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2006年11月 9日 (木)

評価

「武術は言葉では説明出来ない」、とした上で、「見れば技が出来ているか判る」と仰る武術関係者がおられるのですが(そして、自分も出来ている、という事も暗示している)、そう仰る人の写真を見てみると、一体、どこが出来ているのだろう…、と思う事が、しばしばです。書いてある内容は尤もでも、全く体現出来ていなかったり。

じゃあ、自分は解っているのか? という批判があるでしょうね。私がこのブログで書いているのは、「武術には曖昧な所があるから、科学的に考えて、皆が同じ意味で言葉を使う様にして、議論を進めるべきだ」、という事なのです。優れているとすれば、どこがどう優れているのか、それは、写真や映像の、どこに現れているか。それには、しっかりとした根拠があるのか、等を考えないと、「話にならない」のです。ですから、私は、他人のパフォーマンスについて書く場合には、どこがどう優れているのか、又、どこが良くないか(これは、余り書いた事は無いですね)、を、他人にも理解して頂ける様に、科学的概念を用いて、客観的に記述しているのです(そうすれば、科学的概念の用い方そのものが間違っている、という批判を受け容れる事も出来ます。批判に対しては、開かれた態度を取らねばなりません)。それから、私は、自分の事については書きませんし、書く事には、余り意味が無いと考えています。そもそも、自分が出来るかどうか、というのと、優れた運動を理解出来るか、というのは、別(相対的独立)なのです。それに、自分の「出来なさ」を、よく理解していますしね(その内書くかも知れませんが、その際には、画像や映像を、共に載せます)。後、見た目から得られる情報には、やはり限界があります。たとえば、より深層にある筋肉が、どれ程働いているか、とか。そういう理由もあって、写真や映像から、運動のレベルを評価する際には、慎重になる必要があります。

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