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2006年1月15日 (日)

いじめ

「陰湿ないじめは日本に特有」、という意見を見聞きする事があるのですが、「陰湿では無いいじめ」、なんてあるのですかね。

そもそも「いじめ」とは何でしょう。はっきりとした尺度があるのですか。それは定量化出来るものですか。これをしたらちょっといじめ、とか、ここまでいったら酷いいじめ、とか…。

いじめとは、「された方がそう感じる」事、ではないのですか。外から観察して判断する様な現象ではないのでは。

いじめが顕在化した際、加害者(第三者も)が、「いじめられる側に原因がある」と言う場合があります(被害者が、いじめられた過去を振り返って、その様に言う場合もあります)。

当たり前です。原因など、いじめる側が「勝手」に設定するのですから。仕草が気に食わない、ものの言い方が癇に障る、容姿が嫌だ、等々。そう考える事によって、自らの行いを正当化するのです。「あいつはいじめられても仕方がないのだ。」と。

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コメント

いじめられる側に「原因」がある、と表現するのに抵抗を持つのは、その原因という語に、「いじめという結果との必然的な結び付き」が含意されていると解釈するからでしょう。即ち、「いじめられても仕方が無かった」という含意があるように取る。そのように注意深く見ておくのは重要だと思います。そんな事を言うなよ、と指摘するのも大切。

私がここで書いているのは、原因は、いじめる側が恣意によって決定する、つまり、「あらゆるものをいじめる事の“原因”として設定出来る」という事です。それはすさまじく理不尽であり、「いじめられる側にも原因があるんだ」みたいな言い分は通らないよ、と言っている訳です(何故なら、好きなように設定出来るから)。

投稿: TAKESAN | 2013年1月20日 (日) 20:26

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