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2006年11月20日 (月)

水伝といじめ

鴉工房: 「水からの伝言」って何だ

コメント欄が、実に興味深いです。

やはり、水伝が「非科学的であっても」、子どもの言葉の使い方を矯正する為には、教材として用いるのも已む無し、と考える方はおられるのですね。まさに、藁をも掴む思い、なのでしょう。教育現場に水伝を持ち込む教師は、この様に、それが科学的に根拠薄弱である事を判っていながら、やってしまう方も多いのでしょうね。

以下は、極端な例でも何でもなく、大いに起こりうる事だと思いますが。

水伝を用いた授業を受けて、その説を鵜呑みにした児童が、「バカ」とか、「ウザい」等の、「悪い」言葉を投げかけられたら、どう認識するでしょうか。その児童は、もしかすると、自分を、水伝の水と同一化してしまうかも知れません。そして、自分が、精神的にも肉体的にもボロボロになってしまうのではないか、という恐怖感に駆られるかも知れません。又、水伝を鵜呑みにした悪辣な児童が、気に食わない児童に対して、意図的に「悪い」言葉を浴びせる、という事もあるでしょう。まさに、(当人にとって)比喩で無く、「言葉を武器にする」可能性が、あるのではないでしょうか。世の中には、「自分がされて嫌な事を誰かにする」人が、残念ながら、存在するのです。そもそも、いじめを意図的に行う人間(最も典型的な、「いじめっ子」)というのは、「相手が傷つく事を選んで」実行するのです。それを考えると、対処療法的に水伝を用いる事によって、言葉によるいじめが減る、という説には、疑問を持たざるを得ません。

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コメント

そうなんですよね。
いじめる側といじめられる側とで「言葉には物理的な力がある」との認識が共有されると、それが有効打として成立してしまいます。
これはたんに「きもい」「うざい」というより、もっと深刻です。
だって「水伝」では、声をかけたり文字を見せたりした水に対して害が及ぶのであって、声をかけた人間や書いて見せた人間への危険性は入ってませんからね。
つまり、いじめる側はなんら健康上の問題はなく、いじめる側のみが被害を受ける、ということになります。

投稿: A-WING | 2006年11月20日 (月) 10:37

A-WINGさん、今日は。

 >認識が共有されると、それが有効打と
 >して成立してしまいます。
その事によって、言葉が、ダイレクトに人を傷つける武器として認識されてしまうという、とても恐ろしい状況を想像してしまいます。
子ども達は、ファンタジーの世界にも親しんでいるでしょうから、受け容れ易いとも考えられますね。たとえば、呪文を唱えて攻撃するという、ファンタジーではポピュラーな設定とも馴染ませやすいでしょう。

言葉に依存してしまう、というのは、色々と、問題があると思います。言葉によるいじめで傷ついている人は、ただでさえ、言葉の威力というものを強く認識しているでしょうから、そこに、水伝のごとき主張を受け容れたら、却って逆効果であると考えています。

投稿: TAKESAN | 2006年11月20日 (月) 12:55

リンク先の、A-WINGさんと、その直後のアイスストーンさんのコメントで、重要な問題点が指摘されていますね。

結局、水伝の主張を受け容れる場合、皆で一緒に同じ様な価値観を共有しなければ、直ぐに破綻してしまうのですね。科学的な普遍性が無いので、水伝の授業を受けた生徒が、引っ越し、そんな話を知りもしない集団に属する事になった場合、どうなるか。
又、価値観を共有したとしても、A-WINGさんが指摘なさった様に、それを利用して攻撃を加えたり、受け取った側が深く傷ついたり、といった、とても大きな問題もあります。

投稿: TAKESAN | 2006年11月20日 (月) 23:34

「価値観の共有」はこの問題の重要なキーワードですね。
そもそも「美的感覚」から「道徳感」まで共有しなくては破綻するストーリーなわけですし。

投稿: きくち | 2006年11月21日 (火) 00:56

きくちさん、今晩は。

 >「価値観の共有」はこの問題の重要な
 >キーワードですね。
そうですね。語形に固有の性質がある様に主張する水伝は、自分達が、「良い」と思わない言葉や、そういう言葉を使う人に対して排他的になる、という危険性を孕んでいると思います。そこに、怖さを感じます。

心理学や言語学や記号論に触れた人なら、水伝の主張は、見聞きした瞬間に、受け容れられないと感じると思うのですが、鵜呑みにしてしまう方もおられる様ですね。

投稿: TAKESAN | 2006年11月21日 (火) 02:54

そう言えば、水伝は、言葉を発した側も悪い影響を受ける、と主張していた様な気も。手元に本が無いので、確認出来ませんが。水伝を好意的に紹介するサイトには、ありました。そこには、言葉を喋る人にも耳があるから云々と書いてありました。意味が解りませんが。

どちらにしても、それを教育現場に持ち込む事がまずいのは、変わりありませんけれど。

投稿: TAKESAN | 2006年11月22日 (水) 19:53

TAKESANさん
こちらでは初めまして。
先日は拙blogへのコメントありがとうございました。またリンクありがとうございました。今回、僕は水伝のことを初めて知ったのですが、随分長い時間議論されていた問題だったのですね。直感的におかしいと思いましたが、調べれば調べるほど、まったくデタラメであることがはっきりします。知人の教育者が、肯定的なコメントを書かれたことには、ちょっと驚いてしまいました。教育現場では、ぜったいに紹介してはいけない類いのものだと思います。
僕は絵描きですが、自然物に美醜の判断を持ち込むことにも、非常に違和感を感じます。

投稿: corvo | 2006年11月24日 (金) 00:31

corvoさん、今晩は。

 >先日は拙blogへのコメントありがと
 >うございました。
川端さんのブログ経由で拝読し、興味深いやり取りが為されていたので、言及させて頂きました。

私も、水伝を知ってから、多分、まだ一年も経っていないくらいなのですが、だいぶ以前より、教育現場で用いられていた事が、科学者等によって問題視されていた様です。

おそらく、道徳教育で教材として用いる方は、善意から、そうしているのだと思います。しかし、冷静に、水伝の主張を吟味すると、それがいかにおかしなものであるかが、解ります。

言葉に絶対的な力の様なものが内在していると看做す事、価値観の共有を強制する事等に、怖さを覚えます。

投稿: TAKESAN | 2006年11月24日 (金) 01:17

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