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2006年12月に作成された記事

今年も

お世話になりました。

来年も、よろしくー。

では、良いお年を。

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理屈・理論・理合

古流武道を後世に伝える難しさ 3 - 一 樂 庵 - 楽天ブログ(Blog)

実際に動く事を疎かにして、考えるばかりではいけない、というのを戒める、その気持ちは解るのです。しかし、それを主張する余り、科学的分析に対して、嫌悪の様な感情を抱くべきでは無いと考えます。以下、引用文は、強調等ははずします。「ある剣術流派の故ご宗家」の発言は茶色で。

現代武道だけでなく古流においても技一つ一つ科学的な分析をして理論を確立させないと受け入れられないのが現状です。

「理論を確立させないと受け入れられない」のが本当かどうかは、よく知りませんけれど(そうであれば、好ましいです)、何かをやるに当たって、それが論理的に体系づけられているか、又、それが科学的に妥当であるか、という所を確認するのは、極めて健全な態度と言えます。

最近の若い方々は、このようにした方が有効なのではないかとか、こうした方が理にかなっていると言って、勝手に理合いを無視して技を変えてしまっています。

古流の技は先人たちが自分の命を懸けて作ってきたものであり、長い年月をかけて研ぎ澄ませて理合いとして私たちに伝えられているものです。

中途半端に理解している段階で、自分勝手に技を変えたり、というのが駄目だというのは、確かにその通りなのですよね。それは、どんな文化だって同じです。一般論ですから。ただ、ですね。それを言う為に、「理合」を用いて、とにかくやっていればいずれ解る(出来る)、とするのが、果たして妥当か、という事なのです。つまり、間違っている事をやっているのを見て、それをちゃんと指摘出来るか、又、その指摘は正しいか、それは、何を根拠とするか、という意味です。

物事には必ず順序があります。
そしてその順序に従って進んでいかなければ必ず間違った所へ到達してしまいます。
また順序を飛び越えて進んでいくと落とし穴に嵌ります。
正しい順序で確実に進んでいかない限り、決して正しい結果には辿り着けません。

それはそうです。正しい順序を守らなければ正しい結果にならない、というのは、当たり前です。ですから、正しい順序とは、何を以って正しいと言えるのか、他に合理的なやり方は無いのか、という事を、考えなければならないのです。果たして、武術関係者の中に、それをやっている(やろうとしている)人が、どれ程いるでしょうか。

古流武道では理論・理屈は必要ありません - 一 樂 庵 - 楽天ブログ(Blog)

古流武道は”理論・理屈”ではありません。

こういう事は、書くべきでは無いのですよね。恐らく、「理論・理屈」と「理合」は違う、という意味なのでしょうけれど、科学的分析をすべきでは無い、という文脈での使用なので、どちらにしても、妥当ではありません。

今、昔から伝えられてきた武術が科学的に研究されるようになって、それぞれ理論が確立されることによって非合理的な点が少なくなり、合理的になって発展してきているように言われているようです。

これは、今一つ意図を掴みにくい文章ですが。「非合理的な点が少なくなり、合理的になって」というのは、体系が洗練されて、より優れたものになった、という意味でしょうか。それとも、武術のメカニズムが科学的に解明されてきている、という事でしょうか。

また現代武道の技術は、一つ一つ科学的な分析をして理論を確立させないと、世間には受け入れられない状態です。
そのため自分の体を動かして覚えることが少なくなり、頭を使って「力学的に考えると、こうした方が良いはずだ。」とか「こうした方が合理的だ。」と考え、先人たちが命を懸けて作り出してきた技を変えてしまっています。

上にも書きましたが、「一つ一つ科学的な分析をして理論を確立させないと、世間には受け入れられない状態」なら、それは望ましいと思います。多分、そういう傾向にはなっていると思われます。ここでは、先人が作り上げた体系が、そもそも高い合理性を持っている、という前提があります。本来、それ自体を論ずるべきであり、それを分析するのが、他ならぬ、科学です。ところで、頭を使う事と、身体を動かす事は、相反しません。時間配分の問題なので、そういう傾向にはあるかも知れませんが。しかしそもそも、「頭を使わずに、身体だけ動かしていれば良いのか?」という疑問が出てくる訳で。

でもいざお互いに真剣を持って命懸けの真剣勝負を行うとしたらどうでしょうか。

これは、全くナンセンスな喩えです。現代剣道は、そもそも「真剣を持って命懸けの真剣勝負」など想定していません(この様な議論が成立するのは、現代剣道家が、現代剣道の体系の学習によって真剣の扱い方も習熟出来る、と主張した場合ですが、その様に言う剣道家がどのくらいいるかは、判りません)。又、現代社会において、真剣での戦いを想定するなどというのは、武術に全く関心の無い人からすると、かなり困惑する文章でしょうね。

古流武道では”理論・理屈”を二の次にして、とにかく師の教えるままにひたすら稽古をします。
そのため”理論・理屈”は知らなくても自分の身を守る技術は完全に身に付けることが出来ます。

ここなのです。ここに、擁護システムの存在を窺う事が出来るのです。即ち、「師の教えるままにひたすら」、「”理論・理屈”は知らなくても」、等の教示によって、修行者の分析的・反省的思考を鈍麻させ、上位者の教授方法、又、体系そのものに対する懐疑的精神を、失わせるのです(高岡英夫氏の著作参照)。「知らなくても自分の身を守る技術は完全に身に付けることが出来ます。」ならば、論理的には、稽古したものは、全員正しい技術を身に着けた、と言えますが、果たしてそうでしょうか? 勿論、そんな事はありません。それは、承知している事でしょう。では、「何故身に着けられないのですか?」と問われれば、上記の様な認識を持っている人は、どう答えるでしょうか。簡単です。「修行が足らんのだ。」、「やり方が違っていたのだ。」です。ね、恐ろしい矛盾でしょう? 理屈を知れば身に着けられないと言い、身に着けられない人には、「稽古が足りない」、「頭で考えているだろう」と言うのです。

私は、頭で考えもせず、ひたすら身体を動かす稽古、というのが、最も駄目な稽古だと考えます。それだと、センスの良い人が、「たまたま」上達する、という事になります。それでは、何のために武術をやるのでしょう?

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衣装?

総重量1トン小林幸子の豪華衣装 - 芸能ニュース : nikkansports.com

よく突っ込まれますが、衣装と言うより、セットですよね。完全に。

鳳凰→龍→火の鳥に変化するイメージの衣装

何か、RPGの最後の敵みたいだ…。旧スクウェアとかの。

今年の紅白も、観たい歌手がいないなあ。平井堅さんとかが出れば、観たいですけれど。視聴率の点では、昨年、色々な事をやり尽くした感がありますので、厳しいんじゃないですかね。いや、特に高視聴率を取って欲しいという訳ではありませんが。私は格闘技観ますし(笑)

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環境の変化

浮遊工作室(エッセィ制作部):「新入生へのコンピュータガイダンス」

バーチャルが云々とか、古き良き時代のコミュニティが大切だ、と言う人に、真賀田博士の研究所の環境を教えたら、さぞかし立腹する事でしょうね。

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問題点の指摘の問題点の指摘

template <class kuenishi> - ゲームリテラシーだってよ

1. 記事の事実関係では、シューティングゲームの実験結果についてのみ言及されているのに対し、記事の論調はゲームの全てを批判するように書かれている

「ゲームの全てを批判するように」というのは、主観的評価なので、読み手の解釈によるだろうから、一概には言えないけれども、記事では、「主人公が魅力的に描かれている場合、個人差はあるものの、暴力シーンが多いシューティングゲーム」と書かれている。ここでは、シューティングゲームに、「主人公が魅力的」、「個人差はあるものの」、「暴力シーンが多い」等の条件が追加されている。これは、慎重な指摘に努めた、と見るべきである。ただ、恰もそれが、ゲーム一般に当てはまるかの如く読まれる、という所に関しては、もっと配慮が必要であったと思われる。

2. 「シューティングゲーム」や「暴力」、「暴力的傾向」など、曖昧な言葉が定義なしに用いられている

これは当たらない。心理学的研究においては、測定したい概念は、そもそも直接的に観察不能(構成概念)であるから、それを定義しなければ、研究自体が始まらない。ただし、記事において、「暴力」や「暴力傾向」の定義なりが触れられていないのは、配慮不足であったと言えるかも知れない。「暴力」とは、日常的に用いられる言葉であり、読む側が、学術概念として捉える事は、少ないであろう。注意深さを求めるならば、注釈を設けるなりして、誤解を解くべく努力すべきだろう。尤もこれは、記事の書き方の問題であるので、どこまで求めるか、というのは、又別に考えなければならないだろう。

3. センセーショナルなゲーム批判とは一線を隔(引用者註:原文ママ)しているように見えるが、実際はセンセーショナルなゲーム批判でしかない

記事そのものの評価であれば別だが、もし坂元氏に対する評価だとすれば、これは全く当たらない。坂元氏は、「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」の委員であり、早計な表現規制に対して、学者としての誠実さを以って、歯止めを掛ける役割を果たされているのである。又、著作を参照すれば解るが、ゲーム等のメディアが及ぼす悪影響に関しては、努めて慎重な書き方をされている。それらを踏まえれば、「センセーショナルなゲーム批判でしかない」とは、全く不当な評価であると言わざるを得ない。

4. 『暴力が正当化される理由は何か▽なぜ、主人公は暴力を振るわないといけないのか▽倒された者の家族はどんな気持ちか??など、「ゲームに描かれていないもの」を考える』など、ゲームの実態を理解しているかどうか疑わしい記述がされている

これは、ゲーム一般に当てはまる論理を記述しているのでは無い。坂元氏の真意は結局、保護者と子どもが共に考える事が重要だ、というものである。「なぜ、主人公は暴力を振るわないといけないのか」等の問いには、様々な次元での答えが用意される。これは、もし、暴力が正当化される様なゲームがあったら、そう疑われる様な言動を子どもが行ったら、という場合に対して、保護者がちゃんと教えてあげられるのが望ましい、という事であろう。子どもが「単なるゲーム(微妙な表現だが)」としてやっている所に、わざわざストーリーの深い所を考えさせる、という意味では無いと考えられる。即ち、ケース・バイ・ケースだという事である。ゲームに関しては、「ゲームに子守をさせて云々…」という文脈で、ネガティブに語られる事もあるから、坂元氏の発言は、そういう批判を受けない様に、親子で共に楽しみましょう、という意図からであったと思われる。そういう意味では、ゲーム文化擁護(不当な批判からの)の発言とも取れるであろう。

僭越ながら、「ショッボイ研究にしか見えない」(template <class kuenishi> - ゲームについて)などと評するのであれば、坂元氏の活動なり著作なりを参照してから仰るべきであると思うのだが、いかがだろうか。

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いい値段

バンダイナムコゲームス、PS3「鉄拳5 DARK RESURRECTION」ダウンロード販売開始。価格は2,000円

おお、安い。…って、もう発売してるし!

GTHDもですが、ネット接続環境が無い人は、どうなるのでしょうね。何か考えられているのかな? よく知りませんけれど。

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分かったつもりになるとは、どういう事でしょうね

汗を流して体で覚えろ! - 一 樂 庵 - 楽天ブログ(Blog)

うう、悩ましい…。コメントで質問でもしようか、とも思ったのですが、議論にならないと思うので(他のエントリーを読んで、ちゃんと答えて頂けないと推測)、エントリーで(TBもしません)。コメント欄もご覧下さい。科学を勉強されている皆さんは、驚かれるかも知れませんね。一体この人達は、何を言っているのだろう? と。

一言で言えば、科学的に分析する事と、分かったつもりになる事とは、別ですよ。

それと、解ったつもりになっているかどうかは、どう判断するのですか?

こんなんじゃ、いつまで経っても、武術は…。

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博士、ありがとうございます!

わしの大発明(ニセ科学判別装置)を見るのじゃ:匿名じゃ(研究会から戻った)さん(←バレバレ)のコメント。

最後辺りにご注目。

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お笑いとバーチャル

たかぎFさん、GJです⇒WEBダ・ヴィンチ 水道橋博士の「本、邪魔か?」(25)いじめ問題

前に言及した、北野武氏のエッセイの文章が、引用されています。

で、前半の、お笑いの構造の解説については、特に異論はありません。自分も、そう思って楽しんでいますし(だから、そうなんだよ、と教えるのが重要でしょう)。ただ、問題なのは、後半。えー、という感じです。昔(←曖昧)の人はそれが解っていた、今の人はゲームをやっていて、バーチャルと本物の違いがわからない云々、というのは、何か、確たる根拠でもあるのですか? そういう意味では、お笑いがいじめの原因だと言う事と、余り変わらないでしょう。

個人的には、バラエティを見慣れていると言っても、こりゃいかんだろう、と思う様な、やり過ぎ感みたいなものを覚えるものはあります。それは、一部のゲームなり小説なりを見て、嫌悪感を覚えるのと同じです。そういう事では? バーチャルと現実がどうのこうのと言う前に、どうなっているのかを教えればいいでしょう。その方が、余程現実的ですよ。

余談。以前、遊鬱さんのブログに、最近のバラエティの作り方が気になる、と書いたのですが、これは、そもそもバラエティ(お笑い芸人が出るもの)は、人の欠点を笑ったりするのを楽しむ構造を持っていますから、そこは、ちゃんとメタにみるべきだろう、という意味ですね。

※水道橋博士さんの文章へのリンクですが、それ自体の趣旨に賛同しているという事では、全くありません。念の為。

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誤解では?

痛いニュース(ノ∀`):「ゲームが暴力を助長。"倒された者の家族の気持ち"などを考えさせるゲームリテラシー教育を」…専門家

【こども 生活改革】「ゲームリテラシー」教育を-リビングニュース:イザ!

坂元氏に批判的なレス、ちょいと曲解誤解してませんか?(いや、2ちゃんのレスなので、こういう書きぶりなのは、しょうがないですけれど。←批判にあらず)

結局、ゲームをやる時(と言うか、ゲームについて)に認識すべきなのは、それが単なる記号である事、物語は仮構であって、それは現実生活とは全く異なる、という事でしょう。それは、メタな視点として身に着けるべきだと考えます。しかし、それと共に、物語に没頭し、キャラクターに感情移入する事もある訳ですよね。実際の生き方に示唆を与える場合もあるでしょう。それは、どんなメディアも一緒です。子どもがゲームについてどう考えるかは、それぞれの子ども次第だと思います。だから、それを踏まえた上で、保護者が子どもと共に考えていく、というのは、妥当だし、望ましい事だと思うのですが。坂元氏の真意は、どんなゲームにも物語性があって、それを考えさせるべきだ、というのでは無く、保護者も一緒に考えましょう、という一般論の主張でしょう(これは推測ですね。坂元氏が具体的にどう考えているかは、解りません)。確かに、格闘アクションをやっている時に、「このキャラクターには家族がいて…」と言う必要は無いとは思います。この場合は、真似するなよ、程度で良いでしょうね。坂元氏が仰りたいのも、そういう事なのでは?

坂元氏の主張に対してこういう批判が出るのは、予想出来た事ですが。だから、

暴力シーンが多いシューティングゲームをやることで、プレーヤーの暴力的傾向が助長されるという。

この様な言い方をする場合にも、気を付けないといけないのですよね。ここで坂元氏は、心理学的概念として「暴力」を用いている訳ですが、読む側は、そうは取らないでしょう。自分が「暴力的」だと感じる人なりを思い浮かべて、それに当てはめて認識するでしょうから。

ところで皆さん、表現規制に歯止めを掛けているのは、他ならぬ、坂元氏ですよ…。

見出しをもうちょっと考えて欲しい。

2006年12月29日追記:イザ! の記事に、TBを送りました。坂元氏については、Interdisciplinary: ゲーム・ゲーム脳関連リンク集に、関連するリンクがありますので、ご参照下さい。「曲解」を「誤解」に訂正。「曲解」だと、意図的な、という意味合いを持つので、替えました。

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3割?

asahi.com:アダルト漫画ネット販売、大手6社に対策強化要求へ - 社会アダルト漫画、「子供」との性行為が3割~書籍販売サイトに販売停止提言(INTERNET Watch) - goo ニュース

ちょっとメモしておきます。

欲しくも無い「クリスマスプレゼント(by遊鬱さん)」、最終報告書が公開されました。議事録も、早く上がらないかな。

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看做し

何か批判を行うと、それを即、相手を見下している等と判断してしまう、という事が、結構ありますね。相手の知識不足や曲解を指摘する事と、相手の人格を貶す事とは、同じ意味では無いのですが、そこを混同してしまう、という。

ただ、そうなってしまっているのでは無いか、というのは、常に反省するべきだとは思います。流れていってしまわない様に、気を付けねば。

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何を求めるか

プロ合気道家トム・モリゾーの上手くなるブログ道場:合気道って何 その5

コメント欄での議論が、実に興味深いです。

武術の本質論、つまり、「どうあるべきか」というテーマの議論は、やはり難しいものがあります。武術のどの側面に着目するかによっても、その回答は異なるでしょう。身体能力の開発法としての面を強調するか、又、あくまで「術」、即ち、襲われた際にどうするか等の、実用的側面を重視するか。或いは、格闘技としての面を考え、他の格闘技に対処が出来るか、という所が重要だと捉える人もいるでしょう。

私は、基本的には、トム・モリゾーさんの仰る立場に近いと言えます。武術に何を求めるかは、正に、「人それぞれ」としか言いようが無いと思います。何が正しいとは、断言は出来ないし、するべきでも無いでしょう。それを踏まえた上で、自分の目標を定め、そこに達するべく努力すべきではないでしょうか。

その上で、私個人としての考えを述べますと、私自身は、親爺ファイター さんが仰る事に、大部分同意します。武術を、暴力から身を護る手段だと考えるのは、武の定義からしても妥当ですし、既成の武術を単なる身体開発法と捉える必要など無い、と考えるのも、同意出来る部分ではあります。武術でなくとも、幾らでも、開発法は存在するのですから。実際に誰かに襲われる、という場面は殆ど無いにしても(現代社会で護身術などやっても、余り役立てる機会が無い、とも考えています。そもそも、そんなものを役立てる機会が多い様な社会は、来るべきでは無いですし。ですから、多分に「趣味の問題」でもある訳ですが)、「他者の攻撃から身を護り、相手を制する技術」として武術を捉えるのは、重要な視点だと思います。ただ、どこまでそれを追求するか、どこまでの汎用性を求めるか、という部分は、やはり、それぞれの考えでしょう。たとえば、道端で襲われたとして、そこに棒切れが落ちていたとします。この時、剣術や杖術等をやっている人なら、それを有効に使えるでしょう。しかし、体術しか習っていない人ならば、それを武器として認識出来ないので、使えないという事になります(この喩えは、高岡英夫氏の著作を参照)。ですから、「武器技は必要か否か」という議論も起こります。突き詰めるならば、重火器の使用法にも精通していなければならない、という考えにもなりうるのです(そういう武術家もいます)。

従って、そもそもそういう線引き自体、恣意的であると考えます。ですから、私の意見としては、先ず、指導者なり体系なりが、何を目指しているかを調べた上で、批判を行うべきだと思っています。健康体操として合気道を行っているならば、それはそれで、構わないと思うのです。そういう人に対して実戦性と説いても、仕方がありませんし、そもそも失礼です。ですから、実戦性を触れ込んでいる人に対して、「そのやり方では駄目なのではないか」と言うべきなのだと考えています。つまり、(象徴的な書き方ですが)「自分は強く掴まれても動ける」、或いは、「相手がどんな攻撃をしてきても捌ける境地を目指している」と主張している人に対して、「そのやり方で果たして達成出来るのか?」と批判するのは、構わないという事ですね。その場合には、何を目指すかという共通認識があるので、それについて議論を深めていけば良い訳で。しかし、「自分は運動不足解消の為に合気道をやっている」という人に、「実戦に使えない合気道など意味が無い」と言ったり、逆に、「実戦に使えてこそ武術だ」という人に、「今の時代にそんな事考えてもしょうがないよ」と批難するのも、どちらも的外れではないかと思うのです。

余り、「こうあるべきだ」と強く思うと、排他的な認識を持ってしまいがちです。色々な価値観を認め、多様なあり方を許容するのも、重要ではないでしょうか。

因みに、私の武術に対する認識としては、身体開発:実用性が、6:4といった所でしょうか。当然、これらは相互作用しますし、割り切れるものでもありませんが(これがとても重要。実用性は、ハードウェアとしての身体のあり方に依存する)。結構適当です。

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もやもや

404 Blog Not Found:どうせ信用するならエセでない科学を

ちょっと、文句っぽくなりますが。

むう…。結局何が仰りたいのか、さっぱり解らないです。初めのkikulogに対する批判(道徳の話とか)は、どこに行ったのだろう。

柘植さんがよく仰っている事に近い気もしますが、よく解りませんね。

某ブクマで、「このイヤな感じはなんだ。」と評されていましたが、確かに。何でしょうね。小飼さんの、「そう来ると思っていたよ」と言わんばかりの書き方かな。それとも、色々な事をひっくるめて、「メタぶって」書いている所でしょうか。

そもそも、きくちさんが仰りたかったのは、自然主義的誤謬の戒めでは? 自然科学的に「こうなっている」から「こうすべきだ」となる、という。2007年1月26日追記:この「自然主義的誤謬」の用法は、厳密には妥当では無いようです(ムーアの用法に照らすと)。「こうなっている」から「こうすべし」と飛躍するのは、「ヒュームの法則」の様です。←これについても、細かい部分で色々議論があるみたいです。私の手には負えません。社会を形成する場合に、自然科学的論理を踏まえるのは当たり前ですが、それは別に、道徳やしつけの「根拠」では無いのでは? 違うかなあ。

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刷り込み

長年信じていた事が、実は俗説であった事が判明しました…。偉そうにニセ科学批判を論じているくせに、情けないです。余りに恥ずかし過ぎるので、何を信じていたのかは書きません。あんな知識、一体どこで仕入れたんだか。漫画かな。

恥の記録として、書いておきます。

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悲劇

はてなブックマーク - 萌えたコピペ <妻からの間違いメール>(※お断り。物凄く重い内容です。それと、下に18禁広告があるのでご注意を)

うう、これはあんまりですよ…。

人間の、色々な感情が凝縮されていて、読むのが辛いですね。

昨日貼ろうと思ったのですが、ルーさんブログの直後にこれは、ちょっとありえないので、今日にしました。

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ワンセグ辞書(←意味が変わる)

ITmedia +D LifeStyle:シャープ、初の“ワンセグ対応”電子辞書PW-TC900|生活総合タイプ|電子辞書 パピルス:シャープ

欲しいかも。辞書コンテンツを、もうちょっと増やして欲しいですが。

私の持ってる電子辞書は、5年くらい前に買った物なので、機能的に、ちょっと物足りないなあ、という感じです。今のは、その頃とは比べ物にならないくらい、安くて高機能ですね。

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笑いを

皆さん、最近、笑ってますか?

笑いが足りないと感じている、そんな貴方に、お薦めのページをご紹介しましょう。

おっと、その前に。お食事中ではありませんか? 口の中には何も入っていませんね?

準備は宜しいですか? では、どうぞ⇒あえてサイト名は載せません

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脱帽

asahi.com:「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調 - 社会

第3回 規範意識・家族・地域教育再生分科会(第2分科会)(PDF)

野依氏の認識に、激しく脱帽。

委員の発言に、激しく脱帽。

思い付きの物言いが、かなり見られます。それが悪いという事ではありませんが、余りに、主観を一般化する意見が目立ちます。

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元村有希子氏関連リンク集

毎日新聞記者、元村有希子氏(ゲーム脳関連の記事を書いた方です)についての関連記事を集めました(ゲーム脳関連のみ上げます)。元村氏のブログはこちら⇒理系白書ブログ

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お母さんの威厳と意外過ぎるニュース

Wiiに賭けた「母親の復権」:ITpro

これ、面白いですね。とても微笑ましいです。ああ、良いコミュニケーションだなあ、と思いました。

ゲーム慣れしている息子は投球のコツをさっさと飲みこみ,時速150km超の速球をどんどん投げ込んでくる。あまり体を動かさず,手首だけ返して加速度を出しているところが憎い。

これが、ゲームをよくやる人の学習能力です(笑) 「コツ」ですね。

J-CAST ニュース : セガ「DC」復活か! 新作登場でファン騒然

ドリームキャストは、何年か前に売りました。いいハードでしたねえ。しかし、時代を先取りし過ぎていた感もあります。

「ドリームキャストに期待の新作発表で、PS3、Xboxマジ脂肪」

噴いた(笑)

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ごちゃごちゃ

先日の『視点・論点』について書かれているブログ等を読んで思ったのですが、ニセ科学と疑似科学とオカルトを混同している人が、かなりいますね。ニセ科学というのは、科学的に実証されたかの様に装っている説を言うのに、ニセ科学批判者が占い等をも批判しているのだと、誤解している人もいるみたいで。

それから、きくちさんが「○○はニセ科学」と言ったのを聞いて、それを鵜呑みにするとか。きくちさんが仰りたかったのは、何事も、懐疑的に考える(本当にそうなのか、と疑ってかかる)のが大切だ、という事だと思うのですが。「ゲーム脳はニセ科学」、というのを聞いたら、「そうなのか、じゃあ、色々調べてみよう」となるのが、理想ですね。

こういう、伝言ゲームの様な、ズレの連鎖というのは、コミュニケーションにおいて、避けられない事だと思います。だから、同じ内容でも、根気よく続けていく必要があるのでしょう。

仕方が無いと言えば、仕方が無いですね。なんせ、放送時間がたった10分でしたから。寧ろ、たった10分間に、あれだけの内容を入れられたというのが、見事なくらいで。ですから、「こういうのも話して欲しかったなあ」等の希望を言ったりとかは構わないと思いますが、「これを話すべきだった」というのは、それこそ、「多くを求め過ぎ」です。放送時刻や時間、局がNHKであった事等を、よく鑑みるべきでしょう。大概、「ここはこうすべきでは」と言われたら、「ええ、それは心得ています」となるのですね。1喋るために、100くらい勉強している訳ですからね。それを考えた方が良いですね。

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森昭雄氏の講演@世田谷区

2006年3月に行われた、森昭雄氏の講演、「テレビゲームと子どもの脳」についてのリンク集です。実際に参加された方が書かれたものを載せます。後、私が書いた記事にもリンクしておきます。

リヴァイアさん、日々のわざ: 世田谷ゲーム講演について、ブログ内のリンクをまとめます(作家の川端裕人さんのブログ。こちらで取り上げられたのが、この講演会が話題になったきっかけです。関連エントリーのリンク集です)

森昭雄日大教授講演会「テレビゲームと子どもの脳」(講演会のレポート。かなり詳細です)

森昭雄博士の講演「テレビゲームと子どもの脳」@世田谷に行ってきました - せんだって日記 - 楽天ブログ(Blog)科学者ではない、あるいは科学者の風上にも置けない拾遺、あるいは森昭雄博士のゲーム脳講演に対する私の印象(講演の総括と、自身の感想を纏めたもの。参加した人がどの様に「感じた」か、というのは重要です)

All Tomorrow’s Girls:3/6の「ゲーム脳 講演会」の感想3/6の「ゲーム脳 講演会」の感想:続き3/6の「ゲーム脳 講演会」の感想:続きの続き(実際に参加された親御さんの感想。コメント欄も必読。「拍手」については、色々な感じ方があるでしょうね。バイアスもかかるでしょうし)

――――――――――――

以下は、私が書いたエントリーです。

Interdisciplinary: またしてもゲーム脳!!

Interdisciplinary: 森昭雄氏の講演会

Interdisciplinary: 続・森昭雄氏の講演会

Interdisciplinary: 森昭雄氏の講演会(3)

Interdisciplinary: 森昭雄氏の講演会(4)

Interdisciplinary: 森昭雄氏の講演会(5)

Interdisciplinary: 森昭雄氏の講演会(6)

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めちゃくちゃ

わざわざkikulogに貼るのも何なので⇒ボールの回転について

この方、きくちさんやこなみさん達を批判する為には、どんな論理展開でもやっちゃいますね。前提条件を変え過ぎですよ。

どうでもよいですが、「閑話休題」の使い方、間違っていますよ…。この誤用、結構見かけますね。まさか、野球話が本題とか。

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ほどほどに

あ痛!プレステし過ぎで欠場した中継ぎエース-スポーツニュース:イザ!

何か凄いなあ。

「Wiiエルボー」って…。力入れ過ぎですって。

ゲームをやって、腕がおかしくなったりというのを自覚した事は、無いですね。でも、左手の親指の皺の所に、胼胝は出来ています。昔、格闘アクションに燃えていた頃の名残です。私は、方向キーは、(ソフトにもよりますが)指先で押さないので、そこに胼胝が出来ます。皺の部分をキーの中心に置いて、親指を傾けて操作する感じですね。

でも、全身が固まってしまう傾向は、かなりあると思います。コリを助長する様な感じですね。勿論、他に身体を動かす機会が無い場合ですが。

まあ、何事も、ほどほどにしましょう。

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解らないから面白い

きくちさんが、『視点・論点』で仰っていましたが、ニセ科学は、二分法的な、とても解り易い説明をするので、(社会一般が持つイメージとして)本来の科学よりも「科学的」に見えるのでしょうね。

しかし、科学を、少しでも真面目に勉強すれば解りますけれど、現象というのは、そもそも複雑に出来ているのです。真摯な科学者は、物事を軽々しく断言したり、良い/悪いと安易に言ったりは、しないのですよね。だからこそ、科学は面白いのですが。

私は、子どもの頃から、「物事はそんなに簡単じゃないよ。」と、断定的な物言いを聞く度に、思っていました。何故でしょうね。どうしてその様な認識が形成されたのか、不思議です。多分、強く内省的で、自分の性格をある程度自覚していた所に、外から単純なレッテル貼りをされる事によって、そのズレを理解したのでしょう。だから、現象の複雑さを意識する様になったのかも知れません。こういうのは、心理学や精神分析の対象ですね。

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ゲーム・ゲーム脳関連リンク集

ゲーム脳や、他のゲームに関連するWEBページで、参考にしたものを集めてみました(というか、ブックマークしていたものです)。リンク切れがあれば、教えて頂けるとありがたいです。

○ゲーム一般

○ゲーム脳関連(否定的)

○ゲーム脳関連(肯定的)