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2007年1月13日 (土)

信じるのは構わないかも知れないけれど

煩悩是道場 - 科学的根拠が無いものを信じてはならないのか

効果の有無と科学的な証明には相関関係が無いと思うのです。

ここの意味が、今一つ解らないです。何で、相関関係が無いのでしょう。

占いを公的機関として放映するのが適切ではないとするならば、報道やドキュメンタリー以外の一体どれ程の番組が残るのでしょう。

これは結構、難しい話ですよね。考えには、かなりバラツキがあるのではないかと。

占いにせよ疑似科学にせよ「それが本当かどうか」ということに対して疑いを持つかどうかということと、実際にそれがどのような効果をもたらすかということは別の議論なのではないですかね。

ここで「疑似科学」って、ニセ科学の事ですよね。何故、占いに「せよ」疑似科学にせよ、と、同列に扱われているのでしょう。「それが本当かどうか」と「どのような効果をもたらすか」の比較が、ちょっと解らないです。ニセ科学は、そもそも、科学だと言い張っている説の事ですが、混同してませんか。

疑似科学的なものを信じる信じないも個人の自由じゃないんですかね。それじゃ駄目なんですかね。

やっぱり、占いとかとニセ科学を、混同してる気が(そもそも匿名ダイアリーの方も。オーラとか占いは、ニセ科学では無いですし。区別出来ていない、という意味では無いです)。タイトルが、「科学的根拠が無いものを信じてはならないのか」ですし。ちゃんと切り分けた方が良いのでは。で、ニセ科学というのは、信じる事によって、科学への誤解を生んだり、教育上問題が起こったりする、というのが考えられます。それと、「信じる」問題とは別に、「信じさせる」問題がある訳で。信じさせる為に「科学らしさ」を主張する(顕在的にしろ潜在的にしろ)という所を、科学者は批判しているのですよね。科学的根拠が無いものを信じるのは、別に構わないと思いますが、ニセ科学は、科学的根拠が見出されていないのに、見出されたと信じさせようとしている訳ですから、それは、とても問題です。

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コメント

公的な機関が占いをやることは
別の問題ですね。
テレビははどうあるべきか
という話ですからね。

自分が信じること信じたいことと
それが実際にあるかどうかという話を
混同してる人は多いですね。
また何かを信じるにいたる
その経緯が問題なんですけどね。

投稿: tori | 2007年1月13日 (土) 17:46

toriさん、今日は。

 >公的な機関が占いをやることは
 >別の問題ですね。
そうですね。これは難しい問題だと思います。私自身は、今の所、朝の番組等で占いを流すくらいは、特に構わないと考えています。とは言え、程度問題ですね。占い師に、政治問題とか、いじめ等のデリケートな社会問題を好き勝手に語らせたりするのは、個人的には頂けないです。はっきり「こうすべきだ」という答えは持っていない、という感じでしょうか。

占い等を扱う事と、ニセ科学を喧伝する事とを、混同している人は、結構いるのではないかと思います。だから、ちゃんと切り分けないといけませんね。

投稿: TAKESAN | 2007年1月13日 (土) 18:01

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