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2006年3月28日 (火)

実感

どうして、「ゲーム脳」論等に、過剰ともいえる反応をするのか。それは、「実感」に基づいているからです。小学校低学年の頃、『ドラゴンクエスト』をクリアして涙した思い出。ゲーム音楽に感動して、サウンドトラックを何百回も、繰り返し聴いた思い出。友人と、ゲームの貸し借りをした思い出。ゲームが好きだという事実だけで、揶揄され、白い目で見られ、悲しむという実感(今の子どもに、あんな思いはさせたく無いのです)。欲しかったゲームソフトを買ってもらった時の、心躍る感じ。そういった、数々の実感に対して、良くゲームを知りもしない人が、的外れな非難を展開しているのです。思い出を、踏みにじられている様な感じを覚えるのです。あの様な主張をする人達は、子どもを馬鹿にしている様に思います。子どもは、色々考えるのです。自分が好きなものが、実は悪いものなのだ、と言われたら、どんな気持ちになるか、考えるべきです。よかれと思っての事でも、それが、どれ程子どもの心を傷つけるか…。

ここまで読まれて、「たかがゲームの事で、何をムキになっているのだ。」と思われた方は、既に、ゲームという文化を下に見ています。上の、「ゲーム」の部分に、色々な語を入れて、適当に、文章を組み立て直してみて下さい。何でも構いません。小説・映画・漫画・アニメ・模型・学問・音楽・絵画・料理……。自分が好きなものに関しては、共感するでしょうし、そうでないものに対しては、引いてしまうでしょう。そういうものなのです。知らず知らずの内に、文化に優劣を付けているのです。そしてそれは、その文化に関わる人間そのものへの評価にも、反映されるのです。その認識が、人を差別してしまう根拠になりうる、という事を、自覚すべきです。

本当に、そう思います。

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