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2007年1月 5日 (金)

方便かな?

¡Ojalá! 美しいニセの国へ

ニセ科学が問題なのは(※引用順は不同。リンク・強調等は除いてあります)、

「“ありがとう”というようなキレイな言葉を使う方が良い」ということは、子供たちに伝えなくてはなりません。

の根拠を、綺麗な氷が出来る(これがニセ科学)「から」、という事に求めたり(そもそも綺麗/汚いも相対的なものです)、「ゲームのやり過ぎが良くない」のを、「脳の機能が低下するからだ」(これがニセ科学)と説明したりするから、なのですよね。あちこちで指摘されている事ですが、水が綺麗になるから綺麗な言葉を使いましょう、なんて話は、良い話でも何でも無い訳です。言葉は人対人のコミュニケーションの道具ですから、常に、対話の中で、どの様に言葉を用いていくかを考えるべきなのです。どういう語が良いとか悪いとか、一概には言えないのです。ゲーム脳の場合は(リンク先の書き手の方は、ニセ科学そのものを肯定している訳ではありませんが)、まず、その説自体が根拠不明確であるのに、真実であるかの如く教える、というのが、良くありません。又、(これは何回も書いていますが)ゲームを好きな人に対して、不当な評価を与えてしまいかねません。現にゲームをしている人が、不必要に自虐する場合もあります。ニセ科学は、「真実であるかのように」流布するから問題なのです。それは当然、科学の方法そのものへの誤解も招きかねません。

他にも様々な教科で、教えるのに都合の良いようにちょっとした嘘がつかれていると思います。

うーん、個人的な心情の問題なので、とやかく言えませんが、「ちょっとした」って、それこそ主観ですよね。受け取る側がどう考えるか、というのもありますよね。それを根拠にして、

そこでニセ科学をパフォーマンスの一環としてちょこっと使わせてもらう分には構わないのでは?

と考えるのは、宜しく無いのでは? ニセ科学は、「ちょっとした嘘」所ではありませんよ。

だから…というのも無理がありますが、子どもには混じりっけの無い真実を必ずしも教える必要はないのです。
真実が却って混乱を招く可能性もあります。

確かに無理がありますね。ちょっと飛躍しています。しかし、「混じりっけの無い真実」というのは、いかにも微妙な言い回しですね。嘘も方便、という事でしょうか。こういう場合、「どこまで」という問題がありますね。よく言われる話ですが、子どもにサンタクロースの存在についてどう教えるか、とかありますけれど、こういうのは難しい。学校等の教育現場でどう扱うか、というのも考えなければなりませんし(因みに、サンタが云々というのは、「ニセ科学」の文脈からははずれていますが)。個人的には、子ども(主に親戚の子の事)にも嘘はつきません。喋り方も、大人と同じ様な感じですし(言葉遣いは、勿論変えますが)。自分が解らない事を聞かれたら、子どもの前でも悩みますしね。相手が子どもだから態度を変える、というのは、何か嫌ですので。

あと、個人的には最近あんまり大人が「あれは嘘だ」「これも嘘だ」って早い時期から子供に教えすぎな気がします。
そのせいだと思いますが、ホント妙に醒めた子供が多いんですよね、最近。

嘘である理由も考えさせずに教え込むのなら、それは問題ですが(嘘を教えるのと余り変わらないと思います)、本当の事を教えるのとは、又別の話ですよね。どちらにしろ、安易な二分法的教え方が駄目なのだろうと考えています。

私なんて小学生の中学年くらいまで、訓練したら魔法が使えるんじゃないかと思ってました。
ゲームに影響されすぎ。

私は、小学校高学年くらいまで、かめはめ波が撃てると思っていました(笑) でも、似た様な事を、大人になっても主張しているのが、水伝な訳で…。

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