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2006年1月 7日 (土)

脳科学的方法の考察

脳科学者が、ゲームをプレイしている人の脳の活動を計測する、という実験を行う際、たった数種類のゲームしか用いず、しかもゲームのどの様な局面であるか、という事を殆ど無視しています(森昭雄氏や川島隆太氏等の研究)。又、習熟の度合いについても余り言及しません。

例えば、ロールプレイングゲームには、基本的に、フィールド移動・戦闘・ストーリーの展開を観る、等の様々な局面があります、フィールドの移動にも、一度行った事のある場所と、初めて訪れた場所、或いは、ダンジョンで謎を解きながら探索する、といった異なる局面があります。何度も訪れた場所であれば、操作は直感的に行われ、一々細かく認知する事はありません。つまり、「慣れる」という事です。しかし、初めて来た場所では、店等の位置を憶えたり、他のキャラクターの話を聞きに行ったり、他の場所での依頼を遂行したり、等といった事をしなければならず、かなり考えなければ、先へ進む事が出来ません。又、ダンジョンでは、様々な仕掛けが施されています。それは、パズルの要素が強いもので、行き当たりばったりでは解けません(勿論ゲームによりますが)。戦闘の場面でも、いわゆる「ザコ」戦と「ボス」戦、では、局面が異なると言えます。レベルを上げる事が目的で弱い敵と戦う、という場面では、操作は殆ど自動的です。実際に自動的に戦闘を進めてくれる機能があるゲームが殆どですし、全部自分でコマンドを入力する場合(キャラクターの行動を自分で選択する場合)でも、一々確認をする事は少なく、コマンドの場所を記憶して、それをボタンの入力と直接対応させて、直感的に行います(ボタンの入力のパターンを記憶し、それを押すだけで戦闘に勝利出来る様にする)。ボス戦では、(標準的なレベルで挑んだとして。高レベルであれば、余り考えなくとも簡単に勝てる場合があります)相手の攻撃のパターンを認識し、どこでどの様なコマンドを入力するか、どの程度ダメージを受ければ回復を行うか、等の、高度な認知活動が必要とされます。プレイヤーに「優しく無い」、「シビア」なゲームでは、これが顕著です。次に、ストーリーの展開を観る、とう局面ですが、ここでは、ゲーム内のキャラクターの関係を把握したり、次の目的地のヒントを得たり、といった事を考えなければなりません(表現は、音声・文字・グラフィックの組み合わせ)。この様に、「ロールプレイングゲーム」と一口に言っても、様々な局面があります。勿論これは、他のジャンルにも当てはまります。シミュレーションゲーム等では、高度の戦略的な思考が必要とされる場面もあり、余り考えずに進めていく場面もあります。又、アドベンチャーゲームでは、小説と同様、「読む」事が必要です。情景の描写を何となく読む場面もありますし、推理を働かせて主人公の行動を選択する場面もあります。にも拘らず、研究者は、この様な論理を踏まえず、ただゲームを数十分やらせて脳波等を測定する、という事をしています。これでは、研究方法が妥当ではない、と言わざるを得ません。

次に、習熟の度合い、についてです。当たり前ですが、ゲームにも他の文化と同様、上達という現象があります。将棋等では、先ず駒の名前やルールを憶え、そして定石を学んで上達していく、という過程があります。初心の内は、どの駒がどの様な動きをするか、打ってはいけない所はどこか、等を一々考えながら進めて行きますが、ある程度慣れると、その様な事は考えず、より「良い手」を打つ事を心掛ける様になります。更に、定石という「型」を憶え、より合理的に思考を進める事が出来ます。他のゲームでもこれは同様です。パズルゲームにしてもシューティングゲームにしても、先ず、ルールを憶え、それを確認しながらプレイする、という段階から、次第に操作が直感的になります。言語的な認知から、ヴィジュアルなイメージに変化していく、とも言えるでしょう。格闘ゲーム等では、複雑なコマンドを憶える必要がありますが(上手になる為には)、初めは「えっと…、下、右下、右…」と、言語的に認識してボタンを押しますが、上達するに従って、それが単なる「指の運動」に変化します。何かの技を出そうと考えた瞬間、条件反応的に指が運動する様になります(上達するに従って、というより、この様に変化する事を「上達する」と言う、と考えた方が良いかも知れません)。勿論これは、格闘ゲームそのものを全くやった事の無い人を想定した話です、格闘ゲームに慣れている人は、「この技は波動拳コマンドだ」という指示を受けただけで、一瞬にして「上達」します。推測ですが、森昭雄氏が言う「ゲーム脳」の状態とは、この様な「上達を遂げた」人の脳の状態ではないかと考えられます。ゲームに慣れた人は、新しいゲームをプレイしても、他のゲームの経験を応用して、より短時間で適応出来た、と考えられます。従って、森氏に言わせると、「ゲーム脳」の人が新しいゲームをすると、初めはある程度脳が活発に働くが、すぐに元に戻る(即ち「ゲーム脳」)、という事になるのでしょう。一方、(森氏の言う)ノーマルな人間は、なかなかゲームに慣れる事が出来ないので、脳を最適に使っていない、と考えられます。それを森氏は、脳が活発に働いたままの状態が持続している、と解釈したのでしょう。そして、ゲーム初心者がゲームに慣れて、脳を最適に使う様になれば、その人が「ゲーム脳になった」、と言うのです。実験結果を、どの様にでも恣意的に解釈出来る、という事です。

他に挙げられる研究方法上の問題としては、無理矢理に状況を切り取って実験を行う、という事があります。ゲームに関わる活動は、ゲームをプレイしている時だけではなく、説明書を読んだり、雑誌の攻略記事をチェックしたり、他の人とゲームについて語ったり、といった、様々なものがあります、それを考察する事無く、実験室でゲームをやらせてゲームの影響云々と言うのは、やはり妥当では無いでしょう。格闘ゲームやパズルゲーム(勿論他のゲームも)では、いちいち考えていては相手に負けてしまいます。「考えないですむ」様に、ゲームをしていない時に色々と「考えている」のです。

脳(特に前頭前野)活動が活発で無い(他の部分が強力に働く)からといって、それが「良くない」、「頭を使っていない」、或いは、「優れた文化では無い」と断定出来るかどうか、という問題もあります。他の人が一々脳の全体を使って行っている事を、脳の一部分を使って短時間で出来る、という事は、脳を最適化してうまく使っている、という事も言えるからです。例えば、社会的に高い評価を得ている人(例えばノーベル賞受賞者)の脳活動を測定し、(脳科学者の言う)「良くない結果」が出たら、研究者はどの様に解釈し、説明するでしょうか。その人に対する評価が間違っている、と言うか、その人が関わる文化はレベルが低いのだ、と言うか…。そこまでいくと、ブレイン・イメージングの結果で文化の優劣を決めるという、「ブレイン・イメージング主義」と言えるかも知れません。

ここで考察した論理は、他の文化を研究する際にも当てはめられます。各文化にはどの様な局面があるか、又、各局面や習熟度(少なくとも、初級・中級・上級・達人、の様な段階に分けて研究するべきです。勿論これは、他人の「評価」です)によってどの様な脳活動の異なりが見出されるか。脳科学者は、それを対象化し、詳細に研究しなければなりません。ただそこら辺の人を集めて脳波を測り、何々は脳を活性化させる(させない)、と主張しても、科学的には何も言った事にはならないのです。

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コメント

このエントリー、なんでこんなに改行が少ないんだ?

投稿: TAKESAN | 2008年9月 8日 (月) 01:09

ここら辺に投下。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0810/15/news045.html

面白い。タイトルが微妙だけど。

読書群にはどんな本を読ませたんでしょうね。興味に合うかどうかで、かなり変動しそうです。

投稿: TAKESAN | 2008年10月15日 (水) 12:10

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