どの様に信ずるか
水伝の場合は、言葉を過信(というか、誤解)している人が、信じ易いのではないかと思います。
物質に人格性を認める様なかたちではなくて、もっとダイレクトに、言葉そのものに大きな力があると考えている、と言うか。上手く表現出来ませんが。それは、いわゆる言霊信仰とも異なるように思います。江本氏が、「宗教の様に見えるがそうでは無い」と主張なさっているのは、注目すべきかと思います(にも拘らず、宗教的な説明も多々ありますが)。
例えば、他人の悪口ばかり言っていると、自分に災いが降りかかるよ、と子どもを躾ける事がありますよね。その際に、神様が云々と説明する事もあるでしょうけれど、大体は、そうでは無くて、言葉そのものに力がある様なイメージを持たせるのではないかと思います。そういうのが、下地にあるのではないかな、と。
そこに、実験とか学者とか、「科学らしさ」をちらつかせて、「ああ、実は科学的な根拠があったのだ」と思わせるのが、江本氏の巧妙な所なのだと考えます。
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