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2005年12月26日 (月)

運動

「ゲーム」でも「漫画」でも「アニメ」でも何でも構いませんが、それらの「悪影響」を論じる際に、「運動」する事が少なくなったからだ、と言う論者がいます。例えば、「私達の小さな頃、若い頃には、良く外で遊びまわったものだ。今の人にはそういった経験が少ない。だから、豊かな人間性が育まれず、凶悪な犯罪が起きたり、思いやりの少ない人が増えているのだ。」という様に。

私は、スポーツ・武道・各種健康法等の身体運動文化に格別な関心を持ち、それらの効用についても興味を持つ人間です。従って、「運動」の影響(勿論、悪影響についても)については、詳しく科学的に考察する必要がある、と考えています。

人間の「身体」というものを自然科学的に(即ち、物理・化学・工学等。当然、「医学」はその様な立場です。)対象化するならば、色々な身体運動文化が、どの様に力学的に作用し、又、生化学的にどの様な作用を促すか、それは健康を増進し、病気を予防するものなのか、あるいは、身体に過剰の負担を掛け、健康を損なうものなのか、等を考える事は、とても重要な視座であると言えます。勿論、それらが人文・社会科学的にどの様なメカニズムを持っているか、という事もとても重要です。

然るに、ゲーム等の文化を批判する論者は、運動の効用云々を語る際、極めて素朴な意見を開陳するに留まっています。即ち、「昔はこれこれの運動をしたから良かった」、「我々の小さい頃は快適だった」、等です。

そこに見出されるのは、

  1. 「昔は良い社会だった」
  2. 「昔は沢山身体を動かした」
  3. 「昔は沢山身体を動かしたから、良い社会だったのだ」

という、単純で根拠に乏しい論法です。

又、彼・彼女達は、「運動の悪影響」については、あまり積極的に論じようとはしません。

身体運動は、力学的な現象ですから、当然、「無理」のある運動もあるはずです。又、認識を、スポーツや武道等の、「文化」にまで広げれば、そこには当然、複雑な人文・社会科学的メカニズムが働いている筈です。そのメカニズムが、「認知」に悪い(これも一つの「価値」です)影響を与える可能性は、充分に考えられます。

批判者は、この様な論理を踏まえずに、安易に「運動不足」と「人間性の喪失」を結び付け、更にそれを、特定の文化の繁栄にまで短絡させ、その文化を積極的に非難します。

運動の効用を主張するのは構わないのです。どの様な運動が、心身にどの様な影響を与えるかどうかを、学問的に研究すれば良いのです。

しかし、単なる直感を、他の直感と安易に結び付けるべきではないのです。

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