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2006年9月16日 (土)

現場埋没

武道・武術界の議論で、古流剣術に携わる人が、現代剣道に対して、「剣道は竹刀で当てっこしているだけで、真剣を扱う事は出来ないだろう」と批判するものがあります。

しかし、この様な批判は、実は、とても的外れであるのです。剣道は、「長めの竹刀で、限定された部位を打突し、有効打を奪い合う競技」として発展したものですから、目的が違うのです。竹刀と真剣では、重量も長さも異なりますし、素材も全く違います。剣道は、限定された有効箇所を、いかに素早く正確なフォームで打突するか、という競技構造を持っている訳です。即ち、「金属で出来ており、ある程度の反りがあり、剣先から鍔元まで刃が入れてある」真剣を扱う技術を習得しようとする古流剣術とは、そもそも違うものなのです。※上では、剣術側から剣道側への批判を挙げましたが、勿論、逆のケースもあります。古流剣術のドッシリ、ガッチリとした動き方で、どうするのだ。あれじゃあ、剣道の試合に出たら、手も足も出ない筈。といった感じで。

その事を理解せずに、自らが属する体系の論理を以って、他の体系を不当に批判(つまり批難)する事を、「エティミック(正確には、その一種。後ほど説明します。参考図書もご紹介します)」(高岡英夫による)と言います。この様な認識の仕方は、色々な場面で見られます。例えば、柔術が柔道を批判したり、空手の一流派が、他の流派を批判したり、等々。

この様に、自らの拠って立つ体系内でのみ通用する論理で、他の体系を理解しようとすると、とてもおかしな事になってしまいます。格闘技や武道・武術では、結構見られる事ですが、勿論、他の文化でも見られると思います。その様な埋没的認識に陥る事なく、俯瞰する、つまり、メタなものの見方を、鍛える必要があるでしょう。

※「エティミック」には、対象を文脈から無理矢理切り離して、没価値的(エティック)に観察しようとする態度も含まれます。例えば、空手の「突き」の威力を、衝撃力測定器で測り、威力が高い低いと、安易に評価する等。「突き」動作は、間合い・体捌き・受け技、その他諸々の条件と複雑に絡み合いながら、体系を構成しています。文脈から切り離して評価する、というのは、一面的でしかありません。勿論、とても重要な事であるには違い無いのですが、それが、対象を正しく理解出来る客観的方法である、と考えるべきではありません。もう一つの「エティミック」は、最初に挙げた剣術と剣道の例の様な場合です。例えば、剣術をやっている人が、「剣道の打ち方では、人は斬れんよ。」と批判したとします。しかしそれは、「古流剣術」というシステムでは、「剣道」で用いられている様な動作は役に立たない、と評価している訳で、それを以って、剣道全体を批判するのは的外れです。つまり、ある体系内でのみ通用する価値(イーミック)で、他の体系を判断する、という事です。

参考文献:

武道の科学化と格闘技の本質 Book 武道の科学化と格闘技の本質

著者:高岡 英夫
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空手・合気・少林寺―その徹底比較技術論 Book 空手・合気・少林寺―その徹底比較技術論

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空手・合気・少林寺 (続) Book 空手・合気・少林寺 (続)

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