« メモ:川島隆太氏の研究について | トップページ | 本当なのですか? »

2006年11月 8日 (水)

潜在的擁護システム

モモのおじさん さんの、すっきりライフ 合気道ドタバタ奮戦記 - 楽天ブログ(Blog)内、武術とコンピューター社会・・・答えだけが好きを読んで。

深く考えようともせず、直ぐにアドバイスを求める、という人がいるのは、確かにその通りだと思います。ですが、

でも、武術は外から答えを貰っても意味がないのです。

このご意見には、賛同出来ません。

私も手でこうやって「スーっと」、「違う、スーだよ」とか云います。

という、感覚的(論理性が充分でない)説明は、勿論、上手く働く事はあるでしょう。しかしこれは、見方を替えると、言葉による詳細な説明を行う努力を放棄(とは、言い過ぎかも知れませんが)している、とも考えられるのです。

武術の修行をされている方、指導者の方に問いたいのは、「武術の動きを言葉で説明しようという努力はされましたか?」という事です。初めから、「武術は、言葉では説明出来ないものなのだ」、と、諦めてはいないでしょうか。又、言葉による説明を心がけている人は、それが充分論理性を持つか、自分の考えている事は、果たして正しいのか、等の反省を、常に行っているでしょうか。

言葉で説明出来るのにしない(相手が自発的に考えるよう、促す)のと、説明「出来ない」のは、全く別の事です。どうすれば、相手が最も早く、回り道をせずに上達するか、という事を、本気で考えているならば、自分がやっているものについて「知る」、というのは、とても肝腎です。モモのおじさん さんは、

今は何でも答えてくれる先生が良い先生で、感覚的な言葉で訳が解らず「違う!よく見ろこうだ!」というのは悪い先生なのでしょう。

と、皮肉まじりに書いておられますけれども、その、「何でも答えてくれる先生」が、当を得た説明をする、又、感覚的な先生と同じ程度の実力がある、と仮定すれば、そちらの方が良い指導者である、と断言出来ます。

感覚的表現を多用した指導が、多くの落伍者を生み出してはいないか、という事についても、よく反省すべきであると考えます。それ(感覚的――つまり、非言語的な――指導。非言語的と言うよりも、非論理的、と言うべきでしょうか)が、結果的に、修行者の上達を阻害し、上位者の立場を守る為に機能している、という可能性は無いのでしょうか。本当に、相手に上達して貰いたい、その為に最大の努力をする、と、考えるならば、その様な可能性にまで、目を向けるべきです。

たとえば、「ここでは、腕に力を入れた方が良いのでしょうか?」という質問を受けたとします。この場合、どう答えるでしょうか。安易に、自分の経験を基にして、「そこは○○だ。」と説明していませんか。ここで言われている「力」とは何か? とか、「何故」そうすべきか、等を、きちんと理解しているでしょうか。自分が余り理解していない事を、他人に教えてしまっている、という事は無いでしょうか。正確な理解を求めていくと、必ず、科学的な知識が求められますが、それを勉強しようと、努力はしているでしょうか。はっきり申し上げて、自分達がやっている事を、思弁的にのみ捉えて、それで良し、とするのは、怠慢です。身体運動文化である武術を、ただ感覚的(体験的)に考えて、分析的・客観的(科学的)に考えようとしないのは、後れている、と言わざるを得ません。

※そもそも他人の上達に関心の無い人にとっては、上の主張は、全く意味が無いかと思います。

※武術史上、名を馳せた達人が、類稀なる才能の持ち主であった、という事を、忘れてはいけません。天才と同じやり方で、天才と同じ場所へ到達出来る、と、安易に考えてはいないでしょうか。ここで、「才能がある」というのは、武術の優れた動き等を、分析的に、詳細に認識しなくとも、直感的に捉え、自分の身体で再現してしまう能力がある、という意味です。

※タイトルは、高岡英夫氏の概念です。

|

« メモ:川島隆太氏の研究について | トップページ | 本当なのですか? »

「武術・身体運動」カテゴリの記事

コメント

あらら…以外な反応でした。
まあ、しょうが無いですね。ちょっと残念ですが。

↑何の事か解らないかも知れませんが…。

投稿: TAKESAN | 2006年11月 8日 (水) 16:11

こんばんは。
「理屈ではない」という言葉はカッコイイですが,そう言いたいだけになってないか,使う側は気をつけなければいけませんね。
自分の心にストンと落ちるものほど,「ちょっとまて」と思う必要があると思います。
例えば女性とか(笑)

投稿: A-WING | 2006年11月 8日 (水) 17:22

A-WINGさん、今晩は。

武術の世界というのは、押し並べて、体感的な事を重視していて、分析的・科学的に考えるというのは、殆ど見られないんです…。一見論理的であっても、単なる思弁であったり。

言語に尽くせない、言葉で表現しようとする程本質とは離れていく、というのは、確かに、部分的にはその通りなのですけれど、だからといって、言葉で説明しようという努力を放棄するのは、駄目なのだと思います。勿論、科学に裏打ちされない「言葉」では、話にならないのですが。

 >自分の心にストンと落ちるものほ
 >ど,「ちょっとまて」と思う必要があ
 >ると思います。
 >例えば女性とか(笑)
「成る程、そうか!」、と納得していても、後から考えると、一体あの実感は何だったんだ…という事は、結構ありますねえ。

投稿: TAKESAN | 2006年11月 8日 (水) 17:47

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/13103/4104806

この記事へのトラックバック一覧です: 潜在的擁護システム:

« メモ:川島隆太氏の研究について | トップページ | 本当なのですか? »