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2006年12月 8日 (金)

或る親子の会話

『どうして、勉強しなくちゃいけないの?』

『それは、将来社会に出た時に、役に立つからだよ。』

『でも、勉強してない人でも、別に困ってないみたいだけど。テレビとか観てみなよ。』

『いや、でも、勉強しといた方が、困る事は少ないと思うよ。』

『でも、お父さん、学校の成績、そんなに良くなかったんだよね? だけど、別に困ってないでしょ。自分が勉強してないのに、そんな事言われてもなあ。』

『…確かにお父さんは、学生の頃はそんなに勉強しなかったけど、今になって、ちゃんとやっときゃ良かったなあ、って思ってる。だから、君にそういう思いをさせたくなくて、こういう事を言ってるんだよ。』

『でもなあ。将来役に立つからやれ、って言われてもなあ。よく解んないよ。』

――――――――――――

『何で、勉強するの?』

『うん? 面白いから。』

『え、でも、学校の勉強なんか、全然面白く無いけど。』

『そうだろうね。いきなり、こういう理論があります、とか出されて、それを憶えろなんて言われたって、面白い訳無いよね。私だって、今、全然興味無い事を勉強しろ、って言われても、嫌だしね。』

『うん。』

『たまに、「将来役に立つから」なんて言って、勉強させようとする親がいるけど、どうなんだろうね。誰だって、役に立つかどうかちゃんと解らないものを、「やれ」って言われたって、困るよね。自分だったら、「やってられるか!」となると思う。て言うか、実際、そうだったし。』

『お母さんもそうだったんだ。』

『うん、で、何で、今勉強してるかというと、さっきも言ったけど、「面白い」からなんだよね。それに、「役に立つ」のが解った…と言うか、「役に立ってる」事が解ったからね。』

『どういう事?』

『たとえば、「数学とか理科なんて役に立たない」とか言う人、いるでしょ? 大人が直接そういう事を言ったり、芸能人とかスポーツ選手が言ったりね。』

『うん。』

『でも、それは全然違うんだよね。そこのテレビだって、ケータイだって、プレステ3だって、沢山の人が積み重ねてきた科学の理論を使って、作られているんだから。たとえば、「テレビは何で映るんだろう」とか考えて、調べていくと、科学の考え方が使われているのが解るんだよね。別に、ラジオとかCDとかでもいいけど、身近にあるものにも、数学とかの考え方が利用されてる。もちろん、仕事によっては、直接役立つものじゃ無いけど、だからと言って、役に立たない、とか、出来なくても良い、なんて言っちゃいけないんだよね。』

『あれ、でもさっきは、「役に立つから勉強させる」のはどうか、って言ってなかったっけ?』

『そうだね。だから、「役に立つから」、て言うんだったら、「何に役に立ってるか」、って事を、ちゃんと説明出来なきゃ駄目だよね、て事。だって、自分がよく知りもしないものをやれって言われたって、嫌でしょ。』

『うん、全然説得力無いし。』

『でしょ。で、ほとんどの大人は、多分、「何に役に立つか」なんて、答えられないと思う。何でか解る?』

『うーん…。』

『簡単だよ。「勉強してこなかったから」』

『あー、そっか。』

『だから、人に、勉強しろ、なんて言う暇があったら、自分が勉強するべきだと思うんだけどね。自分が知らないものを、よく「役に立つかも」なんて言えるよね。』

『じゃあ、「勉強しなくてもいい」って事?』

『私が言えるのは、勉強は面白いし、色んな所で役に立ってる、という事くらいだね。後、自分が好きなものがあったら、とことん、その仕組みとかを知ろうとした方が良いね。そうすると、色んな事が繋がってるのが、解ってくると思う。ま、色んな事に興味を持って、「どうなってるんだろう?」と考えるのが、良いんじゃない。』

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コメント

こんばんは。

こういうことは、よく聞かれますね。
私の場合は、「自分を豊かにするため」と答えています。
それは経済的な豊かさではなく、幅広い豊かさです。
 
例えば、「硫黄島~」の映画を見るときも、歴史を知っているといないとでは、見方が違ってきます。「フォレストガンプ」なんかは、ところどころにアメリカの60年~70年代の風俗がちりばめられていて、それが郷愁を誘った面もあったかと思います。それを知ると知らないとでは、映画の楽しみ方が全然違うでしょう。
 
そういう意味で、私は、「勉強」を学校での学習に限らず、広い範囲で使います。
また、知識を習得することだけでなく、自分で考え、理解したり、体験したりすることも、広く「勉強」ととらえます。
 
音楽にしても、ヘビメタにはヘビメタの文化と背景があって、それを積み重ねているから、そのよさを理解できるのです。江戸時代の人にモーツアルトを聴かせても理解できないでしょう。そのような体験(勉強)がされていないからです。われわれがとりあえずモーツアルトをよいと思えるのは、学校での音楽や街角、テレビなどで何度も耳にして、馴染んでいった結果です。それも勉強だと思います。
 
とにかく、「知らないことを知る」だけで、自分の世界が広がります。映画や小説を深く理解できるようになります。観光に行っても、より楽しむことができます。
そうして生活を豊かにすることができるのです。

仕事においても「勉強」した人が、よい結果を出せます。例えば、漁師でも、魚の生態、天候などを考え、学んだもののほうが、よい結果が出ます。何も考えず、適当に網を入れていてもよい結果をだせないでしょう。
 
よく言われる、「勉強しなくても偉くなった」というのウソで、偉くなった人は、自分の世界で一生懸命勉強をしているのです。芸人であっても、スポーツ選手でも、みなそうです。
最初にカーブを考えた人も、考え、工夫して、投げられるようになったのだと思います。
また、最近のスポーツ選手は、心理学だけでなく栄養学など、いわゆる「勉強」をしている人もたくさん増えてきています。よい結果を出すには「勉強」は必要なのです。
 
ただ、学校は「先人の知恵」を効率よく学習することができます。一人で努力してがんばることができればよいのですが、そうでなければ、行った方がよいということだと思います。
 
こんなふうに書くと、いつも「勉強しなさい」と言っている人みたいですが、実際はそうではありません。
すみません。ちょっと長くなりました。

投稿: ドラゴン | 2006年12月 8日 (金) 18:44

ドラゴンさん、今晩は。

 >ちょっと長くなりました。
いえいえ、全然構いませんので。参考にさせて頂きますので、大歓迎です。

ドラゴンさんの仰る通りで、既有の知識の多寡で、ものの見え方というか、そういうのが、全く異なってくる場合がありますね。何年も前に読んだ本を読み返して、実は当時は、書かれてある事を理解出来ていなかったのだという事を思い知ったり、逆に、大した内容で無いのに感動していた事が解ったり。

根本的な事として、ものを知ろうとする、陳腐な言葉だと、「知的好奇心」を持つのが、重要だと思います。「世の中はどうなっているのだろう」という問いかけですね。新しく物事を知った時、メカニズムが解った時の喜びというのは、素晴らしいものだと思います。

私が思っているのは、「勉強」を、「学校で教えられる、科学知識の体系を、暗記的に憶えこむ事」と認識している人が多いのではないかな、という事です。そこには、「学校で習う様なものは、別に社会に出ても、役に立たない」という、とんでもない先入観があるのだと考えます。学校で習う事は、言わば、科学知識のエッセンスであり、現象を理解するツールです。そしてそれは、生活のあらゆる場面で用いられている訳ですから、役に立たない等と、言えるはずが無いのですよね。でも、それは、我々の目の前には、余り現れてきませんから、実感しにくいのだと思います。だからこそ、何かに興味を持ったら、それを徹底的に追求した方がいいのではないか、と思います。そうすれば、結局、色々な物事がつながっているのが解って、科学的知識の重要さが認識出来、他の分野にも興味を持つ事が出来る。ドラゴンさんが言われるように、とても豊かになるのだと考えています。

投稿: TAKESAN | 2006年12月 8日 (金) 19:15

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