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2006年12月19日 (火)

そんなもんやってて何になるんだバイアス

アトミスティックに頂いたコメントに関連して。

スポーツは一般的には批判されないけれど、ゲーム等は…、という話については、確か、以前書いたのですが、やはり、(物凄く単純化して書きます)「飯のタネになるかどうか」というのが、大きいと思います。

ゲームを「やる」とか、漫画を「読む」事は、結局、生産的な行為として看做されない訳で、それが褒められないというのは、ある意味当然ですね。ゲームのプロというのも認知されておらず、それをやっていても意味が無い、という認識が、一般にはあるのでしょう。だから、攻撃し易いのだと思われます。対してスポーツは、マスメディアでスポーツ選手が取り上げられたり、年俸がどうだと騒がれる、言わば、「華やか」な世界です。又、ゲームをやった事が無い人は沢山いても、スポーツをやった事が無い人は殆どいません(スポーツの定義にもよります)から、よく知っている、という所もあるでしょう。そして、ゲーム等は、「訳が解らない」世界、と看做している、という。そういう認識を持っている人は、文化内の差異に目を向けません。同じスポーツでも、野球とサッカーとテニスとバスケットボールが全く違うという事は、誰でも知っていますが、それが自分の知らない世界になると、一緒くたにしてしまうのです。『ドラゴンクエスト』と『バーチャファイター』と『バイオハザード』と『ぷよぷよ』と『ファイヤーエムブレム』と『逆転裁判』と『ときめきメモリアル』と『グラディウス』は全く違うのに、理解しようともしない(知っていても、大した違いは無いと看做す)のですね。

たとえば、運動系の部活で問題行動が発覚しても、それは、そのスポーツをやる事によって促されたのだ、と考える人は、恐らくそれ程いないでしょう。寧ろ、その様な部活において形成される人間関係の歪み等に焦点が当てられます。そういう意味で、至極真っ当な認識です。しかるに、何か行動を起こした人間が、ゲームや漫画を好きだったという事実が明らかになると、途端に注目されます。それが「心の闇」を作り出したのだ、とか。これは、文化に対するイメージの違いを表す、端的な事例でしょう。

訳の解らないものに、好ましくないレッテルを貼るのは、まさしく差別の構造ですが、それに気付かず、確信犯的に、ゲーム等の害悪を流布する人がいるというのは、嘆かわしい事態です。

勿論、自分が知らない文化に対して、こういう安直な見方をしてはならない、という自戒も込めて、書いています。私は以前、偏見の塊の様な人間だったので、いかにそれが他人を傷つけ、歪んだ自尊心を大きくさせるかを、知っています。だから、客観的に物を見つめ、冷静に判断出来ているかどうかを、常に省みなければならないと考えています。

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