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2007年1月に作成された記事

展望

適当に考えてみました。

「ゲームの進歩」、というのを想像してみると、それは、大きく、高画質化・高音質化、そして、入力デバイスの形態の変化、に分けられると思います。この内、画質と音質については、想像がつき易い所です。グラフィック面では、フォトリアリスティックなものが追求され、より精緻になっていくでしょうし、音質は、オーディオ技術の発展を、そのまま取り入れていくでしょう。それは、一つの方向性ですね。では、入力形態はどうなるでしょう。現在は、Wiiが、赤外線ポインタと加速度センサーをリモコンに組み込み、二つのリモコンを同時に操作するという、新しいゲームスタイルの可能性を拓きました(それを標準デバイスとした点が大きい)。この先は、どの様な展開が考えられるでしょう。もしかしたら、現在バイオメカニクス研究や3DCG制作で用いられているレベルのモーションキャプチャが安価になり、ゲーム用のデバイスとして採用されるかも知れません(場所の問題あり)。フォースプレート(圧力板)を用いて、荷重を入力信号とするものが、現れるかも知れません(より精緻なものが、という意味です)。その様な入力機器と、それらからの信号を充分に処理出来るハードウェアが安価で供給されれば、極めて多様な情報を入力出来るゲームが、誕生する事になります。

こういった事を踏まえると、ゲームの進歩というのは、近い内に、「行き着く」と考えられます。そうなると、私達は、「ゲーム」に、何を求めるでしょうか。私達は、少なからず、ゲームに対して、「技術の進歩の反映」を期待する所があると思います。ある程度先が見えた所で、皆がゲームに「飽きる」か、それとも、ある時点で、メディアとして完成形と看做されて、安定した状態になるか。或いは、徹底的に人工現実を求めていくのか。

果たして、どうなっていくのでしょうね。結局、売れなければ話になりませんから、ユーザーが何を求めるかというのが、大きく関わってくるでしょうね。現在大学で研究されている様なVR(AR)技術が、ゲームに取り入れられたとして、それを受け容れるかどうかは、よく判らない所ではあります。

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原点

Interdisciplinary: 自己中心の続き。

大友氏の著書を書店で見つけたので、ゲームに言及した部分(携帯電話等のメディアにも言及)と、他に数ページだけですが、読んでみました。こちらの著書です↓

ぼけになりやすい人、なりにくい人 Book ぼけになりやすい人、なりにくい人

著者:大友 英一
販売元:栄光出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ゲームについて書かれた部分を、要約します。引用では無いので、詳細は、原典をご確認下さい。

  • 認知症例は、β波が消失する。
  • 森昭雄氏から、ゲームをやる人のβ波が低下するという、連絡があった。
  • 調べた結果、ゲームをやる人は、β波が低下する事が判明した。又、それは、ゲーム時間に比例する事も判った。
  • この事から、ゲームをする子どもは、何も考えずに、手を反射的に動かしていると、明らかになった。
  • アルツハイマー病に、子どもの頃のゲーム体験が一役買っているのかも知れない(記憶が曖昧です)。

他の部分は読んでいませんので、全体としての内容(医学的な部分の)が、どの程度妥当なのかは判りませんが、いわゆる若者たたき的な表現が、いくつか見られました。ご紹介したエッセイと、似たようなものです。後は、少年犯罪が増えている、という、お決まりの内容ですね。

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メモ:身体意識仮説の検討

  • 身体意識、即ち「体性感覚的意識」の定義:(狭義には)体性感覚によって構成される意識系(詳しくは、高岡英夫氏の著書を参照の事)。高岡によれば、意識は、視覚意識・聴覚意識(併せて「視聴覚意識」)・体性感覚的意識に分類される。
  • 高岡は、身体意識を発見し、論理構造を解明した、と主張するが、それは妥当か。解明とは、どのレベルでの意味か、という事を考える。高岡は、著書によって、身体意識論が「仮説」である事を、明言している。これは押さえておくべきである。「(前略)しかしながら自然科学的物質科学の立場からは、身体意識が意識であるからには、それはそういうものがあると究極的には仮定されるに過ぎない。言葉の正確な意味で推論である。その仮定や推論が真理という評価を得るには、これは歴史の進歩を待つしかない。」(DSが解く達人のメカニズム―現代武術8つの極意 P223)、”(前略)ただ厳密科学的に言えば、身体意識というものが存在するというのは推測の域を出ていません。これは仕方が無いことです。私も科学者の端くれですから「身体意識は存在するに決まっているだろう。分からない奴には分からないんだ。」と言うつもりはまったくありません。”(格闘マガジンK Vol.6 P77)※高岡氏は、いわゆる疑似科学的な、意識がダイレクトに対象に伝わる、とか、時空間を超える、等の主張をされていますが、私は、明確に言って、その立場には反対です。身体意識は、概念としてとても重要ですが、それは、心理学や認知科学によって解明すべき対象であると考えます。
  • そもそも、身体意識がある、と、断言出来るか。出来るとすれば、それはどの様な根拠に拠るか。断言出来なくとも、心概念等と同等の位置づけを行う事は出来るか。感覚や知覚現象を認めれば、身体意識も認めて良さそうではある。
  • 身体意識が幾何学的構造(ストラクチャ)を持っており、その構造に規定されて身体運動が発現する、という論理はどの様に論証するか。他の、クオリティとモビリティは、どう論証するか。
  • 心理学的にはどの様に説明されるか。感覚や知覚との関連はどうか。身体図式や身体像とはどう関連するか。認知科学的に説明出来るか。※ググったり論文検索をすると判りますが、「身体意識」という概念自体は、結構用いられている様です。ただ、高岡氏の定義に従っているものは、見た事が無いです。因みに、身体意識が現在の定義で用いられるようになったのは、『意識のかたち―現代に甦る天才の秘密 』辺りです。それ以前は、身体意識も「ディレクト・システム」も、多義的に用いられています(現在の定義から導出される機能が、とでも言うべきでしょうか。「ディレクター」が言語装置として用いられている所もあり、少々曖昧です)。
  • かなり長いですが、引用します(『秘伝』誌連載:『極意の世界はこうなっている 第四章 身体意識とは何か 一、身体意識発見の経緯』参照)。

高岡 人間の感覚には、医学・生理学的概念として、視覚器と聴覚器と、それから味覚器なども含めた体性感覚器というものがあるわけです。そして、それぞれの感覚器から得られる原情報を基にして、それぞれ特有な意識系というものが生まれるわけなのですが、それに私は「視覚意識」「聴覚意識」それから「体性感覚的意識」という3つの意識系を定義付けしたわけです。それで、この3つの意識系は、それぞれ特有の構造と働きを持っています。これについての細かい話は今は抜きにして、そのうちの「体性感覚的意識」、つまり体性感覚から得られる情報を基にして得られる意識系が「身体意識」であるということなんですね。 だから身体意識というものは体性感覚情報を基に成立している意識系のことであるということです。だからそれに近い言葉で皆さんが日常的に使っているのが、「身体の感じ」とか「身体感覚」とかね。そういうものは、学問的概念とはいえないけれども、私が定義した身体意識に近いものと言っていいでしょう。

――「身体感覚」というものと、ここで定義された「身体意識」というものの違いについてもう少しお話いただけますか。

高岡 まず、もし「身体感覚」という言葉で、私が言っている身体意識の概念を表そうとしたならば、はっきりと間違いであると言えるでしょう。感覚というのは、各感覚受容器の発する原情報でしかないわけですよ。それを人間の脳で情報処理することによって、初めて人間に何らかの影響を与えるものになっていくわけです。その結果生まれるものが私が言う身体意識であるわけですから、受容器から生まれる原情報である感覚と身体という言葉を結びつけて、身体感覚という言葉で身体意識を表そうとすることは学問的には、明らかに間違いですね。それで、現実には身体感覚とか、身体の中の感じとかね、場合によってはボディーイメージとかね、そういった言葉で私が定義した身体意識の概念に近いものを表そうとしている人はいますね。それは現在かなり各分野で見られるようになってきましたが、言葉の選び方としてはやはり無理があると言えるでしょうね。

――そこで大事なのは、「意識」ということになるわけですね。

高岡 そうです。単なる感覚ではなくてね。だからこれは生理学・心理学的に極めてきちんと押さえていかなければならないところですね。単なる感覚ではないんですよ、私が発見したものは。私が見つけた概念というものを言葉で、つまり体性感覚的意識というものを短い言葉で表現しようとしたら、「身体意識」か「体性意識」しかないと思いますね。日本語では。

感覚と知覚の区別とか、認知との関連等は、難しい問題だと思います。無意識をどう扱うか、という点もありますし。因みに、この後には、体性感覚的意識の普遍性を論ずる文章が続きます。言語にも身体意識がある、の様に(なので、体性感覚「的」意識)。ここまで来ると、評価が分かれるでしょうね。上にも書いた様に、私は、それは認められないです。疑似(ニセとまでは言えない。一応、自身で、仮説と主張しているから)科学に通ずるものがあります。

しかし、こんな文章を書いて、一体誰が読むんだろう、と思ったり…。

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足元を照らす

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 味噌ダイエットでも発言でたらめ引用…あるある大事典

思うのですが。

他人が過ちを犯した事が判明した際、それを批判するのは当然ですが、共に、「果たして自分達はどうだろうか」と自省するのも必要だと思います。それをやっているのだろうか、と、疑問を持ってしまいます。

何か、「捏造だから問題だった」、から、「捏造で無ければ問題無い」という論理が通りそうで怖い。

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何の役に立つんだ

学校の勉強が、何の役に立つかと問われれば。

「自分で調べれば?」

学校の勉強なんて何の役にも立たない、と言われたら。

「ふうん、勉強してないのに、よくそんな事判るね。」

何で勉強しているのかと、問われれば。

「面白いから。」←勉強していない人では、使えない。

そもそも何故、そういう質問が出るのか。

------------------

実際、もし、身近の子どもに、「何で勉強しなくちゃならないの?」と聞かれたとすれば、「面白い」というのを、先ず言うと思います。後は、子どもが好きな物に絡めて説明するでしょうか。ゲーム好きなら、どういう仕組みでCGが出来ているか、とか、テレビなら、どうやって映像・音声信号をやり取りしているか、とか。考えさせる、という事ですよね。「何でテレビが映るか知ってる?」と。「真面目」に「何の役に立つか解らない」と考えている子どもは、「ああ、そうだったのか。」と、深く納得するかも知れません。勉強嫌いの子は、別に、単なる怠け者では無いのですから。

一番嫌なのは、何かの役には立つだろうから、取り敢えずやっときなさい、という答えですね。そういう答えられ方をすると、子どもは思うのです。結局ちゃんと答えられないんだな、とか、こっちの事を、ちゃんと考えていないんだ、とか。因みに、(あくまで個人的な意見ですが)、「受験に役立つから」というのは、余りよろしくない答えだと思っています。

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自己中心

2ちゃんねる(誰だよ"ゲーム脳"とか意味不明な事言った野郎は)経由で⇒リレーエッセイ13 大友英一(後でゲームリンク集に追加します)

中でもゲームが有害であることを繰り返し声を大にして主張していきたいと思う。テレビゲームをやる子供の脳は、異常に気づかれた日大文学部森昭雄教授が私と二人で痴呆老人の脳波とテレビゲームをやる子供の脳波の比較を行ったところ、子供の脳波が痴呆老人のそれに似ており、ゲームをやる時間に比例してより近づくことを確かめたのである。大人も子供も夢中にさせる麻薬のようなゲームというものは、勉強、読書の妨げとなるのは確実。まず学校で禁止すべきである。

 最近脳血管障害がアルツハイマー病の発現に関与する可能性を示す論文発表が海外で行われている。また最近の調査では10数年前に比し、30才代の人々の動脈硬化が増強している由。これは脳血管障害の増加につながることである。

  21世紀最大の課題は老年痴呆症の抑制である。その予防の為に脳の老化を抑える(遅くする)ことが必要となってくる。

 自分の世界に閉じ込もり、周囲への気配りを忘れさせるゲームは、痴呆予防の大敵であると喧伝したいのである。

喧伝したいそうです。というか、共同研究者なのですね(CiNii - 脳波による痴呆の解析)。「森昭雄教授が私と二人で痴呆老人の脳波とテレビゲームをやる子供の脳波の比較を行った」と、はっきり書いています。尚、近著でも、ゲーム脳説を支持する意見を書いているとの事(※私はソース未確認です)。

他にも、自己の価値観を押し付ける意見に満ち満ちています。

引用して批判しようかと思いましたが、全体的に酷いので、やめます。要するに、この方は、「自分が不快だと思う事を社会全体がやらない」のがマナーだと思っておられるのでしょうね。それは、冒頭で引用されている、

マナーとは、周りの他人を不快にさせないための気配りである。(引用者註:強調ははずしました)

の、捻じ曲がった解釈です。

自分が嫌いだと思っている行動をしている人が増えている様に見えたからといって、マナーが悪くなったとか、羞恥心が消失した等とは、言えないのです。本当にそれを確かめたいのなら、大規模な、心理学的研究なりをすべきでしょう。

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新星現る

若槻千夏のブログ『マーボー豆腐は飲み物です』 Powered by アメブロ

面白い文章ですね。ぶっきらぼうな様で丁寧。一つの文が短く、独特の調子。

しかし、更新頻度が高いですね。激烈に忙しいでしょうに。

スパム到来は必至なので、TB閉じます。

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心理統計

fprでの議論を勝手にまとめるページ京都大学大学院の中西政志氏のページ

メーリングリスト、fpr(心理学研究の基礎)の、心理統計に関するログを纏めたものです。非常に参考になります。専門的過ぎて、よく解らない所もあるのですが…。

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科学リテラシー

科学の方法トピック:人間の誤りやすさについて関西大学の雨宮俊彦氏のページより)

解り易く纏められていて、参考になると思います。

ところで、「科学の方法」といえば…

Book 科学の方法

著者:中谷 宇吉郎
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

以前持っていたのに、引越しする際に処分するという、暴挙をしでかしました。ブッコフ辺りにある筈なので、買って再読しよう。

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気になるニュース

残虐ゲーム:ローマ法王が非難、規制運動に拍車-IT:MSN毎日インタラクティブ

早速、色々反応が上がっていますね。

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境界

The S.O.U.P. Book The S.O.U.P.

著者:川端 裕人
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

The S.O.U.P. Book The S.O.U.P.

著者:川端 裕人
販売元:角川書店
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いやあ、めちゃくちゃ面白かったです。

実は、川端さんの作品読むの、初めてなんですよね。ブログにはたまにお邪魔するのですが、きっかけは、あの講演会騒ぎでしたからね。

ともかく、お薦めです。

---------------------

余談。個人的な考えです。

ネット上でも、「書評」は、沢山目にしますよね。確か、森博嗣さんも書かれていたのですが、「作品の悪い所」を挙げているのって、何の意味があるのでしょうね。自分が嫌いだと思った作品の欠点を論って、どうするのだろう、と。学術書じゃあるまいし。

え、じゃあ「書評を読むな」って? そりゃそうですね。

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自然主義的誤謬

Interdisciplinary: もやもやに追記。

kikulogの議論を読んでいて、「道徳やしつけの根拠を自然科学に求めるべきでは無い」という事について、色々考えていたのですが、やはり、とても難しい問題です。それこそ、道徳哲学や倫理学で長年論じられてきている問いの訳ですから、そう簡単に答えられるものではありません。私には、それらに関する知識が、余りに不足しています。

それを踏まえた上で、現時点での個人的な考えを言うと、ゲーム脳にしろ水伝にしろ、現にある規範や、自分が良いと思っている事を正当化する為に、自然科学的論理を、いわば「でっち上げ」ようとしている訳ですから、それは明らかに問題です。では、仮に(仮に、です)、ゲームをやれば脳が機能低下する、という事実が見出されたとして、それを根拠に「ゲームをすべきで無い」と主張するならば、それは、「道徳やしつけの根拠を自然科学に求めた」事になるのか、という疑問も湧いてきます。ただ、それは、きくちさんが仰る話とは、少し次元が異なるのではないかという気もします。規範を正当化する為に自然科学的論理を探そうとするのと、自然科学の知見を基に規範を組み立てる事とを、区別すべきなのかも知れません。

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メモ:ゲーム脳仮説の検討

既に論破されている所についても、敢えて書いておきます。走り書きですので、重複等、不充分な所もあると思います(相当読みにくいです)。論理的な不備等あれば、ご指摘頂ければありがたいです。

  • そもそも「ゲーム脳説が妥当」と言える為には、どの様な条件を満たせば良いか。
  • ゲーム脳は定義されているか。明確な定義が無ければ、反証が難しい。著作に書かれている内容を分析して、それを部分的に検証する事しか出来ない。だから、「ゲーム脳が無いと証明された訳では無い」という反論が出る。
  • 森氏は、ゲームプレイ中に認知症と同様の脳活動が見出されると主張しているが、それは妥当か。妥当であるとして、それは、認知症に特有のものか。即ち、認知症を高い精度で診断出来る程の信頼性があるのかどうか。※この部分を、「ゲーム脳」とするのが妥当でしょうね。であれば、反証は容易いです。ただ、森氏は、明確に定義してはいませんね。
  • 森氏は、もの忘れが激しい、とか、無気力とか、そういう「印象」を語っているが、本来これらは、心理学的に測定すべきものである。心理学的根拠の無い主観的評価や単なる自己申告に基づいて論を展開するのは飛躍であり、極めて不当である。
  • 森氏の主張は、極めて「強い」ものである。即ち、「ゲーム」をすれば、脳のある部分の機能が低下する、という主張。「ゲーム」には、全て、もしくは大部分という意味が含まれている。そうで無ければ、ゲーム一般に成り立つという前提が崩れるので、ゲームソフトによってまちまち、という事になり、主張が弱まってしまう。であれば、ゲーム一般に共通する論理を考察すべきである。そして、条件を統制し、実験的に、「ゲームに共通する部分」の影響を確かめるべきであろう。その場合は、条件を統制した為に、そもそも「日常生活でゲームをする」という状況とはかけ離れてしまう可能性(一般化可能性があるかどうか)がある事を、念頭におくべきである。勿論、森氏の主張は強いものであるから、どんな状況でも、どんなゲームをやっても、脳の機能低下が認められねばならない、という考え方も出来る。
  • 森氏は、全身運動の効用を語り、ゲームと対比している。しかし、全身運動が生理・心理学的に有用であるとしても、その他の文化を批判する論拠にはならない。文化には、それぞれ様々な特性があるのだから、安易に効用の面で分類すべきでは無い。※発達心理学等の知見を踏まえても、小さい内に、色々な体験をさせるのは、重要なのだと思います。ゲーム脳を批判する人は、必ずしも運動の効用を否定しないのです。余談ですが、「運動」と一言で済ますのも問題です。どの様な運動が効果的か、という視点もありますので。現代の体育教育は妥当か、とかも。個人的な意見を言うと、身体運動は、圧倒的に重要だと考えています。身体と脳は、相互作用している訳ですから。
  • そもそも、「前頭前野の機能低下」とは、いかなる現象を指すのか。それは、神経科学的に妥当なのか。学者のコンセンサスを得ているものなのか。それは、ブレイン・イメージング研究だけで判断出来るものなのか。心理学的測定によっても検証されるべきか。※脳画像だけ見て、その人の心理特性を云々する神経科学者なんて、いないとは思います。そもそも森氏は、運動生理学が専門ですし。
  • 森氏は、「キレる」事とゲームとの関連も指摘している。ここで考えなければならないのは、「キレる」とはいかなる現象か。それは定量化出来るか。定義したとして、それは以前と較べて増えているのか。それとゲームの関係を、どう論証するか。※マクロな視点で見ると、犯罪統計とゲームの普及との関係を統計解析すれば、ある程度の事は言えるのではないかと思います。ところで、「キレる」を、少年犯罪の推移等と絡めて論ずる人がいますが、「キレる」って、独特の言葉ですよね。
  • 森氏は、一部例外のソフト(ダンスゲームやRPG ※RPGは、恐らく『バイオハザード』と思われます。多くの人は、あの記述を読んだ時点で、森氏の無知さを確信したはずです)のプレイ中には、脳波が「ゲーム脳」状態では無いとしているが、それは殆ど無視して(理由をこじつけて)しまっている。これは不当である。
  • 前頭前野があまり活性化しないという事が見出されたとして、それは問題であるのか。つまり、「そうなってはいけない」のか。※川島隆太氏か誰かが仰っていました。いつも活性化していたら、疲れてしまう、と。それを踏まえて、ゲームにはリラックス効果があるから良い、と言った訳ですが、それも、どこまで一般化出来るか、という疑問はあります。そういえば、脳トレ系が脳に効く事が判った、という研究を、最近見かけた気が。

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あいたたた

夕食のおかずを作っていて、出来上がったら、考えられない大失敗作に。

で、食べられない程酷かったので、捨てようと思ったら、皿が熱くて、思わず床に中身を落としてしまい…。

大体、今更、野菜に火が通っていないって…。何年料理やってるんだ、って感じ…。

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心得

最も基本的に心得ておくべき事は、

  • 世の中は単純に出来ていない。
  • 世の中には平気で嘘をつく人がいる。←穏当な表現にすると、「世の中、正直者ばかりでは無い」、といった所でしょうか。

だと思うのですよね。結局、何事も疑ってかかれ、という意味ですね。誤った情報を掴まされた事が判明したら、自身の浅はかさを恥じるくらいの方が良いと思います(だました側を批判するのは、勿論当たり前ですが、それだけではいけないかと)。

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科学哲学入門

科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる Book 科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる

著者:戸田山 和久
販売元:日本放送出版協会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

図書館で借りて既読だったのですが、ブッコフにあったので、即タダで(ポイント使って)手に入れました。しかも美品! ブッコフ最高。

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楽しみ

Doblog - さまき隊的科学と環境と仕事と遊び -:『水はなんにも知らないよ』(帯に、「徹底検証・ニセ科学にダマされるな!」)執筆中!

これは読まねばなりませんね。

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人のふり見て

「あるある」捏造はなぜ:39.JosephYoiko January 23, 2007 @ 12:21am経由⇒理系白書ブログ: ないない大事典 別に、以前ゲーム脳を肯定的に紹介したという事実のみで、他を批判してはいけない、というつもりはありません(元村氏を批判する方も、そう考えておられると思います)。しかし、何か、納得がいかない感じもします。 こういう書き方を見ると⇒

あるある大事典の過去の内容は大丈夫なんだろうか?そこに登場する科学者、医者のみなさんは本物だろうか?と思うのは私だけじゃないと思う。ちゃんと検証してもらいたい。

余り品が宜しく無いかも知れませんが、元村氏のコメント(1月21日 18:21 )にツッコミを入れます(一部を省略。原文は、リンク先をご参照下さい)。

「簡単に乗せられる消費者も、行動を見直したほうがいい」と思う気持ちもありますが、3パック100円の納豆で3キロやせる、と言われたら、試したくなるのが人情ってやつでしょうかね。新聞で、「ゲームをやり過ぎると脳波が認知症の人と同様になる」という説が紹介されているのを読んだら、ゲームを忌避するのが人情、という事でしょうか。

だからやっぱり、製作側の倫理観が一番重要だと思っています。←全くそう思います。新聞においても同様でしょう。

昨夕、一報を聞いて偶然、この事件を思い出しました←最も初期に、ゲーム脳を紹介した新聞記事を思い出しました。

あの時は大きな騒ぎにならないのが不思議で←「騒ぎ」という訳ではありませんが、その後森氏は、精力的に、講演等を行っておられる様です。影響という点では、大きなものだと思います。

「民放だったらこれぐらいやると思う人が多いのかな」と思ったのですが、「再犯」だったわけ。←ほう…。

放映後の騒ぎぶりも、ばれた後の騒がれぶりも、やはり視聴率に比例する?←この書き方は、とても嫌な感じがします。何でしょうね、一体。

そうそう、話は替わって、コメント欄で、「日本人は影響され易い。ミーハーだ」、「日本人が特にミーハーなのか?」というやり取りがありますが、日本人がミーハーだ、と言うのは、必ずしも、他の国の人のリテラシーが高い、と言っている訳では無いのですよね。勿論、そういう意味を含める事はありますが、それは、書き手側の認識の問題ですね。

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不具合

ただいま、ココログフリーが、大変不安定であります。

コメント投稿時に、エラーが起こる場合があるので、文面をコピーしておいた方が良いと思います。手数をお掛けします。

しかし、使っていて、メンテナンス直後の不具合があっても、「あ、またか。」程度しか思わないのも、何とも…。ココログユーザーの方は、結構、そんな感じなんじゃないかなあ…。

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追記:削除したコメント内容

ただいま、ココログフリーが、大変不安定であります。

コメント投稿時に、エラーが起こる場合があるので、文面をコピーしておいた方が良いと思います。手数をお掛けします。

しかし、メンテナンス直後の不具合があっても、「あ、またか。」程度しか思わないのも、何とも…。ココログユーザーの方は、そんな感じなんじゃないかなあ…。

投稿 TAKESAN | 2007/01/22 19:35:04

上のコメント、エントリーがアップできなかったと思って、本文をコピーしたものです。

まだ不具合があるみたいで、アクセスできないです。明日分のエントリーも書けない…。

ただいま二重投稿がされていたりしてお見苦しいですが、復旧したら、綺麗にします。

上のと、このコメントも、後で削除します。

投稿 TAKESAN | 2007/01/22 23:56:34

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術語

 近年,人間観を揺さぶるような不可解な行動が報じられることが多いが,そうなればますます「心理」を理解したいという気持ちが強まる。

 こうして,心理学ブームが続いている。出版される心理学書の数は増えているし,日頃マスメディアで流される話題も多い。

 しかし,このような「心理」への関心が「心理学」に対する一般の認識や理解に結びついているかとなると,疑問である。

 心理学の用語(学術語)の多くは,いわゆる日常語の転用である。だから,一見やさしく感じられるが,じつはそこに落とし穴があることに注意しなければならない。用語が日常使っているのと同じだったとしても,学術語となると厳密な定義に従って使用されている。それにもかかわらず日常語のもつ不明瞭さそのままに受け取ると,内容を正しく理解できないままに終わりかねない。(辻敬一郎・星薫 編著『心理学初歩』 放送大学教育振興会,2002 3ページ)

これは、よく心得ておかねばならない事だと思います。そうでないと、お互いに同じ語を使っていても、意味が共有出来ない、という事が起こります。そうすると、いつまでも議論が噛み合わなかったりします。文脈によっても、学術概念として用いるか、一般に広く使われている意味で用いるか、異なるでしょう。ここではどちらの意味で用いるべきか、相手はどちらの意味で使っているか、等を考えるべきでしょう。戦術として、自分が学術的な意味で用いていて、相手がそれを認識していない場合に、敢えてそのまま、コミュニケーションを進める場合がありますね。教育目的等で。

自分のよく知らない分野で、その道の専門家が議論しているのを読んだり聞いたりする場合には、日常的に使われている言葉が出てきても、それが学術的専門概念である可能性を、常に念頭に置いておくべきでしょう。

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実証て…

Yahoo!ニュース - ロイター - 米男性、新型ゲーム機「Wii」によるダイエット効果を実証

こんなのがニュースになるのが凄い(笑)

Wiiにダイエット効果がある事を実証、というより、Wiiによって、ある程度の身体運動が促される事の傍証、でしょう。

ゲームをよくやる人間の意見としては、やりこめばやりこむ程、「いかに無駄な動作を省くか」という事を考えるので、運動の量は減るでしょうね。そういう意味では、余りゲーム(の構造)に興味が無い人にやらせる方が、効果があるかも。

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怒りの声

番組ねつ造:「あるある」に消費者から怒り-今日の話題:MSN毎日インタラクティブ

思うのですが、

東京都江東区の大手スーパーで買い物していた団体職員の女性(41)は番組のねつ造を知り「今日も買いに来たんです。信じていたのに」と絶句した。以前は月に数回食べる程度だったが、番組で「1日2パックを毎日食べ続けて」と聞き、その通りにしていた。「でも体重が減らないからおかしいと思っていた」

 午後6時半ごろ納豆が完売した横浜市中区のスーパーで、最後の5パックをまとめ買いした同市磯子区の会社役員の男性(65)。放送を見た妻と娘が「毎日2パック食べなければいけない」と言い出し、会社帰りに毎日買いに行かされた。「いい迷惑。テレビ局はいいかげんにしてほしい」。怒りは収まらない。

こういうのを紹介するより、何を捏造したか、それがどれ程重大か、というのを、知らしめるべきだと思います。他のニュースで、あるのかも知れませんが。

やっぱり、情報を鵜呑みにする人がいるのですね。本当に信じたのか、という疑問もありますけれど。もし私が鵜呑みにして、捏造があったと知ったら、怒るとともに、自分の安易さを恥じます。

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コントラスト

Yahoo!スポーツ - ニュース - 西武「茶髪・ロン毛」に罰金100万円

Yahoo!スポーツ - ニュース - ミニスカ四元に世界が「グレ~ト」

あまりに対照的なので、笑ってしまいました。

「先生、質問です。」

「何?」

「どうして、髪を染めたり長くしたりしちゃいけないんですか?」

「うん、それはね、社会人として最低限必要な事だからだね。」

「いや、だから、何で、髪を染めたりするのが駄目なんですか?」

「ほら、問題を起こす奴を見て。髪染めたりしてるのが多いでしょ。」

「でも、そうでない人も、問題を起こす人はいると思いますけど。」

「だけど、目立つでしょ。そういう人の方が。」

「じゃあ、そういう人が髪を染めたりするのはどうしてなんですか?」

「それは、髪を染める事がいけないと知ってるから、わざとそうやってるんだよ。」

「じゃあ、髪を染めてもいい、ってした方がいいんじゃ? 髪の色と、やる事自体は、関係無いっていう事なんですよね?」

--------------

たとえ、染髪している人間と問題行動に正相関が見出されるとしても、それは単に、「髪を染めるのは良くない事だ」という合意があるからでしょう(未だにありますよね、多分)。幼稚な認識として、やってはいけない事をやる、という行動によって、自分をアピールするというのはあるでしょうから(←社会心理学的研究は無視しています。この手の分析は、数え切れない程あるでしょうし)。

勘違いして欲しく無いのですが、別に、どんな職業でも、身だしなみは全く自由にすべきだ、と言っている訳ではありません。そこに合理性(色々な次元での)があれば、それは考えられるべきでしょう。たとえば、力士は皆、長髪です。

個人的には、校則で、髪の長さや色についての制限は、設ける必要は無いと考えています。←反論あるだろうなあ…。

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酷過ぎる

SANSPO.COM > ニュース速報:納豆ダイエットで誇張 関西テレビ「発掘!あるある大事典II」

これは、「誇張」とは言わない。

流石にもう、これはどうしようもないでしょう。

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リメイク

シリーズ生誕20周年記念して、原点が蘇える! 『ファイナルファンタジー・アニバーサリーエディション(仮題)』 / ファミ通.com

シリーズ第2作もPSPで美しくなって復活!! 『ファイナルファンタジーII・アニバーサリーエディション(仮題)』 / ファミ通.com

初期のシリーズは、かなりバランスに難ありでしたが、そこらへんは、改善されると良いですね。いや、別に、やる訳では無いですが。

そういえば、IIだけクリアしてない気が…。アルテマの強さはどうなるのかな。

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電子図書館

イーブック・システムズ、FlipBookコンテンツを揃えた電子図書館「Flib」

これは良いですね。何が良いって、タダっていうのが(笑)

でもあれなんですよね。青空文庫とかも、いざ読もうと思うと、面倒なんですよね、PCの画面だと。電子ブックとか、安くなって、どんどん改良されて欲しいです。

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脳内補完

論座論評

一々取り上げるのは野暮だと言われそうですが。

論旨に余り関係無い事を付け加えて批難するのは、何なんでしょうね。

そもそも、何を批判したいのか、よく解らないです。

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虚無

finalventの日記 - こんなこと言うことじゃないけど、ま、ちょっこっと

自分も、完全に同じ思考だったりします。

こういう認識を持つ人間は、死について考えると、気がおかしくなってしまいそうになるのですよね。つまり、「無」の認識です。で、「これ以上考えるのはやばいな」という所があって、それより先にいかないように、コントロールする様になるのです。出来れば、気付きたく無かったのですが、仕方無いですねえ。

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D&S

ドコモの「ケータイDS」登場・W画面とタッチパネルで簡単操作 モバイル-最新ニュース:IT-PLUS

こ、これは…。

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実験案

不動産屋のラノベ読み - 宗教とニセ科学は峻別できる。 のコメント欄

Lhankor_Mhyさんの仰る反証案は(以前、kikulogでも、同じ様な案が出た気が)、江本氏の主張や価値観の曖昧さを論証する事は出来ても、水伝そのものの反証にはならないと思われます。そもそもbluesy-kさんは、水伝そのものが、テスト可能なかたちで客観的に記述する事が出来ない、と仰っている訳ですし。水伝は、「よい言葉」の影響を主張していますから、それを定量的に捉えるのは、言語の恣意性を踏まえると、不可能だと思います(可能だという主張があれば、教えて頂きたいです)。

思考実験として(そんな提案を、江本氏が受ける訳が無いので)――江本氏を被検者として、Lhankor_Mhyさん案の実験をした場合に、どの様な結果が導かれ、それに対して、江本氏や江本氏の支持者がどういう反応をするか、というのを考えるのは、興味深いと思います。

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ニセ科学教材

kikulogで、ニセ科学についての教材を作るという話が出ていますね。以前も、apjさんのブログで、そういう話が出ましたが、とても良い試みだと思います。

ドラゴンさんが書かれている様に、批判的にものを見る事が、大切だと思います。そして、それを醸成するには、批判や懐疑の精神が重要である事(論理的に語るのは、「理屈っぽい」とか、野暮だとか、そういうネガティブなイメージがある気がします)、批判は論理的に、冷静に行われなければならないという事を、教えるべきでしょうね。その為に、練習問題風の教材を作っておくのは、有意義ですね。

きくちさんが出された練習問題は、とても面白いものでした。私は、統計のテキストでは、大村平さんが書かれたものをよく読むのですが、そこにも、同じ様な例が載っていました(縦軸に国民総所得を取り、横軸に酒類消費量を取ってグラフを描くと、強い正相関が見られる。しかし、だからといって、皆が酒を飲めば、国民総所得が増えるという訳では無い。つまり、相関と因果の違いです)。確率・統計のテキスト等では、結構、こういう例を出すのはよく見ますね。身近な例を出して、科学的な考え方を学ばせる、というのは、良い方法だと思います。

学習科学の考えなんかも、参考になると思われます。「どの様にして学ぶか」という観点ですね。

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調べてから呼んでいるのかな

森昭雄氏の講演会についての情報です。

7635log | 森昭雄講演会情報

リヴァイアさん、日々のわざ: 町田市でゲーム脳講演

川端さんのブログで、森氏の書かれた論文等が紹介されていますが、CiNiiで調べても、色々出てきます。これだけゲーム脳について語ってるのか、という感じですよ。CiNii (NII論文情報ナビゲータ)で、「森昭雄」や「ゲーム脳」で検索してみて下さい。

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論理・科学・感覚

PSJ渋谷研究所X: 実のところ「ニセ科学問題」とはなにが問題なのか

仰る事に同意です。

ニセ科学的言説ってのは非論理的だというか論理的破綻がつきまとうというか不合理・非合理だというか、つまるところ「言ってることがメチャメチャ」なわけだ(部分的にであれ)。

ニセ科学は、部分的に整合性がある所が、厄介ですね。で、信じる人は、その部分に焦点を合わせて、他を無視してしまうのでしょうね。又、ニセ科学が対象にする文化に対して無知な場合、それへの分析を怠ってしまう事もあります。たとえば、ゲーム脳では、ジャンルの多様性や、ゲーム内での様々な展開があるのを知っていれば、なんかおかしいぞ、となる筈なのですが、それを知らない人は、鵜呑みにしてしまうという。そこに、元々「ゲームの時間を減らしたい」という願望があれば、そもそも、ゲームについて調べようなどという気にすらならないのでしょう。

それを「個人的信念」で留めておかない、あるいは教育の現場に持ち込む、あるいはマスメディアで普遍的事実であるかのように垂れ流すってのは、どう考えても問題ですよね(但し書きがあったって、そこに気づかない人がいっぱいいるのだけど、それはまた別の問題だろう)。

この、ニセ科学主唱者の「動機」の問題というのは、難しいですね。それが、計画的なのか、それとも確信的なのか。当然、どちらにしても、批判されてしかるべきですが。

一般に、「論理的でない」とか指摘すると「冷たい」と言われたり「理屈よりも重要なものがある」だのという反論がある。

これは、社会的認知の問題ですね。「論理より感覚を大切に」というのを、その内容も吟味せず