手の開き方と議論の仕方
手を広げるということ。 - 一 樂 庵 - 楽天ブログ(Blog)
コメント欄でのやり取りを読むと解りますが、水掛け論に終始しています。理由は簡単です。「何故手を広げるのか(本文にも書かれていますが)」が、結局、全く明らかにされていないからです。にも関わらず、特定の団体名追記:訂正です。「団体名」は出ていませんね(故・佐川幸義師範と、その門下)を引き合いに出して、批判しています。明確な根拠も無しに、です。コメントから読み取れるのは、佐川派は手を広げていないから駄目だ。何故なら、手を広げた方が良いからだ。という主張です。これは、全く、説明になっていません。又、「手を広げる」というのが、どの様な現象なのかが、明らかにされていません。これでは、建設的な議論になりようがありません。
武術家同士の議論は、あの様な、不毛(と言って良いでしょう)なものになりがちです。お互いが、勝手な意味で言葉を用いて、科学的なメカニズムを考慮しないので、当然の事です。
気に入らないようなら、読まずにおけばよい(要約です。コメント欄をご覧下さい)、という趣旨のコメントがありますが、ブログという、不特定多数の人の目に触れる場に、他の競技や流派を批判する内容の記事を書いているのですから、批判に対しては、開かれた態度を取るべきでしょう。尤も、今回は、反論された方の書き方も、些か感情的だった様ですが。
ところで、「手の開き方」について、ですが、流派により、又、同一流派内においても指導者により、多数の教えがある様です。「朝顔の手」、「猫の手伝」、「完全に弛緩させる」、「爪先の当たりにだけ力を入れる」、等々。理由についても、「密着を良くする」、「気を出す」、等、様々です。未だに、解剖学的・生理学的・力学的に、しっかりと納得出来る解説は見た事がありません。私は、腕・肩の重みを効率良く伝える為に、手を張り前腕筋群を収縮させ、受けの手と密着させる、という効果はあるのではないかと思っています。ただ、何故「朝顔の手」や「猫の手」等の形が良いとされるのか、というのは、ちょっと解りません。この場合、「その形で無ければ発揮されない機能」が明らかにされなければなりませんが、論者によって主張がバラバラで、科学的な説明は、今の所殆ど無い、と言って良いでしょう。
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コメント
はじめまして
私も、TAKESANとほぼ一致した考えを持っています。私は、武道を嗜んでいる物理屋ですが、練習仲間の技に対する理解の仕方に、腹立たしさを感じたことがありました。私が思うに、武道(とくに古武道)をされる人たちの大半は、精神性とか神秘的な力に、憧れを懐きすぎているのではないでしょうか。自分を磨くことは大切なのですが。私が、力学で、技の説明をしようとすると、訝しげな顔をするのです。近頃は、日本人の大半は、何に対してでも論理的思考を巡らすことを好まないのだなと、勝手に解釈し、目くじらを立てることはやめにしました。今の日本人が、論理的に物事を考えるようになるまでには、かなりの時間が必要なのでしょうね。
空の青さや自然に対する、感動や畏敬の念が、論理的思考により薄れたりすることはないのですが。
投稿: 通りすがり人 | 2006年11月17日 (金) 17:45
通りすがり人さん、今晩は。
>私が思うに、武道(とくに古武道)を
>される人たちの大半は、精神性とか神
>秘的な力に、憧れを懐きすぎているの
>ではないでしょうか。
同感です。私が初めて実際に触れた武術(の一派)は、武術における神秘的事象には懐疑的でした。その事は、とても幸運であったと思います。
指導者層が、武術を科学的に捉える事に対して、嫌悪感を持っている場合がありますが、そういうケースだと、科学的認識を持っている方は、苦労なさるでしょうね。
>今の日本人が、論理的に物事を考える
>ようになるまでには、かなりの時間が
>必要なのでしょうね。
武術・武道の世界は、論理的(自然科学的と言った方がよいかも知れませんね)思考を忌避する傾向があるのでしょうね。これは社会科学の対象ですけれども。
>空の青さや自然に対する、感動や畏敬
>の念が、論理的思考により薄れたりす
>ることはないのですが。
大変よく解ります。物事を、論理的・科学的に、精密に捉えようという態度に対して、冷たいとか、そういう印象を持つ人がいますね。武術をやっている方は、私が書いている武術関係のエントリーを読んで、そう思っておられるかも知れません。寧ろ、逆なのですよね。知れば知るほど、自然の素晴らしさに対する感動は、どんどん増していきます。
投稿: TAKESAN | 2006年11月17日 (金) 18:48