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2006年12月 2日 (土)

ウエート

私の経験を振り返って、思った事を書きます。多分、同じ様な事を考える人は、沢山いると思います。発達心理学等でも言及されているかも知れませんが、よく知りません。

「子どもがどういう性格になるかは、養育者の育て方次第だ」という主張、ありますよね。

勿論それは、正しい部分もあるとは思うのですが、余りそれを信じ込むのも、どうかと思います。子どもは当然、養育者(一般的には親)とだけコミュニケーションを取るのでは無く、同じ年代の仲間(友達等)や、養育者以外の大人(学校や習い事の先生等)と、やり取りをする訳です。ジュディス・リッチ・ハリスが、仲間集団とのコミュニケーションが、性格形成に大きな役割を果たしている、という様な事(でしたよね?)を書いていましたが、私は、子ども(に限りませんが。と言うか、一般的に当てはまると思います)は、周りの人に「重み付け」をして、その対象によって、態度を替えるのだと考えています。同じ様な注意をされても、その相手が、幼稚園の好きな先生か、水泳教室の煩い先生かで、全く受け取り方は異なると思います。勿論、個人では無く、集団の場合もあるでしょう。「両親」という集団よりも、「友達」という集団に重きを置いていれば、親の言う事を聞かず、仲間との関係を大切にするかも知れません。「言う事を聞かない」という行動に、価値を見出す場合もあるでしょう。人によっては、ドラマや映画の主人公、カリスマ性の高い歌手、小説や漫画の登場人物、等々の行動・認識に憧れを抱き、積極的に真似る事もあるでしょう(よくある事ですね)。それは、社会的に好ましいとされる行動規範を形成するかも知れませんし、逆に、反社会的行動に走らせるかも知れません。ある意味では、養育者よりも友人と会う時間が長い人が、友人と価値観を共有する、というのは、当然とすら言えるでしょう。文学に親しむ人が、登場人物に憧れ、その人間性をなぞる、というのも、大いにあり得る事です。

当然、人はどの様に育つかは不確定だから、育て方など関係無い、と言いたい訳ではありません。ですが、性格は、養育者の育て方で、ほぼ全て決まる、という様な論理(それは、問題行動を起こした人間の原因を、養育者に帰する事になります)は、慎重に吟味する必要がある、と考えています。

上にも書いた様に、大人になっても、「憧れの人」、「信頼出来る人」というのはいるので、その重み付けによって、「話の聞き方」等に、差が出るでしょう。自分が信用していない対象に対しては、懐疑的になり、慎重に考えるかも知れません。逆に、「聞く耳を持たず」、という事もあります。相手が信頼(「心酔」とか)出来る人ならば、言う事をちゃんと考えず、「鵜呑み」にしてしまう場合もあるでしょう。それが、行動規範の変化を促す、というのは、結構、ある事なのではないでしょうか。解り易い、タイムリーな例を挙げると、某超有名アーティスト(検索・TBスパム回避)が「水伝」を軽いノリで紹介したのを「鵜呑み」にして、「何て良い話」と感じ入る人も、いるのです。そういう人は、某アーティストに対して、極めて多分の重み付けを行っているのでしょう。だから、水伝の内容(話された範囲での)を吟味もせずに、信じてしまうのだと思います。

結局何が言いたいか。要するに、人は、色々な他者(実在の人に限らず)に、色々の影響を受け、成長していく、という事です。そしてそれは、容易に分析出来ない、複雑な現象なのだと思います。

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