問題点の指摘の問題点の指摘
template <class kuenishi> - ゲームリテラシーだってよ
1. 記事の事実関係では、シューティングゲームの実験結果についてのみ言及されているのに対し、記事の論調はゲームの全てを批判するように書かれている
「ゲームの全てを批判するように」というのは、主観的評価なので、読み手の解釈によるだろうから、一概には言えないけれども、記事では、「主人公が魅力的に描かれている場合、個人差はあるものの、暴力シーンが多いシューティングゲーム」と書かれている。ここでは、シューティングゲームに、「主人公が魅力的」、「個人差はあるものの」、「暴力シーンが多い」等の条件が追加されている。これは、慎重な指摘に努めた、と見るべきである。ただ、恰もそれが、ゲーム一般に当てはまるかの如く読まれる、という所に関しては、もっと配慮が必要であったと思われる。
2. 「シューティングゲーム」や「暴力」、「暴力的傾向」など、曖昧な言葉が定義なしに用いられている
これは当たらない。心理学的研究においては、測定したい概念は、そもそも直接的に観察不能(構成概念)であるから、それを定義しなければ、研究自体が始まらない。ただし、記事において、「暴力」や「暴力傾向」の定義なりが触れられていないのは、配慮不足であったと言えるかも知れない。「暴力」とは、日常的に用いられる言葉であり、読む側が、学術概念として捉える事は、少ないであろう。注意深さを求めるならば、注釈を設けるなりして、誤解を解くべく努力すべきだろう。尤もこれは、記事の書き方の問題であるので、どこまで求めるか、というのは、又別に考えなければならないだろう。
3. センセーショナルなゲーム批判とは一線を隔(引用者註:原文ママ)しているように見えるが、実際はセンセーショナルなゲーム批判でしかない
記事そのものの評価であれば別だが、もし坂元氏に対する評価だとすれば、これは全く当たらない。坂元氏は、「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」の委員であり、早計な表現規制に対して、学者としての誠実さを以って、歯止めを掛ける役割を果たされているのである。又、著作を参照すれば解るが、ゲーム等のメディアが及ぼす悪影響に関しては、努めて慎重な書き方をされている。それらを踏まえれば、「センセーショナルなゲーム批判でしかない」とは、全く不当な評価であると言わざるを得ない。
4. 『暴力が正当化される理由は何か▽なぜ、主人公は暴力を振るわないといけないのか▽倒された者の家族はどんな気持ちか??など、「ゲームに描かれていないもの」を考える』など、ゲームの実態を理解しているかどうか疑わしい記述がされている
これは、ゲーム一般に当てはまる論理を記述しているのでは無い。坂元氏の真意は結局、保護者と子どもが共に考える事が重要だ、というものである。「なぜ、主人公は暴力を振るわないといけないのか」等の問いには、様々な次元での答えが用意される。これは、もし、暴力が正当化される様なゲームがあったら、そう疑われる様な言動を子どもが行ったら、という場合に対して、保護者がちゃんと教えてあげられるのが望ましい、という事であろう。子どもが「単なるゲーム(微妙な表現だが)」としてやっている所に、わざわざストーリーの深い所を考えさせる、という意味では無いと考えられる。即ち、ケース・バイ・ケースだという事である。ゲームに関しては、「ゲームに子守をさせて云々…」という文脈で、ネガティブに語られる事もあるから、坂元氏の発言は、そういう批判を受けない様に、親子で共に楽しみましょう、という意図からであったと思われる。そういう意味では、ゲーム文化擁護(不当な批判からの)の発言とも取れるであろう。
僭越ながら、「ショッボイ研究にしか見えない」(template <class kuenishi> - ゲームについて)などと評するのであれば、坂元氏の活動なり著作なりを参照してから仰るべきであると思うのだが、いかがだろうか。
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コメント
年末のご挨拶をかねて、お邪魔させていただきます。今年一年お付き合いいただきありがとうございました、来年もよろしくお願いいたします。
坂元教授のスタンスはいろいろな論文なり、発言をみれば明らかで、一概に「悪」影響とか、影響「力」は認定することは難しく、ゲームの種類やら環境による(しかも因果の向きとして、もともと問題気質…微妙な表現で申し訳ない…のある人間がゲームを愛好している場合の方がということも委員会の場で述べておられるんですよね)としています。
ただ、そのうえで「影響」があるということは明らかになりつつあるから、ゲームとの付き合い方を(ネット、ロボットに関しても同様のお考えのようです)教育の問題として、規制などではなく各個人、家庭、学校で考えるべきという極めて堅いものだと明らかだと思うのですが…自分の読解力に問題があるのかとすら思ってしましたよ…。
『一般論として』と受け止めてもらいたいのですが適当にネット上の断片情報で書けてしまう、表出できてしまう敷居の低さがネットの利点であり、欠点だと思うのですが、せめてこれはという方のものについて、発信しようと言う際は少しはオフライン、オンでもせめてまとまった文章ぐらいは(以下略)。
それではよいお年を!
投稿: 遊鬱 | 2006年12月31日 (日) 13:50
遊鬱さん、今日は。
こちらこそ、遊鬱さんのブログや、こちらでのコメントでは、勉強させて頂きました、ありがとうございます。
菊池誠氏も『視点・論点』で仰っていましたけれど、真摯な学者というのは、二分法的な語り方には慎重になり、余程の事で無ければ、決して、断定的には語らないと思います。それがある面では、曖昧さ、又は、弱い主張と受け取られるのでしょうが、それは悩ましい所ですね。
今回の坂元氏への反応を見ると、いかにも坂元氏が二分法的に語っておられる様に見えたのでしょうね。推測ですが、恐らく、きくちさんの出られた番組を観た上で、あの様な反応をした人もいると思います。皮肉と言うか何と言うか…。まあ、今回の場合、痛いニュースの見出しが、そもそもアレですが。
少し調べてみれば、坂元氏が、単なるゲーム批判、を行っている訳では無いのは、明らかなのですが、学者全体に、バイアスをかけていたのかも知れません。
>適当にネット上の断片情報で書けてし
>まう、表出できてしまう敷居の低さが
>ネットの利点であり、欠点だと思うの
>ですが
これは、全く同意です。ネット批判は、この欠点を拡大させて(ネットでのコミュニケーションはこうだ、とか、こうなる、とか決め付けて)不安を煽り、擁護する側は、「そんな訳無いじゃん」と、批判をかわす。どちらも駄目なのだと思います。結局、メディアとしてどんな特性を持っているか、それをちゃんと使うにはどうすれば良いか、という事を、皆で考えていくべきなのですよね。それが大切だと思います。坂元氏の「ゲームリテラシー」も、そういう事なのだと思いますけどね。何か、あちこちで揶揄されたりしていて、残念ですが。私は、「ネットでの発言は無責任だから云々」と言われるのが嫌なので、ある程度資料なりを調べて書いているのですが(ちゃんと出来ているかは判りませんけど…)、特に、特定の個人に対して批判なりを行う場合には、気を付けないといけませんね。
―――――
ではでは、良いお年を~。
来年も、よろしくです~。
投稿: TAKESAN | 2006年12月31日 (日) 14:45