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2007年2月に作成された記事

ゲーム脳が授業参観に

del.icio.us/cactus_f経由⇒専業主婦のトモ:授業参観で「ゲーム脳」登場(1) - livedoor Blog(ブログ)

むう、水伝(水伝関連記事は必読です)に続いてゲーム脳も、ですか…。大変ですよね。

専業主婦のトモ:授業参観で「ゲーム脳」登場(2) - livedoor Blog(ブログ)

8つのグループのうち6つに「ゲーム脳」が
書いてありました。
例えば・・・
・ゲームをずっとしているとゲームのうになる
みたいに書いてありました。
中には「のうみそが少なくなる」って書いてあるのも!

…。もう、何と言うか。戦慄です。授業にゲーム脳が出てきた事はともかくとして(これが問題であるのは当然として)、子ども達に、これ程ゲーム脳が知れ渡っている(と言い切るのには注意が必要ですが)という事実に、驚きました。これは推測でしかありませんが、保護者の方の、ゲームを長時間させない方便として、それが用いられているのでしょう。科学的根拠があるか無いかは、重視していないかも知れません。

これは、とてもまずい状況です。

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占いとか

こう見えても私、以前は、占いとかを、結構信じてたんですよ。

信じる、と言っても、のめり込んで、色々勉強する、という訳では無いんですが、朝にテレビでやってる星座占いを見て、何となくちょっと気にしてて、学校で何か失敗したり嫌な事があったりしたら、「何か運が悪いなあ。…そういえば、朝の占いは、あんまり良くなかったな…。」なんて事を、考えてたりしたんです。

まあ、今では考えられない事なんですが、そういう時って、必要以上に、自分の努力ではどうしようもない何ものか(具体的な他者では無い)に動かされている、という感じを覚えるんですよね。日常的な言葉で言うと、「気になる」、です。そういうネガティブな状態は、あんまり良く無いんじゃないかなあ、なんて思ってます。

別に、占いとかを否定してる訳じゃ無いんですが、色んな事を他者任せにしてしまう、という面が、あると思うんですよね。それが、プラスの影響を与える事もあるでしょうけど、あまり「すがる」のはよして、程々に付き合っていくのが、良いんじゃないでしょうか。

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抜き去り

Yahoo!ニュース - オリコン - 「花男2」、「華麗なる~」を超える視聴率でトップ

ほー、抜いたんですね。『華麗~』は、広い世代には受け容れられにくいストーリーなので、しょうが無いのかも。『花男』面白いし。

あ、「誤差の範囲内だろう」って突っ込みは、無しで(笑)

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美しい、か…

何か凄いのを、見つけました⇒美しい日本をつくる会 2月18日に発会式を行います。どうぞご参加下さい

この手の文章って、物騒な表現が散りばめられていて、あんまり美しく無い、と思うのですが。

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道徳教育の本に水伝。『科学』に脳科学の特集

こなみ日記(2007-02-25):オカルトを信じる道徳教師たち

これはいかんですね。こちらに説明があります(画像もあり)⇒小学校「道徳シート」とエンカウンターで進める道徳 高学年

文脈から切り離して、言葉に力を持たせるべきではありません。それは、他人を傷付ける格好の武器にもなるし、自分自身を切り付ける刃にも、なりかねないのですから。

身体に水が含まれている事と結ぶのが詭弁だとは、考えないのかな。心のやり取りを、物質の振る舞い(しかも、根拠の無い暴論)に求めて、一体どうするのか。

 子どもたちは本来,水と同じく無色透明の存在であるかもしれない。素直で,透き通っていて,美しい結晶を形づくることができるだろう。

はっきり言います。これは、子どもを舐めている。全く、子どもの心を理解していない。

興味深いブログを見つけました⇒Clov's Kitchen : 疑似科学と学校-自戒を込めて

考えさせられる内容です。

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リヴァイアさん、日々のわざ: 岩波の「科学」で脳科学特集

これは、読まざるを得ませんね。他にも、坂元章氏の、『テレビゲームが子どもに及ぼす影響』という記事もある様です⇒岩波書店:科学(2007年3月号の紹介を参照)

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速く読む

MORI LOG ACADEMY: 速読について

全く同意です。と言うか、近い内に、似たような内容のエントリーを書こう、と思ってたのです(笑)

その本に書かれてある分野についての既有知識に、依存するのでしょうね。知識が余り無いと、イメージを展開出来ないし、結局、(森さんの言い方を借りれば)「知った」だけになってしまう、という事になるでしょうね。殆ど見聞きした事すら無いような内容だと、読むだけ無駄、にもなりかねないですね(後から振り返って、「ああ、そういえば、以前読んだなあ」という、意味記憶の蓄積という点では、役に立つでしょうけれど)。比較的短時間で読んで現象を理解する、というのは、余程、認識力が高いのでしょう。羨ましいですね。でも、そういう能力を高めるには、地道に勉強していくしかない訳ですが。

ちょっと話は ずれますが。よく、活字に触れさせる事が大切だ、という意見がありますが、私は、もっとビジュアルで説明して、知識と結び付けさせるのが、重要だと思っています。具体的に知らないのでイメージ出来ない、という場合には、既有の知識から類推する訳ですが、そもそもそれが貧弱であった場合、想像力も乏しくなるのだと思います。「知っている」だけで、ろくすっぽ「解って」いない、という人、いますよね。あ、昔の人は、良い事言ってますね。「百聞は一見に如かず」と。この場合には、「百読は一見に如かず」、という感じでしょうか。余談ですが、空手の宇城憲治師範は、身体運動の専門家らしく、「百見は一触に如かず」という言い方を、なさっていますね(この言葉の由来自体は、ちょっと知らないのですが)。

で、森さんが言われている通り(ここ強調)、私には、速読に、積極的な意義が見出せないです。イメージを展開する時間をとらなければ、ちゃんと読んだ事にはならない、と思っています。ただ、この文脈の場合、具体的なイメージを展開させずに、書かれている現象を理解しないまま読む、というのが、「速読」に含意されている、とも考えられますが。そもそも速読に、どういう定義があるのか、知らないですし。

そういえば、前に、同じ様な内容のエントリーを書いたなあ、と思って調べたら、全くと言っていい程、同じでした(笑)⇒Interdisciplinary: 読む

お読みの方に、読んで直ぐ、内容を理解して頂ける様に、書きたいですね。これは、書く側の、認識の問題ですね。

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拘っている

ニセ科学問題を考える事自体が、科学と疑似科学の線引き問題等の、科学哲学的トピックに繋がり、思考の訓練にもなる、というのはあるでしょう。
いずれにしても、批判自体が目的になる事など、考えにくいと思っています(願望も含んでいるでしょう)。

私自身が、「自己目的化」という言葉に、とても拘っていますね。実際、どういう意味なのかを突き詰めるのも、重要なのではないかと。「自己目的化」でググると、色々出てきますね。果たして、同じ様な論理が、ニセ科学批判活動においても、当てはまるのかどうか。

こんな事を書いていると、見方が偏っていると、思われるでしょうね。取り敢えず、この問題について書くのは、これくらいにしておきます。

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アクセス禁止

取り敢えず、うまさんを、アクセス禁止にしました。複数のHN使用、自作自演の投稿、コピペ文章のマルチポストを繰り返したためです。これまでに投稿されたコメント、HNを、纏めておきます(コメントされたエントリー名、コメント内に貼られたリンクは省略)。

自分が考える程度の事は、他の人も考えつく(ついた)だろう、と思った方が良い。それが謙虚さに繋がります

うまとかいうバカがニセ科学批判論者を陰で卑劣に批判しています

投稿 通報 | 2007/01/20 21:16:25

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まだ書いてますね
>「はいはい、すごいですね。でもあなたが考える程度のことはすでにとっくの昔にだれかが考えているのです」と類似をフレーズを山形さんがお使いになるのを読んだのは今回が初めてではないように思います。
>山形さんがこのフレーズを意識的に素人つぶしに使っているかは検証の必要がありますが、今回それが結果的に政治的に正しくない結果をまねくのだということは山形さんは自覚された方がよろしいかと思います。

投稿 通報 | 2007/01/23 1:59:04

必読

認知科学は、情報処理の観点から知的システムと知能の性質を理解しようとする研究分野

投稿 toss | 2007/02/18 21:30:01

イマジナリィ

TAKESAN様

向こうでも書きましたが、私の主旨は

例えば

については「科学にはなりようもないものを科学として紹介している」という点では批判されて然るべきでしょう。しかし、「考えることを放棄するように勧めている」と読める文章でなく、そのような批判は当たらないと私は思います。ですから、そこまで踏み込んだ批判をしているような印象を与える書き方は避けた方がいい、というものです。

つまり『水伝について肯定的に書いていれば(…)である』と断定的に考えるのは…略…

投稿 うま | 2007/02/22 0:40:52

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もちろん、私に言及する、スルーするも自由です

とくにここはTKESANさんのブログですから、尚更ではございます

投稿 うま | 2007/02/22 1:24:26

力を持たされる言葉

あらら、私のコメントも消されてますね。要は、科学だとか、ニセ科学だとか、んなもんキョーミねーよ、ってことなのかと

投稿 うま | 2007/02/22 2:11:51

自己目的化

「科学/非科学」の境界と同時に、非科学の中の「ニセ科学/疑似科学」の区分も重要でないかなあ、と最近は思っています。

「Aは非科学である」というのはただの指摘ですが、一方で、「Aは疑似科学か?、ニセ科学か?」というのは、Aが置かれた文脈に依存しているために、文脈の特定を省略した批判は誤解を招きやすい傾向があるのでは、みたいな感じがします。

Re: アマサイさま 投稿者:murak 投稿日: 2月18日(日)02時23分34秒

投稿 とりです | 2007/02/24 8:51:55

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これは個人的印象なのですけれど、非科学が疑似科学ではなく、ニセ科学として受け取られているということが良く分からない場面で「ニセ科学だ!」と批判されているケースも多いような気がしているのです

投稿 とりです | 2007/02/24 10:49:33

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>■当記事は・・・。
>本来的には「プラスの言葉」の効用・・・etc・・を旨とするものであり、「水からの伝言」の科学的見地からの批判・無批判を目的とするものではありません。
>たねたね (2007-02-21 20:41:13)
>トンデモ本とは、単に中身が間違ってる本ではありません。著者の意図とは異なる見方で読んでみたら、とても面白い本のことです。UFO、予言、超古代史、さまざまな陰謀論……その広がりと内容は、読書することの楽しみとオドロキを私たちに教えてくれます。
投稿 とりです | 2007/02/24 11:02:18

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>エスカレートしています。

今にはじまったことでもないような…

投稿 うま | 2007/02/24 12:14:14

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Parent-Teacher Association

川端裕人さんのブログで、こんな面白い、意見募集があります⇒リヴァイアさん、日々のわざ: PTAのイメージってどうよ……どんどん追記します

私自身のイメージとしては、あちらにも書いた通り、何をしているのかよく解らない組織、というものですね。まあ、小学生が、PTAって何やってるんだろう? と、好奇心を持つ事も、あんまり無いのかなあ、とも思います(持っても、すぐに消え去るかも)。後は、母親の集まり、ですよね。定期的に、放課後に保護者(主に母親)が集まって、何やら話し合いをしている。で、何を話しているかはよく解らない、という。保護者が子どもと、PTAに関して話し合う機会を持つかどうかに、関わるのかも知れませんね。

しかし、コメント欄を読むと、悉くが、ネガティブ、もしくは、特に意識した事が無い、という意見ですねえ。しかも、皆さんのご意見に、殆ど同意出来る、というのが…。

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メモ:自己目的化

走り書きです。

そもそも、ニセ科学が「実証されていないのに実証されたかの如く主張される説」、「科学的根拠が無いのに、科学的だと広く認められている(誤解されている)説」である、というのを、事あるごとに、くどい位説明するのは、「ニセ科学批判の自己目的化」(昨日、コメント欄にも書きましたが、それが具体的にどういう現象なのか、という事も考えた方が良いかも知れません。よく考えてみると、余り意味のはっきりしない言葉です。※一応ここでは、「内容を詳細に検討せずに、誰かがニセ科学と言っているからそれに乗っている」、という意味で使います)を防ぐ為でもあるのですよね。要するに、「ちゃんと理解した上で言葉を使わないと、的外れになる」、という事を言っている、つまり、釘を刺している訳です。批判するからには、ちゃんと言葉の意味を押さえておきましょうね、という。

だから、ニセ科学を批判する事に対する危機感を持つのも、確かに意味はあるのだとは思いますが、それよりも、ニセ科学はこれこれこういう意味である、だから、○○はニセ科学と看做されているのだ、というのをきちんと説明する事が、大切なのだと考えています。

※「自己目的化」という字面からすると、「はっきりした根拠が無いのに、ニセ科学のレッテルを貼る」等してまで、何らかの説を批判する、とでもなるでしょうか。「自己目的」なのですから、批判行為そのものを目的とする、という意味ですよね。そこには、「内容を深く検討しない」という、ネガティブな意味も含まれているでしょうか。ちょっと、よく解らない所ですね。ニセ科学を批判する人が、わざわざそれらしい対象を探して難癖をつけ、満足する、という現象を想定しているのでしょうか。しかしながら、私が思うに、ニセ科学を批判する人は、楽しんで(というと、語弊があるか)それを行っている訳では無いし(嬉々としてニセ科学を論うなんて、想像も出来ないし)、的外れな意見があれば、それ自体を批判する、という事もあるのですよね(的外れなニセ科学批判を批判する)。又、「○○はニセ科学なんだって。知らなかったー。」という、いわゆる「批判を鵜呑み」にする人は、別に、「自己目的」なんて、積極性は持たないのではないでしょうか。となると、「批判の自己目的化」が、どういう現象なのか、いよいよ解らなくなってきます。

「ニセ科学」というのは、上に挙げた、ある程度はっきりした意味を持たされていて、その上、「科学と疑似科学の境界は曖昧」という前提がある訳ですから、その語を正確に使う事自体に、ある程度の認識力が必要とされるのですよね。

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レッツ、ハンティング!

私は、『MONSTER HUNTER』シリーズは、『2(DOS)』から始めたので、『MONSTER HUNTER PORTABLE』を友人から借りてやってみて、余りの簡単さ(親切さ)に、驚きました。携帯ゲーム機のソフトなので、ソロプレイでもさくさく進めるように難易度を設定してあるのだと思いますが、DOSに慣れた人間にとっては、おー、やり易いなあ、という感じでしたね。ココット農場なんて、えー、って思いました。希少な鉱石が、ザックザク…。で、逆に、MHPから始めた人にとっては、DOSが、かなり厳しめに感じられたかも知れません。あ、でも、PS2版は、DOSしかやってないので、それ以前の、無印とGとの比較は出来ませんが。

という訳で(どういう訳だ)、めでたく、『MONSTER HUNTER PORTABLE 2nd』が、発売されました。ベースはDOSで、新武器として、太刀・ガンランス・弓が追加され、新しいモンスターも追加されました。かなりのボリュームですね。そこそこ極めるには、かなり時間が必要でしょう。あ、私はそもそも、PSPを持ってませんので、友人に見せて貰うだけですが(笑)

ともあれ、MHシリーズは、本体ごと買っても損はしない(自分は持ってないくせに…)、傑作ゲームです。個人的には、アクションゲーム史上、最高レベルなんじゃないかと思っています(後は、『ゼルダの伝説』シリーズとか、『METAL GEAR SOLID』シリーズとか)。

MONSTER HUNTER|モンスターハンター 公式ポータルサイト

CAPCOM「モンスターハンターポータブル 2nd」:公式Webサイト

モンスターハンターポータブル 2nd Video Games モンスターハンターポータブル 2nd

販売元:カプコン
発売日:2007/02/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

モンスターハンターポータブル PSP the Best Video Games モンスターハンターポータブル PSP the Best

販売元:カプコン
発売日:2006/08/03
Amazon.co.jpで詳細を確認する

モンスターハンター2(ドス)(通常版) Video Games モンスターハンター2(ドス)(通常版)

販売元:カプコン
発売日:2006/02/16
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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今更感

はてブでちょっと話題の話。

そもそも、政治家と性格傾向の関連を調べるのが、先なんじゃないですかね。

血液型と性格が強く関連してるのなら、わざわざ、政治家なんて、特殊なサンプルを選ぶ必要は無いと思うのですが。政治家(しかも、特定の年。他の年では、それ程強い関連は、無いみたいです)に、O型が有意に多かったとしても、「それで?」としかならないかと。と言うか、こんなの、散々指摘されてる事なので、今更、という感じも。参考⇒血液型性格関連説について:竹内久美子氏:補論多重検定によるタイプ1エラー

前は信じていなかったが、竹内氏の本を読んで信ずるに至った、というのは、結構珍しい気が。そうでもないのか? ちょっとググれば、色々出てくるでしょうに。

次は、「交通事故と星座の関係について」らしいですね…。

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心の実験

心は実験できるか―20世紀心理学実験物語 Book 心は実験できるか―20世紀心理学実験物語

著者:ローレン スレイター
販売元:紀伊國屋書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これは、なかなかに面白い本だと思います。amazonのレビューにもあるように、著者の主観が書かれ過ぎではありますが、それを、味付けの為のスパイスと考えれば、興味深く読めるのではないかと。学術書ではありませんから、そこを割り切って、読めば良いと思います。でも、スパイスが効き過ぎてる所も、あるんですよねえ(笑)

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缶詰

最近、スパムTBが増えてます。

承認制にしようかなあ、とも思っているのですが、なるべくなら、このままにしたいですね(芸能人の名前を載せたエントリーとかは、予め閉じたりしてます)。もうちょっと増えたら、承認制にするかも知れません。

それにしても、スパムは鬱陶しい。

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身体意味構造

高岡英夫は、著書『鍛練の展開-身体の中芯からの革命』において、「身体意味構造」という、興味深い概念を提出している。高岡の著書から引用してみよう。

A 〈体意変更システム〉というのは、どういうものなのですか。

T 例えば柔道選手が襟を持たれたとすると、相手の手と自分の襟との関係は、「相手が自由自在に扱える手でこちらの襟をコントロールし、強力な力を加えてこちらを攻撃しようとするのに対し、こちらは何とかやられないように防戦する」という、一方的な攻撃―防御関係に陥るのが関の山です。厳密には防戦すらも、既に持たれてしまった段階においては、襟自体を通じて行うことはさして努力の余地がないと考えられています。

 ところが大東流の合気柔術では、持たれた”襟”の方が持った”手”を攻撃し、相手を投げ倒したり、潰し落としたりという、柔道の状況とは全く逆の、信じ難いような主客転倒が行われているのです。こうしたシステムはしばしば私が『光と闇―現代武道の言語・記号論序説』で明らかにした〈潜在的擁護システム〉※上位者の権益を護り組織を安定化するために無意識のうちに形成されていくシステム。 を伴うものなのですが、佐川幸義氏の場合は〈擁護システム〉を直接的に利用する度合いが低いという点でも、信頼に足るものと言えるでしょう。

 身体には無意識のうちに、意味付けされた地図ができているのです。例えば”手”は”襟”を持って投げる所、”襟”は”手”に持たれて投げられる所、……というように。

A そうした無意識の”地図”が選手の競技力や上達の努力や、さらにはその種目全体の技術の発展を根底から束縛しているということになるわけですね。

T そういうことです。これが〈体意=身体意味構造〉ということです。アスリートの上達や種目の発展には、こうした〈身体意味構造〉を解体構築していく作業が、実は極めて重要なものとして含まれているのですが、多くの人々がその道の専門家を含めこの事実に気付いていないのです。(高岡英夫『鍛練の展開-身体の中芯からの革命』 恵雅堂出版 1993 P199-201)

これは、重要な指摘である。我々は、生まれ落ちて以降、自分の属する様々な文化の価値体系に拠って、生活を営んでいる。それは、社会に広く認められた習慣であったり、家庭独自の価値観であったりが、複雑に絡み合ったものである。私達は、それに従いながら、高岡の言う「身体意味構造」を、形成していくのであろう。武術・身体運動関連エントリーなので、はじめに合気道を例にとって見てみよう。合気道では、通常、最も基本的な稽古として、自分(取り:技を掛ける側)の手首を相手(受け:技を掛けられる側)に掴ませた状態から技を掛ける、という形態を取っている(ここでは、ある程度しっかり掴まれた静止状態から始めるものと仮定する)。通常我々は、上肢帯から手にかけてを、「肩関節を支点にして、物を持ち上げたり、押したり引っ張ったりする」という機能を発揮せしめる部分として、認知しているであろう。ところが、余程の筋力の差が無い限り、動かされまいと掴まれた手を自由に運動させるのは、至難の技である、そこで、身体意味を変更させる必要が生ずる。即ち、「手首は掴まれた位置から動かそうとせずに、肘・肩甲骨・肋骨を、下方へ運動させる」という機能を発揮させるべく、認知の構造を変化させるのである。こうする事により、受けの持ち手に大きな重みが掛かり、「豚の脚を持たされる状態」になり、技を行使する事が可能になる(この辺りの論理は、高岡の、『合気・奇跡の解読』 ベースボール・マガジン社 に詳しいので、参照されたい)。

身体意味構造の形成は、色々な「価値付け」、つまり、「これこれこうすべきである/無い」という論理に、強く依存する。たとえば、「身体をゆらゆら左右に揺らして歩くのはみっともない」、「背筋はきちんと伸ばし、骨盤は軽く後方に反らしたものが、”良い姿勢”である」といった具合に。そういった価値の体系が、各個人の身体意味構造を、形成している。当然、ある集団において共有された価値体系の影響も受け、集団に、ある程度普遍的に見られる構造も、あるだろう。又、それが、専門的に指導を受け、後天的に形成される事も、しばしばであろう。プロのスポーツ選手が、トレーナーに指導を受けたり、武術で師匠に厳しい稽古を受ける過程で、それまでに形成された身体意味構造が、変化するのだと考えられる。それは、当人が、どれだけ指導者に信頼を置いているか、又、指導者の「教え方」等に、依存する。

話を、より一般化してみると、たとえば、「大腿四頭筋は常に収縮し、歩行運動においては、前方に移動する為に、膝関節を伸展させるべく働く」、「骨盤の周りの筋肉は、常に強く収縮させ、”力強い”腰を作る」等が、無意識に構造化されていると考えられる。即ち、身体意味構造は、生理学的にも、普段の筋収縮のあり方等も規定する、認知構造なのである。これを最も一般化したものが、高岡の言う「身体意識」概念に繋がってくるのだろう。

さて、皆さんは普段、自分の身体に、意識を向けていらっしゃるだろうか。歩いている際に、太股の前面と後面の、どちらを主に働かせているか、体幹をきっちり固めて、そこから棒の様に腕と脚が出ていると感じているか、ぐにゃぐにゃに変形し易い物体が運動し、それに従って、鞭の様に手足が動いていくか、等々。その認知が、私達の身体のあり方を、規定しているのである。それを見つめていくのも、大切な事なのではないだろうか。

参考文献

鍛練の展開―身体の中芯からの革命 Book 鍛練の展開―身体の中芯からの革命

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

合気・奇跡の解読 Book 合気・奇跡の解読

著者:高岡 英夫
販売元:ベースボールマガジン社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

究極の身体 Book 究極の身体

著者:高岡 英夫
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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余談。私は、この「身体意味構造」という概念は、とても重要なのだと思っています(一般化すると、身体意識が重要だという事です)。たとえば「良い姿勢」はどういうものか、とか、「だらけた姿勢」はどんなものか、とか。そういう様々な価値観に沿って、私達は、身体のあり方を、規定しているのだと考えられます。「良い歩き方とは、胸をはって、腕をきびきび振り、踵から足を接地する」という具合に、身体運動が、一つの記号として機能している訳です。これは、普段の生理学的状態とも、密接に関連しているでしょう。たとえば、「歩く」運動を、「膝を一々曲げ、重心が充分前に出てから膝を伸ばし、身体を前に運ぶ」のと、「膝は伸ばし、支持脚の真上に重心が来た際に、大腿を伸展(後方に回転)させ、前方に移動する」と認識するのとでは、全く異なります。歩行運動は、毎日数千から数万歩繰り返される訳ですから、それが筋収縮のパターン等の違いとなって現れる事は、容易に想像がつきます。

勿論、これは、殆ど意図せずに形成される事もあるでしょうし(社会一般に認められた習慣等。歩きとか、「良い姿勢」とか)、専門の、スポーツや武術の指導を受け、自覚し、意図的に変えようとする場合もあるでしょう。こういった意味でも、身体と心は密接に関連している、と言う事が出来ます。

ところで、認知科学でこういった研究はあるでしょうか。いかにもありそうですが。

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動き

ゲーム規制について、とても気になるニュースあり。

実証研究が、まだ充分に蓄積されていない段階で、規制を断行するという事に、危機感を覚えます。

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力を持たされる言葉

Chromeplated Rat:力を持たない言葉経由⇒言葉の持つ力。|ナゾ風呂

量子論云々の前に、言葉の性質について思いを馳せた方が、良いのではないかと思います。poohさんも仰っていますが、言葉の恣意性(無契性)、文脈依存性を考えるべきです。そうすれば、少なくとも、「じゃあ、他の言語ではどうなんだろう」とか、「平仮名で文字を書いたら、同音異義語にはどう反応するだろう」とかの、疑問が出てくる筈です。思いが直接伝わる、という主張なら、そもそも、文字を聞かせたり見せたりする意味が、無くなりますし。

言葉というのは、その価値が相対的に決まるから、奥が深いのです。人によって言葉の持つ意味が、ほんの少しずつずれているから、常に言葉の意味を確認し合って、齟齬をきたさない様に、努力すべきなのです。それが、コミュニケーションです。

この言葉は悪い言葉、あの言葉は良い言葉、なんて決め付けて、自分の脳内辞書で閉じてしまって、相手の言葉の使い方をちゃんと考えないと、独り善がりになったり、価値観の押し付けになったりするのではないでしょうか。時には、集団による絶対的価値観の押し付けになります。これは、大変怖い事です。

コメント欄…。

田崎さんの文章でも、お読みになれば良いと思います…。

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知らなかった

これはさすがに、科学論じゃ無い…。

つい最近知ったんですが、水木しげる氏(水木プロ)の公認ファンクラブがあるらしいのですが、名前が、「水木伝説」、略して「水伝」らしいです。しかも、結構歴史があるみたいです。

もしかして、知られた事だったりします?

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科学少女

「科学論」でいいのか?

泣き言メイン(琴子のセンス・オブ・ワンダーな日々):ギリギリ科学少女ふぉるしぃ

この間、この曲の事をkikulogに貼ろうと思ったけどやめた、というのは、ここだけの話です…。

キャラクターデザインを見て、ほー、と思ったのでした。

バナー貼っときます(笑)

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理科離れ。批判はネガティブ?

某ブクマ経由⇒参議院会議録情報 第150回国会 文教・科学委員会 第2号

これも、話には聞いていましたが、読むのは初めてでした。しかしこれは…。余りにもあんまりなので、ちょっと長いですが、引用します。

○松あきら君 ありがとうございました。まさに私もそのとおりだというふうに思います。
 ここに水を研究していらっしゃる江本さんという方が書いた「水は語る」という本がございます。心とか命とか、そういうものを理解するためにこの本を少し紹介したいと思います。
 まず、写真をごらんになっていただきたいと思います。両方からカラーの方もお回しいたしますので。(資料を示す)
 この写真は山梨県の三分一の湧水の氷結結晶写真なんですね。とてもきれいな結晶なんです。札幌の水道水ですとか名古屋の水道水、いろいろあります。
 そこで、これは実は、透明の瓶に精製水を詰めまして、いろんな言葉をその瓶に張るんですね。これは「ありがとう」という言葉を張った結晶、これは「ばかやろう」という言葉を張った結晶なんですね。それで、何とか「しようね」というふうに書いたのがこの上で、「しなさい」というとこの下になるとか、これだけではなくていろいろ出てくるわけでございますけれども、実験ではぶっ殺すとかむかつくとかいう言葉でもこの「ばかやろう」というのに近いような結晶が出てくる。音楽も実はここに入っているんですけれども、数え上げたら切りがないぐらいたくさんいろいろ実験で出ているんですけれども、やはり水も言葉がわかるのかしら。
 例えば、人の体の七〇%は水分だそうで、そうしますと自分の心だけじゃなくてそういう水分という面から考えてもいろいろな言葉にあるいは反応するのかな、こういうことも思うわけでございます。やはり安易に心を傷つけるひどい言葉が使われているとしたら、そういうことは単に心だけじゃなくて、いろいろなことからそれが起こってくる。
 そしてまた、学校の先生は、教師は授業をするわけですけれども、その教員免許を取得する過程では心理学というものは割合にさらっと通り過ぎているようでございます。今、カウンセラーは二千五百名ほど学校に配置されております。私もカウンセラーが非常に大事ということで申し上げているんですけれども、やはり学校の先生は、教えるということだけでなくて、一人一人の子供の生命状態を把握して理解できるようにならなければ本来いけないのではないかなというふうに思うんですね。
 アメリカのノースカロライナ大学では、落ちこぼれはなくせるといいまして、脳科学の成果を生かそうと頑張っている小児科のお医者様がおります。メル・レビーンさんという方なんですけれども、これは、従来の画一的な指導法では多くの子供たちが落ちこぼれになってしまう、生徒は一人一人みんな違うんだ、教師がその違いを理解すれば一人一人に合った指導ができるようになるとおっしゃっているんです。子供の学習したものについては、その脳に膨大な知識が蓄積されているのに現場の教師にその扱い方が行き渡っていない、つまり扱い方がわかっていらっしゃらない方もいるとこのレビーンさんはおっしゃっているんですね。例えば、子供の脳の発達に関する最新の研究は個々の事例の解決に役立つとも言っておられるわけでございます。この方は、以前なら養護学級に送られていたかもしれないそういう多くの生徒を教室で実際に助けることができたと体験を述べられているわけでございます。
 こういった脳の科学が教育の現場に役立つ、あるいは反映されるのであればこれも喜ばしいと。そしてまた、少子化がこれからはどんどん進むわけですから、一人一人の子供をしっかりと見ていただいて、教師がカウンセラー、臨床心理士だけに頼らないで、教師の仕事の一つとしてやはり適正な対応あるいは理解ができるようにならなければ本来はいけないのではないかというふうに思うわけです。
 そういった意味で、心理学あるいは脳の科学の専門知識を持たなくてはいけないと言っているわけではなくて、教員養成の中でそういった点も学べるような環境をつくる努力を行政はするべきだと思いますけれども、この点についての大臣の御所見を伺いたいと思います。
○国務大臣(大島理森君) まず冒頭に、この写真でございますが、拝見してみて、これはボトルに張るだけでこういうふうに変わるというのは……
○松あきら君 そうなんです。
○国務大臣(大島理森君) 科技庁にも命じてちょっと勉強を……
○松あきら君 ぜひ実験してみてください。
○国務大臣(大島理森君) はい。まじめにちょっとやってみたいと思います。ちょっと驚きでございまして、なるほどなと、こう思って見ております。
 まず、総論的に申し上げますと、今、先生がおっしゃったように、いじめとか切れるとか、あるいはさまざまな子供たちの犯罪あるいは問題というものに対して、情緒的にとらえてはならぬと私は文部省に参りましてから常々申し上げてきております。やっぱり科学的に分析するという側面を持たなきゃいかぬ、それから数字的な客観性も持たなきゃいかぬという一つの考え方を申し上げて、今起こっているいろんな事件とか問題点をそういう観点からもきちっと科学的にも分析しながら対応を考えるという、そういう時代に入ったということは同感でございます。
 その中で、特に心理学という問題につきまして、私どもも教員になられるそういう方々には、やはり知識ということを単なるデリバリーするだけではなくて、最後は子供たちの心を引きつけ、子供たちの心に先生の言葉が入っていかなけりゃならぬ。そういたしますと、子供たちの心理状況、こういうものがどういう状況になり、子供たちがこういう心理になったときにどういう行動形態をしていくかということを少なくとも先生の立場ではきちっと基礎的には踏まえなきゃなるまい。そういう意味で、おっしゃったように、我々は心理学の知識を先生になろうとする方々にはしっかりと身につけさせることの重要性を認識しております。
 そういう意味で、初任者研修において、その基礎を踏まえながら実際にカウンセリングというものをどういうふうにしたらいいか。このことは、カウンセラーだけではなくて一般の先生方にもしっかりその基礎論あるいは方法論というものを身につけて、心理やカウンセリングに関する内容などをきちっと取り組めるようにさらに充実をしていかなければならぬと、こう思っております。
 そういう意味で、そういう児童心理という側面での先生方の知識あるいは対応というものがますます重要になってくるのではないか、そのための対応をしっかりしていかなきゃならぬという思いでございます。
○松あきら君 私も実は次にその科学的なということを御質問しようと思っていたんですけれども、私もこのお水の実験を実際してみたいなと思うんですけれども、例えば授業の中で子供たちに、こういう人がいてこういう実験をしたらこうなったんだってよと、水でもわかるのかしら、このクラスでも一遍やってみようかとか、そういうことも子供たちが心というものを考える、あるいは命というものを考える一つの手助けになるのかななんという気がいたします。
 それから、今まさに先に大臣がおっしゃられたので私の質問と重なるというか、次に申し上げようとしていたことは、今本当にさまざまな社会体験あるいは自然体験、そしてボランティア、いろんなことで子供たちの心の情操を助けていきたいというのがあるんですけれども、その一方で私が申し上げようとしていたのは例えば低血糖の問題、子供たちが今飲み物ですとか袋菓子とか、御飯を食べないでこういうものを、間食ですか、残念ながらそれが主食に取ってかわろうとしているぐらい今の子供たちは飲み物ですとか袋菓子を食べているらしいんですね。そうしますと、そういうものに全部糖分が多量に入っている。含まれている。
 そうすると、糖分がたくさん入るとどういうふうになるかといいますと、低血糖になるそうなんです。要するに、砂糖を大量にとると低血糖になる。そうするとどうなるかといいますと、これを繰り返していきますと、いらいらが募り、頭痛がして疲労感が広がり、それが異常な行動の引き金になっていると、こういうことも指摘をされているわけでございます。
 もちろんこれだけではありません。食べ物の中にも、あるいはダイオキシンあるいは環境ホルモンあるいは空気、水、すべてそういうものも関係はしてくると思うんですけれども、要するにそういったむかつくあるいは切れる、異常な行動をするという中で、私はやはり科学的にしっかりと研究をして心の教育と両面でこれをぜひ進めていただきたい。これを申し上げようと思っていたんですけれども、再度よろしくお願いいたします。
○国務大臣(大島理森君) 実は、松委員は御承知でそういう御質問をしていただいたと思いますが、アメリカの中で今お話しされたような低血糖状態がいろんな形で子供たちに影響しているんじゃないだろうか、こういう長い議論があります。まだそのことについて、低血糖だから明確にそういうふうに切れるとかあるいはおかしくなるとかという、そこのところは依然として議論があって、WHOなんかでも、結論として糖が子供の行動や振る舞いを有意に変えるという仮説を示唆する客観的な証拠は余りないねというWHOの報告はあるにしても、いずれにしろ、先ほど申し上げましたように、食生活それから睡眠のあり方とか、あるいはその他子供たちを取り巻く食事から体力からそういうふうなものについてやはりきちっと分析をしなきゃならぬのじゃないか。
 そういう中で、我々は切れる子供の生育歴に関する研究というものを立ち上がらせて今やっております。その中に、例えば国立教育研究所に今やらせておるのでございますが、生徒指導、教育心理、発達心理、社会学、さらに公衆衛生、それから小児科の先生、こういうドクターの立場から、医学の立場から、あるいは精神科医、臨床心理士、そういうふうな医学的な観点からの分析も、いろいろな問題があるかもしれないと。プライバシーをきちっと尊重しながらも突っ込めるところだけは突っ込んで、やはりそういう問題に科学的知見をきちっと持った上で対策をとることの方が、いろんな御批判をいただくかもしれないけれどもむしろ国益に合うことではないか。こういうことで、具体的な事例の場合においてそういう多方面からの分析、研究を今させているところでございます。そういう問題が出て、結果としてこのようだといったら、またいずれ国会の場で御論議をいただくことにしております。
 何回も申し上げて恐縮ですけれども、情緒的におまえたちはしっかりしなきゃならぬと言うだけではこの対応にはならぬという思いは一緒でございます。

何というか、「自分は科学の事は良く解らないが、こういう話があるので調べてみてくれ。よろしく」と言わんばかりのこの認識は、駄目でしょう。

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水は何もいいひんでぇ~パート2|みずちの夢現

うーん、

だからといいそれを批判している人達を肯定しているわけでもない。批判から生まれるものはネガティブなものだけで、建設的に何かが変わっていくことはない。

批判はネガティブなものしか生まない、という認識は、改めた方が良いのではないでしょうか。おかしなものが出てきた場合には、放っておかずに、適切に批判するのが健全だと、私は思います。

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シリアスゲーム解説書

シリアスゲームの本格的解説書「シリアスゲーム-教育・社会に役立つデジタルゲーム」2月20日に発売:Garbagegames.com

大変興味深いですね。読もうと思います。

関連サイト:Serious Games Japan

Book シリアスゲーム

著者:藤本 徹
販売元:東京電機大学出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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イマジナリィ

ある対象を批判する行為において、散見されるのが、「想像で作り上げた、”仮想敵”」に対する批判、です。最近の、ニセ科学批判に関する議論でも、よく見られます。

即ち、ブログのエントリーや、たった数十分のテレビ番組の放送であったり、わずか数十行の新聞記事であったり、そういう断片的な情報を基にし、他の部分は都合良く組み立てて、実際の批判対象とは全く異なる「脳内の論敵」を形成し、それを実際の対象と見做し、批判を繰り広げる訳です。

その様な仮定が有効なのは、正に、「仮想敵である事を認識している」場合のみです。つまり、「こういう認識の人がいたならば、こう批判する事が出来るであろう」、という、思考実験的な状況、という意味です。きちんと、こういう思考パターンの場合には、と「想定」している事が解っているのであれば、それは、想定した論敵が現れた場合の批判の仕方という、思考の訓練として、役に立つとは言えるでしょう。

しかし、最近見られる、「ニセ科学批判者批判」等においては、ある批判の対象が明確に存在している場合に、その対象の心情、認識のあり方までをも勝手に決め付け、それに対して批判を繰り広げる、というやり方が、見られます。これは、率直に言って、全く的外れな行為でしょう。そこに見られるのは、過度の一般化であったり、言ってもいない事を言ったかの如く決め付けて、それを非難したり、といった、大変不合理で、不毛な論理の展開です。それは、批判対象に対する不当な印象形成を促してしまう場合すら、あります。

簡単に言うと、

  • 相手が考えてもいない事を考えていると看做す。
  • 相手が考えている事を考えていないと看做す。

の、どちらもすべきでは無い、という事です。とは言え、初めから、対象の考えを過不足無く理解する事など不可能です。だからこそ、コミュニケーションを通じてお互いの認識を確認したり、相手の心情を忖度しながら、慎重に、論を進める必要があるのです。

じゃあ、私がここに書いている、

「想像で作り上げた、”仮想敵”」に対する批判

をする人、というのは、「仮想敵」なのか?

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高岡英夫氏の著作について

夢草の剣さんの、コメントを受けて。

高岡氏の著作は、広範に亘っていますので、武術のどの様な部分に関心を持つか、によって、お勧めの物は、替わってきますね。

初期の著作は、武道・武術を、記号論・言語学や社会心理学、構造主義的手法によって分析した著作が多いですね。比較的読み易いものとしては、『空手・合気・少林寺』シリーズや、『武道を読む』(これは、他の著作の解説書でもあります)辺りでしょうか。
又、『鍛錬シリーズ』では、トレーニングの方法、取り組み方等が詳細に論じられており、「武術に筋力トレーニングは必要か」、等の問いを持つ人には、大変参考になると思います。余り、読み易くはありませんが。

1990年辺りからは、高岡氏独自の、身体意識論について論じられた書が、多く出版されてきます。武術では、内観によって、「気の流れ」を認知するのは一般的なので、すんなり読めるかも知れません。『ハラを失くした日本人』などが、良いでしょうか。『意識のかたち』は、少々難解です。

その後は、現在広まっている、ゆる体操関連の著作が、多く刊行されています。ここら辺になると、そもそも一般向けに書かれた物も多いので、大変読み易いと思います。お勧めは、『からだには希望がある』、『からだにはココロがある』でしょうか。

武術を身体運動として客観的に捉えるという視点からは、『究極の身体』が、お勧めです。

又、身体意識論について、本格的に論じられている、いわば教科書的著作として、『センター・体軸・正中線』、『丹田・肚・スタマック』があります。内容そのものは、ちょっと難しいですが、文体は、読み易いと思います。

最後に、やはり、合気系武術に関心がある人にとって必読なのが、『合気・奇跡の解読』でしょう。特に、前半がお勧めです。合気揚げを、実証科学的手法によって分析したのは、おそらく殆ど無いと思われます。又、イチロー選手と宮本武蔵の身体運動の共通性を論じた、『武蔵とイチロー』は、読み易く、とても面白い本です。

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後、これは、事ある毎に、書いているのですが。
高岡氏の論述には、いわゆるトンデモ系と言うか、ニューエイジ系のものがあったり、気を肯定的に(心理学等の概念では無く)捉えていたり、といったものもあります(その内、トンデモ発言、トンデモ記述は、纏めると思います)。これは、日本や中国武術の思想には、馴染み易いものかも知れませんけれど、私個人としては、全く賛同していません。一応ここは、お断りしておきたいと思います。ニセ科学を普段批判していながら高岡氏を肯定的に扱う所に、違和感を覚える方もおられると思うので、念押し、という事で。
又、高岡氏の著作は、その類稀なる洞察力による分析は、舌を巻く事も多いのですが、実証データを示しているものが余り無い、最近の著作には参考文献が挙げられていない(自著以外で)ので、どこまでが独自の考えで、どこが先行研究を基にしているかが解りにくい、といった所もありますので、そこは、押さえておいた方が、良いかと思います。

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他に、これがお勧めだ、等のご意見を頂ければ、ありがたいです。私は、DSを前面に出した著作(1995~2000年辺りかな)は、余りお勧めしませんが。

空手・合気・少林寺―その徹底比較技術論 Book 空手・合気・少林寺―その徹底比較技術論

著者:高岡 英夫
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空手・合気・少林寺 (続) Book 空手・合気・少林寺 (続)

著者:高岡 英夫
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鍛練の理論―東洋的修行法と科学的トレーニング

鍛練の方法―世界最強をめざす人だけが読む本

鍛練の実践―その深い理解と徹底化のために

鍛練の展開―身体の中芯からの革命

武道を読む Book 武道を読む

著者:高岡 英夫
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ハラをなくした日本人 Book ハラをなくした日本人

著者:高岡 英夫
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意識のかたち―現代に甦る天才の秘密 Book 意識のかたち―現代に甦る天才の秘密

著者:高岡 英夫
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からだには希望がある Book からだには希望がある

著者:高岡 英夫
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からだにはココロがある―丹田、センター、身体意識の謎を解く Book からだにはココロがある―丹田、センター、身体意識の謎を解く

著者:高岡 英夫
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究極の身体 Book 究極の身体

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センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます Book センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます

著者:高岡 英夫
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丹田・肚・スタマック―自分の中の天才を呼びさます Book