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2007年1月に作成された記事

2007年1月31日 (水)

展望

適当に考えてみました。

「ゲームの進歩」、というのを想像してみると、それは、大きく、高画質化・高音質化、そして、入力デバイスの形態の変化、に分けられると思います。この内、画質と音質については、想像がつき易い所です。グラフィック面では、フォトリアリスティックなものが追求され、より精緻になっていくでしょうし、音質は、オーディオ技術の発展を、そのまま取り入れていくでしょう。それは、一つの方向性ですね。では、入力形態はどうなるでしょう。現在は、Wiiが、赤外線ポインタと加速度センサーをリモコンに組み込み、二つのリモコンを同時に操作するという、新しいゲームスタイルの可能性を拓きました(それを標準デバイスとした点が大きい)。この先は、どの様な展開が考えられるでしょう。もしかしたら、現在バイオメカニクス研究や3DCG制作で用いられているレベルのモーションキャプチャが安価になり、ゲーム用のデバイスとして採用されるかも知れません(場所の問題あり)。フォースプレート(圧力板)を用いて、荷重を入力信号とするものが、現れるかも知れません(より精緻なものが、という意味です)。その様な入力機器と、それらからの信号を充分に処理出来るハードウェアが安価で供給されれば、極めて多様な情報を入力出来るゲームが、誕生する事になります。

こういった事を踏まえると、ゲームの進歩というのは、近い内に、「行き着く」と考えられます。そうなると、私達は、「ゲーム」に、何を求めるでしょうか。私達は、少なからず、ゲームに対して、「技術の進歩の反映」を期待する所があると思います。ある程度先が見えた所で、皆がゲームに「飽きる」か、それとも、ある時点で、メディアとして完成形と看做されて、安定した状態になるか。或いは、徹底的に人工現実を求めていくのか。

果たして、どうなっていくのでしょうね。結局、売れなければ話になりませんから、ユーザーが何を求めるかというのが、大きく関わってくるでしょうね。現在大学で研究されている様なVR(AR)技術が、ゲームに取り入れられたとして、それを受け容れるかどうかは、よく判らない所ではあります。

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2007年1月30日 (火)

原点

Interdisciplinary: 自己中心の続き。

大友氏の著書を書店で見つけたので、ゲームに言及した部分(携帯電話等のメディアにも言及)と、他に数ページだけですが、読んでみました。こちらの著書です↓

ぼけになりやすい人、なりにくい人 Book ぼけになりやすい人、なりにくい人

著者:大友 英一
販売元:栄光出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ゲームについて書かれた部分を、要約します。引用では無いので、詳細は、原典をご確認下さい。

  • 認知症例は、β波が消失する。
  • 森昭雄氏から、ゲームをやる人のβ波が低下するという、連絡があった。
  • 調べた結果、ゲームをやる人は、β波が低下する事が判明した。又、それは、ゲーム時間に比例する事も判った。
  • この事から、ゲームをする子どもは、何も考えずに、手を反射的に動かしていると、明らかになった。
  • アルツハイマー病に、子どもの頃のゲーム体験が一役買っているのかも知れない(記憶が曖昧です)。

他の部分は読んでいませんので、全体としての内容(医学的な部分の)が、どの程度妥当なのかは判りませんが、いわゆる若者たたき的な表現が、いくつか見られました。ご紹介したエッセイと、似たようなものです。後は、少年犯罪が増えている、という、お決まりの内容ですね。

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メモ:身体意識仮説の検討

  • 身体意識、即ち「体性感覚的意識」の定義:(狭義には)体性感覚によって構成される意識系(詳しくは、高岡英夫氏の著書を参照の事)。高岡によれば、意識は、視覚意識・聴覚意識(併せて「視聴覚意識」)・体性感覚的意識に分類される。
  • 高岡は、身体意識を発見し、論理構造を解明した、と主張するが、それは妥当か。解明とは、どのレベルでの意味か、という事を考える。高岡は、著書によって、身体意識論が「仮説」である事を、明言している。これは押さえておくべきである。「(前略)しかしながら自然科学的物質科学の立場からは、身体意識が意識であるからには、それはそういうものがあると究極的には仮定されるに過ぎない。言葉の正確な意味で推論である。その仮定や推論が真理という評価を得るには、これは歴史の進歩を待つしかない。」(DSが解く達人のメカニズム―現代武術8つの極意 P223)、”(前略)ただ厳密科学的に言えば、身体意識というものが存在するというのは推測の域を出ていません。これは仕方が無いことです。私も科学者の端くれですから「身体意識は存在するに決まっているだろう。分からない奴には分からないんだ。」と言うつもりはまったくありません。”(格闘マガジンK Vol.6 P77)※高岡氏は、いわゆる疑似科学的な、意識がダイレクトに対象に伝わる、とか、時空間を超える、等の主張をされていますが、私は、明確に言って、その立場には反対です。身体意識は、概念としてとても重要ですが、それは、心理学や認知科学によって解明すべき対象であると考えます。
  • そもそも、身体意識がある、と、断言出来るか。出来るとすれば、それはどの様な根拠に拠るか。断言出来なくとも、心概念等と同等の位置づけを行う事は出来るか。感覚や知覚現象を認めれば、身体意識も認めて良さそうではある。
  • 身体意識が幾何学的構造(ストラクチャ)を持っており、その構造に規定されて身体運動が発現する、という論理はどの様に論証するか。他の、クオリティとモビリティは、どう論証するか。
  • 心理学的にはどの様に説明されるか。感覚や知覚との関連はどうか。身体図式や身体像とはどう関連するか。認知科学的に説明出来るか。※ググったり論文検索をすると判りますが、「身体意識」という概念自体は、結構用いられている様です。ただ、高岡氏の定義に従っているものは、見た事が無いです。因みに、身体意識が現在の定義で用いられるようになったのは、『意識のかたち―現代に甦る天才の秘密 』辺りです。それ以前は、身体意識も「ディレクト・システム」も、多義的に用いられています(現在の定義から導出される機能が、とでも言うべきでしょうか。「ディレクター」が言語装置として用いられている所もあり、少々曖昧です)。
  • かなり長いですが、引用します(『秘伝』誌連載:『極意の世界はこうなっている 第四章 身体意識とは何か 一、身体意識発見の経緯』参照)。

高岡 人間の感覚には、医学・生理学的概念として、視覚器と聴覚器と、それから味覚器なども含めた体性感覚器というものがあるわけです。そして、それぞれの感覚器から得られる原情報を基にして、それぞれ特有な意識系というものが生まれるわけなのですが、それに私は「視覚意識」「聴覚意識」それから「体性感覚的意識」という3つの意識系を定義付けしたわけです。それで、この3つの意識系は、それぞれ特有の構造と働きを持っています。これについての細かい話は今は抜きにして、そのうちの「体性感覚的意識」、つまり体性感覚から得られる情報を基にして得られる意識系が「身体意識」であるということなんですね。 だから身体意識というものは体性感覚情報を基に成立している意識系のことであるということです。だからそれに近い言葉で皆さんが日常的に使っているのが、「身体の感じ」とか「身体感覚」とかね。そういうものは、学問的概念とはいえないけれども、私が定義した身体意識に近いものと言っていいでしょう。

――「身体感覚」というものと、ここで定義された「身体意識」というものの違いについてもう少しお話いただけますか。

高岡 まず、もし「身体感覚」という言葉で、私が言っている身体意識の概念を表そうとしたならば、はっきりと間違いであると言えるでしょう。感覚というのは、各感覚受容器の発する原情報でしかないわけですよ。それを人間の脳で情報処理することによって、初めて人間に何らかの影響を与えるものになっていくわけです。その結果生まれるものが私が言う身体意識であるわけですから、受容器から生まれる原情報である感覚と身体という言葉を結びつけて、身体感覚という言葉で身体意識を表そうとすることは学問的には、明らかに間違いですね。それで、現実には身体感覚とか、身体の中の感じとかね、場合によってはボディーイメージとかね、そういった言葉で私が定義した身体意識の概念に近いものを表そうとしている人はいますね。それは現在かなり各分野で見られるようになってきましたが、言葉の選び方としてはやはり無理があると言えるでしょうね。

――そこで大事なのは、「意識」ということになるわけですね。

高岡 そうです。単なる感覚ではなくてね。だからこれは生理学・心理学的に極めてきちんと押さえていかなければならないところですね。単なる感覚ではないんですよ、私が発見したものは。私が見つけた概念というものを言葉で、つまり体性感覚的意識というものを短い言葉で表現しようとしたら、「身体意識」か「体性意識」しかないと思いますね。日本語では。

感覚と知覚の区別とか、認知との関連等は、難しい問題だと思います。無意識をどう扱うか、という点もありますし。因みに、この後には、体性感覚的意識の普遍性を論ずる文章が続きます。言語にも身体意識がある、の様に(なので、体性感覚「的」意識)。ここまで来ると、評価が分かれるでしょうね。上にも書いた様に、私は、それは認められないです。疑似(ニセとまでは言えない。一応、自身で、仮説と主張しているから)科学に通ずるものがあります。

しかし、こんな文章を書いて、一体誰が読むんだろう、と思ったり…。

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足元を照らす

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 味噌ダイエットでも発言でたらめ引用…あるある大事典

思うのですが。

他人が過ちを犯した事が判明した際、それを批判するのは当然ですが、共に、「果たして自分達はどうだろうか」と自省するのも必要だと思います。それをやっているのだろうか、と、疑問を持ってしまいます。

何か、「捏造だから問題だった」、から、「捏造で無ければ問題無い」という論理が通りそうで怖い。

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2007年1月29日 (月)

何の役に立つんだ

学校の勉強が、何の役に立つかと問われれば。

「自分で調べれば?」

学校の勉強なんて何の役にも立たない、と言われたら。

「ふうん、勉強してないのに、よくそんな事判るね。」

何で勉強しているのかと、問われれば。

「面白いから。」←勉強していない人では、使えない。

そもそも何故、そういう質問が出るのか。

------------------

実際、もし、身近の子どもに、「何で勉強しなくちゃならないの?」と聞かれたとすれば、「面白い」というのを、先ず言うと思います。後は、子どもが好きな物に絡めて説明するでしょうか。ゲーム好きなら、どういう仕組みでCGが出来ているか、とか、テレビなら、どうやって映像・音声信号をやり取りしているか、とか。考えさせる、という事ですよね。「何でテレビが映るか知ってる?」と。「真面目」に「何の役に立つか解らない」と考えている子どもは、「ああ、そうだったのか。」と、深く納得するかも知れません。勉強嫌いの子は、別に、単なる怠け者では無いのですから。

一番嫌なのは、何かの役には立つだろうから、取り敢えずやっときなさい、という答えですね。そういう答えられ方をすると、子どもは思うのです。結局ちゃんと答えられないんだな、とか、こっちの事を、ちゃんと考えていないんだ、とか。因みに、(あくまで個人的な意見ですが)、「受験に役立つから」というのは、余りよろしくない答えだと思っています。

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自己中心

2ちゃんねる(誰だよ"ゲーム脳"とか意味不明な事言った野郎は)経由で⇒リレーエッセイ13 大友英一(後でゲームリンク集に追加します)

中でもゲームが有害であることを繰り返し声を大にして主張していきたいと思う。テレビゲームをやる子供の脳は、異常に気づかれた日大文学部森昭雄教授が私と二人で痴呆老人の脳波とテレビゲームをやる子供の脳波の比較を行ったところ、子供の脳波が痴呆老人のそれに似ており、ゲームをやる時間に比例してより近づくことを確かめたのである。大人も子供も夢中にさせる麻薬のようなゲームというものは、勉強、読書の妨げとなるのは確実。まず学校で禁止すべきである。

 最近脳血管障害がアルツハイマー病の発現に関与する可能性を示す論文発表が海外で行われている。また最近の調査では10数年前に比し、30才代の人々の動脈硬化が増強している由。これは脳血管障害の増加につながることである。

  21世紀最大の課題は老年痴呆症の抑制である。その予防の為に脳の老化を抑える(遅くする)ことが必要となってくる。

 自分の世界に閉じ込もり、周囲への気配りを忘れさせるゲームは、痴呆予防の大敵であると喧伝したいのである。

喧伝したいそうです。というか、共同研究者なのですね(CiNii - 脳波による痴呆の解析)。「森昭雄教授が私と二人で痴呆老人の脳波とテレビゲームをやる子供の脳波の比較を行った」と、はっきり書いています。尚、近著でも、ゲーム脳説を支持する意見を書いているとの事(※私はソース未確認です)。

他にも、自己の価値観を押し付ける意見に満ち満ちています。

引用して批判しようかと思いましたが、全体的に酷いので、やめます。要するに、この方は、「自分が不快だと思う事を社会全体がやらない」のがマナーだと思っておられるのでしょうね。それは、冒頭で引用されている、

マナーとは、周りの他人を不快にさせないための気配りである。(引用者註:強調ははずしました)

の、捻じ曲がった解釈です。

自分が嫌いだと思っている行動をしている人が増えている様に見えたからといって、マナーが悪くなったとか、羞恥心が消失した等とは、言えないのです。本当にそれを確かめたいのなら、大規模な、心理学的研究なりをすべきでしょう。

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2007年1月28日 (日)

新星現る

若槻千夏のブログ『マーボー豆腐は飲み物です』 Powered by アメブロ

面白い文章ですね。ぶっきらぼうな様で丁寧。一つの文が短く、独特の調子。

しかし、更新頻度が高いですね。激烈に忙しいでしょうに。

スパム到来は必至なので、TB閉じます。

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心理統計

fprでの議論を勝手にまとめるページ京都大学大学院の中西政志氏のページ

メーリングリスト、fpr(心理学研究の基礎)の、心理統計に関するログを纏めたものです。非常に参考になります。専門的過ぎて、よく解らない所もあるのですが…。

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2007年1月27日 (土)

科学リテラシー

科学の方法トピック:人間の誤りやすさについて関西大学の雨宮俊彦氏のページより)

解り易く纏められていて、参考になると思います。

ところで、「科学の方法」といえば…

Book 科学の方法

著者:中谷 宇吉郎
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

以前持っていたのに、引越しする際に処分するという、暴挙をしでかしました。ブッコフ辺りにある筈なので、買って再読しよう。

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2007年1月26日 (金)

気になるニュース

残虐ゲーム:ローマ法王が非難、規制運動に拍車-IT:MSN毎日インタラクティブ

早速、色々反応が上がっていますね。

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境界

The S.O.U.P. Book The S.O.U.P.

著者:川端 裕人
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

The S.O.U.P. Book The S.O.U.P.

著者:川端 裕人
販売元:角川書店
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いやあ、めちゃくちゃ面白かったです。

実は、川端さんの作品読むの、初めてなんですよね。ブログにはたまにお邪魔するのですが、きっかけは、あの講演会騒ぎでしたからね。

ともかく、お薦めです。

---------------------

余談。個人的な考えです。

ネット上でも、「書評」は、沢山目にしますよね。確か、森博嗣さんも書かれていたのですが、「作品の悪い所」を挙げているのって、何の意味があるのでしょうね。自分が嫌いだと思った作品の欠点を論って、どうするのだろう、と。学術書じゃあるまいし。

え、じゃあ「書評を読むな」って? そりゃそうですね。

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自然主義的誤謬

Interdisciplinary: もやもやに追記。

kikulogの議論を読んでいて、「道徳やしつけの根拠を自然科学に求めるべきでは無い」という事について、色々考えていたのですが、やはり、とても難しい問題です。それこそ、道徳哲学や倫理学で長年論じられてきている問いの訳ですから、そう簡単に答えられるものではありません。私には、それらに関する知識が、余りに不足しています。

それを踏まえた上で、現時点での個人的な考えを言うと、ゲーム脳にしろ水伝にしろ、現にある規範や、自分が良いと思っている事を正当化する為に、自然科学的論理を、いわば「でっち上げ」ようとしている訳ですから、それは明らかに問題です。では、仮に(仮に、です)、ゲームをやれば脳が機能低下する、という事実が見出されたとして、それを根拠に「ゲームをすべきで無い」と主張するならば、それは、「道徳やしつけの根拠を自然科学に求めた」事になるのか、という疑問も湧いてきます。ただ、それは、きくちさんが仰る話とは、少し次元が異なるのではないかという気もします。規範を正当化する為に自然科学的論理を探そうとするのと、自然科学の知見を基に規範を組み立てる事とを、区別すべきなのかも知れません。

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2007年1月25日 (木)

メモ:ゲーム脳仮説の検討

既に論破されている所についても、敢えて書いておきます。走り書きですので、重複等、不充分な所もあると思います(相当読みにくいです)。論理的な不備等あれば、ご指摘頂ければありがたいです。

  • そもそも「ゲーム脳説が妥当」と言える為には、どの様な条件を満たせば良いか。
  • ゲーム脳は定義されているか。明確な定義が無ければ、反証が難しい。著作に書かれている内容を分析して、それを部分的に検証する事しか出来ない。だから、「ゲーム脳が無いと証明された訳では無い」という反論が出る。
  • 森氏は、ゲームプレイ中に認知症と同様の脳活動が見出されると主張しているが、それは妥当か。妥当であるとして、それは、認知症に特有のものか。即ち、認知症を高い精度で診断出来る程の信頼性があるのかどうか。※この部分を、「ゲーム脳」とするのが妥当でしょうね。であれば、反証は容易いです。ただ、森氏は、明確に定義してはいませんね。
  • 森氏は、もの忘れが激しい、とか、無気力とか、そういう「印象」を語っているが、本来これらは、心理学的に測定すべきものである。心理学的根拠の無い主観的評価や単なる自己申告に基づいて論を展開するのは飛躍であり、極めて不当である。
  • 森氏の主張は、極めて「強い」ものである。即ち、「ゲーム」をすれば、脳のある部分の機能が低下する、という主張。「ゲーム」には、全て、もしくは大部分という意味が含まれている。そうで無ければ、ゲーム一般に成り立つという前提が崩れるので、ゲームソフトによってまちまち、という事になり、主張が弱まってしまう。であれば、ゲーム一般に共通する論理を考察すべきである。そして、条件を統制し、実験的に、「ゲームに共通する部分」の影響を確かめるべきであろう。その場合は、条件を統制した為に、そもそも「日常生活でゲームをする」という状況とはかけ離れてしまう可能性(一般化可能性があるかどうか)がある事を、念頭におくべきである。勿論、森氏の主張は強いものであるから、どんな状況でも、どんなゲームをやっても、脳の機能低下が認められねばならない、という考え方も出来る。
  • 森氏は、全身運動の効用を語り、ゲームと対比している。しかし、全身運動が生理・心理学的に有用であるとしても、その他の文化を批判する論拠にはならない。文化には、それぞれ様々な特性があるのだから、安易に効用の面で分類すべきでは無い。※発達心理学等の知見を踏まえても、小さい内に、色々な体験をさせるのは、重要なのだと思います。ゲーム脳を批判する人は、必ずしも運動の効用を否定しないのです。余談ですが、「運動」と一言で済ますのも問題です。どの様な運動が効果的か、という視点もありますので。現代の体育教育は妥当か、とかも。個人的な意見を言うと、身体運動は、圧倒的に重要だと考えています。身体と脳は、相互作用している訳ですから。
  • そもそも、「前頭前野の機能低下」とは、いかなる現象を指すのか。それは、神経科学的に妥当なのか。学者のコンセンサスを得ているものなのか。それは、ブレイン・イメージング研究だけで判断出来るものなのか。心理学的測定によっても検証されるべきか。※脳画像だけ見て、その人の心理特性を云々する神経科学者なんて、いないとは思います。そもそも森氏は、運動生理学が専門ですし。
  • 森氏は、「キレる」事とゲームとの関連も指摘している。ここで考えなければならないのは、「キレる」とはいかなる現象か。それは定量化出来るか。定義したとして、それは以前と較べて増えているのか。それとゲームの関係を、どう論証するか。※マクロな視点で見ると、犯罪統計とゲームの普及との関係を統計解析すれば、ある程度の事は言えるのではないかと思います。ところで、「キレる」を、少年犯罪の推移等と絡めて論ずる人がいますが、「キレる」って、独特の言葉ですよね。
  • 森氏は、一部例外のソフト(ダンスゲームやRPG ※RPGは、恐らく『バイオハザード』と思われます。多くの人は、あの記述を読んだ時点で、森氏の無知さを確信したはずです)のプレイ中には、脳波が「ゲーム脳」状態では無いとしているが、それは殆ど無視して(理由をこじつけて)しまっている。これは不当である。
  • 前頭前野があまり活性化しないという事が見出されたとして、それは問題であるのか。つまり、「そうなってはいけない」のか。※川島隆太氏か誰かが仰っていました。いつも活性化していたら、疲れてしまう、と。それを踏まえて、ゲームにはリラックス効果があるから良い、と言った訳ですが、それも、どこまで一般化出来るか、という疑問はあります。そういえば、脳トレ系が脳に効く事が判った、という研究を、最近見かけた気が。

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あいたたた

夕食のおかずを作っていて、出来上がったら、考えられない大失敗作に。

で、食べられない程酷かったので、捨てようと思ったら、皿が熱くて、思わず床に中身を落としてしまい…。

大体、今更、野菜に火が通っていないって…。何年料理やってるんだ、って感じ…。

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2007年1月24日 (水)

心得

最も基本的に心得ておくべき事は、

  • 世の中は単純に出来ていない。
  • 世の中には平気で嘘をつく人がいる。←穏当な表現にすると、「世の中、正直者ばかりでは無い」、といった所でしょうか。

だと思うのですよね。結局、何事も疑ってかかれ、という意味ですね。誤った情報を掴まされた事が判明したら、自身の浅はかさを恥じるくらいの方が良いと思います(だました側を批判するのは、勿論当たり前ですが、それだけではいけないかと)。

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科学哲学入門

科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる Book 科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる

著者:戸田山 和久
販売元:日本放送出版協会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

図書館で借りて既読だったのですが、ブッコフにあったので、即タダで(ポイント使って)手に入れました。しかも美品! ブッコフ最高。

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楽しみ

Doblog - さまき隊的科学と環境と仕事と遊び -:『水はなんにも知らないよ』(帯に、「徹底検証・ニセ科学にダマされるな!」)執筆中!

これは読まねばなりませんね。

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2007年1月23日 (火)

人のふり見て

「あるある」捏造はなぜ:39.JosephYoiko January 23, 2007 @ 12:21am経由⇒理系白書ブログ: ないない大事典 別に、以前ゲーム脳を肯定的に紹介したという事実のみで、他を批判してはいけない、というつもりはありません(元村氏を批判する方も、そう考えておられると思います)。しかし、何か、納得がいかない感じもします。 こういう書き方を見ると⇒

あるある大事典の過去の内容は大丈夫なんだろうか?そこに登場する科学者、医者のみなさんは本物だろうか?と思うのは私だけじゃないと思う。ちゃんと検証してもらいたい。

余り品が宜しく無いかも知れませんが、元村氏のコメント(1月21日 18:21 )にツッコミを入れます(一部を省略。原文は、リンク先をご参照下さい)。

「簡単に乗せられる消費者も、行動を見直したほうがいい」と思う気持ちもありますが、3パック100円の納豆で3キロやせる、と言われたら、試したくなるのが人情ってやつでしょうかね。新聞で、「ゲームをやり過ぎると脳波が認知症の人と同様になる」という説が紹介されているのを読んだら、ゲームを忌避するのが人情、という事でしょうか。

だからやっぱり、製作側の倫理観が一番重要だと思っています。←全くそう思います。新聞においても同様でしょう。

昨夕、一報を聞いて偶然、この事件を思い出しました←最も初期に、ゲーム脳を紹介した新聞記事を思い出しました。

あの時は大きな騒ぎにならないのが不思議で←「騒ぎ」という訳ではありませんが、その後森氏は、精力的に、講演等を行っておられる様です。影響という点では、大きなものだと思います。

「民放だったらこれぐらいやると思う人が多いのかな」と思ったのですが、「再犯」だったわけ。←ほう…。

放映後の騒ぎぶりも、ばれた後の騒がれぶりも、やはり視聴率に比例する?←この書き方は、とても嫌な感じがします。何でしょうね、一体。

そうそう、話は替わって、コメント欄で、「日本人は影響され易い。ミーハーだ」、「日本人が特にミーハーなのか?」というやり取りがありますが、日本人がミーハーだ、と言うのは、必ずしも、他の国の人のリテラシーが高い、と言っている訳では無いのですよね。勿論、そういう意味を含める事はありますが、それは、書き手側の認識の問題ですね。

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2007年1月22日 (月)

不具合

ただいま、ココログフリーが、大変不安定であります。

コメント投稿時に、エラーが起こる場合があるので、文面をコピーしておいた方が良いと思います。手数をお掛けします。

しかし、使っていて、メンテナンス直後の不具合があっても、「あ、またか。」程度しか思わないのも、何とも…。ココログユーザーの方は、結構、そんな感じなんじゃないかなあ…。

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追記:削除したコメント内容

ただいま、ココログフリーが、大変不安定であります。

コメント投稿時に、エラーが起こる場合があるので、文面をコピーしておいた方が良いと思います。手数をお掛けします。

しかし、メンテナンス直後の不具合があっても、「あ、またか。」程度しか思わないのも、何とも…。ココログユーザーの方は、そんな感じなんじゃないかなあ…。

投稿 TAKESAN | 2007/01/22 19:35:04

上のコメント、エントリーがアップできなかったと思って、本文をコピーしたものです。

まだ不具合があるみたいで、アクセスできないです。明日分のエントリーも書けない…。

ただいま二重投稿がされていたりしてお見苦しいですが、復旧したら、綺麗にします。

上のと、このコメントも、後で削除します。

投稿 TAKESAN | 2007/01/22 23:56:34

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術語

 近年,人間観を揺さぶるような不可解な行動が報じられることが多いが,そうなればますます「心理」を理解したいという気持ちが強まる。

 こうして,心理学ブームが続いている。出版される心理学書の数は増えているし,日頃マスメディアで流される話題も多い。

 しかし,このような「心理」への関心が「心理学」に対する一般の認識や理解に結びついているかとなると,疑問である。

 心理学の用語(学術語)の多くは,いわゆる日常語の転用である。だから,一見やさしく感じられるが,じつはそこに落とし穴があることに注意しなければならない。用語が日常使っているのと同じだったとしても,学術語となると厳密な定義に従って使用されている。それにもかかわらず日常語のもつ不明瞭さそのままに受け取ると,内容を正しく理解できないままに終わりかねない。(辻敬一郎・星薫 編著『心理学初歩』 放送大学教育振興会,2002 3ページ)

これは、よく心得ておかねばならない事だと思います。そうでないと、お互いに同じ語を使っていても、意味が共有出来ない、という事が起こります。そうすると、いつまでも議論が噛み合わなかったりします。文脈によっても、学術概念として用いるか、一般に広く使われている意味で用いるか、異なるでしょう。ここではどちらの意味で用いるべきか、相手はどちらの意味で使っているか、等を考えるべきでしょう。戦術として、自分が学術的な意味で用いていて、相手がそれを認識していない場合に、敢えてそのまま、コミュニケーションを進める場合がありますね。教育目的等で。

自分のよく知らない分野で、その道の専門家が議論しているのを読んだり聞いたりする場合には、日常的に使われている言葉が出てきても、それが学術的専門概念である可能性を、常に念頭に置いておくべきでしょう。

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実証て…

Yahoo!ニュース - ロイター - 米男性、新型ゲーム機「Wii」によるダイエット効果を実証

こんなのがニュースになるのが凄い(笑)

Wiiにダイエット効果がある事を実証、というより、Wiiによって、ある程度の身体運動が促される事の傍証、でしょう。

ゲームをよくやる人間の意見としては、やりこめばやりこむ程、「いかに無駄な動作を省くか」という事を考えるので、運動の量は減るでしょうね。そういう意味では、余りゲーム(の構造)に興味が無い人にやらせる方が、効果があるかも。

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2007年1月21日 (日)

怒りの声

番組ねつ造:「あるある」に消費者から怒り-今日の話題:MSN毎日インタラクティブ

思うのですが、

東京都江東区の大手スーパーで買い物していた団体職員の女性(41)は番組のねつ造を知り「今日も買いに来たんです。信じていたのに」と絶句した。以前は月に数回食べる程度だったが、番組で「1日2パックを毎日食べ続けて」と聞き、その通りにしていた。「でも体重が減らないからおかしいと思っていた」

 午後6時半ごろ納豆が完売した横浜市中区のスーパーで、最後の5パックをまとめ買いした同市磯子区の会社役員の男性(65)。放送を見た妻と娘が「毎日2パック食べなければいけない」と言い出し、会社帰りに毎日買いに行かされた。「いい迷惑。テレビ局はいいかげんにしてほしい」。怒りは収まらない。

こういうのを紹介するより、何を捏造したか、それがどれ程重大か、というのを、知らしめるべきだと思います。他のニュースで、あるのかも知れませんが。

やっぱり、情報を鵜呑みにする人がいるのですね。本当に信じたのか、という疑問もありますけれど。もし私が鵜呑みにして、捏造があったと知ったら、怒るとともに、自分の安易さを恥じます。

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コントラスト

Yahoo!スポーツ - ニュース - 西武「茶髪・ロン毛」に罰金100万円

Yahoo!スポーツ - ニュース - ミニスカ四元に世界が「グレ~ト」

あまりに対照的なので、笑ってしまいました。

「先生、質問です。」

「何?」

「どうして、髪を染めたり長くしたりしちゃいけないんですか?」

「うん、それはね、社会人として最低限必要な事だからだね。」

「いや、だから、何で、髪を染めたりするのが駄目なんですか?」

「ほら、問題を起こす奴を見て。髪染めたりしてるのが多いでしょ。」

「でも、そうでない人も、問題を起こす人はいると思いますけど。」

「だけど、目立つでしょ。そういう人の方が。」

「じゃあ、そういう人が髪を染めたりするのはどうしてなんですか?」

「それは、髪を染める事がいけないと知ってるから、わざとそうやってるんだよ。」

「じゃあ、髪を染めてもいい、ってした方がいいんじゃ? 髪の色と、やる事自体は、関係無いっていう事なんですよね?」

--------------

たとえ、染髪している人間と問題行動に正相関が見出されるとしても、それは単に、「髪を染めるのは良くない事だ」という合意があるからでしょう(未だにありますよね、多分)。幼稚な認識として、やってはいけない事をやる、という行動によって、自分をアピールするというのはあるでしょうから(←社会心理学的研究は無視しています。この手の分析は、数え切れない程あるでしょうし)。

勘違いして欲しく無いのですが、別に、どんな職業でも、身だしなみは全く自由にすべきだ、と言っている訳ではありません。そこに合理性(色々な次元での)があれば、それは考えられるべきでしょう。たとえば、力士は皆、長髪です。

個人的には、校則で、髪の長さや色についての制限は、設ける必要は無いと考えています。←反論あるだろうなあ…。

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2007年1月20日 (土)

酷過ぎる

SANSPO.COM > ニュース速報:納豆ダイエットで誇張 関西テレビ「発掘!あるある大事典II」

これは、「誇張」とは言わない。

流石にもう、これはどうしようもないでしょう。

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リメイク

シリーズ生誕20周年記念して、原点が蘇える! 『ファイナルファンタジー・アニバーサリーエディション(仮題)』 / ファミ通.com

シリーズ第2作もPSPで美しくなって復活!! 『ファイナルファンタジーII・アニバーサリーエディション(仮題)』 / ファミ通.com

初期のシリーズは、かなりバランスに難ありでしたが、そこらへんは、改善されると良いですね。いや、別に、やる訳では無いですが。

そういえば、IIだけクリアしてない気が…。アルテマの強さはどうなるのかな。

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電子図書館

イーブック・システムズ、FlipBookコンテンツを揃えた電子図書館「Flib」

これは良いですね。何が良いって、タダっていうのが(笑)

でもあれなんですよね。青空文庫とかも、いざ読もうと思うと、面倒なんですよね、PCの画面だと。電子ブックとか、安くなって、どんどん改良されて欲しいです。

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2007年1月19日 (金)

脳内補完

論座論評

一々取り上げるのは野暮だと言われそうですが。

論旨に余り関係無い事を付け加えて批難するのは、何なんでしょうね。

そもそも、何を批判したいのか、よく解らないです。

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虚無

finalventの日記 - こんなこと言うことじゃないけど、ま、ちょっこっと

自分も、完全に同じ思考だったりします。

こういう認識を持つ人間は、死について考えると、気がおかしくなってしまいそうになるのですよね。つまり、「無」の認識です。で、「これ以上考えるのはやばいな」という所があって、それより先にいかないように、コントロールする様になるのです。出来れば、気付きたく無かったのですが、仕方無いですねえ。

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D&S

ドコモの「ケータイDS」登場・W画面とタッチパネルで簡単操作 モバイル-最新ニュース:IT-PLUS

こ、これは…。

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2007年1月18日 (木)

実験案

不動産屋のラノベ読み - 宗教とニセ科学は峻別できる。 のコメント欄

Lhankor_Mhyさんの仰る反証案は(以前、kikulogでも、同じ様な案が出た気が)、江本氏の主張や価値観の曖昧さを論証する事は出来ても、水伝そのものの反証にはならないと思われます。そもそもbluesy-kさんは、水伝そのものが、テスト可能なかたちで客観的に記述する事が出来ない、と仰っている訳ですし。水伝は、「よい言葉」の影響を主張していますから、それを定量的に捉えるのは、言語の恣意性を踏まえると、不可能だと思います(可能だという主張があれば、教えて頂きたいです)。

思考実験として(そんな提案を、江本氏が受ける訳が無いので)――江本氏を被検者として、Lhankor_Mhyさん案の実験をした場合に、どの様な結果が導かれ、それに対して、江本氏や江本氏の支持者がどういう反応をするか、というのを考えるのは、興味深いと思います。

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ニセ科学教材

kikulogで、ニセ科学についての教材を作るという話が出ていますね。以前も、apjさんのブログで、そういう話が出ましたが、とても良い試みだと思います。

ドラゴンさんが書かれている様に、批判的にものを見る事が、大切だと思います。そして、それを醸成するには、批判や懐疑の精神が重要である事(論理的に語るのは、「理屈っぽい」とか、野暮だとか、そういうネガティブなイメージがある気がします)、批判は論理的に、冷静に行われなければならないという事を、教えるべきでしょうね。その為に、練習問題風の教材を作っておくのは、有意義ですね。

きくちさんが出された練習問題は、とても面白いものでした。私は、統計のテキストでは、大村平さんが書かれたものをよく読むのですが、そこにも、同じ様な例が載っていました(縦軸に国民総所得を取り、横軸に酒類消費量を取ってグラフを描くと、強い正相関が見られる。しかし、だからといって、皆が酒を飲めば、国民総所得が増えるという訳では無い。つまり、相関と因果の違いです)。確率・統計のテキスト等では、結構、こういう例を出すのはよく見ますね。身近な例を出して、科学的な考え方を学ばせる、というのは、良い方法だと思います。

学習科学の考えなんかも、参考になると思われます。「どの様にして学ぶか」という観点ですね。

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2007年1月17日 (水)

調べてから呼んでいるのかな

森昭雄氏の講演会についての情報です。

7635log | 森昭雄講演会情報

リヴァイアさん、日々のわざ: 町田市でゲーム脳講演

川端さんのブログで、森氏の書かれた論文等が紹介されていますが、CiNiiで調べても、色々出てきます。これだけゲーム脳について語ってるのか、という感じですよ。CiNii (NII論文情報ナビゲータ)で、「森昭雄」や「ゲーム脳」で検索してみて下さい。

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論理・科学・感覚

PSJ渋谷研究所X: 実のところ「ニセ科学問題」とはなにが問題なのか

仰る事に同意です。

ニセ科学的言説ってのは非論理的だというか論理的破綻がつきまとうというか不合理・非合理だというか、つまるところ「言ってることがメチャメチャ」なわけだ(部分的にであれ)。

ニセ科学は、部分的に整合性がある所が、厄介ですね。で、信じる人は、その部分に焦点を合わせて、他を無視してしまうのでしょうね。又、ニセ科学が対象にする文化に対して無知な場合、それへの分析を怠ってしまう事もあります。たとえば、ゲーム脳では、ジャンルの多様性や、ゲーム内での様々な展開があるのを知っていれば、なんかおかしいぞ、となる筈なのですが、それを知らない人は、鵜呑みにしてしまうという。そこに、元々「ゲームの時間を減らしたい」という願望があれば、そもそも、ゲームについて調べようなどという気にすらならないのでしょう。

それを「個人的信念」で留めておかない、あるいは教育の現場に持ち込む、あるいはマスメディアで普遍的事実であるかのように垂れ流すってのは、どう考えても問題ですよね(但し書きがあったって、そこに気づかない人がいっぱいいるのだけど、それはまた別の問題だろう)。

この、ニセ科学主唱者の「動機」の問題というのは、難しいですね。それが、計画的なのか、それとも確信的なのか。当然、どちらにしても、批判されてしかるべきですが。

一般に、「論理的でない」とか指摘すると「冷たい」と言われたり「理屈よりも重要なものがある」だのという反論がある。

これは、社会的認知の問題ですね。「論理より感覚を大切に」というのを、その内容も吟味せず、まるで標語の様に使っているのだと思います。これも、きっかけは様々でしょう。自分が憧れている人がそういっていたから、本に書いてあったから、等々。発言力の強い人が、生半可な知識で、科学批判等をする影響も、結構あるのではないかと思います。最近私が色々書いている事にも繋がります。これは、心理学や社会科学の対象ですね。

それも含めて「『論理的』ということへの信頼が後退している」というような問題があるようにも思う。

「後退」と言えるかどうかは、難しいですね。後退というのは相対的な評価ですので。ただ、現在、一定数そういう人がいる、とは言えますね。又、ニセ科学について言えば、「論理的」と言うより、「科学的」と言った方が適切な気もします。論理的な能力が高くても、科学的知識に乏しい場合には、ニセ科学を信用してしまう場合もあるかも知れません。又、自然観の問題もありますね。水伝の場合には、明らかに、目的論的自然観ですが、それを信ずる人は、自然科学的論理を全く無視して、水伝を信用してしまうのでしょう。

そういえば、以前、寒天が売り切れ続出になった事がありましたねえ。凄い効果だ。

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からだ

人間の身体が、物理的・化学的メカニズムに従う物体だという事を、きちんと認識すべきですよね。つまり、身体を機械だと看做す、という意味ですが、こんな言い方をすると、不快感を覚える人もいるでしょうね。

武術をやっている人なんかで、物理のメカニズムを無視した動きが出来るとか思っている人がいるので、こんな事を書きました。

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2007年1月16日 (火)

工作で教える

STUDIO J: 模型教室を開催しました

素晴らしいですね。単に模型を作って貰うのでは無く、道具の便利さと危険性を考えさせる、又、プラスチックの原料を教える事によって、環境に対して眼を向けさせる。「模型を作る」と書くと、いかにも単純ですが、工夫次第で、これ程色々な事を教え、考えさせる事が出来るのですね。

私も、工作の時間は、とても楽しかった記憶があります。何かを作るというのは、それ自体が楽しいのですよね。組み立てキットの場合は、完成形が具体的にイメージ出来て、課目として、程よいものですね。記号操作の訓練としても、結構いいですね(それが目的になったら駄目ですが)。何より、ランナーについたパーツを組み立てていく事により、少しずつ形が出来ていって、最終的に全体が完成する、あの喜びは、堪えられないものです。アニメやゲームや漫画で見ていたキャラを自分が作ったんだ、という満足感ですね。

工作の楽しみを覚えると、今度は、適当な素材を使ってオリジナルのキャラクターを作ったり、より完成度を高める為に塗装したり、どんどん可能性は広がっていきますね。

最近は、図工の時間が、どんどん蔑ろにされている様です。現場の教員の方々が、危機感を持っておられる様ですが、個人的な経験から言っても、あの楽しい時間が少なくなっていくとすれば、それは、とても残念だなあ、と思います。学生時代に、大の勉強嫌いだった人間としては、「楽しさ」というのは、とても重要な因子だと思うのです。それに、工作は、総合科学的なものですから、他の教科とも繋がります。それを、具体的な作業で、実感として認識するというのは、貴重な時間だと思います。

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心構え

novtan別館 - 議論がこじれた場合の心がけ

こうやって、箇条書きで纏めてもらうと、解り易くて良いですね。最も一般的で、重要なのは、

議論の勝敗

  • 議論に勝つことが目的になっていないか
  • 負けを認めたくがないゆえに筋の通らない強弁をしていないか
  • 議論に一方的な勝利が存在すると信じていないか

これでしょうか。私は、相手を言い負かす事など、これっぽっちも考えていませんが、やっぱり、同じ考えの方と議論したいですよね。認識を高め合うのでは無く、自身の正しさや、他人の無知さを確認する様な議論(とすら言えない)は、不毛ですね。大切なのは、自尊心では無くて、向上心だと思います(by高岡英夫。自尊心も、ある程度あった方が良いですけれど)。

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2007年1月15日 (月)

女王

演歌の女王

これ、かなり面白いです。天海さんは、良い役者さんですねえ。

主題歌(平井堅さん)が凄くいい。

今クールのドラマは、なかなかだと思います。4本観るかな。

『華麗なる一族』を録っているので、観ないと…。

スパムの嵐がきそうなので、TBは閉じます。単なる感想エントリーですし。

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2007年1月14日 (日)

ゲームの影響

「テレビゲームと子供たち ―社会心理学の立場から―」取材ノート 3of3 【今後の課題】:Slash Games (オンラインゲーム総合サイト) 2003/12/13

坂元章氏のゲームに対するスタンスが、簡潔に纏められていて、よく解る記事です。

・有効利用できる、いいゲームを作る
・悪影響への対応
 ・対応しておくことが無難
 ・悪影響がないとは言えない
 ・法的規制はあくまで最後の手段であり、可能な限り回避すべき

 法的規制の導入は、言論の自由を侵すものというだけでなく、メディアリテラシー教育(より狭く言えばゲームリテラシー教育)などの努力を放棄し、法規制の強化に任せようとする思考停止の傾向を生む。

この考えに、異論は無い筈です。ゲームは、メディアです。様々な表現が可能で、色々なメッセージを伝達出来るものです。それは結局、常にコンテンツが変化する可能性があるという事です。どういった表現が可能か、現状ではどうなっているか、今後どうすべきか、それを考え続けていくのが、大切なのではないでしょうか。

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悩ましい話

志村建世のブログ: 闘争心と暴力について、かなり長文を書いたのですが、全く纏まらなかったので、消してしまいました…。

実際、暴力を論ずるのは難しいと思います。そもそも何を暴力と看做すか、ボクシングを禁止する事が果たして妥当か、ボクシングと他の競技の区別は、明確に出来るものか、身体に対するリスクは、ボクシングが明らかに高いか、等々。

志村さんの論理で言えば、ボクシングは勿論、コンタクト空手もプロレスも、キックボクシングも、そして(リアルファイトを志向する)総合格闘技も、悉く禁止されるべきだという事です。これに私は、強烈な違和感を覚えます。ただ、反論が難しい。とても悩ましいですね。

ただ思うのは、ボクシングの方が、他の競技に較べて暴力性を明らかに向上させる、と言わんばかりの論は、安直に過ぎる、という事です。

格闘技と暴力性の関係については、高岡英夫氏の著作が参考になると思います。

光と闇―現代武道の言語・記号論序説 Book 光と闇―現代武道の言語・記号論序説

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

武道の科学化と格闘技の本質 Book 武道の科学化と格闘技の本質

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年1月13日 (土)

科学者は適当だバイアスの形成

科学者に対して、ステレオタイプを形成して、馬鹿にしたりする要因として、「テレビでの印象」が挙げられるのではないかと思います。たとえば、芸能人の数日分の食生活を調べて、どんな病気になるかを適当に言って、不安を煽ったりする医師とか、木の絵を描かせてそれを見て、性格がどうのこうのと「分析」する心理学者もどきとか。そういうのを観ると、ある程度認識力に優れた人は、「それだけじゃあ、どんな病気になるとか、はっきり言えないんじゃない?」とか、「木の絵を見ただけで、性格なんか解る訳無いじゃないか。」とか思うのですよね。ですが、そもそも専門家は、そんな判断(軽々しく断定的に語ったりする事。ああいう場で、安易に投映法らしきものをやらせたりするのは、とても早計だと思います)はしない訳です。

で、テレビに出ていた科学者を観た人は、「何だ、科学者といっても…」という認識を形成してしまうのではないかと思います。恐らく、専門書を紐解いて調べようという人は少ないでしょうから、科学者に対するネガティブなステレオタイプが、作られていくと考えられます。

特に学問に興味が無い人に対して、心理学者のイメージを聞き取り調査する等すれば、典型的なイメージは、得られるでしょうね。マスメディアの流布する姿というのは、かなり利いているのではないかと思います。

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信じるのは構わないかも知れないけれど

煩悩是道場 - 科学的根拠が無いものを信じてはならないのか

効果の有無と科学的な証明には相関関係が無いと思うのです。

ここの意味が、今一つ解らないです。何で、相関関係が無いのでしょう。

占いを公的機関として放映するのが適切ではないとするならば、報道やドキュメンタリー以外の一体どれ程の番組が残るのでしょう。

これは結構、難しい話ですよね。考えには、かなりバラツキがあるのではないかと。

占いにせよ疑似科学にせよ「それが本当かどうか」ということに対して疑いを持つかどうかということと、実際にそれがどのような効果をもたらすかということは別の議論なのではないですかね。

ここで「疑似科学」って、ニセ科学の事ですよね。何故、占いに「せよ」疑似科学にせよ、と、同列に扱われているのでしょう。「それが本当かどうか」と「どのような効果をもたらすか」の比較が、ちょっと解らないです。ニセ科学は、そもそも、科学だと言い張っている説の事ですが、混同してませんか。

疑似科学的なものを信じる信じないも個人の自由じゃないんですかね。それじゃ駄目なんですかね。

やっぱり、占いとかとニセ科学を、混同してる気が(そもそも匿名ダイアリーの方も。オーラとか占いは、ニセ科学では無いですし。区別出来ていない、という意味では無いです)。タイトルが、「科学的根拠が無いものを信じてはならないのか」ですし。ちゃんと切り分けた方が良いのでは。で、ニセ科学というのは、信じる事によって、科学への誤解を生んだり、教育上問題が起こったりする、というのが考えられます。それと、「信じる」問題とは別に、「信じさせる」問題がある訳で。信じさせる為に「科学らしさ」を主張する(顕在的にしろ潜在的にしろ)という所を、科学者は批判しているのですよね。科学的根拠が無いものを信じるのは、別に構わないと思いますが、ニセ科学は、科学的根拠が見出されていないのに、見出されたと信じさせようとしている訳ですから、それは、とても問題です。

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2007年1月12日 (金)

継ぎ接ぎ

Yahoo!ニュース - サンケイスポーツ - DJ OZMA、NHKに謝罪…「視聴者に不快な思い」

「モラルは大事だね。でも自分の気持ちは自分の気持ち。もしも君が本当に真実を知りたいのならば、君自身が直接見たもの、触れたもの、感じたもの、それ以外のすべてを信じないことだぜ」

全く意味が解らなかったので、ブログを見てみたら(KISHIDAN'S BLOG:1.7 年頭のご挨拶)、

モラルは大事だね。
他人と共存して行く以上、共有しなくてはならない意識って必要。

でも自分の気持ちは自分の気持ち。
他人に強要される必要なんてどこにもない。
自分自身の感受性がすべてだ。

で、かなり長い文章が続いて、

もしも君が本当に真実を知りたいのならば、君自身が直接見たもの、触れたもの、感じたもの、それ以外のすべてを信じないことだぜ。

ニュースの抜粋の仕方、どう考えてもおかしくないですか? これはいかんでしょう。

因みに、ブログの内容については、ノーコメントです。これは、サンケイスポーツの記事についての批判ですので。

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衝撃

人力検索はてな - あなたの人生に衝撃を与えた1冊を教えてください。

一冊だけ挙げるのは無理だ、とか、昔衝撃を受けた本でも、今考えると大した事無かった、とか、背景が違うから、挙げてもしょうがない、とか言うのは野暮ですか。野暮ですね。

リンク先で挙げられている本を、ほぼ読んだ事が無いのが、何とも…。

うーん、衝撃を受けた本かあ。何だろう。

これとか。

透明な力―不世出の武術家 佐川幸義 Book 透明な力―不世出の武術家 佐川幸義

著者:木村 達雄
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

むう…。「衝撃を受けた」本って、思いつかない…。ゲームなら、何十本も挙げられるのに。

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2007年1月11日 (木)

トリビア

MORI LOG ACADEMY: シロクマは何故白い?

15へえ(←適当)。調べてみましたが、成る程、と思いました。勿論、ここには書きません(笑) 全然、考えた事も無かったですね。

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日本語

ATOK & 一太郎 presents 第二回全国一斉!日本語テスト

今回もやってみました。

結果は…86点! 結構取れました(笑)

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2007年1月10日 (水)

手間を掛けるのが良い事か?

まいまいクラブ - ネット君臨 : 掲載記事(1月9日)検索――コピー――ペースト by まいまいクラブ

いよいよ、書いてある事が、無茶苦茶になってまいりました。

山王直子院長は「画像に流れている情報を見るだけでは頭の中を素通りする」と指摘する。

「画像に流れている情報を見るだけでは」という日本語の意味が解りません。

危機感を覚えた弓山さんは、昨年度からゼミ生にブログの開設を指導した。公表しても恥ずかしくない文章を練り、他人からのコメントにも対応するうちに文章力が上がるのではないか。

あれ、手書きが良いとか、そういう話では無かったのか…。

だがその後、ブログをやめ、仲間内だけで利用できるソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に移る学生が続出した。彼らは「知らない人のコメントが怖い」「SNSなら気軽に書ける」という。

”彼らは「知らない人のコメントが怖い」「SNSなら気軽に書ける」という。”というのは、極めて真っ当な感覚だと思うのですが。つまり、他人の目を意識出来ている訳で。私も、コメントが入っているのを見ると、未だに少し、どきりとします。基本的に、批判的な事を書いていますから、反論が来ているかな、とか考えるのですね(それ自体は歓迎ですが)。そういうのがあるからこそ、好き勝手に書かない様に、自制が働くのでは。

コピー・アンド・ペーストの要領で紙に書き写し、語尾だけ「ですます調」に変えた。先生にほめられ、学年集会の発表者に選ばれかけた。「でも苦労して調べてないし内容も理解していない」。後ろめたくて断った。

こんなのは、今も昔もあります(手軽に出来る様になった、敷居が下がった、というのはあるかも知れませんが)。先生は、内容について、質問等しなかったのですかね?

図書館に駆け込み、入門用解説書を手に取った。「読みながら自分で書いているうちに頭に入った」
 考えるには時間がかかる。だが、ネットはそれを忘れさせる。

ある分野について体系的な知識が、ある程度の分量纏められている、という点では、書籍はやはり、便利です。でも、今時は、WEBで手に入れられますけどね。紙で読みたければ、プリントアウトすれば良いだけですし。「考えるには時間がかかる。だが、ネットはそれを忘れさせる。」って、何でしょうね。時間を掛けないと、考えたとは認めない、という意味ですかね。

ネットに頼り過ぎて、モノが覚えられない健忘症になる可能性はある。

そりゃあ、可能性はあるでしょう。無いなどとは言えません。「頼り過ぎて」という前提条件になっていますし。

ネット検索が便利になって依存し過ぎると、モノをいちいち覚えておく必要がなくなる。無意識のうちに脳のこの部分をだんだん使わなくなってくる。

この部分、意味が全然解りません。検索が便利になる事と依存する事と憶える必要があるかどうかというのは、全部違う話でしょう。何故それが、繋げられているのでしょうね。大体、「モノをいちいち覚えておく必要がなくなる。」とありますが、じゃあ、何の為に検索するのでしょうね。憶える必要が無いなら、そもそも検索しない様な気もしますが。小泉氏は、WEBで検索して、情報を比較検討し、妥当そうなものを選択する、という作業をした事が無いのでしょうか。そんな筈も無いとは思いますが。

オン・オフの作業だけ続けるのも危険だ。例えば筆ペンで文字を書く時は、きれいな字体にするのに、どの程度強く押したらいいかや字のバランスを考えて線を引く。つまり脳で感じながら書いている。一方、パソコンで書く時は、キーボードをたたくオンとオフしかない。まだ実証データ不足だが、二つの動作で脳の働きは明らかに違う。

この事は、よく言われますね。これが妥当なのかは、私はよく知らないのですが、どうなのでしょうね。認知科学等で、研究はありそうですが。ただ、「脳の働きは明らかに違う。」というのは当たり前ですね。具体的運動形態が違うのですから。問題は、記憶の仕方に明らかに違いがあるかどうか、だと思います。経験的には、字を綺麗に書こうなんて考えていると、憶えはよくないと思うのですが。注意資源を、ものを憶えるのに使った方が良いのでは。認知心理学的には、そうなるのではないかと(適当です)。字を丁寧に書くなら、それ自体を課目とすれば良いでしょう。そもそもキーボードというデバイスは、思考を素早く出力する為に発明されたものだと思うのですが。丁寧に字を書いている暇などありません。ただ、手書きと「字を間違い無く書けるかどうか」は、関係ある様な気もします。でもこれは、字を書く必要があるかどうか、という事ですからね。正確な形状を記憶したいなら、手書きなり、徹底的に目で見て憶えるなりすれば良い話です。結局の所、「文字の形状を正確に憶える」事に対する重み付けの問題でしょう。それと、記憶一般の能力とを結び付けるのは、余り妥当では無いと思います。←本当は、私も、心理学的な研究を踏まえて書くべきなのだとは思いますが。

そういえば、この連載、まだ「第1部」なのですよね。一体、この先どうなるのでしょうか。

ところで、私は新聞をとっていないので判らないのですが、まいまいクラブにある取材班の意見の様なものは、記事に載っているのでしょうか? 新聞記事ではネットの負の面を強調しておいて、ブログでは、功罪両方を考えなければならないと書いているのだとすれば、かなり問題だと思うのですが。

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あれ…

医科学的「原因」特定法|300年先の、初めての人間

コメントへのレスが凄すぎる。

と書いて、リンク先を確認したら、コメントが消えてる…。私の勘違い? 違いますよね? 質問に答えず人格を罵倒するコメントがあったと思うのですが…。何で消えた(消した)んだろう…。

それにしても、リンク先の書き手の方が、何を仰りたいのかが、さっぱり解りません。疫学的方法の批判ですよね。それなら、統計学的方法の批判を論ずるべきだと思いますが。

最後辺りに、ニセ科学批判者批判(←解りにくい)と、医学をニセ科学と看做している様な意見があったので、取り上げてみました。某ブクマで、「それにしてもこのテの人はやたらに色やらフォントやら変えて見た目にいろんな強調をしたがる傾向があるような気がする。」と評されていましたけど、本当にそうですよね。それとも偏見? 勧誘系のサイトと、作りがそっくりなのですが。そんな大袈裟に強調せんでもいいよ、とか私は思うんですよね…。

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2007年1月 9日 (火)

科学や若者を嫌いな人達

身体を通して時代を読む Book 身体を通して時代を読む

著者:甲野 善紀,内田 樹
販売元:バジリコ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

こういう本を読む度に思うのは、結局の所、この人達は、遠くから眺めていて何となく感じている事を、好き勝手に話しているだけなのだなあ、という事です。それは、客観的な、メタな視点とは違って、他(特に若者)を見下して、自分達の優位性を主張したいという、そういう意味です。科学や科学者に対する評価もそうですね。自分が接した学者の印象を一般化し、勝手にステレオタイプを作り上げて、批難する。

この本を読んで、最も憤りを覚えた所を引用します。

内田氏:その前にテレビゲームを法律で禁止したらどうかなあ。あれ、ほんとうに身体に悪いと思います。大人まではまるというのは、そのゲームがある種の充足感をもたらすからでしょう。脳内麻薬物質が出るんでしょうね。でも、どれほど快楽を得ても、あれは人間的能力の開発に資するところゼロですからね。

 その点、麻雀はいいですよ。麻雀の効用について話し出すと長くなってしまいますけれど、あれは非言語的なシグナルの感知能力を上げる上ではきわめて有効であることが最近わかりました。記号運用、時間意識、識閾下コミュニケーション……どれをとっても麻雀は人間的能力の開発にすぐれたゲームですよ。最近の若い男性で「場が読めない」人が多いのは麻雀やらなくなったからじゃないかなあ。(P266)

皆さん、どう思われます? 私は、内田氏について殆ど知らないのですが、確か、高名な学者なのですよね。とても、ある程度の教養を身に着けた人の文章とは思えないのですが。

因みに、書いてある事悉くについて、批判をしている訳では無いです。同意出来る部分も多々あります。しかし、科学に対するステレオタイプ的な思い込みや、若者の批難等、目に余る所もかなり見られます。ちょっと引用。

甲野氏:科学者というのは、自説を正しいと信じ込むと、広い立場で客観的に検討することを嫌いますよね。例えば、よく地震の時に「地震雲」という独特の形の雲が出ることが伝承で知られてきているのですが、科学的な地震学者は決して認めようとしません。

 一度私は、高名な地震の専門家が地震雲に対してある所で「地震と雲は関係ありません」と断言したので、「いままでの歴史を調べてみると、人が死ぬような大地震の時、雨が降っていたという話は全く聞いたことがありません。とすれば統計学という学問もあるのですから、天候と地震の間には、何か関係があるのではないかと考える方が、科学的な態度ではないのですか」と尋ねたのです。

 そうするとその人は、「ああ、これだから素人を相手に話すのは嫌なんだよ」といった白けた顔をして黙ってしまいました。(P252・253)

話に出てくる学者氏が、その様な態度を取ったのも、ある意味当然だと思います。甲野氏が指摘された様な事は、「当たり前」です。で、(推測ですが)それを踏まえた上で、「地震と雲は関係ありません」とした筈です(地震雲と呼ばれるものと、地震との関係については、余り知りません。科学的には概ね否定されている、というのを見聞きした事がある程度です。「関係無い」と本当に断言したかも気になる所ではありますが)。勿論、学者氏が、具体的にどの様な言い方をしたのか、態度を取ったのかは、定かではありませんが、いかにも、科学者の「融通の利かなさ」を仄めかす様な文章です。

甲野氏:患者からすれば、とにかく治ればいいというのが本音です。科学でわからないことでも、その事実をきちんと認めていくべきです。このことに関して、最近実に馬鹿げた話を聞きました。私から、武術を応用した介護の技を学んで広めている介護福祉士の岡田慎一郎さんという人がいるのですが、その人の技が、介護する側もされる側も楽だというので話題になり、テレビでも広く紹介される予定だったのですが、直前になって、上のほうから、「それは科学的根拠があるのか」ということで企画がボツになったそうです。科学的根拠も何も、実際に介護する側が楽で、される側も楽なんですよ。つまり何か物を持つ時、持ち方で重く感じるか軽く感じるかということですよ。そういう人間として最もベーシックな感覚も信じられないとは……。現代は人間の感覚というものを、ここまで信頼していないのかと、ちょっと呆れて私も言葉を失いました。(P152)

呆れて言葉を失うのはこちらだ、という気もします。私が甲野氏に対して批判的な事を書くのは、甲野氏が、こういった発言を平気でなさるからです。テレビ関係者の判断は、全く妥当です。テレビという、極めて多数の目に触れるメディアである事。対象が、介護という、命に関わる領域である事を鑑みれば、科学的に根拠が確かめられているかどうかというのは、大変重要です。そこを無視して、単に「感じる」かどうかで判断するというのは、甚だ早計です。※実際に、甲野氏の技術が合理的であるかどうかは知りません。当然、それ以前の問題です。

この他にも、同じ様な記述が見られます。もう少し、科学について勉強なさった方が宜しいのではないかと思います。

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ニセ科学批判

まだ、『論座』最新号をお読みになっていない方に⇒OPENDOORS:雑誌:論座:ゲーム脳のすすめと人類の進歩 人類文化が進歩をとげてきたのは何故か(ウェブ魚拓)

きくちさん、田崎さん、左巻さんの文章も、必読です。

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2007年1月 8日 (月)

教育とか

NAKAHARA-LAB.NET : 明日の教育、こうなる、こうする: 早期教育の誘惑

面白いです。

私には子どもはいないので、想像ですが、やっぱり、早期教育の魅力というか、魔力の様なものは、あるのかも知れませんね。

みのもんたは、「おもいっきりテレビ」で、日々「○○を食べれば健康になる」と「健康によい食材」を紹介し続けている。(毎日毎日紹介しているのだから、しばらくすると、かなりの食材が指定されるだろう。ということは、皮肉であるが、何を食べても健康になるということ?)

私は、『あるある』を観て、そう思いました。「毎回違う食材を”健康に良い”と紹介しているから、結局、バランスよく食物を摂りましょうと言ってるだけじゃないか」と。

いずれにしても、親がしっかりとメソッドを見極める目が必要になると思う。子どもを賢く育てたいのならば、親も賢くならなくてはならぬのだ。子どもは教育法を選べない。

そうだそうだ。全くその通り。先ず、大人が勉強しないとね。

これをお薦め。

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2007年1月 7日 (日)

本物、かあ…

南雲和夫(本物)の怒りのブログ―根源主義者の主張(無断転載禁止)

何か凄いなあ。何がどう凄いかよく解らないくらい凄い。

こちらの批判が妥当だと思います⇒文系白書ブログ: 俺より若い人なんだけどなあ。。。

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自分が考える程度の事は、他の人も考えつく(ついた)だろう、と思った方が良い。それが謙虚さに繋がります

科学って一体なんだろうな|上を向いて歩いていくブログ(コメントへのレス等が、後のエントリーに続きます)

コメント欄で、妥当で、極めて穏当な批判がなされていますが、椎名さんは、そうは取られなかった様ですね。科学について、余り深く考えた事が無いのでしょうね。ご自身も、そう仰っていますし。にも拘らず、きくちさんを批難しているのは、全く不当ですが(きくちさんのコメントもあります)。そもそも他人に対して批難をしているのですから、自分が批判をされても、文句は言えないはずなのですが、後の方のエントリーの、「見るのを強制したわけじゃありません。」(コメントレス2|上を向いて歩いていくブログ)とか、開き直りの様な態度を取ったりするのは、いかがなものかな、と思います。いきなり話題を、全然違うものにしたりもしていますし。

何と言うのでしょうか、自分の意見に異論をぶつけられる事に慣れていない、又は、認めたくない、そんな感じに思えます。

こちらのコメントに、A-WINGさんの名言があります。とても参考になると思います⇒奥様、鼻毛が出ておりますことよ - 言い訳したらもやもやを解消できるかな。。。

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2007年1月 6日 (土)

わざわざ

昨日(の深夜。正確には今日ですね)、オタクが激論を戦わせる番組をやってたのですが、あの、対立の構図は何なんでしょうね。演出上の事だと思いますけれど、あれじゃあ、マイナスイメージにしかならないと思うのですが。あんな感じの議論、たまに見ますよね。前、ラジオを聞いていたら、スノーボードをやっている人とスキーをやっている人は、どちらがマナーが悪いか、というテーマでリスナーからの意見を募集していたのですが、聞いてて、そんなもん、個人の性格によるに決まってるじゃないか、と思いました。どうも、差異を強調したい人がいるみたいで。他人に迷惑にならない範囲で、趣味を楽しめば良いと思うのですけれど。他人の話を聞かない人を集めた、って感じがするなあ。全く興味の無い人が、あの番組をたまたま観たら、ドン引きどころじゃないでしょう。

『太鼓の達人』を目隠しでやっていた人、何か凄かった。

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待ってました

Yahoo!ニュース - 夕刊フジ - 低迷大相撲の“救世悪魔”「デーモン」初場所に再降臨

昨年も、閣下がお出ましになるとの事で、観ましたが、実に面白かった。豊富な知識に裏付けられた(いや、私は相撲はよく知らないので、そう思った、というだけですが)、明確な解説は、とても解り易いものでした。本当に、相撲が好きなのだなあ、というのが、よく伝わってきましたね。

余談。以前、クイズ番組か何かで、ワールドカップ前(最中?)という事もあり、出演者が日本チームのユニフォームを着ていたのですが、閣下だけは、着ていませんでしたね。「さすが閣下」と思いましたよ。

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君臨?

第1部・失われていくもの/4 画面でつながる「仲間」「友だち」-ネット君臨:MSN毎日インタラクティブ

メール代は定額払いにしたから月4200円で済む。そうしないと20万円にもなる。

あっはっはっは。「そうしないと20万円」って何だよ。意味が解らない。前に20万円になったって事か? 流石にそれは無いと思いますけど。

この特集、一体何が言いたいのですかね? WEBコミュニケーションがいかに危険であるかを、喧伝したいのかな。ただ単に、不安を煽っている様にしか読めませんけれど。

まいまいクラブ - ネット君臨 : 取材班です—ネット使いこなす子どもたち by まいまいクラブ

wonさんの指摘のように、「(ネットと直接的なコミュニケーションには)それぞれに一長一短があり私達はそれを理解したうえで利用することが望ましい」のだと思います。

一般論として、全くその通りですが、記事からは、それを考えていこうという積極的な姿勢は、見出せません。

吉備高原学園高校も冬休みになり、寮生たちは帰省した。入江君はオンラインゲームの仲間とチャットを始める。「やあ、お久しぶり」「お帰り」。田村さんはネットで芸能ニュースをチェックし、寮の友だちとメールを交換する。

 友だちがつながることって何だろう。(『ネット君臨:第1部・失われていくもの/4 画面でつながる「仲間」「友だち」』より引用)

この文章の繋がりが解らないです。チャットやらメールやらをしている事に対する不安の表明でしょうか。帰省した時くらい直接のふれあいをすべきだ、という。

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2007年1月 5日 (金)

詮無い

渋谷での殺人事件、(被害者且つ容疑者の)家族の情報を晒しすぎじゃないですかね?

又、殺した理由探しが始まる…。心の闇とやらが云々とも言われるでしょうね。今観ている報道番組で、「家族関係の希薄さ」とか言ってるし。残された家族は、遺族でもあり、加害者の家族でもあるのですから、家族関係の詳細を知らしめたら、却って苦しめてしまう事になると思うのですが。

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方便かな?

¡Ojalá! 美しいニセの国へ

ニセ科学が問題なのは(※引用順は不同。リンク・強調等は除いてあります)、

「“ありがとう”というようなキレイな言葉を使う方が良い」ということは、子供たちに伝えなくてはなりません。

の根拠を、綺麗な氷が出来る(これがニセ科学)「から」、という事に求めたり(そもそも綺麗/汚いも相対的なものです)、「ゲームのやり過ぎが良くない」のを、「脳の機能が低下するからだ」(これがニセ科学)と説明したりするから、なのですよね。あちこちで指摘されている事ですが、水が綺麗になるから綺麗な言葉を使いましょう、なんて話は、良い話でも何でも無い訳です。言葉は人対人のコミュニケーションの道具ですから、常に、対話の中で、どの様に言葉を用いていくかを考えるべきなのです。どういう語が良いとか悪いとか、一概には言えないのです。ゲーム脳の場合は(リンク先の書き手の方は、ニセ科学そのものを肯定している訳ではありませんが)、まず、その説自体が根拠不明確であるのに、真実であるかの如く教える、というのが、良くありません。又、(これは何回も書いていますが)ゲームを好きな人に対して、不当な評価を与えてしまいかねません。現にゲームをしている人が、不必要に自虐する場合もあります。ニセ科学は、「真実であるかのように」流布するから問題なのです。それは当然、科学の方法そのものへの誤解も招きかねません。

他にも様々な教科で、教えるのに都合の良いようにちょっとした嘘がつかれていると思います。

うーん、個人的な心情の問題なので、とやかく言えませんが、「ちょっとした」って、それこそ主観ですよね。受け取る側がどう考えるか、というのもありますよね。それを根拠にして、

そこでニセ科学をパフォーマンスの一環としてちょこっと使わせてもらう分には構わないのでは?

と考えるのは、宜しく無いのでは? ニセ科学は、「ちょっとした嘘」所ではありませんよ。

だから…というのも無理がありますが、子どもには混じりっけの無い真実を必ずしも教える必要はないのです。
真実が却って混乱を招く可能性もあります。

確かに無理がありますね。ちょっと飛躍しています。しかし、「混じりっけの無い真実」というのは、いかにも微妙な言い回しですね。嘘も方便、という事でしょうか。こういう場合、「どこまで」という問題がありますね。よく言われる話ですが、子どもにサンタクロースの存在についてどう教えるか、とかありますけれど、こういうのは難しい。学校等の教育現場でどう扱うか、というのも考えなければなりませんし(因みに、サンタが云々というのは、「ニセ科学」の文脈からははずれていますが)。個人的には、子ども(主に親戚の子の事)にも嘘はつきません。喋り方も、大人と同じ様な感じですし(言葉遣いは、勿論変えますが)。自分が解らない事を聞かれたら、子どもの前でも悩みますしね。相手が子どもだから態度を変える、というのは、何か嫌ですので。

あと、個人的には最近あんまり大人が「あれは嘘だ」「これも嘘だ」って早い時期から子供に教えすぎな気がします。
そのせいだと思いますが、ホント妙に醒めた子供が多いんですよね、最近。

嘘である理由も考えさせずに教え込むのなら、それは問題ですが(嘘を教えるのと余り変わらないと思います)、本当の事を教えるのとは、又別の話ですよね。どちらにしろ、安易な二分法的教え方が駄目なのだろうと考えています。

私なんて小学生の中学年くらいまで、訓練したら魔法が使えるんじゃないかと思ってました。
ゲームに影響されすぎ。

私は、小学校高学年くらいまで、かめはめ波が撃てると思っていました(笑) でも、似た様な事を、大人になっても主張しているのが、水伝な訳で…。

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2007年1月 4日 (木)

こだわり

第2回:嫌いな日本アニメは?(※過激発言が結構あります。ご注意を。追記:リンク切れてますね

これはなかなか…。

しかしあれですよね。自分がいかに作品を嫌いであるかを熱弁して、何になるんだろう、と思ったり思わなかったり。皆、好き勝手言ってるなあ(笑)

アニメ・漫画を批判する人が、このページを見たりしたら…。

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2007年1月 3日 (水)

読み方

Interdisciplinary: 問題点の指摘の問題点の指摘で言及したブログで、私のエントリーに対して、回答(?)して下さっていました。全然気付かなかった…⇒template <class kuenishi> - スルーちからが たりない

うーん、何でそうなるのでしょう。よく解りませんね。このタイトルは、私へ向けてのものかな? それもちょっと判らないです。

概ねは、記事の書き方についての批判であるのは判っていましたが、そもそも私は、あの記事自体、どちらかというと好意的に読んだのですね。これは明らかに、坂元氏についてある程度知っていたから、でしょうけれど。でも、そういうバイアスを取り除いても、あの記事は、ゲーム批判には読めないと思うのですが、それは、私の読みが甘いのでしょうか? (痛いニュースのタイトルは論外ですが。「ゲームが暴力を助長」などとは、元記事のどこにも書いていません)

まあ、確かに、記事を読む人にとっては、坂元氏の研究の詳細などどうでも良い訳ですから、私の指摘も、的はずれと言えば的外れなのかも知れませんね。

積み重ねられた調査結果の上に考察を重ねているだけで、ゲーム、映画(などのメディア)、VR、どれについても本質的な考察がなされていない。それが難しいことは分かってはいるが、仮説を立てて検証するというアプローチも統計的な検証も何もあったもんじゃないので全然納得できそうもない。

むう、解らない。そもそも坂元氏は、社会心理学的に電子メディアの影響を研究する学者なのですから、そこを考えるべきでは? 「本質的な考察」というのは、どういうレベルでの話なのでしょうか。勿論、心理学的方法そのものを批判的に検討する、という視点はありますが。

参考になるサイト・文献を挙げておきます。あと、私が個人的に考えている事を適当に綴ったものは、こちらに⇒Interdisciplinary: メモ:「ゲームは暴力性を高めるか」という問題について

一番良いのは、バーチャル以下略の議事録を読む事です。それに尽きます。これを知っているといないとでは、捉え方に大きく違いが出るでしょう。

『すばる書店』公式ブログ | ゲームリテラシーという言葉(後半の論評は、とても妥当だと思います)

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飛脚

Yahoo!ニュース - Record China - 8歳の女児が記録的な速さで42.195kmを完走―海南省海口市

これは、色んな意味で興味深いニュースです。将来が楽しみ…と言いたい所ですけれど、子どもならではのパフォーマンス、と見る事も出来ますよね。

しかし、8歳で3時間台って、バイオメカニクス的に見ると、どの程度のレベルなんでしょう? この年頃の子どもがフルマラソンを走る事自体、殆ど無さそうなので、よく解りませんが。

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2007年1月 2日 (火)

変換

どうぞっ⇒Interdisciplinary:ルー語バージョン

うう…楽しい⇒Elementary, ... どんなページもルー大柴ナイズ

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リアルとエッセンス

MORI LOG ACADEMY: 語られるリアリティ

ゲームもどんどんリアルな画面になっているけれど、最初にウィザードリィのダンジョンへ入っていったときの興奮は味わえない。リアリティっていうのは、かように主観的なものか、と再認識。

そうですよねえ。で、あの時代のグラフィックのレベルを知っているからこそ、現在の超精緻グラフィックを見て、「凄い時代になったもんだ」なんて感想を持つ訳ですね。今のゲームに慣れた子に、ファミコンのゲームとかやらせてみたら、どう反応するか、とても興味深いですね。

つまり、機関車の音を出したり、ゲームの動画が綺麗だったり、といったことは、実物に近づけるというだけのリアリティであって、本来のその世界が持っていたリアリティとはまた別物だ。子供は、おもちゃの機関車や、ゲームの低解像度の画面の中に、自分の世界を作る力がある。それだから、そんな別の世界のリアリティを持ち込んでほしくない、と感じるかもしれない。

以前、コメントで指摘を頂きましたが、ゲームより小説等の方が、(具体的な情報が無い分)想像力を鍛えられる、という考え方もありますね。こう考えると、昔のチープなグラフィックのゲームなら、より想像力を高める力があっただろう、と言う事も出来ますね。個人的には、両方楽しめばいいでしょ、という考えですけれど。ファミコンのゲームだって、今でも出来ますしね。

魅力ある世界のリアリティを創造することが本来であるのに対して、既にある実物へ近づこうとする行為は、ようするに(目標が定かな分)簡単だし、誰にもそれが理解できるから、一時的には評判になる。映画の「ファイナルファンタジー」みたいに。だけど、「凄いでしょう?」「リアルでしょう?」という話題にはなっても、誰も「面白さ」を語らない。

こういうのって、技術の高度化を確かめるとか、そういう意味合いもあるのでしょうね。「今のCGはどれくらい凄いんだろう?」とか。リアルに近づけるというのは、一つの方向性ですね。私は、こっちもとても好きですね。フォトリアルなCGを見たりすると、素直に感動します。『ファイナルファンタジー』の面白さを誰も語らない、というのは、森さんの皮肉でしょうね(笑) だってあれ、「語れない」んですから。映画館に観に行ったので、よく解ります…。

何か、WiiとPS3との対比の話にも繋がりそうですね。

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2007年1月 1日 (月)

賀正

新年、おめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。

皆さん、ことよろー。

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