« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »

2006年11月に作成された記事

2006年11月30日 (木)

何をか言わんや

Sankei Web > 神奈川 > 【ヤンキー先生の「オレにまかせろ」】 朝食(11/27 10:04)

内容のおかしさは、もはや言うまでもありませんが、文章そのものが微妙だと思うのは、私だけでしょうか。

「じゃあ自分はどうなんだ?」と言われそうな気もしますが…。勿論、自分を棚に上げて書いています。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

自分を温かいと思いたい冷たい人達

Frog is not Blog::キカイの向こう側

全く同意です。

ふと考え付いたのですが、ゲームをやっている人を否定的に見ている人は、プレイヤーとゲームをまとめて、「機械」と看做しているのではないでしょうか。画面に向かってコントローラをカチャカチャやっているのを後ろから見て、それを機械の様に感じているのではないかと。その方が余程、冷たい物の見方だと思います。結局、人間性を否定している訳ですから。よくありますよね。ゲームをしている人の表情を見て、「感情が無い」とか、「人形の様だ」とか。思い込みもいい所です。そういう先入見を持って他人と接するのは、おかしいですよね。どう考えても。

「ゲーム脳」や「水からの伝言」なんてニセモノの科学よりも,ゲーム機に入っている「だれかの魂の結晶」のほうが,より頼りがいのある教材だと思います。

私の道徳心(というと大袈裟か)は、その殆どが、ゲームと漫画によって形成されました。親戚に漫画好きがいた事もあって、小さい頃から相当読みましたね。ジャンルもバラバラ。ホラーから熱血スポ根、ギャグ漫画まで、様々でした。漫画とかゲームに理解が無い人は、それがメディアであって、多種多様なコンテンツがある事を、全然解っていないのです(解っていても、そこに重きを置かない)。RPGをクリアーして感動したり、等もありますね。他にも、ゲームによって、論理的能力が、そこそこ鍛えられたりしました。ゲームは、情報を分析し、推論を行わなければ、先へ進めない様に出来ていますので、結構頭が鍛えられるのですね。勿論、ジャンルにもよりますが。そういう意味では、役に立ったと思います(役に立つからやった、というのではありません)。それが高じて、ゲーム(ソフト)がどうやってつくられているか気になる→プログラミングに興味を持つ、という流れで、プログラムを始めたり、という事もあります(正確には、たまたまBASICを知ったのがきっかけですが。プログラミングは、ちゃんとやっとけば良かったなあ、なんて、今になって思っています)。

一言で言うと、漫画やらゲームを批判する人は、それらを「舐めている」のですね。それに尽きると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月29日 (水)

よく解らない

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - いじめ「見ぬ振りも加害」…教育再生会議が緊急提言

いじめを傍観した児童・生徒の指導強化も盛り込むなど、踏み込んだ内容となった。

どうやって判断するのでしょう。又、「指導強化」とは、どの様なものなのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

友達

MORI LOG ACADEMY: 友達って大事か?

全く同意です。

一緒にわいわいはしゃぐ間柄の人間なんて、別に、沢山いなくてもいいです。何人かの親しい仲間がいれば、それで充分。友達が少ない事が、人として能力を欠いているかの様に言う方もいますが(テレビなんかで見ますね)、乱暴な意見ですし、何より、余計なお世話です。

毎日会って、じゃれ合っているばかりが友達ではない。人それぞれである。

その通りです。色々いたっていいじゃないですか。

余り社交的で無かったり、物静かな人に対して、「暗い」と言う人、いますよね。これって、結構暴言ですよ。言われた方は、かなり傷つくかも知れないです。まあ、言い方や、元々どういう関係か、という事も関わりますので、一概には言えませんけれど。でも、そういう発言で、ネガティブな評価を与えるのは、考えものだと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月28日 (火)

神話崩壊?

某自称達人の試合を観ましたが、何とも言えない気分になりましたね。

先ず、試合結果は、大方の予想通りであったと思います。どの程度武術を修行したのかは知りませんが、総合系のルールの試合で、しかも、そのルールに特化してトレーニングを積んでいる格闘家に勝つというのは、そもそも困難です。当人が、どの様な認識で試合を受けたのか(本当に試合をやろう、と思った動機)、知る由もありませんが、正直、無謀であったと思います。

試合形式についてですが、ビデオカメラで撮影もし、多数のギャラリーもいたのですから、もう少し、ルール等に配慮すべきであったと考えています。せめて、マウスピースやグローブをつけるくらい、するべきでしょう。観衆には、格闘技の試合を見慣れていない様な人も見られましたが(推測です)、そういう人の事も慮るべきです。真剣勝負だから、マウスピース等要らない、と言われそうですが、時間・会場を決めて、観衆を入れ、ルールを決めて試合を行うのですから、それは当たりません。勿論、当事者同士の合意がありますから、部外者が云々する筋合いでもありませんが、60歳過ぎの人間が、血気盛んな若者と、ほぼノールールで試合を行うのです。ドクターも置かず(詳細は知りませんが、救急車が呼ばれたとの事なので、いなかったと思います)、あのルールで進めるのに無理があるのは、言うまでも無い事だと考えます。

勿論、自称達人氏は、自業自得であったと言う事も出来ます。WEBサイトに書かれている数々の宣伝文句等を見ると、その怪しさは、一目瞭然です。書いてはならない事も書いています。そして、サイトで試合相手を募集し、実際に試合を行った結果なのですから、同情の余地は無いと言ってもよいでしょう。お弟子さんも、意気消沈されていた様ですが、目を覚ますきっかけにはなったかも知れません(でも、とても気の毒だとも思います)。ただやはり、映像を観ると、何とも言えない気分になるのです。60過ぎの人間と、総合ルールで試合をする事自体、異常です。それは、皆判っていた筈です。にも拘らず、決行し、あの様な結果になった。残念です。

話は換わって、あの試合結果を知って、試合の無い武術を愛好している人は、複雑な気持ちになった事でしょう。いや、自分達はあれとは違う、と言う人もいるかも知れませんね。私など、「勝てる訳が無いだろう」という考えです。試合形式の稽古をせず(恐らく、です)、総合系で鍛えた格闘家に勝てるかも知れないと考える事自体が、かなり素朴な認識です。ノールールに近いと言っても、お互いに約束をし、会場と時間を決めて試合を行うのですから、そもそも護身術の意味合いが強い合気系武術で対応するのは、極めて難しいでしょう。攻撃技も少ないですしね(「無い」とは言えないです。又、道場によってもバラツキがあります。一般的には、合気道には存在しないとは言えます。合気道の標準的なテキストを基準にすると、それに則った稽古だけでは、総合系の試合で合気道家が勝つのは、「絶対」に近いくらい難しいでしょう。で、それを考慮して、体系に打撃技を組み込んだ場合、「それは合気道」と言えるの? という問題も出てきます)。そこに疑問を持った人々は、分派を作って、試合を導入したりしている訳ですが、そういう人からすると、今回の結果は、当然の事だと認識しているでしょう。昔も今も、古流武術や合気道等の修行者で、達人は存在するとは思いますが、だからと言って、体系そのものが優れているなどとは、言えないのです。それは当然の事です。名を馳せた達人が、他流と交わったり、実戦経験豊富だったりしたのを、見逃してはいけません。そういう意味で、個人的努力による所が大きいと考えられます。それが体系にフィードバックされるかどうかは、又別の話です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月27日 (月)

コラボ

ポッキー×ガンプラ 人気定番商品のコラボレーション「ポッキー<ガンプラ>パック」3種、12月11日全国発売~話題性によるターゲットの拡大を目指す~ | バンダイ | プレスリリース

やっぱり、一瞬で売り切れるのでしょうか。

ガンプラがポッキーを握ることができる新型部品や、オリジナルステッカーも新たに付加させるなど遊び心を加えた商品となっています。

むう…微妙。ステッカーはともかく、ポッキーは握れなくてもいいでしょ(笑)

ググってみたら、実勢価格は450円程度になるみたいです(実際は判りませんが)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月26日 (日)

名作

クロスレビュー(クロレビ)、殿堂入りソフト紹介 / ファミ通.com

『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』がゲームキューブでも出るというのを、知りませんでした…。

しかし、クロスレビューは、ずっと10点満点方式のままですね。他の評価の仕方もあると思うのですが。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年11月25日 (土)

バーチャルとかいじめとか

週間ポストの、北野武さんの連載を読んだのですが、いじめ問題に絡めて、バーチャルがどうだこうだとか、現実の痛みを知らないから云々とか、そんな事が書かれていました。それと、いじめ被害者の保護者についての批判(と言ってよいのかな)も。こんな典型的な、若者叩き的な思考を持っている人だったのか、と感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

食育

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <食育白書>子どもに朝食「欠食」や「孤食」が拡大

失われる健全な食生活 初の食育白書で警鐘 [CHUNICHI WEB PRESS]

Sankei Web > 政治 > 失われる楽しい食事、健全な食生活…「食育白書」で警鐘(11/24 10:57)

asahi.com: 初の食育白書を閣議決定 地域の取り組みや問題を紹介 - 健康

失われた健全な食生活…初の「食育白書」で警鐘 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

色々、気になる記述もあります。食育の理念自体は、別に良いと思いますが、「健全な食生活」とか、それが「失われた」とか、余り言わない方が宜しいのではないかと。後、成績がどうのこうの、とか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

設定変更

コメントにURLを貼ると、自動的にリンクされる様、変更しました。

過去のコメントにも反映させたので、コメントの文章とつながって、リンクになってしまっている場合もあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月24日 (金)

テレビ番組での批判

前にもご紹介しましたが、今一度⇒「時流」 TVゲームと少年犯罪の関係(2005/04/01)

マスメディアが「ゲーム脳」を批判的に紹介した、数少ないケースだと思われます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いじめ対策とか

原宿新聞 - 原宿エリアの最新ニュース - 「いじめ学」内藤朝雄氏に聞く、問題の深層と対策(1) 

参考になると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

武道を読む

武道を読む Book 武道を読む

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

高岡氏の初期の本です。

内容は学術的ではありますが、インタビュー形式で書かれており、初期の著作にしては、とても読み易いと思います。高岡氏の、実践に基づいた鋭い考察もあり、興味深いです。

武道を科学的に捉えるとはどういう事か。武道は、人類の文化の内で、どの様に位置づけられるのか、等に興味がある方に、お薦めの一冊です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月23日 (木)

ずれてる

全くどうでもよいのですが、このブログ、テンプレートと書いてある内容とが、全く合ってなかったりしますね(笑) 勿論、わざとやってるんですけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ちぐはぐ

クイズ!ヘキサゴンII(11/22放送分)

思うのですが。

一方で(ワイドショー等で)、「いじめは良くない」とか言っておいて、他方では、

「幸せな結婚生活を送っているアグネスさん。突然ですが、明日から旦那さんがフットボールアワーの岩尾(望)さんになります。いくらもらえばあきらめがつきますか?」

こんな事をクイズにして放送するのは、どうなんでしょう。バラエティだから良い、と言うのですかね。でも、バラエティは、フィクションではありませんからね。幾ら、当人達が割り切っているのだとしても、何か…。芸人さんが、自分達を貶めて笑いを取る、という面があるのは解るのですけどね。自虐ネタは、よくありますし。

※多分、すぐにページは更新されるでしょうから、「みどころ」を、全文引用します。

大人気の「もちろんクイズ」。今回は、アグネス・チャンには「幸せな結婚生活を送っているアグネスさん。突然ですが、明日から旦那さんがフットボールアワーの岩尾(望)さんになります。いくらもらえばあきらめがつきますか?」、アンガールズの田中卓志には「大好きな蒼井優さんと一カ月だけ付き合うことが出来るとしたらいくら払う?」、長州小力には「明日から、尊敬する長州力さんと、好きな時に本人と入れ替わることが出来ます。いくら払いますか?(ローン可)」、タカアンドトシのタカには「『大好きな牧瀬里穂さんと行く3泊4日の沖縄恋人同士の旅』が発売になりました。お部屋はジュニアスイートで、朝食つき。さて、このツアー、いくらで買いますか?」などの爆笑問題が出題される。ご期待下さい!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

検定!

ゲーム検定!  日経エンタテインメント! 日経BP社

やってみました。結果は、

+++ ゲーム検定 成績発表 +++

あなたの総合得点は62点  全国平均 55点

全国順位(11月23日 0時現在)
8349位(35577人中)

--ジャンル別得点表------------
            0_________50_________100%
ハードウェア       ■■■■■■■■■■■■■
ゲームシステム&テクニック■■■■■■■■■■■■
キャラクター       ■■■■■■■■■■■■
ビジネス         ■■■■■■■■■■■
雑学           ■■■■■■■■■■■■■
--------------------------

--講評---------------------

あなたは「ゲーム大臣」

これだけの知識があれば、たいていのゲーム好きの人間とは楽しく会話ができるはず。しかし、この先、もっと深く広い知識を得ることで、世界はさらに広がるだろう。

貴方がもっとも詳しいゲームのジャンル:   ハードウェア

貴方がもっとも詳しいゲームの年代:   90年代後半から現在にかけての熟成期

--------------------------

…まあ、こんなものでしょう(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月22日 (水)

ソフィスト

浮遊でご紹介したブログですが、その後、コメント欄でのやり取りが続いています。

で、それを読んでいて、何となく既視感の様なものを感じていたのですが、判りました。

ABO FAN氏と、心理学者の渡邊芳之氏との論争(畜大心理:ABOFANへの手紙)に、どこか似ているのですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

水に「見せる」?

前に書いたのですが()、水に文字を「見せる」と聞いた瞬間に、「文字って、人によって、形が違うんじゃないの?」と反応するのが、普通だと思うのですよね。たとえば、書道をよくする人は、草書(草書体 - Wikipedia)で書かれた「有難う」は読めると思うのですが、私等の素人は、教えて貰わないと、判別出来ないはずです。「ありがとう」を見せると言っても、沢山の書体がありますし、ローマ字で「arigatou」、「ARIGATOU」、とも書けます。語形というのは、無数に生成し得るのですね。勿論、書かれた文字を構成する物質も、様々です。水伝を信ずる人は、この様な反論に対して、どう答えるでしょうか。

屁理屈だ、と言われるかも知れませんが、これが、言葉の本質なのです。そして、この程度の反論で矛盾が起こる程、水伝の主張とは、脆弱なものなのです。

ギャル文字で「ぁレ)ヵゞ`⊂ぅ」という字を書いて、水に見せても、水は美しくなるのでしょうかね。

この喩え、結構気に入っているのですが、駄目ですかね? だって、読み方によっては、「集合”ぁレ)ヵゞ`”は集合”ぅ”の真部分集合である」となるのですよ。意味が解りませんが。

今時、ギャル文字なんて使う人、いるのかな…。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年11月21日 (火)

声優とか、芝居とか

声優の芝居が大根の理由 - せんだって日記 - 楽天ブログ(Blog)

【遅くなったネ】声優芝居は大根か【お返事】 - せんだって日記 - 楽天ブログ(Blog)

私は、芝居とか演劇について、殆ど調べた事も無いので、以下、単なる感想になりますが(せんだって日記さんのエントリーの内容についての意見では無いです)。激しく取りとめが無いですが、ご容赦を…。

こういう話題は、「○○とは何ぞや?」とか、色々な、大人の思惑とか、そういうのが絡むので、難しいですね。せんだって日記さんが仰る事にも、納得出来る部分はあるのですね。型に嵌ってしまっている、というか、そういう演技をしている声優さんは、いるでしょうね。人気先行で、実力が伴っていない人をキャスティングする、と言う事もあるでしょう。それは、他の世界もそうであると思います。芝居というのは、客観的に能力を評価してランクを付ける、といったものではありませんから(客観的に評価する事自体、難しい。好き嫌いも絡みますし)、そういう事は起こると考えられます(「起こり易い」かどうかは、微妙な所ですが)。総体としてどうであるかは、よく考える必要があるでしょうね。産業として注目→実力よりも売れるかどうかを重視→実力の無い人が売れる、という流れを仮定しているのでしょう。最近の女性アナウンサーについての批判とも、構造が似ている気がします。

勿論、有名若手声優⊂演技が下手、なんて事は無い訳ですけれども(どこまでを若手と言うか、という問題も)。そこは、認識すべきですね。小数の例を以って、それを一般化し、ステレオタイプを形成してしまう事はありますね。「最近の若手歌手(の中で、売れている人)は歌が下手」とか(これについては、オリコンの上位の常連の歌を聴くと、そういう傾向はあるなあ、と思っていますが)。

見る人が、芝居の上手下手をどう評価するか、又、それは妥当か、という問題もありますね。結局、最初に書いた、「○○とは何ぞや?」という話になります。

よくありますよね。あの人は歌が上手い/下手、という議論。結局、「上手い」とはどういう意味かが明らかにならないまま、議論が進んでしまうので、水掛け論に終わってしまう、という。それと、同じ様な事だと思います。仮に、それを操作的に定義して、議論をしたとしても、それが果たして、皆が思う「歌の上手さ」を過不足なく説明出来ているか、という妥当性の問題もあります。

以下、超個人的な意見。

ジブリ作品のキャスティングは、何とかして欲しいと思ったりしています。

某メーカーのRPGで、いわゆる声優は使わない、という事がありましたが、あれには参りました。

たとえば、演技の稚拙な人が、大役をあてがわれる事があります。そして、その役者さんが批判される場合があります。私は、それは違うと思います。批判するなら、キャスティングした人間を批判するべきであって、役者自体を責めるのは、筋違いであると考えています。大役を演じてくれと言われて、「自分は演技が下手だから嫌だ」等と言って断るのは、普通あり得ないですしね。そんな事をしたら、大顰蹙です。それが許容されるのは、ある程度の地位にある、大御所やスーパースターのみでしょう。

(私は)よく、「最近の若い役者は演技が…」という話を見聞きする事があります。果たしてそうでしょうか。現在大御所として活躍する役者さんの、若い頃の演技を観ると、今の若い人の方が、圧倒的に上手だと感じる事が、しばしばです。勿論、個人的感想ですが(この場合、観察対象は、「テレビや映画で活躍する人」なので、それ程多数でも無いです)。

当然、個人的に、「演技の上手な人はこうだ」という、必要条件の様なものは、考えています。誰でもそうだと思います。それを、分析的に認識しているかどうかは、人それぞれですけれど。滑舌の良さ等は、多くの人が認める必要条件だと思います。人によっては、「ハラを効かせた声」というのも、条件に含めるでしょうし(これは、滑舌と較べて、はっきりとした評価が難しかったりしますが)。声に1/fゆらぎが含まれているかどうか、なんて事を言う人もいるかも知れません。

舞台で鍛えた人が、テレビドラマに出演しているのを観て、演技が「大袈裟」に見える事があります。仕草や声の調子にメリハリがありすぎて、「浮いて」しまっている様に感じます。

この人は上手だなあ、と思う声優さんは、何人かいます。その評価が妥当かどうかは、よく判りませんが。たとえば、榊原良子さんとか、大川透さんとか。声優界の至宝、若本規夫さんとか、若本さんは、色々な意味で、次元が違う様な感じもします(笑) 一体、あの人の演技は上手いのかどうなのか、という意見もありますね。そういう評価には、多分に「好み」が介在するでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

究極vs至高

Yahoo!ニュース - サンケイスポーツ - 松岡&優香で「新美味しんぼ」!来年1月フジ系でSPドラマ

むむう…。山岡役は、やはり唐沢さんの印象が強いですね。適役だったと思います。

雄山役はどなたなのでしょう。個人的には、江守徹さん以外に考えられないですね。

前シリーズは、かなり完成度の高いドラマだったので、今回は、期待半分、不安半分、といった感じです。

Book 美味しんぼ 97 (97)

著者:雁屋 哲
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

美味しんぼ (96) Book 美味しんぼ (96)

著者:雁屋 哲,花咲 アキラ
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

解剖

「ゲーム脳」論の、「どこが」、「どの様に」おかしいかを、簡潔かつ充分に纏める必要があると思っています。森氏の主張は、論理的に矛盾だらけで、交錯しており、又、ゲーム文化そのものの複雑さもあるので、それを解きほぐして整理するというのは、なかなか難しい事ではありますが。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

暴論

こんなのを見つけました⇒Yahoo!ブログ - のんびりブログ:時流自論 ―藤原新也さん―

私は、藤原氏の仰る、

評論家口調をする”タレント”が、受けねらいで教育再生会議のメンバーに任命されるような施政が行われる日本

この部分にだけ賛同します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月20日 (月)

水伝といじめ

鴉工房: 「水からの伝言」って何だ

コメント欄が、実に興味深いです。

やはり、水伝が「非科学的であっても」、子どもの言葉の使い方を矯正する為には、教材として用いるのも已む無し、と考える方はおられるのですね。まさに、藁をも掴む思い、なのでしょう。教育現場に水伝を持ち込む教師は、この様に、それが科学的に根拠薄弱である事を判っていながら、やってしまう方も多いのでしょうね。

以下は、極端な例でも何でもなく、大いに起こりうる事だと思いますが。

水伝を用いた授業を受けて、その説を鵜呑みにした児童が、「バカ」とか、「ウザい」等の、「悪い」言葉を投げかけられたら、どう認識するでしょうか。その児童は、もしかすると、自分を、水伝の水と同一化してしまうかも知れません。そして、自分が、精神的にも肉体的にもボロボロになってしまうのではないか、という恐怖感に駆られるかも知れません。又、水伝を鵜呑みにした悪辣な児童が、気に食わない児童に対して、意図的に「悪い」言葉を浴びせる、という事もあるでしょう。まさに、(当人にとって)比喩で無く、「言葉を武器にする」可能性が、あるのではないでしょうか。世の中には、「自分がされて嫌な事を誰かにする」人が、残念ながら、存在するのです。そもそも、いじめを意図的に行う人間(最も典型的な、「いじめっ子」)というのは、「相手が傷つく事を選んで」実行するのです。それを考えると、対処療法的に水伝を用いる事によって、言葉によるいじめが減る、という説には、疑問を持たざるを得ません。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

学習療法

G-NET 最新厳選☆脳を鍛える特集:学習療法 高齢者施設で大流行。全国で300施設に

本当に認知症を改善する効果が「学習療法」にあるのかというと、川島教授も「成果がトレーニングそのものに由来するのか、スタッフとの交流によるものなのかは区別できない」という。それでも、「学習療法全体としての効果は十分に示したつもり。画像機器を使った脳の機能解析が専門であり、それ以上の学問的な検証は、認知症専門の方にお任せしたい」。

川島氏の認識としては、研究によって、ある程度の効果が認められたのだから、それを用いていっても良いのではないか、といった所でしょうか。少なくとも、害になる事は無いのだから、と。確かに、詳細な学術的検証を待っていては、いつまで経っても現場に適用出来ない、という事情はあるのでしょうね。ただ、この様なメソッドに対して、非専門家がどういった認識を持つか、というのは、よく考えられなければならないと思います。個人的には、過剰に喧伝されているのでは、という印象を持っています(川島氏自身は、かなり慎重な物言いをされる方でもあるのですが)。勿論、そもそも川島氏の研究が妥当であるか、というのも、どんどん追試されるべきでしょう。それによって、エビデンスが蓄積されれば、それは良い事だと思います。

私が懸念しているのは、「脳を活性化させる/させない」文化、と、文化を二分してしまう様な見方を形成する可能性ですね。考え過ぎなのかも知れませんが(川島氏の著作では、よく、ブレイン・イメージングによって得られた画像を載せ、「これは前頭前野が活性化した/しない」、という書き方がされているので、気になってしまうのです)。それと、一般的な学習の過程において(つまり、認知症の改善、という臨床的な観点では無く)、単純計算や音読が、どれ程効果的であるか、という点についても、疑問を持っています。

参照:

So-net blog:☆星に願いを☆:学習療法(認知症)メモ〜長すぎです

Yahoo!ブログ - ☆お馬鹿姫の遠吠え☆:学習療法 前頭前野を活性化

学習療法:メディケア栄

ヒューマン・サービス・プラットフォーム プロジェクト詳細 高齢者プロジェクト

医学書院/週刊医学界新聞 【〔特集〕認知症に挑む(プランナー:川島隆太)〔新春座談会〕「認知症は予防できるか」(川島隆太,本間昭,朝田隆,久野譜也)】 ( 第2664号 2006年1月2日)

川島隆太 - Wikipedia

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年11月19日 (日)

家庭用ゲーム機症候群

ちょっと古いですが⇒Amazon.co.jp: ファミコン・シンドローム: 本: 深谷 昌志,深谷 和子

タイトルから推察されるような、テレビゲームの悪影響を論じ、不安を駆り立てる、という内容ではありませんでした。

ただ、全体的に、事例報告や調査に対する、著者の恣意的解釈が目立っている様に感じられました。

ゲームやコンピュータと、それに関わっている人を外から眺め、感想文を書いた、といった所でしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

前提条件の違い、文化としての武術

理屈を言う人は上達しないであろうバイアス、の形成での、A-WINGさんのコメントを受けて。

現代の武術家が勘違いしているのが、武術は命をやり取りする中で発達してきた文化だ、という事に対する過大な評価(自負)です。

現代において、武術の技を実際に行使する、というのは、ルールを決めた競技会(試合)でなければ、街中での喧嘩や、暴漢に襲われた時の護身くらいしか機会が無いので、そもそも、「本気でやる」という事が、殆ど皆無に近いのですが、かと言って、街で実力を試す、等というのは、全く反社会的行動であって(一部に存在しますが)、それは許されざる事です。ですから、試合の無い武術・武道にとっては、実力を試す機会というのは、一般的には無い、と言えます。つまり、比較的、戦闘が身近であった時代とは、そもそも前提が異なるのです。従って、ちょっとしたミスが、即、死に繋がるという、レース等の世界の方が、圧倒的に厳しいと思います。

この様な論理を踏まえずに、武術・武道を、他の文化より優れたものと看做してしまう、という人もいます。こういった、自分が携わっているものは優れていて、他は取るに足らない、という、現場埋没的認識は、外から見ると、滑稽ですらあります。

余談。このブログでは、武術をやっている人に対して、「こういう認識を持つ事がある」、という書き方をして批判をする事が、よくありますけれども、それは、殆ど全て、自分が陥っていた認識でもあります。つまり、埋没的・独善的・排他的な認識です。他の文化を知ろうともせず、自分が学んでいるものが優れていると考え、他人を見下す、という、著しく客観性に欠けた考えです。これは、とても不健全です。武術をやっている人がこういう認識を持ち易いかどうか、などというのは、社会科学的な対象であって※、断言などするつもりは全くありませんし、他の文化に関わる人でも、そういう認識を持つ人は、沢山います。あくまでも、武術を通してその様な認識を持ってしまった事例として(それと、自分が今まで読んだり聞いたりした、著名な武術関係者の意見にも、そういう傾向が見られるという、印象)、お読み頂ければ、と考えています。

※元から持っていた性格傾向や、始めた年齢、就いた指導者の方針、創始者の教え、等、様々な因子が関与しています。実証的に研究すれば、どの様な傾向が見出されるかは明らかになるでしょうけれど、直ちに、「こうなる」とは言えません。そこは、他の文化の社会科学的研究と、同じ事です。私がよく言及する、「武道・武術関係者は、科学的・分析的に、自分が属する体系を認識する傾向があるか」、というのは、研究はし易いのではないかと思います。各種武術・武道には、それぞれ、統括する組織がありますので(合気道なら合気会)、そこにアンケートを行う、或いは、教科書的テキストに、どの様な記述があるかを調べる、等すれば、団体の総意としての傾向(体系の根幹に関わる事なので、そう言って良いでしょう)は、見出されるでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月18日 (土)

理屈を言う人は上達しないであろうバイアス、の形成

「理屈ばかり言って、動けなければ何もならない」、という言い方は、結構見られます。それは確かにそうです。そもそも目標が、高度な身体運動の体現なのですから。しかし、それは、「理屈を言ってはいけない」という意味では、全くありません。ここの所を勘違いしている人が、武術関係者には、多くいる様な気がします。そういった考えは、時に、武術を論理的・科学的に認識する為の勉強が足りない事に対する正当化として、働く場合があります。

別に、頭を使ったからといって、技が下手になる訳では無いのですから(厳密に言えば、認識が、身体運動に悪影響を及ぼす場合はあるでしょうけれど、常識的な言葉の使い方として、お読み下さい)、それを毛嫌いする必要は、全然無いのですが。

心理学的には、劣等感の様なものが作用しているのかも知れませんし、もっとマクロには、潜在的擁護システム(高岡英夫)の発現、と見る事も出来るでしょう。端的に言えば、上位者が下位者に追いつかれ・越されたくない、という力が働いている可能性がある、という事です。そういう気持ちは、誰しも持っているものだとは思いますが、それを相対化出来るかどうかは、とても重要です。

理屈を殆ど考えずに、高いレベルに達する事が出来た人を、「天才」と呼びます。そんな人は、(「天才」の定義――同じ様なレベルの人間が多数いれば、「天才」と評価されない――からして)殆どいない訳です。ですから、少しでも多くの人が、上に行ける様にする為には、現象のメカニズムを明らかにし、誰もが確実に上達出来る様な体系を構築する必要があります。

他者より上でありたい、という認識を持っている人にとっては、受け容れがたいかも知れませんね。私は、「自己の可能性を最大限発揮したい」という考えなので、他人と比較してどう、というのは、余り気にしません(厳密には、そうなりました)。宇城憲治師範も、同じ様な事を言われていた、という記憶がありますが、その方が、健全なのではないかと思っています。

一応補足。「理屈ばかり言って」、というのを、身体を動かさない事に対する批判、という意味で使うのは、別に構わないとは思うのですが、極まり文句の様に、余りそればかり言っていると、考える事自体がいけないのだ、と認識してしまう場合があります。その事についてのエントリーです。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

スーファミ?

スーファミにPC内蔵してデモ、カートリッジはHDDケース

かなり自己満足の世界ですね。こういうのは、大好きです(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月17日 (金)

いじめ調査

冬枯れの街経由で、こういう調査があると知ったのですが、またか、という感じです。

精神的いじめ:高校生「加害も、被害も」最多--京大・PTA調査-話題:MSN毎日インタラクティブ

asahi.com: いじめ、テレビやゲーム漬けが影響か 京大など調査 - 関西

室蘭民報:FLASH24:主要ニュース:友いないといじめ2倍に 人間関係の希薄さ背景か

ZAKZAK:ゲーム、TV、ネット使用時間長いといじめ助長!?

もうちょっと、詳細な数字は出せないのでしょうか。

(情報が少ないので、記事からの推測ですが)「いじめ」を、「しつこいからかいや無視など自分なら不愉快になるようなこと」(毎日)と操作的に定義するのは、妥当でしょうか。質問紙の詳細が判らないので、何とも言えませんが、「自分なら不愉快になるようなこと」というのは、「自分なら」という部分を含んでいるので、自分がされて嫌な事を他人にした場合に、「いじめをした」となると思うのですが、いじめというのは、された側がどう感じるか、という事なので、実態とずれてしまう可能性があります。人により、いじめと感じる閾値は異なります。

ゲームやメール云々というのは、そもそも実数が書かれていないので、具体的に論ずるのは難しいですが、仮に(仮に、です)、相関関係が見出されたとしても、偽相関(他の変数が干渉)の可能性があるので、直ちに、ゲームやメールをよくする「から」いじめをする、等とは言えません。

今回の研究を行ったのは、疫学研究者の様ですから、そんな事は、百も承知のはずです、しかし、

「テレビやゲーム漬けの状態が攻撃性を育て、人間的なつながりの薄さが精神的不安定を引き起こすことで、いじめが生まれる可能性があるのではないか」(朝日―関西)

と言われています。という事は、それなりの根拠があるのだと看做してもよいでしょう。そうでなければ、疫学の専門家が、対した証拠も無しに、発言している事になります。という訳で、木原氏には、詳細なデータを公開する義務があると言えます。報告書を纏められるという事なので、それを待ちたいと思います。

それから、「精神的いじめ」という表現はおかしいと思うのは、私だけでしょうか。

追記:とても参考になる記事がありました⇒H-Yamaguchi.net: いじめもゲームのせいになる、という話朝日新聞に見る『ダメな議論』 - ある日ぼくがいた場所 - 楽天ブログ(Blog)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

手の開き方と議論の仕方

手を広げるということ。 - 一 樂 庵 - 楽天ブログ(Blog)

コメント欄でのやり取りを読むと解りますが、水掛け論に終始しています。理由は簡単です。「何故手を広げるのか(本文にも書かれていますが)」が、結局、全く明らかにされていないからです。にも関わらず、特定の団体名追記:訂正です。「団体名」は出ていませんね(故・佐川幸義師範と、その門下)を引き合いに出して、批判しています。明確な根拠も無しに、です。コメントから読み取れるのは、佐川派は手を広げていないから駄目だ。何故なら、手を広げた方が良いからだ。という主張です。これは、全く、説明になっていません。又、「手を広げる」というのが、どの様な現象なのかが、明らかにされていません。これでは、建設的な議論になりようがありません。

武術家同士の議論は、あの様な、不毛(と言って良いでしょう)なものになりがちです。お互いが、勝手な意味で言葉を用いて、科学的なメカニズムを考慮しないので、当然の事です。

気に入らないようなら、読まずにおけばよい(要約です。コメント欄をご覧下さい)、という趣旨のコメントがありますが、ブログという、不特定多数の人の目に触れる場に、他の競技や流派を批判する内容の記事を書いているのですから、批判に対しては、開かれた態度を取るべきでしょう。尤も、今回は、反論された方の書き方も、些か感情的だった様ですが。

ところで、「手の開き方」について、ですが、流派により、又、同一流派内においても指導者により、多数の教えがある様です。「朝顔の手」、「猫の手伝」、「完全に弛緩させる」、「爪先の当たりにだけ力を入れる」、等々。理由についても、「密着を良くする」、「気を出す」、等、様々です。未だに、解剖学的・生理学的・力学的に、しっかりと納得出来る解説は見た事がありません。私は、腕・肩の重みを効率良く伝える為に、手を張り前腕筋群を収縮させ、受けの手と密着させる、という効果はあるのではないかと思っています。ただ、何故「朝顔の手」や「猫の手」等の形が良いとされるのか、というのは、ちょっと解りません。この場合、「その形で無ければ発揮されない機能」が明らかにされなければなりませんが、論者によって主張がバラバラで、科学的な説明は、今の所殆ど無い、と言って良いでしょう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

コンピュータゲームの定義

Wikipediaの、コンピュータゲーム - Wikipediaを覗いたら、記事が保護されていた事に、初めて気付きました…。

それはともかくとして、ちょっと気になったのが、コンピュータゲームの定義。

コンピュータゲームとは、プレイヤーの行動(入力)以外の全てをコンピュータによって処理されるゲーム。(引用者註:強調等ははずしました)

論理的には正しいのですが、何となく違和感が。コンピュータの構成を知らない人にとっては、意味が解らない、という気が。一般的過ぎて。

私は以前(ゲームとは何か(1)←改めて読むと、ツッコミ所満載ですね。その内書き直すかも知れません)、

ゲームの内、人間による信号の入力がコンピュータによって処理され、その結果が表示装置(ディスプレイ)やスピーカー等へ出力されるもの。出力された信号は、次の入力の手掛かりであり、操作の直接の対象である

という定義をしてみましたが、こちらの方は、論理的におかしいですね。「その結果が表示装置(ディスプレイ)やスピーカー等へ出力されるもの」を、「新たな情報が、人間が知覚可能な信号として出力されるもの」とでもすべきでしょうか。こうすると、遠い将来に出てくるかもしれない「におい」を使ったゲームとか、振動や圧力を信号とするもの等も、包含できますし。それと、「操作の直接の対象」というのも、ちょっと変ですね。必ずしもそうとは限らないですね。光信号くらいでしょうか。うーん、難しい。

人間によって入力された信号がコンピュータで処理され、次の入力の手掛かりとなる情報が、人間が知覚可能な信号として出力されるゲーム。

こんな感じでどうでしょう。入出力について具体的に記述しているので、解り易いかと(入出力装置を、「コンピュータ」概念に含めていません。「電子的に処理され」としようとも思ったのですが)。「人間が知覚可能な」は、光信号に限らない、という強調です。物凄く不毛な事の様な気もしますが…。結局の所、言い換えに過ぎませんし。

根本的な事として、「コンピュータゲーム」を、そもそも、一般的な「ゲーム」の部分集合として良いのか、という疑問もあったりします。

こういうのは、色々な論者が、様々な説を出しているのでしょうけれども、なかなか難しい問題ですね(前、「ゲーム」の定義が書いてあるのを見た事が無い、と書きましたが、自分が読んだ、社会科学・心理学系の本では、という意味です。そもそも、ゲームそのものを論じている本を、余り見た事が無いので、そちらは、良く知らないです←それじゃ駄目だろう、という感じですが…)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月16日 (木)

推薦図書

リヴァイアさん、日々のわざ: トンデモ科学ネタ、ふたつ

森昭雄氏の著作(私は読んでいませんが。書評で、内容を確認しました)が、「日本PTA全国協議会推薦図書」になったそうです。これは、かなりまずいのではないかと思います。

それから、コメント欄で、水伝を何となく信じかけていたが、田崎さんのテキストを読んで考えが変わった、という方のコメントもあります、大変興味深いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

動向

図解入門業界研究 最新ゲーム業界の動向とカラクリがよーくわかる本 Book 図解入門業界研究 最新ゲーム業界の動向とカラクリがよーくわかる本

著者:橘 寛基
販売元:秀和システム
Amazon.co.jpで詳細を確認する

なかなか面白そうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月15日 (水)

マルチメディア情報

ご紹介。

マルチメディア時代における『表現の自由』─脳科学からの再検討─(PDF)

「青少年社会環境対策基本法」を支持する

青少年保護と表現の自由について

実証的根拠の無い、主観の一般化が目立ちます。他の部分は、何が仰りたいのか、よく解らないです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

改めて、反証実験

ちょっと考えてみました。

「正統な手続きに則った反証実験を求める」人、というのは、「その様な実験があるという事を知って、(それまで肯定的であった)水伝を否定的に捉える」人がいるであろう、と想定されているのだと思います。ここで考えなければならないのが、「反証実験があるのだと知って、態度を翻す」人が、果たしてどれ程いるだろうか、という事です。そして、仮にその様な人がいるとして、その人が、「反証実験の結果がなければ説得されない」のかどうかも、考える必要があるでしょう。つまり、「ちゃんとした反証実験があって、それで水伝が否定されていれば、自分も水伝は信じない」、などと認識している人がいるのか、という事ですね。そもそも、「反証実験をした方が良い」というのは、恐らく大部分が、水伝に懐疑的な人からの提案だと思います。そして、信じていて、その上で、「反証しろ」、と言う人は、反証実験が行われたとしても、実験のデザインそのものに疑義を唱えるのではないかと考えられます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月14日 (火)

開き直り?

PS3、互換性に不具合のPS2ソフトが200タイトル - CNET Japan

音が聞こえない程度であれば、我慢すれば遊べるので問題ないと思う人もいるだろう。

これは、ユーザーにも、開発者にも、実に失礼な物言いだと感じました。

追記に、SCE広報の追加コメントが掲載されていますが、正直、何を言っているのだろう、という感じです。「寝ずの作業を続けるなど」、などというコメントは、要らないのではないかと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

浮遊

新たに、『「水からの伝言」を信じないでください』に批判的な内容の記事を見つけたので、リンクを貼っておきます。

レビログ::水からの伝言を信じないでくださいに含まれる科学的に見えて非科学的な部分。

田崎さんは、

音波による振動により水が変化しない(レビログより引用)

とは、一言も書いておられないと思うのですが。私が読んだ限りでは、見つけられませんでした。「言葉」に影響されないと書く方はいらっしゃいますが、「音」に影響されない、と言った人は、いましたっけ? 逆に聞きたいくらいです。kikulogとか調べたのですが、それを断言した人は、見当たりませんでした。それから、上記引用文のすぐ上では、

やさしい言葉をかけると、結晶の形が、汚い言葉をかけたときと比べて、変化するのは非科学的だとする、論調が、非科学的ではないでしょうか?

と書いておられますが、これは違います。非科学的とするのは、全く差し支えありません。水伝は、「良い」言葉をかけると「美しい」結晶が出来る、という主張なので、自然科学を持ち出すまでもなく、否定出来ます。でも、直後に、

内容により水が変化するというのは、アレとしても

とも書かれていて、一体何を仰りたいのか、よく解りません。その次の文が、「音波による振動により水が変化しないというのはちょっと、どうかと。」となっていて、いきなりオリジナルな命題が出されていますし。推測出来るのは、

”やさしい言葉をかけると、結晶の形が、汚い言葉をかけたときと比べて、変化するのは非科学的だとする”=”音波による振動により水が変化しない”(引用符内は、レビログより引用)

と変換してしまっている、といった所でしょうか。もしそうだとすると、これは曲解ですね。水伝の主張は、「音波による振動により水が変化する」というものではありません。たとえ、批判者が、「変化する」のは非科学的だ、と言ったとしても、そこには、「綺麗/汚い」結晶を作る、という意味が含まれています。解りにくいので追記:この文は、仮に、水伝を批判する人が、”「変化する」のは非科学的だ”と言ったり書いたりしたとしても、その「変化」という語には、「綺麗/汚い」という意味を含ませてある、という事です。

しかし、これまでの科学のさまざまな知識をもとにして考えれば、水が言葉の影響を受けて結晶の形を変えるということは、あり得ません(「水からの伝言」を信じないでください) 引用者註:強調・リンクははずしました。

こういう文章をよく見かけますが・・・この言葉を、超音波・音波・振動に置き換えるとどうでしょうか?

水伝の批判においては、そもそも「言葉」や「音楽」が問題にされている訳で、いきなり「置き換えると」と言われて、前提を替えられても、という感じです。

水に、音波による微細な振動を当て続けても、内容が変わらないと否定するのもやはり、トンデモ科学でしょう。

ですから、田崎さんは、そんな事は書かれていないと思う(と言うか、確認出来ない)のですが。拘っている様ですが、とても重要な点ですので。この部分だ、というのがあれば、教えて頂きたいです。

因みに、「水からの伝言」にかかわる実験から、可聴音は影響を与えないだろう、というのは、言ってもよいのかな、とは思います。「音波が結晶の出来かたに影響を及ぼすか」という命題について、物理学的にどの程度の事が言えるのかは、私は知識不足で、よく解らないです。

追記:リンク先に追記がありましたが、(私が)お手上げ、という感じです。「トンデモ論文」とか、何の事なのか、解らないです。「一般常識と異なるからという態度で否定しかしない」というのは、一体、誰に対しての批判なのでしょう。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

使いにくい

ココログの投稿予約、結構ミスします。アップされた時刻と表示される投稿時刻が、ずれたりします。修正するのもなんなので、そのままにしていますが。

使いにくい、というか、使い方が悪いのですが…。確認は、マメにする方なのですけれども。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月13日 (月)

噛み合わない

批判の続き。

恐らくJ2さんは、「声掛け実験」のみを、反証実験と看做されているのでしょう。水伝の実験条件が明らかになっていないのですから、それまで物理学で見出されている知見から、成り立たない事を導き出すのは当然だと思いますが、それでは不足だという事でしょう。※私も、信じかけている人を説得するには、新たに実験をするべきだ、と考えていましたが、それがどの程度効果的かは疑問である、と認識する様になりました。つまり、わざわざ反証実験を行った、その結果によって説得される層は、そもそも、「そこまでしないと」説得出来ない層なのだろうか、という疑問です。リスクゼロならやるべきですが、そうでは無いので、慎重に考えるべきでしょう。

ですから、田崎さんが「水からの伝言」が事実でないというためには、実験で確かめなくてはいけないのでは?※2や科学者は、水のつくる結晶を見て美しいと思わないのですか?を書かれているのに、「説明が不充分」と仰るのだと思います。

一方で「文章が長すぎる」と言っておいて、他方では、「説明が不充分」と仰る。誤解を招かない様、最小限の情報を書こうとすれば、ある程度文章が長くなるのは、致し方無い事だと思います。短くすれば、それこそ「説明不足」という批判を受けるのでは? それとも、「文章の言い回しなどが冗長、回りくどい」結果、文字数が多くなった、と仰りたいのでしょうか。もしくは、「そこはもうちょっと短くして、他の重要な部分に文字数を割くべきだ」、という事でしょうか。よく解りません。個人的には、簡潔で、とても読み易い文章だと思いましたが。

それから、田崎さんは、他の方のアドバイスも取り入れて、随時、ページを更新なさっています。疑問点等があれば、田崎さんに直接質問する、というのも良いのではないかと思います。

※2 長文ですが、一部引用します。

さて、もし仮に(「仮に」ですよ!)、「文字や音楽から出る波動の影響で水の性質が変わり、水はそれを記憶する」という「水からの伝言」の主張が正しかったとしましょう。そうすると、水を使ったさまざまな科学の実験で何がおきるでしょうか? 実験に使われる水は、ビンに入れて保存されているでしょうが、そのビンには色々な文字を書いた紙が貼ってあることでしょう。あるいは、水が置いてある横で、誰かが歌を歌ったかも知れませんし、実験をしながら CD をかけて、音楽を聴いていたかも知れません。「水からの伝言」が本当なら、水は、これらの「波動」を受け、その内容を記憶し、性質を変えてしまうはずです。しかも、ビンの文字がいたずら書きだった場合(「蒸留水」と書くべきところを、学生さんがふざけて「上流水」と書いたラベルを貼っている、なんていうことは、よくあります)と真面目な活字だった場合では、波動は大きく違うでしょうし、モーツァルトを聴いていたときとヘビメタを聴いていたときでは、さらに劇的に違うはずです。その異なった波動が水に記憶されていれば、当然、その記憶は、精密な実験の結果に影響を及ぼすはずです。つまり、実験の結果は再現性のないものになります

これは、とても大切なところですので、よく考えて下さい。今の話では、科学者が「水が波動の影響を受ける」ことを知っていようが知っていまいが、そんなことは関係ないのです。 もし「水が波動の影響を記憶する」のであれば、(水が受ける波動を制御しなかった実験では)かならず再現性が失われるのです。これは、科学者が何を信じているかとは、まったく無関係の話です。

しかし、現実の世界では、水を使った多くの精密な実験は、素晴らしい再現性を見せています。きれいな雪の結晶を作る実験だってされていて、驚くべきことですが、みごとな再現性が得られています。もちろん、再現性のある実験をするためには、さまざまな条件を注意深く一定に保つ必要があります。しかし、水に見せる言葉や水に聞かせる音楽をきちんと管理しなくても、再現性は得られたのです。これは、水が言葉や音楽の影響を記憶しないということを示す、非常につよい実験的な証拠だと言えます。

「これまでの科学者は、言葉が水に影響を及ぼすことを知らなかったから、実験をしても、それに気づかなかったのだ」という言い方をする人がいるようですが、上の説明をよく読めば、これが的はずれだということが分かるでしょう。科学者が知らなかったとしても、効果が本当にあるなら、それは、(再現性が失われるという形で)ちゃんと実験の結果に顔を出すのです。

以上をまとめれば、これまで、科学・生物・物理など数多くの分野で水を用いておこなわれてきた、ものすごい数の、非常に精密な実験のすべてが、「水からの伝言」は本当ではないということを示す実験になっているということです。

これでも、説明不足なのでしょうか。予想される反論としては、「それでも、”声かけ”というパラメータを入れた実験が必要無いという事にはならない」、といった所でしょうか。

| | コメント (16) | トラックバック (0)

真面目さ

真面目さや実直さというものは、必ずしも、好ましいとは限りませんよね。時にそれは、「依怙地」とか、「融通が利かない」、「固い」と評価されます。勿論、言葉の定義の問題もありますし、どこに線を引くかも人それぞれ、ですが。個人的には、揶揄するような意味合いで、「真面目だなあ」等と言う事には、とても抵抗があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月12日 (日)

批判

取り急ぎ纏めたので、雑な部分があるかと思います。ご指摘頂ければありがたいです。引用も、リンク先のエントリーの順番に沿っていないので、読みにくいかも知れません。申し訳有りません。

「水からの伝言」を信じないでくださいに関連して、議論が盛り上がっています。

批判的な論点も重要かと思いますので、関連リンクを貼っておきます。

void GraphicWizardsLair( void ); // 「水からの伝言」にまつわる議論で忘れがちなのは、科学の話と洗脳・共感の話がごっちゃになるところ

finalventの日記 - 『「水からの伝言」を信じないでください』を信じてください

ふぉーりん・あとにーの憂鬱: 誰が屏風の虎を追い出すか?

音極道茶室: 『「水からの伝言」を信じないでください』と言うのならやるべき事は一つだろう?(こちらが、議論の元となったエントリー)

音極道茶室: やればいいじゃん反証実験

きくちさんやapjさんのブログを読まれている方は、J2さんの批判の内容が、既に議論されている事はご存知だと思います。私も以前、J2さんと同じ様な事を書きましたが(信じ方)、現在は、反証(追試というより、科学者が新たに、厳密に実験条件を設定した検証※)を行う場合のリスクを考える必要がある、と思っています。科学者側としては、J2さんの批判に対しては、「それは充分に考慮した上での態度」だ、といった所でしょう。それから、apjさんのブログを読めば解りますが、「反証するべきだ」と主張する科学者も、当然おられる訳で(そもそも、水伝への反証実験について、コメント欄が盛り上がったapjさんのエントリーは、「反証実験をすべきだ」と言った科学者への批判、という内容でした)。

※これが問題になる訳ですが。そもそも江本氏側が、詳細な実験条件を明らかにしていないので(挙証責任を放棄している)、科学者が新たに実験をデザインする事自体、難しいですね(そのデザインが間違っている、という批判を受ける可能性がある)。反証が必要でない、と主張する方は、この事を重く見ているのです。

田崎さんは、これらを踏まえた上で、あの様な文章を書かれたはずです。追記:参考記事を挙げておきます⇒kikulog:検証をめぐるあれこれ事象の地平線::---Event Horizon--- :: 日本化学会の会誌に水伝批判の現状レポート こういう議論が行われていたのは、知っておいてもよいかと思います。

しかしこの反論記事もけっこう粗雑な論理だと思うのだが

という、J2さんの批判は、余り当たらないのではないかと思います。充分論理的かと。反証は必要無い、という立場からは、あの様な文章を書くしか無いのでは? あれ以上詳しく書くと、複雑になり過ぎて、そもそもの目的(非専門家や年少者に対しての説明)から、はずれてしまうと思います。

結局言い訳をつらつら並べているだけで「反証実験が出来ない」理由など一つも挙げていない。

これは誤解でしょう。厳密に言うと、「反証出来ない」では無く、「追試出来ない」ですよね? 反証に関しては、「水伝が間違いであるという事は、反証するまでも無く、現在の科学的知見から演繹的に導き出される」といった所でしょうか。つまり、充分反証は為されている、と(もっとも、J2さんは、ここに納得が出来ない、と思われている様ですが)。追試に関しては、そもそも詳細が公開されていないので、やりようが無い、と。

リテラシーだなんだと言っても結局人は「信じたい記事」に対してガードが甘くなるんだなーという事。

「だまされないぞ」という想いが強い人は「○○に騙されるな」という類の記事に対してガードが甘くなる。

こういう書き方も、的外れかと。肯定的に紹介されているからと言って、こう断言するのも、早計でしょう。

特に多いのが、「元ネタの実験は信頼性が低い」事しか証明していないうちから「間違っている」という結論を論拠に持ち出しているパターン。
例えば以下の部分。

本当にそうでしょうか? 教えたいことが正しいとしても、本当ではない「実験事実」を本当だといって(つまり、ウソをついて)教えてしまっていいのでしょうか? 実は、このような「実験事実」は本当ではなかったと、あとになって生徒たちが知ったとき、その授業についてどう考えるでしょう? (引用者註:これは、田崎さんの文章からの引用)

”本当ではない「実験事実」”、”つまりウソをついて” とさりげなく断言しちゃってる。
その前段ではそこまで証明しきれてないのに。

これは、読み違えておられる様に思われます。田崎さんは、「ともかく、「ありがとう」がよい言葉だと教えられるのだから、それでよいのでは?」(引用)という問いを想定した上で、上の文章を書かれています。その前には、「道徳の授業につかうなら、事実でなくても、かまわないのでは? 」(引用)という想定問答がありますから(だから、直後の問いに、「ともかく」という表現がある)、これを受けて、「(水伝に限らず)たとえ実験が事実では無くとも、良い言葉を教えられるのだから、それは好ましい事では?」という問いを想定されている、と考えるのが妥当だと思います。ですから、別に、「水伝がウソを言っている」と断言されているのは無い、と私は読み取りましたが、いかがでしょうか。勿論、私の読み違い、という事もありえますが。田崎さんが、科学者の立場で「水伝は恐らくウソをついている(顕在的・潜在的にかかわらず)であろう」と考えておられるとしても、「水伝はウソだ」等という断定は、避けておられる様に思います。あのテキストの性質からして、そんな事は書かれないでしょう。

そういう、ばらつきの大きい結果がでてくると、実験している人のちょっとした思いこみと一致するような結果だけが選ばれて、まるで意味のある結果がでてきたように見えてしまうことが多いのです。(引用者註:これは、田崎さんの文章からの引用)

一般論としてはよく理解できるけど、これも根拠の無い憶測でしかない。「水からの伝言」で恣意的な選択が行われた事を客観的に証明するには前に戻るが反証実験以外にない。

ここも、ちょっと言い過ぎかと。田崎さんは、直後に、

「水からの伝言」にでてくる結晶の写真は、「水は言葉を理解する」という思いこみと話が合うよう、じょうずに選ばれたものだと考えるべきだと思います。写真をとっている人たちは、そういうことを考えず、自分たちの思いこみにあうような写真を無意識に選んでしまっているのかもしれません。(『「水からの伝言」を信じないでください』より引用)

この様な、かなり慎重な書き方をされているのですから。J2さんが自ら仰る様に、正に「一般論」を、田崎さんは書かれていると思います。もしかすると、この慎重な書き方をも、「憶測」と評価されるのかも知れませんが。私は、「推測」程度にしか読めません。前提として、「水伝の実験の詳細が明らかになっていない」という事実がありますから、書き方に問題があるとは思えません。

J2さんが仰る「実験」は、デモンストレーションの事なのではないか、と思ったりも。

2006年11月13日追記:田崎さんのページは、構成が二重になっていて、比較的低年齢、又、科学に余り関心の無い人でも読めるように、より噛み砕いて書かれている所と、もうちょっと詳しく知りたい人向けの、少々難しめの部分があります。これ以上詳しい説明を求められれば、物理学の専門的知識を用いた説明や、実験科学の方法そのものに関する説明に踏み込まざるを得ない訳で、それを求めるのは、違うと思います。そもそもそれは、apjさん等が、書かれていますし。批判する側は、「どんな読み手を対象にして書かれた文章なのか」、という事を、よく考えるべきだと思います。

続きです⇒噛み合わない

| | コメント (6) | トラックバック (0)

私も観ました

慶さんのビューティフォーDAYS たけしの日本教育白書を観たのだ。

私は、前半の方と、石原都知事・久米さんとの討論の途中以降を観ました。

慶さんの仰る通りだと思いましたね。都知事の主張は、主観の一般化・決め付けが激しい様に感じました。これこれこうだからこうなる、と。たけしさんにしろ、都知事にしろ、やはり、強いカリスマ性を持っているので、慎重に発言して頂きたいものです。

 >いたずらと決め付けていた。さらに
 >は、「やる(自殺する)ならさっさとや
 >ってしまえ」なんて事まで言っていた。
こんな発言があったのですか…。酷い。

 >マスメディアの匿名性の問題につ
 >いて、新聞は記事を書いた記者名を
 >載せるべきだ
これは確か、インターネットのコミュニケーションの匿名性に絡めての発言でしたね。匿名性に(一部)問題点があると言えるとしても、一面しか見ておられないのでは無いかな、と思いました。

私にとって、「品格」というのは、威張らず、貶さず、丁寧な言葉遣いを心掛け、他人を思い遣る態度、だったりします。難しいですが(笑) こういうのって、殊更に、「失われた」とか、「取り戻そう」とか、言う事では無いと思います。それって、下品ですよね。

外見的印象で、「品格」を感じさせるのは、綺麗な姿勢、涼しげな表情、等でしょうか。いかにも日本人的な価値観として、「黒髪」というのも、案外重要な要素かも知れませんね。件の番組では、「品格がある人は?」というアンケートで、吉永小百合さんが1位でしたが、私の予想通りでしたね。和服・黒髪・美しい姿勢(これは本当に、見事だと思います)・物腰の柔らかさ・丁寧な言葉遣い等が、「品格」を印象付けるのでしょう。個人的な語感としては(辞書的には同じ様な意味ですが)、「品格」よりも、「気品」の方が合う様な気もします。出演者で、「凛としている」と仰った方がいましたけれど、それも相応しいですね。

話は替わって、途中で、故・双葉山氏の映像が出ていました。ビデオに録ろうと思ったら、他の番組を録画中でした…。惜しい事をしました。凄いベストだったなあ。

慶さんのブログのコメント欄に書こうとしたのですが、長くなり過ぎたので、加筆してエントリーを立てました(笑) つい長文になっちゃいますね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

観たのかな?

『14才の母』の放送によって、性交渉の低年齢化が進む、という意見を仰る御仁がおられますが、恐らく、ドラマをご覧になっていないでしょう。

実際に観れば解る事ですが、あのドラマ、それ程目新しい内容では無く、単に、14才にして妊娠した少女が葛藤に悩まされる姿を描く、というストーリーです。(一応ご注意。若干のネタバレを含みます)主人公は、「いかにもそういう事をしないであろう」少女、相手は、1つ年上の、「いかにもそういう事をしないであろう」優等生の少年。その二人の、たった一度の「過ち」によって、家族を巻き込んだ騒動が展開していく、という感じです。登場人物は皆、問題に真剣に取り組み、どうすれば良いかを本気で考える。ぶつかり合いながらも、解決に向かって進んで行く。正直な感想としては、いかにも「教育的」だな、と。そういう意味で、世間が典型的なイメージとして持っている、「いかにもそういう事をしそうな」少年少女、が登場して、軽いノリでそうなった、という展開のドラマでは無いので、ちょいとわざとらしいな、という印象。話として綺麗過ぎる、というか。それで、性交渉の低年齢化云々と言うのは、全くナンセンスであると思います。批判するなら、せめて観ればよいのに(観ても、意見は変わらないかも知れませんが)。

※鉤括弧で括ったのは、わざとです。「いかにもそういう事をしそうな」人物像を想定している人がいるでしょうから、強調しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いじめとか、「メディアの影響」とか

「いじめた事がある人」と問われて手を挙げるのは、何がいじめであるかを、明確に認識しているから。つまり、線引きをしている。という事は、それ以外はいじめでは無い、と考えている事も意味する。いじめのエピソードを見聞きして、それをいじめの類型と認識。

(以下、結構感情的な意見ですが)いきなり話は替わって、私は、テレビ等の情報は、「全てフィクションである」(その言い方が強過ぎるなら、制作者のフィルターに掛けられている、と言えば良いでしょうか)、というバイアスを掛けて観ています。必ず、懐疑的に見ます。報道ですら、です。メディアの悪影響がどうのこうのと言うよりも、そうする事を教えた方が、良いのでは無いかと思います。メディアの情報を鵜呑みにして、踊らされている大人を見るにつけ、そう思います。そもそもマスメディアの情報は仮構的である、という事を、認識すべきでは無いでしょうか。私は、前にも書きましたが、メディアの流す情報が与える影響は、とても大きいと思っています。勿論、良くも悪くも、です。だからこそ、それを相対化する事を、教えた方が良いと思います(規制は論外)。

最近、「今の子どもが云々…」というネガティヴな印象付けをしている番組を、よく観るので、こんな事を考えた次第。ああいった番組作りは、おかしくないですか? たとえば、テレビの情報によって、体感不安が増大したりすれば、それは、好ましくない影響だと言えると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月11日 (土)

次世代

そういえば、今日、PS3の発売日じゃないですか!

いや、知ってましたけど(笑)

しかし、初回約10万台って、凄いですね。そりゃあ、行列も出来ますよ。それだけ少なければ。

デュアルショックが使えない事を知らない人とか、いそうですね。SIXAXISを1つ買うだけで、+5,000円…。

遠い未来に買うかもなあ…。『MGS4』とか、『FFXIII』は、やっぱりやりたいですし。

ところで、クーポンの話はどこに行ったんでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

何故掴ませるか。又、汎用性について

合気道なり柔術なりに対して、「何故掴ませた状態から始めるのですか?」という疑問が寄せられる事がありますね。その理由は、大きく分けて、二つあります。

一つは、「実際の状況の想定」です。もし掴まれたらどうするか、という観点です。よく護身術で、つかまれた時にはこう対処しましょう、というのがありますが、そういう場合ですね。批判者は、ここを捉えて、「現実に掴まれる事なんて無い」、と言う訳ですが、これは、半分正解(実際に掴んでくる人は、そうはいない)、半分誤り(そういう状況になった場合の手段としては、確かに役に立つ)です。

もう一つは、「身体の操作法を学習する」という意味です。「掴ませて、身動きが取れない状態から動く」、という課目を設定する事によって、「正しい身体の使い方(身体がゆるんで、揺動支点優位の動き)が出来なければ動けない」という状況に置かれる訳です(緊条件型。課目を遂行するには、課題が達成されなければならない。高岡英夫『高岡英夫の極意要談』 BABジャパン 参照)。それには、普通の状況に較べて、より動けなさを自覚させる事によって、自身の身体操作(もっと本質的な表現をするなら、「身体のあり方」)に、認識を向けさせる、という意味があります。(基本の技法――両手取り合気揚げや、両手取り呼吸法――の場合)自分の胸より少し下方で掴ませ、その状態から、体幹を屈ませずに、肩・肘を下げていかなければならない、という状況をつくり出す事によって、より、ベスト(高岡の概念)の形成が促され易い、という効果がある訳です。

さて、ここで、「結局、実戦においては、掴まれる事は殆ど無いのだから、そればかりやっても、意味は然程無いのではないか」、という疑問が出されるかも知れません。確かに、基本技法によって身につけたものが、「掴まれた時に”だけ”役に立つ」というのでは、その意味は、限定的であると言えるでしょう。しかしながら、「しっかり掴まれた状態から動く」、という課目の達成によって形成された(形成が期待出来る)、「身体がゆるんで、揺動支点優位(擬似流体構造優位)」という運動性は、他の運動においても、普遍的に重要であるのです。であるからこそ、基本技法として、手解き(手を掴ませて、それをはずす技術)や合気揚げ等が、最も重要なものである、という認識があるのです。

その様な意味で、手を掴ませて技を行う、という課目を基本として据えたのは、先人の偉大な発明であると考えます(何故そうなったかという事については、色々な解釈があるのでしょうね。帯刀の文化があった事も、関係しているでしょう。そこは、武術史家の研究に任せましょう)。

ただ、この様な優れた発明があったからと言って、修行者が、上に書いた様な論理を正しく理解して取り組まなければ、稽古の意味は半減するでしょう。ただ闇雲に掴み、ただ闇雲に動こうとするだけでは、上達するのは、一部の、センスに優れた修行者に限られ、それ以外の人は、上達への階段から脱落し、結局、筋力による頑張りあいに終始する事になるでしょう。これには、指導者自身が、メカニズムを理解していない場合と、解っていながら敢えて教えない(「潜在的擁護システム」)場合が考えられますが、いずれにしても、怠慢というそしりを免れるものでは無いでしょう。

余談――柔術や合気系武術の体系に、上の様な優れた部分があるとしても、勿論、それだけやっていて、他の武術家や格闘家と闘って(←この言葉、慎重に使わないといけないのですが)、制する事が可能であるか、というと、それは疑問ですね。超達人であれば、その様な事もあり得るでしょうが、それは、個人のセンスや、独自の努力があったればこそで、体系そのものが優れているという事を、意味しません。歴史に残る達人が、様々な武術や格闘技を研究したり、豊富な実戦経験を持っていた、という事実を、押さえておくべきです。そういう意味では、現在の合気系武術等に、どれ程の汎用性があるか、疑問を持たざるを得ません。攻撃技そのものを練磨する機会が存在しなかったり、試合が無かったり、という体系ですから(大勢の話です。例外は除きます。「合気会本部系」と限定すべきかも知れません)。それを踏まえると、私は、武器技の稽古は重要だと思っています。試合については、特に、取り入れるべきだ、という考えは持っていませんが、試合の無い団体が、合気道SAや富木流等を批難するのは、控えるべきかと思います。

一応、断っておきますが、私は、そういう汎用性が必須である、と考えている訳ではありませんので。武術の存在意義を、どこに見出すかは、人それぞれですから。

Book 高岡英夫の極意要談―「秘伝」から「極意」へ至る階梯を明らかに

著者:高岡 英夫
販売元:BABジャパン出版局

合気・奇跡の解読 Book 合気・奇跡の解読

著者:高岡 英夫
販売元:ベースボールマガジン社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (7) | トラックバック (1)

何を教える?

太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』(スペシャル版でしたね)を観ました。

「一日一時間、農業の時間を設ける」、という主張がありました。言わんとする事は、同意出来る部分もあるのですが、賛成する人の意見で気になったのが、「富士山を見ても感動しない子が云々…」とか、いかにも、自然が善であるとして、人工物に対しての不信を主張する様な態度であったりとか、そういう部分。実際、富士山を見て感動するかどうかなんて、人の勝手です。それで感動しないのはおかしいのではないか、というのが、実は、かなり問題のある考え方だと思います。今回の(高木美保さんの)マニフェストに関しては、太田さんの意見に同意しました。何故「農業」なのか? と。農業への取り組みによって、どうにもならない事があるのだと認識出来る、とか、これを、農業特有のものであるかの様に言うのは、他の産業に関わる人に対して、失礼な態度であると思います。

(以下、ちょっとこじつけ)たまーに、こういう話をする際、コンピュータ(とかゲーム)等を引き合いに出して、(いかにも、それらが単純であるかの様に)批判する人もいますが、そういう人は、プログラミングとか、した事無いのでしょうね。1字の打ち間違いがバグを発生させるという、そういうシビアなものだとは、考えもしないのでしょうね(なんて、解った風な事を書いていますが、私自身、そっち系の知識は、今や、忘却の彼方ですけれど)。それを理解しても、「身体を使っていないから」、と言われそうですが。何でも、突き詰めていくと、深いのですよね。それが当然だと思います。

まあ、でも、農業の体験をさせる、というアイデア自体は、構わないと思います。それで本当に、食べ物についての感謝の心等が養われるかどうかは、不明ですが。個人的には、工作をもっとやらせたり、技術について教えた方が良いのではないかと思っています(「ものづくり」と書くと、いかにもわざとらしい)。工業製品の製造過程を見学したり、模型を作らせたり。鉄道模型等をまともに作らせたら、かなり勉強になるのではないですかね。目標も明確ですし(「何が模型だ!」と思った方は、偏見を持っておられます)。

私は、教育については、西川史子さんの考えに近かったりします(同じでは無いですよ、勿論)。西川さんの言い方は、ちょっとあれですが。学校を、人間性形成の場(それを教師が担う)であると看做すのは、どうなのだろう、と考えています。道徳教育すら要らないのではないかとも思っています。ちょっと極論ですけれど(何となく考えただけです)。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年11月10日 (金)

是非お読み下さい

これは、ご紹介せざるを得ません⇒「水からの伝言」を信じないでください

学習院大学の、田崎晴明さんが書かれたものです。水伝について、実に解り易く説明されています。

勿論、田崎さんの書かれた事をよく吟味して、水伝のどこが、どうおかしいのか、等を、しっかりと、論理的・科学的に理解すべきであって、ただ、「こういう批判がある」、というだけでは駄目ですが。

あれを読んでもまだ、水伝を信じるとすれば、説得は、かなり難しいでしょうね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

家で頭が良くなるのか?

頭の良くなる家のススメ「頭のよい子が育つマンション」とは? - ライフスタイル - nikkei BPnetSankei Web > 経済 > 「子供の頭が良くなるマンション」販売 伊藤忠都市開発(11/09 02:09)

何か、凄いなあ…。

いや、住環境が大切であるのは、その通りだと思いますし、それに凝るのも良いとは思うのですが、調査の方法とか、名前の付け方とか、ちょっと違うような。

頭のよい子=有名私立中学に合格した子(等号は大袈裟ですが)、とするのは、あんまりでは? 他の、経済的な要因とか、色々あるでしょうに。

…と、ちょっと軽めに考えていたのですが、リンク先の、「プロダクト・エピソード」という所を読むと、めまいが。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

ロボティクスと合気道、と、掴み方について

合気道をロボット学から科学する

良い論考ですね。低次合気のメカニズムについての、基本ですね。

ところで、「高度な掴み方」について。

普通、手首を掴む場合、全身の筋肉を緊張させて、関節を固定し、相手(つまり、「取り」。技を掛ける側)が動かない様にします。しかしこれだと、リンク先にもある通り、関節の自由度が失われているので、(取りが)力を簡単に伝達する事が出来ます。又、予め、全身的に緊張しているので、取りの力に上手く対応する事が出来ません。エネルギー的にも無駄があります。互いの筋力の差が、それ程無い場合、簡単に技が掛かります(思い切り掴む様に言うのは、この効果を発揮させる為)。勿論、受けの筋力が強大な場合、取りが全く動けない、という事も起こります。結局、力一杯掴むというのは、取りの力の方向に対応出来ない様に、自ら不利な状態にしていまっている、という状況です。

では、どうすれば良いか。それは、「力を抜いて掴む」という事です。勿論、この場合の「掴む」という運動は、取りの腕が動かない様にする、というのが目的(前提条件)ですから、ただ軽く掴むのでは、稽古になりません(簡単に動いてしまう為。その代わり、技そのものが、とても掛かりにくい。軽く掴まれると技がやりにくいのは、そのせいです。その際には、関節を極める等の対処がある訳ですが)。ですから、取りが腕を動かそうとする方向を感知して、それに合わせる様に、筋肉を収縮させる必要があります。つまり、初めから力を込めて掴むのでは無く、取りの力の方向に合わせて「力が入る」様にする、という事です。そしてその為には、(必要な部分――取りの腕を把持する為の前腕の筋肉や、姿勢を維持する筋肉――以外の)筋肉が、予め弛緩している必要があります。掴む方も、「合わせ」を考えなければなりません。

固い稽古(きっちり掴ませた状態から技を掛ける稽古)を行う際、動かない様にしようとする余り、ただ闇雲に、「力一杯掴んで」、という教示が行われる事があります。もう少し、「掴み方」に対する意識も、持った方が良いかと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 9日 (木)

日本ぽい

MrJohnnyさんの、吹風日記内、「ぱふぱふ」はなぜ消えたのか、聞こえない音、エロい日本のドラクエを読んで。

いやあ、面白い。熱く語っておられます(笑)

そういえば、「マホカンタ」って、「魔法のカウンター」って意味でしたよね(うろ覚え。間違っていたら済みません…)。なかなか絶妙な命名ではありませんか。

手塚治虫が考案したと言われる無音を表す擬音「シーン」です。

この話、知りませんでした。へえ。

RPGの設定って、思い切り「日本的」ですよね。と言うか、そうでないものは、「受けない」と思います。そもそも、開発者の思想の表現でもある訳ですから、当然という感じもします。

ところで、海外版では、

へんじがない ただのしかばねのようだ

この傑作メッセージ、どう訳されているのでしょうね。そのままなのかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「日本語の力」?

finalventの日記 - クローズアップ現代 どうする 若者の“日本語力”、見たよ。経由⇒クローズアップ現代 放送記録

ほほー、そうだったのか!

こうした日本語の力の低下に携帯電話やパソコンの使用が影響を与えていることが様々な研究で明らかになってきた。

どの様な研究で、どの様に明らかになったのか、是非とも知りたい所です。

後、誰が明らかにしたか、もですね。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

評価

「武術は言葉では説明出来ない」、とした上で、「見れば技が出来ているか判る」と仰る武術関係者がおられるのですが(そして、自分も出来ている、という事も暗示している)、そう仰る人の写真を見てみると、一体、どこが出来ているのだろう…、と思う事が、しばしばです。書いてある内容は尤もでも、全く体現出来ていなかったり。

じゃあ、自分は解っているのか? という批判があるでしょうね。私がこのブログで書いているのは、「武術には曖昧な所があるから、科学的に考えて、皆が同じ意味で言葉を使う様にして、議論を進めるべきだ」、という事なのです。優れているとすれば、どこがどう優れているのか、それは、写真や映像の、どこに現れているか。それには、しっかりとした根拠があるのか、等を考えないと、「話にならない」のです。ですから、私は、他人のパフォーマンスについて書く場合には、どこがどう優れているのか、又、どこが良くないか(これは、余り書いた事は無いですね)、を、他人にも理解して頂ける様に、科学的概念を用いて、客観的に記述しているのです(そうすれば、科学的概念の用い方そのものが間違っている、という批判を受け容れる事も出来ます。批判に対しては、開かれた態度を取らねばなりません)。それから、私は、自分の事については書きませんし、書く事には、余り意味が無いと考えています。そもそも、自分が出来るかどうか、というのと、優れた運動を理解出来るか、というのは、別(相対的独立)なのです。それに、自分の「出来なさ」を、よく理解していますしね(その内書くかも知れませんが、その際には、画像や映像を、共に載せます)。後、見た目から得られる情報には、やはり限界があります。たとえば、より深層にある筋肉が、どれ程働いているか、とか。そういう理由もあって、写真や映像から、運動のレベルを評価する際には、慎重になる必要があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ことば

中学か高校になったら、言語学(ソシュール等)や記号論を学んだ方が良い、と、私は思うのですが、どうでしょうか。

言語の恣意性とか、皆知っておくべきだ、という位、とても重要な概念であると思います。語形と語義は緊密に対応している、等の硬直的認識は、改めなければならないと考えています。

これは、私の実感なのですが、ソシュールの理論に触れる前には、言葉の使い方に、とても拘っていました。他人の言葉の使い方に、過敏に反応したり。その後、高岡英夫氏の著作を読んで、ソシュールの名を知り、ソシュール関係の本を読んで、言語の恣意性等の性質について知った時には、正に、「目から鱗」でした。いかに自分が、言葉に雁字搦めにされていたか、思い知らされました。それから、人の言葉の使い方について、よりメタな見方が出来る様になったと思います。「相手はどの様な意味で、この言葉を使っているのだろうか」とか、「自分の解釈は妥当だろうか」とか、冷静に捉えなければならない、とか。

結局、円滑なコミュニケーションを行う為には、本質的に、「思いやり」が必要なのだと言えます。言い方を換えると、相手の認識に対する、「解釈」とか、「推論」等でしょうか。「相手が何を考えているかを深く考える」というのは、結構疲れる事です。複雑な認知的作業なので。でも、それは、とても重要だと思います。

私が具体的に心掛けているのは、「他人の言葉を解釈する際は柔軟に、自分が言葉を使う際には精確に」、です。それを心掛ける事によって、「優しく」なれるのではないかな、なんて思っています。

記号論への招待 Book 記号論への招待

著者:池上 嘉彦
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

Book 意味の世界―現代言語学から視る

著者:池上 嘉彦
販売元:日本放送出版協会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

Book ソシュールの思想

著者:丸山 圭三郎
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

Book ソシュールを読む

著者:丸山 圭三郎
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

Book 一般言語学講義

著者:小林 英夫,フェルディナン・ド・ソシュール
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これらの本、大分前に読んだきりです。今読んだら、以前より深く理解出来るだろうと思います。ちゃんと勉強しないとなあ…。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月 8日 (水)

本当なのですか?

前にも書きましたが。

「昔は、今日見られる様な、陰湿・悲惨ないじめは無かった」、と言う人がいます。

それは本当の事ですか?

いじめに、悲惨でないもの、陰湿でないものが、あるのですか? 「自分がされたら」、という考えを、根拠にしていませんか?

今の人が、昔より人間性が荒廃している、と言いたいのですか?

「いじめは良くない」と考えている人はいじめをしないのだ、と思ってはいませんか? 規範意識が強力な人でもいじめをする、という事もあるのです。結果的にいじめになっていた、という事もあるのです。

自分はいじめをした事が無い、と、断言出来ますか? 自分に自覚が無くても、思い返すと、あれはいじめだった、という行為はありませんでしたか? 知らない内に、自分(自身や)の世代を正当化してしまってはいませんか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

潜在的擁護システム

モモのおじさん さんの、すっきりライフ 合気道ドタバタ奮戦記 - 楽天ブログ(Blog)内、武術とコンピューター社会・・・答えだけが好きを読んで。

深く考えようともせず、直ぐにアドバイスを求める、という人がいるのは、確かにその通りだと思います。ですが、

でも、武術は外から答えを貰っても意味がないのです。

このご意見には、賛同出来ません。

私も手でこうやって「スーっと」、「違う、スーだよ」とか云います。

という、感覚的(論理性が充分でない)説明は、勿論、上手く働く事はあるでしょう。しかしこれは、見方を替えると、言葉による詳細な説明を行う努力を放棄(とは、言い過ぎかも知れませんが)している、とも考えられるのです。

武術の修行をされている方、指導者の方に問いたいのは、「武術の動きを言葉で説明しようという努力はされましたか?」という事です。初めから、「武術は、言葉では説明出来ないものなのだ」、と、諦めてはいないでしょうか。又、言葉による説明を心がけている人は、それが充分論理性を持つか、自分の考えている事は、果たして正しいのか、等の反省を、常に行っているでしょうか。

言葉で説明出来るのにしない(相手が自発的に考えるよう、促す)のと、説明「出来ない」のは、全く別の事です。どうすれば、相手が最も早く、回り道をせずに上達するか、という事を、本気で考えているならば、自分がやっているものについて「知る」、というのは、とても肝腎です。モモのおじさん さんは、

今は何でも答えてくれる先生が良い先生で、感覚的な言葉で訳が解らず「違う!よく見ろこうだ!」というのは悪い先生なのでしょう。

と、皮肉まじりに書いておられますけれども、その、「何でも答えてくれる先生」が、当を得た説明をする、又、感覚的な先生と同じ程度の実力がある、と仮定すれば、そちらの方が良い指導者である、と断言出来ます。

感覚的表現を多用した指導が、多くの落伍者を生み出してはいないか、という事についても、よく反省すべきであると考えます。それ(感覚的――つまり、非言語的な――指導。非言語的と言うよりも、非論理的、と言うべきでしょうか)が、結果的に、修行者の上達を阻害し、上位者の立場を守る為に機能している、という可能性は無いのでしょうか。本当に、相手に上達して貰いたい、その為に最大の努力をする、と、考えるならば、その様な可能性にまで、目を向けるべきです。

たとえば、「ここでは、腕に力を入れた方が良いのでしょうか?」という質問を受けたとします。この場合、どう答えるでしょうか。安易に、自分の経験を基にして、「そこは○○だ。」と説明していませんか。ここで言われている「力」とは何か? とか、「何故」そうすべきか、等を、きちんと理解しているでしょうか。自分が余り理解していない事を、他人に教えてしまっている、という事は無いでしょうか。正確な理解を求めていくと、必ず、科学的な知識が求められますが、それを勉強しようと、努力はしているでしょうか。はっきり申し上げて、自分達がやっている事を、思弁的にのみ捉えて、それで良し、とするのは、怠慢です。身体運動文化である武術を、ただ感覚的(体験的)に考えて、分析的・客観的(科学的)に考えようとしないのは、後れている、と言わざるを得ません。

※そもそも他人の上達に関心の無い人にとっては、上の主張は、全く意味が無いかと思います。

※武術史上、名を馳せた達人が、類稀なる才能の持ち主であった、という事を、忘れてはいけません。天才と同じやり方で、天才と同じ場所へ到達出来る、と、安易に考えてはいないでしょうか。ここで、「才能がある」というのは、武術の優れた動き等を、分析的に、詳細に認識しなくとも、直感的に捉え、自分の身体で再現してしまう能力がある、という意味です。

※タイトルは、高岡英夫氏の概念です。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年11月 7日 (火)

メモ:川島隆太氏の研究について

  • 単純計算や音読が、前頭前野(の一部)を賦活させるという事は、実験的に確かめられた事実と考えて良い。
  • 川島の仮説は、「脳は生体である」→「筋肉等は、事前にウォームアップさせる事によって、その後のパフォーマンスのレベルを向上させられる」→「ならば、脳も、同じ様なメカニズムが働くはずである」というもの。それを、認知症の患者を対象にした研究によって実証しようというのが、川島の活動。川島の研究によれば、単純計算・音読は、有意な効果を及ぼした。だが、立命館大学のチームによる研究では、他者とのコミュニケーション等が影響している可能性が、示唆された。
  • 単純計算・音読は、課目の構造が単純であるが故に、脳活動の変化との対応が計測し易い。川島は、漫画やゲーム等が、前頭前野を活性化させない(休息させる)と結論づけているが、これらの文化は、そもそも多様なものである。又、興味・関心、その他の状況によって、取り組み方に変化が現れると考えられる。これらを踏まえずに、○○は前頭前野を活性化させない、と断ずるのは、早計である。※川島氏は、「漫画」としか書いておらず、「ゲーム」についても、パズルゲームやシューティングという事だけで、タイトル等は書いていません。これでは、明らかに不充分です(詳細が記述してある論文等をご紹介頂けると、ありがたいです)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 6日 (月)

こころとからだ、そして…

高岡英夫氏は、身体意識の構造が、感情等の心理学的な因子とも密接に関係している、と主張なさっています。

これは、とても興味深い説ですが、科学的に実証するのは、なかなか難しいと考えられます。そもそも、身体意識という現象自体が、実証科学的には研究が難しい対象ですから。ですから、先ずは、身体の生理学的状態と感情等が、どの様に関連しているか、等について、心理学的・生理学的アプローチによって研究を進めるべきでしょうね。こういう研究は、どの程度行われているのか知りませんが(結構あるのではないかと思います)、全身の固まり(見方を変えると、ゆるみ)具合と、感情に関する心理尺度による測定結果との関係を調べる、等が考えられます。身体がゆるんでいれば、心理的にもリラックスする、というのは、多くの人は、経験した事があると思いますが(マッサージを受けたり、温泉に浸かったり)、それがどの程度普遍的であるか、というのは、詳細に調べられるべきでしょう。たとえば、身体が拘束されていると、独特な「だるさ(肩こりの様な)」を感じますが、その様な不快感が持続する事によって、恒常的にイライラする、等のメカニズムが推測出来ます。問題は、それが無意識的であっても作用するか、ですね。つまり、肩こりは、沢山の人が実感しているものですが、実はその様な拘束(力を入れる意図が無いのに、持続的に収縮している状態)は、全身到る所にあります。殆どは、それを認識していない(顕在的に意識していない)と思いますが、それでも心理状態に影響を与えているかどうか、という事です。当然、拘束されているという事は、その部分の血流を阻害する等の影響を与えるでしょうから、生理学的に違いがある、とは言えます。それらが心理的因子とどう関係するかを調べたりする、等の研究が考えられます(こういうのは、どの分野の対象でしょうか。生理心理学? ちょっと違うかな)。

それらを調べれば、身体のゆるみ方と心理状態が、どの様な関係にあるか、という事は、実証的に、充分明らかに出来るかと思います。後は、身体意識が身体とどの様に関係しているかを調べる、という事になります。それが進めば、精神―身体意識―身体(全くどうでもいいですが、このブログのアドレスは、ここから付けました)の関係について、明らかになるでしょう。勿論、それが為されるには、まだまだ時間が必要だと思います。神経科学等の、更なる発展が待たれます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

狩りの上達

先日、8月までプレイしていた『MONSTER HUNTER2(dos)』(以下、MH2)を、オフラインで、ちょっと再開してみました。

というのも、ふと、「もしかすると、止めた時よりも上手くなっているかも知れない」、と考えたからです。一所懸命取り組んでいたものからしばらく離れていて、再開してみると、以前より上達していた、という経験は、何度かある事なので、それを確かめてみた、という次第です。

結果は、予想通りで、かなり上達していました。恐らく、頭の中が適度に整理され、又、精神的にも落ち着いてプレイする事が出来たから、でしょう。オンラインでやっていた時は、結構緊張しながらやっていましたし、硬くなっていたのでしょうね(他人と協力する形態のオンラインゲームは、かなり気を遣いますから)。

(以下、MH2について、具体的な事を書いています。ご存知無い方には、意味不明だと思います。もしかすると、MH2のプレイヤーの方も読まれているかも知れないので、書きます)具体的なやり方としては、なるべくダメージを受けないよう、心掛けた、という事ですね(こう書くと単純ですが)。ある程度ダメージを受けても良いから、一度の攻撃機会に手数を増やす、というやり方よりも(防御力がある程度上がってくると、この様な考えを持ちやすいですね)、単発(武器によって回数は変わります)でも良いから、攻撃を、当てられるタイミングに確実に当て、敵が攻撃しそうな場合には、速やかに、ガード・回避行動に移る、という戦術の方が、結果的には、より合理的(この場合、クエストクリアの時間短縮)であると考えました(ダメージを受けた際の、立て直し、及び回復による時間のロスが、とても大きいのです。尤も、最高レベルの武器・防具を揃えれば、ゴリ押しでも大丈夫ですが、それでは全然面白く無いので)。いや、この様な考え自体は、そこそこ上達すると、皆持つものですが、今回は、それを徹底した、という事ですね。その為には、モンスターの攻撃パターンを、より正確に捉えておく必要があります。それで、今回は、その事に対する認知が、いつの間にか整理されてた、という訳です。いわゆる、「動きが手に取る様に判る」というやつです(笑) とは言え、徹底的にやり込んだ上級プレイヤーには、全く敵いませんけれども。

で、このエントリーで、何が言いたかったかというと、必ずしも具体的に取り組んでいなくとも(イメージトレーニングもせずに)、上達は起こりうる、という事ですね。これは、なかなか興味深い現象ではないかと思います。

余談――MHシリーズは、アクションゲーム史上、最高レベルの傑作だと思います。なんて言って、『2』しかやっていないのですが。1作目からプレイしている人の中には、『2』になって劣化した、という意見を言う人も見られますね。どちらにしろ、シリーズが傑作であるという事には、変わりは無いかと考えていますけれども。

モンスターハンター2(ドス) 公式ガイドブック Book モンスターハンター2(ドス) 公式ガイドブック

販売元:エンターブレイン
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 5日 (日)

意図的?

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 「娯楽性重視」1打差の宮里を「1位」、意図的に放送

生中継と録画放送の併用の結果としたMBSは「エンターテインメント性を重視した判断だが、今後の課題も残る」と説明している。

これはどういう意味でしょうか。意図的にやったのは間違い無い、という事ですよね。

選手達に対しても、とても無礼な事をした、と言えるのではないでしょうか。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

勘違い

自慢ではありませんが、私、「鯛の尾頭付き」を、何ヶ月か前まで、「御頭付き」だと思っていました。まさか、尻尾にも注目していたとは…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

合気を科学的に考える

判り易くする為に、高岡英夫氏の概念・引用文を、で示します。

武術に興味のある方ならご存知だと思いますが、日本武術に、「合気」という言葉があります。

合気の語自体は、古来、剣術等で使われていた様ですが、現在、合気と言えば、合気系武術と呼ばれる、大東流合気柔術や合気道等において用いられる具体的技術、として認識される場合が多いと考えられます。特に大東流では、「合気をかける」という表現が用いられ、明確に、具体的技術として対象化されている様です。合気道では、もっと一般的な、自分と相手との認識的な関係を示し、タイミングを合わせる事を「気を合わせる」、「気の合わせ」等と表現し(高岡の言う、「第一の合気」。『フルコンタクトKARATE』 1996年1月号 参照)、「合気」という語を用いる事は、あまりありません(実際の指導の現場で用いられる事はあるかも知れませんが、文献で見かける事は、殆どありません)。

対して、(主に)大東流では――現象を記述すると――受け(技をかけられる側)が、取り(技をかける側)の手を掴んだ刹那、踵が浮き、身動きが取れなくなって、手をしばらく離せなくなる、といった状態を、「合気がかかった」と言い、相手をその様な状態に成さしめる事を、「合気をかける」と称します(高岡の言う、「第ニの合気」。前掲書参照)。

勿論、流派により、又、同一流派内においても、指導者によって、言葉の使い方は異なっており、必ずしも峻別出来るものではありませんが、(武術に関心を持つ人に)一般的な認識としては、概ね、「合気」と言えば二番目の技術を指す、と考えて良いかと思います(メディアによって、その様に紹介されて、それが流布した、と考える事が出来ます)。

さて、実際に、達人が技をかけると、上で書いた様な現象(身動きが取れなくなり云々)が観察される訳ですが、多くの人は、それを観て、疑念を持つと思われます。「あれはヤラセだ」とか、「あんな事、起きるはずが無い」といった具合に。武術は本質的に、人対人のやり取りですから、そこには、人文・社会科学的(勿論、心理学含む)メカニズムが介在します。又、身体運動ですから、当然、物理学的メカニズムが作用します。正に、「多様な現象分野が複雑に絡み合った一個の巨大現象総体」(高岡英夫『合気・奇跡の解読』 ベースボールマガジン社 参照)です。その意味で、合気という現象を科学的に分析するのは、とても難しい事であると言えます。

高岡英夫氏は、自身を被験者とした実験的研究を行っており、その一端を、著作で発表しています(以下、高岡英夫『合気・奇跡の解読』 ベースボールマガジン社 参照)。そこでは、人文・社会科学的メカニズム(簡単に言うと、「馴れ合い」、「手心を加える」や、上位者による「お手盛り」。潜在的に働く場合もある)の介在を極力排する為に、課目を明確にし(「抗負荷挙肢運動――手首を押さえられた状態から、腕を揚げる運動。被術者はそれに対して抵抗する。※施術者は「取り」、被術者は「受け」)、「3秒ルール(3秒以内に、施術者が肩の高さまで手首を持ち上げられれば、施術者の勝ち、とする)」を設定しています。この事で、より課目が競争的になり、馴れ合いが排除されます。そして、スティックピクチャー・圧力板・筋電計を用いて、バイオメカニクス的な分析も行っています。それによって、身体のどの部分がどの様に運動しているか、どの筋肉がどの位収縮しているか、という事を、明確に測定出来ます。又、時間的な変化を捉えられます。

実験の詳細は、高岡氏の著作を参照して頂くとして、氏によれば、ベスト(衣服のベストの袖ぐりのライン辺りに形成される、身体意識の構造。バイオメカニクス的には、肋骨や鎖骨、肩甲骨等を、恰も一つの関節の様に働かせる――これを、「機能関節」と言う)を運用した場合、最もスムーズに課目を達成出来た、という結果が得られたとの事です。高岡氏による合気のメカニズムの仮説は、施術者がベストを運用させる→被術者の手に、大きな重みが掛かり(「豚の脚を持たされる」状態)、被術者の手を支点とした、全身の前方回転運動が生起する(一次局面)。※普通、手を揚げようとすると、肘・肩を支点とした運動になるが(固定支点)、ベストを使う事によって、被術者の手首を中心(支点)として、肩・腕が「下がる」事になる(揺動支点支点転動)→被術者に生理学的反応が起き、重心の浮揚等が起こる(二次局面)→一連の反応が進行し、いわゆる「合気がかかった」状態になる。つまり、全体重は自分で支えているが、制御は施術者によって行われているという状況。これを高岡氏は、「奪制御支体重(の内、体重100、制御0の状態)」と概念化しています。本実験により、この仮説が支持されたと言えるでしょう。ただ、厳密を期するならば、本実験でも、人文・社会科学的メカニズムを完全に排する事は困難ですし、又、被術者の抵抗の仕方等にも人によって違いがある、という事は言えます。その意味で、更に実験条件を工夫する事も必要です(もしかすると、行われているかも知れません)。たとえば、施術者を機械によって代替させる等(一次局面は、物理学的現象ですから、機械によっても生起する事が推測されます)の実験を行い、普遍的に現象が起こるかを確かめる等(ベストがしっかり形成されている人間自体が少ないので、合気の現象は、再現性が低いと言えます。当たり前ですね。皆が直ぐ出来れば、達人技でも何でもなくなりますから。ある程度の再現性を確保する為にも、機械を用いた実験は有効だと考えます。デザインは難しいでしょうけれど)。

合気について解説している武術家の意見を見ると、「背中の筋肉を使う」とか、「身体を固めて一気に揚げる」等の説明がされている事があります。しかしこれは、結局、押さえつけている力に対して、力で対抗するという意味であって、達人が言う「力を使わない」という事と矛盾します。詰まる所、固定支点によって荷物を持ち上げる運動と同じですから、より筋力をアップさせなければならない、という事になります。これは即ち、筋力の衰える年齢になると、合気は出来ない、という事でもあります。それでは、老齢になっても神業を見せた達人は、老齢の割りに筋力が強大だったか、悉くが人文・社会科学的メカニズムによって技を行ったかの、いずれかである、と結論されてしまいます。後者はともかくとして、前者は、明らかに矛盾します。達人の体格を見れば、一目瞭然です。つまり、背中の筋肉云々というのは、達人が行っている身体運動とは、似て非なるものである、と言う事が出来るでしょう(又、ただ持ち上げるだけでは、奪制御支体重は成立しないでしょう。これでは、その後の技に持っていきにくい、という事を意味します)。

合気系の人達が、高岡氏の研究にどの程度注目しているかは知りませんけれども、氏の研究は、実に科学的・論理的で、見事に考えられています。氏の実験を基にして、更に方法を工夫し、より詳細に、メカニズムを探求する事も出来るでしょう(勿論、反証に対しても開かれています)。もし、氏の研究が注目されていない(あるいは無理解)とすれば、とても勿体無い事であると言えます。中には、「科学的に武術を研究する」と言うだけで、拒否反応を起こす人もいますが、そういう考え方をする人は、残念ながら(余程天才的で無い限り)、上達の道を、自ら閉ざしてしまっている、と言えるでしょう。幾つか、高岡氏の研究についての意見を見た事がありますが、悉く的外れでした。批判が批判になっていなかったり、科学的概念を誤解していたり…。

ともかく、武術に携わる人は、もっと、科学的にものを考える能力を鍛えた方が良いと思います。せめて、毛嫌いは避けるべきだと考えます。

参考文献:『フルコンタクトKARATE』 1996年1月号 福昌堂、高岡英夫『合気・奇跡の解読』 ベースボールマガジン社

多分、そんな古い『フルコンタクトKARATE』なんて、持っている人は少ないと思いますので(笑) 「第一の合気」、「第二の合気」についての部分を引用します。

○合気道では、力線をずらしたり、タイミングや弾みを利用したり、テコの原理を利用したりという、巧みな力学的技術のエッセンスを総称して「合気」と言い、またそうした技術を充分に発揮するための土台となる自己と相手の認識・意識的関係をも「合気」という概念を(引用者註:原文ママ)含めている流派が多いようです。

この、力学的関係の部分は、高岡氏の言われる「低次合気」の概念に通ずるでしょう。

(前略)合気柔術では、概して「合気」を巧妙な力学的技術のエッセンスとしてではなく、相手の運動制御機構そのものを自己の支配下に置きコントロールする技術のエッセンスとして考える場合が多いのです。

これは、本文で挙げた、奪制御支体重の理論ですね。この現象が、高い再現性で観察されるとすれば、それは、生理学的・心理学に、とても興味深いのではないかと思います。

合気・奇跡の解読 Book 合気・奇跡の解読

著者:高岡 英夫
販売元:ベースボールマガジン社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年11月 4日 (土)

サラサラって…

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 採血し効果強調、“ブレスレット商法”注意呼びかけ

ブレスレットで血液サラサラになる、というのは論外としても、一体、誰が採血したのでしょう?

| | コメント (0) | トラックバック (2)

慎重に考える

以前ご紹介した松田剛氏による、文章です⇒テレビゲームが脳に与える影響

現時点において本研究によって判明したことは、(1)テレビゲームの種類によって脳の活動部位が異なること、(2)テレビゲームをしているときは前頭前野正中部の活動が低下すること、(3)そしてそれは一連の動作の学習に関連がありそうだということ、その3点のみです。それ以上のこともそれ以下のことも言えないのが現状です。脳科学によるテレビゲームへのアプローチはまだ始まったばかりです。今後もこうした地道な調査を進め、テレビゲームが私たちの脳に与える影響を丹念に見つけ出していくつもりです。少ないデータから結論を急ぐよりも、まずは実証的なデータの蓄積が大切ではないでしょうか。

これが、学者としての誠実な態度であると思います。しかし、こんなに当たり前の事を解っていない人が、学者と称する人々の中にもいるのですね。残念な事ですが。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

それはそう

「○○のやり過ぎは良くない」←これは、必ず正しい文です。「やり過ぎ」に、「度を超える」という意味が既に含まれているので、当たり前です。ですから、○○には、何でも当てはめる事が出来ます。ゲームでも、漫画でも、煙草でも、飲酒でも、食事でも、パチンコでも、勉強でも、何でもです。

ですから、本来重要なのは、「○○をやり過ぎるとはどういう事か」という問いなのです。それをちゃんと考えずに、「やり過ぎは良くない」と言っても、何も答えた事にはならないのです。

あ、別に、使ってはいけない、と言っている訳ではありません。と言うか、私だって、よく使いますし(笑)

私が言いたかったのは、「○○のやり過ぎは良くない」と言い過ぎるのは良くない、という事ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

主役は誰だろう

スラッシュドット ジャパン | ストリートファイター、(また)実写映画化

何で又今頃? と思わないでも無いです。

そういえば、実写映画版、観てないなあ。キャプテン・サワダが出るやつでしたっけ?

アニメ版の映画は観ました。あのアクションシーンは見事でした。あれを超えるのは、なかなか無いのでは、と思います。

何か、主人公が春麗という設定だけストIIで、後は、全くゲームの面影が無くなってしまう予感も…。

ストリートファイター2【劇場版】 DVD ストリートファイター2【劇場版】

販売元:アニプレックス
発売日:2000/09/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する

うう、実写版の方、無い…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 3日 (金)

教育を考える?

森昭雄氏の講演会があった様ですね⇒市ノ沢充、堺から政治を斬る!: 10月29日、子どもの教育を考える講演会に参加して10・29子どもの教育を考える講演会:西村眞悟と行動する「真悟の会・堺」

森氏に講演して貰おうという企画が出た際に、WEBで調べてみよう、という事にはならないのですかね。批判されていると知っていながら呼んだのではないか、とすら思ってしまいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

批判対象に対する的外れな思い込みの形成

ウソ、大げさ、紛らわしい: 数字が全てじゃない!

私は、

「数字が全てじゃない!」

と反論する人は、「客観的なデータを示すべきだ」、という人に対して、一種の「冷たさ」の様な印象を感じているのではないかと思っています。「数値還元主義」に見えてしまう、と言うか。そういう人は、自身の体験とか実感を重視して(し過ぎて)、科学的なデータは現象の一面を切り取ったものに過ぎない、と考えて(そして、それは部分的に正しい)、逆に、そういったデータを軽視してしまうのだと考えられます。更に、データ云々と言う人に対して、「きっと、体験や実感を疎かにする人間なのだ」、というバイアスを形成するかも知れません(本エントリーのタイトルの意味です)。SSTさんが仰る様に、科学的データが一面的な正しさしか持たない(場合がある)からと言って、それを無視して良いとは言えません。それは、実証主義的方法に対する過度の批判である、と考えます。
そうではなくて、重要なのは、「データをどうやって収集するか」、「どう解釈するか」等について、正しい知識を身につけるよう努力する事、なのではないでしょうか。それは勿論、妥当性を欠く研究法によって得られたデータを、批判的に吟味する為のスキルである、とも言えるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゲロゲロゲロゲロ

テンプレートを替えたであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 2日 (木)

リセット、かあ

2ちゃんねるより⇒ゲーム脳の危険性

かなり面白い議論が展開されています。

これ、今思いついた事なので、ツッコミ所満載かも知れませんが…。

  • ゲームをする際に、リセットをためらわない人は、そもそも、ゲームは単にゲームだ、と割り切っている。元々、ゲームに深く没入していない。
  • ゲームをする際に、リセットをためらう人は、ゲームを単なるゲームとは割り切っていない、つまり、リセットしてやり直せばいいや、という軽い考えは、そもそも無い。言い換えると、リセットという行為が、かなり重要な事だと考えている。
  • よって、リセットばかりするから命を軽視する事になる云々、というのは、詭弁である。

うーん、我ながら、微妙。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

離散的

「デジタル思考は良くない」、と言っている人の思考は、立派にデジタルですよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

勉強しなさい!

「将来役に立つから」、と言って勉強を促す、というのは、やっぱり、余り効果が無いのではないかなあ、と思います。

だって、テレビを観れば、学校の勉強を疎かにした人達(←批難に非ず)が、大活躍しているではありませんか。そういうのを観て学習するのと、身近の人に、押し付けがましく「勉強しろ」と言われるのとでは、どちらが有効か、言わずもがなだと思います。

たとえ、芸能人で活躍するのが、ほんの一握りであったとしても、その事は、余り考えないのだと思います。そもそも、身近にも、「勉強をした人」がいないのですから。「自分がやってないのに、人に言わないでくれ」、というのは、結構考える事だと考えます。大人が自ら、自説に反証している様なものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

解析

アクセス解析が、新しくなりました。

いきなり機能が増え過ぎです(笑) 今までが少な過ぎた、という事ですが。個人的には、殆ど要らないですね…。でも、眺めていると、なかなか面白いです。

昨日までの総アクセス数と、全然違いますね。5,000くらい減りました(笑) 修正しようかな。追記:とりあえず、4,000を加算しました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

的外れな批判

武術の専門家で、「武術は科学では解けない」、と主張される方がおられます。

で、大概、そういう方は、科学について、余り知識を持っていないのに(全く無知である事も)、科学に対して的外れな批判を繰り広げたりします。

自身の専門種目で、目標に向かってひたすら邁進して、科学的方法には目も向けない、という事なら構わないと思いますが(個人的には、科学的知識は学ぶべきだと思っています)、何故か、科学に対して、積極的に批判を行うのです。そして、そういう人が、科学者やマスメディアに注目されたりします(たとえば、甲野善紀氏※)。

私が、そういう人達に対して言いたいのは、もし批判するのであれば、科学的方法について勉強した上で、何故武術が科学的に解明出来ないかを、「科学的に」説明すべきである、という事です。

大体、「科学的に解明されていない」ならともかく、「科学では解明”出来ない”」と主張するのは、かなり認識不足ですね。

勿論、「”武術を科学的に解明する”とは、どの様な意味か」という問いも立てられます。

※私は、甲野氏の初期の著作は、結構読みました。読まれた方はご存知だと思いますが、書いてある事は、(他の部分には、同意出来る所があるものの、具体的身体運動については)極めて非科学的な内容です。勿論、氏の理論(と言うのは憚られますが)を実践する事によって、ある程度、上達する場合はあるでしょうけれども、方法に、普遍性を欠いているので、弊害をもたらす可能性もあります。ただ、武術における、身体の操作についての認識の重要性を説いた、という意味では(つまり、「からだをどう使えば良いか」、という事を考えるのが重要だと主張)、大きな功績があったとは言えるでしょう(中国武術や日本の古流武術で普通に教えられていた事を、恰も自身の創作であるかの如く主張している、という批判もあります)。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年11月 1日 (水)

割引

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <公取委>ソフトバンクの「0円」広告を景表法違反で調査

基本料金の定価が9,600円だというのを、皆知っているのでしょうか。まあ、細かく調べなければ、判らない事ですね。契約する時に初めて知る、という感じかな…。

これ(ゴールドプラン)って、キャンペーン期間後に契約すると、基本料金はどうなるのでしょうね。

こんな記事も⇒【続報】ソフトバンク,音声定額プランの利用条件や詳細を公表:ITpro

何か、ややこしいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

はんしゃかいがく

パオロ・マッツァリーノ氏の、新連載です⇒日本列島プチ改造論 パオロ・マッツァリーノ

相変わらず、面白い書きっぷりです(笑) そうか、ベンチを作ればいいんだ。

あれは公共心の欠如のあらわれであるとか、動物行動学的見地からすればサル化しているとか、若者の脳が退化しているとか。

どう考えても、あの人とか、あの人とか、あの人の事ですね。

バックナンバーは3回分しか公開されないそうなので、見逃さない様にしないと。

ところで、タイトルを、「反社会学」と、直ぐに読めました?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

どうしても、中臀筋や首周り、肩甲骨と胸椎の間の拘束が抜けてきません。なかなか難しいですね。数年前と較べると、別人の様にゆるんできたという自覚はありますが、まだまだ全然足りませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

終了

Yahoo!ニュース - ITmediaニュース - 「livedoor FINANCE」12月に終了

「livedoor掲示板」には、以前、よく書き込みをしていたので、終了するのは残念ですね。やはり、ログも消え去るのでしょうか。詳細なアナウンスが無いので、何とも言えませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »