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2006年10月10日 (火)

「身体意識」と「身体感覚」

高岡英夫著『センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます 』(ベースボールマガジン社)より引用します(P5より)。

身体意識という言葉を学術的に概念として決定する際、私は概念の構成要件について厳密な検討を加えました。ある言葉を学術的概念として採用するには、概念化しようとする対象を、それを取り巻くもろもろの現象から切り分け、措定する必要十分条件を特定し、その言葉がそれらの条件を構成要件として完全に満たす事が必要です。今回の場合、私は次の9つの条件を構成要件としました。

(1)実体のごとく存在するが実体ではないという心理現象性

(2)身体の内部に実体があるかのごとき実感があるという体性感覚性

(3)実体のごとく存在する人には常に存在するという恒常性

(4)実体のごとく形があるという形状性

(5)形状が明確であり、時に幾何学的正確さを持つという形状正確性

(6)顕在意識にのぼることもあるが、他のことに意識がとらわれている場合も常に存在しているという潜在下心理現象性

(7)形状も場所も異なる複数個が同時に存在するという同時複数性

(8)身体の内にも存在するが身体の外の空間にも延長的に存在するという心理現象性

(9)外観からでも見える人には見えるという身体反映性

先ず、

ある言葉を学術的概念として採用するには、概念化しようとする対象を、それを取り巻くもろもろの現象から切り分け、措定する必要十分条件を特定し、その言葉がそれらの条件を構成要件として完全に満たす事が必要です。

この部分が、決定的に重要です。これは、基本として押さえておかねばなりません。当然、他の諸科学にも共通する論理であると言えます。特に、心理学等で用いられる、直接観察する事が不可能な構成概念を定義する際には、注意しなければならないでしょう。

高岡氏は、これを踏まえた上で、身体意識と同様の概念を「身体感覚」と表現する事を、厳しく批判なさっています(これは余談ですが、「身体感覚」という概念を広めた論者として、ある学者を念頭に置いていると思われます。誰かは書きませんが)。「身体感覚」という語を用いる論者は、恐らく、上の構成要件を満たした現象について、その語を当てはめているのだと思いますが、高岡氏が論じておられる通り、「感覚」という概念では、(3)や(6)の条件を当てはめる事が出来ません。その意味で、厳密さに欠けると言えるでしょう。この論理を考えずに、安易に、「身体感覚」という語を用いているのを見かける事があります。実践の現場で便宜的に用いる場合はともかくとして、学術的な議論において、この様な曖昧な用い方をするべきではありません。

本書についての感想――本書は、BABジャパン刊『月刊 秘伝』に連載されていたものを、加筆・修正したものですが、連載時より噛み砕いた表現になっており、遥かに解りやすいです。とはいえ、難解である事に変わりはありませんが。高岡氏の著作を読むには、身体運動についての実践的な経験と、学術的知識が必要とされますので、どちらか片方だけの知識しか持ち合わせていない場合、ちょっと読みにくいでしょうね。例えば、スポーツや武道・武術の専門家で、学術的知識には疎い人の場合、小難しい専門的用語が出てきて、何やら良く解らない、という事になるでしょうし、科学的思考を鍛えた人でも、身体を動かした経験が余り無く、身体の「感じ」等について認識を向けた事が無ければ、論理は何となく解っても、実感として理解するのは難しいかも知れません。そういう意味で、やはり、氏の著作は独特であると言えます。実際、アカデミズムに関わっている人で、高岡氏の理論に触れている人が、どの様に評価しているのか、知りたい所です。これは高岡氏から影響を受けているのでは? と思われる本(学術書では無く)でも、高岡氏の著作を参考文献として挙げているものは、余り無いですね。勿論、独自に考え出したという可能性もある訳ですけれど。

アド仙人さんの、山梨臨床心理と武術の研究所: 「センター・体軸・正中線」に、面白いエピソードが(こちらのエントリーを拝読して、本書を再読しようと考えた次第。もう10回目くらいかも。正確には、単行本化される前の簡易製本版も含めて、ですが)。以下、アド仙人さんのブログより引用。

二年前だったか、トラウマのセラピーに関する動作法のワークショップに出たとき、割と高名な先生が「脱力していると、武蔵の剣というのがあって・・・」と軽く高岡氏の考えをさらっと言っているのを耳にしてびっくりしたことがあります。

もう、高岡氏の影響以外、考えにくいですね(笑) 武蔵が脱力統一体である事は、普通の人は知らないでしょうしね。

ところで、本書にも書かれていますが、DS(ディレクト・システム)という概念、最近では余り用いられていませんね。確かに、身体意識と極意という概念を中心に用いた方が良いのかも知れません。DS=揮政系とか、殆どの人は知らないかも(笑)

センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます Book センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます

著者:高岡 英夫
販売元:ベースボールマガジン社
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コメント

 TBありがとうございます。
 高岡さんの言葉の使い方、厳密さとおふざけ度がとても好きです。

 学者さんの中にもけっこう隠れファンがいるらしいですが、なかなか表に出ないですね。恥ずかしがり屋なのか肚ができてないのか(笑)。

 それにしても再読10回というのはすごい、僕よりずっと上ですね。また感想について教えてください。
 それから、よろしかったらリンクをさせていただけたらと思います。

投稿: アド仙人 | 2006年10月10日 (火) 22:38

 TB最初の記事は間違って送ってしまいました。削除してかまいませんのでお願いします。
 失礼いたしましたm(_ _)m

投稿: アド仙人 | 2006年10月10日 (火) 23:02

アド仙人さん、今晩は。

 >高岡さんの言葉の使い方、厳密さとおふざけ度がとても好
 >きです。
そうですよね。真面目かつユーモラス、という感じですね。専門用語のつくり方も、結構安易に決めたのでは、と思わせるものがありますが、よく見ると、かなり深く考えられているなあ、と気付きます。

 >それにしても再読10回というのはすごい、僕よりずっと上
 >ですね。
いえいえ。連載時からの回数ですし、何度も読むという事は、ちゃんと理解が出来ていない、という事でもあります(笑) 読む度に、「あ、こういう事だったのだな」、というのが良くあります。

 >それから、よろしかったらリンクをさせていただけたらと思
 >います。
ありがとうございます。リンク・引用は一切フリーですので、ご自由にお使い下さいませ。

投稿: TAKESAN | 2006年10月11日 (水) 01:46

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