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2005年12月24日 (土)

相対化

「ゲーム脳」に類似する主張をする人に共通するのは、「文化を相対化する」視点が欠落している、という事でしょう。

文化というものが、恣意性に支配された価値の体系である、という事に対する認識が足りないのです。

例えば、「電車内で化粧をする事」を、「だらしなさ」を象徴する記号と看做し、それを非難します。それだけならまだ問題は少ないと言えます。好き嫌いは誰にもあるものですし、ある行動に不快感を覚える事も、それ自体は特に責められる事でも無いでしょう。

しかし、この様な認識が進んでしまうと、この「だらしなさ」という意味が、次第に「人間として未成熟な」とか、「文化的に劣っている」といった、より積極的に差別的なものに変わってしまうのです。そして遂には、「脳の機能が低下している」という、自然科学的な概念と無理矢理に結び付けてしまうのです(そもそも、「脳の機能低下」に、差別的なニュアンスが込められています)。

後はもう独擅場です。

彼・彼女には、大義名分が出来たのです。即ち、「自分達は、文化的に劣等である人間の脳波を発見した。これは由々しき事態であって、我々専門家は、この様な恐ろしい事態を改善する為の、社会的責任を果たさなければならないのだ。」という、「正義感」に目覚めるのです。そこには、自分達のものの見方それ自体が、恣意的な意味の網の目によって形成された、相対的なものである、という自覚は、微塵も見出されません。

自己の主観的認識を正当化する為に、ブレイン・イメージングの結果という、自然科学的概念を持ち出して解釈し、それがさも科学的真理であるかの様に主張するのです。そして、同じ様な結果が出れば、それに「異常」のレッテルを貼り、思い煩うのです。「これはどうしたものか」と。そこにあるのは、専門家としての自惚れと、自分が文化的に高等であるという思い込み、そして、「無知な大衆」に対する「啓蒙精神」です。

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