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2007年1月26日 (金)

自然主義的誤謬

Interdisciplinary: もやもやに追記。

kikulogの議論を読んでいて、「道徳やしつけの根拠を自然科学に求めるべきでは無い」という事について、色々考えていたのですが、やはり、とても難しい問題です。それこそ、道徳哲学や倫理学で長年論じられてきている問いの訳ですから、そう簡単に答えられるものではありません。私には、それらに関する知識が、余りに不足しています。

それを踏まえた上で、現時点での個人的な考えを言うと、ゲーム脳にしろ水伝にしろ、現にある規範や、自分が良いと思っている事を正当化する為に、自然科学的論理を、いわば「でっち上げ」ようとしている訳ですから、それは明らかに問題です。では、仮に(仮に、です)、ゲームをやれば脳が機能低下する、という事実が見出されたとして、それを根拠に「ゲームをすべきで無い」と主張するならば、それは、「道徳やしつけの根拠を自然科学に求めた」事になるのか、という疑問も湧いてきます。ただ、それは、きくちさんが仰る話とは、少し次元が異なるのではないかという気もします。規範を正当化する為に自然科学的論理を探そうとするのと、自然科学の知見を基に規範を組み立てる事とを、区別すべきなのかも知れません。

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コメント

お邪魔します。

> 規範を正当化する為に自然科学的論理を探そうとするのと、自然科学の知見を基に規範を組み立てる事とを、区別すべきなのかも知れません。

ぼくもなんとなく、ここが胆になっている気がしてきています。
道徳と自然科学は整合することが多いし、相互に補完することも可能だと思いますが、どちらかをどちらかで補強しようとするところに無理が出てくるのではないでしょうかね。

投稿: pooh | 2007年1月27日 (土) 06:31

poohさん、お早うございます。

規範をつくる際に、自然科学の知見が参考にされる事はあると思いますが、やはり、規範を自然科学によって基礎付けようとするのとは、異なるのでしょうね。

この辺り、哲学者や倫理学者がどの様に議論しているか、知りたい所でもあります。

投稿: TAKESAN | 2007年1月27日 (土) 11:04

ふと思いついた事。

「長時間働いて身体を酷使するのは良くない」というのは、まさに自然科学的知見ですが、たとえば、睡眠時間を削ってまで診療にあたる医師であるとか、ネットワークを保守する管理者であるとかは、「好きで」やっている訳ですよね。まさに善意で、使命感に燃えていて、その様な行為に到っているのだと思います。スポーツ選手などもそうですね。あちこちに故障を抱えながらも、その競技が好きだから、という価値観なのだと思います。で、そういう価値観を認めるならば、それが自然科学的論理で根拠付けられるとは、そもそも言えないのではないでしょうか。

投稿: TAKESAN | 2007年1月27日 (土) 11:36

思いつき程度なので、こちらに。上のコメントにも関連するかも。

kikulogで、くまさん さんが(コメント105)出されているコメントについて。

栄養学的に好ましくないからといって、ある信念に基づいて偏った食生活をしている人達に対して、それは良くない、と言えるかどうか、という疑問が出てきます。

又、再現性が科学にとって重要だというのはその通りですが、それは決して、十分条件ではないと思います。厳密に概念を定義し、様々な条件をコントロールした状況下において再現性が認められなければ、科学とは言えないでしょう。

結局、「良い生き方」とは何ぞや、という問いに、収束するのではないでしょうか。

投稿: TAKESAN | 2007年1月28日 (日) 14:15

メモです。

・timさん(134)が、見事にまとめておられますね。思わず唸りました。

・言えるのは、自然科学的論理は、道徳を考える上での必要条件でも十分条件でも無い、という事です。

・「早起きは健康に良い」という話、ドラゴンさんは、あくまで仮定の話として出された訳ですが、この点について詳しく検討すると、早起きをする事が健康に良い/悪いとはっきり言える為には、相当「強い」根拠が必要とされます。つまり、健康というのは、日々の生活習慣の結果として変動するものであり、それには、極めて多数の変数が介在する訳ですから、「早起き」がその他の因子より遥かに強い影響を及ぼす、という事が見出されなければならない、という意味です。そして、水伝やゲーム脳は、その「強い」影響を、主張した訳ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年1月29日 (月) 14:13

メモ

・記号論的に。エティックな論理で、どこまでイーミックな論理を根拠づけられるか。たとえば、「良い歩き方」を、どう根拠づけるか。「そんな歩き方は駄目」と教える際に、何を説明の根拠に用いるか。

・躾は、社会に共通する規範意識を身に着けさせる事。子どもが、養育者の規範意識を映す鏡となる。子どもの行動は、養育者の「意識の程度」を推測するバロメータの様なものである。

投稿: TAKESAN | 2007年1月30日 (火) 13:59

とりさんのご意見に、凄まじい違和感を覚えるのですが、それを上手く言語化出来ないですね。

能力そのものを見る事をせず、それを推測するに過ぎない指標を以って人事等に用いる事が、おかしい気がします。血液型は、学歴等とは本質的に違いますよね。経験に依存しない(させようが無い)因子ですから。

とりさんの論理でいくと、姓名によって、能力に有意差が認められれば、それを人事の根拠にするのは妥当だ、という事になりますね。単に帰無仮説が棄却されただけでは、そんな論理は通らないと思いますが。

何でしょう。色々異なる次元の問題を、ごっちゃにしてしまっている感じですね。

差別とは何か、という、根本的な問いも出てきますね。

投稿: TAKESAN | 2007年2月 2日 (金) 21:34

僕自身も、とりさんのご意見には、最初からかなりの違和感を感じております。でも、何かストレートでなくて、うまく捕えきれていない感じです。
「とりさん」=「うまさん」のような気がするのですが、気のせいでしょうか。行間から同じような「波動」(笑)を感じます。
とりさんは議論に対して、なんの目的もないのではないでしょうか。
再び、徒労に終わるような気がします。

投稿: corvo | 2007年2月 3日 (土) 00:48

corvoさん、今晩は。

 >何かストレートでなくて、うまく捕え
 >きれていない感じです。
多分、差別に関わる根本的な問題だから、というのもあるでしょうね。とりさんのご意見は、それは全然違う、とは言い切れない、複雑なものですね。ただ、血液型性格判断が正しければ、という仮定が妥当ではない、という感じはします。

 >「とりさん」=「うまさん」のよう
 >な気がするのですが、気のせいでし
 >ょうか。
さすがにこれは、違うかと(笑) 断言は出来ませんが。でも、あの議論の持っていきかたは、何だかなあ、と思います。

差別には、差が無いのにあると看做してしまう、というのと(つまり、科学的論理を知らなくても差別になる)、差を認識して、それを根拠に見下す、というのがある気がします。上手く言えませんが。

投稿: TAKESAN | 2007年2月 3日 (土) 01:29

私は、血液型性格判断に根拠があっても、それを選別の指標にする事は、明確に、差別だと考えています。職業に直接関連する能力を判定する試験や、対話によって人格を推定する面接等だけで、判定するべきです。個人差というものを考慮しなければ、駄目だと思います。

投稿: TAKESAN | 2007年2月 3日 (土) 01:36

走り書きです。

何か、凄くシンプルな事を見逃していた気がしました。

血液型性格判断が正しかったとしても、人事で参考にされているのはそもそも「性格」な訳ですから、性格検査なりをして、参考にすれば良いのだと思います。性格自体は、構成概念なのですから。

投稿: TAKESAN | 2007年2月 3日 (土) 01:52

corvoさんへ。

どうやら、同一人物だった様です…。

多分、「それっぽいな」というのは、皆さん感じておられたのだと思いますが、まさか、前回から間を置かずに、ああいう書き込みをするとは、思いませんでしたねえ。corvoさん、鋭かったですね。

実は、うまさんと とりさんの文体を比較して、同じ人かを確かめようとしたのですが、そもそもうまさんの文体が、不統一だったのですよね。

投稿: TAKESAN | 2007年2月 3日 (土) 20:21

どうやら確定のようですね。
ハンドルネームがひらがな二文字で似ていたことと、とりとめのない論旨、行間の波動(笑)から判断しました。
文体はどこからどこまでがコメントの引用か分かりににくい書き方ですし、そもそも人に分かってもらおうという意志が感じられませんよね。
これからも、またどこかに出没しそうですね。

投稿: corvo | 2007年2月 3日 (土) 20:35

corvoさん、今晩は。

 >どうやら確定のようですね。
きくちさんの事だから、アクセスログはチェック済みだと思っていて、それで何も仰らなかったという事は、別人なのかな、と思ってました(笑)

うまさんは、一部では有名な方みたいですね。「夫馬」というHNは、以前某ブログでみかけた事があります。

しかし、一人何役も演じて、めんどくさい人ですねえ。一体、何が楽しいんだか。

投稿: TAKESAN | 2007年2月 3日 (土) 23:04

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