的外れな批判
武術の専門家で、「武術は科学では解けない」、と主張される方がおられます。
で、大概、そういう方は、科学について、余り知識を持っていないのに(全く無知である事も)、科学に対して的外れな批判を繰り広げたりします。
自身の専門種目で、目標に向かってひたすら邁進して、科学的方法には目も向けない、という事なら構わないと思いますが(個人的には、科学的知識は学ぶべきだと思っています)、何故か、科学に対して、積極的に批判を行うのです。そして、そういう人が、科学者やマスメディアに注目されたりします(たとえば、甲野善紀氏※)。
私が、そういう人達に対して言いたいのは、もし批判するのであれば、科学的方法について勉強した上で、何故武術が科学的に解明出来ないかを、「科学的に」説明すべきである、という事です。
大体、「科学的に解明されていない」ならともかく、「科学では解明”出来ない”」と主張するのは、かなり認識不足ですね。
勿論、「”武術を科学的に解明する”とは、どの様な意味か」という問いも立てられます。
※私は、甲野氏の初期の著作は、結構読みました。読まれた方はご存知だと思いますが、書いてある事は、(他の部分には、同意出来る所があるものの、具体的身体運動については)極めて非科学的な内容です。勿論、氏の理論(と言うのは憚られますが)を実践する事によって、ある程度、上達する場合はあるでしょうけれども、方法に、普遍性を欠いているので、弊害をもたらす可能性もあります。ただ、武術における、身体の操作についての認識の重要性を説いた、という意味では(つまり、「からだをどう使えば良いか」、という事を考えるのが重要だと主張)、大きな功績があったとは言えるでしょう(中国武術や日本の古流武術で普通に教えられていた事を、恰も自身の創作であるかの如く主張している、という批判もあります)。
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コメント
全く同意します。
特にイヤでも曲がりなりにでも科学教育を受けた我々は、武術だってそこを通して考えないと収まりがつかないように思います。
問題はどのような科学かということだと思いますが。僕は科学者ではないので、方法論として使うことは少ないのですが、せめて教養としては身につけておこうと思っています。
甲野さんは、心理学的には感覚タイプの人なんだろうと推測しています。論理性より、感覚的言語で表現する人です。
話を聞いているとやたら擬態語、擬音語が多いですからね。
学者、知識人に高岡さんじゃなくて甲野さんを持ち上げる人が多いのは、学者のプライドの他に、知性が先立つ人にとって甲野さんは付き合いやすくて、話してて面白いのかもしれませんね。
投稿: アド仙人 | 2006年11月 4日 (土) 00:10
アド仙人さん、今晩は。
実は私、甲野氏の本に、とても影響を受けたクチでして。
その後、色々勉強するようになってから、甲野氏の言説には、かなりおかしな部分がある事が解って、やはり、科学的知識は身につけておかないとな、と痛感した次第です。勿論、甲野氏の仰る事にも、同意出来る部分は沢山ありますし、功績は大きいとも思っていますけれども。
甲野氏は、独特の雰囲気がありますね。いわゆる「武術家」的では無いけれども(むしろ正反対)、実技は優れている、という。そのギャップに惹かれる人が多いのかも知れません。武術に興味のある人は、その「実技」に対して疑問符をつけたりする訳ですが…。
投稿: TAKESAN | 2006年11月 4日 (土) 03:36
非科学的云々言うのが既に非科学的なんじゃないの。科学は批判されてなんぼ。まぁ、どんだけ科学やってもイチローとかには成れないんだけどね。説明は後付でいくらでも出来るが。スポーツでも武術でも実際出来なきゃ意味がない。
投稿: | 2008年9月 6日 (土) 23:30
タイトルに書いてある事を自ら示して下さって、誠にありがとうございます。
一つ一つの言葉について、概念をきちんと突き詰めるのが良いでしょう。
投稿: TAKESAN | 2008年9月 6日 (土) 23:55