他の年では、それ程強い関連は、無いみたいです)に、O型が有意に多かったとしても、「それで?」としかならないかと。と言うか、こんなの、散々指摘されてる事なので、今更、という感じも。参考⇒血液型性格関連説について:竹内久美子氏:補論多重検定によるタイプ1エラー

前は信じていなかったが、竹内氏の本を読んで信ずるに至った、というのは、結構珍しい気が。そうでもないのか? ちょっとググれば、色々出てくるでしょうに。

次は、「交通事故と星座の関係について」らしいですね…。

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心の実験

心は実験できるか―20世紀心理学実験物語 Book 心は実験できるか―20世紀心理学実験物語

著者:ローレン スレイター
販売元:紀伊國屋書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これは、なかなかに面白い本だと思います。amazonのレビューにもあるように、著者の主観が書かれ過ぎではありますが、それを、味付けの為のスパイスと考えれば、興味深く読めるのではないかと。学術書ではありませんから、そこを割り切って、読めば良いと思います。でも、スパイスが効き過ぎてる所も、あるんですよねえ(笑)

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2007年2月22日 (木)

缶詰

最近、スパムTBが増えてます。

承認制にしようかなあ、とも思っているのですが、なるべくなら、このままにしたいですね(芸能人の名前を載せたエントリーとかは、予め閉じたりしてます)。もうちょっと増えたら、承認制にするかも知れません。

それにしても、スパムは鬱陶しい。

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身体意味構造

高岡英夫は、著書『鍛練の展開-身体の中芯からの革命』において、「身体意味構造」という、興味深い概念を提出している。高岡の著書から引用してみよう。

A 〈体意変更システム〉というのは、どういうものなのですか。

T 例えば柔道選手が襟を持たれたとすると、相手の手と自分の襟との関係は、「相手が自由自在に扱える手でこちらの襟をコントロールし、強力な力を加えてこちらを攻撃しようとするのに対し、こちらは何とかやられないように防戦する」という、一方的な攻撃―防御関係に陥るのが関の山です。厳密には防戦すらも、既に持たれてしまった段階においては、襟自体を通じて行うことはさして努力の余地がないと考えられています。

 ところが大東流の合気柔術では、持たれた”襟”の方が持った”手”を攻撃し、相手を投げ倒したり、潰し落としたりという、柔道の状況とは全く逆の、信じ難いような主客転倒が行われているのです。こうしたシステムはしばしば私が『光と闇―現代武道の言語・記号論序説』で明らかにした〈潜在的擁護システム〉※上位者の権益を護り組織を安定化するために無意識のうちに形成されていくシステム。 を伴うものなのですが、佐川幸義氏の場合は〈擁護システム〉を直接的に利用する度合いが低いという点でも、信頼に足るものと言えるでしょう。

 身体には無意識のうちに、意味付けされた地図ができているのです。例えば”手”は”襟”を持って投げる所、”襟”は”手”に持たれて投げられる所、……というように。

A そうした無意識の”地図”が選手の競技力や上達の努力や、さらにはその種目全体の技術の発展を根底から束縛しているということになるわけですね。

T そういうことです。これが〈体意=身体意味構造〉ということです。アスリートの上達や種目の発展には、こうした〈身体意味構造〉を解体構築していく作業が、実は極めて重要なものとして含まれているのですが、多くの人々がその道の専門家を含めこの事実に気付いていないのです。(高岡英夫『鍛練の展開-身体の中芯からの革命』 恵雅堂出版 1993 P199-201)

これは、重要な指摘である。我々は、生まれ落ちて以降、自分の属する様々な文化の価値体系に拠って、生活を営んでいる。それは、社会に広く認められた習慣であったり、家庭独自の価値観であったりが、複雑に絡み合ったものである。私達は、それに従いながら、高岡の言う「身体意味構造」を、形成していくのであろう。武術・身体運動関連エントリーなので、はじめに合気道を例にとって見てみよう。合気道では、通常、最も基本的な稽古として、自分(取り:技を掛ける側)の手首を相手(受け:技を掛けられる側)に掴ませた状態から技を掛ける、という形態を取っている(ここでは、ある程度しっかり掴まれた静止状態から始めるものと仮定する)。通常我々は、上肢帯から手にかけてを、「肩関節を支点にして、物を持ち上げたり、押したり引っ張ったりする」という機能を発揮せしめる部分として、認知しているであろう。ところが、余程の筋力の差が無い限り、動かされまいと掴まれた手を自由に運動させるのは、至難の技である、そこで、身体意味を変更させる必要が生ずる。即ち、「手首は掴まれた位置から動かそうとせずに、肘・肩甲骨・肋骨を、下方へ運動させる」という機能を発揮させるべく、認知の構造を変化させるのである。こうする事により、受けの持ち手に大きな重みが掛かり、「豚の脚を持たされる状態」になり、技を行使する事が可能になる(この辺りの論理は、高岡の、『合気・奇跡の解読』 ベースボール・マガジン社 に詳しいので、参照されたい)。

身体意味構造の形成は、色々な「価値付け」、つまり、「これこれこうすべきである/無い」という論理に、強く依存する。たとえば、「身体をゆらゆら左右に揺らして歩くのはみっともない」、「背筋はきちんと伸ばし、骨盤は軽く後方に反らしたものが、”良い姿勢”である」といった具合に。そういった価値の体系が、各個人の身体意味構造を、形成している。当然、ある集団において共有された価値体系の影響も受け、集団に、ある程度普遍的に見られる構造も、あるだろう。又、それが、専門的に指導を受け、後天的に形成される事も、しばしばであろう。プロのスポーツ選手が、トレーナーに指導を受けたり、武術で師匠に厳しい稽古を受ける過程で、それまでに形成された身体意味構造が、変化するのだと考えられる。それは、当人が、どれだけ指導者に信頼を置いているか、又、指導者の「教え方」等に、依存する。

話を、より一般化してみると、たとえば、「大腿四頭筋は常に収縮し、歩行運動においては、前方に移動する為に、膝関節を伸展させるべく働く」、「骨盤の周りの筋肉は、常に強く収縮させ、”力強い”腰を作る」等が、無意識に構造化されていると考えられる。即ち、身体意味構造は、生理学的にも、普段の筋収縮のあり方等も規定する、認知構造なのである。これを最も一般化したものが、高岡の言う「身体意識」概念に繋がってくるのだろう。

さて、皆さんは普段、自分の身体に、意識を向けていらっしゃるだろうか。歩いている際に、太股の前面と後面の、どちらを主に働かせているか、体幹をきっちり固めて、そこから棒の様に腕と脚が出ていると感じているか、ぐにゃぐにゃに変形し易い物体が運動し、それに従って、鞭の様に手足が動いていくか、等々。その認知が、私達の身体のあり方を、規定しているのである。それを見つめていくのも、大切な事なのではないだろうか。

参考文献

鍛練の展開―身体の中芯からの革命 Book 鍛練の展開―身体の中芯からの革命

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

合気・奇跡の解読 Book 合気・奇跡の解読

著者:高岡 英夫
販売元:ベースボールマガジン社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

究極の身体 Book 究極の身体

著者:高岡 英夫
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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余談。私は、この「身体意味構造」という概念は、とても重要なのだと思っています(一般化すると、身体意識が重要だという事です)。たとえば「良い姿勢」はどういうものか、とか、「だらけた姿勢」はどんなものか、とか。そういう様々な価値観に沿って、私達は、身体のあり方を、規定しているのだと考えられます。「良い歩き方とは、胸をはって、腕をきびきび振り、踵から足を接地する」という具合に、身体運動が、一つの記号として機能している訳です。これは、普段の生理学的状態とも、密接に関連しているでしょう。たとえば、「歩く」運動を、「膝を一々曲げ、重心が充分前に出てから膝を伸ばし、身体を前に運ぶ」のと、「膝は伸ばし、支持脚の真上に重心が来た際に、大腿を伸展(後方に回転)させ、前方に移動する」と認識するのとでは、全く異なります。歩行運動は、毎日数千から数万歩繰り返される訳ですから、それが筋収縮のパターン等の違いとなって現れる事は、容易に想像がつきます。

勿論、これは、殆ど意図せずに形成される事もあるでしょうし(社会一般に認められた習慣等。歩きとか、「良い姿勢」とか)、専門の、スポーツや武術の指導を受け、自覚し、意図的に変えようとする場合もあるでしょう。こういった意味でも、身体と心は密接に関連している、と言う事が出来ます。

ところで、認知科学でこういった研究はあるでしょうか。いかにもありそうですが。

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2007年2月21日 (水)

動き

ゲーム規制について、とても気になるニュースあり。

実証研究が、まだ充分に蓄積されていない段階で、規制を断行するという事に、危機感を覚えます。

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力を持たされる言葉

Chromeplated Rat:力を持たない言葉経由⇒言葉の持つ力。|ナゾ風呂

量子論云々の前に、言葉の性質について思いを馳せた方が、良いのではないかと思います。poohさんも仰っていますが、言葉の恣意性(無契性)、文脈依存性を考えるべきです。そうすれば、少なくとも、「じゃあ、他の言語ではどうなんだろう」とか、「平仮名で文字を書いたら、同音異義語にはどう反応するだろう」とかの、疑問が出てくる筈です。思いが直接伝わる、という主張なら、そもそも、文字を聞かせたり見せたりする意味が、無くなりますし。

言葉というのは、その価値が相対的に決まるから、奥が深いのです。人によって言葉の持つ意味が、ほんの少しずつずれているから、常に言葉の意味を確認し合って、齟齬をきたさない様に、努力すべきなのです。それが、コミュニケーションです。

この言葉は悪い言葉、あの言葉は良い言葉、なんて決め付けて、自分の脳内辞書で閉じてしまって、相手の言葉の使い方をちゃんと考えないと、独り善がりになったり、価値観の押し付けになったりするのではないでしょうか。時には、集団による絶対的価値観の押し付けになります。これは、大変怖い事です。

コメント欄…。

田崎さんの文章でも、お読みになれば良いと思います…。

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知らなかった

これはさすがに、科学論じゃ無い…。

つい最近知ったんですが、水木しげる氏(水木プロ)の公認ファンクラブがあるらしいのですが、名前が、「水木伝説」、略して「水伝」らしいです。しかも、結構歴史があるみたいです。

もしかして、知られた事だったりします?

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2007年2月20日 (火)

科学少女

「科学論」でいいのか?

泣き言メイン(琴子のセンス・オブ・ワンダーな日々):ギリギリ科学少女ふぉるしぃ

この間、この曲の事をkikulogに貼ろうと思ったけどやめた、というのは、ここだけの話です…。

キャラクターデザインを見て、ほー、と思ったのでした。

バナー貼っときます(笑)

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理科離れ。批判はネガティブ?

某ブクマ経由⇒参議院会議録情報 第150回国会 文教・科学委員会 第2号

これも、話には聞いていましたが、読むのは初めてでした。しかしこれは…。余りにもあんまりなので、ちょっと長いですが、引用します。

○松あきら君 ありがとうございました。まさに私もそのとおりだというふうに思います。
 ここに水を研究していらっしゃる江本さんという方が書いた「水は語る」という本がございます。心とか命とか、そういうものを理解するためにこの本を少し紹介したいと思います。
 まず、写真をごらんになっていただきたいと思います。両方からカラーの方もお回しいたしますので。(資料を示す)
 この写真は山梨県の三分一の湧水の氷結結晶写真なんですね。とてもきれいな結晶なんです。札幌の水道水ですとか名古屋の水道水、いろいろあります。
 そこで、これは実は、透明の瓶に精製水を詰めまして、いろんな言葉をその瓶に張るんですね。これは「ありがとう」という言葉を張った結晶、これは「ばかやろう」という言葉を張った結晶なんですね。それで、何とか「しようね」というふうに書いたのがこの上で、「しなさい」というとこの下になるとか、これだけではなくていろいろ出てくるわけでございますけれども、実験ではぶっ殺すとかむかつくとかいう言葉でもこの「ばかやろう」というのに近いような結晶が出てくる。音楽も実はここに入っているんですけれども、数え上げたら切りがないぐらいたくさんいろいろ実験で出ているんですけれども、やはり水も言葉がわかるのかしら。
 例えば、人の体の七〇%は水分だそうで、そうしますと自分の心だけじゃなくてそういう水分という面から考えてもいろいろな言葉にあるいは反応するのかな、こういうことも思うわけでございます。やはり安易に心を傷つけるひどい言葉が使われているとしたら、そういうことは単に心だけじゃなくて、いろいろなことからそれが起こってくる。
 そしてまた、学校の先生は、教師は授業をするわけですけれども、その教員免許を取得する過程では心理学というものは割合にさらっと通り過ぎているようでございます。今、カウンセラーは二千五百名ほど学校に配置されております。私もカウンセラーが非常に大事ということで申し上げているんですけれども、やはり学校の先生は、教えるということだけでなくて、一人一人の子供の生命状態を把握して理解できるようにならなければ本来いけないのではないかなというふうに思うんですね。
 アメリカのノースカロライナ大学では、落ちこぼれはなくせるといいまして、脳科学の成果を生かそうと頑張っている小児科のお医者様がおります。メル・レビーンさんという方なんですけれども、これは、従来の画一的な指導法では多くの子供たちが落ちこぼれになってしまう、生徒は一人一人みんな違うんだ、教師がその違いを理解すれば一人一人に合った指導ができるようになるとおっしゃっているんです。子供の学習したものについては、その脳に膨大な知識が蓄積されているのに現場の教師にその扱い方が行き渡っていない、つまり扱い方がわかっていらっしゃらない方もいるとこのレビーンさんはおっしゃっているんですね。例えば、子供の脳の発達に関する最新の研究は個々の事例の解決に役立つとも言っておられるわけでございます。この方は、以前なら養護学級に送られていたかもしれないそういう多くの生徒を教室で実際に助けることができたと体験を述べられているわけでございます。
 こういった脳の科学が教育の現場に役立つ、あるいは反映されるのであればこれも喜ばしいと。そしてまた、少子化がこれからはどんどん進むわけですから、一人一人の子供をしっかりと見ていただいて、教師がカウンセラー、臨床心理士だけに頼らないで、教師の仕事の一つとしてやはり適正な対応あるいは理解ができるようにならなければ本来はいけないのではないかというふうに思うわけです。
 そういった意味で、心理学あるいは脳の科学の専門知識を持たなくてはいけないと言っているわけではなくて、教員養成の中でそういった点も学べるような環境をつくる努力を行政はするべきだと思いますけれども、この点についての大臣の御所見を伺いたいと思います。
○国務大臣(大島理森君) まず冒頭に、この写真でございますが、拝見してみて、これはボトルに張るだけでこういうふうに変わるというのは……
○松あきら君 そうなんです。
○国務大臣(大島理森君) 科技庁にも命じてちょっと勉強を……
○松あきら君 ぜひ実験してみてください。
○国務大臣(大島理森君) はい。まじめにちょっとやってみたいと思います。ちょっと驚きでございまして、なるほどなと、こう思って見ております。
 まず、総論的に申し上げますと、今、先生がおっしゃったように、いじめとか切れるとか、あるいはさまざまな子供たちの犯罪あるいは問題というものに対して、情緒的にとらえてはならぬと私は文部省に参りましてから常々申し上げてきております。やっぱり科学的に分析するという側面を持たなきゃいかぬ、それから数字的な客観性も持たなきゃいかぬという一つの考え方を申し上げて、今起こっているいろんな事件とか問題点をそういう観点からもきちっと科学的にも分析しながら対応を考えるという、そういう時代に入ったということは同感でございます。
 その中で、特に心理学という問題につきまして、私どもも教員になられるそういう方々には、やはり知識ということを単なるデリバリーするだけではなくて、最後は子供たちの心を引きつけ、子供たちの心に先生の言葉が入っていかなけりゃならぬ。そういたしますと、子供たちの心理状況、こういうものがどういう状況になり、子供たちがこういう心理になったときにどういう行動形態をしていくかということを少なくとも先生の立場ではきちっと基礎的には踏まえなきゃなるまい。そういう意味で、おっしゃったように、我々は心理学の知識を先生になろうとする方々にはしっかりと身につけさせることの重要性を認識しております。
 そういう意味で、初任者研修において、その基礎を踏まえながら実際にカウンセリングというものをどういうふうにしたらいいか。このことは、カウンセラーだけではなくて一般の先生方にもしっかりその基礎論あるいは方法論というものを身につけて、心理やカウンセリングに関する内容などをきちっと取り組めるようにさらに充実をしていかなければならぬと、こう思っております。
 そういう意味で、そういう児童心理という側面での先生方の知識あるいは対応というものがますます重要になってくるのではないか、そのための対応をしっかりしていかなきゃならぬという思いでございます。
○松あきら君 私も実は次にその科学的なということを御質問しようと思っていたんですけれども、私もこのお水の実験を実際してみたいなと思うんですけれども、例えば授業の中で子供たちに、こういう人がいてこういう実験をしたらこうなったんだってよと、水でもわかるのかしら、このクラスでも一遍やってみようかとか、そういうことも子供たちが心というものを考える、あるいは命というものを考える一つの手助けになるのかななんという気がいたします。
 それから、今まさに先に大臣がおっしゃられたので私の質問と重なるというか、次に申し上げようとしていたことは、今本当にさまざまな社会体験あるいは自然体験、そしてボランティア、いろんなことで子供たちの心の情操を助けていきたいというのがあるんですけれども、その一方で私が申し上げようとしていたのは例えば低血糖の問題、子供たちが今飲み物ですとか袋菓子とか、御飯を食べないでこういうものを、間食ですか、残念ながらそれが主食に取ってかわろうとしているぐらい今の子供たちは飲み物ですとか袋菓子を食べているらしいんですね。そうしますと、そういうものに全部糖分が多量に入っている。含まれている。
 そうすると、糖分がたくさん入るとどういうふうになるかといいますと、低血糖になるそうなんです。要するに、砂糖を大量にとると低血糖になる。そうするとどうなるかといいますと、これを繰り返していきますと、いらいらが募り、頭痛がして疲労感が広がり、それが異常な行動の引き金になっていると、こういうことも指摘をされているわけでございます。
 もちろんこれだけではありません。食べ物の中にも、あるいはダイオキシンあるいは環境ホルモンあるいは空気、水、すべてそういうものも関係はしてくると思うんですけれども、要するにそういったむかつくあるいは切れる、異常な行動をするという中で、私はやはり科学的にしっかりと研究をして心の教育と両面でこれをぜひ進めていただきたい。これを申し上げようと思っていたんですけれども、再度よろしくお願いいたします。
○国務大臣(大島理森君) 実は、松委員は御承知でそういう御質問をしていただいたと思いますが、アメリカの中で今お話しされたような低血糖状態がいろんな形で子供たちに影響しているんじゃないだろうか、こういう長い議論があります。まだそのことについて、低血糖だから明確にそういうふうに切れるとかあるいはおかしくなるとかという、そこのところは依然として議論があって、WHOなんかでも、結論として糖が子供の行動や振る舞いを有意に変えるという仮説を示唆する客観的な証拠は余りないねというWHOの報告はあるにしても、いずれにしろ、先ほど申し上げましたように、食生活それから睡眠のあり方とか、あるいはその他子供たちを取り巻く食事から体力からそういうふうなものについてやはりきちっと分析をしなきゃならぬのじゃないか。
 そういう中で、我々は切れる子供の生育歴に関する研究というものを立ち上がらせて今やっております。その中に、例えば国立教育研究所に今やらせておるのでございますが、生徒指導、教育心理、発達心理、社会学、さらに公衆衛生、それから小児科の先生、こういうドクターの立場から、医学の立場から、あるいは精神科医、臨床心理士、そういうふうな医学的な観点からの分析も、いろいろな問題があるかもしれないと。プライバシーをきちっと尊重しながらも突っ込めるところだけは突っ込んで、やはりそういう問題に科学的知見をきちっと持った上で対策をとることの方が、いろんな御批判をいただくかもしれないけれどもむしろ国益に合うことではないか。こういうことで、具体的な事例の場合においてそういう多方面からの分析、研究を今させているところでございます。そういう問題が出て、結果としてこのようだといったら、またいずれ国会の場で御論議をいただくことにしております。
 何回も申し上げて恐縮ですけれども、情緒的におまえたちはしっかりしなきゃならぬと言うだけではこの対応にはならぬという思いは一緒でございます。

何というか、「自分は科学の事は良く解らないが、こういう話があるので調べてみてくれ。よろしく」と言わんばかりのこの認識は、駄目でしょう。

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水は何もいいひんでぇ~パート2|みずちの夢現

うーん、

だからといいそれを批判している人達を肯定しているわけでもない。批判から生まれるものはネガティブなものだけで、建設的に何かが変わっていくことはない。

批判はネガティブなものしか生まない、という認識は、改めた方が良いのではないでしょうか。おかしなものが出てきた場合には、放っておかずに、適切に批判するのが健全だと、私は思います。

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シリアスゲーム解説書

シリアスゲームの本格的解説書「シリアスゲーム-教育・社会に役立つデジタルゲーム」2月20日に発売:Garbagegames.com

大変興味深いですね。読もうと思います。

関連サイト:Serious Games Japan

Book シリアスゲーム

著者:藤本 徹
販売元:東京電機大学出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年2月19日 (月)

イマジナリィ

ある対象を批判する行為において、散見されるのが、「想像で作り上げた、”仮想敵”」に対する批判、です。最近の、ニセ科学批判に関する議論でも、よく見られます。

即ち、ブログのエントリーや、たった数十分のテレビ番組の放送であったり、わずか数十行の新聞記事であったり、そういう断片的な情報を基にし、他の部分は都合良く組み立てて、実際の批判対象とは全く異なる「脳内の論敵」を形成し、それを実際の対象と見做し、批判を繰り広げる訳です。

その様な仮定が有効なのは、正に、「仮想敵である事を認識している」場合のみです。つまり、「こういう認識の人がいたならば、こう批判する事が出来るであろう」、という、思考実験的な状況、という意味です。きちんと、こういう思考パターンの場合には、と「想定」している事が解っているのであれば、それは、想定した論敵が現れた場合の批判の仕方という、思考の訓練として、役に立つとは言えるでしょう。

しかし、最近見られる、「ニセ科学批判者批判」等においては、ある批判の対象が明確に存在している場合に、その対象の心情、認識のあり方までをも勝手に決め付け、それに対して批判を繰り広げる、というやり方が、見られます。これは、率直に言って、全く的外れな行為でしょう。そこに見られるのは、過度の一般化であったり、言ってもいない事を言ったかの如く決め付けて、それを非難したり、といった、大変不合理で、不毛な論理の展開です。それは、批判対象に対する不当な印象形成を促してしまう場合すら、あります。

簡単に言うと、

  • 相手が考えてもいない事を考えていると看做す。
  • 相手が考えている事を考えていないと看做す。

の、どちらもすべきでは無い、という事です。とは言え、初めから、対象の考えを過不足無く理解する事など不可能です。だからこそ、コミュニケーションを通じてお互いの認識を確認したり、相手の心情を忖度しながら、慎重に、論を進める必要があるのです。

じゃあ、私がここに書いている、

「想像で作り上げた、”仮想敵”」に対する批判

をする人、というのは、「仮想敵」なのか?

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高岡英夫氏の著作について

夢草の剣さんの、コメントを受けて。

高岡氏の著作は、広範に亘っていますので、武術のどの様な部分に関心を持つか、によって、お勧めの物は、替わってきますね。

初期の著作は、武道・武術を、記号論・言語学や社会心理学、構造主義的手法によって分析した著作が多いですね。比較的読み易いものとしては、『空手・合気・少林寺』シリーズや、『武道を読む』(これは、他の著作の解説書でもあります)辺りでしょうか。
又、『鍛錬シリーズ』では、トレーニングの方法、取り組み方等が詳細に論じられており、「武術に筋力トレーニングは必要か」、等の問いを持つ人には、大変参考になると思います。余り、読み易くはありませんが。

1990年辺りからは、高岡氏独自の、身体意識論について論じられた書が、多く出版されてきます。武術では、内観によって、「気の流れ」を認知するのは一般的なので、すんなり読めるかも知れません。『ハラを失くした日本人』などが、良いでしょうか。『意識のかたち』は、少々難解です。

その後は、現在広まっている、ゆる体操関連の著作が、多く刊行されています。ここら辺になると、そもそも一般向けに書かれた物も多いので、大変読み易いと思います。お勧めは、『からだには希望がある』、『からだにはココロがある』でしょうか。

武術を身体運動として客観的に捉えるという視点からは、『究極の身体』が、お勧めです。

又、身体意識論について、本格的に論じられている、いわば教科書的著作として、『センター・体軸・正中線』、『丹田・肚・スタマック』があります。内容そのものは、ちょっと難しいですが、文体は、読み易いと思います。

最後に、やはり、合気系武術に関心がある人にとって必読なのが、『合気・奇跡の解読』でしょう。特に、前半がお勧めです。合気揚げを、実証科学的手法によって分析したのは、おそらく殆ど無いと思われます。又、イチロー選手と宮本武蔵の身体運動の共通性を論じた、『武蔵とイチロー』は、読み易く、とても面白い本です。

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後、これは、事ある毎に、書いているのですが。
高岡氏の論述には、いわゆるトンデモ系と言うか、ニューエイジ系のものがあったり、気を肯定的に(心理学等の概念では無く)捉えていたり、といったものもあります(その内、トンデモ発言、トンデモ記述は、纏めると思います)。これは、日本や中国武術の思想には、馴染み易いものかも知れませんけれど、私個人としては、全く賛同していません。一応ここは、お断りしておきたいと思います。ニセ科学を普段批判していながら高岡氏を肯定的に扱う所に、違和感を覚える方もおられると思うので、念押し、という事で。
又、高岡氏の著作は、その類稀なる洞察力による分析は、舌を巻く事も多いのですが、実証データを示しているものが余り無い、最近の著作には参考文献が挙げられていない(自著以外で)ので、どこまでが独自の考えで、どこが先行研究を基にしているかが解りにくい、といった所もありますので、そこは、押さえておいた方が、良いかと思います。

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他に、これがお勧めだ、等のご意見を頂ければ、ありがたいです。私は、DSを前面に出した著作(1995~2000年辺りかな)は、余りお勧めしませんが。

空手・合気・少林寺―その徹底比較技術論 Book 空手・合気・少林寺―その徹底比較技術論

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
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空手・合気・少林寺 (続) Book 空手・合気・少林寺 (続)

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
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鍛練の理論―東洋的修行法と科学的トレーニング

鍛練の方法―世界最強をめざす人だけが読む本

鍛練の実践―その深い理解と徹底化のために

鍛練の展開―身体の中芯からの革命

武道を読む Book 武道を読む

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
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ハラをなくした日本人 Book ハラをなくした日本人

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
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意識のかたち―現代に甦る天才の秘密 Book 意識のかたち―現代に甦る天才の秘密

著者:高岡 英夫
販売元:講談社
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からだには希望がある Book からだには希望がある

著者:高岡 英夫
販売元:総合法令出版
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からだにはココロがある―丹田、センター、身体意識の謎を解く Book からだにはココロがある―丹田、センター、身体意識の謎を解く

著者:高岡 英夫
販売元:講談社
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究極の身体 Book 究極の身体

著者:高岡 英夫
販売元:講談社
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センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます Book センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます

著者:高岡 英夫
販売元:ベースボールマガジン社
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丹田・肚・スタマック―自分の中の天才を呼びさます Book 丹田・肚・スタマック―自分の中の天才を呼びさます

著者:高岡 英夫
販売元:ベースボールマガジン社
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合気・奇跡の解読 Book 合気・奇跡の解読

著者:高岡 英夫
販売元:ベースボールマガジン社
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武蔵とイチロー Book 武蔵とイチロー

著者:高岡 英夫
販売元:小学館
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「老婆心」、というか…。後、水伝肯定とか

ゲームの危険性|キッズルームのお姉さん

ゲームの危険性をきちんと認識するのは必要なのですが、その根拠に「ゲーム脳」を持ち出されると、堪らない訳ですよ。

因みに、「コミュニケーション能力など使う場面もない」って、大きな誤解ですよ。一面を捉えているだけです。他者とコミュニケーションを取らなくとも完結するゲームが多いのは事実ですが、だからといって、ゲームをする人間がコミュニケーションを取らない、という訳ではありません。

と言うか、一人でゲームやっている子どもがいたら、「何やってるの?」と声でも掛けて、コミュニケーションを取ろうとする方が良いのでは? 子どもは、嬉々として、自分がやっているゲームについて、語るかも知れませんよ。その方が、遠くから眺めて(曖昧な)危険性を案ずるより、遥かに良くありませんか?

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kikulog&某ブクマ経由で。

科学技術振興機構 新しい物理現象や動作原理に基づくナノデバイス・システムの創製研究領域・研究事務所:コラム 技術参事 篠原紘一:109. 水の不思議

これはまずいのでは…。どこまで本気なんだろう。

寺石研究室(「もっと知りたい人のために」を参照)

経歴を見ると、哲学の講義を持ったりしてるみたいです。言語論を教えたりは、しないのでしょうか。と言うか、哲学やってる人が、江本氏を薦めたら、駄目でしょう。

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成城トランスカレッジ! ―人文系NEWS & COLUMN― - 『水は語る―魂をうつしだす結晶の真実』で意気投合する江本勝さん&窪塚洋介さん

そういえば、この対談を読んだのは、初めてでした。しかし、これ程とは。

自分の脳内辞書で完結している人同士が対談すると、こんな感じになるのですね。言葉を精確に使おうとか、微塵も思っていないのですかね。いや、本人達は、言葉の「本質」とやらが解っている、と感じているのでしょう。

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ガードナーの本を読んだ直後に見たので、眩暈を禁じえなかったり(ちょっと言い過ぎですが)。

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2007年2月18日 (日)

理系アイドル

↑何ちゅうタイトルだ…。

みお線各駅停車(『特に40歳を過ぎた方にはがん検診をおすすめします!!』)

偶然見つけたのですが、何か、読み易くて、凄くしっかりした文章を書くなあ、と思ったのでした。

…白状します。23歳という年齢と、「アイドル」だというバイアスが、かかっていたと思います。ぶっちゃけ、「アイドルと言われる人が、こういう文章を書くなんて、ちょっと意外」と考えました。芸能人は、相対的に勉強する時間が少ないという、勝手な思い込みが、ちょこっとあったのでしょうね(ちょっと、です)。いかんいかん。反省。でもあれですね。「アイドル」って、時には、若干ネガティブな意味で用いられる場合がありますね。で、そういうバイアスを排除しても、良い文章だと思います。

それと、後半の、「★おじいちゃんへのラブレター」を読んで、身につまされたのでした。

「芸能・アイドル」カテゴリーに入れたのは、ご愛嬌です(笑)

よく解りませんが、ブレイクするんじゃないですかね。『SUPER SOCCER』のレギュラーにもなってますし。

頑張れ! そして、「理系」を前面に出してくれ!(結局それか)

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ぐるぐる

ドライヤーのエントリーでのコメントのやり取り、まだ続いていますね。いや、意味のあるやり取り、では無い気もしますが。

体験談を掻き集めた所で、(あのエントリーの議論においては)余り意味が無い、というのは、目に入っていないのでしょうか。

ちょっと関連するお話。

かなり以前に、調理学の講義を受けた際に、聞いた話なのですが、食味の官能検査においては、容器の色までも、コントロール(揃える)するそうです(その心理的効果を考慮して)。この話を聞いた時に、「ほー、そこまでするんだ…」と思ったのを、憶えています。そこまでやらないと、真に「科学的」とは、言えないのですよね。

追記:やっぱり、というか。以前、同じタイトルのエントリーを、書いていました。大分エントリーが増えてきて、重複するのも仕方無いので(そうか?)、そのままにします。タイトル重複のチェック機能でも、あれば良いのに。

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2007年2月17日 (土)

ニセ科学は「科学で解明されていないもの」ではありません

delicious: ニセ科学を糾弾する人は科学で解明されないもののうち、何を信じているのだろう

思うのですが、「じゃあ”ニセ科学”って何だろう?」と考え、調べたりする事は無いのでしょうか。批判するなら、その対象について調べるのが、普通ですよね。

多分、きくちさんが、二分法の問題について語り、科学者はそんな思考はしない、と仰った箇所は、記憶に残っていないのでしょうね。

それは、彼らがいうところの「ニセ科学」を信じる人々を基本的に見下しているということです。

これは、誤解、というか、思い込みを一般化し過ぎでしょう。何度か、同じ事を書きましたし、kikulogでも議論になりました。”彼らがいうところの「ニセ科学」”という表現から、科学者が適当にニセ科学を決めている、と見做している様に、思われます。批判活動を見て、直ぐ「見下している」と判断するのは、今後も、ずっと出てくるでしょうね。

ニセ科学を、「科学で解明されていないもの」と考えるのが、かなり見られます。当然ですね。きくちさんの出演された番組を観た人は沢山いるでしょうから、誤解する人の数も増えるのは、しょうが無い事ではあります。

タイトルの意味が解らないのは、私だけでしょうか。

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ゲームで賢くなる

私の周りのゲーム好きは、総じて、認識力が高く、冷静に物事を考えます。

詳しくは、「ゲーム」の中でも、RPGやSLG、ADVGが好きな人、ですね。

推測するに、比較的テキスト量の多い、RPGやらをやる事によって、人物の相関を把握したり、マップの形や、街や城の位置などを憶える事によって、論理的認識力が、鍛えられるのではないでしょうか。又、戦闘シーンにおいては、ターン毎に、受けるダメージや与えるダメージを計算し(リアルタイムバトルの場合は瞬時に)、回復魔法や補助魔法を使うタイミングを、考える訳です。素早さのパラメータは、行動順位に関わりますから、もっと複雑になります。ADVにおいては、そのまま「テキストを読む」という部分がありますし、推理系では、ナゾを解く為のヒントを見出すべく目を光らせ、キャラクターの言葉に矛盾を探し出そうとします。ゲームは、基本的に、それらの課題をこなさないと、「先に進まない」訳です。従って、数多の種類のゲームをクリアしてきた人達は、そういう課題を達成してきて、認識力を鍛えた人だと考える事が、出来るのです。

とまあ、ゲームはどんな構造か、という事を考えると、こんな意見も言える訳です。勿論、「周りのゲーム好きは賢い」という主張は、一般化出来ません。私が「賢さ」を判定出来るのか疑問ですし、そもそも賢さとは何か? という問いも含まれる訳です。そして何より、サンプルサイズが一桁ですから(笑) 説得力が無い。

自分の経験を基にして物を言うと、何とでも語れる所がありますね。

最近は、ここら辺の論理を実証的に研究するものも、あるみたいですね。どんどんやって貰いたいです。

わざわざロールプレイングやシミュレーションに限定していますけれど、他のジャンルでは見られない、という事では無いです。

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2007年2月16日 (金)

なりたい人じゃないけど、読みます

サッカー世界一になりたい人だけが読む本―RELAXED SOCCER Book サッカー世界一になりたい人だけが読む本―RELAXED SOCCER

著者:高岡 英夫,松井 浩
販売元:メディアファクトリー
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これは読まねば。

こういう一般向け? の高岡氏の本は、トンデモ的な記述(余り良い表現ではありませんね。でも、事実ですので…)が少ないので、結構受け容れられ易いのではないかと思います。

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血液型性格判断はニセ科学

うろぶろぐ 血液型性格診断について小考察/daily

血液型診断は明確な主張者が存在しない民間の経験的な通説です。

えっと、能見親子は?

科学的証拠が無い事を論拠に批判を繰り広げるのは、新説を独自の非科学的実験を根拠に主張するニセ科学と同じとなってしまうからです。
これが「対ニセ科学」ならばその非科学的実験手法を批判すれば事足りるのですけれど,通説を批判するにはそれでは足りません。反証実験が必要です。

根本的に勘違いなさっている様な。血液型性格判断は、「ニセ科学」ですよ。

それに、血液型診断を信じている人たちは「科学的っぽい説明」があるかどうかではなくて、実際にそれを当たると感じているから信じているのだと思うからです。

いや、違うでしょう。散々、テレビ等で、科学的に根拠があるかのように、扱われてきたのでは? 「実際にそれを当たると感じているから信じている」じゃ無くて、信じているから、確証バイアスなどを掛けて、当たっているかの様に認識を形成するのでしょう(どっちが先とは、厳密には言えないでしょうけれど)。だから、バーナム効果の話が出てくる訳で。

人によっては血液型診断を予断に用いる人がいますが、そういう決め付ける人は例外なく嫌われますよね。これを争いの素とするか、話の種とするかは、個々のコミュニケーションスキルの問題だと思います。

「話の種」、ですか…。「スキル」の問題に、相対化して良いのでしょうか。これは、差別の問題に繋がるのですから、少々素朴だと思います。

「首相官邸のホームページで安倍晋三首相のプロフィルに血液型が書いてあるが、輸血時に必要だからという理由ではないはず。血液型と性格に関係があるという非科学的な考えが根強く残っているのは、科学技術立国として恥ずかしい」と松岡さんは話す。(リンク先記事より引用)

別に恥ずかしくは無いと思いますし、憶測だけでそこまで言い切っちゃう方が恥ずかしいです。

少なくとも、血液型をプロフィールに載せる意味は、解らないですよね。そんな事をする国は、珍しいでしょう(正確には把握していませんが)。「憶測」と仰っていますが、血液型を載せる事に、どんな合理的理由があるのでしょうか。

後段は、ちょっと意味が解らないですね。

理系白書には、

血液型と性格に関係がある、という説は昭和初期、日本の心理学者の研究から生まれたとされる。70年代、関連本が相次いで出版された。

と書いてあるのになあ…。

MSN-Mainichi INTERACTIVE 発信箱:O型大リーガー=元村有希子

ほんと、これ、理系白書に書くべきだと思うんですけど。

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大きな声の独り言

どーでもいいんですが(どうでも良くは無いと思ってるから、書くんですけど)。

引っ掻き回す様な事をしといて、それが「正しい」と思い込んでいる人、いますよね。

ニセ科学問題とかでもね。このままだとおかしな方向へ行きかねないから、それに対して敢えて異議を唱えている、とか。それが妥当な意見ならともかく、めちゃくちゃ的外れな事を言っといて、場の雰囲気をコントロールしてるかの様に感じてたり。他を見下してるのはどっちなんだ、と思います。しかも、色々調べるリスクを負わなかったりしてますしね。←リスクじゃ無いですね。「色々調べる手間を掛けなかった」、ですね。どういう間違いだ…。ニセ科学については良く知らないが、批判が自己目的化する事に危機感を抱いている、とかですね。一体、どれ程傲慢なんだ、と。

メタぶるのも、大概にした方がいいんじゃないですかね。全ての反応を、自分に都合良く解釈出来ますからね。見ていて、とてもお寒いです。

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2007年2月15日 (木)

ネタにマジレス

日本列島プチ改造論 パオロ・マッツァリーノ(第15回 科学にもお笑いを。ログは、何週間かしたら消えるそうです)

むむっ、微妙(笑)

まあ、このエッセイは、冗談を利かせたものですのでアレなんですが、敢えて真面目に。

ニセ科学批判者がニセ科学を、真面目に、時には堅苦しく批判するのは、信じている人がそもそも真面目であるから、だと思いますよ。

そういう人に対してノリツッコミをやっちゃうと、「おちょくられている」と感じて、逆効果でしかないと思うんですよね。おちょくるというのは、「嘲笑う」に通じる所がありますから。自分が好きなものをおちょくられるのは、我慢ならないのが、普通でしょう。

後、科学者についてのステレオタイプを書き過ぎ。「教科書で育った秀才のみなさん」って、芸が無いですよ(笑)

と言うか、ニセ科学問題を、ちゃんと認識してるのかな?

と言うか、私は釣られたのか?

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ほれぼれ

とおりゃんせ Music とおりゃんせ

アーティスト:諫山実生
販売元:東芝EMI
発売日:2007/01/17
Amazon.co.jpで詳細を確認する

OnGenで、ダウンロードしました。

いやー、やっぱり、素晴らしい声です。生で聴きたいなあ…。たまに、CDに収録されているものと生歌(音楽番組等での)が、まるで別人の様に思える場合がありますが(そして、色々修正する技術の凄さを知る)、諫山さんは、是非ライブで聴きたい、と思わせる人です。関連エントリー⇒Interdisciplinary: 稀有

ディスコグラフィー&視聴

とおりゃんせ [TOCT-40082] | 諫山実生

諫山実生 [Discography] | TOSHIBA-EMI / Virgin Music Co

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楽しさを感じさせる

結構、主観的な意見です。意見は普通、主観的ですが。

「勉強の楽しさ」を理解させるには、とにかく何でもいいから、好きな物事を徹底的に探求する、というのを教えるのが良いのではないかと思います。テレビはどうして映るのか、どの様にして製造されているのか、とか、テレビゲームでキャラクターが動くのはどうしてか、3DCGはどうやって作成するのか、とか。他にも、天ぷらの衣をからっとさせるには、何を入れれば良いか、どういう順番で混ぜ合わせれば良いか、有効な素材があれば、何故それが有効なのか、どの様なメカニズムが働いているのか、又、自分が座っている椅子は、何故ちょっとやそっとじゃ壊れないのか、丈夫なデザインとは、どういったものなのか、家にある電化製品には、美しいパール塗装が施されているが、一体どうやって塗られているのか、一日にとても沢山の数作られるものが、ある程度の質を保って製造されるのは、どうしてか、等々。身近にあるものでも、突き詰めていくと、それは、科学や技術の理論に行き当たります。当たり前ですね、本当は、身近にあるものが、科学技術の結晶なのですから。

ちょっと考えてみると、普段何気無く接しているテレビに、像が映って、そこから音声が聞こえてくる、というのは、物凄い事な訳です。家の中にでも、無数の疑問の種が散らばっているのです。ですから、そういうものに目を向けさせて、「これの仕組みはどうなっているのだろう」と考えさせるのが、重要なのではないかと思います。そうでなくて、いきなり見た事も聞いた事も無い言葉の定義を憶えさせて、言葉の対応だけを身に着けさせても、余り意味が無い、と言うか、やる側としては、正に、「面白くも何とも無い」のですよね。

たまに、どう見ても勉強をまともにした事が無さそうな人が(←過去の発言から推測する)、きつい事をやるからこそ忍耐力がつく、とか言って、その為の手段が学校の勉強である、かの様な事を主張したりしますが、私はこれは、とんでも無い事だと思います。ただ闇雲に憶えようとする苦痛と、興味を持って、解らない事を調べ、自分の無知さや認識力のなさに苦悩する事とは、全く別のものなのですから。

私はゲーム好きなので、ゲームでたとえます。

ゲームを全然やった事の無いある人に、RPGの楽しさを教えたいとします。その際、手始めに、「HPとは何か」、「MPとは何か」、「魔法が何種類あって、それぞれどの様な効果を持っているか」なんて説明を言ったりしたら、相手は、嫌気がさして、やる気など出ないと思います。だから、そうでなくて、「取り敢えずやってみて」と言いますよね、普通は。それで、試行錯誤を繰り返しながら何回もやり直して、何となくこういうものだ、と解らせてから、細かい所をアドバイスします。先ずやらせてみて、面白さを味わわせてから、細かい所を教えるべきですよね。料理なんかもそうですよね。いきなり材料の切り方等を、言葉で説明したって、なかなか解らない。だから、取り敢えず、見よう見まねでやらせてみて、自ら考えさせるのですね。そして、ある程度進んだら、直感的に憶えたものを、論理で説明する。そうして、論理と経験とを結び付けさせるのが、良いと思います。私は、そういう意味において、経験というのは、とても大切だと思っています。で、重要なのは、「何事も、根本的な所で繋がっている」のを解らせる、という事ですね。自分が興味のある分野と他の分野には、何の関わりも無いのだ、と考えると、豊かな想像力を奪ってしまいかねませんし、排他的な認識を持ってしまう場合もあるかも知れません。本質的には共通するのだ、と考えていれば、色々な事に興味が持てて、とても楽しくなります。

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2007年2月14日 (水)

昔は、ゴールデンに心霊番組を、よくやっていたなあ

はてなブックマーク - ゴールデンタイムにオーラやら前世やら、本気ですか?

うーん、kikulogに、コメントしてみれば良いと思うのですが>疑問を呈している方々。「別に、ゴールデンにオカルト流してもいいじゃないか」、という考え自体は、一つの見解である訳ですし。議論するのも有意義なんじゃないかな、と。

今回は、ニセ科学の議論とは違うというのを、念頭に置いておくべきかと思います。

ところで、きくちさんは、

なんというかな、「深夜にひっそりやるから、大目に見てもらえているもの」というのはあるわけです。(きくち  08:32pm on 2007-02-12)

と書かれているのですよね。ゴールデンタイムに流すのはまずいんじゃないか、という事ですね。

こういう場合、個人的な視点で考えがちですが、それじゃいけませんよね。マスメディアはどうあるべきか、という一般論の話ですから。個人的な意見だったら、たとえば私なら、「テレビで何が流れようが、どっちにしろ殆ど信用してないんだから、構わない」、となりますが、それでは話にならない訳で。

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基本技

私は、体系の基本に据えられている技法は、チャーハンやオムレツの様なものだ、と考えた事があります。

よく、チャーハン(オムレツ)は、基本であり、それを見れば、料理人の技量が解る、という話を聞きます。つまり、ここで主張されているのは、チャーハンやオムレツは、手順はそれ程複雑では無いけれども、基本的な調理の技術が要されるので、その上達具合を確認するバロメータになる、という意味ですね。だから、「基本が大切」と言われる訳です。

ただ(ここからが本題)、気をつけなければならないのは、チャーハンやオムレツを何百万回作った所で、他の料理の練習をしなければ、それらを作るようにはなれない、という事です。基本が大事、と固く信じて、ひたすらそれに邁進し、研鑽を積んでも、その技術自体は上達するでしょうけれども、他に必要とされる技術なり知識なりは、身に着かないのです。つまり、基本だからといって、それを過信してはならないという事です。武術のエピソードで、ありますね。基本の技をひたすらやっていて、達人の域に踏み入れた、というものが。これは恐らく、基本の重要性を認識させる為の、教育的装置の様なものでしょう。

ただ、武術と料理の類推なので、厳密に対応している訳では無い、というのは、断っておきたいと思います。武術の流派によっても、主張は様々です。正に、「チャーハンだけ作っていれば達する事が出来る」、と主張する派や武術家はいますし、複雑な型の体系を学習する事によって、対処法を身に染み込ませる、という考えもあります。議論に厳密さを求めるならば、そういった所も、考えていかなければならないとは思います。その場合、議論の前提(そもそも、どんな目的で武術を学ぶか、等)を、しっかり設定する必要があります。

本エントリーで主張したかった事を、シンプルに言うと、「片手取り呼吸法を何万回やっても、それだけでは、四方投げが劇的に上達する訳では無い」、です。勿論、両者には、「身体運動」という共通点があり、その意味では、実は関連している訳ですが。この辺の議論は、高岡英夫氏の、初期の著作に書かれています。興味のある方には、参照をお勧めします。←本エントリーの論理が粗雑なので、ちょっとした逃げ道を用意しました(笑) 因みに、ここに書いた事は、ごく一般的な論理なので、他の色々な文化にも、当てはまると思います。

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2007年2月13日 (火)

手を捕る

最近、こんな議論に参加しました⇒プロ合気道家トム・モリゾーの上手くなるブログ道場:読者の質問箱 その18

後の方、議論が噛み合っていなくて、ちょっと残念。私は、musounokenさんや、トム・モリゾーさんのご意見に賛同しますが。musounokenさんが、護身と武術(合気道等)との関係についてお書きになったエントリーはこちら⇒合気道・居合道雑記帳 合気道と武道と護身術

私が、合気道等の「手を掴ませる」稽古に関して考察したエントリーはこちら⇒Interdisciplinary: 何故掴ませるか。又、汎用性について

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後、ちょっと思った事があるのですが、それは書きません。←何だそれ。

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「科学」

やっぱり、大多数の人は、「科学」を「自然科学」の意味で、捉えているのでしょうか。

私は、高校まで勉強をさぼりまくり、あんなものやってられるか、と考えていたような人間なので、そもそも「科学」に対して、具体的にこうだ、という認識自体、持っていなかったのですよね。で、あるきっかけで勉強しようと思い立って、紐解いた本に、「自然科学」、「人文・社会科学」という語が載っていて、「なんだそりゃ?」と思ったものです。そして、勉強していく内に、学問は、研究対象や方法によって分類され、研究対象に着目した場合に、人文・自然・社会科学と分けられる事を、知った訳です。ですから、初めから、「科学」を、本来(と言うのは微妙ですが)の意味、即ち「個別諸科学」の意味で、捉えていた事になります(「学問」と同義に捉える事も)。科学を「自然科学」の意味で限定的に用いている文章に、違和感を覚える場合もあるくらいなのですよね。

尤も、文脈によっては、意味がずれてきますけれども。たとえば「ニセ科学」の場合の「科学」は、「自然科学」、もしくは「実証科学」、「経験科学」の意味合いが強いですね。ですから、「科学」という語が用いられている場合、文脈を参照して、どの様な意味であるかをきちんと考えた方が、良いですね。

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参考(『広辞苑』第五版 参照)

【経験科学】 経験的事実を対象とした学問。実証的諸科学をさす。

【自然科学】 (natural sciences)自然に属する諸対象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問。ふつう天文学・物理学・化学・地学・生物学などに分ける。また、応用を主眼とするか否かによって、基礎科学と応用科学にも分ける。

【実験科学】 実験を重要な研究手段とする科学。自然科学の大半および心理学の一部などを含む。

【社会科学】 (social sciences)社会現象を対象として研究する科学の総称。政治学・法律学・経済学・社会学・歴史学・文化人類学およびその他の関係諸科学を含む。

【人文科学】 (human sciences)政治・経済・社会・歴史・文芸など、広く文科系の学問の総称。狭義には、自然科学・社会科学に対して、哲学・言語・文芸・歴史などに関する学問の称。文化科学。

【精神科学】 (Geisteswissenschaftドイツ)もともとはJ.S.ミルの moral sciences のドイツ語訳。(1)ヴントは精神過程の学(心理学など)、精神的所産の学(法律学・経済学その他)、および歴史学をこの名で総括し、その基礎は心理的であるとした。(2)ディルタイは一般歴史学・言語・宗教・芸術・社会などに関する科学およびそれらの歴史のように歴史的・社会的現実を対象とする科学をこの名で呼び、精神科学の方法的基礎は精神生活を追体験し了解する解釈学的哲学にあるとした。

【精密科学】 (exact sciences)(1)数学・物理学・化学などのように、量的関係を厳密に測定することによって得られる認識から成り立つ科学の総称。精密工学などを含む考えもある。(2)厳密(strengドイツ)科学と同一視して現象学を指す場合がある。

【人間科学】 広い意味で人間的事象を取り扱う科学の総称。

【文化科学】 (Kulturwissenschaftドイツ)対象の一般性を明らかにして法則を定立する自然科学に対して、事物の歴史的1回性と個別性を記述する科学。リッケルトの科学分類法による名称。

【法則科学】 〔哲〕(Gesetzeswissenschaftドイツ)個別的事件を記述する歴史的科学に対して、普遍的な法則を探求する自然科学。ウィンデルバントの用いた語。

【歴史科学】 (1)歴史学に同じ。(2)歴史的な性格をもつ諸現象を取り扱う諸科学。内容上は社会科学に近い。(3)ウィンデルバントの科学分類によれば、方法上自然科学に対立するもの。自然科学は反復のできる一般的な法則を立てることをその方法とするのに対し、歴史科学は反復できない一回的・個性的なものの記述を方法とすると考える。

【科学】 (scienceフランス・イギリス・Wissenschaftドイツ)(1)体系的であり、経験的に実証可能な知識。物理学・化学・生物学などの自然科学が科学の典型であるとされるが、経済学・法学などの社会科学、心理学、言語学などの人間科学もある。(2)狭義では自然科学と同義。

【学問】 (1)(「学門」とも書いた)勉学すること。武芸などに対して、学芸を修めること。また、そうして得られた知識。※以下省略します (2)(science(s))一定の理論に基づいて体系化された知識と方法。哲学・史学・文学・社会科学・自然科学などの総称。

※丸囲み数字は直してあります。

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答えられないですよ

「明日地球が滅亡するとしたら最後に何をする?」とか、「明日死ぬとしたら最後に何がしたい?」とか、バラエティ番組なんかで、ありますよね。
そういうのを見ると、へそが湾曲している私は思うのです。「明日地球が滅亡するって、どうやって認識するの?」、「明日死ぬって、どう認識するの?」と。そう思いません? 明日自分の命が消え去る、というのを、どう認識するのでしょう。それって、かなり特殊な状態ですよね。たとえば、何らかの予言を信じていて、その予言が、地球の滅亡を予測するものであった場合、とかでしょうけれど、それって、凄い前提条件ですよね。他にも、死刑囚の場合とか、誰かに捕らえられて処刑されるとか、およそ、一般的には想像出来ない事です。そう考えると、答えは、滅茶苦茶ネガティブなものになりますよね。もしかしたら、気が狂ってしまうかも知れませんし。
他にも、「どうやってそれを知るの?(何から情報を得るか)」という疑問も出ますね。誰かから聞くのか、天からの啓示でもあるのか。それは信頼出来る人か、等々。そして、「自分にそれを教えた存在は、何でそれが判ったのか」を、問うかも知れません。これは、「いつ知るのか」、という問題とも関わってきますね。もし、ある日突然「明日終わるよ」と言われたって、「何言ってんの?」となるでしょうし。説得力がある場合は、上の様に、前日以前に予め知っている場合か、遅効性の猛毒を盛られて(そんな都合の良い? 物があるとして)、「この毒を飲んだから、明日確実に死ぬ。解毒剤は存在しない。」なんて言われる場合、とかでしょうか。まあ、それも、極めて特殊な状況ですね。
という訳で、こんな問い、前提条件をきちんと考えないと、意味が無いのですね。
そして、こんな事を真面目に考える私は、ちょっとどうかな、と思うのです。

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2007年2月12日 (月)

楽しく勉強

私は、『平成教育委員会』(『熱血!平成教育学院』)が好きで(クイズ番組が好きなのです)、よく観るのですが、良い番組ですよね。現在は、「工場見学」というコーナーをやっていますが、これなんか、とても良い教材ですね。身近な工業製品が、どうやって作られているのかを知るのは、勉強になると思います。尤も、クイズとしては、私は、サイエンスチャンネルの『THE MAKING』を観ているので、答えが直ぐに判ってしまうのですが(笑)

ああいう風に、わいわいやりながら勉強するというのも、いいんじゃないでしょうか。と言うか、そっちの方が望ましいですよね。やっぱり、楽しまないと。

平成教育委員会DS Video Games 平成教育委員会DS

販売元:ナムコ
発売日:2006/12/21
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必読

これは読むべきであります⇒朴斎雑志: 水に芸術はわからない

見事ですね。驚嘆しました。

あれを読んで、それでも、江本氏の主張に賛同する方がいるとするなら、恐らく、説得は、不可能でしょう。

後で、リンク集に追加します。

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2007年2月11日 (日)

なにで書く?

理系白書ブログ: ブログでのコミュニケーション

たけしさんのコメント(2月11日 8:55)より。

この場で匿名で100回同じことを書くのと、自分の身分を明かして直筆の書面で自分の主張を伝えようとするのとは受け手のインパクトも理解度は違うと思うのです。あなたが受け手の側でしたらどちらの手段で得た情報を真剣に受け取りますか?
同じ手紙で情報を受け取る場合でもA4の紙にワープロ打ちと、和紙に毛筆書きとでは受け手の印象は違います。
僕も正直既存のメディアにはかなり不信感を持っています。でも、Blogでそれを議論するにはあまりにも情報伝達手段として軽すぎて役不足だと思います。
Blogでコメント送信は簡単ですけど、批判する側も本気で意志を伝えたいならば楽をしててはいけないと思います。便せんと封筒を買ってきて、書いて、推敲して、誤字脱字をチェックして切手を貼るという作業がそんなに面倒ですか?

バイアス掛かってますよね。初めから、直筆とか、便箋とか、「手間を掛けて」書く事を好意的に評価しています。確かに、何に書かれているか、何で書かれているか、によって、印象は変わります。しかし、最も重要なのは、「何が書かれている」か、ではないでしょうか。ワープロで書いたか直筆で書いたか、とか、硬筆か毛筆か、等の条件だけで、意見全体に対する評価を形成するなんて、いかにも勿体無い事です。

たけしさんは、デスクに直筆の手紙でも出すべきでは、という事も、前のコメントで仰っていますが、ブログのコメント欄が、不特定多数の目に触れる可能性があるからこそ、そこに書く、というのもある訳で。JosephYoikoさんのご指摘が、当を得ていると思います。

和紙に毛筆で書かれた意見を見て、「自分の意見に自信が無いから、飾り立てているのだな」と思う人も、いるかも知れませんよ。

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懲りないのかな

先日話題になった、『人間!これでいいのだ』を観たのですが、一万円札の絵を描かせて金銭感覚が判る、と言ってみたり、「家内の品格」と書かせて、字の形から、買い物依存症のなり易さとか、自己破産し易いかが判る、と言って、あまっさえ、字の書き方を変えたら性格が変わる、などと言う始末。ああいう内容なら問題無い、という事なのでしょうか。

そして、先日の「論文無断使用」問題について、謝罪がありましたが、それがあったのが、番組終了間際。大体、謝罪があるかも、と思った人は、謝罪があるとしたら冒頭でなされるだろう、と考えた筈ですが、最後に謝罪があっては、観る人も少なかったでしょうね。

しかし、筆跡心理学の人、よくテレビで観るなあ…。

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2007年2月10日 (土)

授業参観で水伝

ニセ科学に二度びっくり - 巴里雀のつぶやき - 楽天ブログ(Blog)

あきれて嫁さんに聞いたらその授業なら先日の参観日でやったよ、とのこと。
なんでもリンゴにやさしい言葉とそうでない言葉を子供はおろか保護者にまでひとりひとりかけさせたというのだ。
後で切ってみて変化を調べたという。

むう…。授業参観の際に、そういう授業を行うとは。りんごに声をかけさせるなんて、初めて聞きました。変化を調べさせた、って(幾ら何でもあんまりでしょう、これは。授業時間に言葉をかけて、変化を調べるって、どれだけ言葉の威力は強いんだ。※全部授業時間内かは判りませんが)、結局どうなったのでしょうね。

2ちゃんねるに、理系白書についてスレッドが立っていましたが、やはり、「音波の影響は否定出来ないのでは?」という意見がありましたね。しかし、江本氏の主張は、全然違いますからね…。

話は替わって、昔、記号論をちょこっと勉強した時に、「何でこれを学校(小・中・高)で教えないんだろう」と、思いました。言語の恣意性って、圧倒的に重要な概念ですから。いかに自分が、言葉に雁字搦めにされていたかを、思い知りましたし。つまり、他人が発した言葉を無理矢理自分の辞書で解釈して、相手の認識を決め付けてしまうのですよね。そうでは無くて、「相手の辞書は自分のものとは違うかも知れない」と考えるべきなのですよね。一言で表現すると、「思い遣る」という事です。自分と相手の言葉の使い方にはズレがあるから、それを常に考え、コミュニケーションを円滑にしていこう、という認識を持つべきです。そうすると、言葉の定義がいかに重要かも解りますし。そういう考えを持っていれば、水伝の主張を見聞きした瞬間に、「これはおかしい」、となるのではないでしょうか。以前、こんなのを書きました⇒Interdisciplinary: ちょこっと記号論 記号論(記号学)を勉強した、と言っても、大分前に、少しやっただけなので、幅広く、深い知識がある、という訳ではありませんが。ソシュールの入門書を読むだけでも、認識が拓かれるのではないかなあ、と思います。『一般言語学講義』でも再読しようかなあ。今読むと、以前より理解出来るかも。前に読んだ時は、部分的にしか、理解出来ませんでした(笑)

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おまけ。某ブクマを見たら、こんなブログが⇒So-net blog:もと@ウェブロッガー:【長文】『人間ってそんなに偉いのか?』【注意!】

何か凄いですね。「突っ込みどころ満載」かあ…。ダウトとか言われちゃってますよ。危険とか言われちゃってますよ。ところで、「論理物理学」「実践物理学」って何ですか? 何と言うか、一線の物理学者にあんな物言いをするとは、勇者にも程がありますよ。後半に到っては、何が言いたいのか解らない…。ここまで、生半可な理解のままニセ科学批判者批判を繰り広げるのも、なかなかです。軽ーい中傷入ってますし。

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2007年2月 9日 (金)

揚げ足取り

某ブクマ経由⇒平和エッセイ 水の結晶写真はニセ科学?

『論座』や毎日新聞の科学者の意見を読みましたが、彼らの意見が100%正しいとは思えませんでした。中には揚げ足取りのような批判もあります。たとえば、「shine」という文字を水に見せたらどうなるのか、という批判です。これを英語だと見なせば「輝く」でよい意味で、ローマ字書きだと見なせば「死ね」で悪い意味だ、その結晶写真はどうなるのか、というのです。(学習院大学田崎晴明教授)

「揚げ足取り」って…。で、その根拠が、

問題は、文字そのものではなく、そこに込められた想念波動です。その想念波動が光明か暗黒かが問題です。

自ら実証不能と主張している様なものですね。で、その「想念波動」とやらは、どう測定・観察するのでしょう? そして、次の様な実験案を出されています(エントリーは昨年のもの)⇒平和エッセイ ことだま大実験

一方には「ありがとう」、他方には「ばかやろう」のラベルを貼ります。

…。「問題は、文字そのものではなく」じゃ無かったのか?

「文字そのものじゃ無くて、想念波動が重要だ」→「どうやってそれを測るんだ?」→「ビンに字を書いたラベルを貼って…」→「いや、文字そのものは問題じゃ無いんでしょ?」→「だから想念波動が…」→「文字と想念波動とやらが対応してないんなら、”良い言葉”も”悪い言葉”も無いんじゃ?」→「いや、でも、”ありがとう”からは良い想念波動が出て、”ばかやろう”からは…」→「んじゃ、”shine”って書いたら、どうなるの?」

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2007年2月 8日 (木)

子育て

続きです - 一粒の麦・・・主とともに、どんぐり倶楽部とともに - 楽天ブログ(Blog)

…何というか。ブログの書き手さんでは無く(取り敢えず置いておいて)、お知り合いの発言が、余りにも…。

ところで、「どんぐり倶楽部」というのがあるのですね。初めて知りました。有名なのかな? オフィシャルサイトを見てみましたが、いまいちよく解りませんでした。現在流行っている教育法の弊害を危惧しているという点は、見て取れましたが。

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んじゃ、炒飯のお話

finalventの日記:ぶくまネタより ほいじゃ、チャーハンの話

  1. 材料―卵、、長葱、チャーシューの切れ端、ご飯(出来れば水分少なめの温かいもの。無ければ、冷ご飯をレンジでチン)
  2. 葱は微塵切り(こう書くと、何だか物騒だ)、チャーシューは、さいの目切りに。
  3. フライパン(又は中華鍋。材質は何でも)を煙が出るくらい熱して、多め(卵が吸い切らないくらい多いのは駄目)の油を入れて、溶いた卵を投入。オムレツを焼く要領で、油を吸わせる。
  4. 卵が固まりきらない内に、ご飯を投入。おたまの底でほぐしながら、卵とご飯を絡めていく。
  5. 塩・胡椒で味付け。少々濃い目に感じられるくらいが丁度。まんべん無く行き渡る様に混ぜる。出来れば鍋は返した方が、 混ぜ易い(それが出来たら苦労しないわ! というツッコミの予感)。
  6. チャーシュー投入。切り方が小さいと、固くなる恐れがあるので、ちょい大きめで。
  7. よーく混ぜ合わせたら、醤油を投入。色々ありますが、私は鍋肌からは入れません。シュートミトクイズムです。
  8. 長葱を投入。何故最後に入れるか。葱に余分な油を吸わせるのですね。香ばしさを加える為に、焦がし葱を別に用意して、初めに投入するのも好し。
  9. 美味なる炒飯の完成。

余談。細かく切った梅干を入れるのも良いですね。何で憶えたかは失念。『真・中華一番』だったかな。

余談。旨み調味料を入れると、今までの工夫は何だったんだ、と思うくらい旨くなります。私は入れません。単なる意地です。

余談。水分が多いご飯だと、パラパラになりにくいですね。その場合は、あらかじめ、ご飯と卵を混ぜて、いつもより多めの油で焼くと、パラパラに仕上がり易いです。菜箸を、米を分離させる様に動かせば、上手くいくでしょう。ただ、食感がちょっと変わってしまうので、私は余り好きではありませんが。

余談。シンプルな、卵と葱の炒飯を作って、上にチリソースをかけると、すこぶる美味であります。私は、イカのチリソースが好きです。

余談。火力が弱くても、鍋にまんべん無く広げて焼けば、美味しく仕上がります。材料は少なくしましょう。

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2007年2月 7日 (水)

新製品

サンコー、USB充電式クレードルを備えたWiiリモコン用リチウムイオンバッテリーを発売

おー、これは、Wiiユーザーにとっては、朗報ではありませんか。私は持ってないけど(笑)

バンダイナムコゲームス、PS3「ガンダム無双」新キャラ、メカ、イベント画像を一挙紹介!

わー、百式カッコイイ! キュベレイきれー! キュベレイ(左の画像)が、虹彩パール風のカラーリングなのが、芸が細かいですね。

子どもの頃、一番嫌いだったMS:キュベレイ

今、凄く好きなMS:キュベレイ

大人になったなあ…。

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説明

大和但馬屋日記の迷宮物件:政治的に正しいかどうかも本当にどうでもよくて

何か、凄い誤解を与えてしまっていたみたいです…。

えっと、前のエントリー(Interdisciplinary: ゲーム脳と脳トレ)で書いたのは、ブログ紹介と、そのブログについての感想を書いた上で、脳トレに対する、ゲームユーザーとしての、個人的な意見を主張しました(一応、”ユーザーとして、かなり個人的な意見を書きますけれど(敢えて一般化して書きます)”と、書きました)。なので、yms-zunさんに対する直接の批判では、無かったのですが…。というか、個人としての意見は、多分、同じ様なものだと思います。ゲーム脳やゲーム論のカテゴリーを読んで頂けると、判って下さるかと(TBしたエントリーでお書きになっている事と、同様の主張をしてあると思います)。たまに、「ゲーム脳を批判するなら脳トレも同じく批判す”べき”だ」と、主張する人がいます。私が書いたのは、そういう人に対する批判ですね。なので、A-WINGさんと徳保さんのやり取りを、例に出した訳で(いや、ちゃんと書いていませんでしたね…。こちらです⇒Frog is not Blog::なぜゲーム脳を批判するのかFrog is not Blog::ひとつの旗の下に)。

川島氏について言及したエントリーを、挙げておきます。

Interdisciplinary: 脳をきたえる?

Interdisciplinary: 過度な依拠

Interdisciplinary: メモ:川島隆太氏の研究について

Interdisciplinary: 学習療法

Interdisciplinary: 色々考えるなあ

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2007年2月 6日 (火)

講演会感想

さっそくリポートが上がってました⇒たこの感想文: 潜入! ゲーム脳洗脳セミナー!!

ちょっとしか読んでいませんが、取り敢えず、ご紹介まで。

さっき上げた毎日(まんたん)の記事と、同じ日かあ。

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インタビュー

特集:脳トレ・DS“ゲーム脳理論”の森昭雄教授に聞く「良い効果の可能性も」 (まんたんウェブ

特に書く事は無いですね。余りにも予想通りですし。

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わくわく

自分が明るくない分野のパフォーマンスなり作品なりに接して、ああ、こういう世界があるのだなあ、面白そうだなあ、と思い、それらに携わっている人に対して、凄いなあ、と、素直に感動する事、ありますよね。まだまだ自分の知らない世界は沢山あるし、勉強も全然足りない。こういうのを自覚すると、とても「嬉しく」なります。そんな事を、友人のライブを観たり、川端裕人さんの『竜とわれらの時代』を読んだりして、つらつらと思ったりしたのでした。

竜とわれらの時代 Book 竜とわれらの時代

著者:川端 裕人
販売元:徳間書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

リヴァイアさん、日々のわざ(川端さんのブログ)

[STUDIO D'ARTE CORVO]内、[STUDIO D'ARTE CORVO] blog(カバー画を手掛けられた、小田隆さんのブログ)

余談ですが、私は、子どもの頃から、「精確」、「緻密」な作品に、心が惹かれるのですよね。何ででしょうね。それが、知識と技術とセンスの結晶だと見ているから、でしょうか。

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合格

ワイドショーで、開成中学の合格発表についてやっていたのですが、あの、自分達とは全く違う世界の出来事であるかの様な扱い方は、どうにかなりませんかね。合格した児童がゲーデルの不完全性定理の本を読んでいるのを紹介して、いかにも「小学生らしく無い」という感じで紹介されていたり。そういうのが、「特別」な事の様に考えるのは、どうなんでしょうね。「浮かせる」事に、なりはしませんかね。当人としては、面白いからやっているだけなのだと思いますけれど。

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2007年2月 5日 (月)

ビッグバン?

特集:DS・脳トレ“ビッグバン” ある天才の挑戦 (まんたんウェブ)

学習療法による脳機能改善を促進する「脳イメージング理論」の提唱者・川島隆太・東北大教授。

…大丈夫ですか? 誰も突っ込まなかったのだろうか。何重にも間違ってますけど。統語も…。

「ゲーム脳」の提唱者である森は「自分で歯止めをかけるのは難しい子供に安易に与えるのは良くない」と前置きしながら、「まだ実験をしていないので、確かなことはいえないが、良い効果を与える可能性はある」とDSに一定の評価を与えている。

私がよく言及する、「良いゲームが出てきた(出てくる可能性がある)」論です。『ゲーム脳の恐怖』においても、体感ゲーム(古い表現ですが)では好ましい脳波が出る、という事を、仄めかしています。要するに、「当時言っていた事を否定する訳では無い」という論理です。元々森氏の主張は、論理的整合性を、著しく欠いていますから、色々な言い逃れをされる可能性があります。

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華麗

Yahoo!ニュース - オリコン - 「華麗なる一族」「花より男子2」が視聴率、満足度で激突

両方観てます。

確かに、『華麗なる一族』は、余り若者向けでは無いかも。とても面白いですが。鈴木京香さんの悪者っぷりが、なかなかですね。

そういえば、世代を問わずに共通していた意見には、「いかにも模型という鯉の“将軍"が興ざめ…」というものも目立った…。

確かに。あれは、どうにかならなかったのですかね。

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2007年2月 4日 (日)

講演感想感想

Intersecting Voice Cafe 科学とニセ科学

「ニセ科学の文章をどのように見分けるか」というスライドに関する菊池さんの説明には若干,失望しました.例えると「福袋医療を信じろ」という,これまでの熱弁をまるっきり覆すような,まったく論理的じゃない答えでした.国家の無謬性を信じられないのと同様に,科学の無謬性を信じられない人間(ワタシ)には,何の説得力もありませんでした.

ほほう、どんな論調だったのか、ちょっと気になりますね。kikulogを読んでいる者としては、きくちさんが、杜撰な締めをされるようには思えないのですが。科学の無謬性を、誰が主張したのだろう…。科学は、可謬主義(と一口に言っても、色々あるみたいですが)では?

その前に、ブログ主さんのニセ科学に対する認識が、ちょっと違う気が。ニセ科学を信じてる人なんて、そうはいないでしょ、という感じですね。甘く見てしまっている、と言うか。

他にも、会場の雰囲気について言及しているブログがありましたが、一体、どんな感じだったんでしょうね。

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ゲームの解釈

テレビゲーム解釈論序説/アッサンブラージュ Book テレビゲーム解釈論序説/アッサンブラージュ

著者:八尋 茂樹
販売元:現代書館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

グッドタイミングというか。丁度、昨日のエントリーと関連する内容の著書を、図書館で偶然見つけたので、読んでいます(存在は知っていたのですが、未読でした)。

テレビゲームを、人文科学的に読み解こうとする労作ですね。

まだ少ししか読んでいませんが、amazonにあるレビューの内容には、頷ける所もあります。とは言え、テレビゲーム文化の複雑さ、奥深さを垣間見るには良いかな、という感想です。

私はどちらかと言うと、ゲームを実証科学的に研究する方に、興味のウエイトを置いていて、本書の様な本は、殆ど読んだ事が無かったので、なかなか新鮮な感じです。現代思想とか文学の表現が多用されていて(そう私には読めます)、難解な気がしますが。

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ゲーム脳と脳トレ

ゲーム脳・脳トレ関連のブログを幾つか。

放送済み「ラジオ深夜便」 曲目・演目リスト 2/01木 脳のはたらきとラジオの効用 和歌山県立医科大学教授 板倉徹

・テレビゲームをすると、脳は物を動かす所と見る所のみがうごいている。前頭葉ははたらいていない。
・前頭全野がはたらいていないので他人を思いやることができなくなるという説もある。

もろにゲーム脳ですね。説もある、なんて言い方ではありますが。ワープロを使ったら漢字を書けなくなる、というのは、よく見かける意見ですけれど、ある意味当たり前です。そもそも、思考を素早く出力する為のツールなのですから。わざわざ複雑な文字を書いていられないから、キーと文字が対応している道具を使うのです。そもそも、「脳に役立つ」というのは、どういう意味なのでしょうね。それ自体が、とても曖昧ですから、何とでも言える所があります。

大和但馬屋日記の迷宮物件(2007年02月02日)、←経由で⇒数学教育研究会:科学の先端にある脳科学者の古風な教育観を批判する

大和但馬屋日記の迷宮物件さん、何か面白い文章ですね。で、ですね。ユーザーとして、かなり個人的な意見を書きますけれど(敢えて一般化して書きます)、ゲームをやる人は、『脳トレ』を、「単なるゲーム」としか見てないのですよ。乱暴に書くと、「んなもんで、脳が鍛えられるか」って感じです。多分、あれに、何らかの教育効果を求めて飛びつく人は、元々、余り、ゲームに関心が無い人なんですね。テレビゲームのソフトとして出された時点で(シリアスゲームの様に、明確に教育目的を謳わない限り)、「ゲーム」なんです。脳に良いとか、どうでもいいんです。ゲームは、面白いからやるんですね。だから本来、それが科学的に妥当かどうかは、本当に、どっちでもいいんです。基本的にエンターテイメント性を含む、「テレビゲーム」には。まあ、ユーザーとしては、そんな感じです。

で、ゲーム脳を批判して川島氏を批判しないのはどうなんだ、という意見については、A-WINGさんがブログに書かれていた通り、森氏の説が、ゲーム業界やユーザーを貶める、途轍も無い暴論であるのに対し、川島氏のゲームは、数多発売される内の、単なる一ソフトです。元々、比較の対象では無いのです。結局、そもそも、ゲームでの脳トレに「科学性」を求めるかどうか、という所が重要でしょうか。ところで、ゲーム脳を批判する人は、脳トレを好意的に受け取っているのですか? あくまで印象ですが、ゲーム脳を信用しかける人が、脳トレの登場によって、ゲームを「見直す」というのが、結構見られるのですが。ゲーム脳を批判する人が、脳トレを好意的に捉えるという事は、特に無いと思います。

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2007年2月 3日 (土)

シンボル

Interdisciplinary: 展望に頂いた、ドラゴンさんのコメントを受けて。

もしかすると、的外れな意見かも知れませんが。

恐らく、ゲームに否定的な人は、それらの文化を、「子どもがやるもの」、言い方を換えると、「よい大人がやるようなものでは無い」と、看做しているのではないかと思います。「テレビゲーム」を、「幼稚」を象徴する記号と看做している、とも言えます。又、何の役にも立たない、という見方もあるかも知れません。

ゲーム脳は、それらの認識を正当化する装置なのだと思います。そもそもゲームに否定的な人は、森氏の言説に触れて、(潜在的にしろ)それが、自らの認識を客観的に証明する概念だと考え、「飛びついた」のだと思われます。で、そういう人は、たとえば「脳トレ」の様なゲームが出てくると、今までのゲームは駄目だったが、脳トレが出てきて、状況が良くなってきた、と考える、という事もあります。これも結局、権威に頼るという部分がありますね。

ゲームをやる人間として、自分の経験を振り返ってみると、ゲームは、仲間とのコミュニケーションを深めるツールであり、ゲームのストーリー、つまり、映画や小説と同様の、クリエイターの創造性が表現されたものを楽しむメディアであり、(結果的に)記号操作などを鍛え、論理的認識力を高める(あくまで経験的に、ですが)道具でもありました。そして、「大人に馬鹿にされる」文化でもあり、大人がやるものでは無いと、(こんな文章を書いているのに)私自身、思っていました。

メディアそのものメッセージ性というのは、「どの媒体で表現されているか」、という事実が形成するバイアス、と考えてよいと思いますが、今後、それがどの様に変化していくかは、なかなか予想しづらい所ですね。色々な分野の人の取り組み次第、だと思います。実際、川島氏の脳トレは、(過程はどうであれ)ゲームのイメージアップには、大きく貢献したと思います。それによって、「脳にも良いゲームがあるのだ」という認識は、ある程度は広まったと言えるでしょう(それが妥当かどうかは別にして)。もしかすると、教育目的で制作されたシリアスゲームが登場し、それが大きな成果を上げ、注目されるかも知れません。そうすれば、否定的な人も、評価を替えざるを得ないかも知れません。業界の取り組み、マスメディアの取り上げ方、等々が関わってくる、複雑な問題ですね。

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2007年2月 2日 (金)

のーとれ系

某ブクマ経由で⇒くねくね科学探検日記:脳科学のダメな人・その1(前編)

とても面白い記事だと思います。

結局、色々な文化を、「脳に良い/悪い」という観点で切り分けてしまう、可能性というか、危険性があるのですよね。余り詳しくない人が、「○○は脳を活性化させた/させない」という意見を聞いたらどう考えるか、という事ですね。それと、どういう局面であるかを、もうちょっと考慮しなければならないと思います。何かを行っている時の脳活動、と言う場合、その「何か」を、しっかり分析すべきなんですよね。それが、常に一様であるかの如く看做すのは、いかにも素朴だなあ、と。ゲームは手を反射的に動かすだけだ、とかですね。もしゲームがそんなのだったら、皆飽きて、もう滅びてる筈だと思うのですが。まあ、そう言ったら、「依存性」(薬物中毒に近いイメージで)を持ち出して反論されるかも知れませんが。

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2007年2月 1日 (木)

牽強付会

就活応援、社長のブログ: ゲーム会社のこれからの役目

ゲーム会社は嫌いだ。誤解を恐れずに言わせてもらえば、「子供の小遣いかすめ取って、株式上場もねーだろう。」..と思う。

ゲーム会社を批難すると共に、他人の趣味にまで首を突っ込んで、文句を仰る。「誤解を恐れずに」と書いておられますが、誤解とは何でしょうね。単純な、心情の吐露にしか読めませんが。

その末路は、ゲームオタクだった。親の目から見れば、ゲーム屋さえなければ..と思ってしまう。

これは、ある趣味に時間を費やす人間に対する侮辱ではありませんか? ご家族に対しての感情というのは判りますが、それにしても、この書き方はないと思います(この前に、ご子息について語っておられますが、具体的な事情が判らないので、言及出来ません)。

ところが、すこしゲーム屋さんを見直す出来事が起きている。例えば、「もっと脳を鍛える大人のXXトレーニング」のような、いわゆるピコピコやるゲームとは違うソフトがヒットしている。大人の懐を狙った物だが、なかなかねらいは面白い。こんなソフトなら支持できる。

こういう意見もあるだろうという事は、予想していました。つまり、脳トレ系のゲームが流行り、ゲームは別に、脳に悪影響を与えないのではないか、という認識が広まると、今度は、以前のゲームではゲーム脳になる危険性があったが、脳トレ系のゲームが出てきて、状況は改善された、という論理が現れてくるのです。結局の所、ゲームを批難する事に、変わりは無い訳です。「いわゆるピコピコやるゲーム」とは何でしょう。ゲーム好きに、脳トレについて感想を求めてみると良いと思いますよ。勿論、色々な意見があるでしょうけれど、個人的には、「ゲームとして単純過ぎる」という感想です。ああいった記号操作に適度にエンターテイメント性を纏わせ、仕立て上げたものが、良いゲームなのです。そういう所を詳しく吟味しないから、

ゲーム脳の子供を量産し日本を破滅に導くようなソフトばかりでなく

こんな滅茶苦茶な、暴論が出てくるのです。Wikipediaの項目をリンクするくらいなのですから、ゲーム脳のニセ科学性は、ご存知でも良さそうなものですが。

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予測

理系白書でゲーム脳が取り上げられるかどうかに、注目しています。
初回は、波動商法が取り上げられた訳ですが(含む水伝)、今後、ゲーム脳を取り上げるかどうかについて、色々パターンが考えられます。つまり、

  • ゲーム脳を取り上げ、毎日が最初期に紹介したことについて、何らかの釈明がある。→最も望ましい展開。たとえ、謝罪に近い釈明があったとしても、なぜ今まで放っておいたのだ、という批判は免れるものではありませんが。
  • ゲーム脳が取り上げられ、元村氏の記事については触れない。→個人的には、最も可能性が高いと思います。大顰蹙を買うでしょう。
  • ニセ科学の代表格と目されるものの内、ゲーム脳だけ取り上げられない。→不誠実。あからさま過ぎて、批判されるでしょう。「紙面の都合があるから、網羅的に取り上げる訳にはいかない」という言い逃れは通用しません。ゲーム脳をニセ科学の代表として取り上げないというのは、余りにも、記事として妥当さに欠けますから。
  • いかにも代表格と考えられるものを、「いくつか」取り上げ「ない」。→狡猾。正当化の理由としては、上のものと同じ。たとえば、あえて、血液型性格判断とゲーム脳を取り上げない、という場合。

果たして、どの様な展開になるでしょうか。

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